「折本──」さて、この後に続く言葉は── 作:時間の無駄使い
今回の投稿開始は、本編のASを書く予定で、取り敢えず一端のところIFについては置いておきます。
休みの間の一年間、思いの外に閲覧数が伸びていて本当に感謝の一言でした。
その後陽は傾き、三十度を超えていた気温も今は下がったのだろう。やや涼しくなり、過ごしやすいくらいにまで戻っていた。
かなり量のあった肉も、BBQに使ったセットも今はどちらも庭に無く、微かにその余韻を感じるのみになっていた。
「はぁ……」
一階にある大開口から30センチばかり伸びている縁側に腰をおろして溜め息を吐く。やはり虚無感というのは拭えないもので、こうして何もせずにいると余計に感じやすい。
あの後折本家、津久井ともに帰って行き、比企谷家にはいつもの静けさが戻っている。
おふくろは相変わらずの社畜なのか四時過ぎから出勤し、オヤジは久し振りに機嫌が良いのか部屋の中で小町とカマクラと遊んでいる。
──折本と付き合う事になってからしばらく経った今、この一連の騒動を振り返ると、やはり津久井の存在は大きいと思った。
──津久井が居なかったら、もしかしたら俺と折本はあのまま何もせずに関係を取り戻せなくなっていたかも知れない。
──津久井が居なかったら、今の俺の様な幸せな気持ちは、味わえなかったかも知れない。
そう考えると、いつか俺が例えた『試練』というのは強ち間違いではなかったのだと思う。
折本のどこに惹かれ、そして折本が俺のどこに惹かれたのかを『認知』し、そして初めて『認識』するにまでなった、そのきっかけだ。
だがまぁ、それは結果の話であって、恐らく津久井としてはこんな結果は望んでいなかった筈だ──というより、津久井も津久井で折本と同じくらい俺のことが好きであるならば、折本と同じ様に扱われたかった筈なのだ。
「………………」
津久井は、あの後しばらくしてから俺にある事を打ち明けてくれた。
自分は好きな人と『付き合いたい訳じゃない』と。
世の中に沢山ある『概念』というのは、とある事象に対して、『名前』をつける事で『意味』を付属させる。
これに当てはめるならば、なるほど確かに、津久井の言う通りなのかも知れない。
──付き合う、つまり、恋人になるというのは、『名前』なのだ。
本当に必要なのはその『事象』の方であって、それ自体に意味を──社会的『認知』を得るために『名前』が必要なだけなのだ。
──だから津久井は、俺と付き合う事は求めない事にしたらしい。
『事象』がどうあれ、『認知』は必要ないから。
津久井が俺の事を好きでいてくれる事実は変わらないし、それは折本ですら認めるところだ。これについては三人の中においてはもう話す言葉すら見当たらない。
だが、世間一般で言えば折本と津久井は恋敵であって、その結果として折本は『彼女』になる──『認知』を得ることに成功した。逆に言えば、津久井は『認知』を得ることに失敗したのだ。
それを分けたのは俺だが、だからこそ彼女は『認知』は要らないといった。
──引くべきところで引き、弁えるべきところは弁える。
時々発する折本とは対称的なまでの臆病さは、こういうところにおいて良い意味で起こるようだ。
「彼女……か…」
俺が今更津久井に靡く訳では無いが、津久井には津久井の魅力があるのだろう。──あの時俺の事を理解出来た様に、真実を見抜く力を、彼女は持っている気がする。
折本は折本で、背負い込みがちなところはあるが、なんだろうか…途轍もない程に堅くて、脆い精神を持っている。笑顔という──明るさという堅い殻の中に、かよわさを持つ、一人の女の子。
その明るさについ甘えがちになってしまうが、それはあまり良いことではないだろう。…無理してまで笑顔をつくれるのが、彼女なのだから。
(……果たして、これで良かったんだろうか…。いや、違うな。良かったのは良かったんだ。あの時あの場所で例え俺が津久井を選んだとしても、きっとこうはならなかっただろうし…)
「お兄ちゃん、何してるの?」
「ん?おう、少し日向ぼっこをだな」
「もう夕方だよ?…もしかして感傷にでも浸ってた?」
「……まぁ、そんなとこだ」
そう、あの時俺が津久井を選んだとしても、こうなる事は無かったと今なら言い切れる。
津久井があの時諦めていた訳では無いが、恐らく津久井はそれを知っていただろう。
──俺が折本を選ぶという事を。
それを知っていた──と言うよりあの時点では津久井からしたらただの予想でしか無いが、彼女はあの時『そういう決断』をしていたように見えた。
あの時の『覚悟を決めてきた』とはそういう事だろう。
…予想に予想を重ねた不確かなものではあるが、だから俺はあの時津久井を選んでいたとしても、こうはなっていないと判断したのだ。──とはいえそもそも『選ぶ』という言葉自体、おかしいのだが。
