ドラゴンクエストⅢ 時の果てに集いしは   作:ゆーゆ

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迷い猫

 

「待ってくれ。こちらに敵意はない。その魔物とやり合っていただけなんだ」

 

 膠着状態に陥り掛けた頃、初めに口火を切ったのはアレル様だった。アレル様は手にしていた剣を腰の鞘に収め、身構えていたジル様を制止するような素振りを見せる。するとジル様もアレル様に倣い、両手を上げて溜め息を付く。

 

「ヤヨイちゃん。それ」

「あ、はい」

 

 ジル様の視線に頷きで返し、足元に置かれていた二振りの鞘を拾い上げる。金属とは程遠い軽さに戸惑いを覚えつつ、そっと歩を進めると、女性は剣を逆手に構えたまま、警戒心露わな目で私を見詰めていた。

 どうか斬り捨てられませんように。内心怯えながら、努めて平静に振る舞う。

 

「どうぞ。とても素敵な剣ですね」

「……あ、ありがとう」

 

 ややあってから、差し出した鞘が受け取られる。すると女性は二本の剣と鞘をそれぞれ器用に操り、カシャンと小さな音が鳴った。その流れるような手付きを見ただけで、相当な手練れであることが窺えた。

 胸中で感嘆の声を上げていると、アレル様が一歩前に進み、未だ警戒を解いていない様子の女性に声を掛ける。

 

「よし。まずは自己紹介といこうか。俺はアレル。こっちがジルで、彼女がヤヨイだ」

「あ……え、と。タバサ、です。タバサといいます」

 

 鞘に刻まれていた文字列を思い起こす。タバサ・エル・シ・グランバニア。当たりを付けていた通り、あれは持ち主である女性の名を示した物だったようだ。

 互いに名乗り合った後、タバサさんの視線が後方の亡骸―――アレル様により身を焼かれ、微動だにしなくなった魔物の成れの果てへと向いた。食い入るようにまじまじと見詰め、大仰に首を傾げながら再度口を開く。

 

「あの……ご、ごめんなさい。こ、ここは一体……わ、私には、何がなんだか」

「分からないってところかしら。安心して、私達も同じよ」

 

 まるで説明のしようがない中で、恐らく四人の中で唯一の繋がり。今し方この場で何が起きたのかが、分からない。

 不思議と冷静でいられるのは、混乱のあまり表情が目まぐるしく変わっていくタバサさんのおかげだろう。その狼狽振りは私達の比ではなく、居た堪れない。外見は同年代のはずが、まるで迷子の少女のようだ。きっと当たらずとも遠からずに違いない。

 

「あー、そうだな。とりあえず、先にやりたいことがある。詳しい話は後回しでも構わないか?」

「はあ」

「こちらとしても緊急事態と言っていい状況でね。この場の対応を優先したい」

 

 緊急事態。一体何事かと考え掛けたのは一瞬だった。アレル様の声色が、事態の深刻さを抱かせた。

 唐突に降り立った脅威は去れど、この大陸でも有数の観光地として名を馳せるナジミの塔に、邪悪な魔物が前触れなく顕れたのだ。何もなかったはずの、無の空間から。

 あまりに恐ろしいその事実が、何を意味しているのか。そして―――この女性は、一体誰なのだろう。

 

 

_______________________

 

 

「「トヘロス」」

 

 二重に展開した聖なる結界が、塔を囲むように描かれたジル様特製の印によって増幅され、塔全体を覆っていく。ジル様曰く、並大抵の魔物なら触れることすらままならない障壁が、一週間以上も持続するらしい。目にはぼんやりとしか映らずとも、魔物にとっては近付くだけで命取り。まずは一安心といったところだろうか。

 

「城へ行って事情を説明してくる。周辺はすぐに兵士達で固めた方がいいな」

「ダーマ神殿にも一報を入れておきなさい。私が見たガルナの塔の光も、何か関係があるのかもしれないわ」

「了解……ジル。彼女のこと、任せてもいいか?」

 

 アレル様が声を潜めて言った。ちらと後方を見ると、タバサさんはやや離れた位置で、周囲を見渡しながら一人佇んでいた。

 状況が状況なだけに、無関係とは思えない。魔物と同じくして姿を見せたあの女性が、今回の件に関わっている可能性は大いにあり得る。慎重に事へ当たる必要があるだろう。私を含め、意見は合致しているようだ。

 

「ヤヨイもジルの手助けをしてやってくれ。君の『力』が、きっと役に立つはずだ」

「はい。アレル様もお気を付けて」

 

