ぼっちの門 〜圓明流異聞〜   作:エコー

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今回も短かめです。


十六、月明かりに照らされて

 

 

 コテージから二百メートルも離れていない森の中。

 月明かりの下、俺と雪ノ下は並んで森の中を散策していた。

 時折感じるTシャツの湿り気は、夏の湿気のせいか、はたまた緊張による脇汗のせいか。

 どう考えても脇汗だな。

 

 足元の木の根っこを避けた瞬間、不意に雪ノ下の肩が俺の二の腕に当たる。

 あ、こいつも汗ばんでやがる。これは体力の無さが原因だな。

 ふと目をやると、雪ノ下は耳まで赤くしていた。

 悪かった、怒るなよ。もう不用意に触れない様にするから怒りを収めてくださいまし。

 がしがしと頭を掻いて告げようとした詫びの言葉を飲み込ませたのは、雪ノ下の柔らかい声音だった。

 

「私、考えたのよ」

「何をだよ」

「──あなたの、事」

 

 は、はぁ!?

 そりゃ一体何の罠だ。いや、罰ゲーム……は無いな。こいつの唯一の友人である由比ヶ浜はそんな事を企む筈はない。

 いや、別にそこまで頭が回らないとかじゃないよ。付き合いが短いながらもあいつの性格を鑑みた結果だよ。

 なら、こいつの言葉の真意は──

 

「あなたの……圓明流の、こと」

 

 ──ふぅ、焦ったぜ。うっかり話の流れで告白されて俺が断っちゃうパターンかと思ったぜ。

 て、俺が断るのかよ。何様だよ俺。

 俺史上初、俺が振られるパターン以外の妄想を脳内で勤しんでいると、斜め後ろを歩く雪ノ下が言葉を続けた。

 

「あなたが一人だった理由、ようやく私にも理解出来たわ」

 

 土を踏み締める音に混ざる雪ノ下の声音は、いつもよりも弱く感じる。

 

「私と同じ……いえ、私よりももっと重い、突出した存在だった、のね」

 

 突出──。

 その雪ノ下の理解は正しい。

 記憶を無くした後の俺は、運動神経がずば抜けていた。

 いや。ずば抜けていたと云うよりも「異質」だったのだ。

 小学校三年生で五〇メートルを六秒台で走る奴なんて、気持ち悪いに決まってる。走り幅跳びだって、本気じゃないのに四メートル近く跳んでしまった。

 記憶を無くす前の事は解らないが、後に過去の自分の記録を見る限りかなり加減してやっていたのだと思う。

 記憶を失くしてしばらくは、その制御が出来なかったのだ。

 最初は持て囃されたんだ。でもヒーローになれたのは一瞬。

 段々と俺の体力が常識はずれだと気づかれて、しまいにゃ化け物扱いされて孤立しちまった。

 常識はずれの身体能力と、俺の捻くれた考えが招いた結果だ。

 

「あなた、どうするの」

「……わからん。俺にとって圓明流は、降って湧いた様なものだ。何より実感が無えよ」

 

 ふっ、と息を漏らす音が耳に響く。振り向くと、雪ノ下は笑っていた。

 

「おかしな人ね。黒帯の空手家を相手にあれだけの対応をやってのけたのに」

「あれは──なんだ、ただ身体が勝手に動いただけだ。俺の意思じゃねえよ」

 

 あの日の神武館での組手の動きには自分でも驚いた。

 だが、記憶を失う前の俺が圓明流の修練を積んでいたとしたら、何とか説明がつく。脳が忘れていても身体が覚えていた、とでも云うべきか。

 

「記憶……取り戻したい?」

 

 夜風に黒髪を靡かせながら雪ノ下は問う。

 勿論記憶は取り戻したい。が、それで圓明流の記憶が戻り、圓明流の血までも蘇ってしまうことが恐ろしくもある。

 俺は、争いを好まないこの人格が気に入っている。この人格を得たお陰で俺は俺のままでいられるんだ。

 

 だがもしも圓明流の記憶が戻ったら、俺が陸奥九十九の様な「修羅」にならないという確証は無いのだ。

 圓明流とは、そういう武術だと思うから。

 

「それもわからん」

 

 実際、そんな力を手にしても今の俺には持て余す。使いどころも無い。

 今の「俺」を生きるのには不必要なものだ。

 

「ま、実際必要が無いから思い出さないんだろうし」

「言い得て妙、ね。なら、必要な時が来たら……全てを思い出すのかしら」

 

 そんな時が来たら、もしかしたら雪ノ下の言う通りに記憶が戻ってしまうのだろうか。

 いや、無いな。

 川崎との組手はともかく、陣雷さんや龍造寺との組手でも思い出さなかったのだ。

 もう思い出すことは無いのだろう。

 つーか雪ノ下め。

 

「おっかねぇこというなよ。それ、危険なフラグだからな」

 

 苦笑しつつ答えると、何処からか声が響く。

 

「──思い出させてやろうか」

 

 その声は、前方から聞こえた。

 

「俺は陸奥……九十九だ」

 

 ほうら、早速フラグが回収されちまったじゃねぇかよ。

 責任とれよ、雪ノ下。

 

 

 




お読みくださいましてありがとうございます。
あの男、最後にちょろっと出ただけでした。

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