『吸血鬼騒動』という、幻想郷に多大な衝撃を与えた紅魔館の面々。パワーバランスの一角を占めるにまで至った彼女たちだが、その人数は多くはない。紅魔館の規模から考えたら少なすぎるほどである。
最近は多くの妖精をメイドとして雇っているのだが、その教育は遅々として進まず、結果数少ない従者が多くの仕事を兼任する事になっている。
燃えるような赤髪を風になびかせ、深緑の中華風の服をまとった女性、紅美鈴もその余波を受けている一人だ。本来の仕事は門番であるのに責めてくる敵がいないので、現在はメイド長のような役目を負っている。今日も足りない調味料などを人里へ買い出しに出掛けている。
「ハァ~……忙しい……これから買い物に行って夜ご飯の準備かぁ……時間が止まれば良いんですけどね……」
愚痴を呟きながら森を歩いて行く。人より丈夫な妖怪であっても疲れを得る事はあるようだ。薄暗い森を歩く足取りも心なしか重く見える。
(こんな時クロエさんがいてくれたら、妖精メイドたちをもっと教育してくれるんだろうなぁ……いや、だめだ。しっかりしなくては。)
「あっ、めーりんだ!! おーい!」
森の奥の方から声が掛けられた。翼をはためかせ飛んできたのは氷の妖精チルノだった。紅魔館の住人が幻想入りする際に付いてきてしまった妖精の内の一匹である。
「おや、チルノちゃんじゃないですか。今日は森の方にいたんですか?」
「うん! これから大ちゃんと一緒に、えっと、なんとかって所に行くんだ!」
どうやらチルノはこれから連れ添って出掛けるらしい。自由な妖精を目の前にして最近のハードワークを顧みる美鈴だった。
「そうですか……私はこれから人里へ行くんですよ。気をつけてくださいね。」
「おう! めーりんも気をつけてな!」
元気よく手を振って飛んでいくチルノ。その様子はまるっきり幼い子供である。
「暇なのが、ああも羨ましいものなんですね……」
どこか疲れた様子で彼女は歩いて行くのであった。
「ありがとうございましたー!」
人里で買い物を済ませた美鈴は街道を歩いていた。両手に荷物を抱え歩くその姿は、とてもあの「吸血鬼騒動」で名をはせた紅魔館の一員とは思えないほどだ。実際、「吸血鬼騒動」で紅魔館の一員は幻想郷の人間を誰一人として傷つけていない。
そもそも紅魔館が幻想入りして幻想郷の主力勢に攻勢をしかけたのは、後の紅魔館の立場を確立する目的が主だった。外の世界で排斥された弱者ではなく、圧倒的な夜の王・
騒動の終了後、こちらにもある程度譲歩された条約が結ばれたのも人間に危害を加えていない事が評価された故である。幻想郷の管理者、八雲紫も何か思惑があったのだろう。
つまり、何が言いたいか。紅魔館の存在は幻想郷の人間にあまり知られておらず、美鈴の様な人里に多く出入りする存在は、むしろ好意的に捉えられていた位なのである。その証拠に、今も彼女はある存在と話をしていた。
「おぉ、これは紅魔館の門番殿ではないですか。」
「慧音さん、そんな堅苦しい呼び方をしなくても美鈴で良いですよ。」
美鈴に話しかけている、長い髪を風になびかせた女性は上白沢慧音と言う名前である。人里の守護者を自負し、普段は人里の寺子屋で教師をしている彼女は、実は半妖であった。
彼女の存在の半分をしめるのは「白澤」と呼ばれる神獣である。為政者にとっての幸運の証である白澤の血を半分受け継ぐ彼女は【歴史を食べる程度の能力】を有している。どうやら、それだけではなさそうではあるのだが。
どちらも中国にルーツを持つ存在として、美鈴と慧音は面識があった。慧音自身は中国産まれではないが、親からきいた話で盛り上がる事もあるようだ。
「美鈴さん、なにやらお疲れの様子ですが……一体どうしたと言うのです?」
「
「うむ、単純に顔色が良くない。動きに疲れが見える。紅魔館は最近、妖精をメイドとして雇ったと聞いたが間違いだったのか?」
