xxxHOLiC・幻   作:神籠石

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第一話 厄神様の通り道 ~ Dark Road

 

 

 

「うわっとっと」

 

 鏡から投げ出されるように外に出ると四月一日君尋は転びそうになる体勢を整え、二本の足でしっかりと地面を踏み締める。

 頭上にある背の高い空は見事な入道雲を描いていた。典型的な夏の空だ。強い日差しに目を細め、四月一日は辺りを見回してみる。

 

「ここは……」

 

 周りは木々に囲まれており、この場所だけ開けたように沢が広がっている。足元には小さな石が地面を構成し、前方では切り立った岩壁を勢いよく流れる滝がしぶきを上げながら水面にぶつかっていた。

 滝つぼの中にはごろごろと大きな石が転がっているのが見える。全体的に暗い灰色の石でおそらく玄武岩だと思われた。滝つぼから流れるのは混じり気の無い澄んだ水だ。

 四月一日は靴を履いて水際に近づくとかがんで手を水に浸す。ひんやりとした感触が実に心地よい。両手で水をすくって口に含み、のどを潤した。

 

「美味しい……」

 

 ただの水なのに、味があるわけではないのに美味いと感じる。これが水本来の美味しさなのかもしれない。

 四月一日は手の甲で口元を拭うと立ち上がり、これからどうするべきかを考える。

 見たところ、ここはどこかの山中の沢である。

 河童とは水が流れる場所に現れる妖怪である。

 なら、この沢の近くに河童がいるのかもしれない。

 だが、それでもどうしたものかと腕を組む。

 河童などどうやって探せばいいのだろうか。

 四月一日が途方にくれていると服の内部で何かが動き出した。

 それは彼の脇腹から背中を通り、シャツの襟と首の間から彼の前に飛び出して姿を見せる。

 狐の顔に手足がない細長い胴体は全身が毛皮に覆われふさふさとしている。

 

無月(ムゲツ)!」

 

 四月一日は嬉しそうにこの生き物の名前を呼ぶ。

 管狐(クダギツネ)の無月。

 雨童女の依頼の対価として侑子が受け取った妖狐の一種である。

 無月という名前は、目が小さくてどこにあるのかわからないことから四月一日が名付けたものだ。

 

「お前も来てくれたのか!」

 

 四月一日の頬に身体を擦り付け、親愛の情を示す管狐の頭を彼は優しく撫でる。

 無月は彼の何かに惹かれるらしく、侑子の所有物でありながら彼のことが大好きであった。

 

「あはは、くすぐったいって!」

 

 ――ぞくりと。

 不意に、無月と戯れる四月一日の肌が粟立った。

 この嫌な感じ。

 これを四月一日は嫌というほど知っている。

 自分を狙うアヤカシの気配。

 

「あ……」

 

 危機感から後ろを振り向いた彼の視線の先、木々の間に彼女はいた。

 口を小さく開けて、驚いた表情を見せている。

 少女といってもいい年頃の彼女は、青が混じった緑色の髪を後ろからサイドにかけ二つに分けて胸元で一本にまとめており、頭の天辺にはフリルの付いた赤いリボン状のヘッドドレスを飾っている。身にまとうのは裾に白のフリルをあしらえたゴスロリっぽい真っ赤な半袖のワンピースドレス。足元は白の靴下に黒のパンプスを履いていた。

 この場所に似つかわしい格好の少女の登場に彼の頭は混乱し、血の気が引いて意識が遠ざかっていくのを感じる。身体が膝と手をつき、まぶたは閉じていく。

 気を失う最後の瞬間、彼が見たのはこちらに駆け寄ろうとするゴスロリ風の少女だった。

 なっなんでゴスロリ……?

