IS -Rachedämonin Silber-   作:名無し猫

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一夏覚醒回。
 
 生きてます。いろいろ吹っ切れたのと新刊もそろそろ出るということで投稿。あとがきについては後日。


受け継がれし白

 理想という言葉を考えてみよう。

 

 一般的にこの言葉を調べると" 人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。"などという意味合いが出てくる。

 

 では、この『理想』という言葉を世界に、時間という中に当てはめて考えてみる。

 

 そして、彼女と彼にとっての『理想』という意味合いでも考えてみる。

 

 

 

 さて。

 

 

 

 理想の彼とは一体、"いつ、どのタイミングの彼"であり。

 

 理想の彼女とは、同様に"いつ、どのタイミングで、どうあった彼女"なのだろうか。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ッ……あれ?」

 

 意識が覚醒する。己の視界が世界を認識した瞬間、身体を思いっきり起こしたことにより一夏の意識は覚醒した。

 

「……ここって、部屋、か?」

 

 身体を起こし周囲を見渡す。ふと気がつくと、自分が今寝ているのは二人用の大きめのダブルベッドであることに気がついた。

 

(そうか、これ――夢なのか)

 

 思えばおかしな話だと考える。自分はリィスを助けるために、目覚めさせるために他のメンバーと賭けに近い救出作戦を決行した筈だ。なのに自分はあまり見覚えのない部屋で眠っていた。

 

(俺がこうして夢の中で目覚て、記憶もはっきりしてるってことは……とりあえず第一段階は成功した、のか?)

 

 自分の記憶ははっきりしている。そして、これが偽楽園の見せている夢だという自覚もある。だとすれば、自分は他の全員が道を作り、そこを通ることには成功しているということになる。

 

 問題はここからだ。まず、リィスを見つけ出さなければならない。

 

 しかしどうやって本物の彼女を見つけ出すか。それについて悩んでいたところに、

 

 

「一夏ー?起きたの?」

 

 ガチャリ、と。部屋の扉が開かれた。

 

 そこに現れたのは、銀のロングヘア、大人びた雰囲気に、ジーンズとデニムシャツという私服姿。

 

「ッ……!?あ、え――」

 

 混乱し、目を見開き驚く一夏を他所に。その現れた『女性』はキョトンとしたように、頭の上に疑問符を浮かべたようにして部屋の入口で立ち止まった。

 

「どうしたの一夏。そんな唖然として。 もしかして、昨日のお酒まだ抜けてないの?だから私は束さんに言ったんだよ……一夏はお酒弱いからあんまり飲ませすぎちゃダメって―― 一夏?えっと、どうしたの本当に」

 

 

 ……これは夢だ、それは理解している。

 

 これは現実ではない。 ――ああ、そんなことも理解している。

 

 

 

 織斑一夏という人間はここで認識を改めた。何故なら、今一瞬飲まれかけたからだ。

 

 偽楽園というものが本気で自分を殺しに、取り込みに来ていると感じ、"現実の自分としての意識"を保った。

 

 

 でも、それでも。

 

(ああ、くそ――ここまでリアルで、しかも気持ちや心まで、現実と同じなのかよ)

 

 自分の意思を保っていても、感情までは騙せないのだから。

 

「リィ、ス――」

 

「うん、そうだよ? 本当どうしたの君は……昨日酔いつぶれて倒れたと思ったら、今度は目覚めていきなり泣いてて」

 

「……ああ、悪い。ちょっと、変な夢見ちゃってさ」

 

 彼女の声で。彼女の言葉で。"君"と言われたのは、いつぶりだっただろうか。声を聞いたのは、その仕草を見たのは、いつぶりだっただろうか。

 

 だが、これは夢だ。夢、なんだ。

 

 そう言い聞かせるとともかく目の前にいる彼女に対してできるだけ普通にしようと言葉を作っていく。

 

「変な夢? 一夏が夢で泣くってどんな夢なの……逆に気になるよ、それ」

 

「悪い、本当なんでもないんだ。 ……ッ、あれ」

 

 苦笑いを作り、この世界のリィスを誤魔化すと一夏はあることに気がつく。右腕。手首に存在しているはずのもの、白式の待機形態であるリストバンドが存在していないのだ。

 

(白式が、無い? でも――"もうひとつ"のほうはちゃんとある。どういうことだ?)