「いえ、合ってますよ。ただ、その妖精たちはあまり物覚えが良くないようで……まだまだ簡単な掃除ぐらいしかさせられないですし、むしろ妖精たちの教育という仕事が増えたんです……」
「それは、災難だな……」
顔を曇らす両者。慧音も寺子屋で妖精を教える事があるから、その教育の難しさを知っているのだろう。
「そう言えば、紅魔館の当主は吸血鬼としてはまだ幼い部類だと聞いたが、その、先生のような、家庭教師みたいな人はいないのか? いればその人に妖精の教育も頼んでみれば……」
「――家庭教師は、いましたよ。ただ、今はいないんです。」
「? それは一体どういう……」
「あぁ、ごめんなさい! こんなに油を売っていたらお嬢様に叱られてしまいます! 申し訳ありませんが、これにて失礼します!」
「えっ? あ、あぁ。わかった、気をつけてな。」
足早にその場を去って行く美鈴。その様子はどこか不自然に見える。ひとり残された慧音は少し困ったような顔をした。
「……マズい話題を振ってしまったかもな。こんど茶屋ぐらいおごらなくては、な。」
人里を出て一人歩いていた美鈴は、自身が紅魔館とは逆方向に向かっている事に気がついた。慧音の発した言葉が思いの外胸に突き刺さったのかも知れない。
「ハハッ……何をやっているんでしょうね、私は……」
自嘲気味に呟いたその言葉に応える物は誰もいない。
「……帰りましょう。お嬢様方が待っています。」
「あれ? 美鈴さーん!」
「えっ? あぁ、大妖精さんですか。どうしたんですか?」
「私はチルノちゃんと、無縁塚に行ってきたんですよ。あそこは時々珍しい物が落ちていて、チルノちゃんが今日も『探検だー!』なんて言って。」
「……そんな所に行ってたんですか。気をつけてくださいよ、あそこの付近には風見幽香が現れるらしいですから。」
風見幽香とは、幻想郷に住まう妖怪である。【花を操る程度の能力】と言う実にファンシーな能力の持ち主だが、その実態は莫大な妖力と戦闘能力を誇る幻想郷でも指折りの存在なのだ。
美鈴は過去、風見幽香と拳を交えた事があった。例の「吸血鬼騒動」の時である。その時に彼女は純粋な身体能力、戦闘能力で彼女に敗れたのだった。それも勝てそうで勝てない程度に加減された上で、だ。それ以来、風見幽香の事を苦手に思っている美鈴である。
「幽香さんですか? 今日もお会いしましたよ。でも、別に噂で聞くような酷い事はされませんでしたよ? むしろ、ほら、お菓子もらっちゃいました!」
「……そう、ですか。」
記憶と風評の風見幽香と、目の前の妖精から聞く風見幽香に大きな隔たりを感じるが、特に興味を引くような事ではない。別れの挨拶をし、紅魔館へと帰ろうとしたその時だった。
「そうだ、違うんですよ! その、無縁塚に行ったんですけど、古い本を拾ったんです。特に破れているとかじゃないんですけど、何か日本語じゃないものらしくて。チルノちゃんはいらないって言って放り捨てたんですけど……私、どうしても気になっちゃって。美鈴さんのおうちの魔女さんなら読めないかなって思って。」
そう言って大妖精は1冊の本を取り出した。言葉の通り、古そうな本は表紙なども比較的綺麗な本だった。書いてある言語は日本語じゃない。美鈴も知らない言葉だった。
「ふむ……じゃあ、私が預かってパチュリー様に見せてみますね。また今度、何の本だったか教えますよ。」
「ホントですか! ありがとうございます!」
手にした鞄に本をしまった。それはこの幻想郷の運命も大きく変える事態の始まりである事を、この場にいる誰もが知らなかった。
如何でしたでしょうか?
新章と共に挙げると言っていたイラストですが、もうしばらく掛かりそうです。やっぱり初心者には着色はハードルが高いですね。