the Garden of demons   作:ユート・リアクト

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悪魔の境界  前編

 

 

「また変なモノ買ったんですか、橙子さん!?」

 出社早々、僕こと黒桐幹也は叫んでいた。我ながら健康的だと思う。

 僕の勤め先である橙子さんの事務所は、工場地帯と住宅地の間にあるビルの四階にある。

 ビルと言っても工事の途中で放棄された廃ビルであり、四階より上はなく、造りかけの五階のフロアが屋上らしきものになっていた。壁も床も素材が剥き出しになったこの建物は、どことなく伽藍のようで……だからだろうか、正式な社名のないこの事務所は、世間様には『伽藍の堂』という名前で通っているらしい。専門は人形造りなのだが、大部分の仕事は建築関係だったり、業腹なことに荒事めいた依頼なども受けたりしているので、ほとんどよろず請け負い会社になってしまっている。

 大抵、僕らは四階の事務所で職務をこなす。二階と三階は橙子さんの仕事場で、どういう内装なのか見たことはない。見たことはない、が……おそらく中は十中八九、摩訶不思議なことになっているのだろう。なにせ蒼崎橙子は魔法使いなのだから。

 正しくは魔術師なる人種らしいのだが、オカルトとは無縁な僕からしてみればどちらも大差なく、そうした神秘を取りあつかう所長の仕事場は、きっと魔女の釜があったり変な生き物の頭蓋骨があったりと、それはそれはメルヘンチックな環境になっているに違いないのだ。

 とまあ、そんな偏見はさておき。

 我らが伽藍の堂の所長は、ときおり妙な買い物をする性癖がある。

 出社早々、僕が事務所のなかで見たものは、いつもの散らかった光景に違和感なく溶け込む三人の見知った顔と、見慣れない段ボール箱。

 所長の机に置かれている、その大きな段ボール箱には丁寧に封がしてあり、ひと目で郵便物だと判断できる。例によって橙子さんが購入したものなんだろう。そして、はたと思い出した。

 かつて橙子さんは、ナントカ朝のウイジャ盤なんていう胡散臭い代物を購入した前科があるのだ。

 ――こともあろうに。

 ――この僕の給料まではたいて、だ!

 ここでようやく冒頭のセリフに話が戻るのである。

 まさか今回も……そう危惧した僕がずかずかと詰め寄ると、パイプ椅子に座って机に向かっている橙子さんは、

「変なモノとは失礼ね、幹也くん」

 と、拗ねるように呟いた。

 飾り気のないタイトな黒色のズボンに、新品みたいにパリッとさせた白いワイシャツを着たいつものスタイルの橙子さんは現在、眼鏡をかけているので、やわらかい口調だった。僕の言葉に不満そうではあるが。

「心配しなくていいわ。ちゃんと残ってるわよ、お給料分のお金は」

 所長は僕を安心させるように微笑みながら、そう言った。

 あぁ、よかった。思わず安堵のため息が漏れた。これでまた学人にお金を借りずに済む。いくら相手が小学校の頃から付き合いのある親友とはいえ、そう何度もお金を借りるのは本当に気が引けるのだ。

 安心でへたり込みそうな僕は、くすくすと笑う橙子さんを見つめる。大人の女性なのに無邪気な、あどけない笑顔。それが気を許した相手にだけ見せる表情であることを、僕は知っている。

 思わず見蕩れていた僕に、うん? と小首を傾げる橙子さん。

 彼女が見つめ返してくるので、僕は慌てて目を逸らす。その拍子に橙子さんの胸元へと目がいった。大きく開いた胸元で光っているアクセサリーは、もちろんオレンジ色だ。理由は不明だけど、この人はオレンジ色の飾りを必ず一品つけるという嗜好があるらしい。羽根をモチーフにしたそのペンダントは、橙子さんの豊満な胸の谷間に居場所をみつけ、ぴったりと収まっていた。

 目を逸らして自爆した僕は、赤くなった顔に気づかれないことを祈りながら横を向き、目に毒な橙子さんを完全に視界の外へと追いやった。そして事務所内にいる、あと二人の人物の様子をうかがった。

