IS -Rachedämonin Silber- 作:名無し猫
紅の空。その下で一学年個別トーナメント決勝戦が開始された。
開始と同時に動いたのはリィスだ。最初の会話の時にあった感情はその目にはない。まるで殺したかのように無感情の、鋭い目で補足しているのは一夏だ。
加速した。彼女の専用機、ヴァイス・フリューゲルはリミッター状態であっても三世代の中では破格の機動性能を持つ。その性能を最大に活かし、己の得意とする戦い方を使い――加速し、一夏の視界の中から消えた。
それはリィスの得意とする戦い方だ。ある技術をISに応用した戦い方。そして彼女に相対した相手はその種が理解できなければ何をされているのかを理解できない。相手からすればリィスは"消えている"ようにしか見えない。実際、ここまで対戦してきた対戦相手はそれが何なのか理解できず一方的に蹂躙された。
彼女が極めたそれは、ある技術の極意だ。それも、それを知る人間の中でも最上級の人間でなければ会得できないほどの技術。それを得て、彼女はそれを生きる術とした。そして今も、己が好きだと感じた相手に対してそれを用いた。決別するために。
消える。リィスの姿が一夏の視界から消えて、僅か数秒後には距離があった筈の距離はなく、一夏の死角に彼女の姿は存在した。二振りのバルムンク振り上げる。そしてそれを、感情のない目のまま振り下ろした。
振り下ろす瞬間、一夏が彼女には見えない所で――笑った。
「"それはもうなんとなくだけど掴んだ"」
ガキィン、という音が二度木霊した。それはリィスの振り下ろしたバルムンクによる2回の斬撃であり、ぶつかったのは一夏の雪片だ。バルムンクが振り下ろされる瞬間。一夏は空中で白式のブースターを加速させ、その場で左回りに反転するように動いた。同時に雪片を上段へと薙ぎ払う動作で振った。振り、それと同じタイミングでバルムンクとぶつかった。
「嘘、」
「――何だよ、防がれたのがそんなに驚きかリィス? ちょっとは俺のこと認めてくれたか?」
「……冗談。 最初から認めてるよ、君のことは」
「それは光栄だ。 っと!」
受け止めた斬撃をそのまま力押しで振り払い雪片での一閃を返す。が、リィスはすぐに距離を取る。背後に加速しながら同時に左手のバルムンクを量子収納し、即座に五五口径多様性役割大型ライフルソード『シュツルム』を展開しての射撃。
それに一夏も反応する。射撃され、追われる形になりながらもそれを回避し、その中で雪片を中段。刃を横にして構えると――お返しというように、加速した。瞬時加速。その加速と同時に正面からリィスに対して切りかかっていく。だが――その動作を全て、一夏が頭の中で判断するより遥かに速い速度でリィスは理解し、対策していた。
瞬時加速からの斬撃、それがリィスに迫る瞬間。リィスはそれを右手に残ったバルムンクで受け流しながら、空中へと宙返りするような動作でそれを回避。瞬時加速状態で動作が取れない一夏に対して、宙で逆さに見る世界の中――シュツルムの射撃をフルバーストで叩き込んだ。
「見えてるよ、一夏」
「つッ……ああ、"だと思ったよ"」
今の攻撃で一夏のシールドはそれなりに減った。にも関わらず一夏はダメージを受けつつもそんな言葉を返した。思う。今の言葉はどういう意味なのかと。リィスが疑問し、だが同時にシュツルムでの追撃をかけようとする。対して一夏もそれを回避し、また笑ったのだ。
「今ので確信した。 ……勝ち筋は見えた」
「訳のわかんないことを、君は――!」
再び一夏がリィスへと加速した。放たれるシュツルムの弾幕を回避しながらではあるが、それを避けきれずダメージが入る。が、それを一夏は気にしていない。そのまま彼はリィスへと加速する。
無駄だ、とリィスは思った。先程とほぼ同じ行動、そして己には彼の動きが見えているのだ。異常体質。そのお陰で返す手段はいくらでもある、それを行動に移すことも出来る。だからこそリィスは行動しようとした。
そう考えた瞬間――リィスは"斬られた"。
「直撃!? 何が――」
見ればシールドが一気に減っているのが確認できた。それは、あることを証明するものでもあった。リィスが直撃を受けた、それも競技上大打撃に繋がるような一撃を、だ。
(どういうこと?一夏の動きはずっと見ていた。見て、"捕捉し続けていた"。なのに――今私は、何をされた?)