 今後の予定を確認し合った後、アレル様は先んじてルーラの呪文でアリアハン城へと飛び立つ。するとジル様が振り返り、ゆっくりと歩を進めていく。私も後に続いてタバサさんの下へ近寄り、ジル様の第一声を見守った。

 

「さてと。何から話せばいいのやら……とりあえず、剣は抜かないで貰えると助かるわ」

「それは、ごめんなさい。気が動転してしまって。もう、大丈夫です」

「まあ無理もないわね。まずはお互いに話をする必要があると思うけど、こちらからで構わないかしら?」

 

 タバサさんが首を縦に振り、ジル様が掻い摘んで語り始める。

 と言っても、話せることは限られていた。私達はアリアハンの住民で、ここ最近に街で流布する妙な噂の真相を確かめるべく、このナジミの塔を訪ねた。そして行き着いた先で、タバサさんが光の中から顕れた。直後に魔物も。事実を並べるだけなら、左程時間も掛からなかった。

 

「急に貴女が姿を見せたことに、私達も戸惑っているのよ。ここまではいい?」

「私が……は、はい。大丈夫です」

「そう。なら次は、貴女の話を聞かせて貰える?」

 

 返事はなかった。タバサさんは一度振り返り、結界に覆われたナジミの塔を一瞥した後、険しい表情のまま告げた。

 

「私は、グランバニア王国の人間です。目が覚めたら―――」

「待って」

「え?」

「ぐら……グラン、バニア?」

 

 会話が途切れ、ジル様の頭上に疑問符が浮かんだ。するとジル様から問い掛けるような視線を向けられ、私は首を振って応えた。

 聞くまでもないだろうに。世界各地を点々とするジル様に覚えのない国名を、私が知っている訳がない。以前の私はアリアハンすら知らなかったのだ。

 

「グランバニア……ごめんなさい、聞いたことがないわ」

 

 グランバニア王国。確かに聞いたことがない。各大陸の主要国なら、アレル様と共に一通り訪ねたことがあるけれど、その中にグランバニアという名の国はなかったはずだ。つい最近になって設立された国なのだろうか。

 考えを巡らせていると、ジル様がやれやれといった様子で言った。

 

「立ち話もなんだし、私達も一旦アリアハンへ戻りましょ。折角だから、冷たい物でも奢るわ」

 

 ジル様の提案に、無自覚だった空腹がやって来る。言われてみれば昼を過ぎているし、食事時ではある。

 タバサさんは物憂げな表情を浮かべながら、アリアハンの方角をぼんやりと見詰めていた。彼女が私達と同様、アリアハンの名を今日初めて耳にした事実を知ったのは、それからすぐのことだった。

 

 

_______________________

 

 

 ジル様のルーラで街中に飛び、向かった先は酒場『ルイーダ』。五代目の店主であるルイーダさんの名を看板にした酒場は、昼時は食事処として繁盛をするのが常だ。

 ジル様を先頭に店内へと入り、空いていたテーブル席に座ると、男性店員の一人がトレーを抱えながら注文を取りに来る。

 

「日替わりのフルーツを三つ。それと、最新の地図を貸して貰える?」

「地図?大陸のですか?」

「ううん、世界地図。陸土と国名が全て載っている物があったわよね」

 

 ジル様の妙な注文を訝しみつつ、店員がカウンターの奥へと戻っていく。書き入れ時を過ぎた店内に客の姿は少なく、私達を含め数人しか見当たらない。ルイーダさんは厨房で調理中、或いは休憩に入っているのだろう。

 

「タバサ。もう一度、話を聞かせて貰えるかしら」

「……はい」

 

 テーブルを挟んで向き合い、改めてタバサさんの話に耳を傾ける。

 グランバニアは東の大陸に位置する、山脈に囲まれた王国。タバサさんはそのグランバニア出身で、長年に渡り故郷で暮らしていたのだという。

 ナジミの塔で目覚める前の記憶は鮮明に残っていた。昨日の夜更け過ぎ、普段と変わらずにベッドに入り就寝し、目が覚めると―――眼前には、私達がいた。それ以上でも以下でもなく、本当にただそれだけ。前後にまるで繋がりがない、青天の霹靂とでも言うべき事態だった。

 

「混乱するのも当たり前ってわけね。心中お察しするわ」

「妙な話ですね……ジル様、一体どういうことなのでしょう」

「そうね。一応、似たような前例がなくもないわよ」

「「えっ」」

 

