ある日のこと。
俺はいつものように路地裏を歩いていた。
向こうから数人の男が歩いてくる。前にボコボコにしてやった奴らだ。前は突っかかってきたってのに、今回は目を伏せて脇に避けた。
「つまんねえの」
まあ、仕方がねえか。
俺は特別な人間だ。他の奴らには出来ないことができる。触らずに物を動かしたり、人を自由に操れたり、動物と会話したり……。
イメージ出来ることは大体できた。
ケンカで負けるはずがない。
「ほらよっと」
手をかざすと、この辺り一帯のドアが軒並み吹き飛んだ。
これで万引きし放題だ。
……いや、一々押し入るのもめんどくさいな。
手の中に金が集まるのをイメージすると、すぐに金が飛んできた。四人が何を言おうと関係ない。自分さえ良ければそれでいい……。
というような具合に、昔の俺はとことんクズだった。
それに魔法力も今より高かったと思う。ロウェナ曰く、今の俺は魔法力にブレーキをかけているらしい。だから身体が成長して魔法力が上がっても、今の俺は大した魔法が使えないんだと。
だけど、俺はそれでいい。前のようになるくらいなら、死んだほうがマシだ。
この日の夜、クズだった俺を変える出会いがあった。
孤児院に帰ったときのことだ。
「お帰りなさい、ショーン」
「あ? 誰だテメエ」
知らない男が俺を出迎えた。
いかにも優男風のそいつは、もう子供達の心を掴んだらしい。足元にアホみてえな顔したガキ共が張り付いてやがる。
その内の一人が「ショーンは危ないから無視した方がいいよ」なんて告げ口をした。男はただ笑うだけで何も言わない。
「この孤児院の院長だよ。ぼくはあまり身体が強くなくてね、今まで病院にいたんだけど、やっとこうして来れるようになったんだ。今日からよろしくね」
「失せろ。じゃねえとまた入院するハメになるぜ」
「あははっ。君がお見舞いに来てくれるなら、悪くないね」
男は俺の肩に、馴れ馴れしく手を置いた。
バカが。
身体に触れ合うか、目を合わせれば俺は相手の考えが分かる。その気になれば、頭の中を壊すことだってできる。
――――――“草原”。
目の前にどこまでも続く草原が広がっていた。
ふわりと香る花の匂いが、心地よい風にのってやってくる。
どこかから聞こえる鳥のさえずりや、草木が芽吹く気配……そこかしこから生命の息吹を感じる。
「――――はっ!」
今のは、この男の心象風景だ。
悠然と構える自然のように力強く、それでいて途方もなく優しい。
そんなことを感じ取った。
「どうかしたのかな?」
「な、なんでもねえよ!」
「それならよかった。帰ったばかりでお腹が空いているだろう。今日はぼくが腕によりをかけて晩餐を作ったんだ。みんなで一緒に食べよう」
「……気が向いたらな」
そう言って立ち去ろうとした俺を、男は腕を掴んで止めた。
「今、気が向いてくれよ。そうじゃないとぼくは、君が来てくれるかどうか心配で、ちっともご飯の気分じゃなくなってしまう!」
「なんでそんなに俺を呼びてーんだよ。他のやつに聞いただろ。俺がどういう人間か」
「うん? ご飯はみんなで食べた方がいいだろう。それに、ぼくはやんちゃな男の子が好きなんだ。同性愛者でマゾヒストだからね」
「……は?」
「ジョークだよ。やんちゃな男の子が好きなのは本当だけど」
こいつのジョークのセンスは壊滅的だった。
そして、料理のセンスも。
よりを掛けたという晩餐は、うっかり最後の晩餐になるところだった。無理矢理に料理の味を言うなら「腐敗、冒涜、若干のタバコのニュアンス」というところだ。
「いい人そうですね」
ロウェナのそのつぶやきに、いつものように暴言で答えることはできなかった。
あの男の心象風景が
◇◇◇◇◇
ホグワーツ急行が汽笛を鳴らして進みだす。
今年のホグワーツの終わりを知らせる音だ。
「夏休みはなにする?」
「私はみんなでキャンプに行きたいな。知ってる? ウェールズの森には、茶色い雪男があるんだよ」
「そんなの、ただのハグリッドじゃない」
「違うよ。ハグリッドよりずっとヒゲモジャなんだ。ショーンは興味あるよね?」
「だったら、茶色い雪男を探すより、ハグリッドに育毛剤をふりかけた方がいいんじゃないか」
