IS -Rachedämonin Silber-   作:名無し猫

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リィス救出戦

 自分が自分ではなくなっていく。それを自覚したのはいつからだったか。私には既にこの世界に来てからわどれくらいの時間が経過したのかさえ判別がつかなくなっていた。

 

 ただ、幸せに溢れた時間が過ぎていく。

 満ち足りた幸福だけがここにある。

 

 "この世界は幸福で満たされている"

 

 春、高校二年生になった私はクロちゃんと皆と新入生について話をしていた。新入生の中には弾さんの妹、蘭さんの姿もあって驚いていた。

 

 夏、みんなで海に行ったりした。最初、海か山で礼子さんと束さんが喧嘩していたけど結局両方行くことになった。

 

 秋、文化祭で劇をすることになった。とてつもなく嫌な予感がして私は一夏と逃げようとしたけど時既に遅し。みんなに包囲されて何故か私が男役、一夏が女装してヒロイン役という奇妙な劇をする羽目になった。とても好評だったけど暫くそのネタで弄られた。

 

 冬、この地方では珍しく雪がかなり降った。ニュースでは特に今年の冬は冷え込むと伝えていた。ある日の朝、通学路を一夏と歩いていると無言で手を繋いでくれた。とても、その手は暖かくて。無言で目を逸らして自分のやったことを恥ずかしそうにしている一夏はとてもかわいくて、幸せだった。

 

 自分が消えていく。パパとママが死んで、ただの復讐鬼に、殺人者になった私の存在が消えていく。新しい自分、幸福な自分によってそれが塗り替えられていく。

 

 けれど、まだ完全には消えていない。何がそうしているのか、というのはわからない。でもあの世界の私はまだ、ここに居る。どうしてなのか、抗っている。私は、そんなことしなくていいって思ってるのに。

 

 どうしてこの幸せを受け入れないの?と、私は自分に聞きたい。ここにはすべてがあるのに。そう思って、ずっと想い続けて。その度にもう一人の自分から問われているような気がした。

 

 

 ――本当に幸せなの?その織斑一夏は、本当にリィス・エーヴェルリッヒが好きになった人なの?

 

 ――幸福しかない世界、それが本当に幸福と言えるの?

 

 と。

 

 

 "わたし"はその問に即答することができなかった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「全員ISスーツに着替えてきたね?じゃあ、作戦を説明するよ」

 

 束が観念してラボへと千冬と礼子が入ってきてすぐ、束は一夏立ち全員にISスーツへと着替えてくるように命じた。そして千冬と礼子には病室で眠っているリィスを連れてきて、ラボの奥にある電脳ダイブ装置を改造した接続ユニットに寝かせるように指示をした。

 

 指示から1時間。一夏達の準備が終わり、運ばれてきた医療着姿のリィスもラボの接続ユニットへと寝かされた。未だに目覚めないリィスを見て一夏は一瞬だけ辛そうな顔をしたがすぐに『すぐに行くからな』と小さな声で、しかし決意が篭った声で呟いた。

 

「全員座ったね。じゃあ説明するよ ――現在、リーちゃんは『偽楽園』と呼ばれる神経毒に囚われた状態にある。これを毒といっていいのか判断には困るけど、これについては"かなり厄介で事によっては人を簡単に殺せる毒"と思ってくれればいい。 ……先に言っておくけど、これは本来公開されない情報。いっくんは全部知ってるのかもしれないけど、他の子達は多分知らないこともある。だから当然黙っていてもらう。いいね?」

 

 束の言葉に対して座る全員が頷いた。ここに居る全員の目的は1つ。"リィスを救い出すこと"だからだ。

 

 各々、どんな形であれ一夏とリィスに縁があり、見守ってきて、影響を受けた。だから今ここに国がどうのということや、各国が考えているようなことの類は存在していなかった。

 

 それを確認して束は『ほーんと、全員バカもバカ。大馬鹿で呆れるよ』と呆れたように、だがどこか嬉しそうに言った後空中にデータを投影していく。

 

「かつて束さんは『黒鍵』と呼ばれるISを生み出した。これはちょっと特殊なISでね、生体同一型のISだった。黒鍵の戦闘能力は皆無で、武装のたぐいは存在しない。かわりに、ある能力を搭載していた。それが――『ワールド・パージ』っていう機能。簡単に言うと、これは対象に対して幻覚を見せる能力なんだ。 ……元々黒鍵はその特性上、くーちゃんのテストを元に改良を重ねてくーちゃんの専用機になる予定だったんだ。後衛特殊支援型、指揮系列型としての機体になる予定だった。けど、」