 一人は、来客用のソファーに腰を下ろしている、和洋折衷の女性。藍色の着物のうえに血のような色のジャンパーを羽織っている、和風なんだか洋風なんだかよくわからない彼女は、フルネームを両儀式という。僕とは高校時代からの友人で、彼女は何をするでもなく行儀正しい姿勢で座り、ぼんやりとしていた。

 もう一人は、一番奥まった机に向かって課題をこなしている、赤系の服を身にまとった少女。ロングの黒髪を、おしゃれなマゼンタ色のベストの背中に流しているその少女の名前は、黒桐鮮花……名字が僕と一緒ということからお察しのとおり、僕の妹である。

 高校一年生の鮮花が現在、熱心に向き合っているのは、だが学校の課題ではない。師匠である橙子さんが与えた、あらゆる妖術、儀式の類の書物を写し書きしている魔法使いの弟子の姿を、僕は暗鬱な眼差しで見つめるしか他になかった……妹の鮮花がそのうち、生贄のニワトリをくびり殺したり、素っ裸になって踊り狂ったりしたらどうしよう、とは思いつつ。

「今回の買い物はすごく安価で済んでね。ほとんどタダ同然の値段で買えたんだから、ラッキーという他にないわ」

 妙に嬉しそうに橙子さんは言う。確かに買い物は安く済むのに越したことはないけれど、それが橙子さんの目に留まるような代物である以上、怪しげな一品であることに変わりはない。

「それで。一体、何を買ったんですか?」

 僕が訊ねると、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに眼鏡をはずす橙子さん。

 その瞬間。

 彼女の雰囲気が、目に見えて変貌する。先ほどまでの温かな印象は何処にもない。そこにいるのは、いるだけで空気を黒く淀ませる、ひとりの凶悪な魔術師だった。

 もはや別人になった橙子さんは、ぞっとするほど冷たい声で答えた。琥珀色の瞳を、性悪そうに細めて。

「――悪魔だよ」

 

 

 

 

 

「すみません。もう一度お願いします」

 自分の耳を疑い、すかさず僕は聞き返していた。

 でもやはり、驚いたのは僕だけではない。鮮花も、式でさえ顔を上げて橙子さんに注目している。

 それくらい、告げられた内容はアレだった。

「だから悪魔、だよ。魔界の住人、第六架空要素、邪悪なる存在――簡単に言い換えれば、これくらいか。一般的なイメージでは角と尻尾、そして蝙蝠のような翼を持つ黒っぽい怪物といったところだろう。あながち間違いではないが、一概にその通りとも言いきれない。彼らは多様だ。姿形は千差万別、ピンからキリまで様々な悪魔がいる。その起源すら定かではない。人間の想念によってカタチをなした実像幻想や、最初から魔として創造された真性悪魔……これは眉唾だが、なんと人類が誕生するより以前の原初から存在する悪魔までいるそうだ」

 眼鏡を外した所長は、その口調が豹変する。

 本人に言わせると眼鏡をスイッチにして性格を切り替えているだけ、という話なのだが、そこにどんな意味があるというのか。僕には与り知らぬことである。

 先ほどとは一変した冷たい口調で流暢に語る橙子さん。しかし僕たちが疑問に思ったのは、もっと根本的なところだった。

「……悪魔って、実在するのか?」

 それまで口を閉ざしていた式が、皆を代表して質問する。

 そうだ。おとぎ話の悪魔といえば、邪悪な、恐ろしさも極まる生き物ではある。しかし、それが現実に『存在しないもの』である以上、恐怖する必要もない。

 だというのに、橙子さんは紅い唇をつり上げ、にやりと笑った。

「何を言う、式。おまえは悪魔と出会ったことがあるどころか、それを殺したこともあるじゃないか」

 何でもないことのように告げられた衝撃事実に、当の式はもちろん、僕たち黒桐兄妹もフリーズした。

 橙子さんは、とっておきの悪戯が成功した子供の笑みで、うまそうに煙草を吸っている。

「式。以前からおまえには、街に出没する人外の始末をちょくちょく頼んでいただろう? あれが、悪魔だ」

「あぁ、あの訳のわからない化け物のことか」

 あいつら、暗がりからいきなり飛び出してくるんだよなあ、と暢気につぶやく式に、悪魔なんだから闇から生まれ出ずるのは当然だろう、と橙子さんがうそぶく。まるで茶飲み話のように淡々と繰り広げられる、非日常的な会話。僕は両目のあいだを押さえて、軽い眩暈を食い止めようとした……この二人、僕が知らない間に色々と妖しいことをやっていたというのは本当らしい。