 

 どうして白式が存在していないのか。そう思考しようとした瞬間、ノイズのような何かによって突然思考を遮られた。

 

「……疲れてるのかな、俺」

 

「これは重症かな……?えっと、今日の予定どうする?大学の研究室行くとか話してたけど、断っておく?」

 

「あー……大学?研究室? ええと、なんのこと―― というか本当にリィス、だよな?」

 

「うん、今日は休もう一夏。本当ちょっとおかしいよ……私は私だよ?」

 

 我ながらどうかしていると一夏は思う。これは現実ではないと理解しているのに、心が。想いがこの世界に魅了されていく。

 

 だが、織斑一夏は呑まれない。ただひとつ、絶対に不変であるものがあるからだ。

 

「――悪い、変なこと言った。そうだな、リィスはリィスだ。 なぁ、リィス」

 

「うん?どうしたの一夏」

 

「……ありがとう。 おかげで目が覚めた」

 

 リィスは『よくわからないけどどういたしまして?』と返し、きっと寝起きのことだろうと解釈した。

 

 対して一夏は違った。今のやり取りで、あることを確信したからだ。

 

(ああ、確かに理想なんだろう。幸福なんだろう。 だからこそ、俺の知っている現実ではまだありえない幸福だ)

 

 偽楽園の甘美な毒。大抵の人間ならば屈するであろうその中で一夏は変わらないものがあった。それは、不屈の意思。そしてある事実を知っているが故の覚悟。

 

 だからこそこれはありえないと断言した。

 

 その後、着替えた一夏は自分とリィスが住む部屋、そうなってくれればいいと想っているその部屋の玄関へと向かう。

 

「リィス」

 

 リビングでテレビを見ていたリィスは一夏へと振り返ると、ただ一夏へと笑いかけた。そんな彼女に対して一夏もまた、笑った。

 

「ちょっと出てくるよ、すぐ戻るから」

 

「……うん、気をつけてね。一夏」

 

 これは夢であると理解している。

 

 自分はどれだけこの世界が理想で幸福でも屈しないと言い切れる。

 

 けど、だけど。

 

「ありがとう、リィス。 行ってくる」

 

 ただ一人、守ると決めた彼女の声と理想の姿で。その笑顔と言葉を振り切るのだけは、偽物だと理解していても辛かった。

 

 部屋の扉を出る時。一度振り返った時に見えた彼女は、どこか切なそうにしているように見えた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 歩く。部屋を出てただ歩く。

 

 この世界について歩きながらわかったことがあった。この世界にはISが存在していないのだ。

 

 道行く人は全てが幸福そうに見えた。街角で報じられるニュースは明るいものばかりで、平和な世界であると理解出来た。

 

 まさに理想。夢物語を現実にしたのがこの世界なんだろう。

 

 そんな中、俺はある場所を目指して歩いていた。見慣れた木々と石の階段。それを超えた先にあるのは、篠ノ之神社。

 

 

「見つけたぞ、まったく……手間を掛けさせないでくれよな」

 

 神社の境内。社の縁側に腰掛けていた少女へと俺は、言葉を作った。

 白の髪に、白のワンピース。そして、紅の瞳。

 

「勝手に居なくなって心配したぞ、 ――白式」

 

 名を呼ぶ。縁側に座っていたその少女は驚いたようにした。

 

「……なんで、わかったの?」

 

「まぁ、既にあの人から色々聞いてるからな。それに……なんとなく感じとか雰囲気でここかなって感じはしたからさ」

 