理解出来たのは先程の一瞬でのダメージと衝撃。その衝撃で自分はアリーナの地面へと叩き落される形になり、その途中でなんとか姿勢を制御した。状況を理解しようとして、一夏をリィスは見る。見て、気がつく――彼の白式には、先程までにないものが存在していたのだ。
それは、白だ。白の、機械的ではあるがそれは日本刀の鞘にも酷似していた。そして一夏は恐らく己を斬り、薙いだ雪片をその鞘へと戻し、姿勢を低くするように構えた。
「痛い目見てるかよ、リィス」
◆ ◆ ◆
「……え?今のなんですかあれ」
第三アリーナ管制室。決勝戦の映像を記録している清香とクロエのうち、疑問の言葉を放ったのはクロエだ。そして恐らくその言葉は会場の誰もが、映像を見ている誰もが思ったことだろう。
文字通り"見えなかった"のだ。先程の一夏のリィスに対する一撃は。それは直接見ているリィスや会場の観客、映像としてみている観客にとってもだ。だからこそクロエはそんな理解できない、という言葉を形にした。そしてそれに答える存在が居た、千冬だ。
「クロニクル、居合というものは知っているな?」
「は、はい。居合、抜刀術とも称されるものです。定義上は刃を鞘に収めた状態で帯刀して、鞘から抜き放つ動作で一撃を加えるか相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手にとどめを刺す形や技術を中心に構成された武術。ですよね?」
「そうだ。織斑のあれは、ある人が基礎を教え、そこに私が追加で教えたものだ。……かつて、私が世界最強になるために使用した技術の1つだ」
「それを、織斑さんが会得したと?」
「ああ。といっても、そのために地獄を見て見て貰ったがな? ――正直な話、今の織斑ではエーヴェルリッヒには絶対勝てん。だから秘策を授けた、それが先程のあれだ」
「――神速の居合、確かに一回戦で篠ノ之さんも同じようなことをしていましたよね?」
ISを用いての居合というのは一回戦で箒もやっていた。箒それは、かつて己の父に教わりそれをISへと自己流で流用したものだ。そして、千冬が教えたものについてもルーツは同じ。篠ノ之流という剣術の中の抜刀術だ。
「篠ノ之流という剣術は私にとってもルーツだ。私もかつてはそれを応用して世界最強にまで上り詰めた」
「しかし、リィスが反応できない速度の居合とは……。それに、あの白鞘は何です?確か白式には単一仕様の関係で拡張領域が無かったと思うのですが」
「詳しくは私も知らん。なんでも、織斑が直接倉持技研の第一研究所に頼んだんだと。そしてつい先日白式の『外付装備』として送られてきたのが、あれだ」
「ああ……データありました、これですね。雪片弐型専用鞘『白雪』。鞘の内部にある特殊機構で抜刀時の速度をより高速化。更に摩擦抵抗についてもかなり考えられている構造みたいですね。でも、これだけじゃリィスの反応速度は超えられない筈」
「そこはほら、もうあれだ。あいつの努力と、そして――愛だよ」
「何故そこで愛ッ!?」
しかし、そう言われて清香もクロエもなんとなく納得してしまった。織斑一夏は諦めない、そして今はリィスという目的のためにただ努力し、抗い続ける。IS学園に来てから一夏はずっとそうしてきたのだ。そんな姿を見てきた人間からすれば、努力であれだけの技術を身に着け、その姿で信頼を勝ち取り倉持の協力すら取り付け、そして今――リィスに勝とうとしているのも理解できてしまった。
「今の織斑のあれは、全盛期の私の技術そのものだよ。並大抵の人間には見えん。そして……あいつとて、それにはすぐに対応できないさ」
「なるほど、"未知"だからですか」
「そうだ。わからんものに対してなど、幾ら馬鹿げた反射神経を持っていても理解出来なければ対応できない。そして――更に問題はあるぞ?」
モニターを見て不敵に千冬は笑い、クロエと清香は驚いた。そのモニターの中では、居合の一撃を再び受けたリィスが後ろに撤退を余儀なくされていたからだ。