「むー……」
意地悪を言うとルーナは頬を膨らませて、如何にも「拗ねてます」って顔をした。
コリンが慌ててフォローしてる横で、ジニーが悪い笑みを浮かべてる。俺は「すまん、すまん」と謝って、茶色い雪男を捕まえる方法を考えようと提案した。
するとルーナは途端に笑い出して、釣られてみんな笑った。
結局のところ、みんな分かってて、予定調和なのだ。
例え茶色い雪男が見つからなくとも――もっとも、見つかったとしても嬉しいかと言われると疑問だが――四人で遊びに行けば楽しい。
ルーナの提案は、そのキッカケだ。
ホグワーツでの喧騒が嘘のように、コンパートメント内では穏やかな時間が流れてる。
そして、俺たちは知らなかった。
もう二度と、四人で集まることがないことを。
今日、この日を俺は、きっと忘れない。
◇◇◇◇◇
一週間もしないうちに、あの男は孤児院に馴染むようになっていた。
子供の中にはあいつを「パパ」とか、「父さん」と呼ぶやつもいる。両親に捨てられた悲しさをあの男で癒しているのだろう。まったく、反吐が出る。俺はそんな弱い連中と違う。両親に捨てられたとしても、俺は生きていける。俺にはそれだけの力がある。
「ショーン、おいで」
「なんだよ」
「今日、喧嘩したそうじゃないか。街の人が話していたよ」
この街の人間は噂好きで困る。
いや、別に、困りはしないか。こいつに知られたってどうだっていい。
「どうして暴力を振るう?」
「ムカついたから」
「そうか。それは仕方がないな」
意表を突かれたって言葉は、この時のためにあった。
そのくらい俺は驚いた。てっきり、そんな理由で暴力を振るうなとか、ありきたりな説教をされると思ったからだ。
「腹を立てることは誰だってあるさ。そういうとき、大抵の人は、趣味に没頭したり、友人に話したりでストレスを発散する。だけどそういったことの多くは大人になってから出来るようになるんだ。それじゃあ子供はどうやってストレスを発散するかというと、
「俺が赤ん坊だって言いたいのか?」
「いや、そうじゃない。そう聞こえたならごめんね。ぼくが言いたいのは、君は教育学、心理学、生物学、あらゆる観点から見ても、自分を壊さないように上手にストレスと向き合ってる、ということなんだ。君はとても賢いね。それに、優しい子だ」
今のどこに俺を「優しい子」という要素があったってのか。シャーロック・ホームズだって見つけられないだろう。
「君は“ムカついたから”と、そう言ったね。“なんとなく”という風に理由がないわけじゃなくて、“向こうが先に突っかかってきた”って自分を正当化してもいない。君くらい賢いなら、素直に言えば怒られることは予想出来たはずだ。それでも君は素直に話してくれた。だから根は優しい子だと思ったんだ」
「それも嘘かもしれないだろ。本当は金が欲しかったからかもしれない」
「それならもっとマシな嘘をつく」
俺は何も言えなくなった。
「だけどやっぱり、人に暴力を振るうことはよくない。だからぼくが一緒に君の趣味を探すよ。友達にだってなる。だから、もっとぼくを頼ってごらん」
俺は黙って歩いて、自分の部屋に戻った。
実家を出てから始めて、俺はムカつく相手を無視した。何をどうしていいかわからなかったんだ。
◇◇◇◇◇
キングス・クロス駅が近づいてきた。
これでいよいよ、今年のホグワーツは本当に終わりだ。
「……待て。何かがおかしい」
いつもは保護者でごった返すホームに、ほとんど人がいない。
ちらほらいる奴らも、保護者じゃあない。
「闇祓いだわ。パパの紹介で会ったことがある人がいる。……パパとママはどこ?」
いつも真っ先に飛びついてくるモリーおばさんと、後ろで嬉しそうに笑うアーサーおじさんの姿が見えない。
ジニーが呟くのと同時に、ひとりの、ハゲた黒人が近づいてきた。
「ジニー・ウィーズリーだね?」
「ええ、そうよ」
「私は闇祓いのキングスリー・シャックルボルトだ」
キングスリーは魔法使いにしては珍しく、落ち着いた男だった。
彼は「落ち着いて聞いてくれ」という不吉な前置きをしてから、ハッキリとした声で告げた。