「……そう、あのひとが。 色々あると思う。けどこれだけは先に答えて。 いいの?」

 

 何に対して、というのは予想がついていた。

 

 白式。この少女が言いたいのは"本当にこの世界を打ち破っていいのか"ということだ。

 

「ここは、俺の望む現実じゃない。もしこれを受け入れれば、今までの俺を全部否定することになると思う。リィスと出会った俺も、たった一人を選んだ俺も否定することになる。それってさ、俺が俺を否定するだけじゃなくて、俺がリィスを否定するとも取れるだろ? そんなの、一番嫌だしさ」

 

 幸福しかない世界。確かに、とても素晴らしい世界だと思う。誰もが焦がれ、望み、渇望する世界だと思う。けれど、逆に言えば『幸福しか無い』んだ。

 

 俺は悩んで、葛藤して、辛い思いをして至った"現実"を否定したくない。そんな過程があって、出会いがあって、戦いがあって俺という人間は今ここにいる。

 

 幸福しか感じない世界と、いろんなことがある世界。俺は、後者の世界を否定したくなかった。

 

「自分で考えた答えを、自分で選ぼうとした未来を、手を取りたいから足掻いて。藻掻いている自分を否定したくない。自分勝手な話だけどさ。俺、リィスが居ないときっとダメなんだよ。だから我儘で傲慢かもしれないけど――俺は自分と、リィスを否定したくないからあいつを連れ戻しに行く」

 

 息を吸う。そして、これが俺の本気の言葉だ。

 

「こんな理想の世界の"理想"で止まる俺や世界なんかより――"現実"の俺のほうがいいって思い知らせてやるんだ。俺の偽物なんかに、絶対リィスは渡さない」

 

「……ぷっ、まさか貴方からそんな熱い言葉が出るなんて私も思わなかった」

 

 神社の縁側。そこに座る白のワンピースに白髪の少女。"白式というコア"が笑いながらそう返してきた。

 

「それで、貴方は私に何を望むの? ――私は白式。ううん、今の貴方には白騎士のコアって言ったほうがいいのかな? 篠ノ之束が生み出した、"形にした"原初のISコアの1つである私に、何を望む?」

 

 小学生にも見える小柄な見た目。そんな見た目に相反するように、雰囲気と言葉の重みが存在していた。リィスを助けるため。未来を求めるために俺が望むのは、

 

 

「これが、お前なら何なのかわかるよな?」

 

 チャリ、という音とともに右手を前に突き出して手首の存在を見せるようにした。

 

「――うん、わかるよ。それは、金色と対の力。あの人と同じ力。 もう一度聞く。いいの?」

 

「……ああ、いい。もう決めたことだ。俺は、俺の未来を。大切な人の未来を諦めない。全てじゃない、俺が守りたいと望んだ。せめて手が届くだけの大切な人と、最愛の相手を守りたい。そのためなら俺は ――鬼にでも、修羅にでもなるさ」

 

「……そう。本当、"私が知る別の貴方"とは違うんだね、貴方は。私が知ってる織斑一夏はもっとヘタレで、優柔不断で鈍感で。何もかも、誰をも守りたいと言っていた曖昧な人だったから」

 

「まぁ実際さ、俺の本心は全部その通りだよ。誰をも守りたいし、ここぞって時に決められない。でもさ……覚悟も力もなく、決意をしないそれってただの口だけだろ。俺は、大切な誰かを選んで覚悟を決める。白式の言う俺もきっと俺自身で、今の俺も俺だと思うから」

 

「……もし私が人だったら、きっと貴方はとてもまぶしく見えるんだろうな。 ――じゃあ、改めて聞く。 力を欲しますか?」

 

 決まっている。そんなもの。

 

「欲する。じゃあ逆に聞くぞ。 お前は何を求める?白式」

 

