「あ、そうだ蘭ちゃん!」
宴の席が落ち着いてきた頃、市が蘭丸に声を掛ける。
「どうされました、お市さま?」
「そういえば、まだ一緒に『遊んで』ないなーって!」
「ふふ、遊ばれますか?」
「うん!
宴の席から場所を庭へと一同は移す。
「市、蘭丸さんに怪我させたら……って、無用の心配ですかね、お姉さま?」
「であるな。お蘭!お前の本気、久々に見せてみよ!」
「ちょっと久遠?」
「よかろう。たまにはあ奴にも発散させてやらねばな」
久遠の言葉を聞いた蘭丸が微笑む。
「と、言うことですので本気でお相手させていただきますね、お市さま」
「勿論!それで得物は何にする?」
庭にずらりと並べられた鍛錬用の刃引きされた得物をちらと見て市に視線を戻す。
「それでは、折角準備していただいたのです。
「へぇ、本当に本気だね、蘭ちゃん!楽しくなってきたよ!」
嬉しそうに飛び跳ねる市を見て久遠が視線をひよ子、転子、詩乃に向ける。
「よく見ておけ。お蘭の本当の戦いを」
最初に蘭丸が手にとった武具は闘具であった。市と全く同じ構えを取った蘭丸に市は嬉しそうに笑う。
「久しぶりだね、蘭ちゃん!」
「そうですね。初手はお譲りします、どうぞ」
「へぇ……」
すっと目を細めた市の姿がぶれる。それは常人の目から見てであり、達人の域に達したものたちには違う。市はたった一度地面を蹴っただけで既に蘭丸の背後まで回っていたのだ。再び一呼吸の間に市は地面を蹴ると蘭丸の背後から容赦ない一撃を放つ。視線をめぐらせることもなく蘭丸も身体を回転させるように拳を放つ。二つの拳がぶつかり合い、ドンという鈍い音が響き渡る。
「うわっ!お市さままた強くなってる!」
「本当にお強い。……というか、私なんて足元にも及ばないんじゃ……」
驚くひよ子と転子。
「市はあれでいて壬月と並ぶ剛の者であったといったであろう?」
「……それにしても蘭丸さまの動きを見るに全く手は抜いていないでしょう。それに対抗できるだけの力をお持ちとは……あの力は本物なのでしょうね」
「子供の頃から壬月と仕合うことが日課であったからな。強くもなろう」
「私も壬月たちと訓練したら強くなるのかしら」
戦いを見ながらぼそっと結菜が言う。
「……やめておけ」
「ただ思っただけよ」
そんな会話を見ている者たちが話している間にも二人の攻防は続く。見た感じには大きな力量の差はないように感じるが、二人の表情には互いにまだ余裕があった。
「それでは、お市さま」
「いいよ!」
ぱっと距離を取り直した市が構え直す。蘭丸が流れるような動作で闘具を置くと棍を手に取る。
「参ります」
先に動いたのは蘭丸。棍を槍のように突き出す蘭丸の一撃を市は紙一重で避けると再び距離をつめる。突き出した棍を無理やり払うように使うと、市は姿勢をさらに低くし、地面すれすれの状態で払いを避ける市。
「ちょわーっ!!」
聞くものが聞けば可愛らしい声を共にそれに見合わない鋭い一撃を放つ。それを受けた蘭丸が宙高くに吹き飛ばされたように見えた一同は驚愕に目を見開く。が、市はさらに追撃の構えを取る。
「ら、蘭丸さんっ!?」
「お、お市さまを止めないと!」
「……いえ、落ち着いてください、ひよ、ころ。蘭丸さまは……」
宙に飛ばされた蘭丸の手にはいつの間にか弓があり、それを市に向けて構えていた。
「狙い撃ちます」
蘭丸から放たれた矢は的確に市の急所を狙ってくる。それを一つずつ打ち払う市だが、絶え間なく放たれるそれを避けようとするとその移動先に既に矢が撃たれている。全て先を読まれた攻撃に市も追撃しようとした動きを止める。その間に地面に降り立った蘭丸は弓を手放し槍を手に取るとそれを市に向かって投擲する。
「ちょ、蘭ちゃん危ない、よっ!」
それを真正面から殴り粉砕する市。しかしそのときに蘭丸の姿はない。
「っ!」
初手の市の一撃と同じように背後に回った蘭丸が全く同じように拳を突き出す。
「取らせないよ!」
蘭丸の腕を掴み、背負い投げの要領で市は蘭丸を投げる。軽くふわりと地面に着地した蘭丸は刀を手に取る。
「やっと本気ってことだねっ!」
「お市さま、お疲れですか?」
「そ、そんなことないよ!」