 

 そこで表情を曇らせたのは、一夏達同様座るクロエだった。俯き、両手の拳は震えるほどに強く握りこぶしを作っており『……申し訳ありません、束様』と言った。

 

「くーちゃん、あれは対処できなかった束さんも悪い。くーちゃんに落ち度なんて無かった。だって ――完璧無敵な束さんの防衛ラインを超えて、テスト中のくーちゃんを襲うなんて思ってなかったんだから」

 

 黒鍵のテスト中の襲撃。クロエが襲撃され、ある方法で黒鍵のシステムを奪われるという事件がかつてあった。

 

 当時のクロエは、今と違い慢心することがあった。束のセキュリティ下ということもあって安心していたのが運の尽き、それを突破した亡国機業のある人物に剥離剤と呼ばれるものを使用された。

 

 束の咄嗟の行動によってクロエの命と機体本体は無事。しかし、システム中枢は引き抜かれるという結果になってしまいクロエはそのことをずっと後悔し、悔やんでいた。

 

「オルコットとかいったね、特異存在の君を除いてあの鳥の化物と戦闘をした全員からは"黒鍵とほぼ同種の幻覚毒"が検知された。それを解析した結果、黒鍵のシステムを応用したものとわかった訳さ。 ……ここからが本題。心して聞いてね」

 

 全員が姿勢を正して束を見た。それを確認した彼女はまた別のデータを投影する。

 

「リーちゃんを助ける方法。それを考えなかったわけじゃない。そして……なくはなかった。けど、"この方法は余りにも博打すぎるし危険なんだ"」

 

 束が提案する方法。それは、『偽楽園』に対するある種のブルートフォースアタックだった。

 

 リィスを蝕む毒はリィスの身体のどこにも存在していない。偽楽園の正体、それは黒鍵の見せる夢だからだ。毒が生み出した夢。本来どうしようもないのだが、束には一夏からもたらされた滋養方によってある方法を思いついていた。

 

 それは、リィスの専用機。ヴァイス・フリューゲルを仲介してリィスの精神世界、つまり仮想世界にアクセスして救出に向かう方法だった。しかし当然ながら、夢を見せている偽楽園も抵抗してくるだろう。そして隙あらば、侵入者も蝕み取り込もうとする。そのリスクはあるが、限りなく低い確率をあげるための作戦が総当たり攻撃。

 

 一夏以外の専用機持ちで、リィスの精神世界に入り込むメンバーで外部から偽楽園に対して攻撃を仕掛けて負荷をかける。そうすることで入り込める穴、バックドアが生成されてそこから侵入できる。そして、侵入した一夏がリィスを助けに行くという作戦だ。

 

 この作戦にあたり、担当は以下のようになった。

 

"

リィス救出:織斑一夏

外部攻撃班:篠ノ之箒、シャルロット・デュノア、凰 鈴音、ラウラ・ボーデヴィッヒ、東雲マドカ

外部攻撃サポーター:セシリア・オルコット

メインオペレーター:クロエ・クロニクル

"

 

「この作戦要になるのは、まぁぶっちゃけ誰がミスっても詰むんだけど強いて言うならいっくんとくーちゃん、そして……オルコット、君だよ」

 

「わ、私ですか?」

 

「うん、君だよ。君はね、唯一人あの毒を受けて何もなかった人間なんだ。後遺症も何もなし、検査でも何もなし。そしてその理由も不明。でも確実に言えるのは、"君は偽楽園に対して絶対的な耐性を持っている"」

 

 福音の騒動、結果的にIS学園側の敗北と見ていい結果になったが収穫もあった。その1つが、セシリアの特異体質だった。

 

 偽楽園とは極めて強力なものであり、束曰く毒として見ればこれ程に恐ろしいものはないというほどだった。しかし、セシリアは他の全員がその影響を受けて意識を失ったにも関わらず一切影響が出なかった。

 

 彼女がどうして影響を受けなかったのかはまだ不明だが、何度か束はセシリアに対して許可を得て実験を行っていた。催眠術、誘導尋問、マインドコントロールなどを行ってみたが"セシリアには一切効果が見られなかった"。

 

 そこで束はある仮説を立ててこう結論づけた。セシリア・オルコットは精神干渉の類や毒などに対して絶対的な耐性を持っていると。収穫はそれだけではなかった。束が見つけたその体質と力、それは――イギリスがセシリアにとっての新たな力を作り出すキッカケになった。

 

「本当なら、今急ピッチで開発が進められている"イギリスの完成形第三世代"が欲しかったけど欲張りは言えない。けど、セシリア・オルコット、君のその絶対耐性は偽楽園に対して極めて効果的だ」

