「んーーーーーーーー!!!」
蘭丸と詩乃が再び部屋に通されてからずっと唸っているひよ子。
「ひよ、ちょっと静かにしてようよ……」
「だってころちゃん!蘭丸さんと詩乃ちゃんの話、何度考えても良く分からないんだもん!なんで小姓さんが公方さまなのっ!?じゃあ御簾の中にいらっしゃったのはどちらさまっ!?なんで久遠さまはそれが分かったのっ!?私たち、いったいどうなっちゃうのぉ!」
「ひよの疑問は分かりますが、ちなみに蘭丸さまも久遠さまと同じく見抜かれていたようですよ」
「えぇっ!?」
「私の場合は少し違いますよ。明らかにあの小姓……いえ、公方さまだけが別格の気を放っていましたので、最悪の場合に備えていたまでです。……それに今は考えても答えは出せませんし、幽さんをお待ちしましょう」
「うぅ~、蘭丸さんも久遠さまも凄すぎてついていけません~」
「ふふ、私はひよなら人を見る目があると思っているんですけれどね」
「ひよ、落ち着いてください。蘭丸さまの言うとおり、あれこれ推測してみても何も始まりません。今はただ、待つことです」
「そうそう。……あ、だけど私、一つだけエーリカさんにお訊ねしたいことがあるんです」
「私に、ですか?」
ふいに転子がエーリカに声をかける。
「はい!前から気になっていたんですけど、エーリカさんってすごく公方さまに拘ってらっしゃいますよね?」
「あ!それは私も気になってました!公方さまの強さとか弱さとか。そういうことを気にするのって、何だかエーリカさんらしくないなぁって思っちゃうんですけど」
「……」
転子の言葉に同意するひよ子と沈黙するエーリカ。詩乃は静かに状況を見守っている。
「言えないのならば言わなくても大丈夫ですよ。ですが、短い時間とはいえ一緒に過ごして来たんです。袖すり合った相手の悩みを知りたいと思う気持ちも分かっていただきたいです」
蘭丸が優しくエーリカに言う。
「……分かりました。まずは将軍にお話をしようと思っていたのですが、貴方方にもお伝えしたほうが良いのかもしれません……」
そう前置きしたエーリカが、ゆっくりと口を開いた。
「私はとある役目のためこの日の本に来たのです」
「役目、ですか」
「私はポルトゥス・カレから派遣された天守教の司祭。……というのは表向きの役目で、本当の使命は……」
一つ呼吸置いたエーリカの口からつむがれた言葉に全員が驚く。
「日の本に潜む、ある人物を暗殺することなのです」
エーリカの言葉を信じるとなると悪魔を操る人物がこの日の本にいると。そして、その悪魔は異形の姿をした化け物であり、膂力強く、敏捷性、体力、どれもこれも普通の人では太刀打ちできないほどの力を持っているとのことだった。しかも、恐ろしいことにその異形の者を増やし、日の本を悪魔の楽園としようとしているらしい。想像していたよりも重い事情に全員が口を閉ざす。
「……一つ質問があります。その悪魔とやらは、人を襲いますか?」
「はい……悪魔たちは人肉を喰らいます。それに女性を襲って悪魔の子を孕ませるのです」
「うぇ……」
「うわ、最低最悪だよ、それ……」
「聞いてるだけで気分が悪くなるわね」
嫌悪感を露にする女性陣。蘭丸は詩乃と同じ結論に至ったのだろう、視線を交わすと頷く。
「エーリカさん、私たちは恐らくその貴女の仰る無敵の悪魔と戦ったことがあります。それも、つい先日も」
「えっ!?」
「蘭丸さんもそうですけど壬月さまや麦穂さまなんてもう何匹も成敗してますし、強敵だけど無敵ってほどじゃないですよねぇ?」
「うんうん。ずるがしこくて強いけど、あいつらって何ていうか……馬鹿だし」
「だよね。さすがに私ぐらいじゃ、一対一で戦って勝てるってことはないけど、家中でもバンバン鬼退治している人たちもいるし。……蘭丸さんのご家族ですけど。敵わない相手ではないと思いますよ?」
「な、なんと……」
「蘭丸さん、この間数十匹は倒してなかったですっけ?」
「そうでしたか?剣丞さまも散歩中にお一人で倒されてますよ」
「えぇっ!?剣丞さままた一人でそんなことしてるんですか!?」
「ど、どうして生きているのですかっ!?」
「どうして、と言われましても。気を抜ける相手ではありませんが、決して倒せない相手ではないということ、では?」
「……ああ!主よ!この国を祝福してくださり、感謝致します!」
「「「「あーっ!」」」」
感極まったエーリカが蘭丸の頭を胸元に引き寄せるように抱きしめる。それを見た四人が声を合わせて叫ぶ。
「ちょ、ちょっとエーリカさん!はしたないですよ!っていうか、蘭丸さんから離れてくださーい!」
「そうですよエーリカさん!蘭丸さんを抱きしめるなんてずるいですずるいですずるいですずるいですー!」
「ちょっと蘭ちゃん!私というものがありながら何してるのよ!?っていうか今ひよずるいって……?」
「蘭丸さまも嫌そうではないのがなんとも言えない気分になってしまいます」
エーリカは、転子たちが引き剥がそうとするのも物ともせず、強い力で蘭丸にしがみついていた。
「え、エーリカさん?よろしければあの、離していただけると……」
蘭丸がそう口にした瞬間だった。
「なにをしている……?」