「ちょっと待ってください。じゃあ何ですか。悪魔が、この街には現れるんですか? それって大変なことなんじゃ……」

 鮮花の危機感はもっともだった。悪魔が人を襲う、なんてことは、おとぎ話ではよくあることだ。

 実際、橙子さんの頼みで式が人知れず悪魔を始末しているという。その危険性があるからこそ。

「そのとおり、これは大変な事態だ。といっても、依り代がなければ実体化もできない下級の悪魔ばかりだがね。その程度の相手なら被害が広がる前に始末をつけることができる」

 じゅっ、と煙草の火を灰皿でもみ消しながら先を続ける。

「魔界……文字通り『悪魔の棲む世界』と人間界の間にある次元の壁は、言うなれば大雑把な網のようなものだ。高等な悪魔であればあるほどその強大な力が災いして、よほど好条件が揃わない限りはこちらの世界に出てはこられない。逆に低級な魔物ならこの網の目をくぐり抜けることが可能だ。しかし、そうなると今度は力が弱すぎて、こちらの世界では肉体を維持できない雑魚も出てくる。そういう脆弱な悪魔は、この世にある受け皿――人々が創造したカタチ――とりわけ呪いや怨念の籠もった邪悪な器物――つまり『依り代』に憑依して地上に出現し、活動を始める。己の飢えに満足を与えるべく、形あるものを破壊し、生あるものを殺して回るんだ。それが悪魔の本能だからね」

 橙子さんは、そう言って二本目の煙草に火を点ける。

 相変わらずペースが早い。

「だが、悪魔が憑りついているとはいえ、しょせんはこの世の物質にすぎない。ちょっと手荒く扱ってやればすぐに壊れてしまう。そうして依り代を失えば、必然〝中身〟も割れた風船のガスのように霧散し、消滅する。しかし、たとえ雑魚でも悪魔は悪魔だ。一般人が相手をするには荷が重い。だから式の出番、というわけさ。――闇の眷属は闇から出さず、闇の中で狩って滅ぼす。誰に気づかせることもなく」

 謳うように独白する橙子さんもまた、夜の住人。

 事を表沙汰にするのは好まないからこそ、お金にもならないのに引き受けているのだという――悪魔の始末を。

「依頼として受ければ、けっこう金になるのだがね、悪魔狩りは。害虫駆除みたいなものさ。やつらはまったくどこにでも現れる。デビルハンターという仕事が、それこそ稼業として成立する程に、な」

「……デビルハンター?」

「文字通り、悪魔狩人のことさ。彼らは主に銃器を用いる。古びた人形や寄り集めた砂などに取り憑いた低級悪魔は、つまり人間界の物質に依存している為、銃器での破壊も充分に可能だからな。悪魔と戦うのに祈りや聖水を使うとでも思っていたか? それはエクソシストの仕事だ」

 底意地の悪い笑みで橙子さんは言う。

 なるほど。だから基本的にナイフしか使わない式でも、悪魔を倒すことができるのだろう。彼女が特別な目を持っているとはいえ。

「だが、治安大国の日本で銃器を使うのは難しい。世界各地に点在するデビルハンターが、この国だけは敬遠しているのも頷ける。魔術を使って銃器の存在を隠蔽することも可能だが、だったら最初から魔術師が動いたほうが手間はない。結局、私と式がやるしかない、というわけさ」

