さやかに生えてほむほむが頑張る話《完結》   作:ラゼ

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すいません18禁の境界がいまいち解らないので、もし運営の方に言われたら修正します。つまりそういう内容に近いので、ご注意。


紙作りの胡蝶蘭

 

 白い湯気と立ち昇る熱気。脳内の電気信号が滅茶苦茶に弾け、掻き乱れているさやか。目の前――本当に数㎝ほどだ――に見える透き通るような瞳に、ますます混乱する。視線に気付いたのか、その少女は言い訳をするかのように身じろぎをしたが、彼我の距離は一切変わらない。

 

 肌に張り付いた髪が白い肌と濡れた黒のコントラストを醸し出しており、重なり合う二人の姿は一糸纏わぬ生まれたままの姿だ。

 

 何故こうなっているのだろう、と奇しくも二人同時にそんな思いが脳裏を過っていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほむら! そこはなぎさの席なのです!」

「…誰がそんなことを決めたのかしら」

「昔から決まっていることなのです!」

「そんなに長い付き合いじゃないでしょう?」

「とーにーかーくぅー! 返すのです!」

「嫌よ」

 

 お茶とケーキの用意をして居間に戻ってきたマミとなぎさは、ほむらがさやかの膝上に乗っていることに驚いた。というよりか、なぎさの方が指定席を取られたことに文句をつけたのだ。それに対してほむらは飄々と受け流す。小学校中学年を論破することなど容易いし、その上二人の精神的な年齢差は見た目以上なのだから。

 

「ほむらはお子様なのです!」

「自爆してるわよ」

「なぎさは子供だからいいのです」

「世間一般的に見れば私も子供だわ。そもそも魔法『少女』なのだから」

「むぅ~!」

 

 地団太を踏んで悔しがるなぎさだが、ほむらとしてもここは譲れない。なにせ今彼女に席を譲ってしまえば児ポ一直線。さやかがそっちの道に目覚めてしまっては、もはや『敵』としても『仲間』としても『クラスメイト』としても接することはできない。自分が善意の第三者として110番を押すだけの存在になってしまうのだから。

 

「それに私が好きで乗ってるわけじゃないわ。この子がどうしてもっていうから仕方なく、よ」

「な、なにゃっ!?」

「あら、違ったかしら」

「うう、その通りですはい…」

「さやかが裏切ったです…」

「ふふ、仲が良くていいじゃない。私の膝なら空いてるわよ?」

「むー……マミで我慢しとくのです……と見せかけてとりゃーっ!」

「きゃっ!?」

 

 しぶしぶさやかを諦めてマミの方へ向いたなぎさだが、ほむらが一息ついた瞬間を見逃さず即座に反転して椅子を奪いにかかる。が、しかしここで三者三様に動いたのが悲劇の幕開けだったのだろう。運動神経と反射神経抜群のさやか、致命的な運動音痴のほむら、年相応の身体能力しかもたないなぎさ。それぞれがそれぞれの感覚で動いた結果、決定的にタイミングがずれることとなった。

 

 三角机の方にもつれて倒れこんだ三人。スイーツが宙を舞い、その被害者は結果として二人。ほむらの洒落たシフォンにパンプキンパイがべったりと付着し、さやかの青いショートにフランボワーズが彩られた。なぎさは辛くもシャルロットの装飾を免れたようだ。

 

「あう……ごめんなさい…」

「謝るならせっかく用意してくれたマミに謝りなさい。お茶も零れてしまったわ」

「うあー……頭からめっちゃベリーな香りが…!」

「マミ、ごめんなさいです…」

「私はいいから、それより二人ともすぐに拭いた方が――いえ、拭いてもとれないわよねぇ……うん、服は洗濯しておくから、シャワー浴びてらっしゃい」

「お、お借りしまーす! うーん、頭がキイチゴ美樹イチゴ……なんちゃって」

「…」

「…」

「…」

 

 寒いギャグをかましながら風呂場に向かうさやか。凍えるような空気が居間に残されたが、零れたお茶や床に落ちたケーキの後始末が必要だったため全員が無理を推して動く。ちなみに杏子はいまだにぶつぶつと『前世…?』『恋人…?』などと呟きながら呆けているため、騒動にすら気付いていない。むしろ気付いていればなぎさに鉄拳制裁が加えられていたことは想像に難くないだろう。

 