 目前。白い少女、白式が『そうきましたか』と僅かに笑いながら呟いたのが聞こえた。

 

 俺は力を求める。それがタダで手に入るとは想っていない。ギブアンドテイク、力を求める対象が白式ならば白式にも俺に対して求めるものがあるはずだ。……ISは人の道具ではない。そう、今の俺は思えるから。

 

「我儘を言っていいですか」

 

「おう、いいぞ」

 

「私の望みは2つあります。もし、貴方がそれを飲んでくれるなら――私は、貴方に絶対の力を与えます」

 

「贅沢なやつだなぁ……誰に似たんだ? 言うだけ言ってみろよ」

 

「持ち主に似たんでしょうかね? ――私の望み、まずは貴方と目的一致です。彼女を、リィス・エーヴェルリッヒを助けてください」

 

「――それは、織原ハルトの真相があるからか?」

 

 コクリ、と。少女が頷いた。

 

「すべてのはじまりは、彼女だった。今ここで彼女を失えば ――それは私達にとっても、そしてある意味向こう側にとっても都合がわるいのです」

 

「俺はあいつを連れ戻す為にここにきた。言われなくとも、あいつは助ける。絶対にな」

 

「では、2つ目です」

 

 少女は一度目を閉じた後息を吸う。まるで、覚悟を決めたみたいに。

対して俺は言葉を待ちながら覚悟を決める。

 

 今の自分には力が必要だ。リィスを助けるための力が、未来を選択するための力が。そして、変わるための。変えていくための覚悟も必要なのだ。

 

 それら全てを叶えなければ"未来はない"。だからこそ、白式。いや――彼女の本来の力は絶対に必要だった。

 

「―――、―――。」

 

 消え入りそうなくらいの声。しかし、俺には聞こえた。

 目を見開いて、驚きもした。けど、

 

 

「――わかった。その時が来たら必ずその約束は果たす、安心してくれ」

 

 

 覚悟と決意。それを込めて返した俺の言葉に対して、少女は安堵したように微笑んだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 一夏達の救出作戦が行われていた頃。微睡む夢の中、仮初の幸福の中に居たリィスは限界だった。

 

「……私は、」

 

 夜道の道。公園に面した道を歩く。そんな中で考えるのは、自分のこと。

 

 人には誰でも負の感情というものがある。今、彼女の心はその負によって傾きつつあった。

 

 復讐のために人殺しをしてきた罪悪感。それはリィス・エーヴェルリッヒという人間の中で自分を苦しめていた罪の意識の1つだった。

 

 殺して、奪って。そんな事を続けてきた自分に幸せになる資格なんてあるのか。そんな想いは、織斑一夏という相手と付き合ってからもずっとあった。

 

 だからこそ、今この幻想の中でそれはループし彼女を苦しめると同時に、その幻想に呑まれないためのストッパーでもあった。

 

 『幸せを手に入れてもいいのか』という考えによって仮初の夢に呑まれることは止まっていた。しかし、同時に現実と幻想の間で『自分がどうすべきなのか』と悩み、苦しむループへと陥った。

 

 結果として、彼女の心はすり減る。

 

 人間という生き物はどうしようもなく絶望した時や追い込まれた時など、投げやりになることがある。『どうにでもなれ』や『考えたくない』というのがその例だろう。

 

 リィスは、その状態の一歩手前だった。考え続けて、抗いたいのか受け入れたいのかを決められず、足掻き続けた結果は心がズタボロになるというものだった。

 

 

「――もう、いいよね。わかんないよ、私は」

 

 仮に。もしこれが夢であると理解していなければどれだけ幸福だったか。あの時に織原ハルトがこの世界に介入しなければどれだけよかったか、そう考えそうになったリィスは"それは考えてはいけない結末だ"となんとか自分に言い聞かせて振り払うように頭を振る。

 

