ぼっちの門 〜圓明流異聞〜   作:エコー

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十、圓明流

 

 

 神武館千葉支部ビルの一階フロアには、門下生が休憩に使える喫茶コーナー的な部屋が設けられていて、その二十畳余りの室内には八人掛けくらいのテーブルが六つばかり整然と置かれている。

 

 壁際に置かれた赤い筐体の自動販売機にはMAXコーヒーの雄々しい御姿もある。この喫茶コーナーに入るなり迷わずそれを一本購入、疲れた身体と未だ混乱する脳内に過度の糖分を送り込む。

 ふう、落ち着いてきた。

 

「お前よぉ、よくそんな甘いモノを飲めるなぁ」

 

 向かい合った席から苦い顔を向けてくるのは眉無しきんにくんこと陣雷支部長だ。その隣には、傷めた腕をアイシングする龍造寺つむぎがピースフルな笑顔で俺を見ている。

 斯く言う俺も未だ脚のアイシングを続行中なのだが……二人とも組手の時とはえらい違いだ。

 

「この子ったら、昔っからそれが好きなのよね〜」

 

 そして何故か俺の隣には──

 

「で、八幡。八年ぶりの組手はどうだった?」

 

 ──家の玄関で俺を見送った筈のお袋の姿があった。

 ジト目を向ける実の息子を無視して楽しそうに語らうお袋よ、「お遣い」の内容がこんなにハードだとは聞いてねぇぞ。

 まだ右腕とか背中とか痛いし。何が道場破りキボンヌだよ。聞きかじりの中途半端なネットスラングは住民の怒りを買うと知れ。あと古い。

 

「八年ぶりって……俺にはそんな記憶はねぇよ。つーかめちゃくちゃ痛えし」

 

 深い溜息を吐く俺の視界の右隅に、見知った同級生女子三人の姿が映る。

 由比ヶ浜と雪ノ下、川崎だ。彼女らは別のテーブルに集まって顔を寄せて話し込んでいた。何故か小町は先に帰したとのことだった。

 

「まあ、仕方ないか。ブランク八年だもんねぇ」

 

 けらけらと笑うお袋に少しイラっとするが、そんなことはどうでもいい。

 それよりもだ。

 

「いやぁ、でもはちま……比企谷くんはやっぱり凄いですよ」

 

 こいつ、龍造寺つむぎ。

 何故こいつが陸奥圓明流の技を使えるのか。

 もしかして屋上で川崎が言ってたことが関係しているのか。

 あの時川崎は、こいつの両親の話を出した後に陸奥九十九の名を出した。

 つまり、こいつの父親は──陸奥、九十九。

 ならば陸奥の技を使えるのはどうにか納得は出来る。

 だが俺はどうだ。

 陸奥九十九の仕合を動画サイトで見まくっていただけの俺が、何故こいつの技を、陸奥の技を防げたんだ。

 

「まあねぇ、これでも天才とか神童とか言われてた子だからね」

 

 天才やら神童なんて、今の俺からすれば真逆の存在である。

 天才という称号は、弛まず努力を続けられる人物にこそ相応しい。努力を怠りまくっていた俺には関係の無い言葉である。

 だが、それを否定するのも面倒なくらい、今の俺にはハテナマークが大量に浮かんでいるのだ。

 

「……龍造寺。聞きたいことがある」

「ん、なにかな」

「お前の最初の攻撃は別にして、他の攻撃は圓明流の技、か?」

「うん、そうだよ」

 

 龍造寺が繰り出した二撃目。

 恐らくあれは"巌颪(いわおろし)"という技だ。動画サイトで何度も繰り返し見たから覚えている。

 ならば、その後の技は何だ。

 

巌颪(いわおろし)に、蛇破山(じゃはざん)に……最後のは(いかづち)だよ」

 

 しれっと並べ立てる龍造寺に少しだけ顔を顰める。それとは対照的に笑顔を浮かべるのは実母である。

 

「あらあら、いっぱいもらっちゃったわねぇ八幡。先に小町を帰しといて正解だったわ」

「笑い事じゃねぇよ……実際死ぬかと思ったわ」

 

