第17話
美鈴が小さくなって、お嬢様が子分を手に入れて、奥様が妹様をご懐妊された事を報告なさったあの夜から、幾ばくかの時が過ぎた。あの時は平凡な一日と称したものだが、こうしてみると実に盛りだくさんな一日であったように思われる。
我ら紅魔館の面々は大きな事件もなく、実に平穏な日々を過ごしていた。霧の湖で出逢った妖精2人とはあれからも交友を続けている。美鈴にも顔通しを済ましたため、お嬢様と遊ぶ際は門や庭で集合することが慣例となりつつある。お嬢様のことを娘のようと言っていた美鈴だが、突然増えた妖精2体のことは新たな娘のように思っているようだ。お菓子などを用意して待っている場面を目にすることも多い。
奥様のおなかは目に見えて大きくなってきた。吸血鬼の妊娠事情は知らなかったが、人間と大差はないようだ。ただ、心配なのは、タダでさえ病弱な奥様が二度目の出産に耐えられるかどうかだ。お嬢様の出産時ですら生死の境をさまよったという。はたして今回は大丈夫なのだろうか?
旦那様も心配そうにしている様子が時折見える。正直我々に出来ることなど心配すること位なのだが、古今東西、男はこの様な場面では無力である。しかし、私は物理的に助けになることは出来る。魔界の技術を流用すれば奥様の身体に傷1つ付けずに妹様を取り出せる。そうでなくとも、
この提案に旦那様は乗り気であったが、奥様が断固反対された。曰く、「自然の流れに沿ってこそ正しい流れが生まれますわ。」とのこと。まぁ、私としては文句はないのですけれど。
――さて、前置きが長々と過ぎてしまいました。私が一体何を言いたかったのかと申しますと、この辺りが私の記憶する、スカーレット家の治める紅魔館の、いわゆる幸せな日常の光景の最後であったからに他ありません。日常篇を占める、とびっきり幸せで、残酷なお話しで御座います。
その日は唐突にやって来た。確か、昼食(夜中)が終わり、各々がそれぞれの時間を過ごしていた辺りだと思う。その時私は偶然にも紅魔館お付きの専属医と話していた。最近お嬢様の具合がよろしくない。何か良い手はないかという相談だった。
医師の方は「貴女は悪魔でしょう? 私よりも知識はあるのでは?」と言う。確かにその言葉はもっともだ。過去、難病を治して欲しいと言う願いを言う人間と、それを叶える悪魔を何例もみてきた。私自身人の病例には詳しいつもりだ。
だが、それはあくまで人間のものに限るのだ。単なる風邪に見えても吸血鬼であるお嬢様は違うかもしれない。そう説明すると医者の方も納得したのか、後で見に行くと約束してくれた。
私が礼を言い部屋を立ち去ろうかとするその時、私が手を掛けた扉が大きな音を立てて開かれた。
「た、た、大変ですっ!!」
「一体どうしたと言うのですか、騒々しい。それでもスカーレット家の
飛び込んできたのは館に数多仕えるメイドの内の一人であった。普段なら使用人として優秀な振る舞いをする彼女らだが、今日は様子がおかしい。何が起きたというのだ。
「あっ、クロエ様! 申し訳御座いません。しかし、一大事で御座います! お、奥様が!」
「奥様が、どうしたのです?」
「奥様が産気づきました! お医者様には至急寝室まで来て頂きたいのです!」
「な、なんと! それは本当なのかね!?」
驚く専属医。確かにとても急だ。しかし、まさか赤ん坊がおなかの中から「産まれますよー」なんと言うわけはない。当然と言えば当然である。
医者はある程度予測は立てていたのか、部屋の隅に置いてあった診察道具一式と、その他必要な道具を持ち慌ただしく準備を始めた。
「クロエ先生、申し訳ないがお嬢様の診察は出来そうもない。すまんな。」
「いえいえ、こればかりは致し方御座いません。私の方からお嬢様にも理由を説明し一緒にいましょう。無理を押して奥様の元へ行きかねません。」
「うむ、すまんがそちらは頼むぞ。」
医者はそう言い残すと急いで部屋を後にした。行く道すがらメイド達に指示を飛ばすのが聞こえる。
――さて、妹様のご生誕ですか。お名前はどちらに決まるのでしょう。私はしっかりお嬢様をあやしておかなくては、ね。
「……う~! あたしもお母様の所へ行きたいわ! ねぇ先生、良いでしょ?」
「なりません。今日ばかりはベッドで大人しくなさっていてください。」
「いじわるっ!」
お嬢様のご機嫌は急角度である。奥様の様子をお嬢様に伝えたところ、案の定「あたし、お母様のところにいくわっ!」と飛び出そうとしたところを捕まえ、ベッドへ運んだのがつい先ほどの事である。絶対に行くと駄々をこねるお嬢様をなだめるのには苦労する。
