「売れ」
「嫌だ」
「売れ!」
「嫌だ!」
「売れッ!!」
「嫌だッ!!」
「売れって! 悪い事言わないから素直に売れよ!」
「悪い事言ってる! 嫌だったら嫌だ! 俺はこの外車で律子先生とドライブに行くんだ!」
俺は今、知り合ってから初めて鳴介と喧嘩のようなものをしている。いや、喧嘩と言っていいのかどうか迷うところだが……。
事の発端は鳴介が「呪いの外車」と噂される5万円の高級外車を買ったこと。丁度みんなとその車について話しながら歩いていたら、まったくハンドルがきいていないようなフラフラ運転で鳴介が現れたのだ。件の呪われた外車に乗って。
休み時間に話を聞けば、車にはもうすぐ結婚するはずだったのに事故で亡くなってしまったカップルの片割れである女性の霊が取り付いているらしい。彼女の未練は、事故で亡くなる直前に恋人から貰えるはずだった指輪の行方。運転がドヘタな鳴介は自分が運転できるようになるまで手伝ってくれたら指輪を見つけて成仏させると約束したらしいが……待ってほしい。その車、本当に必要か?
さっき霊を成仏させてから車を高く売って儲けようとしてるんじゃ? と美樹たちが勘繰っていたが、それの何処が悪いのだろうか。25歳の、教職という立派な職業についている男が……日々生徒たちを命がけで守り、時に大怪我をし、時に理不尽な弁償をし、これといって贅沢な趣味も無くつつましくも安売りのカップラーメンで生活し学校給食に子供のように無邪気かつ純粋に喜ぶこの男が……多少金を手に入れたからといって、誰が責められよう? 私利私欲? いいじゃないか、たまには。だって、鳴介マジで金無いんだぞ。貯金の残高で買えたって喜んでたけど、残高5万円? 定期とかは別にして生活費用の口座だよな? とは怖くて聞けなかった。聞いちゃいけない気がした。
でもこれだけは言える。
鳴介、お前は車を持つべきじゃあない。
「除霊して今すぐ車を売って貯金しろ!」
「嫌だ! せっかく憧れの車を手に入れたんだ! お前も男ならわかるだろう? 車は男のロマンなんだよ!」
「とかいって、どうせ車を持ってる男はモテるとか雑誌の特集見たんだろ!」
「ぎ、ぎくっ! い、いやだな。何を言っているんだ君は」
「隠さなくてもいいよ! でも車なんかなくたって鳴介は格好いいだろ! 男の俺から見てもすげー男前で格好いい! 保証する!!」
「い、樹季……」
鳴介がちょっとじ~んとした表情で感動している。よし、今のうちにたたみかけよう。
「だから売れ! 車なんていらない。お前にまず必要なのは現金だ!」
「だ、だから何度も言うが嫌だ! こんな外車、この機会を逃したら一生買えん!」
「じゃあ聞くが、何故か毎月カツカツのお前に自動車税とか自動車保険代とかアパートでの車の駐車代とか払えるのか!? 車検とかきてみろ、鼻血吹くぞ! しかも外車だから万が一壊れた時の修理だって特注の部品が必要だったりするかもしれないしメンテナンス代とか絶対高いに決まってる! タイヤだって擦り切れて来たら買い替えないといけないし、冬にはスタッドレスタイヤが必要だし! もちろんだけどガソリン代だって月々かかるし、しかもこれ多分ハイオクだろ? 維持費にいくらかかると思ってるんだ!」
「う、ううううう! 鬼かお前は!?」
「何とでも言え! 俺は現実を突きつけてるだけだ! なあ、よく考えろよ。鳴介に必要なのは、そんな金喰い虫の高級車か? 別に車を持つなとは言わないけど、まず生活を見直してからの方がいいと思うんだ。25歳で立派な職業についているのに貯金残高ゼロとかヤバいぞ。食事も安売りのカップ麺ばっかなんて、俺見てらんねぇよ。いくら金では買えない大事なものがあるといったって、世の中金が無いと買えないものもたくさんある。いいか? 俺も前の時はまだまだ若いし余裕と思って考えなかったけど、人生設計は大事だぜ。たとえば結婚でもしてみろ。結婚式は人それぞれとして、新しい生活、保険、出産、子供の養育費、マイホーム……金はどうしたって必要になってくる。だから、な? お願いだからその車は手放して貯金にまわしてくれよ。俺、鳴介の事が心配なんだ……」
一気にまくしたてたせいで喉が渇いたが、言いたいことはだいたい言えた。真剣な俺の言葉に、やや涙目ながらも鳴介も考え込んでいる。……いや泣くなよ。俺が虐めてるみたいじゃないか。
