秘密の部屋に入ったショーン達を迎えたのは、ドラコ・マルフォイだった。
――いや、ドラコ・マルフォイではない。
ドラコ・マルフォイの皮を被った、別のナニカだ。
それが簡単に分かるほど、マルフォイの中の“彼”は存在感を放っていた。一年生のショーンは勿論、歴戦の先生方でさえ、彼の一挙手一投足から目が離せないでいたほどである。
「お久しぶりです、マグゴナガル教師、フリットウィック教師も」
男は優雅なお辞儀をした。
その動きはとても美しく、一瞬ここが薄暗い地下室である事を忘れさせるほどだった。
それが、とても恐ろしい。
こちらは最大限警戒してるはずなのに、まるで音も無く近づいてくる蛇の様に、いつの間にかスルリとこちらの心の中に入ってくる。
「ふざけるのはやめなさい、ミスター・マルフォイ!」
「心外だな……ふざけてなんていませんよ。それより、お疲れでしょう。紅茶でもどうです?」
男が杖を振ると、豪華な机と椅子、綺麗なティーセットが現れた。
彼は慣れた手つきで紅茶を四人分並べていく。お茶請けには、ドライフルーツが練り込まれたクッキーが用意されていた。
良い匂いがする。そう言えば、朝から何も食べてないな……。ふと、そんな事を考えている自分に気がついた。敵地で「紅茶とクッキーが美味しそうだ……」などと考えるなんて、正気ではない。
「紅茶が淹れ終わりましたよ。さあ、席について」
「我々をからかっているのですか? 貴方が出したものなど、口に入れるわけがないでしょう!」
「やれやれ、何をそんなに警戒してるんです? そんな事、まったくの無意味なのに。いくら警戒しようが、しまいが――」
男は呆れた様に言った。
「――僕がその気になれば、直ぐに決着はつく」
男はパチン! と、指を鳴らした。
すると何処からともなく、ハリー・ポッターが現れた。顔に生気はなく、また手にはナイフが握られている。ハリーはそのナイフを、自分の首に向けていた。
「ポッター!」
「自分に向けて失神呪文を撃って下さい。でなければ、ハリーには死んでいただくことになる。僕の紅茶を断ったんだ、時間はもうありませんよ。3……2……1……」
赤い閃光が二つ輝いた。
直後に、人が倒れる音が二つ。
頼りにしていた先生方は、あっけなくやられてしまった。
しかし、意外にもショーンは冷静だった。
ショーンが真に頼りにしているのは、先生方ではなく四人の幽霊達、その一人が遺した物を見つけた者なら、先生方くらい簡単に倒すかもしれないと覚悟していたからだ。
どうするべきか……ショーンは考える。
この男を自分一人で倒す、というのは無理だろう。ならば、時間を稼ぐというのはどうだろうか。あの抜け目ないスネイプなら、何かしらの異変を感じとり、ダンブルドア校長に連絡してくれるかもしれない。
確認の意味を込めて、四人の幽霊達を見る。
……彼らが頷いてくれたということは、問題ないということだろう。
「おや、君は自分に魔法を撃たないのかい、ショーン君」
「……失神呪文はまだ使えないんでな」
「なるほど。それなら仕方がないな。それじゃあどうだい、一緒にティータイムを楽しまないか?」
「悪くない。実は朝から何も食べてないんだ」
「おや、そうなのかい? それじゃあクッキーだけじゃなくて、もっとしっかりした物を用意しておけば良かったね」
くっくっくっ、と喉を鳴らす。
何がおかしいのかサッパリ分からなかったが、とりあえずショーンも笑っておいた。
ショーンが席に着くと、男は恭しく給仕してくれた。綺麗に並べられたクッキー、完璧に淹れられた紅茶、孤児院でも週に一度くらいはティータイムがあったが、ここまで立派なものはなかった。
「毒は入っていませんわ。それどころか、良い茶葉を完璧にお淹れになっています。道具も素晴らしいものばかり……」
ヘルガが感心した様に言った。
マルフォイ家は相当な良家だと聞いている。マルフォイに憑依している“彼”は、その財産を惜しみなく使っているのだろう。
「こんな話を知ってるかな?」
ショーンは答えない。しかし、男は楽しそうに続きを話し始めた。
「――――イギリス人は、アメリカ人が紅茶を捨てているところを見て、戦争を仕掛けたという歴史がある。
一七七三年。俗に言う、ボストンお茶会事件という奴だ。その背景には、イギリス政府がアメリカに対して課した重い税金への抗議の意思があって、ただ無闇に捨てたというわけでは無いんだけどね。
……まあそんな事はどうだっていい。
ここで面白いのは、イギリスという国への反抗として、紅茶を捨てるという行為が使われたことだ。飲み物を捨てる事が象徴だなんて、そうあることじゃないだろう?
