今日、広の母親が学校にやってきた。といっても、彼女の生まれ変わりである幼稚園児の女の子なのだが。
平行世界の自分に魂が入るという転生と言えるのか分からない俺の奇妙な転生と違って、彼女は輪廻転生を経て新たな生を受けた正真正銘の転生者だ。……と、思う。見るのが初めてだから確証はないけど、時々その少女に優しい笑みを浮かべた大人の女性の幻影が重なって見えたのだ。多分あれが生前、というか前世の姿なのだろう。
あまりにも前世についての記憶が鮮明であり、前世の傷跡まで体に受け継いでいた少女。鵺野先生が鬼の手で彼女の記憶を探り、れいこちゃんという幼稚園児が本当に広の母親の生まれ変わりだということが分かった。
その後、本当なら母親として生きていた時に広にしてあげたかっただろう世話を甲斐甲斐しく焼き、楽しそうに(広は恥かしそうに)町を巡る2人を俺、鵺野先生、郷子、美樹が見守る。最初は迷ったのだが、どうにも他人ごとに思えなくてついてきてしまったのだ。
そしてあっという間に一日過ぎて夕暮れ時……。広のお母さんの記憶は、幼稚園児のれいこちゃんから消されることになった。
「前世の記憶は強すぎると……この子、れいこちゃんの人格にとってよくないんだって。そりゃそうだよね……。いつまでもお前のお母さんで居たいけど、そうしたらこの子のお母さんが悲しむものね。そんなことは出来ないわ」
ずくんと、心に何か突き刺さった気がした。
そして一言お母さんと呼んでほしかったと、結局最後まで恥ずかしがってその一言が言えなかった広の前で彼女の前世の記憶は鬼の手の力によって消された。
しかしそうなってやっと素直になれた広が、少女の体にすがって本当は寂しかったと、恥かしくて言えなかっただけなんだと泣き叫ぶと一瞬だけ……本当に一瞬だけ、今まで幻影のようだった前世の姿が実体化した。つかの間の邂逅に「馬鹿ね……男の子がめそめそ泣くんじゃありません。でも……やっとお母さんって呼んでくれたのね。ありがとう、広ちゃん」と言って、広の頭を撫でてから満足そうに消えていった広の母さん。……それを見ていたら、気づけばすっと目から涙がこぼれていた。
その後、俺は「聞いてほしい話がある」と言って鵺野先生の部屋にお邪魔していた。両親に遅くなることを連絡すると、後で仕事帰りの父さんが迎えに来てくれるとのことだ。残業で少し遅くなるらしいが、その方が好都合だった。……多分、長くなる。
霊能力の修行は放課後学校か、俺の家(霊能力修行に関しては両親も承知済みだ)か鵺野先生の家にお邪魔して行われる。両親は今日もそれだと思ったらしく下手に言い訳しなくていいのは助かったが、いざ話すことを考えると玄関から先に進む勇気が出ずに足がすくんだ。
「どうした? 遠慮せずに入れって」
「あ、ありがとうございます」
ほがらかに笑う鵺野先生。……もし俺がこれから話すことを聞いたら、彼はどんな顔をするのだろうか。
汚くはないが乱雑に物が置かれたいかにも一人暮らしの独身男の住み家、という感じの部屋は今日も変わらないようだ。俺が部屋に入る前に慌てて足で布団の下に本を突っ込んだのは見なかったことにしよう。ちょっと肌色が多い表紙のそれに内容を悟った俺だが突っ込むなど無粋なことはしない。うむ、俺も男だ。見ても軽蔑はしないが、子供に見られて気まずい気持ちは分かるぞ。
「さて、俺に話があるんだったな」
話を切り出した鵺野先生に、俺から話を聞いてほしいと言ったにもかかわらず上手く言葉が出てこなかった。しかし鵺野先生がいぶかしむ前に、タイミングが良いのか悪いのか……「ぐ~」という間抜けな音が響く。最初は俺の腹の虫かと思ったが、正面の鵺野先生が恥ずかしそうに咳払いをしているところを見ると彼の空腹を知らせる音だったらしい。
「すみません、夕食時にお邪魔して」
「な、な~に! 子供が気を使うんじゃないって! それより樹季こそ腹減って無いか? よかったら御馳走するぞ。……といってもカップ麺だけどな、ははは」
最後の方は情けなさそうに笑う鵺野先生だったが、ふと思い立って立ち上がった。
「ん? どうした、樹季」
「いつもお世話になってるんで、よければ俺が何か作りますよ。……まあ、材料があればですけど」
申し出たものの、果たしてこの男の冷蔵庫にまともな食材はあるのかと不安に思う。が、ちょいと覗き込めば卵が一個、キャベツと人参のはしっ端、納豆が入っていた。……本当になけなしの食材だな。けど聞けば小麦粉と片栗粉、調味料はあるらしいから何とかなるかと気を取り直して腕まくりをした。……小麦粉とかはもらいものなのか使った形跡がなく賞味期限が怪しかったが、粉だし大丈夫かと目を瞑った。
気合いを入れる俺に、鵺野先生は不安そうに問いかける。
