しかし、ここで私はあることに気がついた。深紅さんの(彼女はマダム・レッドと呼ばれているらしい)執事の姿が見当たらないのである。従者が姿を消すことぐらい、何ら怪しい事は無い。
――そう、それが只の人間であるならば、だが……。
おそらくセバスチャンも気づいてはいるのだろうが、一切そのような身振りは見せない。何かしらの契約を主と結んでいるのだろうか。私が思案している内に、伯爵が見事子爵の側へ近づくことに成功した。すると、驚くべき事に、子爵自ら伯爵の下へ近寄っていき声を掛けてきたではないか。すると、セバスチャンは飲み物をとってくると言葉を残し、その場を離れた。そして、何処へ向かうのかと悠長に眺めていると、こちらへ向かってくるではないか! 視線を一切こちらから背けはしない。
――あぁ、これは確実にバレていますね……
私が苦笑していると、とうとう彼がこちらの下へたどり着いた。
「この様な場所で会うことになるとは、実に奇遇ですね。クロエ?」
彼の方が身長が高いせいか、笑顔に影がかかり圧迫感が凄まじい。
「……クロエ? 誰の事でしょう? 私はそのような名前ではないですが……。」
「しらばっくれても無駄ですよ。いくら貴女相手とはいえ、私がこの距離で見間違える事はありません。それで、どうしてこの様な場所に貴女がいるのです?」
寒気がするような笑顔を向けて問うてくる。気のせいか、背後に黒いオーラのようなもの見える。ごまかせは出来ないようだ。
「……ハァ。バレてしまいましたか。お久しぶりですね、セバスチャン?」
「貴女にはいくつか聞きたいことがありますが、それは後で纏めて聞くとして、少しお願いしたいことがあります。」
「私に、ですか? それは一体?」
「そこにいらっしゃる私の主である坊ちゃ……いえお嬢様が見えるでしょう? 私の予想だとすぐ側にいるお嬢さんが迫ってくるはずなんです。彼女が誰かは、どうせ知っているのでしょう?」
「ええ。知っていますよ。私が妨害すれば良いのですか?」
「いえ、それよりも此所に書いてあるものを用意して頂きたいんです。」
そう言って彼は紙切れを渡してきた。内容を伺って見ると、およそ話と噛み合わないラインナップがそろっているが、しかし彼のことだ。面白いことをしてくれるのであろう。
「クッフフフ、わかりました。すぐに用意しますよ。」
「お願いします。積もる話はまた後ほど。」
私は話が終わるとすぐに行動に移る。リストの物品を用意し、彼に渡すと遠くから様子を観察する。丁度ダンスが終わり、
――おや、お嬢さんが駆け出しました。一直線に伯爵の下へ向かっていきますね。伯爵から見れば、さしずめ(社会的)死を運ぶ機関車と言った所でしょうか。
私が半笑いでその様子を眺めていると、突如、大きな箱と共にセバスチャンが降ってきた。私の用意したものを携えて。そして彼は大きな声で、マジックの開催を宣言した。
セバスチャンによる手品も盛り上がりを見せていた。今は丁度、自分の入った箱を鎖で縛り、剣で刺して欲しいと糸目さん(
「破ァアアアァ!!
その後も素人にはまるで見えないレベルで箱を串刺しにしていく。周りの目が集中しているのをいいことに私は爆笑してしまっていた。
――エンリョなくって遠慮なさすぎでしょう!? あれはわざとなんでしょうか? いくら我々悪魔といえど、いきなり脳天を刺されては痛いはずなんですが、セバスチャンは無事なんでしょうか?
