「クロエさーん! お手紙ですー!」
美鈴が手紙をもって私のもとへと走ってきた。奥様が死んだあの日から、美鈴はことさら明るく笑うようになった。どこか暗い雰囲気漂うこの紅魔館を少しでも明るくしようとしているという。
「ご苦労様です。宛先はどちらですか?」
「えーっと……ノーレッジとなっていますね。」
私も今や家庭教師だけではなく、使用人全体をまとめるような役割を得ている。あれから幾人かの使用人がここを去って行った。このどこか寂しい雰囲気には、少なくなった使用人の存在もあるのだろう。
「ふむ、何の用件でしょう。旦那様は出掛けておりますし、これは預かっておきましょうかね。」
私がそう言って封筒を懐に入れようとしていた時である。
「どうしたの、先生?」
「あっ、お嬢様!」
お嬢様がやって来た。すっかり雰囲気も変わり、まさに
「はい。ノーレッジ家の方よりお手紙でございます。旦那様がいらっしゃらないので、僭越ながら私が一度預かろうかと思いまして。」
「ノーレッジ……お母様の友人だったわね。……いいわ。私が見る。スカーレット家の長女の私なら問題ないはずよ。」
「それは、そうですが……」
私から半分ひったくるような形で手紙をとるお嬢様。亡くなった奥様の痕跡を求めるようにも見えるその必死さは、我々大人からは涙ぐましいものにも見える。
「……お母様のご友人だった人からよ。産まれた娘が成長したから、是非とも紅魔館に住まわしてやって欲しいですって。」
「それこそ私たちでは判断しかねる問題ですね。旦那様へうかがった方がよろしいのでは?」
「……別にいいけど、どうせお父様は『好きにしろ』って言って終わりよ。」
最近の旦那様は、どこか無気力になっているというか、何か許可を求めたとしても「好きにしろ」と言うばかりである。いまや半分隠居の身となっているので、紅魔館の当主の座はお嬢様に移りつつある。お嬢様は旦那様のそういった態度に辟易していらっしゃるようだ。
ただ、お嬢様が不満に思っている旦那様の態度は、それだけに留まらないのだ。
「お姉さまぁ~。」
「あら、フラン。どうしたの?」
そう、奥様が自らの命と引き替えにこの世に生を為した金の炎、フランドール・スカーレット様についてである。
旦那様はあの日の出来事を引きずっているらしく、まだ妹様が赤ん坊だった頃は使用人に面倒を任せていた。それだけならばそこまでおかしいことでは無い。だが、妹様がある程度成長した最近は、なるべく顔を合わせないようにしたり、食事の際なども一人別室で食事をとったりなど、とにかく露骨に妹様を避けている。最初は何の疑問も抱いていなかった妹様も、最近は父親の自分に対する扱いに疑問を感じているようだ。
「お父様とおはなししたかったのに、お父様どこにもいないの……」
「……お父様は忙しいのよ。ねっ、お姉様とあそびましょ? フランの大好きなお人形さんをいっぱい持って行ってあげるわ。」
「ホントッ!? わ~い!」
無邪気に喜ぶフランお嬢様。これで誤魔化せる内はまだ良いだろうが、いつかは抜本的な改革を行わねばならないだろう。
「じゃあ、先生。居候の件については任せるわ。お仕事を押しつけてばかりだけど、よろしくね? 私はフランと遊んでくるわ。」
「バイバイ、せんせっ!」
「
お嬢様とフランお嬢様は姉妹仲良く手をつないで廊下を歩いて行った。その姿はとても仲の良い姉妹に見える。
「……クロエさん。少し気になることが……」
今まで沈黙を貫いていた美鈴が、いぶかしげに話し出す。
「どうしました?」
「私の能力について、クロエさんは知ってますよね?」
「《気を操る程度の能力》でしたね。しかし、それがどうしたって言うのです?」
「私が普段操る気は、いわゆる
「ほう、そうだったんですか。しかし、それでは私の疑問の答えになっていませんよ?」
「……すこし、言いづらいんですけど、妹様から、何か、狂気に近い何かを、最近感じるんです。」
「狂気、ですか。」
「今すぐどうこうって言うものではないと思うんですけど……クロエさんには知っておいてもらいたくて。」