「お、おい。本当に作るのか? 気を使わなくていいんだぞ? たしかにお前は家庭科の成績は良いが……」
「いいから、すぐ出来るんで先生は座っててください。台所借りますよ」
俺としても緊張をほぐすのに丁度いい。料理は無心になれるから結構好きなんだ。
キャベツと人参を火がすぐ通るように出来るだけ細く千切りにして(少ない材料を無駄にしないようにキャベツの芯も薄く切ってから千切りにした。案外芯も甘くて美味いんだよな)納豆と混ぜた。でもって片栗粉と小麦粉に水、卵、を加えて生地を作ってから具材も加える。本当は下味に顆粒ダシでも入れたいけど、無いから軽く塩を入れた。フライパンを熱してから軽く油を敷いて、生地を薄く流して弱火でじっくり焼く。その間に醤油と砂糖と酢を煮立たせてタレを作っておいた。で、生地が焼けたらひっくり返して反対側も焼く、と。それを切って……出来た! ちょっとふわふわしてお好み焼きみたいになっちまったが綺麗な焼き色だし上出来だろう。
「ほい、なんちゃって納豆入りチヂミの完成っと。ラー油とかある? もしあればお好みでタレに入れてどうぞ」
かたんっとチヂミの乗った皿を鵺野先生の前に置くと、彼の口からほうっと感心したような声が漏れる。
「て、手際がいいな。しかも美味そうだ」
「どうもっす」
褒められると嬉しいものだが、つい照れてしまって後ろを向いて調理器具を洗い始めた。
「あれ、お前の分は?」
「あ、俺は家で母さんが夕食作ってくれてるんで大丈夫です。それよりよかったら冷める前に食べちゃってください」
「そ、そうか。じゃあ遠慮なく……いただきます」
「どうぞ~」
律儀に手のひらを合わせていただきますといった鵺野先生が、はむっとチヂミを口に含む。作ったものの口に合うか心配だったから知らず固唾をのんで見守ってしまったが、ぱっと笑顔になった先生を見てほっとした。
「美味い! 凄いな、樹季! 少ない材料でこんな美味いものが作れるなんて」
「いや、混ぜて焼くだけだから簡単っすよ」
「でも焼き加減が丁度いいぞ。外側はパリッとしてるが中はモチモチだし……具が細く切ってあるからちゃんと火が通ってて野菜が甘い。タレの味も丁度いい塩梅だ」
あんまりにも褒められるもんだから恥ずかしくなるが、普段お世話になってる先生にちょっとでも恩返し出来たみたいで嬉しかった。……だから気分が高揚しているうちに言ってしまおう。そう思い、俺は軽口を叩く要領でこう言った。
「居酒屋でバイトしてる時に習ったんですよ。俺でもこれくらい作れるんだし、鵺野先生もカップ麺や総菜ばっかじゃなくてちゃんと料理しないと駄目ですよ。健康に悪いんですから」
「ははっ、バイトってお前。小学生が居酒屋でバイト出来るわけないだろ」
当然冗談として受け取られたが、俺はゆるく首をふった。
「してたんスよ。俺新卒で入った会社が合わなくて、たった1年で辞めちまってさ……次の職場なんてすぐ見つかると思ったら全然見つからなくて、結局バイト探したんだ。居酒屋は時給いいし、食事補助もあるからありがたかったなぁ」
「……樹季?」
懐かしむような俺の声色にやっと冗談を言っているわけでないと気づいたのか、先生がいぶかし気に俺の名を呼ぶ。俺は覚悟をきめて、ぐっと拳を握ってから言った。
「なあ、先生。俺が本物の、この世界の藤原樹季じゃないって言ったら信じてくれるか?」
それから俺はこの世界に来た経緯と、俺が本当は25歳の大人であること……この世界の「藤原樹季」の魂があの世へ行ってしまったことを告げた。流石に漫画でこの世界を知っていたとは言えなかったけどな。
詳しい記憶を読まないことを条件に鬼の手で俺の記憶も覗いてもらい、確証を得た先生はしばらく深刻な顔で考え込んでいた。まあそうだよな……さっき広の母さんの記憶を消したばっかなんだ。俺に前世っていうか、他の人間の記憶が入ってるって言ったら困るよなぁ。
考える先生になんと声をかけていいか分からなかったから、俺は半ば独り言のように語り始めた。
「最初は妖怪や幽霊が怖くて怖くてたまらなくてさ……そればっかりに気を取られてた。でも学校に通い始めて、妖怪絡みの事件は怖いけど先生はいい人だしクラスの奴らは面白いし楽しくって、そしたら別の事考える余裕も出てきた。……俺さ、はじめ別の世界に来たんじゃなくてタイムスリップしたみたいだって思ったんだ。だって、この世界の父さんも母さんも前の世界と一緒なんだ。ばーちゃんだってじーちゃんだって、この世界に居る。だけどそれはこっちの俺の家族なんだよなって思ったら、前の世界の俺の家族ってどうしてるのかなって考えちまった。来ちまったからには、こっちの世界の俺と約束したし親孝行してちゃんとこの世界で生きたいとも思ったさ。でも、向こうの……25歳の俺の家族は、俺が突然死んでどう思ったのかな、とか……友達だって居たし、あ、いつら……どう、してるかなって、考えたら……たまらなくって……。で、も、考えたって、どうにも出来ないし、普段は考えないように、してた」