仮に僕がミネラルウォーターを捨てたって、フランス人は激怒したりしない。だけどボストンお茶会事件に限って言えば、紅茶を捨てられたのが原因で戦争が勃発しているわけだ。当時のアメリカ人達は実に的を射た行動をしていた、ということになる」
男は紅茶に口をつけ、愉快そうに笑った。
「随分マグルの歴史に詳しいんだな。嫌いなんじゃ無いのか?」
「嫌いさ。嫌悪している。でも、だからこそなんだよ、ショーン君。敵と戦うには、敵を知らなければならない。君はまだ一年生だったね? 三年生からは選択科目がある。マグル学は取るべきだよ、あれは実に面白い授業だ」
「参考にさせてもらうよ。もし、ここを生きて出られたら、の話だけどな」
「あっはっはっは。ククク……確かに。生きて出られたら、の話だね。
打てば響く、と言うのかい? 君とは実に会話が弾むよ。僕が学生だった頃のお友達は、みんなユーモアに欠けていてね。僕が右と言えば右、左と言えば左としか言わない人達ばかりだったよ」
「俺だって右と言われたら右と言う。ただし、お前から見て右なのか、俺から見て右なのかは知らないけどな」
再び、男は愉快そうに笑った。
「話を戻そうか。僕にとって紅茶とは、つまりは純血なんだよ。普段当たり前の様に享受していても、余所者が粗末に扱っているところを見ると、腹わたが煮えくりかえりそうになる。
ボストンお茶会事件以来、アメリカ人は紅茶を飲まなくなり、コーヒーだけを飲むようになった。
マグルにもそうして欲しいんだ。紅茶には口をつけず、苦いコーヒーだけを飲んでいて欲しい」
男の話を聞きながら、ショーンは彼が淹れた紅茶を飲んだ。なるほど、美味しい。砂糖を多めに入れているのだろう、落ち着く味わいだ。温度も完璧、薄汚い地下室のせいで冷えた身体を、心地よく温めてくれる。
「ショーン君、君には才能がある。本屋でルシウスの邪魔をしたのだって、偶然本を入れるのが見えていたからじゃないんだろう?
僕の方から見える右と、君の方から見える右を一緒にしようじゃないか」
「……そうだな。それも悪くないかもしれない。最近気づいたんだがな、俺もどうやら、身内が悪く言われると頭に来るタチらしい。そういう意味では、俺とあんたの見てる方向は一緒だ。ただな――」
頭をよぎるのは、石になったコリンと、怒りに震えるサラザールの顔。
「――俺にはあと四つ、別の視点があるんだよ」
テーブルを思いっきり、男の方に向かって蹴り上げる!
男は優雅に椅子に座っていたにも関わらず、最小限横に動くだけでそれを避けた。
しかし、それもショーンは織り込みずみ。自分の座っていた椅子を持ち上げ、渾身の力で横に振る!
「おっと!」
男が屈んで避けた。
すかさずポケットから杖を取り出し、低い姿勢をしている男に向ける。
「良いのかい、ハリー・ポッターがどうなっても」
「……さっき思い出したんだが、俺だけはハリー・ポッターではなく、彼を心配すると決めていた。ロナルド・ウィーズリーはどこだ?」
「は?」
「――インセンディオ!」
ショーンが覚えている呪文の中で、最も殺傷能力の高い呪文を男の顔に向けて放つ!