より正確に言うのなら、『選ぶ』ではなく『選ばない』。
きっと『恋』とはそういうものなのだろう。
理性では語れない、何か別の力がはたらいているようにも思えるもの。
『心』がそうであるように何かはっきりとしないものなのだ。
だが『認知』を得るためには──概念化する為には何かしらの言葉が必要になる。名前であり、動作であり、相手に伝える以上は言葉もしくはそれに代えうる何かしらを使い伝達する他ない。
『概念化』した名前を持つ事象は、一見はっきりと見えるがその実は名前がついただけのヤドカリだ。『名前』というヤドに見を包んで伝え辛いという弱点を克服しただけで本体は何も変化していない。
──だから恋もきっとそうなのだ。
その人と会って、長い年月を掛けて互いを理解していく。──その中にポッと現れるのが、恋なのだ。
だから大事なのは『理由』もそうだが、それではなく『道のり』。
互いを想い合う『経験』こそ重要なものだろう。
折本や津久井とも、いくつもの経験を越えて、そして今がある。
──それがあったからこそ、津久井は知ってしまったのだ。
いつか俺は由比ヶ浜に対して「優しい女の子は嫌いだ」と言った。
優しい嘘があるなら、優しくない真実もある。
だから優しい女の子は、どこか不自然なのだ。無理をするのだ。…優しいが故の、
津久井だって例外ではない。──彼女はその内向きな性格も相まって、自分に対して嘘をついただけで、無理をしている事には変わりないのだから。
…それを知っていながら、結局俺は津久井に手を差し伸べられなかった。
その最後の救済を、出来なかった。
だが、俺にも出来ないことは分かっていた。
それは津久井自身の問題だ。俺は手を差し伸べられない。──差し伸べてしまったら、全てが崩れてしまう。
結局のところ、そうして全てを悟った津久井は、俺に気持ちの表明と、俺の気持ちの確認だけをして、身を引いた。それが彼女がいつか言った、『好きな人に幸せになって欲しい』事に繋がるのだと、そう教えてくれた。
「…悩み事?」
「いや、考え事だ。気にするな。それに──」
そう。それに俺は今、幸せだ。…悩み事なんか、さらさらない。
「あ、そう言えば昨日雪乃さんから小町にメール着てさ、『明日部活に来てくれないかしら』だってさ」
「………………………」
そうだったな。俺にはまだ、大きな爆弾が一つ残っていた。──奉仕部という、決着をつけなければいけない相手が……。
* * *
半年前とは一転して肘が見える生徒が八割を占めるようになった総武高の生徒の中でも、残り二割は未だ長袖な訳で、それは雪ノ下雪乃にしてもそうらしい。
「……………」
「……………」
学校に着き、駐輪場に自転車を止めて昇降口まで戻って来た時、俺は偶然にも雪ノ下と遭遇した。
「…お、………おは…よう」
「あ、あぁ……」
掛ける言葉が無いと言った感じの雪ノ下はそれでも言葉を捻り出し、紡ぎ上げる。
その顔は何か言いたげにしているもののそれを口にする事は無い…というのが分かるほど悪い顔色をしていた。
「その…大丈…うっ…」
「お、おい…」
「来ないで!……私は『大丈夫』だから…それ以上、来ないで」
「………………」
明らかに、おかしかった。
突然えずいてしゃがんだ雪ノ下は、近寄った俺を拒絶して、明らかにおかしいその呼吸を何とか落ち着けようとしていた。
「…はぁ…はぁ……はぁ…」
必死に息を整えようとしている雪ノ下に、周囲から好奇の視線が集まる。──そして、そこへ…
「…やっぱりダメなんじゃない。…雪乃ちゃん」
「…っ!?」
気付けば後ろには陽乃さんが居た。俺と視線が合うと、軽く片手を振って直ぐに雪ノ下に視線を戻す。
「もうダメだよ、雪乃ちゃん。…これ以上は」
「…大丈夫よ」
「現に大丈夫じゃないでしょ?…ほら、今日は帰るわよ」
「で、でも…」
「お母さんも居るの。従いなさい」
「あ、あの…雪ノ下さん?」
「ん?…あぁ、ゴメンね。……雪乃ちゃん、ちょっと無理し過ぎで過敏になっちゃってるんだよ。詳しいことはガハマちゃんにでも聞いてね?」
「え、あ…はい……」
──何があったのか、いまいち理解できないが、その答えはどうやら由比ヶ浜が持っているらしい。
何か嫌な予感がするが、その正体が何なのか、この時の俺はまだ、事が予想外に大きくなっていることなど、知る由もなかった…。
これからの予定ではありますが、取り敢えず毎週水曜日を主投稿日、サブとして日曜日を取ることにしました。一応年末まで行けば今年最後の日がサブ日に当たる計算ですが、果たしてASだけでそこまで辿り着けるのか…。
取り敢えずこれからも皆さんの応援とご閲覧、お待ちしております。