「君の家は焼かれた。騎士団のアジトとして使っていたせいだ。すまない」
「焼かれたっ!? パパとママは? チャーリー達は?」
「落ち着いてくれ。どうか、冷静に」
「いいから、早く言いなさいよ!」
「……ご両親は名誉の戦死を遂げた」
「――っ!」
息を呑んだ。
ジニーの小さい肩が震えている。俺は肩を抱いてさすった――その程度のことしかできない。
「ご兄弟はパーシーくんを除いて無事だ」
「ぱ、パーシーは……?」
「『隠れ家』の場所を見つけるためだろう。手酷い拷問を受けた」
それを聞いて、ジニーはその場に崩れ落ちた。
俺とルーナで慌てて支える。
そして、意外なことに、コリンが激昂してキングスリーの胸元を掴んだ。
「あ、あなた達は何をしてたんですか! 闇祓いなんでしょう? だったら、助けられたはずだ!」
「我々は最善を尽くしていた」
「なにが――」
「君達を守っていたんだ。今日、このキングス・クロス駅は多数の死喰い人に襲撃された。アーサーとモリーは子供たちを守れと言い、我々は君達を守った」
周りを見れば、闇祓い達は多かれ少なかれ、みんな怪我をしていた。
本当なんだ。
細かいことは知らない。だけど、ここで戦いがあって、ウィーズリー夫妻が子供を優先しろと言った光景は、容易に想像がついた。
「アルバス・ダンブルドアが弱ったことで、このイギリスにはもはや、安全な場所はない。……ジニーさん、申し訳ないが、お兄さんを呼んできてもらえるかな。ウィーズリー家の子供達は、ご両親の遺言で我々が保護することが決まっている」
普段の姿からは信じられないくらい、ジニーは素直に従った。
ロナルドさんとジニーが闇祓い達と共に『姿くらまし』するのを、俺たちは黙って見送った。
かけられる言葉が、ない。
「ジニー、大丈夫かな……」
コリンのその声は、これから起こる全ての不吉をはらんでいるような声だった。
◇◇◇◇◇
それから更に一月が経った。
あいつはみんなに受け入れられたどころか、すっかりとここの中心だ。
「ショーン! 朝が来たよ。さあ、一緒に出かけよう!」
それだというのに、何故かこいつは俺にちょっかいをかける。
無視してればいいのに。
四六時中こいつに監視されているせいで、俺はすっかりいい子になっていた。いい子と言っても、根っからのいい子になったわけじゃないが。とにかく、悪さをする隙がない。
その日は根負けして釣りに出かけた。
あいつはまったく釣れてなかった。
そしてどうやら俺には釣りの才能があったらしく、海から魚がいなくなるくらいに釣りあげた。
釣りは唯一の、健全な趣味になった。
それを機に、幽霊達との関係も改善されつつあった。
最初はゴドリックが、釣りのアドバイスをしたことがキッカケだったと思う。
するとサラザールが張り合うように声を上げて、ヘルガが諌めて、ロウェナが海に落ちた。
いつのまにか俺の口角は上がっていた。
「ショーン、おいで」
夕暮れ時。
ベッドに入る前に、あいつに呼ばれた。
いつもは無視していたが、その時の俺は、どうしてか気分が良かったのだろう。
「なんだよ」と不機嫌そうにつぶやいて、あいつに近づいた。
ふわりと鼻孔をくすぐる花の匂い。
こいつの心を除いた時と同じ匂いがした。
俺はあいつに抱きしめられていた。
「おやすみ」
「……おやすみ」
ただそれだけ言って、俺はベッドに潜り込んだ。
その日の夜、不思議となかなか寝付けなかった。
次の日の朝。
あいつは死んだ。
原因は俺だった。
あいつは毎晩、ひとりで、俺が今まで殴った相手に謝りに行っていた。万引きした金を返しに行っていた。
子供がしたことの責任は大人が取るもの……そんな当たり前のことをあいつはしていて、俺はまったく気がついてなかったのだ。
あいつは人を信じすぎる。
だから、死んでしまった。
「ショーン……」
あいつの葬式の最中に、ひとりの子供が俺の袖を掴んだ。
他の子供達も俺を不安げに見ている。
「パパが言ってたんだ。ぼくは身体が弱いから、うっかり死んでしまうかもしれない。そうなったらショーンを頼りなさいって。あの子は賢くて、優しいから――そう、言ってたんだ」
