興味があったら読んでみてください。
興味がなくても読んでみてください。
冬も終わりに近付き、春の兆しが道の端にも見受けられるようになってきた3月のとある日。その青年、稲葉 良次(いなば よしつぐ)はとある場所に向かって歩を進めていた。目指す場所は、良次も昔あったことのある遠い親戚の家である。最近地元の中学校を卒業し、高校生になるタイミングで三門市に引っ越してきた良次が、色々とお世話になったお礼とこれからの挨拶も含めて訪問しようとしているのだ。
その親戚からの紹介によって住み始めたアパートを出て、歩くこと10分。そろそろ目的地が近付いてきたかな、と良次が思い始めた頃、通りかかった一人の女性に目を奪われた。
良次がこれから通うことになっている高校の制服に身を包むその女性は、年の頃は恐らく彼よりもひとつかふたつ上といった風である。茶色のショートヘアは利発そうな印象を与えるものの、立ち振舞いからは上品さが幾重にも滲み出ている。目鼻立ちも整っており、百人に聞けば、余程のひねくれ者がいない限り百人が美少女と答えるであろう容貌だ。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
少しの間その女性を見ていた良次は、何がしかの結論に至ったかのような素振りを見せ、その女性に声を掛けた。端から見れば、その女性の容姿も相まって、ナンパとしか考えられないだろう。
しかしながら、良次はナンパが目的ではなかった。それこそ周囲の人々は知るよしもないことだが、良次が住んでいた所は、ほとんど辺境の地といっても良いほどの田舎であり、彼と同年代の異性が全くいなかったためにそのような人と話すのはひさしぶりであるから、この稲葉 良次という男にはナンパをするような度胸は全くなかったのである。
それでは良次はなぜ声を掛けたのか。それは、良次がとある確信を抱いたからである。「はい、なんでしょうか?」と、振り返り良次に尋ねてくる姿を見て、その確信はより強固なものになった。
この女性は、これから訪れようとしている親戚の家の一人娘で、当時6歳だった良次の初恋の相手でもある人だ。
そんな確信を得た良次は、確認をとろうと、その女性に再び声を掛けた。
「綾辻 遥さんですよね?」
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学校での生徒会の副会長を勤めている綾辻 遥は、その日自分がやるべき仕事を終えて、早めの帰途に着いていた。普段ならボーダーとしての仕事もあるため、もっと遅い時間になるのだが、今日は親から用事を告げられていたために休暇を取ったのだった。
遠い親戚が訪ねてくるのだそうだ、と遥は聞いていた。遥自身も昔あったことがある、一つ年下の稲葉 良次という男の子。
(最後にあったのは、えっと、10年くらい前だったっけ?……可愛い男の子だったなぁ)
自分の後ろを、「はる姉!はる姉!」と言って付いてくる男の子を思いだし、思わず遥から笑みがこぼれる。
声を掛けられたのは、そのときである。思わず緩んだ自分の表情を元に戻して、声の主を確かめようと遥はそちらを向く。
そこにいたのは、見知らぬ青年であった。身長は随分と高く筋肉質、顔立ちも整っており誠実そうな印象を受ける。大人びた雰囲気から自分よりも年上だと判断した遥は、少しの間の後に、「はい、なんでしょうか?」と返事をした。
それに対して、青年は「綾辻 遥さんですよね?」と聞き返してきた。
遥の名前を知っていることは、別段不思議なことではない。何故ならば、言わずもがなであろうが、遥がボーダーの、それも広報担当の嵐山隊に籍を置いているからである。
問題は、なぜ声を掛けてきたかであるが、遥は早々にその答えに当たりをつけていた。
(やっぱり………ナンパ、だよね?)