 私とタバサさんの声が重なる。思いも寄らない返答に驚く私達に対し、ジル様は淡々と二つの実例を並べた。

 一つ目は、とある商人が見舞われた悲劇。商売品を馬車で運んでいる道中、不運にも魔物の群れに遭遇する。馬を走らせて逃げ惑うも、鬼面導士のメダパニで正気を奪われ、挙句の果てにバシルーラの呪文で強制的に遠地へと飛ばされてしまった。混乱から覚めた頃には、見知らぬ土地で立ち尽くしていたらしい。

 二つ目も似たようなケースだった。取引先から仕入れた装飾品の中に、強力な呪いを掛けられた巻物が紛れていた。呪いにより真面な判断が付かなくなった商人は、港に泊まっていた船に忍び込み、密航という形で海を越え、知らぬ間に遠い地で保護されたのだという。

 いずれにも共通しているのは、正気を失っている間に遠地へと渡ってしまったという点だった。数奇が重なれば、あり得ない話ではない。

 

「タバサさん。何か心当たりはありますか?」

「そう言われても……それらしい物は、ないとしか」

「んー。確かに、毒気や呪いの類は微塵も感じないわね」

 

 物は試しと言わんばかりに、ジル様が眼前で印を組む。呪文の発動を待たず、可能性は却下となった。ジル様のシャナクやキアリーに引っ掛からないのなら、タバサさんは正常だと言っていいだろう。そもそもの話が、彼女は塔の頂上で放たれた光の中から顕れたのだから、少なくとも通常の移動手段やバシルーラとは異なる何かが関わっていると考えた方がいい。

 ともあれ。何かしらがタバサさんの身に起き、この地にやって来てしまったことだけは確かなようだ。

 

「原因は気になるけど、優先すべきはグランバニアに帰ることね。その認識であっているかしら」

「それは、はい。きっと家族も心配していると思いますから」

「そう。でも貴女、ルーラが使えるはずよね?」

 

 目をぱちぱちとさせるタバサさん。ジル様が言うのだからそうなのだろう―――と、当たり前に受け取ることができるのは、この人を深く知る人間に限られる。光栄なことに、私もその一人だ。

 世界の理を識り、全能に最も近いと称される大賢者による指摘に対し、タバサさんは怪訝そうな面持ちで首を縦に振った。

 

「確かに、ルーラの呪文なら……あの、どうして分かるんですか?」

「その話はまた今度。問題なのは、何故『使えないのか』ということね。貴女さっき、何度か試していたでしょう?」

「……はい」

 

 いつの間に。段々と私も話に付いていけなくなっている。少し落ち着こう。

 

「えーと。タバサさん、どういうことですか?」

「私にも、よく分からないんです。グランバニア以外にも、何度か試してはみたんですが……呪文自体に問題があるというより、記憶に靄が掛かるみたいに、何処も駄目で」

「目的地との繋がりが上手くいっていないようね」

 

 成程。ルーラの呪文なら、原因は私にも理解できる。

 ルーラを正しく発動させる際に求められるのは、使い手と行き先の繋がり。自身の手で目的の地に刻んだ印はそれをより強固な物にするし、魔鉱石や呪文具の類も同様の効力がある。

 そして何より『記憶』が重要だ。生まれ故郷のように馴染みが深い地なら、最もルーラを成功させ易い。タバサさんにとっては、グランバニアが当て嵌まるはずなのに―――どうやら事はそう簡単に運ばないらしい。

 

「こんなこと、初めてです。何度も使ってきた呪文なのに」

「まあまあ落ち着いて。これ、冷えていて美味しいわよ」

 

 困惑するタバサさんをジル様が宥めていると、テーブルに三枚の皿が置かれた。盛られていたのはアッサラーム地方で有名なフルーツ。食べ易いよう一口サイズにカットされていて、見るからに冷えている。女性に人気の日替わりメニューの一つだ。

 

「こちらが地図になります」

「ありがとう。助かるわ」

 

 同時に注文の品である一枚の地図が、ジル様の手に渡った。旅人や商人が使う実用的な物ではなく、各大陸全土を見下ろすことができる世界地図。皿をテーブルの隅に引いて、ジル様が中央に広げた。

 

「グランバニア王国というのは、どの辺りにあるんですか?」

「えーと……少し待って下さい」

 

 タバサさんが地図と睨めっこを始める。一方のジル様はフルーツを堪能しながら、私の肩をとんとんと叩いて問い掛けてくる。話の内容は、私も考えていたことだった。

 

「ねえヤヨイ。キメラの翼、最近見た?」

「いいえ。粗悪品を時折見掛けるだけですね」

 

