FC版では壷を調べるなんて発想がなかったので……。
―――死にたくない。それだけを願いながら、私は大壷の中で、恐怖に身を震わせていた。
ヤマタノオロチ様への贄。皆を救うための人身御供。身に余る光栄だと己に言い聞かせど、慟哭は鳴り止まない。全てを捨て去る覚悟は、灼熱と暗闇を前にして、脆くも崩れ去ってしまっていた。
甘かったのだろう。結局私は生贄の祭壇から逃げ出し、我を忘れて走り去った。洞窟を出て、人目を避けるように集落の外れにある地下倉庫へ飛び込み、大壷の中身と入れ代わりに身を隠した。あれからどれぐらい時間が経ったのか、その感覚すら失われていた。
(死にたく、ない)
死にたくない。死にたくない。生き永らえなくてもいいから、死にたくない。故郷を、大切な人を守りたいのに、それでも私は、まだ死にたくない。
本物の死に迫られた者にしか理解し得ない感情。底なしの恐怖。後悔の暇もなく、ただひたすらに怖くて―――地下倉庫に降り立った者の足音に、私は気付いてすらいなかった。
「ちょっとアレル。こんな場所に何の用があるのよ?」
「いや、その。声が聞こえた気がしてさ……誰か、いるのか?」
「……え?」
絶望の淵から私を救い出してくれたのは、紛うことなき、勇者様だった。
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キッカケは何かと問われれば、やはり二年前。あの出会いがそうなのだと思う。初めて目の当たりにした異国の人間が、この世界を光で照らすことになる、英雄だったという小さな奇跡。勇者の名が世に知れ渡った時、私は全てを悟った。
いつしか私は、外の世界を知りたいと感じるようになっていた。海の外を知りたかった。ジパング―――『黄金の国』なんて大仰な呼び名もつい最近になって知った―――で暮らすだけでは知り得ない、触れることができない世界達。
あの日。暗く狭い壷の中から這い出た時のように。抑え切れない憧憬に身を任せて、ともかく外へ。願いが現実となったのは、今から二ヶ月前のことだ。
(……お父様、元気にしてるかな)
目を瞑れば、故郷を発った日のことが鮮明に思い出される。私を溺愛していた父は、最後の最後まで泣き止んではくれなかった。幼馴染の男の子も、一時の別れを惜しんで目を腫らしていた。
無理もないと思う。魔王が討たれたことで海に巣食う魔物が激減し、『ぼうえき船』と呼ばれる船がジパングを度々訪ねるようになったことを機に、ものの数日で決心した旅だ。我ながら無鉄砲と言わざるを得ない。
ともあれ。ああ、本当にそうなんだ。今でも信じられない。願いは成就し、私はこうして『アリアハン』の城に―――
「こら、ヤヨイ!何をぼさっとしてんだい!?」
「は、はい?」
女将さんの怒声で、現実へと引き戻される。そうだ。私は今、仕度中の身だった。
「今は猫の手でも借りたいぐらいなんだ。新人らしくしっかり働きなっ」
「も、申し訳ありません」
立ち込める熱気。じゅうじゅうと肉が焼ける音。ぐつぐつと煮え立つ汁の湯気。ひっきりなしに人が出入りをする広大な厨房―――アリアハン城で振る舞われる食事の調理場が、今の私の居場所だ。
「そこの酒樽を『会場』に持ってっておくれ。お前さんなら持てるだろ」
「畏まりました」
見れば、厨房の出入り口付近に木製の樽が数個置かれていた。中に酒が入っているのだろう。ここへ来て早々に気付かされたことだけれど、私が拾われた理由の一つは、きっと故郷の習わしにある。
「ふんぬっ」
「……頼もしい限りだよ。下手な野郎共よりもね」
女と女子の違いは、米俵を背負えるか否か。というか、米俵一つ持てなくて何が女か。幼少の頃から当たり前のように教わってきた概念は、このアリアハンには存在しない。私は両肩に樽を一つずつ抱えて、厨房を後にした。
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海を渡る上で、私なりの覚悟はあった。食い扶持を稼ぐためなら、どんな仕事でも構わなかった。けれど、新天地に着いて早々に、私は路頭に迷うことになる。
