イギリス人が大酒飲みであるということは言うまでもない。イギリス人に比べれば、大抵の人種は――もちろん、巨人族は除く――はるかにプラトニックな関係をアルコールと築いている。大凡の国では、1日に呑んでいいのは一杯や二杯というガイドラインがあるが、イギリス人の飲み会では「この瞬間の一杯目」と言いながら、このガイドラインを冗談半分にするのもしばしばだ。
イギリス人の大酒飲みに関しては、こんな面白い逸話がある。ウェールズの偉大な詩人ディラン・トマスは、大酒が元で一九五三年に天上の美酒を飲みに行った。真偽のほどは分からないが、彼は「俺はウィスキーをストレートで17杯飲んだ。これは記録だと思う」と言ってこの世を去ったそうだ。彼がこれだけの酒を平らげたホワイト・ホース・ターバンには、今も彼の名にちなんだ部屋がある。
そして、ショーンの名前にちなんだ部屋がグリフィンドール寮に出来そうだった。
「オエエエエエエエエエエ!」
胃の中に住人がいたとしたら、間違いなく天地がひっくり返ったと思うだろう。そのくらい吐いていた。何を吐いていたかは、彼の名誉と尊厳のために伏せることにする。
魔法族はマグルに比べればずっとアルコールに強い。マグルが言う度数の高いお酒は、魔法族では手を洗うアルコール除菌にもならないくらいだ。少なくともハグリッドはそう思っている。マグルも、ハグリッドの飲みっぷりを見れば頷くだろう。
もちろんショーンだってずっとアルコールに強い。けれども、今回は限度を超えた。原因はサラザールが秘蔵していたお酒だ。東洋には蛇を漬けて製造するお酒があると言うが、サラザールが隠していたそれは『バジリスク』を漬けて造った頭わるわるの品である。一千年近い年月をかけて毒を旨味に変えたそれは、毒が強かった分だけ深い味をしていた。
そしてあまりの美味しさに飲みすぎたショーンは、グリフィンドール寮に自分の名前にちなんだ部屋を作りそうになっているのである。
「あー…………頭がいたい、気持ち悪い」
「だ、大丈夫ですか? これ、冷たいお水です」
ロウェナから差し出された水を一気に飲み干す。
ロウェナは直ぐに水差しからおかわりを注いだ。
「おい、ロウェナ。お前の顔を見たらもっと気持ち悪くなるんじゃないか?」
「な、なりませんよ。失礼ですね! 私の顔はアルプスの大自然ですから! リラクゼーション効果100点満点です!」
「それは逆にどう言う顔だ」
「こう言う顔ですよ。あなたこそ、辛気臭いのが顔に出すぎですよ。生干しの雑巾によく似てます。あれれ? こんなところに雑巾干しましたっけ?」
「よしわかった。貴様の顔にクレーターを掘ってやろう」
「ふーん。汚い雑巾はお掃除しなきゃ、ですよね?」
二人は構えをとった。
「二人とも。それ以上騒ぐのであれば、わたくしにも考えがありますよ? 近くに病人が寝ていることをお忘れなきよう」
「うむ。すまない」
「ぐっ、またヘルガの言うことだけ素直に聞いて……!」
「ロウェナ?」
「は、はい。すみません、でした」
しゅんとするロウェナを見て、ヘルガはため息を吐く。
彼女の気持ちも分からないではない。ロウェナなら魔法でショーンの酔いを簡単に覚ますことが出来る。しかし、こういう悪酔いもお酒の醍醐味と、ショーンは拒否した。出来ることがあるのに出来ない……という歯がゆさがあるのだろう。一応の元凶であるサラザールもどこか罰が悪そうだ。
「それで、あなたはいつまで飲んでいるんですか?」
「そりゃあ、止める時までさ」
「まったく。あなたという人は……」
そんな二人を他所に、ゴドリックはマイペースにバジリスク酒を飲み続けている。本物のウワバミであるサラザールに、飲み比べで勝った逸話を持っている彼のことだ。このくらいほろ酔い程度なのだろう。
「ところでヘルガ」
「はい、なんでございましょう」
「さっき僕よりたくさん飲んでなかった?」
「……」
「……」
「えっと、喉が……」
「喉が?」
「喉が、乾いていたのです。ええ」
「へー」
「なにか?」
「いや、なんでも。でもそろそろ、僕もおひらきにするよ。一人で飲むお酒はあんまり好きじゃない」
誰と飲むのが好きなのかは言わない。ここが学び舎だからだ。