「おまえは高みの見物を決め込んでるだけで、やるのはいつもオレだろうが、トウコ」

 不満を訴える式を平気でやり過ごし、橙子さんは煙草をくゆらせた。電灯のない事務所に、紫煙がただよう。

「だがもしも、自らの肉体を持った高位悪魔が出現してしまった場合は、それはもう私の手には負えん。式でさえ役不足だ。それほどの悪魔が出入りできるような巨大な道は、そうそう開かれるものではないがね」

 だから安心しろ、と言葉を足した橙子さんだったが、あり得ない、あってはならない『もしも』を想像して、僕の顔は蒼くなる。

 炎に包まれる街。湧きあがる悲鳴。血に染まって倒れる人々。その中には、式の姿もあった……

「式でさえ役不足って……なら、そのときこそデビルハンターとかいう人たちの出番なんじゃ……」

「あのな、デビルハンターも人間なんだぞ。私と式だって、魔術を使える、直死の魔眼を持つ、という点を除けば、ただの人間と大差はない。高位悪魔から見れば塵芥にも等しい、脆弱な存在だ。基本的に人間が勝てる相手じゃないんだ――悪魔という存在はな」

「なら、どうしろって言うんですか? 神様に祈ってガタガタ震えてるしかないんですか?」

 人間よりも上位の存在に敵意を燃やして鮮花が言った。

 勝ち気な瞳に、火のような闘志が揺らめいている。悪魔にさえ喧嘩を売る好戦的な態度……つくづく負けず嫌いな性分の愛弟子に、橙子さんは苦笑する。

「そう、いきり立つな。嫁のもらい手がないぞ?」

「よ、余計なお世話ですっ!」

 ……何でそこで僕を見るのだ、わが妹よ?

「悲観的になることはないさ。『世界』は、いついかなる時でもカウンターを用意しているものだ。魔剣士スパーダの話を聞いたことはあるか?」

「あっ! それ知ってます。子供向けの絵本ですよね?」

「スパーダの伝説なら、オレも知ってる。昔、正義に目覚めた悪魔が人間のために戦ったっていう。おとぎ話だろ?」

 魔剣士スパーダの逸話なら、僕だって知ってる。けれど……二人とも、肝心な点に気づいていない。

 さっき橙子さんは、悪魔は実在すると言った。

「さすがに聡いな、黒桐」

 言葉を失った僕を見て、にやりと笑う橙子さん。

 悪魔は実在する。なら、それはつまり……

「……魔剣士スパーダもまた、実在する……?」

 うめくような僕の言葉に、あっと息を飲む式と鮮花。

 二千年も昔、魔界にたった一人で半旗を翻し、ついには魔界の王をも打ち負かした、万夫不当の魔剣士。伝説によれば、彼は剣の力を使って魔界を封じた。そして以後、彼は人間界に降り立ち、人々の平和を見守ったという。それが事実だとすれば……

「ちょっと待てよ。じゃ何か?」

「悪魔が存在するならスパーダも存在していて」

「強大な悪魔が現れたときは人々を助けに来る」

「とでも言うんですか」

「二千年前と同じように?」

「長生きなおじいちゃんね」

「まったくだ」

 軽快なテンポで二人のかけ合いが展開される。普段はいがみ合ってるくせに、こういうときだけ妙に息が合う式と鮮花だった。まったく、相性が良いのか悪いのか……

「いや、残念ながら伝説の魔剣士が再来することはない。なぜなら彼はすでに死んでいるのだから」

「はぁ? 何だよそれ。さすがの魔剣士サマも、二千年生きてるうちに寿命を迎えちまったのか?」

 がっかりした表情を隠そうともせずに式が言った。なんだか、ヒーローの衣装の中身を知ってしまった子供のリアクションに似ていた。

「だいたい橙子さん。スパーダが死んだって、どうして分かるんですか? わたしとしては、まだ悪魔の存在そのものにすら懐疑的なんですけれど」

 実際に悪魔と遭遇した経験もなく、そして自分の目で見たことしか信じられない性分の鮮花に、

「そりゃおまえ、スパーダの血族と会ったからに決まってるだろう」

 そう、しれっと橙子さんは答えた。

「血……族?」

「スパーダには人間の女とのあいだに生まれた息子がいた。私は、その息子に会ったことがあるのだよ」

 ……驚きに声もない僕たちであった。

「彼によると、スパーダは死んだのではなく、ある日を境に行方をくらましたそうだ。生死不明である以上、死んでいるのと変わりはないがね。だが彼は、こう言っていたよ。父の死そのものは重要ではない。大切なのは、父が自分たちに未来を託したという事実だ――とね」