「『最大の力を最高の速度かつ最善のタイミングで繰り出す』。あいつはそれも既に会得しているのだ。一回戦で見せた、重さを捨てた抜刀状態での鋭い連撃。そして納刀状態からの重く、疾く、鋭いという全てを兼ね備えた一撃。それをあいつは試合の中でより理解し、使いこなしている。エーヴェルリッヒも大概かもしれないが、相当に手強いぞ?今の一夏は」
◆ ◆ ◆
"見えなかった"。真っ先にリィスが冷静になった頭で思ったのはそんなことだった。確実に一夏を眼で捕らえ、その動作ひとつひとつを頭の中で処理できていたはずだ。にも関わらず、接近された後の行動が見えなかった。
そしてそれは、今も尚続いている。とはいったものの、彼女もかなり冷静になり――その正体に気が付きつつあったが。
「がら空きだ!」
「ッ……何度も同じ手は喰わない!」
ショートレンジ。近接の間合いを先程から一夏は維持しようとしている。刀や剣というものには適正距離というものがある。そして、一夏が今使っている居合という技術においてはその適性距離というのはかなりシビアになってくる。
遅すぎれば相手に回避され大きな隙を見せることになる。だが早すぎても駄目だ。その一撃には勢いが乗っており、空振りなどすれば前者同様隙を見せることになる。だからこそ一夏は常に意識を集中させていた。集中させ、"距離に応じて戦い方を変えた"。
正面、ショートレンジ。雪片専用の白鞘、『白雪』から雪片が一夏の加速とともに抜き放たれたが、リィスはそれが見えなかった。だがリィスの判断は速い。見えなくなるまでの手の動きは見えていた。だから、その動きから次の一撃を予測して、居合が来るであろう位置をガードした。
「く、ぅッ……重い!」
そしてその予想は的中した。リィスがバルムンクでガードした位置には一夏の一閃が飛び、鈍く、大きな音が木霊した。防御には成功した。だが、"防御してしまった"。競技ルールにより、シールドが減衰される。それと同時に、あまりにも重い一撃で再び一夏からの後退を余儀なくされる。
白雪に納刀された雪片からの一撃はとてつもなく重い。疾く、鋭く、そして重い。防御してもそれを貫通するほどに鋭く、そして疾い。幾らリィスの技量が高く、並の剣筋や攻撃であれば受け流したりカウンターを入れられたとしても、それは"並の攻撃"での話。一夏の白雪と雪片から放たれる一撃はそんな技術や経験なんてものを全て無視するような一撃なのだ。受ければ重さに体勢を崩し、守ればそれをも貫通してくる。大振りの武器のように動作が遅いわけでもなく、疾い。
対策を練らなければならない。そう判断したリィスは一度撤退を選択した。何より、あの抜刀術の射程に留まるのは危険と判断した。しかしそれを一夏が許さない。距離を取られれば対策される、技術も経験も何もかも無視した一撃の射程から逃れられ対策されること、それは一夏にとっては致命打になる。
白式とリミッター下でのヴァイス・フリューゲルの機動能力に差はほぼない。だから、一夏は追いつこうと思えばすぐに追いつける。逃げようとするリィスを追い、立て直す暇を与えずに一夏は次の一閃を叩き込んだ。
「しつこいよ、一夏!」
「しつこくて結構だ!俺は一度決めたことにはしつこいんだ、絶対に諦めない! ……なんかストーカーみたいだな俺」
「みたいじゃなくて、実際に今そうなんだよ君はッ!」
どれだけ否定しても。どれだけ拒絶しても。本心を告げて尚彼は向かってくる。諦めようとしない。理解出来なかった。どうして彼はそこまでするのかと。どうしてそこまでして、私の拒絶に抗おうとするのかと。
思う。もっといい人が居る筈だ、己なんかよりずっといい人が。一夏だけを見てくれる人が居るはずなのだ。
「なん、で――」
重い一閃。それを回避できないと判断してリィスは再び防御した。それにより更にシールドが減衰するが気にしない。雪片の刀身は長く、刃幅もある。だから中型剣のバルムンク1本でそれを防御するのは不可能で、二本で受け止めるような状態で鍔迫り合いになりながらリィスが放ったのはそんな疑問の言葉だ。
