○前回のあらすじ。
幻想郷式稲妻コロシアム。
○――何を願い、何を得るのか。
真相編の始まり始まり。
さて、それでは――
傍に九尾の狐の姿になった
しかし、水鏡に映るのは暗い灰色の玄武岩で囲まれた、玄武の沢の光景ではない。鏡の正面に立っているはずの四月一日の姿は映っておらず、代わりにある一人の女性の姿を映し出していた。
四月一日のアルバイト先――『何でも願いが叶う店』の主人で『次元の魔女』『東洋の魔女』の異名を持つ
侑子は四月一日が店にいた時に来ていた衣装ではなく、紺色の生地に白い
目に笑みを持った侑子が口を小さく開く。
「……四月一日、ここに戻って来たということは、例のブツは手に入ったのかしら?」
「あ、いえ、まだっすけど……」
いざ胡瓜を収穫しようとした矢先ににとりが飛んで行ったため、結局収穫できずにここまで来てしまったのだ。お使いを果たせてないことに罰の悪い思いを抱く。
ていうか、例のブツって……なんか誤解されそうな言い方だ。
小言を言われるのかと身構えた四月一日だが、侑子は鏡越しに右、左へと視線を向けていた。
「そう、見たところ両手に花のようだけど……流し雛と河童かしら?」
自分たちの正体を一目で見抜いた侑子に、雛とにとりが目を見張る。それだけで侑子の力の一端を思い知ったようだった。
「この人間、
侑子の何気ない仕草ににとりが目を細める。どうやら侑子を警戒しているようだ。
当の侑子は二人の反応を気にすることなく口の端を吊り上げ、金魚模様の扇子で口元を隠していた。
単なる模様であるはずの赤い金魚が扇子の中を優雅に泳ぐ。
「四月一日ったら相変わらず人間以外の女の子にはモテるわねー、このこのぉー」
「べっ別にそんなんじゃないっすからー!」
肘で突くような仕草をする侑子に、四月一日は一生懸命に否定する。
人間以外にモテるという言葉も色んな意味で複雑であった。
ふと、探るような目つきになる雛とにとりの視線に気づいたのか、侑子は四月一日をからかうのをやめて薄い笑みを浮かべた。
「あたし? あたしの名前は壱原侑子。そこにいる四月一日が働く店の主人よ」
……ただし偽名っすけどね。
心の中で四月一日は静かに突っ込んだ。
「河童の胡瓜をもらって来るように、四月一日をそっちに送ったのもあたしなんだけど……それどころじゃないようね」
扇子を閉じて三人と一匹を眺める侑子。
玄武の沢で何かが起きたことを察したらしい侑子の声はどこか余裕を持っているように四月一日には感じられた。この状況から侑子は何を視たのだろうか。
「アナタたち、お名前は?」
問われ、ハッと我に返った二人は一呼吸挟んでから侑子に名乗る。
「私は河城にとり。あなたが言った通り、ただの河童だよ」
「……私の名前は鍵山雛。厄神の流し雛よ」
「にとりちゃんに雛ちゃんね、よろしくぅ」
柔和な顔で手を振る侑子だが、二人は手を振り返したりはしなかった。
侑子の挙動を、今度は呑まれないようにじっと見ていた。
侑子は手を降ろし、気にせずに続ける。
「アナタたちがここにいて、こうしてあたしと話していることにも意味がある。なぜなら、すべては必然だから」
……すべては必然。
侑子がそう言うのならそうなのだろう。
……俺をここに送り込んだのもきっとこのためなんだろう。
「四月一日から聞いたかしら? あたしは店を営んでいる。願いが叶う店。それ相応の対価を払えば、あたしにできることなら何でも願いを叶えてあげる」
「願いが叶う店……?」
「何でも願いが叶う……?」
それは悪魔のささやきにも聞こえる言葉だった。
四月一日は、バイトとして侑子の店で働くようになってから多くの依頼者を見てきた。
願いとその対価。
そして、その結末。
幸せになった者もいれば不幸な結末を迎えた者もいる。
後者が多くて、前者は
どちらの結末をたどるかはその者次第なのだ。
「ええ、そうよ。アナタに……いえ、アナタたちに願いはあるかしら?」
侑子の問いに雛は頷き、にとりもまた頷いた。
肯定である。
「願いはなに?」
雛とにとりはお互いの顔を確認しあうと、目を閉じ、ゆっくりと開いた。
「にとりを不幸にしたくない」