 彼は疑問を抱いたまま意識を手放した。 

 

 

 

 ●

 

 

 

「あ、気が付いた」

 

 四月一日が目を開けた時、最初に聞こえたのは少女の呟きで、最初に視界に映ったのは緑色の髪の少女だった。眉尻を下げた心配そうな表情で両手を組み、祈るようにこちらを見下ろしている。

 

「君は……」

 

 少女の顔をよく確認しようと彼は上半身を起こす。痛みも何もない。もやがかかっていたような意識はすぐに明瞭となっていった。

 無月が心配で不安だったことを示すように四月一日の身体に巻きつくが、体毛が肌に触れるたびにこそばゆく彼は無月を落ち着かせようと言葉を投げかけた。

 

「無月、落ち着いて。俺は大丈夫だから」

 

 ぎゅうっと身体をくっつける無月をなだめ、四月一日は顔を上げて少女を見る。だが、少女は四月一日の意識が戻ったのを確認したことで、役目は果たしたと言わんばかりに彼に背を向け離れていく。

 

「あっ、ちょっと待って!」

 

 彼の呼びかけに少女は足を止め、身体をこちらに向けた。

 

「うっ」

 

 彼女を見る四月一日の視線があるものを捉えていた。

 暗雲のような黒い靄が少女の身体に巻きつくように漂っているのだ。それは今までの経験から瞬間的によくないものとわかるぐらいに不浄で、彼の気分を心身ともに損なうものであった。

 思わず口元を押さえた四月一日に、少女は顔から感情を消して無表情に言う。

 

貴方(アナタ)、私のヤクが見えるのね」

 

 ヤク。

 (ヤク)のことだろうか。

 少女の顔を見ていた目線を下に落とすとスカートの裾の方に『巳』の字の形に似た刺繍があることに気づいた。何かの印だろうか。

 

「ヤク?」

「……今の人間はヤクさえも忘れてしまったのかしら」

 

 聞き返した四月一日の反応に少女は苛立ったように、それでいてどこか悲しそうに呟く。

 

「ヤクとは災いをもたらす不浄のことよ」

 

 つまり、厄か。

 厄年や厄払いなど目には見えないけど信じられているもの。

 人に溜まる性質を持つ不幸の源。

 

「どうやら思い出したようね」

 

 目を見開いた四月一日を見て少女は淡々と言う。

 悲喜はなくただ見たままの事実を告げるように。

 

「厄がそんなにたくさんあって大丈夫なの……?」

 

 少女の周りには厄が蛇のように蠢いていた。

 どう見ても安全なものではない。これは確実に人を不幸にするもの、あってはならないものだ。

 だというのに、少女は平気な様子でそこにいる。四月一日にとってそれはありえないことだった。

 

「あら、心配してくれるのね。大丈夫よ、私の能力は『厄をため込む程度の能力』だから」

 

 厄をため込む程度の能力。

 少女からそう告げられ、四月一日は「程度って何だろう?」と思ったがそれよりも厄をため込むという言葉に戦慄を覚えた。あのような禍々しいものをため込んでどうして平気でいられるのだろうか。

 

「私の能力は人間が払った厄を集め、人間に戻らないようにするの」

 

 少女は自身の周りに漂う厄を見回しながら言葉を続ける。

 

「集めるだけだから私自身に災いは起きないわ。でも、近くにいるモノは否応なく不幸な目に合ってしまう」

 

 何の因果だろうか。

 その言葉を聴いて彼が真っ先に思い浮かべたのは、自分が想い慕う同級生の女の子だった。

 九軒(クノギ)ひまわり。

 両親以外の自分に触れた者や周囲の者を不幸してしまう性質を持った少女。

 目の前の少女も近くにいる者を不幸にするという。それも自分はその適用外なところなど二人の性質は似通っている。そのことが四月一日に何をもたらすのか、彼自身にもこのときはまだわかるはずがなかった。

 

「……君の名前は?」

「は?」

 

 四月一日は立ち上がり、呆然とする少女と向き合う。

 少女をひまわりと重ねているわけではない。それでももう一歩踏み込んでみようと思わせるには充分だった。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったね」

 

 名前を聞いてきたことに驚く少女に四月一日は笑みを浮かべて名乗る。

 今はもういない両親が付けてくれた大切な名前を。

 

「俺の名前は四月一日君尋。君の名前は?」

「……貴方、私の話を聞いてたの? 私に関わると不幸になるわよ」

「不幸になんかならないよ」

 

 笑って否定する四月一日を少女は睨む。

 自身の心遣いを無碍にされたように思っているのかもしれない。

 以前の彼なら心配してくれる人の思いに気づかず自分の意思を優先していたことだろう。しかし、彼は知った。自分を案じてくれる人の存在を、自分が傷つけば周囲の人がどれだけ悲しむのかを。