そう、結婚な。少なくとも1年後にはゆきめさんとゴールインするんだから、貯金が無い状態ってのは真剣にヤバいと思う。2人は一緒に居られれば幸せなのかもしれないけど、それでもやっぱりお金はある程度必要だよ……。俺、2人には幸せになってほしいし……。
だからとにかく。
「車を売れ!」
一日が終わるころには、俺の車売れコールに鳴介はフラフラになっていた。とりあえず「考えてみる」という言葉を聞けただけ良しとしよう。……帰ったら親父に相談してみるか。たしか知り合いに中古車のバイヤーが居るって言ってたから、鳴介の決心がついたらすぐに買い取ってもらえるよう手筈を整えておこう。高く買ってもらえればいいんだが……。
そうやってうんうん考えながら歩いていた俺だが、ふと車道の方が騒がしくて何気なく目を向けた。そして目の前を駆け抜ける赤い影……一瞬前に見えたその車の全体像に、言葉を失う。とりあえず目を瞑って目頭を指でもみほぐしてから深く息を吸って鼻からはいた。
あれ、おかしいな……。今、前の俺の時に見た初音〇クとか綾波〇イとかが描かれた痛車なんて目じゃないほどの凄まじいカーラッピングがされた外車が通ったような……。2Dどころか飛び出せワクワク3D☆なノリでフロントに巨大な女性の顔と無数の腕が生えた斬新過ぎるデザインだったけど、その車に鳴介と広と郷子が乗ってた気がするけど気のせいだよな? 俺言ったもんな。運転が下手なら危険だから、とりあえず今日は学校においてけって。
うん、そうそう。多分気のせい気のせい………………。
「なわけあるかぁぁぁぁぁぁ!!!! 馬鹿! 鳴介の馬鹿! あれは人を乗せていい運転じゃないって言ったじゃないか!!」
俺は無駄だと分かりつつ、全力で車の後を追った。当然追い付けるわけないが、途中で狭い路地を通って道をショートカットする。うまくいけば、カーブを曲がった車がこの通りに出るはずだ!
そして狙い通り、少し遠くに鳴介たちが乗った車が見えてくる。しかし最悪なことに……たった今、指輪を手に満足そうに成仏していく女性が見えた。何で!?
「待って!? 待ってそこのお嬢さん!」
ビュンっと横を通り過ぎて行った暴走車をとりあえず見送り、あなただけが頼りだと言わんばかりに成仏寸前の霊に呼びかけた。きっと運転している途中で指輪が見つかったんだろうけど、今彼女に離れられたらまず間違いなく事故る。花京院の魂を賭けてもいい。
『? もしかして、私?』
「そうです、貴女です! お願いです、成仏するところを大変申し訳ないのですが、あの車を止める手助けをしてくれませんか! あのままじゃ鳴介たちが死んじゃう!!」
『! 私の指輪を見つけてくれたあの人たちが……? わかったわ』
幸いなことに女性の霊に言葉が通じ、彼女は今一度車に舞い戻るとふっと車体に溶けるようにして消えた。するとフラフラだった車が多少持ち直し、スピードが落ちる。そこにありったけの大声で呼びかけた。
「鳴介ーーー!! 車寄せてブレーキ踏め! いいか左だぞ! 左のペダルだ!」
すると声が届いたのか、危ないながらも車はなんとか停止した。さっきから全速力で走って苦しいが、なんとかもう一度体力を振り絞って車に追い付いた。すると、車から先ほどの霊が現れてニッコリ笑いかけてきた。
『ありがとう。危うく、恩人を死なせてしまうところだったわ。これで本当に思い残すことは無い……さようなら』
そう言うと、今度こそ彼女は成仏した。それをほっとした心持で見送っていると、車から「し、死ぬかと思った……」「もう絶対ぬ~べ~の運転する車には乗らない……」と言いながら広と郷子が真っ青な顔で降りてきた。
そして俺は2人に声をかける前に車の運転席に回ると、ハンドルを握ったままブルブル震えている鳴介の肩を叩いた。すると面白いように肩が跳ねて、鳴介が恐る恐るといったふうに俺の方に首を向ける。
俺は出来るだけ優しく微笑むように心がけ、柔らかい口調で話しかけた。
「車、売ろうな?」
「はい……」
この数日後、鳴介にちょっとだけ貯金が出来た。
ちなみに、すぐに使ってしまわないように遠くの銀行の定期預金に入れさせたのは余談である。