「ん?」
何か、ドタバタとした音が聞こえてきた。その直後に、あちこちから怒鳴り声がしてくる。
ヘルガは自分の意識を飛ばして周りの状況を察知した。
「これは、少々まずいですね」
「どうしたんだい?」
「屋敷しもべ妖精の『姿表し』を使って、死喰い人がホグワーツに乱入して来ました」
「入学が遅れちゃった新入生じゃあなさそうだね。えーっと、あの、校長のなんとかチェアは?」
「ダンブルドア校長のことですか?」
「そう、それそれ。女の子以外は名前の覚えが悪くってね」
「歳ではありませんか? それで、ダンブルドア校長は、大変弱っておられるようです」
「弱ってる? まあ彼も歳だし、タタないこともあるか」
「わざとやってます?」
「やや」
「そうですか。後で頭の中で永遠にロウェナが歌う『ホグワーツ校歌』を流してあげましょう」
ゴドリックが安眠できるようになったのは三週間後のことだった。
曰く、アズカバンの方がマシ。
「ハリーくんと一緒に『分霊箱』を探しに行き、そこで手痛い目に遭ったようです。一人や二人ならともかく、大勢を相手にする程の余裕はないでしょう」
「だからこのタイミングか。まっ、僕はダンサブルヘアを支持するよ。リスクを払ってでも巨悪は倒すべきだ」
「そんな奇抜な髪型は知りませんが、わたくしはダンブルドア校長には反対です。生徒の安全が最優先でしょう。……ショーン、どうします? どうやらハリーくんをはじめ、お仲間が戦っているようですが」
それを聞いて、ショーンは燃え上がった。
悪を打ち滅ぼす!
大切な仲間を守るだ!!
世に広く知れ渡っている通り、正義感が強く、清廉潔白なショーンは仲間のピンチなら即座に駆けつける。ただし、二日酔いでなければ。
「ロウェナ」
「はい」
「頭がガンガンする。この雑音を消せ」
「は、はいっっっ!」
ロウェナは感無量であった。
これまでも頼み事はされたことはある。しかしそれは「ダンブルドアを倒せ」など、目標が明確に決められていた。今回は今までとはわけが違う。ショーンはロウェナを信じて、やり方まで一任してくれたのだ。
これはまぎれもない信頼の証!
まさに一蓮托生!!
レイブンクロー転寮まちがいなし!!!
たった三言でロウェナはそこまで舞い上がった。
「ほれ、杖」
放り投げられた杖。
キャッチしようとした左手をすり抜け、
次の右腕もからぶって、
「へぶぅう!」
顔面に直撃した。
赤くなった鼻をさすりながら、「痛いですう……」と言って杖を拾い上げる。
「こほん」
ひとつ咳払いをして、杖を構える。
ロウェナはこの仕草が知的でクールだと思っていた。
ロウェナの時代では杖を預けることは全幅の信頼の証。
戦争中に杖を預けるということはそれほど重かったのだ。もちろん今ではそこまで重い意味はない……ということは理解しているが、どうしても顔がにやけてしまう。
「気持ち悪い顔してないではやくしろ」
「気持ち悪いいっ!? いやいやいや。今、けっこういい顔してましたよわたし。弱りながらも私を信頼して全てを任せるショーン、それを慈愛の顔で受け取る――的なシーンのラストですから! 最高に気持ちのいい顔だったはずです!」
「慈愛の顔? ハッ! 馬鹿の顔だろ」
「はああああああ? 何を言ってんですかねえ、この蛇顔は! あ、分かっちゃいましたよ。自分が頼られなかったから嫉妬してるんですね。やーい、この甲斐性なしー!」
「甲斐性ならあるぞ! 私はこの場の誰よりも財産を残しているからなあ! 娘に持ち逃げにされた貴様とは違うのだ!」
「甲斐性イコールお金だと思ってるあたり、可哀想で涙がちょちょぎれですよ。そんな残念だからボッチなんですよ」
「き、貴様に残念と言われたくない! 貴様だけにはなあ!」
「私は残念じゃないでーす。優良でーす」
ロウェナはアホアホ煽りダンスを踊った。
サラザールは真剣に殺意が湧いた。
「二人とも。茶番はその辺になさい。ショーンのお友達の命がかかっているんですよ?」
「「はい」」
ヘルガは怒った。
二人は反省した。
ゴドリックはもはやダンブルドアの名前を忘れている。
「こほん」
ロウェナは咳払いして杖を構えた。