「雛に幸せになってほしい」
その目に揺らぎはない。
意を決したように、二人は自身の願いを口にしていたのだった。
「対価がいるわ」
「私に払えるのなら」
「……雛と同じ」
怯むことなく二人は前に進む。
それは二人一緒という安心感からだろうか。
雛は胸の前で拳を握り、対価の提示を待つ。
侑子が頷きを一つ落として言った。
「いいわ。アナタたちの願い、叶えましょう」
了承の言葉に二人が緊張しているのがわかった。
表情が硬く、動きもどことなくぎこちないのだ。
何を求められるのか興味と恐れが半々と言ったところだろう。
四月一日も自然とつばをごくりと飲み込んでいた。
侑子が顎に指を当てる。
「二人の願いを一遍に解決する方法として能力の封じ込みがあるのだけど、それを行うわけにはいかないのよねえ」
「え……」
なぜだろう、と四月一日は疑問に思う。
厄をため込む程度の能力。
厄を集めるという雛の能力が問題の根本なのだから、それを封じ込めば雛に厄は溜まらず、にとりが厄に当てられることもなくなると思うのだが。
本人たちを見やれば、雛とにとりは同意を示すように下を向いていた。
どうやら四月一日だけが理解できていないようであった。
「わからないって顔をしてるわね、四月一日」
「あ、いや、まあ、そうっすけど……」
蚊帳の外であることをわずかにだが寂しく思う。そんな自分の心内を見抜かれたようで、四月一日はしどろもどろに応じてしまったのだ。
「幻想郷の住人にとって、能力とは自分と他者を区別する境界線みたいなものだから」
「境界線?」
「そう、アナタと私は違うことを示す、目には見えない線。自分という自分を構成する枠。他者という他者を構成する壁。……雛ちゃん、アナタの能力は?」
侑子から目を背けて雛がぼそりと答える。
侑子はニコッと笑って応じた。
「……厄をため込む程度の能力」
「そう、それが雛ちゃんを雛ちゃんとして顕現させている。言うなれば、厄をため込む程度の能力が雛ちゃんを雛ちゃんたらしめているのよ。……程度っていうのは上でも下でもないという確実性を示す言葉でもあるのだから」
厄をため込む程度の能力。
厄をため込む、それ以上でもそれ以下でもない能力。
この能力が鍵山雛という個性を形成している――と侑子は言った。
「つまり、雛ちゃんの能力を封じるということは……」
「そう、鍵山雛という個を消すことでもあるわね。それこそ空っぽの人形になってしまう」
「それは駄目だっ!」
個を消す、という言葉ににとりが顔を青ざめる。
一方、雛は自分のことだというのに顔色を変えず、冷静に佇んでいた。
「わかってるわ、にとりちゃん。能力を封じ込めは無しの方向で行くつもりよ」
侑子の言葉と笑みに、にとりは安心したのかほっと一息つく。だが、それも束の間のことであった。
「ねえ、雛ちゃん。アナタはため込んだ厄をどう処理しているの?」
「厄の一部は私の力になるの。活力と言い換えてもいいわ」
「では、厄がまったく無くなると……」
「ええ、死ぬわ」
さらりと告げた雛の顔に恐れはない。
ただ事実だけを告げたように無感情であった。
雛は目を見開く四月一日を一瞥し、説明を続ける。
「ゆえに、私は常に厄を身体に纏わせる必要があるわ。特に死にたいわけでもないしね。それで、残りの厄――というより、溜め込んだ厄の大部分は人間に戻らないように処理しているの」
「その方法は?」
「神々に渡している。私じゃ処理できないから」
雛のその言葉に、侑子が目をわずかに大きくした。
彼女と初対面の者なら見逃してしまうほどの小さな反応だったため、四月一日しか気づかなかったが。
「そう、渡しているのね?」
「えっええ、そうだけど……何かあるの?」
含んだ言い方に、比較的落ち着いていた雛が初めて動揺を見せた。
自分が知らない自分に関することを目の前の人間は知っているのか。
そんな恐れが透けているかのようであった。
「あるわ。……そうね、これで行きましょう。雛ちゃんの場合は時間がたっぷりあるんだし」
侑子は扇子を開き、金魚が泳いでいる面を上にして雛に向けた。
「何か思い付いたの?」
「ええ、ただし二、三十年ほど時間がかかるけどいいかしら?」