 

「あの、篠ノ之博士。仰る意味が……」

 

「その理由について説明するよ。偽楽園への攻撃、それに際して相手も防衛をしようと抗ってくる。そうすると必ずセシリア・オルコット、もう面倒だからせっしーを除いて全員が仮想世界の中で擬似的に偽楽園に感染する。いい?今のうちに言っておくけど"ダイブした先で何があってもそれは幻だから信じちゃいけない"。信じたら最後、戻れなくなると思って」

 

 その言葉に対して全員が息を呑んだ。

 

 リィスが感染した偽楽園の恐ろしさは説明されている。そして、鳥と戦闘して意識を失った鈴、ラウラ、シャルロットは意識がない間覚えていないが心地のいい夢を見ていた自覚があった。今度は明確にその楽園を眼にして抗わなければいけないのだから。

 

「せっしーをバックサポーターに選んだのは戦闘センスの問題だけじゃない。偽楽園の影響を受けないセッシーには最悪の場合やいざって時、感染しそうになった子をサルベージして貰うことになるから」

 

「サルベージ、ですか?ですが私、どうすればいいのかなんて――」

 

「簡単だよ。多分君はダイブ世界の中で自由に動ける。だから常に他の子のことをイメージして、何か違和感があったらその子を殴りに行きたいと思えばいい。要するに叩き起こしてやればいいって訳さ。夢なんだから何でもあり、ブルー・ティアーズで危なくなった子の夢ごと狙撃していいし、怒鳴り散らしてやってもいい。大事なのは、"全員が夢に屈しないこと"だからね」

 

 そして、と束は続けて一夏とクロエを見た。

 

「作戦成功率と安全性をあげること、全員が問題なく作戦を進めるための要がセッシー。そして、くーちゃんにはダイブせず、ラボの端末からダイブしている全員に対して指示を出してもらう。そして、攻撃によってできた偽楽園の穴を見つけてそこにいっくんを誘導すること」

 

「……束様。私は、」

 

 クロエには思うことがあった。けれど、それはきっと許されないし"何度もミスをしている自分にそんな資格はない"。

 

 できるなら、自分もリィスを助けに行きたい。かつて黒鍵は自分の専用機で、慢心によってそれを強奪された。

 

 そしてその結果がリィスの意識不明状態を引き起こし、今回のような状況になってしまった。だから、自分もリィスを助けに行きたい。償いでも自己満足でもなんでもいい。ただ、リィスを助けたかった。

 

「くーちゃんの気持ちはわかるよ、自分も助けに行きたい。でしょ?」

「ッ……はい」

「うん。でもね――今回のくーちゃんの役割はすごく重要なものなんだ。黒鍵の適性があって、過去に専用機として持っていて黒鍵をよく知っているくーちゃんだからこそのね」

「それは、どういう――」

「くーちゃんには、みんなの帰る場所になってもらいたいんだ。ダイブした中で戦い、抗って、その先でりーちゃんを連れて全員で戻ってくるための帰る場所。みんなの命と、魂を繋ぎ止める立場が今回のくーちゃんと役目だ」

「そ、そんな重大な――私は、一度ではなく二度、そして今回で三度リィスの命を危険に晒しました!そんな私に、全員の命と魂を預けるなど……」

 

「俺は信じるぞ、クロニクルさんを」

 

 迷い、そんな重大な立場自分には無理だと言いたげにしているクロエに対して言葉を作ったのは一夏だった。

 

「クロニクルさんの過去とか、何をしたのかなんてのは知らない。でも俺の知ってるクロエ・クロニクルって奴は技術があって、ふざけてるように見えて大真面目な奴で――リィスのことをすごく大事に思ってるってことを知ってる。だから、信じさせてくれよクロニクルさん」

「織斑さん……」

「きっと、ここに居る誰もがクロニクルさんを信用してると思う。ずっとリィスの近くで、リィスを支えてきたのは間違いなくお前なんだから」

 

 その言葉に対して全員が肯定という意味合いで苦笑いや照れ隠しなど各々反応を返した。管制塔という意味合いでも、サポーターという立場においてもクロエ以上の存在は居ない。それが全員が総意だった。

 

「……わかりました。このクロエ、必ず皆さんをサポートしてリィスへの道を作ります。ですから織斑さん、リィスをお願いします」

 

 恐らくまだ迷いはあるだろう。そんなクロエに対して、束は『この件についてではないんだけど、』と言って続けた

 