そしてその疑問の言葉は、本来の彼女なら絶対に出ない言葉。自分の本心を殺した彼女なら、絶対に出ない言葉だった。
「なんで君はそこまで私に関わろうとするの!なんで、どうして――私を惑わせるのッ!」
「んなこと、決まってるだろ。お前が好きだからだよ」
「私だって、好きだよ。だけど駄目なんだよ!それを受け入れたら君を傷つける!見てほしくない私を、君に見られることになる!だから、」
「いい加減にしろよ。流石に怒るぞ」
目前。刃をこちらに対して押し返そうとする一夏のその言葉は、明らかな怒気を含んでいた。
「"だからどうした?"言ったろ、俺はとっくにお前に関わる覚悟なんて出来てるって。絶対に逃げないって」
「駄目なんだよ、君みたいな人が――"私なんか"にこれ以上関わっちゃいけない」
「いい加減に、しろぉッ!」
先程より強い怒気を含んだ言葉とともにリィスは押し返された。押し返され、刃の一撃を入れられた。しかしそれにより距離を取ることが出来た。どうしてか一夏は追撃をせず、体勢を立て直して見れば――彼は明らかに怒っていた。
「そうやって最初から決めつけて、見切りをつけて、その癖して誰にも頼らず無理してるのはお前だろうが! そんなの――"最初から諦めてるだけ"じゃねぇか!」
「――それは、」
「結局お前は誰も信じてなくて、頼ろうともせずに。その癖してどうしようもないって諦めてるだけだろ!本当にお前は――それでいいのかよ」
その言葉に対してリィスは反応した。一夏が怒っているように、リィスにも思うことはあったからだ。そして返す言葉は、きっと彼女の本心だった。
「いい訳、無いでしょ」
『限定許可』。そんな言葉をリィスは呟くような声で言った。それと同時、一夏の視界の中で彼女の機体、ヴァイス・フリューゲルの背中の非固定浮遊部位の翼が光り輝いた。そして――文字通り、リィスが消えた。
またあの技法だ。そう思った一夏は、見えた瞬間には対応を取ろうとした。既にリィスのそれについてはなんとなくだが種がわかりつつあった、だから最初の時のように対応すれば――
「"これなら見えないでしょ"」
「な、にッ――」
声と同時に斬られた。それも、死角ではない真正面から。声が聞こえた瞬間、銀の髪と紅の瞳が見えた。それも目前に。懐に入られた瞬間、一夏は反応すら許されずただその瞬間に4回の斬撃を受け、叩き落された。
「じゃあ……私はどうすればよかったの!?君に頼って、誰かに頼って私の都合に巻き込めって言うの!? ――私は、それが一番嫌だったんだよ!だから努力した、慣れるために!頑張ったんだよ、私は!」
一夏が聞いたのは叫びだ。そして、叫びとともにあったのは涙だ。思う、これがリィスの本心だったのではないのか、と。
誰かに頼りたかった。けど、自分の事情で誰にも頼ることが出来ず1人で何とかするために自分を殺し続けた。その殺した中の"リィス"という少女の本心が、見えた気がした。
「辛かったよな」
「……辛いよ、でもそうしなきゃ駄目だった」
「そうか。だったら、これからは頼れよ。俺は少なくとも逃げない、お前の全部を受け止めてやる」
「それは、駄目だよ。……一番駄目な選択だ」
「駄目でもいいだろ。俺がいいんだから」
「――本当、強引だ」
「ああ、俺は強引だぞ。何度だって立ち向かってやる、抗ってやる。そしてお前がそんな弱音吐いたり自分殺そうとするたびに、俺が否定してやる」
真逆だからこそ、一夏にはそういうのはよく見えた。だからこそ一緒に歩みたいと、似ているけど正反対な彼女と共にありたいと望み選んだのだ。己と似ていて、自分にないものを彼女は持っている。そして彼女もまた同じであり、本質的に正反対なのだ。
「私は君ほど強くない。だから……やっぱり、ダメだ」
「それは1人だからだろ。二人でなら、誰かとならなんとかなる。少なくとも俺は、お前の隣に居たいよ」
「――ああ、本当ズルいなぁ君は。ズルくて、我儘で強引だ」
「強がりで分からず屋に言われたくない」