この仕草が知的でクールだと彼女は思っているのだ。
失敗は出来ない。
最愛のショーンから託された大切な任務だから。
故にロウェナは呪文を“唱えた”。
これまではずっと無言呪文だったが、久しぶりに本気で呪文を使った。
「ステューピファイ」
「ば、ばかっ! やり過ぎだ!」
サラザールが止めるが、遅かった。
杖から放たれた赤い光は空に打ち上がり、大きく広がった。最初はホグワーツを覆う程度だったそれは直ぐにイギリス全土を覆い……呪文の雨を降らせる。
一秒か二秒もするとホグワーツは、否、イギリス中が静かになった。
「これで安眠出来ますね、ショーン! あっ、そうだ。私が膝枕してあげましょうか?」
「前それで一瞬で足が痺れて泣いてただろ、この貧弱女! ってそうじゃない! やり過ぎだ貴様!」
「……えっ?」
「お前、イギリス中の死喰い人を対象にしただろう」
「ええ、まあ。その方が静かになって、ショーンが寝やすいと思ったので」
「ヴォルデモート……、いや、まあ、いいか。世の調和……よりもまあ、たしかにショーンの安眠、か。難しいな」
『叡智』を司るロウェナと、
『狡猾』を司るサラザール。
二人が知恵を絞っても答えが出ない問いであった。
二人の頭が悪いのか、それとも多少入ったアルコールのせいなのか。そのどちらかか、それ以外がおそらく正解だろう。
◇◇◇◇◇
ホグワーツの大広間は大混乱だった。
突如として死喰い人が現れたのだ。
最初に接敵したのが、巡回していたフリットウィック教授だったことは幸いだっただろう。彼は優秀なホグワーツ教員の中でも、ダンブルドア校長に次ぐ決闘センスを有している。
戦いの最中にセブルスが駆けつけ、マクゴナガル教授も加勢した。
とはいえ、数が数だ。30は居ようかという死喰い人の一部は戦線を抜けて、ダンブルドア校長とハリーがいる時計台の最上階へと向かっていた。
それを止めたのがロンとハーマイオニーだ。
二人はもしもハリーを出迎えようと待っていたのである。事態を一瞬で把握した二人は応戦しながらも『守護霊』をグリフィンドール寮に飛ばして、応援を要請した。こうしてジニーやネビルも駆けつけたのである。
「エクスペリアームス!」
「いいぞハリー!」
「ロン! 危ない!」
ハリーが上手く呪文を当てて一人倒した。
舞い上がったロンを襲った死喰い人の動きを、ハーマイオニーが『妨害呪文』で止める。
「調子乗ってんじゃねえわよ、ゴラァ!」
トドメに、ジニーが殴り飛ばして気絶させた。
「はあ、はあ……これでここら辺は片付いたわね」
「うん。ネビル達の加勢に行こう!」
「ダメよ」
ハリーの提案をジニーが切って捨てる。
「あいつらの狙いは校長よ。校長が死ぬとマズイことになる。私達はここで校長を守らないといけない」
「で、でも……」
「大局を見て、ハリー。ここで校長が死んだら、もっと大勢が死ぬ」
それは、正論だった。
意外にも冷静なジニーに、ハリーは驚きを隠せなかった。
「まあ、気持ちはわかるわ。ネビルにルーナ、コリン、チョウ……みんな無事かわからない。不安よね。でも、先生達もいるわ。信じましょう」
「……ああ。そうだね」
なおも続く正論にハリーは頷くしかなかった。
あの試合の後からジニーは急に大人びた気がする。その仕草にハリーは時々、心臓が激しく鳴るようになっていた。
「ならぬ」
「ダンブルドア先生……」
「この老いぼれの命など取るにならぬものじゃ。大切なのは若い命、いや、比べることさえおこがましいと言える。わしを置いて――」
「あんたは黙ってなさい! そこで縮こまって守られてりゃあいいのよ!」
「す、すまぬ」
ダンブルドアは縮こまって小さくなった。
その怖い仕草に、ハリーの心臓は激しく鳴った。
「ちっ! ショーンのアホがいればね」
そう。
この場にショーンはいない。
下の階で戦っているわけでもなく……本当にいないのだ。どこで何をしているのかは分からない。
ただ、あいつがいれば何か策を講じて、ダンブルドアを守りながら他の生徒も助けてくれたかもしれない。ジニーはそう思わずにはいられなかった。
「大丈夫よ」
「ハーマイオニー?」
ハーマイオニーが優しい声色でジニーに話しかける。