若干息が上がっているのに気付いた蘭丸が市に言うと、即座に否定する。
「ふふ……それは良かったです。ですが、あまり時間をかけすぎるのも久遠さまに悪いですから終わりにしましょうか」
「相変わらずお姉ちゃん大好きなんだねぇ」
「勿論です。私が世界で最も敬愛しているお方ですから」
蘭丸がぶらりと刀を抜いた状態で立つ。
「では、改めて参ります」
ドン、と一歩踏み込む蘭丸。その一歩でまるで自身のように周囲に衝撃が走る。地面には皹が入り、武具も宙に浮いている。
「お覚悟を」
蘭丸が目を閉じる。かっと見開いたその瞳はまるで血に塗れたように紅に染まる。
「!市、気をつけて!」
「知ってるよっ!」
蘭丸の口元がニヤリと歪む。その笑みはまるで桐琴や小夜叉が浮かべるようなもので。
「く、久遠さま、あれは何なんですか!?」
「あれが……そうだな、森の血、とでも言うのだろうか」
幾ら刃引きされているとはいえ、達人が使えばそれはもう凶器だ。
「新陰流」
「御家流!」
二人の口からその言葉が放たれる。
「愛染挽歌っ!!」
「飛燕」
蘭丸の刀と市の拳。双方の一撃は的確に急所を狙っていた。
「……腕を上げられましたね、お市さま」
「蘭ちゃんこそ。……あははっ、負けちゃったか~」
蘭丸の顔面に打ち込まれるところで止められた市の拳には蘭丸の手がそえられている。反対に蘭丸の刀は市の喉に突きつけられた状態だった。
「見事であったぞ、お蘭」
「ありがとうございます、久遠さま」
「市、大丈夫!?」
「大丈夫だよ、まこっちゃん!蘭ちゃん、ちゃ~んと手加減してくれたからね」
「手加減、はしてませんが。……あら、ひよ、ころ、詩乃。どうしました?」
「い、いえっ!?ちょっとというかかな~りびっくりしただけです!」
「あはは、ひよに同じです。……蘭丸さんを守らないといけない立場なのになーっとか思ってません、はい」
「私には何が起こっているか正直半分くらいしか分かりませんでした」
そんな三人の感想にくすりと笑う蘭丸。そこには先ほどまでの危険な色は見えなかった。
「とはいえ、お市さまの一撃にもし刀をあわせていたら私が負けていた可能性もありますからね」
「え、そうなんですか?」
「あははっ、蘭ちゃんは市の御家流知ってたね、そういえば」
「はい。もし存じ上げていなければ負けていた可能性もあります」
「またまた~!蘭ちゃんったらうまいんだから!」
バシバシと蘭丸の背中をたたく市。
「あ、あの……」
庭に降りて来たエーリカが蘭丸のほうへと近付いてくる。
「どうされました、エーリカさん?」
「あの……お二人の戦いを見ていて、その、何と言いますか……私も己の技量を試してみたく……」
「で、お蘭と立ち合いたいと?」
「は、はい!」
遠慮がちではあるが、その目には楽しみにしている色がはっきりと見て取れる。蘭丸はそれを見て微笑む。
「久遠さま、よろしいでしょうか?」
「お蘭が構わんのなら良いぞ」
「蘭ちゃん大丈夫なの?疲れてない?」
「結菜さま、大丈夫です。ありがとうございます」
「……やった」
小さく嬉しそうな声を上げたエーリカは準備をするためにその場を離れる。少し小走りに。
「……」
「……」
先ほどまでの戦いとは違い、一変して静かなにらみ合いのような状況が続く。久遠は蘭丸の表情を見て、エーリカの力量がなかなかのものであると判断する。蘭丸がじりっと足を踏み出そうとした、その瞬間だった。
「……っ!?」
蘭丸が塀のほうへと警戒したような視線を向ける。その様子にエーリカや周囲も異常を感じ蘭丸の視線の先へと視線をめぐらせる。
「ひよ、ころっ!久遠さまと結菜さまと詩乃を頼みます!」
「え、えっ!?ら、蘭丸さんっ!?」
蘭丸の言葉に慌てたひよ子の声に応えるよりも早く、耳をつんざく不気味な鳥の声が響く。そして、そこに現れたのは。
「ぐるる……」
「あ、悪魔……!?何でこのような所に……!」
「エーリカさん、仕合は一旦切り上げです」
蘭丸はそう言うと久遠へと視線を向ける。久遠は力強く頷くと刀を投げて渡す。
「お蘭、使え!」
「ありがとうございます!」
「くせ者である!皆の者、出会え出会えー!」