いかん、話してたらだんだん感情が高ぶって涙が出てきた。
俺は鵺野先生が差し出してくれたティッシュを引き出して思いっきり鼻をかむと、ぐすぐす言いながら続きを話す。そんな俺に何も言わず、最後まで話を聞いてくれようとしている鵺野先生の姿勢がありがたかった。
「だけど、今日広の母さん見てたら、また、不安になって……。俺、本当の藤原樹季じゃない。俺も藤原樹季だけど、この世界の父さん母さんの子供じゃないんだ。なあ先生、俺このままでいいのかな? この世界の俺はもうあの世に行っちゃったけど、記憶は残ってる。だから広の母さんみたいに余計な記憶を消してこの世界の俺に成りすました方が、みんな幸せなのかな? 俺……偽物じゃなくなるかなぁ……」
もう限界だった。
この世界に来て初めて吐露する心境に俺自身の心がついていかなくて、言ってることにもまとまりが無くてしっちゃかめっちゃかだ。前の家族と今の家族への罪悪感、本当の自分でない恐怖、知らない世界で生きるという地に足がつかない不安定な状況……ごちゃごちゃになって、俺は25歳だったと明かしたにも関わらず子供みたいに大声で泣いた。
いい歳した大の男が情けないと思ったが、不安で不安でたまらなかった。誰にも話せない状況が苦しかった。
…………救われなくていい。だけど、誰かに知ってほしかった。「小学生の藤原樹季」じゃない「俺、25歳の藤原樹季」のことを。
さんざん泣きわめいてから鼻をすすっていると、ぽんぽんっと大きな手で背中を撫でられた。
「す、みまぜん……いい歳して、こんな泣いて……」
「いいさ。……今まで誰にも話せなくて苦しかったろう」
「……先生、俺はやっぱり前世の記憶は消した方がいいのかな?」
「いや、お前の場合は広の母さんとはちょっと違う」
恐る恐る聞いた俺に鵺野先生はきっぱりとそう言った。
「本来なら一つの魂に前の生の記憶が残っているのが前世の記憶ってものだ。けど、お前は別の世界……パラレルワールドから神の力で無理やり持ってこられた魂だから、同一人物と言っても別人、別の魂なんだ。ややこしいがな。お前にはお前本来の前世があって、それはこの世界の樹季の事じゃない。この世界の樹季の記憶があると言ってもそれはただの情報だ。……おそらく、お前の人格を無理に消したら情報を記録しただけの中身のない廃人になってしまうだろう」
「……じゃあ、俺は記憶を消さなくてもいいのか?」
「ああ。なあ、樹季。本来の樹季が……この世界の樹季が死んでしまったのは悲しいが、頼まれたんだろ? この世界で生きて、あの世で土産話を聞かせてくれって。だったら胸を張って生きろ。お前は偽物なんかじゃないさ! 前の世界の家族は気の毒だが……少なくとも、俺はお前が今ここで生きてるのを嬉しく思う」
「!」
力強い言葉にひっこんでいた涙がぶりかえして、また泣いた。
……鵺野先生ってたしか俺と同じ25歳だったよな……。同い年の男の前で泣くなんて本当なら恥かしくってたまらないはずなのに、何故かただただ安心した。
突拍子も無くて普通なら信じてもらえないだろう事情を話せて、そして受け入れてくれた人が居る。それがたまらなく嬉しくて、ようやく俺はこの世界に本当の意味で足をつけられた気がした。
前の世界のことはきっと生きている限り気にし続けるだろうけど……もしかしたら、あの死神は自分の不祥事を知られないために俺の存在そのものを消したのかもしれない。最初から居なかったことになっていれば、悲しむ人間は居ないだろう。そう考えると酷く悲しい気もしたが、同時に少し心が軽くなった。だから答えの無い疑問を抱えながらも、せめて元気にこの世界で生きようと思ったんだ。…………怖い事はいっぱいあるけどさ。
で、色々話したらすっきりしたわけだ。いつかは相談しようと思ってたけど、もっと早くに話してもよかったかもな。心のもやもやが無くなったわけじゃないけどかなり楽になった。
……また溜まってきたら色々話を聞いてもらおう。
ちなみに「本当は同い年なんだよな。なら、2人の時ぐらい俺の事は鳴介って呼んでくれ。そっちのが気楽でいいだろ? あと普段も鵺野先生はかたっ苦しいからみんなみたいにぬ~べ~って呼んでくれると嬉しいな」と先生が言ってくれたので、こうやって2人で居る時は先生の事を鳴介と呼ぶようになった。
憂鬱になる事ばかりなこの世界だけど、この人に出会えてよかった。そう思えた俺の未来は、多分明日からちょっとだけ明るい。
ちょっとセンチメンタルな主人公のお話でした。