 スパーダは姿を消す前、息子に魔剣を残していったそうだ。

 そう言って橙子さんは、ふぅっと一息、紫煙を吐く。

「そうして伝説の継承者となった彼は、数年前、魔界へと赴き、復活を遂げようとしていた魔界の王を再封印した。剣だけでなく銃をも駆使した戦いの様は、父スパーダを超えているとも言われている。しかも半分は人間だから、死後、英霊として『世界』に召し上げられる資質をも備えているというわけだ」

 英霊――以前、橙子さんに聞いた話によると。

 ヒトの身に余る偉業を成した者は、その業績を讃えられて死後、精霊の域にまで昇格するという。

「……だがまあ、あいつは英雄(ヒーロー)なんていう器じゃないがね。なにせ気まぐれな男なんだ。自分の気に入った仕事しか引き受けない。十代の若者が聴くようなロック・ミュージックを好んで聴く。昼間から酒を飲んでピザを食う。まるで人間だ。あんな性格で『人間と悪魔とのあいだに生まれた』というのだから笑ってしまうよ」

 橙子さんの声には、まるで十年来の友人について語るような親しみがあった。魔剣士のご子息を、いきなり〝あいつ〟呼ばわりしてるところを見ても、その認識に間違いはない。

 自分でも気づかないうちに弾んだ声で、橙子さんは先を続けた。

「私とあいつが知り合ったのは、アメリカに渡って地下に身を潜めていたときのことだ。クソったれな妹のせいで使い魔を切らしていた私は、そのタイミングで運の悪いことに尻尾を掴まれてしまった。『協会』の派遣した執行者だけでなく『聖堂教会』の代行者にまで、だ。不可侵協定の裏で今もなお殺し合っている連中だ、標的が同じとなれば、お互いの威信をかけて私を狙ってきたよ。執拗な追っ手を振り切ることもできず、自衛すらままならない状態だった私は、形振り構っていられなくなり、ある事務所を訪ねたんだ。スラム街の一画に入り、薄汚い路地を抜けた突き当たりに、その事務所は建っている。『Devil May Cry』と書かれたネオンサインが目印でな。最初は卑猥な、いかがわしい店のように見えたんだが……そこで退屈そうに仕事を待つ、どこの勢力にも属さない一匹狼の男だけは敵に回してはならないと、誰もが――それこそ『協会』と『教会』の二大組織でさえ――肝に銘じているのは、この世界の闇の領域では有名な不文律なんだ。看板の名前が示すとおり、そこは悪魔も泣き出す危険地帯に他ならないのだから」

 事実、彼を怒らせて壊滅寸前にまで追いこまれた組織は数知れない。

 そう言って橙子さんは、また一息、紫煙を吐く。

「腕利きの男に頼ることにした私だったが、正直助けてもらえるという保証はなかった。あいつは金で動くような男じゃないし、魔導の類を扱う連中を嫌っているからな、私のような。だが、これが意外に甘い男でね。バカどもの勢力争いになど興味はないが、女子供が抗争に巻き込まれて助けを求めてきたなら話は別だ、といって手を貸してくれたんだ、報酬もいらないと言ってな。しまいには『あんたには危険が付きまとってる。そして俺は美女が大好きで、危険なことにも目がないんだ』とまで言い出したので、はっきり言って正気を疑ったよ。いいや、あれは完全にイカレていたな。そんな理由で見ず知らずの女を助けようというんだからな。第一級の殺戮者、人間兵器としての修練を潜り抜けてきた『協会』の執行者と『教会』の代行者を同時に相手にするというのにだ」