「こんなにも諦めたくて、受け入れたいって願ってるのに……何かが違う。絶対的に何かが違う。幸せのはずなのに、幸福のはずなのに。私の望んだ全てがここにあるのに、なのに ――私の心の何処かはとても空虚で、虚しくて」

 

 何かが引っかかっていて。何かが自分を引き止めていて。

 

 その何かをかつて自分は知っていた気がする。なのに今は、思い出せない。わからない。

 

 こうやって抗おうとした時、迷った時に必ず今のリィスを襲うものがある。ノイズだ。

 

 そのノイズは声はなくとも彼女の思考を、意識をその抗いの意思から引き剥がそうとする。諭すように、甘美な言葉のように。

 

「――会いたいよ、一夏」

 

 そんな遮断されていく意識と思考の中。ふと自分から出た言葉にリィスは驚いた。自分の言葉に、である。

 

「なん、で?どうして? 一夏はいつも居る。ずっと一緒に居る、なのに――どうして」

 

 どうしてそんな言葉が出たのか。彼女にはわからなかった。きっとそれは無意識の言葉、今の状況に追い詰められた自分だからこそ出た言葉だ。

 

「――すけ、て」

 

 幸福のはずなのにどうしてその言葉が出たのかはわからなかった。"織斑一夏"という人間はちゃんと近くにいるのだ、理想も世界も。相手も。何もかもがここにある。

 

 

 なのに、どうして。

 

 

「たすけて、一夏――」

 

 無意識に、そんな言葉が漏れた。

 

 

 

 

 

「ああ。助けに来たぞ、お姫様」

 

 

 

 声がした。立ち止まり、誰もいない歩道で蹲り苦しむリィスに、答えを返す人間が居た。その言葉は彼女にとって一度聞いた救いの言葉であり、"この世界にはなかった筈のもの"である。

 

 そんな言葉を聞いてふと、顔を上げる。そこに居たのは――よく見知った人物であり。だが、"この世界とは決定的に違う人物"だった。

 

「いち、か?」

 

「ああ。俺だよ、リィス」

 

 そのまま彼は歩き、リィスの前まで来ると手を差し出す。

 

「帰るの遅いから迎えに来た。まったく、あんまり心配させるなよ……。 帰ろうぜ、リィス」

 

「ッ……ごめん、一夏」

 

 差し出された手をリィスは取れなかった。

 

 彼女は現実と夢の狭間に居た。だからこそ抗えた。だがそれは同時に、既に半分飲まれていたとも言える。

 

 会いたいと望んだ、助けてほしいと望んだ相手が現れて尚リィスの心は揺らいでいた。選ばなければならないのだ。この世界の理想と呼べる全てを殺すか、現実の自分を殺すか。

 

「俺さ、答えを出したよ」

 

「――答え?」

 

「リィスと初めて会った時。言ったろ?『カラスと書き物机が似ているのはなぜか』って。あの時明確に返さなかった答えを俺は出したよ」

 

 すぅっ、と一夏は息を吸った。息を吸い、目前で地面に蹲るリィスへと手を伸ばしたまま言葉を続ける。答えを。織斑一夏という人間が出した、選択の答えを。

 

「理想しか無いなんていうのは、きっと退屈だ。この世界は完璧で、理想的で。俺も自分が夢見た理想。未来を見せられた。受け入れてもいいかな、とも思った。……でも、もし受け入れたら今までの俺はなんだったのかなって思ってさ。今までの俺を、俺に関わってきた全てを否定したくない。それを否定してまで、なんの重みもない幸福なんてほしくないと思った」

 

 織斑一夏という人間は、この偽りに対してこう答えを出したのだ。『どれだけ幸せでも、そこには重みがない。意思がない。織斑一夏という人間が選んで、掴み取った未来ではない』と。例えどれだけ辛くとも、絶望的でも、一夏は今の現実を否定したくなかった。否定したくなくて、同時に思うのだ。リィスを、そんな偽物に奪われたくないと。