「あの人はいつもあんなだけど、大変な時は頼りになるわ。今もこの場にいないだけで、きっと何か動いてくれてる。今は私達に出来ることをしましょう」
それは、ジニーより少しだけ大人びた横顔だった。
まだハリーと付き合っていたいジニーより、少しだけ。
「……はん。意外と信頼し合ってるのね、あんた達」
「そうでもないわよ。こないだもデートの約束すっぽかされたもの」
足音が聞こえてくる。
新しい死喰い人達だろう。
二人は杖を構えた。不思議と負ける気はしない。
「――あん?」
そのとき、不意に空が赤く光った。
そして――赤い雨が降り注いだ。否、呪文だ。何かの呪文が雨のように降り注ぎ、不思議と壁や防護呪文をすり抜けたそれは、死喰い人にだけ命中した。
死喰い人達は糸が切れた人形のように倒れた。
「校長、これは?」
「……わしにも分からぬ。いやはや、まったく分からぬよ。とりあえず、一件落着ということ以外は」
「ふぅん」
ちらりとハーマイオニーを見る。
周りが唖然とする中、彼女だけが、当然とでも言いたげな顔をしていた。
ちなみにショーンは今、ゲロを吐いている。
この場にいないのも『守護霊』の声が嘔吐の音で聞こえなかっただけだ。
役に立たない男である。
◇◇◇◇◇
「ぬぐおおおおおおおおおお!!!」
ヴォルデモートは突如飛来した謎の呪文を、『防護呪文』を重ねがけする事でなんとか防いでいた。
ダンブルドアを殺そうと死喰い人をけしかけたヴォルデモートは、とある死喰い人の屋敷で報告を待っていた。
戦況は良く、ヴォルデモート上機嫌だった。
しかし予想外の事態がヴォルデモートを襲う。空が赤くなったと思ったら、いきなり攻撃されたのだ。死喰い人目掛けて一発ずつ呪文が飛んできた。ヴォルデモート自身以外はなすすべもなく直撃して、気絶してしまった。
「ぐ、ああああああああああッ! プロテゴ・マキシマッッッ!」
渾身の力で張った防護呪文で、なんとか呪文の軌道を逸らした。
「はあ、はあ、はあ――――なんだ、一体!?」
力のほとんどを持っていかれた。
ダンブルドアを相手にした時でさえ、呪文ひとつにここまで労したことはない。
「……なに?」
今、やっとの思いで弾いた呪文。
それが新たに赤い空から――10――20――30――と降り注いできた。全て、ヴォルデモート目掛けて。
プロテゴ、フィニート・インターカーテム、アバダ・ケダブラ。様々な呪文でヴォルデモートは対抗したが、ひとつかふたつ弾いただけに終わり、やがて呪文の波にのまれた。
「(ありえん……!)」
気絶するまでの一瞬で、ヴォルデモートは思考を加速させる。
「(この呪文ひとつひとつに私の全力に近い魔力が込められている。ならば、呪文を生み出すあの雲は……いや、そもそもどうやって攻撃対象を認識している? 愚問だ。寸分の狂いもなく練り上げられた魔法と、完璧な技量によって編み出された技に他ならぬ! 目の前の敵に魔法を当てることは基本だ。優れた魔法使いほど遠くの敵を狙える……これはそれと同じ! その究極系!!)」
ヴォルデモートは闇の魔法使いである前に、一流の魔法使いである。それも超の付く。だからこそこの呪文の完成度の高さに感動さえ覚えていた。
「(恐らくはダンブルドアか。奴が弱った機に命を狙うと知っていて、予め魔法を練り上げていた様だな。これほどの大魔法、二度はないだろうが……今回は認めてやろう。貴様が一歩上をいった!)」
ヴォルデモートはついに意識を失った。
ホグワーツに侵入した死喰い人はもちろんのこと、方々に散っていた死喰い人もこの事件を機に多くが確保された。
更に大きなこととして、死喰い人のみを狙うこの魔法は、魔法省や各機関に潜んでいた死喰い人を全て洗い出した。気絶している死喰い人をアズカバンに放り込むことは、赤ん坊をベビーベットに運ぶより簡単だったとルーファス・スクリムジョールは言う。
もしもショーンが酒でダウンしていなければ、もっとスマートなやり方があったかもしれない。しかし現実は非情である。今回の騒動で二十三時十九分から翌日の朝八時きっかりまで、全死喰い人――ヴォルデモートも含める――は気絶していた。