 ルーラの魔力を秘める、老衰したキメラからのみ採取される翼の羽根。魔物の数自体が減少の一途を辿る昨今、入手は困難と言っていい。稀に出回っている紛い物は狩猟された個体の翼であることがほとんどで、決まって質が悪い。バシルーラを自分に使うようなものだ。

 

「お城に相談してみますか?緊急用の物が残っているかもしれません」

「女王様に個人的なお願いをするのは、ちょっと……タバサ?」

 

 ジル様の声に、はっとする。地図を凝視していたタバサさんの顔色が、一層濁っていた。私達の視線に気付いたタバサさんは、表情をそのままに言った。

 

「あの……もっと広い地図は、ありませんか」

 

 身を乗り出して、地図を覗き込む。北方と南方で一部、見切れている部分は確かにある。けれどそれはグリンラッドとレイアムランド地方程度で、人間が暮らせるであろう陸地は全て地図に載っているはずだ。

 

「充分に広い地図だと思いますよ。グランバニア、載っていないんですか?」

「いえ、その。この地図は、いつの物ですか?」

「はい?」

「グランバニアどころか、テルパドールやポートセルミに、ラインハットもっ……こんな地図、見たことがありません。大陸の形も全然違います。何か、変です」

「待って、タバサ」

 

 聞き慣れない単語の数々が並んだ直後、取り乱し始めたタバサさんをジル様が制止し、その視線が私へと向いた。込められていた意図は、すぐに理解できた。

 

(……どういうこと?)

 

 彼女は『嘘』を付いていない。今し方の発言には、一つも嘘が含まれていない。タバサさんは真剣に、この地図はおかしいと感じている。目を見れば、私には分かってしまう。

 頷きで返すと、ジル様が冷静な声で言った。

 

「この地図は国が発行した正式な物よ。国印もある。主要各国で共有している最新の世界地図なの。間違いがあるはずがないわ」

「で、でも」

 

 何かを言い掛けて、タバサさんは声を飲み込むように口を噤んだ。すると店内を見回してから椅子を引いて立ち上がり、声を張った。

 

「すみません。グランバニアという国をご存知の方は、いませんか?東の大陸にある、チゾット山脈に囲まれた城塞都市の、グランバニアです」

 

 少しの静寂が訪れた後、ぽつぽつと声が上がる。しかしどれもが似たり寄ったりで、「城塞都市って、エジンベアのことか?」「山脈に囲まれてんならサマンオサだろ」といったような呟きが店内に流れていく。少なくとも、タバサさんが求めているであろう返答は見付からなかった。

 

「……失礼しました」

 

 居た堪れない空気の中、肩を落とした様子のタバサさんが再度席に着くと―――チャリン、という小さな音が耳に入る。金属同士が鳴らす音。出処はタバサさんの腰の辺り。見れば、紐で縛られた小振りの布袋があった。財布だろうか。

 同時に、奇妙な点に気付く。タバサさんの身に何が起きたかは定かではないけれど、これは少し不自然だ。

 

「あのー。お話を伺った限りでは、ご自宅で就寝された後に何かが起きたようですが、そのお姿でベッドに入られたのですか?」

「え……あっ」

 

 すぐに私が言わんとしていることを察してくれたようで、タバサさんが自身の出で立ちを改めて確認していく。

 寝間着ではないだろう。どう見ても余所行きの服装だし、テーブルに置かれた財布と思しき袋には硬貨が入っていた。自宅で剣と共に眠りへ付いたとも思えない。

 これはどう受け取るべきか。就寝前後の記憶が曖昧なのか、それとも。判断に迷っていると、ジル様がテーブル上の財布を指差して言った。

 

「それ、見てもいい?」

「これを……はい。でもこれ、ただの財布ですよ?」

 

 了承を得てから、ジル様が財布の中から一枚の硬貨を取り出す。

 まるで意図が掴めないジル様の行動を訝しんでいると、ジル様は硬貨の表裏を真剣な面持ちで見詰め、それを私へと差し出してくる。

 

「見てみなさい」

 

 言われるがままに受け取り、親指と人差し指で硬貨を縦に持ち、まじまじと見入る。五百ゴールド銀貨―――と思われたそれは、よく似た『何か』だった。

 

「……何ですか、これ」

 

 銀貨の周囲には『Glanvania』の綴りが円状に三つ並んでいて、中央に立派な王冠が刻まれていた。黒ずんだ汚れや細かな傷から判断して、かなりの年季物だ。王冠の下の数字は造られた年号かもしれないけれど、それもおかしな話だ。各国特有の元号はあれど、貨幣には『精霊歴』を使用するという大前提がある。