「片付けはやっておくから、ほむらさんも入ってらっしゃい。服の中まで染みてるでしょう?」

「…今はさやかが入ってるわ」

「うちのお風呂場、結構広いの。服は一緒に洗濯しないと二度手間だし……あれだけ仲が良いんだもの、別にお風呂くらい一緒でも大丈夫でしょう?」

「で、でも…」

「ほら、はやくはやく」

「え、う…」

 

 急かされるように風呂場の方へ促されたほむら。上に着ていたものは既に染みぬきを理由に剥ぎ取られたため、選択肢は一つだけだ。水音が漏れ聞こえる風呂場の扉に近付き、さやかに声を掛ける。

 

「…入るわよ」

「はーい……ううぇっ!?」

「…なに」

「あ、いや…」

 

 マミの言葉通り、一人暮らしの学生には分不相応な広さの浴室だ。内心はさておいて、ほむらは平静を装いながら中に入り、驚くさやかを事も無げに一瞥して湯船のお湯を体に掛けた。しかし視線がちらちらとさやかの下半身にいっており、気になっているのがバレバレである。

 

「そういえば、なんでお風呂沸いてるのかしら」

「魔法で沸かしました!」

「…あなたって、ほんと馬鹿。ソウルジェムを汚してまですることなの?」

「いやー、最近は結構余裕あるしね…………で、ほむらー。『これ』どうしよ」

「私に聞かないで」

「いやほら、さっきのマミさんみたいに弄れない? 胸を無くせるんなら、その、これも無くせるよね?」

「私にソレを揉みしだけと言ってるの?」

「あ、いやまあ、結果的にそうなるけどさぁ…」

「…さっきのはは無くしたんじゃなくてサイズを弄っただけよ。在るモノを無にすることはできない。それに貴女に関しては、『それ』がもともとあったものじゃないからどうなるかわからない」

「た、試しに! す、少し触るだけでもいいから…!」

 

 懇願するように頼み込んでくるさやかに、ほむらは『それ』の恐ろしさを感じた。明らかに彼女の理性を崩壊させているその御立派様は、確かに『男は下半身で動く生き物』という言葉を如実に表している、と。性欲とは本能であることをまざまざと見せつけられたような心持ちだ。

 

「まるでさかりのついた犬ね。首を振ったら襲われそうだわ」

「あ、あんただってこうなったら解るわよ! ほんとに、うう……苦しいの、ほむら…」

「…仕方ないわね」

 

 切ない目で語りかけてくるさやかに、ほむらは折れた。とはいっても直接触って毒を抜いてあげるということでもなく、マミの胸のように小さくするということでもない。彼女の目の前に立ち、相対する自分の胸の下近くまでそそり立っているモノを顔を赤くして見つめる。

 

 なにかを期待するように待つさやかの左手を両手で取って、嵌められた指輪に意識を移すほむら。

 

「ほむら…?」

「ソウルジェムは貴女そのもの。それは解っているでしょう?」

「う、うん」

「これは魔力である程度感覚を弄れるの。貴女がやっていたように痛覚を遮断することも、逆に倍増させることも。それは別に痛覚だけに限らない……解るわね?」

「え、えーと…?」

「そこに座りなさい」

 

 言われるがままにぺたんと浴室の床に座るさやか。ほむらは彼女の前に膝立ちになり、両手を更に強く握りしめる。他人のソウルジェムなど基本的に操作できるものではないがそのシステムを作ったキュゥべえと、魔法少女の神であるほむらだけは例外だ。

 

 感覚を操作――いわゆる性的な快感を一気に引き上げ、絶頂に導く。やり方は解るが、自身でもまったく経験したことのない操作はなんとも覚束ない。故にやり過ぎたのも仕方ないといえば仕方なかったのだろう。女性によっては嬌声がとても大きいことだって、彼女は知らなかった。

 

「ほむ――あ…? ん゛っ!? ひゃ、あああ゛っ! んっ、あっ、いっ――んきゅぅっ!!」

「ちょ、声を――!!」

 

 体を大きく痙攣させて、浴室中に声を響かせるさやか。いや、これでは浴室中どころか居間にまで届きかねない嬌声だ。焦ったほむらは彼女の口を塞ごうとソウルジェムから手を離したが、上半身が崩れ落ちそのまま倒れこんでくるさやかを両腕で支えなければならず――つまり手段は一つしか残っていなかった。勿論嬌声をそのままにして居間の三人が駆け込んでくる、という選択肢を除いてだが。

