──声が聞こえる。
『お前の中に棲むモノを引っ張り出せ。それが出来た時、また来る』
──朧気に見えた影が形を作っていく。小さな影だ。
あん? 何を勝手なことを言ってやがる。つーかお前ガキだろ。
──もう一つ、影が増えた。
「はちまん、あそぼうよ」
「はちまん、やろうよ」
──うるせぇ。
──。
「……八幡ってばっ」
揺すられて目を開けると、そこには天使がいた。
何これ、俺ってば天に召されちゃったのかしらん。
「もうっ、おーきーてっ」
「ん……戸塚、ちゅー」
やけにリアルな夢だな。戸塚の吐息まで感じてしまう。
もうこれは完全に病気ですね。
だか夢なら、夢なら……。
小生、朝チュンを希望するでありますっ。
残念ながら現実なんだけどね。ほっぺたつねられてるし。でゅふ。
「もうっ、早く行かないと朝ごはん終わっちゃうよ。早く、いこ?」
いえ、もう極上の幸福を頂きました。
頬を膨らませながらも腕を引っ張る、ヒロイン度が青天井の戸塚に促されて、別棟にある食堂に向かう。
周囲を木々に囲まているせいか、朝の空気はひんやりとして心地が良い。加えて連れ立って歩くのが戸塚とくれば、朝が苦手な俺も自然と頬が緩むってものだ。
ただ一つ悔やまれるのは、昨晩戸塚と一緒に入浴出来なかったことだ。
今夜こそは戸塚と一緒に風呂に入ろう。
「そういえば八幡、夕べはどこに行ってたの?」
「いや、雪ノ──ちょっと散歩にな」
けふん。どうやら頬と同様におクチも緩んでいるらしい。
雪ノ下と俺が夜中に一緒にいたなんて知られたら、雪ノ下の立場が危ぶまれる。ひいては俺のぼっちライフの安全にも関わる。どういう理屈かは分からんが、世界はそういう風に出来ているらしい。
実際には陸奥九十九も一緒だったのだが、それだけは言えない。
云えば──千葉村の管理体制だけでなく施設を利用する小学校や俺たち総武高校など、至る所で問題となりそうだ。
何せ不法進入だし、木を一本ダメにしたのは器物損壊だし。
だが、不破に気をつけろ、とは一体どういう意味なのか。
お袋の話だが。
不破は、二十数年前に陸奥九十九が
ならば、陸奥九十九の云う"不破"とは一体何を、誰を指し示すのか。
いや待て。もしかしたら歌舞伎や落語の
つーか、どうせ忠告してくれるならしっかりと名前まで教えて欲しいものだ。
これだから言葉が足りない男は……って、そりゃブーメランか。
「……また何か悩んでるの?」
横を歩く戸塚に覗き込まれて思わず頬を赤らめる俺。上目遣いの戸塚。
何だか新しい世界(腐界)の扉を開けてしまいそうで怖いです。
「まあな、最近色々とあって、な」
「そうなんだ。八幡は強いから弱音とか吐かないと思うけど、僕で良かったら、言ってね」
──はっ。
やばいやばい。うっかりプロポーズ大作戦を繰り広げるとこだったぜ。
それくらいに戸塚の気遣いは嬉しい。が、何を何処まで話しても良いのか判断がつかない。従って曖昧な答えしか返し様が無い。
「……ま、そのうち聞いてもらう、と思う」
「うんっ、待ってるね」
ええ子や。ほんまええ子やわぁ。
うっかり新婚旅行(ハワイ七泊八日)の計画を立てそうになっちまったよ。
あ、そういや日課の朝の運動サボっちまったぜ。許してママン。
* * *
食堂に着くと、総武高校の面々は既に朝食を食べ始めていた。その中で、ちらちらと雪ノ下に視線を送りながら三浦の隣で箸を運ぶ由比ヶ浜に苦笑してしまう。当の雪ノ下は平塚先生と席を同じくしていた。