 

 だからこそ一夏は、自分の意志で選んだ。理想の夢を否定し、彼女を取り戻すと。心の中で自分勝手だと理解しつつも思っていたのだ。"そんな夢より自分のほうがいいって思わせてやる"と。

 

「俺は、今までを否定しない。否定したくないからどれだけ辛くとも現実に抗い続ける。いつかは、この夢の世界よりもっといい未来を掴めると信じて。……それにさ、俺。自分勝手だけど、嫌なんだよ」

 

「嫌って、何が?」

 

 僅かに顔を上げ、己を見ているリィスに対して一夏は恥ずかしそうに頬をかいて答える。

 

「――その。 こんなただの幻に、夢にさ。リィスを取られたくないって」

 

「……ぷっ」

 

「わ、笑うなよ。結構真剣なんだぞ俺は」

 

「ははっ……いや、ごめん。君からそんな情熱的って言うか、恥ずかしい言葉が出るなんて思わなくて。うん、でも…わかった気がする。こうして君を目の前にして、理想の一夏と、本来の一夏。絶対的に違っていたのが何かって」

 

 理想の織斑一夏と、現実の織斑一夏。前者にはなく、後者にはある不動の何か。ずっとリィスという存在を繋ぎ止めていた何か。

 

 それをリィスはなんとなくだが理解した。きっとそれは――今の現実があって、そこに存在する彼だからこそ持つものなのだと。

 

「――でもごめん、一夏。私、ちょっと手遅れかも。心の何処かで"もうここでもいい"って思っちゃったから。だからさっき、君の手を取れなかった」

 

「だったらさ。俺がリィスの居場所になる。こんなただの夢なんかよりも、ずっと幸福だと思えるような居場所に。俺は自分も、リィスも。そして自分に関わってきたことも否定したくない、逃げたくない。抗い続けた先にきっと、答えはあるって信じてるから」

 

 『だから』と、一夏は言って。

 

「もう一度、俺を信じてくれないかリィス。もう二度と手を離さない、共に歩いていきたいと。 …勝手だけど、俺自身が望むから」

 

 

(……ああ、そうか)

 

 伸ばされた手。それを見て、投げられた言葉を聞いてリィスは思う。織斑一夏とは、どうしようもなく我儘で、諦めが悪くて、どれだけ突き放しても追いかけてくる人であったと。

 

(あの時も、そうだった。そんな君と、君の言葉に私は惹かれたんだ――なんで、どうして忘れてたのかな)

 

 織斑一夏は諦めない。理不尽な現実に、今までの過去に。そして、これからの未来に対して目を背けず、逃げず、正面から向き合っていくような人間だ。何かが抜け落ちていた心。欠けていた何かが埋まったような、そんな気がした。

 

「俺だけじゃない。みんな、待ってるんだ。みんな、お前を助けるために、失いくないって思いで俺をここまで送り続けてくれた。みんな待ってるんだ、お前が戻ってきてくれるのを」

 

「――いい夢、だったと思う」

 

 ふと。リィスの口からそんな言葉が漏れた。蹲っていた彼女は――その言葉の後、一夏の手を取った。

 

「みんなが居て、パパやママが居て、何もかもがある。でも……何かが欠けていて、その欠けていた何かが"思い出せなかった"。大切な何かを忘れている気がして、なくした気がして。でも、幸福の中でそれがそのうち気にならなくなった。きっと、自分が忘れているそれは些細なものだと思っていたから」

 

 手を取り、立った。見上げる形で見た最愛の相手の表情は、最後に見た時より――ずっと、強く見えた。

 

「でも、違った。そうじゃなかった。その忘れかけていたものは一番無くしちゃダメのものだった。それを忘れてしまえば、なくしてしまえば私の存在を、今までの全てを否定することになるものだったから」

 

 思う。己は幸福を受け入れて全てを否定しようとしていたのだと。

 