 

「んむ――っ!? ん、く…」

「…ん……」

 

 なおも暴れそうなさやかの体を強く抱きしめて、ほむらは自分の口で彼女の口を塞いだ。密着している体は柔らかな感触を伝えてくるが、お腹あたりに感じる火山の様な熱さをもった部分だけは鉄の様に硬い。時折噴火のように熱いなにかが流れ出て、腹から太腿へ――膝へ、足の指先まで彼女を汚す。

 

「ん……んっ、は、あ…」

「…」

 

 何秒かごとの噴火が幾度も続き、ようやく治まった時にはほむらの下半身の2割ほどが、肌とは違う白さで染められていた。どちらともなく唇を離し、唾液の架け橋がつぅっと二人を繋ぐ。

 

 両者とも暫く声を発さず――そしてついにさやかの方が意を決したように口を開く。

 

 ねえ、ほむら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マミさん、お風呂いただきましたー」

「はーい。服は今乾燥機で乾かしてるから、私の服で我慢してちょうだいね?」

「洗面所に置いてくれてたやつですよね、お借りしてまーす! …胸の部分がちょっと空いてるけど…」

「く、くぅ……ぐぅぅ、うううぅ――」

「ほ、ほむら? なにマジ泣きしてんの……ああ、胸の部分がダボダボどころじゃないもんな…」

「こ、ここから成長する子だっていっぱいいるわよ? それにほむらさんが容姿で悩んでるなんて言ってたら、世の女の子みんな怒っちゃうわ」

「そうそう。ほら、クラスの男共だってあんたが転校してきた時はざわついてたでしょ?」

「…」

「あら、ほむらさんって転校してきたの? 昔からいたものだとばっかり……あ、でも美樹さんも昔転校生って呼んでたような…? えっと……あら? 昔って…?」

「あー、あははは! 転校じゃなくて登校です、登校! マミさんボケるには早いっすよー」

 

 躁になる薬でも飲んだのかというぐらいハイテンションなさやか。対してほむらの方はマミの服を着衣した時点から既に口数が少なくなっており、可哀そうなくらいに隙間のある胸部をぺたぺたと触りながらその服の持ち主を恨みがましく睨みつけていた。完全に逆恨みである。

 

「うーん……ま、いっか。それはそうと、今日はもう泊まっていっちゃう? もういい時間だし、なぎさはご両親が心配するから帰したのよ。佐倉さんはソファで寝ちゃったし…」

「ありゃ、そうなんですか……どうする? ほむら」

「ペットが何かしでかしていないか心配だから、遠慮しておくわ」

「え? あんた、なんか飼ってたっけ」

「ええ。トマトを投げつけてくるのが趣味の、最低のペットよ」

「ああ、あれか…」

 

 ほむらのペット――通称『クララドールズ』 彼女の使い魔でありながら、彼女を馬鹿にするために存在する質の悪い子供達だ。世界が変わっても、彼女が魔女でなくなっても存在しているのは一種の戒めのようなものだろう。彼等の趣味はほむらにトマトを投げつけることと、キュゥべえを狩ることである。後者の一点だけは役に立たなくもない、とほむらは彼等を放置して好きにさせているのだ。

 

 時折家に帰ってきてはなにかしらの悪戯をしているため、気が抜けないのも事実ではあるが。

 

「…? お猿さん、とか…?」

「そんな上等なものじゃないけれど。とにかく服が乾いたらおいとまさせていただくわ」

「あたしも昨日今日とこいつの家に泊まる約束してるので…」

「別に来なくて結構よ」

「そんなこと言って~、さやかちゃんのファーストキ――」

「黙りなさい……はぁ。来るなら来るでいいけれど、替えの下着くらいもってきなさい。それに二日も急に泊まるだなんて、親も心配してるでしょう? 今から行って帰ってくれば丁度服も乾いてるくらいだわ」

 

 ほむらの忠告にとても良い返事をしながら、さやかは自分の家へ着替えを取りに戻った。随分と機嫌の良いその様子は息子が治まったからだろうか、ハミングでもしそうな勢いで階段を駆け下りている。ため息をつきながらその後ろ姿を見送るほむらであったが、後ろに居るマミから視線を感じて振り向く。

 