 

「な、何ですかって。もしかして、初めて見たんですか?」

「初めて、と言いますか。勿論銀貨は身近な物ではありますけれど……これは、初めてです」

「待って下さい。分かりません。五百ゴールドですよね?」

「それはこっち」

 

 返答に困っていると、ジル様の横槍が入る。右手にはジル様の路銀と思しき銀貨が置かれていた。ジル様が受け取るよう促し、タバサさんが二枚の銀貨をそれぞれ見比べ始める。

 

「気を付けなさい。この国では『偽造』した時点で罪になるの」

「……それも、よく分かりません。何を言いたいんですか」

「使おうとしたら、もっと重い罪になるわよ」

「っ……そんなはず、ない」

 

 駄目だ。考えるよりも前に、身体が動いていた。財布を片手に店員の下へ向かおうとしたタバサさんの腕を取り、足を止める。振り払われそうになり、容赦なく力を込めて踏ん張りを効かせると、明確な怒気を孕んだ声を向けられた。

 

「放して下さい」

「気を悪くされたのなら謝ります。ですがジル様のお話は本当です。ここ最近貨幣の偽造が問題視されていて、新たな法の影響で取り締まりも強化されているんです」

「これが偽物だって言いたいのっ?」

 

 一室に響き渡る叫び。途端に店内がしんと静まり、複数の視線が集まる。

 このままでは埒が明かない。私は先程手渡された銀貨を手に、タバサさんに代わってカウンター越しに立った。男性店員に無言で差し出すと、数秒後に首が横に振られた。

 

「……ですよね」

 

 当たり前の反応を受け取り、振り返る。唖然として立ち尽くすタバサさんは、感情を隠し切れていなかった。そのどれもが本物であると、私には理解できてしまう。

 彼女は今、心底傷付いている。祖国の誇りに傷を付けられたかのような、衝撃と動揺。重苦しく陰鬱な空気を身に纏ったタバサさんに、躊躇いつつも声を掛ける。

 

「これ、お返しします」

 

 銀貨を掌に乗せたタバサさんは、視線を落としたまま力なく呟いた。

 

「お手洗いに、行ってきます」

「それならあちらに。ご案内します」

「大丈夫です。一人で、いけます」

 

 この場から逃げるように、しかし重い足取りで店の奥へと進んでいく。そのまま消え去ってしまいそうな小さい背中を見送り、周囲に「お騒がせしました」と頭を下げてから、席へと戻る。

 

「ジル様、どうしてあんな言い方をされたのですか。怒って当然です」

「敢えてそうしたのよ。彼女、本気だったでしょう?」

「それは……はい。確かに」

 

 憎まれ役を買って出たようだ。結果としてタバサさんは、怒りを剥き出しにして食い付いた。しかしこれでは益々分からない。

 貨幣の発行を認められた国は数えるぐらいしかない。グランバニアという国で、銀貨が製造されているなんて話は聞いたことがない。店員の反応は然りなのだ。

 

「現時点では私にもさっぱりよ。正直に言ってお手上げだわ。まるでアレルガルドに迷い込んだ地上人ね」

 

 対面のジル様は腕を組みながら、テーブルに置かれた銀貨を見詰めていた。

 タバサさんが何者で、何処から来て何が起きたのか。分からないことだらけの状況の中、私が考える頼りの綱はジル様しか見当たらない。そのジル様が匙を投げてしまっている。それ程に異様な―――アレフ、ガルド?

 

「アレフガルドっ……じ、ジル様。もしかして、タバサさんはアレフガルドの!?」

「それはないわね」

 

 唐突に降り立った閃き。と思いきや、間を置かずに否定を示される。思わず身を乗り出して立ち上がったせいで、椅子を背後に倒してしまっていた。今日は嫌な視線ばかり集めているような気がする。

 地下世界アレフガルド。公にはされていない、この地上とは全く異なる別世界。その存在を知る者はアレル様やジル様をはじめ、主要各国の一部に限られている。私も話でしか聞いたことがない。

 

「私達も身に覚えはあるのよ。見知らぬ世界で一ゴールドすら使えない……初めは苦労させられたわ」

「なら、タバサさんも同じなのでは?共通点も多いですし」

「グランバニアなんて王国はなかったの。さっき彼女が口にしていたのは国や街の名前だろうけど、どれも聞いたことがない。それに……」

「それに?」

「ううん、何でもない。とにかく、このまま彼女を放っておく訳にもいかないわね」

 