「でも、あたしに妹かぁ~。どんな娘なのかな?」
私が以前贈った、黒いうさぎのぬいぐるみを抱きかかえながらベッドに寝転がるお嬢様。誰かの前では言わないが、名前を付けて可愛がっているようだ。
「奥様と旦那様の遺伝子を受け継ぎ、かつお嬢様の妹様でいらっしゃいます。玉のように可愛らしいこと間違いありません。」
「それは知ってるわ。……たしか、先生が妹の名前を決めてくれたのよね?」
「はい、僭越ながら。」
「あたしね、不思議なんだけど、なんとなく分かるの。産まれてくる妹の髪は、お父様と同じ金髪よ。根拠はないけど断言できる。夕食のデザートだって賭けても良いわっ!」
「おやおや、では妹様のお名前はフランドールとなりそうですね。」
「ええ、フランね。あたし絶対可愛がってあげちゃうんだから。」
笑顔でそう言うお嬢様。なんとなくだが、産まれてくる妹の髪の色が分かるとは、何かの能力の兆しだろうか。
その時、遠くから泣き声のようなものが聞こえてきた。同時に多くの人々の安堵と歓声。
「ね、先生、今の声って……!」
「はい。おそらく、お生まれになられたかと。」
「~っ! お願いっ! 今回だけ! 見に行かせて! お願いよ、先生!」
――ハァ、仕方ないですね……
「今回だけですよ? ただし、これ以上お体を冷やさないように暖かい格好をなさってください。」
「分かったわ! ありがとっ、先生!」
お嬢様にガウンを着せ、支度をする。お嬢様は一刻も早く向かいたくて仕方がない様子だ。
「では、参りましょうか。」
「ええ、行きましょう!」
さて、妹様のお顔を拝見しますか、ね。
長い廊下を二人で歩き、奥様のいるときいた寝室へ向かう。お嬢様は少し寒そうにしているが、ワクワクの方が勝っている様子だ。
しかし、先ほど聞こえてきた歓声はもう聞こえていない。静まりかえって何やら怪しげな雰囲気である。
「楽しみだわ。あたしの妹はどんな娘かしら?」
「それよりもお嬢様、少し妙でございます。新しいご息女様のご生誕にしては静かすぎます。何か起きていなければ良いのですが……」
「や、やめてよ先生。脅かさないでちょうだい……」
しかし、本当に静かである。何もないと良いのだが……
廊下の角を曲がり、進むと寝室に到着する。すると扉の前に使用人達が集まっていた。しかし、その雰囲気は明るい物ではなく、むしろどこか沈痛なものである。
「……みんな、どうしたって言うの?」
「分かりません。しかし、何はともあれ中に入らせてもらいましょう。」
私たちは使用人達に声をかけ、その人垣を割っていった。みな、どこか沈んだ顔をしている。
「おお、クロエ先生。それにお嬢様も……」
専属医の先生がこちらに気がついた。この人もまた明るい顔をしていない。
「医者殿、妹様は?」
「妹様は無事に産まれましたとも。ほら、向こうのベッドに寝かせておる。今は落ち着いて寝ているがの。」
「本当!?」
お嬢様が喜び勇んで駆けていく。私もそれに続く。
おくるみに包まれた妹様の髪は、まだ生えそろっていないながらもしっかりと金色をしていた。名前はフランドールで決定だろう。
「わぁ~! すっごい可愛いわ! やっぱり合っていたわね、名前はフランよ。」
「ええ。流石でございます。」
お嬢様はしばらく離れそうもない。その間に私は、この場を包む妙な雰囲気について尋ねる。
「医者殿、妹様の誕生にしてはこの場の雰囲気はおかしいようですが、何かあったのですか?」
「う、うむ。それはじゃな……」
言いよどむ専属医。何か言いにくいことがあるのか、お嬢様の方をチラチラと見ている。そして覚悟を決めたように小声で話し出した。
「すまんが、お嬢様の前では言いにくい。部屋の外で話さんか?」
「……かしこまりました。」
連れだって部屋の外へ向かう。使用人達には各自の持ち場へ向かうように指示を出す。
部屋の外へ到着し、話をしようとしたその時、門番をしているはずの美鈴がものすごい勢いで走ってきて、私に詰め寄った。胸ぐらをつかまんとするほどの勢いで話し出す。
「ど、どういうことなんですかクロエさんっ!! お、奥様がご危篤って!? 何があったんです!?」
「……なんですって?」
如何でしたでしょうか?
私は正直このような暗い話は苦手なんですけど、頑張って書いていこうと思います。
ご意見ご感想などあれば、どうぞ。