眞琴の言葉に、城内が一気に慌しくなる。次々と塀を越えてくる鬼へと蘭丸が一気に距離をつめる。
「赤尾、磯野、手配りせぃ!一匹たりとも、この城内に入れることまかり成らん!」
「っ!この鬼……」
蘭丸が目を疑う。
「具足を……いえ、それよりも……」
鬼たちがつけているのは足軽たちが着ける桶川胴と呼ばれるもの。そして、その胸には紋が刻まれていた。
「久遠さま、眞琴さまっ!三盛木瓜の家紋ですっ!」
「何だとっ!?」
「そんな……これは一体……っ!?」
「こ、ころちゃん!三盛木瓜って……」
「朝倉家の家紋だよっ!」
「そ、その家紋が入ったものを鬼が着ているということは……!」
「分からん!金柑、どういうことか説明せい!」
「私にも分かりません!あの鬼が朝倉の兵を喰らい、鎧を奪っただけなのか。それとも朝倉の人たちが、鬼にされてしまったのか……!」
動揺した一同にエーリカの言葉は更なる混乱を招くものだった。
「どちらにせよ、鬼は朝倉の方たちを襲い、そして鬼が勝ったのでしょう……つまり越前はもう……!」
「そんな……!もし朝倉が鬼に攻め入られていたとしたら、同盟国である浅井にも報せが来るはずだ!鬼が足軽の着ていたものを奪っただけだよ!きっとそうだ!」
「眞琴さま、お気持ちは分かりますが今は目の前の鬼を殲滅するのが先です!」
鬼を牽制している蘭丸の声に眞琴ははっとした表情を浮かべる。
「そ、そう……うん、そうですよね!」
「じゃあ市も手伝うよ、蘭ちゃん!」
「大丈夫ですか?」
「もちろん!エーリカさんはいける?」
「いつでもいけます!」
「でしたら、前衛は私、お市さま、エーリカさん。眞琴さまは後方で討ち漏らしがあった場合にお願いできますか!」
「そんな!僕だって武士です!蘭丸さんたちと共に、前に出て戦います!」
「駄目です!眞琴さまは浅井家の当主なのですから!」
「そういうこと!私たちが第一陣で時間を稼いでいるうちに、まこっちゃんは家中を纏めて迎撃の指揮を執ってもらわないと!」
「……分かった!」
「では、お先にいきますね」
「あ、蘭ちゃんずるいっ!」
「ひよ、ころ。一旦私の指示に従ってください」
「了解!」
「それでは、ころは久遠さまと結菜さまの護衛です。私は放っておいて良いですからお二人に怪我一つさせてはなりません」
「勿論!」
「ひよは城内から槍と弓矢を調達してください。調達した武器を各員に配り、防御態勢を整えます」
「行ってきます!」
「眞琴さま。剛の者以外は、この場に近寄らせないように。お三方の邪魔になります。他の者は周囲の警戒、警護に専念させておいてください」
「しかしあれだけの数を三人で、どうやって対処するというのだ!?」
「前だけを見ればそうでしょう。しかし我らは背中にも注意を払わなければなりません」
「背中って……あ!」
詩乃の言葉にはっとした表情を浮かべる眞琴。それに対してこくりと頷く詩乃。
「目立つ動きで視線を固定。その隙に背後から……などは兵法の基本中の基本ですので」
「了解した。すぐにそうさせよう。……磯野衆のみ、この場に来させぃ!赤尾、海北の衆は城の防衛に回れ!鬼が背中、わき腹を突いてくるのを何としても阻止せよと伝えぃ!」
「士分、足軽問わず、槍と弓で武装を。刀で鬼と対峙してはなりません。常に間合いを取り、必ず三人以上で鬼一匹と対峙するよう、心がけてください」
「はっ!」
的確に周囲に指示を出していく詩乃を見て久遠が口を開く。
「……ふむ。さすがであるぞ、詩乃」
「蘭丸さまは、私がこうやって動くことを望んでいらっしゃいませうから。それに応えるのが武士の務め」
「武士の務めだけか?」
「さてさて。どのようなお答えを返せば良いものやら。相手が主様では悩むところでございますね」
「もう答えておるようなものだぞ。だが……貴様をお蘭に預けたのは正解だったな。今後も助けぃ」
「蘭丸さまを、という解釈で?」
「我を助けるのか?」
「ふむ……殿はなかなか、私にとっては強敵でございますれば、手助けはしたくありませんねぇ」
「言いよるわ。……好きにせい」
「ふふっ、御意です」
「兜を被った、身体が大きめの鬼が一匹。桶川胴を着けた小さめの鬼が四体、ですか……。まさか、小隊として動いている……?」