「ええっ!?」
驚きの声を上げたのは四月一日だ。
てっきり今日中にすべてが解決すると思っていただけに二、三十年という時間は予想外であった。
「構わないわ。あなたたちとは時間の感覚が違うのだもの」
「そうね」
「はいっ!?」
そして、それを了承する雛に四月一日は連続で驚きの声を上げる。
「二、三十年ってだいぶ先じゃあ……あっ」
「思い出したようね。私とあなたたちでは生きる長さがかなり違うのよ。私にとっては二、三十年などあっという間だわ」
「そうそう」とにとりが腕を組んで雛に同意する。
ここら辺の感覚は人外同士ではないとわからないものなのかもしれない。
……そういうもんなのか。
そういうものなのだろう。
「雛ちゃんが周囲に厄の影響を与えないようにするには、厄を纏わなければいい。しかし、厄は生きていく上で必要。なら厄以外の力で生きる方法を考えなければならない」
侑子が要点をまとめて整理していく。
『こっち』方面に慣れてきたばかりの四月一日にも充分わかりやすい説明であった。
「厄に代わる新たなエネルギー。それは……」
侑子は言葉を区切り、じっと雛の目を見つめる。
雛はその視線を逸らすことなく見つめ返した。
侑子は言う。
「――信仰よ」
信仰。
厄に代わる新たな活力。
……そういえば、雛ちゃんが信仰について言ってたような。
四月一日が雛の言葉を思い出そうとしていると、にとりが世紀の大発見でもしたかのように叫んだ。
「ああっ、そうだよ。雛は厄神様といえ神なんだから、厄ではなく信仰で生きることもできるはずだ!」
盲点だったと言わんばかりに手を打ち鳴らし、彼女の研究者としての側面が気づかなかったことを悔しがっていた。またそれと同時に、新たな方法に感動しているらしく喝采を上げていた。
「神様は信仰を集め、神徳として還元する。そうやって持ちつ持たれつの関係で循環しているの」
侑子の説明に、四月一日は河童の里に向かう途中で雛から聞いた話を思い出した。
妖怪の山における神と妖怪のサイクルを。
『ええ、妖怪の信仰を集めることによって神は神徳を与える。信仰は妖怪の生活を豊かにするのよ』
侑子は厄を捨て、信仰を力にして生きろと言っているのだ。
エネルギーとしての厄は不必要になり、ため込んだ厄は従来通り神々に渡せばいい。
なるほど、これなら……。
「これなら厄を纏う必要が無くなる……」
四月一日は数学の難問を解いたかのような感動を覚えていた。
提示された方策に、にとりは満面の笑みを浮かべ、雛本人は驚いたまま呆然としているようだった。
「ところで、雛ちゃん。厄神様というのは、主に厄をもたらす神と厄を祓う神に分かれるのだけど、知ってる?」
「知ってるわ。それくらい」
舐められたと思ったのか、我に帰った雛が口を尖らせながら答える。
「そう……なら、あなたはどちらなのかしら?」
「え?」
「厄をもたらす神なのか、厄を祓う神なのか」
「私は後者……厄を祓う神よ」
「本当に?」
侑子の鋭い視線に雛が怯む。
もう一度はっきりと断言すればいいのに、なぜか雛は断じようとはしなかった。
そこに重なるのは侑子の声だ。
「本当にあなたは厄を祓う神なの?」
答えに迷う雛を見て、四月一日も考える。
雛の厄神様としての性質。
厄を溜め込む。
溜め込み、神々に渡して祓う。しかし、よく考えれば雛自身が厄を纏っており、雛が行くところに厄があるということになる。つまり、厄をもたらすとも言えた。
厄を祓い、厄をもたらす。
厄をもたらし、厄を祓う。
侑子の分類に従えば、どちらの面も抱えた雛は厄神様としてどこか異質であった。
言いよどむ雛から四月一日に侑子が視線の向きを変える。
「四月一日、流し雛について雛ちゃんから聞いた?」
「あ、はい。人形に厄を移して川に流すのが本来の流し雛って聞きました」
「では、川に流された流し雛が海まで流れずに岸に乗り上げたり、途中で引っかかったりしたらどうなると思う?」
侑子の目はいつになく真剣だった。
何か重要なことが水面下で起きているかのような、そんな緊迫感に包まれそうになる。
「厄が、流れなくなる……」