どうせここでショーンが抵抗しようとしまいと、この男はハリー・ポッターを殺す。ヘルガからそう聞かされていた。それなら、短期決戦で勝負を着けるまでの話!
ショーンの杖先から、人一人焼くのに充分な火が放たれる。しかしそれは男に届く事なく、空中でみるみるうちに消えてしまった。
「改めて名乗っておこうか。君も誰に殺されたかくらいは知っておきたいだろうからね。僕はトム・マールヴォロ・リドル。スリザリンの後継者だ。それより――─」
男――トム・リドルは、ショーンがテーブルを蹴った際床に散らばった紅茶を指差した。
「――─開戦だ」
スリザリンよ、ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ。
蛇語だったためショーンには、トム・リドルの言葉が聞き取れなかった。しかし、その言葉が何を意味するものかは分かった。
トム・リドルの背後にあった巨大なスリザリンの石像、その口が開き、想像も出来ないほど巨大な蛇が這いずり出て来たのだ。あの蛇が散歩途中に偶々通りかかった、育ちすぎのガラガラ蛇だとは思えない。
「……サラザール。お前がマメな奴なのは随分と前から知ってたが、まさか蛇をここまで大きく育てるとはな」
「ジョークを言ってる場合か! サッサと目を閉じろ!」
「何を独り言を言っている……。まあいい。バジリスクは運動不足なんだ、しっかり運動させてやってくれ。少なくとも、ポリジュース薬なんて面倒なモノを飲んでまで、態々僕の所に来てくれた間抜けなハリー・ポッターよりはね」
ポリジュース薬なんて薬は見た事も聞いた事もなかった。しかしここは強気で行くべきだと思ったので「ポリジュース薬か……アレは厄介極まりない、危険な薬だ………」と言っておいた。
「しかし真面目な話、どうやって戦えばいい?」
「わたくしがバジリスクの心を読みます。どちらに動けば良いのか指示しますので――右!」
言われた通りに右に避ける。左の頬の近くを、何かが通る感覚がした。
右に、左に、前に後ろに……ショーンはひたすら避けた。偶に火炎呪文を放っても見たが、バジリスクの分厚い鱗の前ではマッチほどの役目も果たさなかった。
「良くやる……だけどね、相手はバジリスクだけじゃない。僕もいる」
トム・リドルが杖を抜こうとしていた。
冗談じゃない!
バジリスクだけで手一杯、今生きてるのだって奇跡みたいなものだ!
もうこれ以上は、ネズミ一匹だって相手する余裕はない!
ショーンが焦っていると、何処からともなく歌が聞こえて来た。
美しい歌だ。
ショーンは心が温まる思いがしたが、反対にトム・リドルは顔を歪めた。
「不死鳥だな……フォークスか?」
フォークスと呼ばれた不死鳥は、金色の爪に組み分け帽子を引っ掛けていた。それをショーンの手元に落とすと、虚ろな目をしたハリー・ポッターの肩に止まった。
そして労わるように、彼の頬に擦り寄った。
「不死鳥の涙――万能に効く癒しの力」
発見者、ロウェナ・レイブンクロー……ショーンは最近読んだ本のことを思い出した。
不死鳥の宝石のような瞳から、一粒の涙が零れ落ちる。それはハリー・ポッターの頬に落ち、流れ、口の中に吸い込まれて行った!
次の瞬間、ハリー・ポッターの目には生気が宿り、息を吹き返す!