「あはは、そうだね。じゃあ、見せてよ一夏。君の覚悟を、力を。私、自分でも自分がもうよくわかんなくなってるんだ。きっと、君のせいだよ? だから――そうだね、上手く言えないかもしれないけど、こう言えばいいのかな」
視界の中、一夏から見るリィスはどこか消耗しているようにも見えた。"先程まではそんな素振りなかったのに"。
リィスは多少辛そうにして、言葉を作る。それは……一夏に対する、不器用な中で彼女が考えた、形にした言葉だ。
「――助けて、一夏」
それを聞いた一夏の心の中に再び強く炎が宿った。彼は手に力を込めた。白雪を持つ左手に、雪片を持つ右手に。納刀し、構え、覚悟と決意を込めて柄と鞘を握る。
ようやく、やっと聞こえたのだ。彼女の声が、誰かを頼るという、助けてという言葉が。
「ああ、任せとけ。今から俺が本当の"リィス"を助けに行く。茶でも飲んで待ってろお姫様」
「面白い冗談だ。ちょっとだけ、私も本気で行くから。 ――だから、そんな私を倒して迎えに来てよ、王子様」
再びリィスが一夏の視界から消えた。消えたと同時、最初とは比べ物にならない速度で連撃の動作が一夏へと繰り出された。
相対の後半戦。それが開始された。
◆ ◆ ◆
「くっ、疾すぎる――」
明らかに異常だ、そう俺は感じた。元々リィスの専用機の機動力が高いことは知っっていた。だが、これは幾らなんでも異常極まりない。
今のあいつは常に瞬時加速に近い速度で加速している。しかもあいつはこれで"ちょっとだけ本気"と言った。本当、あいつ人間やめてるんじゃって思う。
機体の速度だけではない。あのバルムンクという剣を振る速度、此方のアクションに対する反応速度。何もかもが加速している。どうなっている。そう考えながら再びリィスから斬撃を受け、吹き飛ばされ立て直す暇すら与えられずに射撃される。
(不味いッ!)
超高速での連撃。それを捌ききれず何度も直撃を貰い、シールドがどんどん減っていく。対策しようにもその暇すら与えてもらえない。どうする――
『聞こえるか、"一夏"』
突如として個人間秘匿通信のウィンドウが開いた。そこに映っていたのは千冬姉と、そしてクロニクルさんだ。今千冬姉は俺のことを名前で呼んだ、つまり――個人的な話だろうと考えた。
「聞こえてる、けどあんまり余裕はない! ああもう、ダメだ見えない!」
『……今のあの馬鹿のことで話がある。今のあいつは、本来使うことを禁止している機能の一部を使用している』
「禁止されている?」
『……お前があいつに関わると決めたなら話してもいいだろう。"セラフ・システム"と呼ばれる特殊機構だ。本来これは特別な権限持ちの許可があって初めて使用可能になるものだ。お前も一度見ているだろう、対抗戦の時に――たった数秒で無人機を叩き落としたあいつを』
見ている。あの時あいつは、撃たれそうになった箒に対してまるで瞬間移動みたいなことをして、10秒ないくらいの時間で無人機を叩き落とした。
俺からは何が起こっているのか理解できない状況だった。あの時無人機の腕が斬り飛ばされたと思ったら背後に居て、だと思ったら叩き落されていた。その刹那の間に複数の行動をしているように見えたのだ。
でも確かあの時あいつはその直後。明らかに動きがおかしかった。辛そうに息を切らしていたり、ふらついていたりしていた。ッ……もしかして
「まさか、」
『恐らく推測通りだ。あいつは今その力の一部を無理矢理使っている。 ……とはいったものの、あの時ほどではなく最低限度の性能開放に留めているようだが』
「けど、許可が要るんだろ?誰かが許可したってことか?」
『あいつ自身が一時的に許可したのだろう。あいつも一応は権限持ちだ。だが――その反動は、身体に返ってくる』
「あの馬鹿ッ。そこまでして、そこまで自分を傷つけて――流石に頭にきた」
……状況はかなり不味い。だけど、俺は諦めない。あいつは俺に"助けてくれ"と言ったんだ。
だったら俺はそれに応えたい。応えるために、あいつを倒さなきゃならない。ああくそ、言いたいことが沢山あるんだ。怒りたいこともある、伝えたい事だって。
だから俺は勝つ。けど、どうする――?