私が期待しながら見ていると、鎖が音を立てて解かれ、中から傷一つ無い姿のセバスチャンが現れた。周囲から割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。それに笑顔で応えるセバスチャンと、なぜか劉さん。しかし、私は見逃さなかった。
――曇りのない笑顔に見えますが、あれは痛いのを我慢していますね。やはり、いきなりの脳天への一撃は堪えたのでしょう。私もあんなの御免ですね。
道具を片付けがてらマダム・レッドと会話をするセバスチャン。そして、ホールの片隅で笑いをこらえていた私の下へやって来た。
「フッフフフ、あれは痛そうでしたねぇ? セバスチャン。」
「悪魔といえど、あれは痛いですよ。何はともあれ、ご協力ありがとう御座いました。……それで、私のことをどうやって嗅ぎつけたんですか? クロエ?」
「魔界にいる小悪魔に探らせたんですよ。そして街を歩いていたら葬儀屋にたどり着きましてね。報酬と引き替えにあなた方の情報を頂いて、王立聖バーソロミュー病院で張っていたら貴方を見つけたんですよ。あとは尾行して、潜入です。」
「……貴女の能力は本当に厄介ですね。あのとき感じた違和感は貴女のでしたか。全く……」
「それよりも――」
奥へと続く扉を一瞥しながら、私は言葉を続けた。
「貴方のご主人様は放置で良いのですか? 何やら怪しいオオカミさんに連れて行かれましたが?」
「ええ。今は薬か何かで眠らされていますね。しかし、大丈夫ですよ。」
そう言って彼は手袋を外して、手の甲を見せてきた。そこにあったのは悪魔の契約印だ。我々のような悪魔同士や、対人外ならばいらないが、人間相手の時は重宝するものだ。
「これがある限り、坊ちゃんを見失うこともありません。なにせ、坊ちゃんの契約印は右目に刻印してありますからね。」
「それはまた目立つところに入れましたね。あぁ、だから眼帯をしていたのですか。」
「そういうことです。ところで――」
セバスチャンは笑顔を顔面に貼り付けながら言葉を吐き出してきた。
「これから貴女はどうするんですか? よろしければ屋敷へいらっしゃいますか?」
――100%の社交辞令ですね。内心を言葉にするなら、『(知ったことではありませんが)これから貴女はどうするんですか? よろしければ(すぐに帰れ)屋敷へいらっしゃいますか(まさか頷かないだろうな)?』と言った所でしょうね。
「……いえ、折角ですが私も召喚されている身でしてね。バレてしまったからにはすぐに帰らせてもらいますよ。」
「そうだ、貴女を召喚する物好きは何処のどちら様なんですか?」
「ルーマニアの方にいる吸血鬼様ですよ。そこで私は家庭教師をしています。」
「貴女が家庭教師、ですか……。しかも、契約主は吸血鬼……。まぁ、頑張ってくださいね。」
「ええ。では、早速私は帰りますよ。よろしければ今回の顛末を手紙なんかで教えて頂けると嬉しいのですけどね。報酬は人の魂で如何です? 空腹なんでしょう?」
私はニヤッと笑いながら顔を近づける。セバスチャンはいやそうな顔をしてかぶりを振った。
「結構です。“手紙ぐらいは送って差し上げます”から、すぐにお帰りください。」
「“分かりました”よ。相変わらずつれないですねぇ……。あぁ、そうだ。最後に一つだけ。
私が笑いながら問いかけると、彼も笑いながら答えた。
「勿論です。今頃娼婦に真っ赤な化粧をしてあげている頃合いでしょうね。」
「気づいていながらそれを主に伝えないのは何故なんです? 執事なら主のために行動するものなんじゃないですか?」
「いえ、坊ちゃんが私に命じたのですよ。『お前はぼくの“力”であり“手足”であり“駒”……全てを決め選び取るのは自分だ。その為の“力”となれ』とね。駒はプレイヤーの命令を只聞くだけ。『
「ふぅむ、そんなものですか……。貴方の矜恃は分かりました。それでは、今度こそ帰りますよ。さようなら、セバスちゃん?」
私はそう言うと彼の顔を両手で包み、彼の口にキスをした後、全速力且つ、能力全開で逃げ出した。あっけにとられた顔をした彼だが、これ以上は見ていられない。追いかけては来ないだろうが、捕まったら最後だ。
――さて、最後に彼の愉快な顔も拝めましたし、これで帰りましょう。契約しましたし、手紙はキチンと送ってきてくれるはずです。……でも、しばらくは警戒しておきましょうか。
ロンドンの闇の中、私は少しだけ後ろを気にしながら、お嬢様の下へ足早に駆けていった。
如何でしたでしょうか?
今回の話で英国散策篇は終了となります。次回からは少しの日常篇を挟み、話を動かしていきたいと思います。
では、しばしお待ちください。