「くーちゃん。くーちゃんが力を欲しがってたのは知ってるよ。りーちゃんを守るための、もう二度と失わない為の力が欲しいと思っていたことを。その覚悟も、決意もあるのは知ってる。……だから、少し時間をくれないかな」

「束様、それは――」

「ワールド・パージを失った黒鍵、そのコアを使ったくーちゃんの第四世代専用機。束さん今、頑張ってるから」

 

 思わずクロエは言葉を失った。僅かな同様の後にどういうことだ、と思考する。第四世代IS。それは現状、例外を除いて束が手を加えたISにしか存在していない。

 

 それも白式と紅椿、そしてオータムが保有している完全制御解除状態のISの三機のみ。桁外れた第四世代や第四世代相当のISとは機体性能は言わずもがな、どれもがとんでもない能力を持っている。

 

 バリアー無効化攻撃の白式。

 燃費は最悪だが高火力、エネルギー増幅の力を持つ赤椿。

 そして、相手の防御能力自体を破壊するマドカの黒式と、オータムの専用機。

 

 完成形の第四世代や第四世代相当のISとは、束が亡国機業と金色のISに対抗するために制作したものである。それも紅椿で最後だとクロエは思っていた。

 

「くーちゃんはさ、すっごく真面目。真面目で不器用で、一度これって決めたらそれ以外が見えなくなることもよくある。本当、そういうところ束さんとよく似てると思うよ。流石束さんの娘」

 

「束様、第四世代は――赤椿が最後なのでは、」

 

「"その予定だった"。でも……ちょっと、この前のスコールから送られてきた最後のデータや、金色が手渡してきたデータ結晶。それで事情が変わってね。 ……大丈夫、リーちゃんが戻ったら全部説明するから。といっても、多分いっくんは全部知ってるのかな」

 

 その言葉に対して無言だった一夏は全員の注視の中で、厳しい目をして…肯定という意味合いで頷いた。それに対して束は深く言及せず、『さて』と続ける。

 

「ともかくとして、目的は1つ。眠り姫を王子様が起こす、そのためには誰がミスをしてもいけない。 ……もし、覚悟がない。できないって思うなら今のうちにやめていい。咎めないし、それは仕方のないことだと思うから」

 

 もし失敗すれば、リィスは死ぬ。それだけではない、その場合ダイブした人間が偽楽園にとらわれて死ぬ。成功率もあまりよくはないと束は言う。しかし誰も引かなかった。それは各々に目的があるからだ。

 

 暫くの沈黙の後、束は『別に、引いてもいいんだよ』と最終確認というように念を押して、

 

 

「――わかった。君達はどうにも本当の馬鹿らしい。現実的ではなく、確率も低い。不確定要素も多ければ命をかけなくてはならない。にも関わらずやると言うんだから大馬鹿だ。そういう馬鹿は、私は嫌いじゃない。 開始は1時間後、各自それまで心の準備と覚悟だけ済ませるように」

 

 リィスを助けるための作戦、それが開始される。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 リィスを救出するための作戦。一夏、箒、鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ、マドカ、クロエの専用機持ちレベル8人での精神ダイブは作戦名『Alice Re:capture』と名付けられた。束曰くこれには意味があるそうだが、『この意味はもし悪夢に囚われそうになった時、この名前を思い出してみて。そして考えてみて』とだけ言っていた。

 

 作戦開始まで30分。一夏の姿は学園のラボにはない。ISスーツの上に制服を着ると、一度寮の部屋に戻っていたのだ、一夏は。

 

 二人用の寮の部屋。リィスの私物周りやベッドなどは綺麗に整理整頓されているが、所有者を失ったそれらは僅かに埃を被っている。いつも一人ではない部屋。最愛の少女の声があり、付き合う前からずっとあった存在と声は今はない。

 

 一人、たったひとりの部屋の中で一夏はある作業をしていた。それが終わると『…よし』とだけ呟いて、寮室の椅子へと腰掛ける。

 

「……"絶望に抗う勇気と強さを持て"、か」

 

 ふと、呟いたのはそんな言葉。その言葉の後一夏はまるで自身を嘲笑するように苦笑する。

 

 リィスを助ける方法。それを知る代償として一夏が払ったものは大きすぎた。語られたのは、リィスの過去。金色のISの正体。そして……リィス達が追っている、世織計画の正体。

 

 それを語られた時、一夏は絶望に突き落とされた。それは、ある真実を知ってしまったからだ。だから一夏はある覚悟をした。ある決断をした。

 

 きっとそれは、周囲の誰もが許さないことだろう。

 そして、最愛の少女もそれは望まないことだろうと考えた。

 

