観音寺城を落として数日。江南の小城を攻めていた壬月たちも無事合流を果たしていた。兵糧の準備や、部隊の再編成などを行い城を出る。
「おう、孺子。観音寺攻めでも大活躍だったな」
「桐琴さん。それに小夜叉も。こんな後ろまで下がってきてどうしたの?」
「別に。お蘭を見に来ただけだよ」
「なんだよ、まだ拗ねてるのか?」
「んなこたねぇよ!」
「かかっ!観音寺攻めでは儂の勝ちだ。三好、松永との喧嘩では気張ってみせろや」
「うっせーよ。あんま偉そうに言うなよ母ぁ!次はぜってぇー負けねーからな!」
「ぐははっ!やれるもんならやってみぃ」
「うーーーー!」
森家にとってはいつもの光景であるが、知らない一般の足軽たちにとっては恐怖の象徴でもある二人の会話は肝を冷やすものだろう。蘭丸も森一家ではあるが、そういった雰囲気は戦場以外では一切ないことも慣れ切れない理由なのだろう。
「で、お蘭は何処にいんだよ、剣丞」
「蘭ちゃんなら久遠のところに行ってると思うよ」
「んだよ、暇だなぁ」
「……ふむ」
桐琴がなにやら考えるように頤に手をあてる。
「どうかした、桐琴さん?」
「……いや、何でもない。孺子、何かあったらお蘭を頼むぞ」
「え……?う、うん、まぁそのつもりではあるけど」
「ならいい」
「久遠さま、大丈夫ですか?」
蘭丸は久遠の普段と比べると少し疲れた様子に心配して声を掛ける。
「大丈夫だ。……お蘭こそ無理をしておらぬか?」
「ふふ、私こそ大丈夫です。久遠さまのために何かを出来ることが私にとっての幸せですから」
「そうか。……」
「久遠さま。家中の者は皆同じ気持ちです。ですから」
「……うむ。分かってはおるのだ」
「それに、しっかりと食事を取られてますか?」
「う、うむ」
「私も結菜さまに叱られてしまいます。また少しお痩せになられてるのでは?」
「う……」
押され気味の久遠が黙り込むと、二人の間を暫しの沈黙が包む。そんなときであった。
「ご報告!」
「許す」
「はっ!丹羽様より……」
早馬の内容を聞いた久遠と蘭丸は驚く。
「……お蘭」
「はっ。壬月さま、剣丞さま、葵さまをお呼びします」
「久遠っ!蘭ちゃん!」
血相を変えて駆け寄ってきた剣丞。
「麦穂さんたちの早馬、何か変事があったってことか!?一葉たちは無事だよなっ!?」
「落ち着いてください、剣丞さま。変事は変事ですが……」
「予想だにしなかったという点での変事だ。血生臭いものではない」
蘭丸の言葉を継ぐように久遠が言うと剣丞はほっと息をつく。
「そっか……よかったぁ……」
「だが、安心はできん。血生臭くはないが、胡散臭い変事だからな」
「胡散臭い?一体、何が起こったんだ?」
久遠の言葉に蘭丸も困ったような表情を浮かべているのを見て剣丞が尋ねる。
「うむ。実はな……あの松永弾正少弼が、降伏を申し出てきたらしい」
「ええっ!?」
陣幕で区切られた本陣、久遠の座所。床几に腰掛けた久遠を挟むように剣丞と鞠が、久遠の背後からの襲撃があった場合にも動ける位置……そして、何かがあれば一瞬で攻め込める位置に蘭丸が立つ。相手が相手だけに、全員に緊張が走っている。
「松永弾正少弼様をお連れ致しました」
そんな言葉と共に、麦穂と雛、そして弾正少弼であろう女性が座所に入ってきた。
「……おう、これはこれは。主要な者どもが勢揃いか。苦労であるな」
「お黙りなさい。あなたはもはや降将であることを忘れないように」
「ほっ。米五郎左はなかなかに手厳しい。恐れ入る」
口ではそんな風に言いながら、その女性はふてぶてしい態度を崩さなかった。そんな姿を見て蘭丸は彼女の評価をしあぐねていた。
「……」
「良い。……座れ」
「ふむ。では甘えようぞ」
言いながら、壇上少弼は優雅な所作で地面にふわりと腰を下ろした。
「まずは接見の機会を与えて頂き、深くお礼言上仕る。織田上総介どの」
先ほどまでの態度が嘘のように丁寧な態度で久遠に向かい合う。
「貴様が松永弾正少弼か」
「いかにも。三好家の家宰、いやさ織田衆にとっては三人衆と語り、畿内の覇権を手に入れんと公方に楯突く大むほん人、と言った方が意に沿い申そう。大和信貴山城主、松永弾正少弼久秀。通称、白百合。見知りおき願おう」
久遠の瞳から一切視線を外さず、悠々と名乗りを上げる松永久秀。その姿は、さすが乱世の梟雄と呼ばれるだけはある、堂々とした姿だった。
「デアルカ」
「松永弾正少弼は、坂本城に進駐しておりました我らのところへ、手勢五十ほどと共にやって参りました。陣笠を掲げておりましたので、話を聞いたところ、織田に頭を垂れたいとの話を聞き……」
「我に早馬を出した、という訳か」
「御意」
「……おい梟。何を考えているか、みな言え」
「言え、とはまた、言葉の刃が鋭いの。……なかなかな小娘であるな」
その言葉と共にザワリと背筋が凍るほどの殺気を放つ蘭丸。
「お蘭」
「……はっ」
「ほほ、恐ろしい殺気だ」
「で?」
相変わらずというべきか、らしいというべきか。端的な言葉で久遠は白百合との問答を進める。
「うむ。我に思う所あり。三好と手を切り、上総介殿を頼る決意を致した」
「信じろと?」
「然り!……上総介殿とて、三好、松永党と戦うよりも三好のみの方が与しやすかろう?」