「どうしたの……どうしたんですか? マミ先輩」

「うう、ん、なんでもないの。でも何か思い出しそうで、とても大切なことだったような…」

「…」

「うーん……思い出せないものは仕方ない、か。それよりほむらさん、髪にアイロンあててあげるからこっちに座って?」

「…ありがとうございます、マミ先輩」

 

 艶やかで長い黒髪も、自然のまま乾かすだけでは美しさを損なうものだ。ドリルなどという馬鹿みたいに時間のかかる髪型をセットしているマミは、そのあたりについて自分にも他人にも厳しい。頭を拭いた後そのまま放置しているほむらを鏡台に促して、ヘアアイロンをあてはじめるのだった。

 

「ほんとに綺麗な黒髪で羨ましいなぁ…」

「マミ先輩の金髪もすごく綺麗です。優雅っていうか、お洒落っていうか」

「ふふ、ありがと。無いものねだりなんかしてもしかたないわよね」

 

 朗らかに笑い合いながら、マミは鏡に映るほむらの顔を見つめて先ほど感じた既視感や謎の記憶に想いを馳せる。鏡の中の彼女が何十にもダブって見え、起き抜けの夢のように容易く消えそうな記憶を、蜘蛛の糸を辿るように慎重に紐解く。

 

 三つ編みで眼鏡をかけて、はにかみながら自分を慕う暁美ほむら。

 

 長い黒髪を手で靡かせて、張りつめながら自分と敵対する暁美ほむら。

 

 リボンを結び弓を携えて、憂いを帯びながら自分と共に戦う暁美ほむら。

 

 有り得ない、と断じながらもその記憶はマミの中で鮮明に形作られていく。

 

 

 

 仲間をこの手で撃ったような覚えがある。ソウルジェムの真実を知ったから? 馬鹿な、ソウルジェムが自分の本体だなんてことは、知っていて当たり前の事実じゃないか。自分はそんなことで動揺しない。

 

 

 ――だからそんな記憶は有り得ない。けれど自分がそれを知ったのはいつだったか、とんと思い出せない。

 

 

 

 普通の少女を『魔法少女』という茨の道に引きずり込もうとした覚えがある。少女にとてつもない才能があったから? 馬鹿な、魔法少女の才能なんてものは、無いに越したことはないと知っているじゃないか。自分はそんな悪魔の契約を勧めない。

 

 

 ――だからそんな記憶は有り得ない。けれど幼い頃から知っている筈のなぎさが魔法少女となっていることにまったく違和感がない。彼女がいつ魔法少女になったのか、とんと思い出せない。

 

 

 

 いつも無表情で、いつも泣いているようにしか見えなかった少女を救えなかった覚えがある。『円環の理』が友達だったなんて、ありえないと笑ってしまったから? そうだ、彼女はいつも泣きそうで、武器の弓を大切そうに握り締めていた。

 ああ、グリーフキューブを使ってもソウルジェムが浄化できなくなって、彼女は仕方ないと諦めていたじゃないか。死に目は見せたくないと、一人街を出ていこうとする彼女を止められなかった。それが魔法少女の運命だと、自分でも諦めていた。それで、どうなった? そうだ、彼女は魔法少女の成れの果てに――『●●』になったじゃないか。

 

 ――だからそんな記憶は認めたくない。けれど本当にそれでいいのだろうか。救いたいと思って救えなかった少女は、今手が届くところに居るではないか。こんどこそ救いたいと――彼女の想いを笑ったことを謝りたいと思っていたんじゃないか。

 

「…マミ先輩?」

「なんでだろ。私、私…」

 

 頭の中がぐちゃぐちゃで、感情はもっと綯い交ぜだ。色んな記憶が交錯して、涙がどうにも止まらない。マミは髪を梳いていた手を止めて、もたれかかるようにほむらを強く抱きしめた。もう一人で死なせないとでもいうように――あるいは贖罪のように。

 

「暁美さん……そう、暁美さんだったわ。ほむらさんじゃなくて、暁美さん。私、そうだ謝らなくちゃ…? 違う、私が撃ったのは魔女…! なん、で、佐倉さん…? 私、私、なんで…!? パパ、ママ、ごめんなさい……私だけ助かろうとしたから! 一緒に生きられたはずなのに! 違う、だから、嘘、なんで…! 私…!」

「マミ!」

 