 何かを誤魔化された感が否めないけれど、言わずもがなだ。

 一連の出来事の真因を探る必要はあっても、考えるべきことは他にもある。既に午後の十五時を回る頃だし、あまり時間も残されていない。

 

 

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「改めまして。ヤヨイ・クシナダと申します。今年で二十二になります」

 

 ルイーダの店先で慇懃に挨拶し、頭を上げてタバサさんと向かい合う。やはり顔色が優れない。返事に困っている様子も窺えたので、思い当たる節について触れた。

 

「変な名前ですよね。故郷が辺境の島国なので、このアリアハンでも珍しいとよく言われますよ」

「いえ、そうじゃなくって……グランバニアの、タバサです。二十二なら、私と同い年ですね」

 

 差し出された右手をそっと握り、握手を交わす。未だ警戒心のような物を感じるのは無理もない。それだけ異様な立場にあるということだ。

 

「同い年なら、そう畏まらないで下さい。敬称も結構です」

「……それなら、貴女もそうして貰えると助かるわ」

「あー。それは、難しいですね」

「え?」

「幼少の頃から、そうしてきたといいますか、育ちといいますか。これでも頑張っている方なのですが……ううん」

「フフ、別に無理にとは言わないわよ。その感じ、何となく分かるわ」

 

 説明するには長話になってしまうし、今この場で私の身の上を語っても仕方ない。

 ともあれ、ぎこちない笑みではあったけれど、タバサさんの表情が少しばかり緩んでくれた。今思えば、これが初の笑顔かもしれない。この女性にはこちらの方がよく似合っている。

 

「タバサさん。原因はどうあれ、貴女が見知らぬ地に来てしまったことに変わりはありません。私達にできることがあれば、仰って下さい。力添えは惜しみませんよ」

「そ、そんな。ご馳走になった上に、これ以上お世話になる訳には」

「いえいえ。こうして出会えたのも何かの縁ですから」

 

 ナジミの塔に顕れた魔物の件を含め、アレル様にはやるべきことがある。ジル様も各地の書庫を回り、真相究明と解決の糸口を探すと言っていた。私にもできることはある。取り急ぎタバサさんに必要な物は、安らぎだ。

 

「まずは私のお部屋に行きましょうか」

「えっ」

「と言っても、アレル様のご自宅にある離れです。狭いですが、使用人の身には余るぐらいですよ。今晩は是非泊まっていって下さい」

「え、で、でも」

 

 無一文では早々に野宿をする羽目になってしまう。そろそろ夕飯の支度も始めなければならないし、今日のところは早めに戻り、身体を休めた方がいいだろう。

 

「気が引けるようでしたら、そうですね。お代は頂きます」

「……グランバニアの貨幣しかないわよ?」

「フフ、充分です。さあ、行きましょう」

 

 私は遠慮をするタバサさんの手を引いて、街中を歩き始めた。同い年の同性と手を繋ぎながら歩くのは、初めての体験だった。

 

 

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 アレル様邸の敷地内には、こじんまりとした来客用の離れがある。恐れ多くも、普段は私が使っている一室だ。英雄には不釣り合いな母家と同じく、決して大きくはないけれど、寝泊りをするには充分に広い。ベッドも二つあるから事足りるはずだ。

 

「今冷たい物を出しますから、休んでいて下さい」

 

 きょろきょろと室内を見回すタバサさん。反応から察するに、部屋に入って感じた温度の低さを不思議に思っているのだろう。

 

「ねえヤヨイ。すごく涼しいけど、氷でも置いてるの?」 

「半分正解ですね。氷河魔人の欠片のおかげです」

「ひ、氷河魔人?」

 

 キメラの翼と同様で、息絶えた氷河魔人の氷粒には不思議な効力がある。溶けるまでに要する時間が途方もなく長いのだ。とりわけこの時期は足が早い食材の保管に役立ってくれる。保管庫に置いておくだけで一石二鳥。アレル様が発見したというとっておきだ。

 よく冷えた水をコップに注いでいると、タバサさんの関心は別の所へ向いていた。大きめの本棚に収めていた、私の宝物だった。

 

「すごい本の数……これ、全部ヤヨイの本?」

「借り物もありますが、大体はそうですね。さっきも言いましたけれど、故郷が閉鎖的な島国だったので、学ぶことが沢山あったんです」

 

 全体の二割は娯楽目的の物語小説等々。残りは全て教養を身に付けるための物だ。使用人としての給金を貯めて、少しずつ数を増やしていき、七年間。今では棚を自作しなければならない程の量になっている。また整理をしないと後々面倒そうだ。