 あるいは彼の父スパーダの行動もまた、そんな気まぐれだったのかもしれんな。

 二本目の煙草の火を揉み消した橙子さんは、まもなく三本目の煙草を取り出す。

「これは私もヤキが回って頼る男を間違えたかなあ、と内心頭を抱えたんだが……いざ戦いが始まると、そんな不安は杞憂に終わったよ。強さは、極まると美しさになる。あいつの実力は、そんな表現がぴったり来るほど次元が違っていた。無骨にして優雅。爽快かつ刺激的。身の丈程もある大剣と大型二挺拳銃を軽々と振り回し、あいつは執行者と代行者とを同時に相手取ってなお圧倒した。まるで子供と戯れているかのように鼻歌まじりでな」

 橙子さんの声が、どこか戦慄した響きを帯びる。

「その強さに恐れをなした執行者は早々に退散したが、代行者のほうはしつこくてな。『聖堂教会』は主に『魔』と呼ばれる異端を標的とする。だから悪魔狩人のあいつと仕事がバッティングし、そのたびに苦杯を舐めさせられてきたであろうことは容易に想像のつくことだ。実際にあいつの仕事の邪魔をして代行者が返り討ちに遭った、という事実は、記録にこそ残っていないがよく耳にする話でな。そして私のときの場合、血眼になって追いつめた獲物はもう目と鼻の先で、それを匿っているのが商売敵……こんなシチュエーションでは撤退できるはずもない。面子を賭けて果敢に挑みかかった代行者だったが、まあ言うに及ばず、結果は悲惨なものだったよ。代行者は命懸けの覚悟で戦っているというのに、あいつは殺すまでもないと言わんばかりに手加減していた。決して命を奪おうとまではしなかった。実力の差を教えてやる場合において、これほど屈辱的なものもあるまい。結局、遊ばれてると気づいた代行者は打ちひしがれ、今にも泣きそうな顔で引き返していったよ。『Devil May Cry』……悪魔も泣き出す、という看板に偽りなしと、その場の誰もが思い知ったわけだ」

「悪魔も泣き出す、ねぇ……」

 万事興味なさげな式が、橙子さんの話を聞いて身を乗り出している。

 いつの間にかナイフを取り出して手慰みに弄んでるところを見ても、彼女の血が騒いでいるのは明白だった。戦士とは、得てして強者の逸話に闘志を高ぶらせるものだ。まったく勘弁してほしかった。式、君も女の子なんだから、そんなふうに目をギラギラさせながらナイフを振り回さないでほしいよ……

「その後のことだが、結局、私はあいつの許でしばらく厄介になることにした。下手に身を潜めるより、あいつの事務所で過ごしているほうが安全だとわかったからな。それからというもの、憎まれ口の応酬が絶えなかったがね。『最強の悪魔狩人のくせに煙草は嫌いらしいな』と私が言えば、『自分で自分の肺をヤニ漬けにして楽しいかよ?』と彼も返してくる。『いつもながら、女運は良くないらしい』と彼が呟いたときは、さすがの私も、こんなイイ女を捕まえてひどい奴だと、ちょっぴり傷ついたがね」

 饒舌に語りつづける橙子さんの眼差しは、いつになく穏やかだ。

 眼鏡を外したときの目つきの悪さが、今はまるで怖くない。

「そうやって一緒に過ごしているうちに、私は変わったよ。良くも悪くも影響力の強い男だからな、あいつは。刺激的な毎日だった。あいつの何者にも縛られない自由気ままな生き方に、たぶん私は心惹かれていたんだ。しばらくして彼のもとを離れても、気がついたときには小さな事務所を営んでいた、あいつと同じようにだ」

 鮮花が、なにかを期待しているように目を輝かせている。

 僕はため息を吐いた……そういう話に興味のある年頃なのはわかるけども。

 相変わらず、下衆の勘繰りが好きなやつだな、おまえはっ。

「本当、退屈しない男だったよ、あいつは。残念ながら私の恋愛対象にはなり得ないタイプだがね」

 まさに急転直下。

 お星様のようにキラキラしていた鮮花の目は、橙子さんのその言葉を聞いて一気に死んでしまった。

「さて、話が逸れたうえに長くなってしまったな」

 気を取り直して橙子さんが例のダンボール箱に目を向ける。

 気を取り直せない鮮花には目も向けず。

「あの、橙子さん。このダンボール箱に悪魔が入ってるということですけど……もしかして、生きたまま?」

「うーん、説明の難しいところだが、私が購入したのは『魔具』と呼ばれる代物でな。これには二種類あって、単純に悪魔によって生み出された物質でしかないものと、それ自体が悪魔の変化した姿であるものとが存在するんだ。今回私が買った魔具は後者に当たるんだが、それ自体が悪魔とはいえ物質と化してしまっている以上、口を利くことはないし動くこともない。一応、生きてはいるようだが」