このままじゃジリ貧だ。今のリィスはハイパーセンサーでは追いきれず、反応・反射・対応。どの速度をとっても異常だ。
『一夏、あいつが背負っている物は相当に重いぞ?それでも尚リィスに関わるのか?』
「何が言いたい、千冬姉」
『教師としてはあんまり勧められないということだ。あいつを選ぶのは。 ――お前に出来るのか?たったひとりを選択することが、そいつの全てに関わることが。きっと後悔するぞ?苦しむぞ? あいつは、そうさせないためにお前を拒絶しようとしている』
「――馬鹿言うなよ、千冬姉」
そんなこと、解りきっている。
誰か一人を選ぶ?ああ、とっくに選んでいるさ。全てに関わる覚悟があるか?それもあるさ。俺は絶対に逃げない。
後悔する?苦しむ?そうさせないために、あいつは拒絶しようとしている?
――そんなもの、俺は知らない。認めない。選んだただひとりの苦しみの果てにある幸福なんて、糞食らえだ。
「あいつを独りにさせること、それが俺の絶望だ!誰になんて言われようが俺は揺るがない、逃げない。俺が選んだのは"リィス・エーヴェルリッヒ"なんだ」
『……言うようになったな』
「それに、後悔する?苦しむ?んなもん解かんないだろ。俺は一度だってそう思ったことはないッ! 大事な奴が助けてくれって言ってんだ、だったら俺はそいつの、そいつだけの力になる!」
『あいつも馬鹿なら、お前も馬鹿か。ああ、そういえばよく似ているのだったな。 安心しろ一夏、教師としては勧めん。だが……姉としては、あいつを推すぞ?あいつほど尽くすいい女は居ない。ただ、誰かが隣に居る必要があるが ――クロニクル、送れ』
そんな言葉とともに白式にはデータが送られてきた。それは、ISスーツの首元に存在するインテリジェンスタグを通して送信されるバイタルデータだ。送られてきたのはリィスのものであり、表示されるデータのコンディションは『イエロー』。つまり、競技上準危険域という表記だ。それに続いて表示されたのが、ヴァイス・フリューゲルの未公開スペックデータだった。
『禁止しているにも関わらずあいつはお前を拒絶するためにそれを使ってあまつさえ自分を傷つけたのだ。 ……これぐらいいいだろう。一夏、今のあいつは一種の極限状態だ。お前も解るように全ての反応速度が異常、だが――時間経過でそれも鈍っていく。身体に負荷をかけているからだ』
「だから早くあいつを止めないと、」
『ああ、止めなければまた医務室送りだろうな。だがあいつは自分で首を絞めた。そしてそれが、お前が勝つ唯一のチャンスになる ――判断が鈍ってきている今、あいつには必ず隙が出来る。お前のシールドも残り少ない、だからチャンスは一回だと思え。あいつが自分で作った隙、そこに"零落白夜"を叩き込め』
『だが』と千冬姉は続けた
『あいつもそれは理解している筈だ。だからチャンスは一度、そしてそれは刹那的なチャンスになるだろう。そこに零落白夜を叩き込むのは至難の業だ。 ――やれるか?』
愚問だ。それは愚問だぞ千冬姉。
答えなんて、最初から決まってるんだ。
「"やるさ"。あいつを倒して、それで此処から全部始めるんだよ」
通信ウィンドウの中で千冬姉が笑った。そして交代するようにクロニクルさんがウィンドウに出てくる。
『織斑さん、クロエです。 ――私がこういうのも変かもしれませんが、リィスをお願いします。リィスを、助けてください』
それに対して俺は笑って頷いた。通信ウィンドウが閉じられると、息を吸いリィスの連撃を凌ぎながら見る。
確かに、多少ではあるが攻撃が鈍くなってきている。恐らくこれは言っていた負荷というのが原因なのだろう。
あいつは切り札を切った。とてつもなく強力で、自分を犠牲にするような切り札を。けど、甘いぞリィス。
――俺にも一か八かの最後の切り札がある。ぶっつけ本番の切り札が。
攻撃を回避し、なんとか距離を作るとすぐさま追撃が来なかった。だから俺はそれをチャンスだと判断する。雪片を白雪に納刀し、構える。視界の中にはリィスを捕らえているが相変わらず出鱈目な速度でハイパーセンサーが追いきれていない。
「……ああ、全部終わりにしようリィス。そして始めよう」
