『魔獣』とは人に仇なす化け物の総称である。いくつか種類が確認されており、強いものとなると改変される前の世界に存在した『魔女』――その中でも上位に位置するものと遜色ない強さを誇る。とはいえ基本的には雑魚の群れである最下級の存在が多数を占めているし、最上位の魔獣ともなればお目にかかる機会もほとんどないと言っていいだろう。
そして『魔獣』とは魔法少女に仇なす変態の総称でもある。なにせ目線部分をモザイクで覆った男性の様な姿をしているのだ。聖職者の様な出で立ちが逆にキモさを助長しており、多感な少女達にとっては色んな意味で嫌悪感を催す存在である。
「ティロ・フィナーレ!」
そして今。見滝原のとある場所で、そんな変態集団と戦闘を繰り広げる魔法少女達の姿があった。特に声を張り上げて必殺技名を叫ぶ黄色の魔法少女は、新人にいいところを見せようと張り切っているのがありありと見て取れる。
「おーおー、張り切ってるなマミの奴」
「いつもの三割増しで飛び回ってるねー」
「あの状態が一番危ないわ。二人とも注意して見ていなさい」
「あん? なんでお前にんなこと解んだよ」
ほむらが体験した数多のループにおけるマミの死因ランキング、堂々のナンバーワンは『油断と慢心』である。お前はどこぞの英雄王かという理由ではあるが、実際仲間が増えそうになる、もしくはそれが確定した時の彼女は非常に調子に乗ってしまうのだ。
痛いほどそれが身に染みているほむらは、さやかと杏子に忠告を促した。さやかの方はしっかりと記憶にもあるため当然とばかりに頷いたが、杏子はいきなり新人が上から目線で忠告をしてきたことに少し眉をひそめる。
「ま、まあまあ! ほむらもマミさんを心配して言ってる訳だし!」
「いや、別に怒ってるわけじゃねーよ。ちょっと気になっただけさ」
「…調子に乗った魔法少女程危険なものはないでしょう? 現役最強なんて言われていても、死と隣り合わせなのは変わらない。貴女も気を付けることね」
「へえ…? 偉そうにすんのは構わないけどさ、侮られるのは好きじゃないんだよね。マミが最強ってのにも一言いいたいし」
「…貴女は言葉より行動で示すタイプだと思っていたのだけれど」
「はん…! 上等! その挑発、受けて立ってやるよ」
「ちょ、ちょっと」
ほむらにとって杏子は旧知の仲と言ってもいい間柄だ。しかし今の杏子にとってほむらは単なるクラスメイト兼新メンバー。そんな彼女の軽い挑発を受け流す程度、クレバーな杏子にとっては大した自制も必要はない。しかし冷たさを含むような言葉とは裏腹に、ほむらの瞳には『当然の期待』と『僅かな信頼』が垣間見えていた。
にっと笑って、杏子は挑発を真っ向から受け止める。対立ではなく、確認。『信頼』の確認だ。杏子は言われずとも理解し、ほむらは言わずとも理解させた。そこには奇妙な『信用』が成り立っていた。
「体が軽い…! 今ならどんな魔獣だって倒してみせる!」
そんな二人をさて置いて、順調に死亡フラグを積み立てていくマミ。まさに『MK5』。マミで首パク5分前である。一気に決めさせて貰うわよ、などと言い始めたらかなりの危険域であるのは間違いないだろう。
「一気に決めさせて、貰うわよっ!」
レッドゾーン突入だ。数秒後にはきっと魔法少女の死体が一つ出来上がっていることだろう――彼女が一人ならば、ではあるが。
「一人で突っ走ってんじゃねーよマミ。今後ろ見えてたか?」
「え? あ……とと、当然よ! 黄金の美脚が魔獣を狙いさだめていたのに気づかないなんて、さ、佐倉さんらしくないわね!」
「へいへい…」
後ろからマミに近寄っていた魔獣を杏子が蹴散らす。強がりもさらりと聞き流して、ほむらに見せ付けるように舞う彼女は流麗という言葉がよく似合う鮮やかさだ。魔獣の集団に自ら突っ込んでいったマミのフォローを的確に重ね、そして今度はお前の番だとでも言う様にほむらに視線を向けた。