 とりあえず開けた瞬間に襲われるようなことはないみたいなので、ひと安心する僕と鮮花。

「生きている……いい言葉だな」と、意味深に物騒なことを式が呟いていたが、橙子さんがダンボール箱のガムテープを引っぺがす音のせいで、よく聞こえなかったことにした。

「まあ、百聞は一見にしかずということで、ほれ」

 橙子さんが慣れた手つきでダンボール箱を開ける。

 おそるおそる中を覗き込むと、式が声を上げた。

「……剣か、これ?」

 緩衝剤代わりに敷き詰められた木屑の上に、二振りの剣があった。

 中華風の剣を連想させる、三日月状に湾曲した分厚い刀身。

 柄の部分には、人の顔を象った不気味な意匠が浮かび上がっている。

「迂闊に触らないほうがいいぞ。タダ同然の値段で市場に出回るような魔具だ、名もない低級悪魔のなれの果てだと思うが、それでも悪魔は悪魔だ。もしかしたら呪われるかもしれん」

 二振りの剣を取り出そうとした式が、その言葉を聞いて手を引っ込める。

 相変わらず蒼崎橙子という人がわからない。我らが所長は、どうして触っただけで危険なものを買い付けたりするんだろう?

 何だかやるせなくなって本日何度目かのため息を吐いた、そのときだった。

「そのような、わかりきったことを申すな」

「そうじゃ。わかりきったことを申すな」

 ……僕たちは耳を疑うよりなかった。

「我らより弱き者がこの身を操ろうとすれば、それ相応の報いを受けるのは当然であろう」

「そうじゃ。当然であろう」

「見よ、兄者。愚かな人間どもが呆気に取られておる」

「――アッケ? アッケとは何じゃ、弟よ?」

「アッケというのは――」

 ひずんだ声の発生源は、ダンボール箱の中。

 二振りの剣の柄の部分……人の顔を象った不気味な意匠が、信じられないことに人語を放っているのだ。それこそ人間と同じように口を動かしながら、だ。

 僕と鮮花の黒桐兄妹はもちろん、滅多なことでは動揺しない式と橙子さんでさえ、これには衝撃を受けたらしい。唇に挟んだ煙草が、散らかった床にポロリと落ちる。

 そして次の瞬間にはもう、僕たちの驚きの声が、電灯のない事務所内に響き渡ったのだった。

『しゃ、喋ったぁ!?』

 

 

 




 初見の方は初めまして、そうでない方はお久しぶり。らっきょのキャラクターは橙子推し、ユート・リアクトです。理由はエロいおねえさんが好きだから(ぉ
 さてさて、らっきょとデビルのクロスオーバー小説ですよ、奥さん! 学生時代の構想から数年経ち、今では社会人となってしまった僕ですが、ようやく投稿することができました……といっても、まだ前編だけだけど(死
 クソったれ遅筆なユート・リアクトですが、なるべく早く次話を投稿できるように精進致します。
 前半は、らっきょとデビルの世界観を違和感なく浸透させる、準備運動的なパート。
 後半は、あのやかましい悪魔の兄弟と、らっきょのメンバーが織り成す、ドタバタな展開を描けたらなあ、と思っております。
 ……もしかしたら番外編で、橙子とダンテの出会いを詳しく掘り下げるかも(ボソッ
 とにもかくにも、読者の皆様が程よく楽しんでいただけたら、これに勝る幸福はありません。またお会いしましょう。感想や苦情は随時、受け付けております。
 でわでわ。

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