 それでも、"そうしなくては掴めない"と思ったから。

 

 

 織原ハルト。一夏は、その正体を知ってしまった。

 誰よりも早く、誰よりも最初にたどり着いてしまった。

 

 

 ある種の、確定されたに等しい未来を。

 

 

 けれど織斑一夏は諦めなかった。

 抗おうと思った。そんなもの認めてなるものかと、そう思った。

 

「俺は認めない、俺は諦めない。やっと俺もリィスもここまできて、これからなんだ――」

 

 一夏にはまだ束以外に話していないことがある。それは、一夏の力についてだ。リィスの救出手段、それと同時に手渡された絶望と共にあった、最後の希望とも呼べるモノ。

 

「これから沢山笑ったり、喧嘩したり、泣いたりしてさ。そうやって一緒に歩いきたいって思ってたんだからな。絶対、絶対に助けるからなリィス」

 

 

 チャリ、と音がした。

 

 それは一夏の右腕手首からの音であり、先程まで居たラボでは手首に存在していなかったものだ。

 

 そこにあるのは、白紐のブレスレット。そして――その音は、剣と翼を象ったような、その紐に付けられている"白銀"の装飾物の音だった。

 

 

 

「そのためなら、俺は修羅にも羅刹にでもなってやる」

 

 

 

 覚悟と決意、それが篭った言葉を一夏は呟いた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「作戦は全部頭に叩き込んだね?今回、リーちゃんの精神世界へのダイブにあたりダイブを行う全員には擬似的に偽楽園に感染してもらう。そして感染状態と誤認したリーちゃんの中の本物が君達を襲うだろう。その時、向こう側へのチャンスが出来る。 ……こっちで現世との繋がりは繋いでおく。けど、最悪の場合強制切断して帰ってきて貰う場合もあるから。"向こうにあるのは全て現実に近い幻"。よく、覚えておいてね」

 

 ダイブ装置に横たわり接続準備が完了した全員に対して束は強い口調でそう言った。全員に対して『最後の確認だよ、やめたいなら今のうちだから』と確認。しかし、誰も降りないのを見て溜息。

 

「恐らく、セッシーだけは感染しない可能性が高い。けど、その場合向こうの何かしらの対応をしてくるはず。セッシーには全員のダイブ状況をモニタリングできるようにしてある、何かおかしいと思ったら何をしてでもいい、叩き起こしてあげて。 ……そしていっくん、偽楽園の一番奥でリーちゃんはきっと待ってる。そう束さんは信じたいと思うから」

 

 思わず横たわる頭を起こしそうになり驚きを表したのは箒だ。姉妹だからこそわかる、篠ノ之束が"そう思いたい"や"そう信じたい"というような曖昧の言葉はほぼ使わない。にも関わらず、今迷いなく姉はそれを言ったのだから。

 

 ――少しは、信じてくれているのだろうか。

 

 そう、箒は思った。

 

「……悪いけど、最悪の場合の手段も用意してある。リーちゃん一人と、君達全員の命。天秤にかけた場合どちらが優先されるか、わからない訳じゃないよね」

 

 一人の人間としての判断と、篠ノ之束という研究者であり大人でもある人間の判断は違う。一人の人間としては何が何でもリィスを助けたいと思うし、そのために手を尽くすつもりもある。しかし、研究者。そして大人としての判断は別だ。時に冷酷な判断すら下さなければならない。それが、どれだけ辛かろうと。

 

 リィスの救出に失敗した場合の最悪の事態、それはダイブした全員の帰還不可能という結末だ。『偽楽園』はただの毒ではない。かつて例がないほどに最悪の、最凶と言っても過言ではない毒だ。

 

 確実に相手からの抵抗はある。そして、同時にダイブした全員を蝕もうとするだろう。抗えなければ最後。蝕まれ、偽りの世界という毒に飲まれる。

 

 今回の作戦においての絶対条件は、全員の生存である。今後の局面、亡国機業やこの先の困難に立ち向かうには今リィスわ助けようとしている人間の力は必要不可欠になる。だからこその判断だった。

 

 

「けど、束さんは信じたいと思う。みんながリーちゃんを連れて戻ってくるって」

 

 本来の篠ノ之束からは絶対に出ない言葉。他人を信じる言葉。誰かに期待する言葉。それが形となった。

 

 それは期待であり懇願。その変化は、篠ノ之束という人間にとってはいい変化だったのだろう。

 

「それじゃあ、眠り姫を起こしに行こうか」

 

 束のそんな言葉と同時。作戦が開始され、一夏達の意識は仮想世界へと飲み込まれていった。

 

 

 


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