別段その手のことも珍しいことではない。だがしかし、遥は今回のことに関しては違和感を覚えていた。目の前の青年はいかにも誠実そうであり、ナンパをするようには全く見えなかったのだ。
どう対処すべきか少し悩んだ遥は、ひとまず相手の質問に応えることにした。
「はい、そうですが。……何か御用でしょうか? 」
遥がそう返すと、すぐさま青年は喜色満面になる。心の底から嬉しそうなその笑顔を見て、思わず遥は恥ずかしさを覚えた。その遥の心情を知ってか知らずか、少年もまた、照れくさそうにゆるやかな笑みを浮かべながら、再び口を開く。
「やっぱりそうでしたか!お久しぶりです!」
その言葉に、遥は少しの困惑を覚えた。目の前の青年の言葉から察すると、自分と彼は以前どこかで出会ったことがあるのだろうが、あいにく遥にはその覚えがなかった。年上の知り合いは基本的にボーダー関連しかいないのだが、その線でないのは自分の記憶を信じれば間違いない。そうなってくると、果たしてそれ以外の繋がりか・・・
「ははは・・・。まあ、憶えてませんよね。最後に会ったのも、もう10年も前になりますし・・・」
お互いの関係性に遥が頭を悩ませていると、青年の側がそれを察したのか、少しがっかりしたように口を開いた。青年が漏らした言葉を耳にした遥は、『10年』というワードに意識を取られた。なぜなら、つい最近、というかほんの少し前にそのワードが自分の頭の中に存在していたように思ったからだ。
(10年前にあった、って、え!?もしかしてそんな、いや、でも彼は私より一つ年下のはずだし・・・)
一つの結論にたどり着くも、その答えが少しばかり信じがたいものであったため、何度も頭の中で検討を繰り返す。しかし、遥が自らの思考に最終決定を下す前に件の青年によって答えが告げられた。
「あらためまして、あなたとは遠い親戚関係にあたります、稲葉良次です。お久しぶりです、はる姉さん」
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「それにしても、よし君は本当におっきくなったね。年上かと思っちゃったもん」
「本当ですか?まあ、確かに10年前と比べたら当然ですかね」
思わぬ再会の後、あらためて自己紹介を果たした遥と良次は、共通の目的地である綾辻家へと並んで歩いていた。
「昔は私よりもちっちゃかったよね。可愛かったなぁ」
「そういってもらえると嬉しいです」
「今はもうだいぶ立派になっちゃたもんねぇ。やっぱり年下な気がしないもん」
「いえいえ、俺にとってははる姉さんはいつまでも年上のお姉さんですよ」
「ふふ、そういってもらえると嬉しいわ」
お互いに再会を喜びながら、他愛もない会話を交わし歩く 。そんな中、遥がふと疑問に感じたことを、良次に対して投げかけた。
「そういえば、よし君はどうして私のことがわかったの?・・・もしかしてボーダーの広告で見たかな?」
良次が成長していたように、遥もまた成長している。そのため、普通であれば良次も遥に気づくことはない、そう考えての質問だったが、遥は即座に自分の疑問に関して答えを見出す。
先ほども考えたことだが、遥は多少なりとも顔の知れた存在なのである。そのため、良次が自分に気づいても不思議ではない。
しかし、遥のその考えは、続く良次の言葉によって否定された。
「ボーダーの?はる姉さん、ボーダーと何か関係があるんですか?」
良次は遥がボーダーに所属していることを、全く知らなかった。そのことに遥は多少驚く。普通の人なら、ましてや遠縁ながらも一応身内であるなら、当然知っていると思っていたからである。
「うん。私、ボーダーに所属してるんだけど、知らなかった?」
自分がボーダーに所属しているという旨を良次に告げる。良次は驚いたように数秒の間、目を見開く。やがて良次の中で事実の咀嚼が終わると、猛烈な勢いで遥に詰め寄った。
「はる姉さんが!?戦ってるんですか!?大丈夫ですか!?どこか大きなけがをなさったりしていませんか!?」
「だ、大丈夫だよ?トリオン体で戦うし緊急脱出機能があるから基本的にボーダー隊員はけがをしないし、何より私はオペレーターっていって、非戦闘員だから」
「そ、そうですか。はる姉さんは無傷なんですね?・・・ならよかった」
良次の過剰なまでの慌てように、遥は少しばかり面食らった。とはいえそれも仕方のないことであろう。良次にとっては、遥はそれだけ大事な人なのである。
お互いに次に語るべき言葉が見つからず、少しの間、謎の沈黙が流れる。やがて再び口を開いたのは、遥の方であった。
「それじゃあ、えーと。・・・なんで私だってわかったの?よし君ほどではないにしても、私も成長したでしょ?」
「はる姉さんは、変わってませんでしたから」
脱線した話を元に戻そうと、遥が先ほどの疑問を口にした。しかし、それに対して良次が返した言葉に、遥は少しむっとした気持ちになる。良次の言い方では、遥が10年前から全く成長していないと言っているように感じられたからだ。
「なーに?よし君は私が成長してないっていうのー?」
不機嫌そうにそういうと、面白いくらいに良次は慌て出す。身長も高く、大人びた雰囲気の良次があたふたとするのを見て、思わず緩みそうになる頬を何とか抑え、不機嫌そうな顔のままでいると、良次は弁明の言葉を必死に紡ぎ出す。
「あ、いえ!そう言うわけではなくてですね、勿論はる姉さんは大いに成長なさったと思いますが!」
「じゃあ、どういうこと?」
自身が多少意地悪になっていることを遥は感じながらも、弄らずには居られずそう聞き返す。すると、良次は恥ずかしそうに人差し指で頬を掻きながらも、続く言葉を呟く。
「その、成長なさってはいますが、理知的で可愛らしいのはお変わりないな、と思いまして」
「・・・え?」
少しの間、再び謎の間ができる。少しの間、その言葉の意味を理解できなかった遥だったが、良次に言われたことを理解すると、言いようもないほどの恥ずかしさを感じた。真っ赤になった顔を隠すために良次とは反対の方向を向きながら辿々しく言葉を返す。
「そ、そう?・・・あ、ありがとね」
「はい、どういたしまして」
会話が一段落したところで、綾辻の家が見えてきた。
丁度よかったと遥が胸を撫で下ろしていると、隣を歩いていた良次が、何かを思い出しかのような素振りを見せ、静かに語り出す。
「ボーダーの話で思い出しましたけど、そういえば俺、ボーダーになるために三門市に来たんです」
「・・・え、そうなの!?」
「はい!ですから、」
突然の話題転換にまだ追い付いていない遥に向き直り、満面の笑みを浮かべて良次は口を開いた。
「これから色々とよろしくお願いしますね、はる姉さん!」
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