場が一瞬で凍りつくような冷たい声。長い間共に過ごしてきた蘭丸や嫁として見守ってきた結菜ですら聞いたことがないような声で久遠が呟く。
「おい、そこの金柑頭!さっさとお蘭を離せぃ!」
「あ、ご……ごめんなさい、私ったら、なんてはしたないことを……」
久遠の言葉で我に返ったようにエーリカが抱きしめていた蘭丸を解放して距離を取る。
「く、久遠さま、公方さまとの話はもう終わられたのですか?」
「うむ。……一葉、我の夫……となる男を紹介しよう」
「夫か。……嫁ではないのだな?」
「私は歴とした男です。やはり、あのときの方だったのですね」
「その節は世話になったな」
「いえ、良いものを見せていただきました。……やはり貴女が本当の公方さまでしたか」
「ほう、久遠から聞いていたとおりよき目を持っているようだ。改めて名乗ろう。我が名は義輝。足利幕府十三代将軍である」
「しょうっ!?」
「ぐんっ!?」
「さまっ!?」
あまりの驚きにひよ子、転子、エーリカが何故か言葉を区切って叫ぶ。そしてその名乗りにひよ子たちが慌てて平伏しようとする。
「良い。堅苦しいのは好かん」
「で、でも……」
「公方さまが仰っているのですからお言葉に甘えましょう。……ですが、まさかあのときお会いした方が公方さまだとは思ってもみませんでした。では、御簾の中に居た方は?」
「あれは我が妹だ。名は双葉という。今、幽に呼びに行かせておるから、おいおいここに来るであろう。そのときに改めて紹介してやる」
「分かりました。……久遠さま、エーリカさんの件なのですが」
「うむ、聞いていた。部屋に入ろうとしたら、室内の雰囲気が変であったからな。外で様子を窺っていたのだ」
「話の腰を折らぬように気遣って頂きありがとうございます」
「ふふ、我の考えはお見通しのようだな」
久遠と蘭丸のいつもの掛け合いを横目に一葉はエーリカへと視線を向ける。
「エーリカとやら。まずは謝ろう。……力無き将軍で誠に済まぬ」
「いえ、そんなっ!頭を下げて頂くようなことは、なにも……!」
「征夷大将軍として、先頭に立って蛮夷を駆逐するのが余の役目であるはずなのだ。だが、余が無力なばかりに、この日の本は乱れ、蛮夷をのさばらせてしまっておる。……誠に相済まぬ」
「そんなこと……!例え将軍さまにお力が無かったとしても、日の本に武士が居る限り、まだ希望を捨てることはないのですから!」
「あの不明の鬼が、まさか海の向こうの南蛮で話題になっていようとはな……」
鬼についての話の後に、久遠が再度蘭丸を紹介する。
「くくっ、面白い奴だ。久遠が最も信頼し、幽が食えないと評していたのも頷ける」
「幽さんが、ですか?あの方にそう評されるのは……」
「だが、余は気に入った」
「おい、一葉」
「心配するな。取る気はない。……今はな」
「……ほざけ。お蘭が一葉に靡くことはない」
「くくっ、こやつと同じで、貴様も面白いの」
「黙れ、酔狂人」
ひよ子と転子、詩乃、結菜、エーリカは状況に飲まれたように唖然としているが、蘭丸は二人の会話を聞いて笑みを浮かべていた。
「(久遠さまにも友と呼べる存在が出来たようでお蘭はうれしゅうございます)」
会ったばかりとは思えないほど、気安いやりとりをする二人を見て何故か感激する蘭丸。互いに多くの責任を背負い、それを零すことも出来ない境遇だったことが二人を近づけたのかもしれない。
「一葉さま。双葉さまをお連れ致しました……」
「うむ。入れ」
「ささっ、双葉さま。お入りくだされ」
「ありがとう、幽。……失礼致します」
「双葉、挨拶せい。余の新しい友人たちである」
「ご友人、ですか?」
「そうだ。……大丈夫。こやつらは信用できる」
「そうですか。……ふふっ」
柔らかな笑顔を浮かべた少女は蘭丸たちに向き直ると、涼やかな動作で頭を下げた。小さな頭が傾くと、その拍子にサラリと横髪が流れ落ちる。
「わたくしの名は足利義秋。通称は双葉と申します。姉、一葉のご友人の皆様に、謹んで御礼申し上げまする」
「御礼、ですか?」
双葉の言葉に蘭丸が訊ねる。
「はい。皆様がご存知かは分かりませんが、我ら足利の姉妹は、幕府の中で危うき立場におりまする」
「危うき立場、ですか?」
双葉の言葉に続いてひよ子が訊ね返す。
「うむ。我ら足利を排し、畿内の覇権を握ろうとする、三好、松永の党がおってな」
「最近では幕府内にも通じる者が出る始末。……我ら姉妹が心を許せるのは、幽を筆頭とした幾人かの幕臣のみなのです。……だからこそ、姉が友人であると認めた皆様に、言葉を尽くしてもなお、お伝えしきれないほどの感謝を、わたくしは今、心の奥底より思うております」
そこで言葉を切るとすっと軽く息を吸い込み。
「本当に……ありがとうございます」
美しい礼と共に浮かべた微笑みに蘭丸も微笑みを返す。
「頭をおあげください」
「これからよろしくお願い致します。蘭丸さま」
「わ、私は様付けされるような立場ではございませんよ」
「ですが久遠さまの旦那さま……旦那さまなのですよね?」
蘭丸をじっと見つめて少し不思議そうに訊ねる双葉を見て久遠と一葉が笑う。蘭丸も少し困ったような表情を浮かべた。
双葉ってかわいいですよね。
嫁とかなんとかというより妹って感じで。
本当に可愛いですよね(力説