「…ぼうっとしてないで行くわよ」
「う、うん……あのさほむら、悪魔の恰好やめてるけど戦えるの?」
「別に服装は関係ないでしょう。貴女達に合わせただけよ」
今のほむらの恰好は、以前の魔法少女の姿と同様だ。髪を後ろに流しながら、なんでもないように『ピュエラマギ・ホーリークインテット』の流儀に合わせただけだとさやかに説明した――が、しかし実のところは杏子に悪魔の姿を『変態』と言われたことでショックを受けたせいであったりもする。
夜に鏡の前でくるくると回って確認し、がっくりと肩を落として魔法少女の服装に戻したのは彼女だけの秘密である。
「…その盾、使えるの?」
「時間停止のことを言っているのなら、ええ、使えるわ。別に使う必要もないけれど」
「そっ、か…」
「…?」
少しほむらを見つめた後、さやかも剣を手に杏子の援護に向かう。首を捻るほむらの手を握りながら。色んな感情を綯い交ぜにしながら。
「うおっとぅ!? つ、使う必要もないって今言ったじゃん!?」
「使わないとも言ってないわ。手を握ったのはそうしてほしかったからじゃないの?」
「う……えへへ、まあ特に考えてはなかったと言いますか…」
「…貴女らしいわね」
がしゃり、と盾の砂時計を回して時間を止めるほむら。手を握ったままのさやかも同様に、灰色の世界にただ一つだけ色を残す。風も、砂も、鳥も、魔獣さえ微動だにしない世界で二人は手を握り合いながら悠々と仲間の元に辿り着く。
「動かすわよ」
「うん!」
もう一度砂時計が回転し、世界は色付きを取り戻す。そして道中置いてきた弓の攻撃と剣の投擲も時間の流れを身に受けて動き出した。
「――っ!? なっ…」
「きゃっ! な、なに?」
「私の魔法よ。驚く必要はないわ」
「…そういや前も一瞬で魔獣を倒してたな。どんな魔法だ、こりゃ?」
「…」
総数の三分の一程が一気に吹き飛ぶ魔獣。それと同時に横に出現したほむらとさやかに、杏子とマミは驚きを顕わにして動きを止めた。もちろん魔獣への警戒は怠っていないあたりがベテランたる所以だ。魔法少女にとって他者の魔法を問うことは少々マナー違反ではあるが、流石にこれから仲間になろうという人間にはその限りでもない。
「…手を貸しなさい」
「はあ? どういう意味だ……ちょっ、おい」
「えっと、握ればいいのかしら」
「ええ」
魔獣が迫っているというのに、呑気に手を差し出すほむら。訝しむ杏子とマミにさっさと手を握れと促し、さやかが腕を抱いているのを確認して魔法を発動させた。
「…っ、止まってんのか?」
「凄い…!」
「手を離せば貴女達の時間も止まるわ。気を付けなさい」
「ふーん……なるほど、これがカラクリだったわけか。へっ、言うだけあるじゃんか……ま、これからよろしく頼むよ『ほむら』」
「きょ、杏子がデレたー!」
「なっ、誰がデレただ! お前なんかさっきからデレデレじゃねえか!」
「へ? どこが?」
「どこもなにも、ずっとほむらに引っ付いてんじゃん」
「え、いやこれは放すと駄目だからだし…」
「だからって腕まで組む必要ねーじゃん」
「う…」
「この技は『セニャーレ・ディ・ストップ』と名付けましょう! いいわよね! ほむらさん!」
「駄目よ」
「そんな…」
「絶対ダメ」
「ほむらさん」
「駄目」
「ほむらさん…」
「駄目」
「ほむほむ…」
「!?」
止まった時間の中で延々とコントが繰り広げられる。さやかと杏子がぎゃあぎゃあと言い合い、マミがほむらにネーミングを懇願しては突き放される。ほむらは理解しているのだ。この名付けを許可したが最後、全ての技に名前を付けられることを。何事も最初が肝心ということで、マミの泣き落としを完全にシャットアウトするのであった。
「しっかし四人くっ付いてたら攻撃しにくいっちゃねえな。マミはともかくあたしとさやかは接近戦がメインだし…」
「私は剣飛ばせるからそこまで問題はないけどね」