 

「読んでもいい?」

 

 興味津々なタバサさんが、一冊の本を手に取る。史学に関する少々厚めの文献を、ぱらぱらと捲っていく。

 

「それは最近購入した物ですね。文面が硬くて面白みは……タバサさん?」

 

 凍り付いたように、タバサさんの動きが止まっていた。

 それからタバサさんは、一心不乱に文献の文章をなぞり続けた。夕食後に、身体を拭いている間も。声を掛けることすら憚れて、私は見守ることしかできなかった。

 

 

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「んん……」

 

 微睡から覚めて、目元を擦る。部屋はまだ薄暗いけれど、光があった。ゆっくりと半身を起こすと、鮮明になっていく視界に、小さな背中が映る。

 まだ起きていたのか。物音を立てないようベッドから出ると、私の様子に気付いたタバサさんは、ひどく申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 

「ごめん、起こしちゃった?」

「いえ、自然と。寝付きが悪い体質なんです」

 

 見え透いた嘘を並べてから、壁の時計を見やる。日付が変わり、午前一時。こんな時間に目が冴えるのはいつ以来だろう。

 上着を羽織り、タバサさんの向かい側に座る。アレル様は今晩城で過ごすとジル様から伝え聞いているから、朝は遅くてもいい。たまには深夜の静寂を楽しむのも悪くはない。

 

「眠れませんか?」

「……まあね」

 

 タバサさんは多くを語ろうとしない。けれど、テーブルに積まれた本の冊数を見れば、大体は察してしまう。そのほとんどが史学や地学に関する文献だった。

 

「先に謝っておくわ。正直に言うと、ずっと疑ってたし、まだ信じられない。ヤヨイ達の言葉に、あの地図も、この本も全部間違いだって思ってる」

「私も似たようなものですよ。タバサさんが何者なのか、まるで見当が付きません」

 

 お互いにくすくすと笑い声を漏らす。タバサさんの笑みには、自棄や悲観が込められていた。それでも今は、笑った方がいいに違いない。吐き出せば、気が楽になってくれる。

 

「本当に、不思議ですね」

 

 どんな感覚なのだろう。知らない歴史に、知らない大陸。知らない世界。容易に一晩を共にすることができるというのに、決定的な違いがそこやかしこから溢れ出てくる。想像を働かせることすら叶わない。私がアレフガルドに降り立ったら、同じような立場になるのだろうか。

 

「でも、少しは眠らないと。身体に障りますよ」

「……うん」

「或いは、一杯やりますか?」

「うん?」

 

 果実酒が入った戸棚の方を指差し、酒盛りを持ち掛ける。とても得策とは言えないけれど、ラリホーの呪文に頼るよりかは余程健康的だろう。以前に福引の景品として当ててから置きっ放しになっていたし、ある意味ちょうどいい機会だ。

 

「それは、流石に……。でも、まあいっか。やっぱり頂くわ」

「ではすぐに準備しますね」

 

 躊躇いを見せながらも、タバサさんは私の誘いに応じてくれた。

 戸棚から瓶を取り出し、比較的綺麗なコップと一緒にテーブルへ並べる。酒一本では胃に障るので、軒先に吊るしていた干し肉を数切れ小皿に盛り付ける。ルイーダで出されるような料理と比べれば質素極まりないけれど、まあよしとしよう。

 果実酒を注いだコップ同士を鳴らして、一口含む。景品に出されるだけあって、質の良い芳醇な香りが広がっていく。久方振りの味を堪能した後、私は何とはなしに話題を振った。

 

「ふう。タバサさん、ご結婚は?」

「まだ。相手が見付からないの」

「タバサさんなら引く手数多だと思いますが」

「そんなことないわよ。ヤヨイは?良い人はいないの?」

「曲がりなりにも仕える身なので、今はそういった感情を控えています」

 

 私なりに考えての縛りの一つだ。使用人として仕える上で、色恋は業務の支障にしかならない。と、言えば聞こえはいいけれど、タバサさんと同じく相手がいないというのが正直なところではある。

 

「ふーん。ヤヨイって、兄妹はいるの?」

「一人っ子です。タバサさんは……待って下さい、当てて見せます」

「五、四、三、二―――」

「お姉様か、お兄様?」

「ん、まあ正解かな。双子の兄がいるわ。レックスっていうの」

 