戸塚と俺は、その平塚先生に手招きされて隣のテーブルに陣取った。
「おはよう比企谷、今日は一段と眠そうだな」
「え、いや……朝は弱くて」
平塚先生の左眉がぴくりと上がった。
「──ほう、まるっと雪ノ下と同じ台詞だな。偶然か? 偶然だよな。偶然と言ってくれ。これ以上先を越さないでよおおおお」
詰問からの懇願という謎のコンボを始めた平塚先生の話をブン投げて視線をスライドさせると、雪ノ下も眠そうに目をしょぼしょぼさせている。そのしょぼしょぼの目に出来る限りの怒気を込め、不機嫌な顔をアラサー独身教師に向けていた。
「──平塚先生。いくら私でも怒る時はあるのですが」
「それ、お前が言っちゃダメな台詞だろ」
それは普段怒らない人の台詞だし。
脳内で言葉を足していると、しょぼしょぼの怒りの目がすいとこちらに向けられた。
「あら、私が怒りやすい性格と言いたげな腐り顔ね」
「ほう、多少なり自覚はあるんだな」
「──っ。世の中に正しくないことが多いだけよ。昨夜の陸──あっ」
「おい」
ちょっと待て。それは言わない約束でしょ。そんな約束してないけどね。
「──ごめんなさい。何でもないわ」
それきり雪ノ下は黙って目の前の朝食の処理に徹した。
「……昨夜のむ?」
くりんと可愛いらしく小首を傾げる戸塚に背徳感を覚えつつ、朝定食の玉子焼きを頬張る。
んー、味付けが薄い。戸塚の方が甘そうだ。
突然、かちゃんと音が鳴った。平塚先生が箸を置いた音だ。ついでにペキパキと指を鳴らす音も聞こえる。
「……まさか貴様ら、昨日の夜に仲睦まじく逢引きなんぞしちゃったりしちゃってたのか!?」
あゝ、それを云ふとまた部長殿のお怒りが。
「──まさか。そんなことがある筈ないでしょう、平塚先生?」
言葉と同時に、ばきんっと箸の折れる音が小さく響いた。
おおっ、雪ノ下から凄まじい「いてつくはどう」が──。
怒っている。怒っていらっしゃる。
こわいこわい寒い。背筋が凍るぞやめてください。
この「夏場のエアコン要らず」さんめ。
「そ、そうか。ならばいいんだ、うん。私もこれ以上生徒に先を越されては堪らんからな」
「もうすぐ周回遅れですもんね、平塚先生は」
周回遅れとは、干支が一周以上離れた年下の教え子に追い抜かれることを意味する比喩表現である。たった今そう決めた。
上手いこと言ったと自画自賛に浸っている俺の右側から立ち昇るは禍々しい怒気。
「比企谷、デザートは拳でいいのか」
「い、いや、もうお腹一杯です」
「遠慮するな比企谷、お代わりし放題だぞ?」
んー、何故か今の平塚先生の鉄拳は避けてはいけない気がする。何故だろう。受けの美学かな。
つかそんなビュッフェスタイルいらんし。
と。
ようやく普段の罵詈雑言が飛び交う雰囲気に戻って安堵した俺は、軽く溜息を吐きながら雪ノ下を見遣る。雪ノ下は俯いていた。相当に眠いらしい。
「あ、そうだ」
焼鮭の切り身を頬張った平塚先生は、口元に手を当てて話を続けた。
あーあ、食べるか喋るか、どっちかにすれば良いのに。せっかく美人なんだから。
「昼前に助っ人が来る。まあ向こうは向こうの合宿も兼ねているらしいが、体力面では頼もしい奴らだぞ」
うげぇ、また人数が増えるのかよ。まあ人手が余ればサボれる、か。
お読みくださいまして誠にありがとうございます。
つか、俺ガイルの世界を舞台にしてるとはいえ……格闘シーン少ないなぁ。