聞き覚えのない単語、見慣れない建物、奇妙な出で立ちの住人達。眼前に広がる別世界に、何処へ向かえばいいのか、何をすればいいのかがまるで分からなかった。
それが今はこれだ。深く考えずとも、天恵と言っていい。私を拾ってくれた女将さんには、どんな言葉を並べても感謝し切れそうにない。恩返しをするためにも、しっかりと働かなくては。
「左、ですよね」
樽を担ぎながら、だだっ広い通路を慎重に進んでいく。
今では幾分慣れてきたけれど、アリアハン城の内部は本当に広い。女王様の宮殿がいくつも入りそうな程に巨大な城が、何故倒れずに保っていられるのか未だに分からない。
「……あれ?」
待て、落ち着こう。左で間違ってはいないはずだ。いや、その前を右だったか。いやいや、違う違う。いつもの食事場ではなくて、宴用の大広間だ。そもそもの目的地が間違っていた。
溜め息を付いて踵を返そうとすると、見知った女性が前方から歩いて来る。驚きと一緒に、安堵が胸に広がった。
「あら、ヤヨイちゃんじゃない」
「ルイーダ様。お久し振りでございます」
「あー、そういう堅苦しいのはいいから。パスパス」
「はぁ」
城下町の外れに佇む、酒盛りができる食事処の女主人ルイーダさん。私が城の厨房に勤めることになったそもそものキッカケは、この女性が与えてくれた物だ。女将さん同様、私にとっては恩人に他ならない。
「ルイーダさま……ルイーダさんも、今回の宴に?」
「まあね。でも流石にお偉いさんの前じゃ、一服し辛くって。その帰り道。ヤヨイちゃんは今日も仕事中?」
「はい。この酒樽を会場へ運ぶよう言われていまして」
「会場はあっちでしょう」
「……知っています」
精一杯の強がりを見せて、元来た道へと引き返す。含み笑いをするルイーダさんも、私と横並びになって続いた。
私の予想通り、ルイーダさんは大広間で催されている宴の客人として招かれた身だそうだ。酒が入ると煙草が吸いたくなる、というよく分からない欲求を満たした帰りに、私とバッタリ出会わしたらしい。
「さーて。もう少し飲ませて貰おうかしら。折角だし、ヤヨイちゃんも参加したら?」
「そ、そういう訳には。でも……一つ、聞いてもいいでしょうか」
「なに?」
「どうして、『今日』なんですか?」
宴の開催が決まった時から、抱き続けてきた疑問。ここ数日は忙しさのあまり、誰にも問えず仕舞いになっていたけれど、ずっと不思議に思っていた。
何を隠そう、宴の目的は『魔王バラモス』の脅威が去ったことにある。勇者様の手により魔王が討伐されたことで、地上に生きる私達人間は、怯えるばかりの日々から解放された。魔物達はその多くが凶暴性を失い、人の在り方は変わりつつある。もう一年前の出来事だ。
そう、一年以上も前なのだ。勇者様の偉大なる所業と功績を称えるのは然りとして、何故今更になって大騒ぎをするのだろう。日程が急だったこともあり、文字通り猫の手を借りたいぐらいに厨房は混乱の真っ只中だ。愚痴をこぼす者も少なくはない。
「それはね。アレル達の凱旋を祝おうとした、一年前のあの日に……不幸があったからなの」
「不幸?」
私の問いに対し、ルイーダさんは神妙な面持ちで返し始める。
城に勤める兵士らが総出になって勇者様御一行を出迎えた、その時。複数の落雷が、アリアハン城を襲った。犠牲者は二十名超に及び、残された者達はやがて訪れるであろう平穏を垣間見る暇もなく、悲しみに明け暮れてしまう。筆舌に尽くしがたい悲劇だった。
「だから王様は、敢えて祝いの場を用意しなかったのよ。公式には色々な祭典や催しがアリアハンで開かれたし、諸外国との付き合いもあったけどね。でも本当の意味での凱旋祝いは、今日が初ってこと」
「そんなことが……」
漸く合点がいった。
亡き者を尊び、慎ましく後生を願う。国は違えど、死別に関する考えや捉え方は共通しているのだろう。この国で暮らす人々にとっては、今日という一日が新たな節目になるのかもしれない。