 都合のいい夢を受け入れて、幸福に身を委ねること。きっとそれは悪ではない。だが、それは今までのリィス・エーヴェルリッヒという人間を構成してきた全てがなければという前提があればだ。

 

 幸福を奪われ、真実を置い続け。悩んで、苦しんで。沢山の人に出会って、その中での幸せを見つけて。自分が辿ってきた道筋。その中で見つけた大切な相手。自分は、その全てを否定しようとしたのだ。

 

 

 理想的な夢と、不完全な現実。

 

 前者には完璧しか存在せず、幸福しか無い。後者には何もかもがあり、辛いことも悲しいことだってある。

 

 もし、現実を否定すればそれは、"今までの自分の想いをも否定する"ということになるのだ。それは、自分の想い。一夏に対する想いへの否定になる。自分の力で築き上げ、掴み取ったそれに対しての否定になる。

 

 

 それを否定してまで、リィスは理想的な幸福をほしいとは思わなかった。前提がなければ、自分の一夏への想いがなければ何もかもが成立しないからだ。

 

 

 

「ありがとう、一夏。 ……目が覚めたよ」

 

「寝すぎだ馬鹿。 ――いい夢、だったか?」

 

「……うん。とても幸せで幸福で、とても残酷な夢だった。 ねぇ、一夏」

 

「おう、なんだよ」

 

 

 幸福で残酷な夢。仮初の夢を振り切る決意をしてリィスは

 

 

「ずっと、私と一緒に歩いてくれますか」

 

 それは、現実の自分にある想いの全て。

 共に歩みたい、そう望んだ相手に対しての全てだった。

 

「……言葉にしなきゃダメか?」

 

 そのまま一夏は恥ずかしそうにしながらも、手を取ったリィスを抱き寄せた。それで今は十分だった。抱き寄せられた彼の胸の中、やや早めの鼓動と暖かさを感じながらリィスはその安心感に対して身を委ねた。

 

 瞬間。世界が砕けた。まるでガラスが割れるように周囲の景色が消えていき、真っ白な世界が残されていく。

 

 それは夢の崩壊だ。リィスが夢と現実、どちらかを選択したことにより発生した崩壊。彼女は現実を選んだ。つまり、夢は崩壊し、何もかもがあったその世界は消えていく。

 

 たらればの世界、パラレルワールド。その世界になくて、現実にはあるもの。それが彼女の選択を左右した。

 

 だが、これで終わりではなかった。

 

 

 真っ白な世界、その空中に存在するものがあった。それは白だ。白の、恐らく一夏とリィスにとっては見慣れた存在。

 

「あれって、」

 

「――ああ、どうやらリィスをただでここから返す気はないらしい。それに、」

 

 抱きしめていたリィスを守るようにして前に出ると、その上空の存在を一夏は睨みつける。

 

「あれはきっと、理想の俺自身だ。"織斑一夏"という人間の完成されたそれの、可能性の姿」

 

 空に浮かぶ存在。それは、白式だった。

 

 それも部分的に装備が違い、巨大な白のエネルギーウィングを広げ、フルフェイスの仮面を装着しており二次、下手をすれば三次移行移行でもしているのではないのかという姿。

 

「俺は、あれを乗り越えなきゃならない。理想の俺自身を超えなければ、リィスの居場所になることも、未来を掴むことも出来ない。だから――ちょっとだけ待っててくれ、リィス」

 

「……うん、信じるよ。私が信じたいと思った、共に在りたいと思った一夏を」

 

 一夏は笑顔を返すと一歩前へと出る。

 そして、待機状態のISが存在する腕を前へとつき出すと

 

 

 

「俺は、絶望にも未来にも負けない、抗い続ける!そのために力を貸せ ――白騎士ッ!」

 

 

 

 理想の姿の織斑一夏に抗うために。

 

 白き騎士が顕現した。

 

 


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