この時私は、美鈴の言葉をそれほど問題視していなかった。そういった類の負の面は誰しも持っているものであるし、さらにそれが吸血鬼である。抱えている物が狂気であっても違和感を得なかった。
「分かりました。心にとどめておきましょう。貴女もそれとなく気に掛けてください。」
だからこそ、私は、このようなおざなりな言葉を吐いてしまった。もし、ここで美鈴に詳しく探らせるなどしておけば、私がもっと真剣に対処していたら。ありもしないタラレバを惜しむのは愚かなことだが、過去を振り返らずにはいられない。
この場面こそが、回避出来たはずの、破滅への第一歩だったのだから。
それから数日の後、紅魔館に一人の少女が訪れた。長い紫の髪を蓄えた、まだ幼さの残る少女である。
「初めまして、パチュリー・ノーレッジと申します。この度は紅魔館への寄食を認めて頂き、心より感謝申し上げます。私としては……」
「あ~、やめやめ! そんな固っ苦しいあいさつなんていらないわ。パチュリー、この館で住まうならば、貴女はもう私の家族よ。我が紅魔館の立派な一員なの。それに、使用人として仕えるわけじゃないんだから、遠慮なんて要らないわ。私の事はレミィと呼んでちょうだい。親愛の証よ?」
「そう? ならお言葉に甘えるわ。正直、けっこう無理していたのよ。私の事はパチェとでも呼んでちょうだい。その親愛に答えられるように頑張るわ、レミィ?」
お嬢様とパチュリー様の出会いの場面である。ノーレッジ家が自身をもって送り出した箱入り娘、パチュリー様。今わかる限りでも、素晴らしい魔法の素養をお持ちのようである。
ただ、気がかりなのは……
「ところでレミィ。そちらの方はどなた?」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。
「紅魔館の家庭教師、ね。それは素晴らしい知識をお持ちなんでしょうね。ぜひとも語り合いたいものだわ。」
パチュリー様の目が挑戦的に輝く。魔法使いというのは、往々にして自身の知識に絶対の自信を持つものだ。
「やめておきなさい、パチェ。先生には敵わないわよ。だって、先生は悪魔なのよ? 貴女が実家で習った知識や魔法は、先生の方が本家なんだから。」
「えっ!? クロエさんは悪魔なの!? う、嘘、私が全く気がつかないなんて……どこまで高度に擬態しているの!?」
「フフフ、ノーレッジ家の皆様には、同胞がお世話になっております。しかし、私の正体に気がつかないとは、私もまだまだ捨てた物ではないようですね。それか、失礼ながらパチュリー様もまだまだ伸びしろがあるのやもしれません。」
「む、むきゅう……」
パチュリー様は意気消沈したように謎の鳴き声をあげた。流石に年若い魔法使いとは言え、自身の知恵の大元である悪魔相手に勝負をしかけては来ないようだ。
――まぁ、それでも挑んでくる方もいないわけではないのですが。悪魔側がよほど下の位階か、召喚側がよほど強くなければ喰われてしまいますし、ね。
「レミィ、お願いがあるのだけれど、私にどこか、書物が多くある部屋を与えてはもらえないかしら。さっきクロエさんが言ったように、私もまだまだ伸びしろがあるようだわ。」
「そうね、なら、地下にあるお父様の書庫を改造しましょう。あそこなら先生が時々整理もしてくれていたし、打って付けだわ。」
こうして紅魔館に一人の魔法使いの少女が住み着いた。お嬢様も使用人ではない話し相手が出来たことを喜んでいらっしゃるらしい。フランお嬢様も「新しいお姉ちゃんだ!」と、無邪気に喜んでいらっしゃる。
ただ、私が最初に懸念したことは当たってしまった。パチュリー様はぜんそくを患っているらしい。詠唱が必須である魔法使いにとって、それは致命的だ。だが、美鈴の気功治療によって症状はだいぶ抑えられるらしい。その点でも紅魔館に来て正解だったのだろう。
お嬢様を主柱とした、新しい紅魔館の体勢が整いつつある。願わくは、お嬢様の手となり足となる忠実な部下がいれば良いのだが、難しいかもしれない。
あとは、旦那様だけだ。
如何でしたでしょうか?
今回ミスしてしまい申し訳ありません。今後、注意します。