「っていうのは全部建前。本当はね、終わっていなかったの。何もかも」
「え……え?あ、あの」
「ふふ、冗談。ほら、着いたわよ」
最後の付け足しを訝しみながら、そっと背中を押される。目の前の一室は、希望と光で満ちていた。
「うわあ……」
溢れんばかりの人の顔。純白の上に整然と並ぶ豪勢な料理。見たこともない楽器が奏でる壮大な音。この世の幸せと呼べる物の全てが入り混じり、まるで一つの生命体かのように蠢いている。
ことある毎に故郷と比較をしがちだけれど、規模が違い過ぎる。眩くて仕方ない。こんな光景を、私は未だかつて見たことがなかった。
そして―――輪の中心に、あの人はいた。
「勇者様……」
モルドム・ディアルティス・アレル。特別には映らない。言葉にしてしまえば、四つだけ年上の男性だ。あの方が世界を救った英雄だと言われても、何も知らない者にとっては世迷言にしか聞こえないだろう。きっとそれが、勇者様の魅力の一つに違いない。
それにしても、どうしたのだろう。隣で大らかに笑い声を上げているのは、この国を統べるアリアハン王。勇者様も笑みを浮かべてはいるけれど、ひどくぎこちない。困り果てているようにも見受けられた。
「やれやれ。王様にも困ったものね」
「どういうことですか?」
「要するに、王様は褒美を取らせたいのよ。お金とか権力とか、そういう分かり易い物をね。でもアレルは無欲な子だから、当然受け取るつもりはないの。それでも諦め切れない王様が用意したのが、あれ。選りすぐりのメイド達って訳」
勇者様の傍らに並ぶ、壮麗な女性達。段々と目が慣れてきた私にとっても、大変に艶やかな同性に映る。一人一人特徴は違えど、ある一点においては全員が同じだった。
「メイドって言っても分かんないか。身の回りの世話をする使用人。分かる?」
「侍女のようなものでしょうか?」
「まあ、間違ってはいないわ。当然アレルは断るつもりでしょうけど……完全に押されてるわね」
容易に想像は付いた。身近に一例があったからだ。私を育ててくれた女性は、女王様に仕える侍女として、宮殿で暮らす日々を送っていた。身を粉にして、全てを女王様に捧げていた。
それなのに。結局あの人は報われず、父とも結ばれず、挙句の果てに―――
「あっ」
不意に、肩が軽くなる。何かが落下した音に続いて、ごろごろと床を転がっていく小樽。血の気が引いて、私は一瞬呼吸を忘れた。
「あ、あ、ちょ、ま、待って!」
待つ訳がなかった。小樽は勢いをそのままに、宴の会場を突き進み始める。人ごみを押し退け、誰の足にも当たることなく、私だけが泣きそうになりながら後を追う。
問題ない。小樽は真っ直ぐに転がるだけだ。逃げ出した鶏を捕まえる役目は、いつだって私だった。躊躇うな、飛べ。
「とりゃっ」
前方に腕を伸ばしながら飛び込み、小樽を掴み掛かる―――まではよかった。思いの外に床面が滑りやすく、腕に抱えた小樽諸共、私は料理が置かれた机へと突っ込み、盛大な音が大広間に鳴り響いた。
やがて訪れる深い静寂。ああ、終わった。全部終わりだ。きっと私は追い出される。勇者様を称える場を台無しにしてしまった私に、居場所なんて残りはしない。
「だ、大丈夫かい?」
「痛たたたた……え?」
絶望感に浸りながら半身を起こすと、既視感を抱いた。
「うん?あれ、確か君は……」
二年前。暗い深淵の底に落とされた私に、手を差し伸べてくれたように。勇者様は再び、私に光を与えてくれた。
キッカケは何かと問われれば、それはやはり二年前。故郷での出会いに他ならない。けれど、私の生き方が、私を取り巻く世界が変わったのは、アリアハン城での再会。あの瞬間から、全てが変わった。
そして時は流れ―――更に『七年後』。私が二十二回目の誕生日を迎えた頃。再び、世界が変わる。現世と未来が交差をして、いくつもの世界同士が重なり合い、やがて私達は、運命の歯車に翻弄される。