 それらをわかった上で四月一日は踏み込む。

 勇気でも無謀でもない。そうしたかったから彼は少女に関わろうとするのだ。

 

「俺が不幸になれば悲しむ人たちがいるから、俺は不幸なんかにはならないよ」

 

 一歩近づく彼に、少女は思わず後退する。その動きに合わせて厄も彼女につられて移動するが、四月一日の接近に黒い靄の一部が蛇に形を変えた。蛇は牙をむいて四月一日に飛び掛るように迫る。

 

「あ……」

 

 少女が認識した時にはもう遅い。獲物に噛み付こうとする蛇は口を開け――壁に弾かれるように地面に転がり落ちた。

 

「えっどうして!?」

 

 驚愕する少女の前で四月一日は眼鏡の上から右目を覆うように手を当てた。この目に込められた想いを胸に、少女に応じる。

 

「この右目は元々俺の目じゃない。ある奴から半分に分けてもらったんだ」

「目を分ける……」

 

 この言葉の意味を理解するのに時間がかかるらしく少女は彼の言葉を復唱した。

 

「そう、俺の目は女郎蜘蛛に食われちゃったからね」

 

 なんでもないことのように言う彼に対し、少女が眉を寄せる。

 

「この目の元の持ち主は清浄な気の持ち主でもあるらしく、よくないものを寄せ付けない力があるんだ」

 

 昔は嫌な奴だと思っていたが、今はそう思うことも少なくなった。

 おそらく、自分が変わったからだろう。きっと良い方向へ。

 

「だから大丈夫だよ俺は。この目があるから絶対に不幸にならない」

「……っ」

 

 歯噛みする少女に四月一日は右目に当てていた手の平を向けた。

 

「君の名前は?」

 

 果たして少女は観念したようにうつむき、

 

鍵山(カギヤマ)(ヒナ)」 

 

 自身の名と正体を彼に告げる。

 

「流し雛の厄神(ヤクジン)よ」

 

 

 

 ●

 

 

 

 流し雛の厄神。

 目の前の少女――鍵山雛は自身のことをそう語ったが民俗学を勉強しているわけでもない四月一日に正確な意味は伝わらなかった。

 流し雛とは? 

 厄神とは? 

 右目の本来の持ち主のような鉄面皮ではないため、感情がすぐ表に出る四月一日の顔には自分でも気づかないうちに疑問が現れていた。それに気付いたのか雛は首を傾げてたずねる。

 

「四月一日、雛人形は知ってる?」

 

 まさか名字で呼び捨てとは思わなかった。

 外見から推測される年齢は自分と同じ、もしくは少し下くらいだろうから特におかしくはないのだが。 

 

「うん、知ってるよ。桃の節句に飾る人形だよね」

「そう。だけど本当は飾って終わりじゃないの」

 

 近くにあった大きな岩に、雛はためらわずにスカートの裾を巻き込みながら腰を下ろした。

 二人の目線の高さが等しくなる。

 

「人形に厄を移して川に流す。それが本来の雛人形の使い方」

「えっ、あんな綺麗なのを?」

「そうよ。当然、貧しい者は毎年買い替えることなんてできないから、雛人形を模した簡素なものに変わっていったけど。人間をかたどったものが人形なのに、人形の人形なんて笑っちゃうわね」

 

 雛なりのジョークだろうか、彼女は口元に手を当て上品な笑い声を上げた。

 

「流し雛というのは厄を背負わせた雛人形を川に流す祓いの儀式のことでもあり、流される雛人形そのものでもあるわ」

「なるほど」

 

 流し雛とは何か、という疑問が解決し、四月一日は次の問いに移る。

 

「厄神というのは?」

「読んで字の如く厄を司る神のこと。厄除けの神もいれば厄をもたらす神もいるわ。私は前者だけど」

「へえ……って、うん?」

 

 神?

 この子が?