 龍造寺が繰り出した技は、全てが人体の急所を狙うものだった。最後の"雷"なんてその最たるもので、投げて腕を折って延髄を蹴って頭から落とすなんてされたら、うっかりしなくても死んでしまう。

 つまりだ、あれらの技が決まれば到底無事では済まない。組手ということで龍造寺は手加減してくれた様だが、普通なら俺がこの場でマッカンに舌鼓を打つなんて不可能な筈なのである。

 いや、普通じゃないな。あんな技。

 

 だが、手加減されたとはいえそんな殺人技に対応してしまった俺も普通では無かった。

 本来、知らないということはそれだけで恐怖だ。

 知らない相手、知らない技。それは未知の恐怖の筈だ。

 その恐怖の全てに、俺は身を強張らせることなく動くことが出来た。龍造寺においては途中から次の動作が読めた。対処出来てしまった。

 だが、それは偶々だったのだろう。動画サイトで腐る程陸奥九十九の動きを見て、脳内に刷り込んでいたからだ。

 決して俺の実力ではない。

 運が良かったのだ。じゃなけりゃ今頃俺は病院のベッドかモルグに横たわってる。

 そんな心中を余所に、ことも無さげにお袋は口を開く。

 

「そりゃそうよ。だって圓明流はそういう技だもの」

 

 ──は?

 

「陸奥圓明流はね、人殺しの技なの」

 

 人殺し。

 俺たちとは別世界の言葉に、離れたテーブルに集う三人の女子の会話が止まる。

 お袋は冷たく微笑み、龍造寺は俯いている。

 

「本当、なのか」

「……うん」

 

 問い掛けに返す龍造寺の短い言葉を継いだのは、お袋だ。

 

「あのね、八幡──」

 

 現代の武道に代表される、剣道、柔道、空手、合気道は、元を辿れば闘う為の技術だとお袋は云う。

 それは事実なのだろうと理解は出来る。出来るが、納得出来るか否かは別の話だ。

 さらにお袋は続けた。

 圓明流は、無手──つまり素手で武器を持った相手と闘う為の技。

 つまり、刀や槍と同等以上の殺傷能力を要する技だと云う。

 しかも圓明流は鉄砲にも勝とうとしたとも。

 

 なんだよそれ。つまりは純粋に人を殺す為だけの技ってことかよ。

 そんな技を素人同然の俺なんかが喰らわされたら……ちょっと待て、何故それをお袋が知っているんだ。

 疑念をたっぷりと含ませた目でお袋を睨むと、溜息を吐かれた。

 

「やっぱり……記憶は戻らない、のね」

「は? なんだよそれ。俺の記憶なんて今はどうでもいいだろ」

 

 お袋は湯呑みに口をつけて喉を鳴らして溜息を吐く。つーかその湯呑み、どっから出で来たんだよ。

 

「よく聞きなさいよ、八幡」

 

 重々しい空気がお袋から漂う。向かいに座る龍造寺と眉無しも黙って俺を見る。

 途端に離れたテーブルの三人の話し声もぴたりと止んだ。

 

「一度しか言わないからね」

「あ、ああ。なんだよ」

「聞き逃しちゃダメよ」

「わかった」

「後で聞いてないとか言っても、お母さん知らないからね」

「──いい加減しつけぇ」

 

 再三の確認に弱く突っ込むと、場の空気が少し弛緩した。

 つーかなんだよ。離れたテーブルの三人。微笑ましいものを見る様な良い笑顔を向けるんじゃねぇ。三人まとめて惚れそうになるじゃねぇかよ。

 仄暗い愚考に湧き上がるハーレム構想を打ち消しつつ、隣で微妙な笑顔を浮かべるお袋を見る。

 

「八幡……あんたいつの間に三人も手篭めに──」

「してねぇ。あり得ねえから。プロのぼっちを舐めんな」

 

 眉無しと龍造寺が失笑する。向こうの女子三人からは何やら冷たい視線が。

 これはアレですね、後で罵倒というご褒美を貰っちゃうパターンですね。

 そんなことはどうでもいいんだよ。言いたいことがあるなら早く言ってくれ。

 さあ、どうぞ。

 

「──実はあんたも圓明流なのでしたぁ」

 

 …………。

 …………は?

 

「……はあああああっ!?」

 

 俺の絶叫が喫茶コーナーに木霊した。

 


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