 早々にタバサさんのコップが空になったので、二杯目を注いだ。タバサさんは椅子の背もたれに背中を預け、窓がある方角に視線を向けた。月明かりとランプの灯に照らされた横顔には、微笑みが浮かんでいた。

 

「ねえ。変な話をしてもいい?」

「どうぞ。何でも聞きますよ」

「レックスはね、天空の勇者って呼ばれていたわ」

 

 干し肉を取ろうと伸ばしていた手が、皿の上で止まった。

 天空の勇者。神聖さと偉大さを思わせる肩書き。私はアレル様を連想しながら、話の続きに耳を傾けた。

 

「こう見えて、剣の腕には自信があるのよ。でもレックスには一度も勝ったことがないの。何度も手合せしたけど、一本も取れなくって。全然ダメ」

 

 双子と言っても、男女の差があるのだから仕方ない。そう口にするのは躊躇われた。理由は分からないけれど、遠い何かを見据えるようなタバサさんの目が、漠然とそうさせた。

 

「タバサさんは、お兄様に勝ちたいのですか?」

「どうだろ。初めはそうだったのかもしれないけど、最近はよく分からないかな」

「……上手くいっていないという訳ではないようですね」

「あはは。兄妹仲はいい方だと思うわよ」

 

 一方で、不思議と距離が埋まっているような感覚があった。酔いの影響か、赤の他人だからこそ気楽に明かせるのか。恐らくタバサさんは今、本音に近い部分を露わにしている。それならこちらも、同じ物で返すのが礼儀だろう。

 

「私も、変な話をしても構いませんか」

「何?」

「私って、他人の嘘が分かるんです」

「え……ね、ねえ。それ、どういう意味?」

「そのままの意味ですよ。私には、分かるんです」

 

 明確な自覚を持ったのは、確か十歳の頃だ。生来の感覚ではなく、ある一時を境にして、私の目と耳は言葉の裏側を覗くことができるようになった。

 勿論、万能という訳ではない。意識していないと判断を下せないし、対象は主体的な嘘に限られる。それに、あまり気持ちのいいものではない。時に必要な嘘があることは理解しているけれど、意図に反して他者の内面を盗み見てしまうことだってある。

 

「ともあれ、タバサさんはとても誠実な方です」

「私が?」

「私達と出会ってから、貴女は一度も嘘を言っていませんから」

「私は……そんなことない。余裕がなかっただけよ」

 

 タバサさんは小声で答えると、テーブルに置いた両腕に顔を埋めるような姿勢を取った。と言うより、突っ伏してしまった。これは嫌な予感がする。

 

「あの、タバサさん。もしかして、お酒に弱い方でしたか?」

「んん……そんなに飲んだことないけど、多分」

 

 一杯半でかなり酔いが回っていたようだ。もう遅い時間だし、心身共に疲弊し切っている影響もあるのかもしれない。気分が悪くなる前に、眠りに付いた方がいいだろう。

 

「この辺でお開きにしましょう。片しておきますから、ベッドに入って下さい」

「うん……そうさせて貰うわ」

「ちなみに明日の朝は―――え?」

 

 不意に、耳が反応した。小さな嘘。今し方の何処かに、嘘がある。

 意表を突かれ、思わず振り返ると、頬を赤らめたタバサさんが立っていた。

 

「ラリホー」

 

 

_______________________

 

 

 断続的な浅い眠り。金縛りと息苦しさ。夢と現実を行ったり来たりの繰り返し。

 

「うぅ……ん、はぁ。んん?」

 

 はっと目を覚まして、まず呼吸が乱れていることに気付く。衣服が湿っているのは、全身に浮かんだ汗のせい。飛び起きると、額から粒になった汗が頬に流れていく。 

 頭が重くて、思考が鈍い。口内に気持ち悪さを感じ、水を飲もうとベッドから立ち上がる。テーブルに置いていた水差しに手を伸ばすと、傍らに一枚の紙切れが映った。

 

「あっ……」

 

 段々と昨晩の記憶が蘇っていく。起床の気怠さは酒のせいではなく、呪文による強制睡眠。紙切れには、達者な字で短い文面が綴られていた。

 

『ありがとう。それに、ごめんなさい。初めに出会えたのがヤヨイ達で、本当に良かった』

 

 テーブル上には紙切れの他に、数枚の銀貨が置かれていた。私は一枚一枚を手に取り、その金額を合計した後、再度ベッドへと寝転がった。

 

「……多過ぎますよ、タバサさん」

 

 一晩の宿代が三千ゴールド。釣り銭を返そうにも、その相手が見当たらなかった。

 

 

 

 

 


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