目を閉じる。これは、ある種の賭けだ。
大会前、特訓をしていた時にセシリアが連れてきた二年生の先輩が居た。サラ・ウェルキン、という人だった。セシリアに戦術指南をしたのはその人で、俺の参考になればと思って呼んでくれたらしい。
サラ先輩には主に遠距離戦について教えて貰ったが、その中である種。雑談のような形で先輩のある技術について話を聞いていた。感覚だけで360度、どの方角にでも存在する遠距離の相手の位置を正確に理解し狙撃するという馬鹿げたもので、先輩は冗談半分にあることを言っていた。
"自分の感覚を信じること。そうすれば、きっと出来ますよ"
今のリィスは追えない、ちゃんと見えない。だから――感覚で掴む。センサーには頼らない。視覚なんてあてにならない。だったら今は、感覚であいつを捕まえる。
目を閉じる。閉じて、その場で位置を固定。
姿勢を低くし、左手に力を込めて白雪を握る。だが、どの方向にでも動かせるように力みすぎない。あいつがどこから来るかわからないからだ。
右手を納刀されている雪片の柄に添える。握りはしない。握ってしまえば斬撃の位置が固定され、それを読まれるからだ。
一度の刹那でいい。一瞬のチャンスでいい。それを逃せば俺はあいつに勝つ術を失う。恐らく、次の連撃でシールドはゼロになるからだ。今の俺は零落白夜を撃てるシールドがギリギリ1回分残っている程度。だから、たった一度のチャンス。
目を閉じ、既にどれだけの時間が経過したのかなんてのはわからない。一瞬なのか、数秒なのか。それとも既に分単位で時間が経過しているのか。けど、動かない。ただ待って、その刹那を待ち続ける。
目を閉じる暗闇の中。頭の中にノイズが走ったように思えた。そして、一瞬見えたものがあった。それは黄金。黄金で剣を持つ、それはまさに――
(ッ……"なんで今あの時のアイツが"!? ダメだ、集中しろ織斑一夏!)
振り払い、再び意識を集中する。何故か、先程よりも感覚は研ぎ澄まされているように感じ、心が落ち着いていた。
そして、それが来た。
敵意を感じた。それは自分の背後。死角からのものだと判断した。
それを感じた瞬間、雪片を握り単一仕様を"納刀したまま"発動させる。
この白雪という鞘は刃の加速機構や居合のためだけに存在しているわけではない。より鋭く、より一撃の重さと速度に特化した一撃。それを単一仕様にも乗せての文字通り"刹那必殺"。零落白夜発動能力の全てをただ一撃、その疾い一撃にのみ込めるという役割をも持つ。
最大出力での一閃。故に、本来なら発動してから一定時間持続する零落白夜はその一撃のみで消滅してしまう。消滅し、一気にシールドが減少する。だから俺は、抜刀状態で零落白夜を発動せずこの刹那に全てを賭けた。感覚で把握するなんてのもやったことがなく、やるしかないという思いだった。
「――篠ノ之流抜刀術奥義『散桜』ッ!」
一撃を放った。抜刀した瞬間、雪片からは白の光が迸り、その軌跡が感覚で感じた位置を一閃した。
俺は小学生の時、一度も箒に勝てなかった。そんな自分が悔しくて、誰にも負けないくらい身につけた技術があった。それが抜刀術、居合だ。当時柳韻さんが居合をしているのを見て、俺は憧れた。そして教えを請うた。
最初柳韻さんは困ったような顔をして子供には難しいと言っていたが、それでも俺は食い下がった。どうしても習いたいと。そして、箒には秘密で柳韻さんに篠ノ之流の抜刀術というものを教えてもらって、それを俺は覚えた。その極地にまで至れるほどに俺は努力した。
けど、抜刀術は本来剣道では使わないものだ。だから俺はそれ以降も箒に負け続け、やっぱり悔しくて挑み続けた。そんな中で柳韻さんが『見てられん』と言って教えて貰ったのが、その奥義。篠ノ之流抜刀術『散桜(ちりざくら)』。
曰くそれ自体はとても簡単だが、ルーツを理解していなければ難しいという。"最大の力を最高の速度かつ最善のタイミングで繰り出す"これに加えて、その中でも最も最善のタイミングで全てをその一閃に乗せる。そうして完成されるのが、この奥義だという。