「知恵をつけたのでしょう。……ただの鬼よりも動き方に秩序が見えています」
「厄介な話ですね」
「小谷にこういうのが来たの、はじめてだよ」
「ということは、最近になって越前が落ちたという可能性もありますね」
「それで調子に乗って小谷に来たのかな?……なっまいきー!朝倉と違って浅井の武者は、鬼みたいな訳分からないやつらに負けるほど、ヤワじゃないんだから!」
「ですが、鬼が刀を持っているとなると厄介ですね。あの膂力で刀を振るわれたとなると……エーリカさん、何か作戦などはありますか?」
「……私の祖国に居た悪魔と、日の本の鬼に、どれほどの差があるのか分かりませんが……切り札はあります」
「それでしたら、まず私が大きな鬼を相手します。すみませんがお市さまとエーリカさんで四匹の相手をお願いします」
市とエーリカが鬼たちへと距離をつめると同時に蘭丸も大鬼の前へと躍り出る。普通の鬼であれば既に襲い掛かってきているであろう距離まで近付いても刀を構えたような状態で唸り声を上げている。
「……本当に厄介ですね」
ぼそりと蘭丸が呟く。
「では……これでどうでしょう?」
蘭丸から放たれる殺気。それに反射的にであろうか、大鬼は蘭丸へと襲い掛かる。大鬼の振るう刀を自らの刀で滑らせるように受け流す蘭丸だが、その表情は芳しくなかった。
「……これはまずいですね」
蘭丸が考えているのは自身の状況ではなく、その鬼の強さだ。まだ剣術を習ったものなどとは違うただ肉体の性能に任せただけの一撃ではあるが、その速度、威力共に必殺と言ってもいいものだ。地面に刺さった刀を再度抜くと、大鬼は再び蘭丸へと切りかかる。
「……新陰流」
振り下ろされる刀に遅れるように蘭丸の刀正眼に構えられる。
「
鬼の刀に蘭丸の身体が触れるかというその瞬間にすっと一歩下がると蘭丸の刀で鬼の刀を巻き上げ打ち上げる。そのまま、蘭丸は刀を鞘に戻す。チン、という音と共に崩れ落ちる鬼。
「対策を立てなければなりませんね」
蘭丸はそう呟くと市とエーリカへと視線を向ける。既に二人の戦いも終わっており、エーリカがなにやら調べている段階であった。
とある山奥。一人の女性が鬼と対峙していた。その鬼は奇しくも蘭丸たちが戦っていた鬼と同じく具足をつけた鬼であり、その数は十。腰ほどまである長い白髪。髪と同じく白地に裾や袖口には桜のような花の文様の入った服を着た女性はため息をつくと腰に佩いた刀をとんとんと叩く。
「ふむ、今日はまた一段と多いじゃないか」
鬼を目の前にしながらも女性に動揺や恐怖は一切感じられない。腰に佩いている刀は一本や二本ではない。左右共に五本ずつ、合わせて刀は十本だ。
「何者なのかは知らんがいい加減に帰れ。私を怒らせたいのか?」
女性の言葉と共に女性を中心に風が吹く。鬼たちは本能的な恐怖から一歩後ずさる。
「まぁ、良い。どちらにせよ、貴様らを逃がすわけにはいかんからな……よし」
トントンと叩いていた刀のうちの一本を抜き放つ。
「試し斬りしてやろう。かかって来い」
「ガアアアア!!」
女性の言葉を理解したわけではなかろうが、鬼が一斉に女性に襲い掛かる。飛び掛ってくる鬼に向かって悠々と歩いていく女性。鬼たちが女性へとたどり着くその瞬間、一陣の疾風が駆け抜ける。
「……ふむ、耐えたか」
手に持った刀を確認しながら納得したように一人頷く女性。鬼たちはその声に反応し振り返ろうとして。
「少しずつ完成に近付いている、ということか。しかしまだまだだな」
ヒュンと刀を振ると鞘へと納める。と、鬼たちが破裂するように霧散する。
「早く完成させねばな。……しかし、何なのだろうなこの訳分からず共は」
既に跡形もなく消滅した鬼の居た場所を見て女性は呟く。
「……久々に山から降りるのもいいかも知れんな。弟子に会いに行くのも良いかもしれん」
うんうんと一人頷くと女性はあばら家へと入る。その家の中にはぼろぼろの刀や打ち立ての刀が所狭しと並べられていた。
「行くとするか。アレの正体を知っていればいいが」
人里はなれた山奥に隠れ棲んでいた剣豪。彼女が山から降りることで歴史は再び大きな動きを見せることになるのだが、それはまだ先の話である。