 異様な混乱を見せ、がくがくと震えながら抱き着いてくるマミにほむらは強い声で呼びかける。記憶というものは消したつもりでもふとしたきっかけで元に戻る――そんなことは解っていた筈なのに。結局借り物の神の力ではこの程度が限界なのだろうかと、ほむらは自問する。

 

 この両手をパンと打ち鳴らして……そうすれば彼女は平静に戻るだろう。悲哀も絶望も、トラウマも何もかもを忘れて気のせいだったのだと笑うだろう。そして、今度また思い出してしまった時に自分は傍に居るだろうか。全ての記憶を思い出すと仮定したならば、一番トラウマを引き起こしやすいのは巴マミだ。

 

 仲間を撃った過去。信頼していたキュゥべえに裏切られた過去。魔女に頭から食べられてしまった過去。どれもソウルジェムを黒に染めるには十分だろう。

 

 自分が居れば忘れさせることは容易い。けれど何かの拍子に思い出した時、そこに自分が居る保証はまったくない。いつのまにかマミが死んでいた――そんなことは、たとえ悪魔になっても嫌だ。ほむらは『そう』思った。

 

「誰も怒ってないし、誰も悲しんでいないわ。お父様もお母様も貴女が生きていたことを喜びこそすれ、恨んでなんかいない。マミ、貴女が救ってきた人間は――貴女に救われた人間は数えきれないでしょう? 貴女は魔法少女を殺したんじゃない、魔法少女を救ったの」

「あ、ああ――私、そうだ……佐倉さんのソウルジェムを、砕いて…!」

「杏子はそこに居るわ。ちゃんと居る。貴女の手は真っ白で、なにも汚れてなんかいないから……だから、泣き止みなさい」

「だけど……でも…」

 

 ああ、まったくなんて酷いありさまだろう。ああ、まったくなんて『むごい』んだろう。全てを忘れてのうのうと過ごさせるなんて、あまりに酷い。

 

 悲惨で、無残で、兇悪だ。

 

 『だから』彼女は悪魔になったのだ。幸せな設定を創って『あげた』。幸せな環境を整えて『あげた』。幸せな出会いを授けて『あげた』。ああ、なんて浅ましい。それは神の御業ではなく、悪魔の所業だろう。みんな何も知らずに幸せを享受すればいいと、彼女はそう思っていた。

 

 けれど、悪魔はやっぱり神にはなれない。奪った力を無理やり行使して、できたものは不格好な偽の団欒。それすらも風の一吹きで崩れ去る砂上の楼閣。

 

 だけど、だからといって女神を求むのか。彼女にはそれを選べない。何よりも大切なものがそれだから。

 

 多くを望めば何も手に入らないと、嫌になるほど体験してきた。だから誰にも関わらず、故に誰とも関わらず、ただただ幸せを見守るだけの無機質な悪魔と成り果てた。

 

 ああ、自分はなんて無様なんだろう。『こんな』ことになりたくなかったから悪魔になったのではなかったのか。『こんな』気持ちを忘れたかったから悪魔になったのではなかったのか。

 

 女神の鞄持ちなど放っておけばよかったのだ。けれど自分を理解している人が居る事が嬉しくて、自分を慮る人が居てくれることが嬉しくて。捨ててきた筈の燻火につい手をかざしてしまったのだ。あまりにも自分の掌が冷たかったから。悪魔の手が冷たいなんて、当たり前の事なのに。

 

「あ、暁美さん――んっ」

 

 少し落ち着いてきたけれど、瞳がずっと揺れ動いている目の前の少女の顎を持ち上げる。頬から伝い、手の甲にかかる雫の熱さは誰のせいだろう。偽の幸せすら与える事もできない無様な自分でも、せめて彼女が望む歪んだ依存を捧げることはできるだろうか。

 

 悪魔は、すっと彼女の頬に手を添えて――

 

「ただいまー」

「きゃああぁぁ!!」

 

 ――コマンドサンボ禁じ手の一つ、頚椎捻り飛竜竜巻掌底打を鮮やかに決めた。

 

「マ、マミさんの首が――っ!? なにしてんのほむら!?」

「ひぁっ!? ひ、人殺し!?」

「いやお前だよ! か、回復まほうー!」

 

 白目を剥いて泡を吹くマミ。起きた時には記憶がすっぽり抜け落ちて、けれどすっきりしたような笑顔だったそうな。まさに悪魔の所業である。

 






 すまんの、このSSは非シリアスなんや。

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