一閃を放った瞬間、鈍い音がした。しかし今までのものとは違う。何かが折れるような音で、それは2本のモノが折れる音だ。
俺は刀を抜く時、背後に対して右回りに身体を回転させ、そのまま切り抜けた。そして同時にしたのが鈍い音だ。
折れたのは、二本の剣だ。そして折れた刃がアリーナの地面へと落ちていき、量子化されるのを確認した。
「……信じられないな、これは。 本当、夢みたい」
背後から声が聞こえた。それは聞き慣れた声で、俺にとって――大事な想い人の声だ。目を開き雪片を再び白雪に納刀する。同時に、目の前に展開されるウィンドウがあった。それは、試合に関する告知ウィンドウだ。
『織斑一夏"白式"残りシールドエネルギー『30』。リィス・エーヴェルリッヒ"ヴァイス・フリューゲル"シールドエネルギーエンプティ』
数秒。俺は呆けたままだったのだと思う、そしてやっと現状を理解する。俺は――勝ったのだと。一気に気が抜けた気がした。そして、安心もした。
「夢じゃないぞ、現実だ。 ――待たせたなお姫様。ちゃんと迎えに来たぜ?」
「……ああ、私負けたんだ。結構君を拒絶するために頑張ったんだけどな。だけど、」
振り向き、リィスを見た。見ればかなり消耗しており、息も上がっているが――その顔は何処か吹っ切れたようにも見えた。
「君の勝ちだ一夏。 ――君の手を、取っていいのかな?王子様」
どこかふざけたように返されたその言葉。けど、まだ少し迷っているようなその言葉に対して俺も答えを返す。
「そのために此処に居るって言ったろ。勿論だ、リィス」
「……きっと後悔するよ?私に手を伸ばしたことを」
「まだ言うか。そんなもの、俺が決める事だ。 ……言ったろ、俺は諦めが悪くてしつこいんだよ」
「そっか、なんだろう ――凄く、色んな感情が入り混じっててなんて言ったらいいのかわかんないや でも、"ありがとう"一夏」
返された笑顔を見て、一気に力が抜けていく。
しかしそこで『あ、でも』とリィスが言って再び彼女を見れば、意地悪そうな。小悪魔のような笑顔を浮かべていた。
「"まだ相手残ってるよ、一夏"」
「――は?」
思い出す。最初確かに一対一だと宣言して、俺もリィスもそのつもりで戦った。けど思い出す。これはトーナメント"タッグ部門"。もう一人居るのだ、だがそいつはシャルロットが相手をしていた筈――
『ごめん一夏……頑張ったけど駄目だった!』
見れば、友軍情報の欄には『シャルロット・デュノア"ウェンティ"シールドエネルギーエンプティ』と表示されており、その通信を受けて恐る恐るまだ反応がある所を見れば、
「はっ……はっ……。シャルロットの相手はかなりキツかったがなんとか勝ったぞ。さて織斑一夏、勝負的にはお前の勝ちだが――」
嫌な予感がした。俺の白式は残りシールド30。一撃でも貰えばエンプティは確定の状態だ。見れば、ハイパーセンサーの中で東雲が息を切らせながら長大なバスターソードを構えるのが見えた。
「試合的には私達の勝ちだ! 諸々あるがとりあえず置いておいてフリーパスの礎になれぇ!」
「流石に今の状況じゃ無理だろ!?というかお前キャラ変わってないか!?」
理不尽な一撃が俺へと振り下ろされた。結局リィスとの勝負には勝ったが、試合的には向こう側の勝ち。後で聞いた話だが、東雲は結構ガチでフリーパスが欲しかったのだとか。
そんな最終的にはなんとも言えない形で個別トーナメントは終わりを迎える形になった。
けど、これであいつと向き合える。そうなれて本当によかったと、俺は思った。
そんなこんなで第31話 "ありがとう"を想いながら をお送りしました。個別トーナメント決着。そしてこれでやっとリィスも気持ち素直になれて、一夏もそれに応えられる。でもこれでやっとスタートライン、先は長い。
作中ちょっとしたあれがあったり。金色、一体何なんだ。無理矢理セラフを使ったリィスは後日束と千冬さんからこっぴどく叱られました。完全開放してたら命に関わる問題なので保護者の皆様激おこです。
ここから色々物語の根本への話が始まったり始まらなかったり。ともあれ、決着が付いて一番安心しているのは誰なのかなぁとか考えながらの作者のあとがき。
感想などお待ちしております。