搾り出すように答えた四月一日に向かい、侑子が「ええ、その通り」と首を縦に振った。
「そして、翌日まで流れない場合、流し雛は妖怪となると言われているわ」
「……え?」
「――ねえ、流し雛の雛ちゃん?」
侑子の言葉に、四月一日は思わず雛を見た。
見てしまった。見ざるを得なかったのだ。どうしようもない疑惑と真実を知りたい好奇心に駆られ、気づいたら振り向いていたのだ。
何の感情も浮かばない。
何の色も浮かばない。
何の表情も浮かばない。
生気の抜けたような流し雛を。
まるで人形のような鍵山雛を。
「何言ってるの? 私が妖怪だとでも言いたいの?」
「そうだよ、雛は妖怪じゃなく厄神だよ」
雛が呆れたように否定し、にとりがそれに追従する。
四月一日もまだどこか懐疑的であった。
「そうですよ侑子さん。雛ちゃんが妖怪だなんて……」
「おっ、なに四月一日。妖怪を差別するのかな?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて……」
にとりにからかうような口調で言われ、四月一日は慌てて否定する。
脳裏に浮かぶのは自身を語る雛の生き生きとした姿だった。
『ええ、私は元々流し雛だったものが長い年月を経て厄神になったモノ。これでも四月一日の十倍以上は生きてるわ』
厄神であることに誇りを持っていたために、雛は大切な友人を不幸にすることとのジレンマの間で苦しんでいたのだ。
誰かを不幸にしたくない。
その想いが雛ににとりとの決別の道を歩ませ、涙を流させた。たった一人の友達のために苦しみ、悩みを打ち明けることすらできなかった。
なのに、雛は厄神ではなく妖怪だという。だとしたら、雛が抱いていた厄神としての誇りとは何だったのだ? 雛は何のために苦しんでいたというのだろうか。
「雛ちゃんは厄神として異質なのよ。それならまだ妖怪だったと言ったほうが説明がつくわ。今まで一度も言われなかった? そう、例えば――」
侑子が三人の考えを一蹴するように言葉を重ねていく。
それが確定した未来だと告げるかのように。
「――
博麗の巫女。
そう言えば、雛ちゃんがそのような単語を口にしていた気がする。
幻想郷の外から来た人――外来人かどうか確かめていた時だ。
と半ば暢気に考えていた四月一日だが、「雛……」というにとりの力の抜けた呼びかけを聞き、無意識に顔を向けた。そして、息を飲む。
「……私は……いむに……」
侑子に言われ、博麗の巫女の言葉でも思い出したのだろうか。雛の様子が変わっていた。
限界まで見開いた目は瞳孔が開き、紅い唇は冷気に当てられたかのように紫色になっている。
血の気も生気も抜け落ちたかのように白い肌は青ざめており、視線はどこにも定まっておらず、ただ宙の一点を見つめていた。
声と手はかじかむかのように震え、凍れ落ちる言葉は四月一日にさえ届くかどうかの音量である。
「怪は……の敵……あんたは……妖怪……って……」
あんたは妖怪。
聞き取れた声に四月一日は言葉を失った。
博麗の巫女と呼ばれたその人がこの幻想郷でどのような立場にあるのかはわからない。しかし、部外者である四月一日にも博麗の巫女がひどく重要な立場にあるだろうことは伝わってきた。その言葉は重く、今にも雛を潰しかねないほどであった。
「その博麗の巫女は、そのような嘘やデマカセを言ったりする子なの?」
優しく投げかけれらた侑子の言葉に、雛は深呼吸し目線を上げた。
幾分、落ち着いたらしく激しい動揺はすでに消え失せているようだった。
「いえ、違う。そんな人間ではないわ……」
「妖怪退治の専門家だっけ? 見間違うこともあると思うわ」
一転して、博麗の巫女の言葉を間違いだと言う侑子。
四月一日は、侑子が雛に何かを言わせようとしていることに気づいた。だが、何を言わせようとしているのかまではわからない。
「そんなはずはない、と思えるぐらいには彼女は確かな実力の持ち主よ」
「なら、アナタは?」
柔らかな侑子の問いに、雛は力無く笑う。
そこにあるのはすべてを投げ出した者の笑み。疲れ切った者の微笑であった。
「私は妖怪……神なんかじゃなかった」
厄神って何だろう?
解決編に続く。