 

「えっと、雛ちゃんって神様なの?」

「……雛ちゃん?」

 

 雛が訝しげに目を細める。

 少々気安く呼びすぎたのかもしれない。

 

「あ、いきなりちゃん付けで呼んでごめん」 

「……別に構わないわ。ただ、ちゃん付けで呼ばれるの初めてだったからびっくりしただけ」

 

 雛は恥ずかしそうにそっぽを向くが、四月一日の質問に答えるために再度口を開く。

 

「ええ、私は元々流し雛だったものが長い年月を経て厄神になったモノ。これでも四月一日の十倍以上は生きてるわ」

 

 十倍以上……薄々人間ではないと気づいていたが、まさか神様だったとは……。

 驚きが先行して言葉が出ない四月一日だった。

 

「それで、貴方はこんなところで何をしてたの?」

 

 問われ、四月一日は思い出した。

 そもそも自分は何のためにここに来たのか。

 

「そうだ、河童に胡瓜をもらいに来たんだ」

「河童? 胡瓜?」

 

 わけがわからないといった顔をする雛に手をあくせく動かしながら彼は説明する。

 ここに来ることになった経緯を。

 

「うん。バイト先の人に、胡瓜といえば河童、河童といえば胡瓜、ということで河童なら美味しい胡瓜を持ってるだろうからってもらってくるよう頼まれたんだ」

「確かに胡瓜は河童の好物だけど……」

 

 何か気にかかることがあるのか雛は言葉を言いよどむ。

 

「玄武の沢とはいえ妖怪の山の麓までよく来たわね。会ったのが私じゃなく妖怪だったら貴方食べられて死んでたわよ」

 

 玄武の沢。

 妖怪の山。

 どちらも聞いたことのない地名だったがここは玄武の沢と呼ばれているらしいことはわかった。

 

「そんな大げさな……」

 

 四月一日は苦笑いを浮かべるが、雛は表情を真剣なものに変える。

 決して冗談なんかじゃないことを彼女の目が物語っていた。

 

「いつぞやも人間が二人も入ってきたし、まさか人里では危険という認識が薄れてるのかしら」

「人々の間でも有名なの? 妖怪の存在って思った以上に信じられてるんだね」

 

 感心したように言う四月一日だが雛からはなぜか怪訝な目を向けられた。まるで信じられないものでも見てしまったかのような視線だ。

 

「えっと、確認するけど、貴方、人里から来たのよね?」

「いや、バイト先から直接、鏡を通って……」

 

 自分で言っててなんだが、事実とはいえ普通ではありえないことを述べるにはどこか気恥ずかしいものがあった。

 いったい、どこの国のアリスだよ。

 

「四月一日」

 

 真剣な声音で呼ばれ、四月一日は無意識に背筋を伸ばして姿勢を正す。

 

「今から言う言葉に聞き覚えがあるか答えて」

「あ、うん、いいけど……」

「博麗神社、紅魔館、白玉楼、永遠亭、無縁塚、守矢神社、地霊殿、命蓮寺、神霊廟……」

 

 雛が固有名詞らしい地名や建造物名を列挙していくがそのどれもが聞き覚えのない言葉だった。

 

「博麗霊夢、霧雨魔理沙、八雲紫、博麗大結界、――幻想郷」

「幻想郷? それなら聞いたことがある。さっき言ったバイト先の人に鏡がどこに通じてるかって聞いたら、幻想郷って言ってたような……」

 

 鏡の中に引きずり込まれている最中だったので確信はもてないが、確かに幻想郷と答えていたような気がする。四月一日の反応に、雛は気がかりだったことに合点がいったのか澄ました顔で言った。

 

「四月一日、どうやら貴方は外来人のようね。それも、知らずに送り込まれた」

 

 正確には、知らずにではなく知らされずにである。

 

「外来人?」

「貴方みたいに幻想郷の外から来た人のことをそう言うのよ。……ああ、そもそも幻想郷から説明しないといけないのよね」

 

 雛はため息を吐き、じっと上目使いに四月一日を見る。

 女の子に見つめられてドギマギするぐらいには男である彼は思わず顔を赤くした。

 

「まさかこの台詞を私が言うことになるとは思ってもみなかったわ」

 

 雛は目を閉じて息を吸い、目を開けて一息に告げる。

 

「――幻想郷にようこそ」

 

 

 

 

 

 




○ぷち求聞覚書○
・鍵山雛
種族:厄神様
能力:厄をため込む程度の能力
人間友好度:中
危険度:極高
二次設定:他人には厄が見えない(原作は素人目にも大量の厄が見える)

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