「別に体で触れ合っている必要はないわ。マミのリボンで繋がっていれば問題ない」
「…っ! 魔法少女が力を合わせて完成する結束の奥義…! 『ホーリークインテット・ユニティ・フィナーレ』と名付けましょう! 素敵だわ!」
「駄目よ」
「そんな…」
「絶対ダメ」
「ほむ――」
「だめ。ほむほむもだめ」
「うう…」
萎びれたマミを気にせず、ほむらはばっさりとその提案を切り捨てた。何が悲しくてそんなバカみたいな技名を付けられなくてはならないのかと。さりげなくマミが自分の必殺技名の一部を図々しくもくっ付けているあたりが、ほむらのイラッとポイントを更に引き上げていた。
「うう、二人きりの時はあんなに慕ってくれてたのに…」
「誤解を招く言い方はやめなさい、巴マミ」
「…『せんぱい』って言って?」
「嫌よ」
「いじわる…」
肩を落としてしょぼくれるマミ。このやり取りも魔獣に囲まれてさえいなければ、もう少し微笑ましいものになっていただろう。とはいえ落ち込んでソウルジェムが濁るのもまずいかと考え、ほむらは俯くマミの耳元でぼそりと囁いた。
(『先輩』は二人の時だけですよ……マミ先輩)
「…! そ、そう? もう、仕方ないわねぇ」
貴女は私にとって特別です、と。そう言ったに等しいほむらの言葉は、効果覿面であった。本質は誰よりも寂しがり屋な彼女は、誰よりも誰かにとっての特別でありたいのだ。そして自分の特別が欲しいのだ。
魔法少女のチーム名をしっかり決めるのも、きちんと枠組みを作ることで仲間が離れていくのを防ぎたいから。やたらと気を遣うのは嫌われたくない心の裏返し。
命を繋いだ自分の願い。それが魔法にも表れて、けれど何よりもそのリボンで繋ぎ止めたいのは掌に掴んだ仲間の絆。彼女は誰よりも共依存に憧れる歪な少女。優位でありたいけれど、依存する先に母性と父性を望むのだ。
「…マミ。全部、いけるわね?」
「ええ! まかせて!」
一転、ほむらは先輩と後輩の関係から対等な仲間のそれへと意識を変えた。なんだかんだいいつつも、マミの実力を他の誰より信頼しているのはほむらだ。冷静であるならば、その観察眼も非常に優れているのは先の世界での戦いが証明しているだろう。そして自分の能力と一番相性が良いのもまた巴マミなのだから。
「十六……二十…! いいわよほむらさん! 一気に決めちゃいましょう!」
「ええ。解除するわ」
「二人の合体技――『ティロ・インスタンテ・フィナーレ』!」
凍った時の中、全ての魔獣に銃口で狙いを定めたマミ。全てが動き出した瞬間に、全ては終わっていた。ちなみにさやかと杏子は口論に熱中しすぎてついほむらから手を放してしまったので、見事に灰色に変わっていた。
「うおぉっ!? あ、手ぇ放してたのか…」
「うわぁっ!? うう、相変わらず心臓に悪い…」
「ふふ、もう私とほむらさんで片づけちゃったわよ? もしかして最高のコンビなんじゃないかしら!」
「…一番相性が良いのは確かよ」
にこにこと微笑みながらほむらの両手を握り締めるマミ。ぴょんぴょんと跳ねながら喜色を上げるその様子は、ほむらにとっても意外に悪くないと思わせる何かがあった。主に胸部に。
「まー、終わったんならなんでもいいか。んじゃ、魔獣も消えたし食材の買い出し行こうぜ。タイ焼き食べたい」
「貴女はいつもそれね」
「うん? なんでそんな知ってる風なんだよ」
「……………って、さやかがそう言ってたの」
「さやか、お前あたしのことこいつに話しすぎじゃね?」
「いやいやいや! ほむらぁー! 困ったら私に押し付けるのはやめろよ!」
「困っている人を助ける正義の魔法少女なんでしょう?」
「そういう意味じゃないから!」
「そうよ、ほむらさんは悪魔だもの」
「マミさん、ちょっと黙れ」
「ひうっ!?」
仲間ができて、結局失って。もう誰にも頼らないと決めて、仲間を拒んだ少女。そんな少女の口元が少し緩んでいる、ある晴れた日の午後であった。