「……馬鹿野郎が」
「えっ?」
「身体が弱いなら、なんで無茶なことやってんだよ! 俺に謝りに行かせりゃあよかったじゃねえか!」
あいつは人を信じすぎた。
だけど、それは間違ってなかった。
あいつの熱心な説得で、俺が迷惑かけた連中は、全員俺を許してくれた。最後の一人を説得をした帰り、あいつは疲れから運転を誤って死んだ。
「これからは俺がお前たちを守る。あいつよりずっと美味い料理を作って、あいつよりお前らと遊んで、何をしても俺が全部の責任を取ってやる。あいつの――パパの意思は俺が継ぐ」
だから。
「ヘルガ。今まですまなかった。料理のことを教えてくれるか」
「ええ、もちろん」
「サラザール。今まですまなかった。どこに出ても恥ずかしくないような、マナーを教えてほしい」
「ふん。考えといてやる」
「ゴドリック。今まですまなかった。俺を鍛えてくれ。みんなを守れるように」
「いいよ。ついでに女の子の口説き方も教えてあげよう」
「ロウェナ。今まですまなかった。魔法のコントロールを教えてくれ。俺はもう、この力で他の人を傷つけたくない」
「ぐずん、ズビビ……ええ、ええ。もちろんです」
こうして俺は改心した。
孤児院では一番うまい飯を作れるようになったし、どんなお偉いさんが来ても完璧な接待をした。大道芸をやる機会があれば誰よりも稼いだもんだ。裁縫も覚えて服を縫ってやった。喧嘩が起きたときは、暴力以外のやり方を教えた。勉強ばっかしてて俺と真逆のタイプでも根気よく付き合って、今では妹分になったくらいだ。
もちろんそれなりに苦労はした。それでも幽霊達が熱心に教えてくれたおかげで、俺は強い男になれた。特別な存在じゃなくてもいい。
この孤児院は俺が守る。
誰が相手でも。
そうパパに誓ったんだ。
◇◇◇◇◇
走る、走る、走る――――――。
俺の身体は羽のようだった。
元から脚は速い方だったが、それでも、今とは比べ物にならない。そのくらい今の俺には力がみなぎっていた。今、この瞬間にも、どんどん加速していっている。
それでもなお、遅い。
「止まれ、止まるんだショーン! それ以上力を解放すると――」
「うるせえ!」
止めようとしたゴドリックの腕が弾かれた。
そんなこと気にしてられない。
ただひたすらに走る。
「救急車だ、救急車を呼べ!」
「な、なんだあの形の雲は……髑髏、いや、蛇?」
「人は中にいるのか!?」
俺の孤児院が燃えていた。
上には死喰い人の紋章が打ち上げられている。この時間はみんなでティータイムのはずだ。
「き、君! まだ中に入っちゃ!」
孤児院の中に突っ込む。
大広間に行くと――、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
目の前で、アナの服の燃えかすが――
「ショーン! 絶望で心を満たすな! 強く自我を保て!」
俺は――何のために。
その場に居合わせることも出来ないで。
何のために……。
「もう遅いよ、サラザール。
かつて封印したはずの魔法力が噴き出てくる。
それは前よりずっと強く、濃く。
「やっぱり、こうなってしまうんだね」
ゴドリックの髪が王子様のような金色から、荒々しい赤色に変化していく。
――ゴドリック・グリフィンドールは世界最強だ。
それは、当たり前のことだ。
七変化、という能力がある。
好きに顔を変化させることができる。
その上に七十七変化があり、身体付きも好きに変えられるようになる。
ゴドリックは七百七十七変化――の更に上、七千七百七十七変化。身体の細胞ひとつ単位で自由に操作できるゴドリックは、ロウェナが計算した“最強の生物”に自分の身体を作り変える。
だから当然のように最強なのだ。
そして金髪は『王』としての最優。
赤髪は『英雄』だ。
「こうなった時の為に僕がいる。なっては欲しくなかったけれどね。だけど、なってしまったからには仕方ない。このままだと君は、この世界を破壊し尽くしてしまう。だから僕はこの世界の調停者として、」
力に呼応するように、肌の色が黒く変わった。
俺が俺でなくなっていく。
いや、昔の俺に戻ったのだ。
「――ショーン。君を殺す」