「ハリー! ハリー・ポッター! 糖蜜パイと庭小人退治が好きなハリー・ポッター! 今の状況を理解してるか?」
バジリスクの尻尾の薙ぎ払いを避けながら、ショーンが叫んだ。
ハリーはフラつきながらも、しかししっかりと立ち上がった。
「分かってる! 意識はあったんだ。ただ、体が動かなかった。マルフォイをぶっ飛ばせばいいんだろ? 前からやりたいと思ってたんだ。今ここに、邪魔するスネイプはいない。……ねえ君、どうして僕が糖蜜パイと庭小人退治が好きな事を知ってるんだ?」
「メンタリストだからだ! だけど……よし! これで二対二だぞ、トム・リドル!」
そして、ショーンの手にはグリフィンドールの剣が握られていた。
「なるほど。ヴォルデモート卿とハリー・ポッター。スリザリンの怪物と真のグリフィンドール生というわけか……」
トム・リドルがせせら笑った。
フォークスが気絶したマクゴナガル教授とフリットウィック先生を抱えて、再び飛び去っていった。彼の歌が聞こえなくなった瞬間、三人は一斉に魔法を放ち、蛇の王は牙を剥いた。
◇◇◇◇◇
トム・リドルは焦りを感じていた。
ハリー・ポッター……伝説的な英雄とはいえ、所詮はマグル育ちの二年生。大したことはない。決闘クラブで友達のロン・ウィーズリーと戦っているところを、物陰からこっそり見ていたが、やはり警戒するような実力ではなかった。
しかし、しかし何だコレは……?
「何故だ、何故僕の魔法が通用しない!」
トム・リドルの魔法は悉く逸れて行き、ハリー・ポッターに擦りさえしなかった。
そしてハリー・ポッターが放つ呪文、初級の呪文ばかりだが、その鋭さは大人の魔法使いと比肩しうるほどだ。
「バジリスク! 何をモタモタしている! サッサとかたをつけろ!」
あっちはもっとおかしい。
たかが一年生が、バジリスクと渡り合っている。有効打こそないようだが、それはお互い様だった。
「どうした、トム? 随分焦ってるみたいじゃないか」
「黙れ! ダンブルドアの腰巾着め。今回だって彼がいなければ、君は何も出来ずにやられていた!」
「でも、ダンブルドア先生は僕達に助けを寄越してくれた。君が一番強大だった時でさえ、彼には手出しする事も出来なかった。今だって君は彼を恐れている。こんなに地下深くに隠れているのに」
トム・リドルの顔がより一層醜く歪んだ。
――勝てる。
ハリーはそう思い始めていた。トム・リドルは誰の目から見ても明らかに冷静さを欠いているし、それでなくたって何故か彼の魔法はハリーに通用しなかった。
――その時だった。巨大な破壊音が地下室に鳴り響いたのは。
破壊音の正体は、ショーンだった! 彼がバジリスクの尻尾の強烈な一撃をもらい、柱に叩きつけられている音だったのだ!
「イイぞ、バジリスク! さあ、あの有名なハリー・ポッターは闇の帝王と蛇の王、二つの王をどのようにして捌くのか……お手並み拝見といこうか」
トム・リドルはせせら笑った。
反対に、ハリーは顔を歪めた。
「ショーン!」
無駄だと思いつつも、声を張り上げる。
その声に呼応するかのように、ガラリと瓦礫を退ける音が聞こえてきた。声をかけた本人であるハリーでさえ、目を剥いた。
「馬鹿な……」
トム・リドルは喘ぐような声を出した。
しかし直ぐに思い直し、バジリスクに蛇語で指示を出す。不思議と、ハリーにはその言葉が理解出来た。
「いや、そいつは死に損ないのはずだ! 直ぐに噛み付いて、毒で殺せ!」
バジリスクは直ぐにショーンに襲いかかった!
ハリーは助けに行こうとしたが、箒に乗っていないハリーは風のように早くは移動出来なかった。
ヤられる! 味方であるはずのハリーでさえ、ショーンの死を確信した。
しかし予想に反し、血を流したのはバジリスクの方だった。
バジリスクの恐ろしい悲鳴がこだまする中、ショーンはバジリスクの血に濡れたグリフィンドールの剣を握りしめ、堂々と立っていた。
「ショーンは眠ったよ。だからここからは……僕がやる。本当はサラザールがやるべきなんだろうけど、優しい彼にはバジリスクは殺せないだろうからね。
トム・リドル。君はさっきホグワーツ四強で最も強い者はスリザリンと言ったけど、本当の最強が誰かということを、その身に刻み込んであげるよ」
トム・リドルは再び立ち上がった彼を見て、強烈な悪寒に襲われた。