「ふむ?織田、松平の連合の兵は、三好、松永よりも多い。別に大して変わらんが」
「上洛のみならば、上総介殿の言、まさに正論」
そう言って言葉を区切る。
「だが小谷、そして越前を思うならば……どうだ?」
「……」
ニヤリとした笑みを浮かべながら、交渉を始めようとする白百合に周囲の将が口々に異を唱え始める。
「貴様、阿呆か。河内のへっぽこ武士に負けるほど、尾張兵は鈍っておらんわ」
「そうだそうだ!いくら尾張衆が弱兵揃いだからって、今は美濃とか三河の兵が居るんだからな!上方のぼんぼり野郎なんか負けるかってんだ!」
「和奏ちん、それ微妙に自慢になってないから」
壬月、和奏、そして和奏に突っ込みを入れる雛の順でいう。
「ふん、さようか。なら好きにせい」
「……弾正少弼」
「……はっ」
「……何があった?」
久遠の言葉に周囲が静まる。蘭丸も何かを感じたのだろう、じっと見極めるように白百合を見る。久遠の言葉に、間違いなく少しだけ表情が強張ったのだ。
「……三好と手を切らなければならない、そんな状況に陥ったってことか」
剣丞も気付いたのだろう、そう口を開く。
「いや、そこでは無かろう。……何かしら、三好がこやつの気に入らんことをしでかしたのではないか?」
「気に入らないこと?」
「うむ。……どうだ梟」
「……」
久遠のことをまっすぐに見つめ、白百合は何かを考えているかのように、しばし無言を通す。やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……織田の小倅はうつけと聞いていたが、世間の雀に惑わされていたのは、自身であったようだな」
「そうか。認識を改められて良かったではないか」
「ふふっ、確かに。……」
肩を竦めて笑った白百合が、再び姿勢を正し今度は慇懃な様子で久遠に向き直った。
「鬼との戦を決意された、織田上総介さまに松永弾正少弼、謹んで言上仕る」
「受けよう」
「三好三人衆、外道に堕ち申した」
「お蘭」
「久遠さま……」
「……先ほどは何も言わんかったが、やはりお前も反対であったか?」
「賛成か、反対かで問われれば……正直なところ、反対ではありました」
白百合の投降を受け入れた久遠。勿論、壬月や麦穂たちの反対はあったがそれを押して家中へと組み込むこととしたのだ。
「ですが、剣丞さまのときも私は反対しておりました。……剣丞さまは立派になられました。久遠さまの目指す未来に必要な存在へと。ですから……此度も蘭は信じようと思います」
「……うむ」
少しだけ嬉しそうに久遠がいう。そして、そっと蘭丸を抱き締める。
「く、久遠さまっ!?」
「お蘭、またお前に危険な仕事を任せることになってしまった。……だが、一葉を守るためにはこの作戦しか取れんのだ」
「……分かっております。私たちのように身軽に動ける部隊が先行して、焦り攻め込んでくる可能性のある三好を抑える……むしろ、誇るべき任だと思っております」
「……うむ」
抱き締めていた腕を解く久遠。
「お蘭、一葉を頼むぞ」
「はい、お任せください」
「ふむ……空気が変わったな」
二条館を出て町を歩いていた信綱が目を細め周囲を見る。
「……この臭い……。一葉の元へ戻ったほうが良さそうか」
周囲に流れる不穏な気配と、長く戦の場に居たからこそ分かる戦の臭い。
「一葉であれば、そう簡単にやられはせんだろうが……」
正直言って、二条館の守りは無に等しいだろう。護衛の兵も百程度しか居らず、中でも腕の立つものは信綱以外では一葉と幽くらいのものだろう。そして、戦の気配とは別に感じる違和感があることも信綱に何か引っかかるものを感じさせていた。
「……なんだ、この感じは」
そう呟きながら館へと戻る。既に兵たちに指示を出したのだろう、幽が門から出てきたところだった。
「幽」
「おぉ、信綱どの。ちょうど良かったですぞ。少しそれがしは散策に出てきます故……」
「一人で大丈夫か?」
「むしろ、私以外には適任はおりませんので」
「分かった。双葉の守りについておけばいいか?」
「助かりますぞ」
そんな言葉を交わした二人はそのまま別れ、信綱は双葉の部屋へと向かう。
「双葉、入るぞ」
「信綱さま?どうぞ」
部屋へと信綱が入ったとき、双葉はいつもと変わらず一人書を読んでいた。
「双葉は蘭丸と会ったのだったな」
「蘭丸さまですか?はい、お会いしました」
「私が知っているのは幼い頃だったのだが、どうだ。よい男に育っていたか?」
「そうですね……ふふ、とても可愛らしいお方でしたよ?」
「可愛らしい……あぁ、そういえば桐琴や小夜叉が娘やら妹やらと言っていたな」
蘭丸の親と姉を思い出して納得する。
「ですが……何か気高いものを双葉は感じました。姉さまも瞳に龍を見た、と仰っていました」
「龍、か」
幼い頃からあの才気だ。そういう成長をしていてもおかしくはないだろう。
「今、一葉や双葉を助けるべく蘭丸たちは動いているのだろう?」
「はい、そう聞いております」
「ならば、その龍に会えるのも近いかもしれんな」
それとも、三好、松永が攻めてくるのが先か。どちらにせよ、双葉は守らなければならない。なぜならば、一葉がもし死ぬことがあれば双葉は次の将軍になるのだから。