魔法少女育成計画 -Suicide Side- 作:∈(・ω・)∋
◆ 弦矢弓子 ◆
夢だと自覚症状のある夢のことを、
心から信じている、最高の親友たち。無くてはならない、半身のような存在たち。
いつも四人でいたし、周りも自分たちのことを四人で一つだと認識していて、そういうものだとずっと思っていた。
けれど、彼女たちは皆、悲しそうにこちらを見て、どこかへ去っていく。遠い遠い、二度と帰ってこれない暗闇の向こう側に。
待って、行かないで。
そう声を出さずにはいられなくて、何度も叫んで、追いかけようとしたけれど、足は動かなくて。
「――――置いて、いかないでっ!」
深夜三時を回った頃。そうやって目をさますのが、気がつけば、少女の日常になっていた。
同時に――魔法少女ユミコエルとして直面した事件から数えると一年と一ヶ月、過ぎ去ってしまえば一瞬だったが、しかし昔のことだと割り切れるほど前でも決して無い。
中学校を卒業すると、全ての日本国民は労働か進学かの選択肢を迫られる事になるが、弓子が生活の拠点としている児童養護施設では、スタッフの皆が口に出さずとも『経営難だからさっさと出て行って自活して欲しい』と態度と表情に出ていたし、先達達はみんなそうしてきたらしい。
つまり十五歳にして完全なる自活をするハメになったわけだ。
そんな弓子を救ってくれたのが、一年前の事件で知り合った
「へ? 家来ればいいじゃん。部屋余ってるし家賃安くしとくよ、でも家事はやってくれる?」
……そんな感じで、弓子は今、3LDKのマンションの一室は自由に使う権利を与えられている。それどころか、『今時は無いと不便だと思うから』という理由で最新型のノートパソコンに、スマートフォンに、勉強机に、衣類を買い揃え、更には制服や教科書等を含む学費まで建て替えてもらい、無事進学にも成功した。そこまでしてもらっているのに家賃は月一万五千円だ。
一応家事は弓子が受け持つ、という契約にはなっているが、それだってバイトが遅くなるような日には、代わりに夕飯を用意してもらうことだって週に一、二回はある。
はっきり言って生活水準だけで言うならば、施設にいた頃より遥かに向上している。
恩人という以外無く、七琴に頭の上がる道理などあるはずもない。
弓子の生活は、まさしく、自らを救ってくれた慈悲の女神への、感謝で満ちていた――――。
「なぁ~こぉ~とぉ~さぁ~ん~」
「ごめんほんとごめん違うの悪気ないの」
弓子が買い物にでかけたのは、ほんの三時間前の事だ。休日は一緒に一週間分の食材を買いだめしに行くこともあれば、弓子が一人でいくこともあり、本日は後者だった。
「なんで! 三時間前に! 掃除した部屋が! こんなにも!」
「だぁって暑いんだもん夏が悪いよ夏が! 全てはヒートアイランド現象のせいだ!」
「悪いのはアンタだ!」
弓子が激怒している情景を、簡単にまとめるとこういうことになる。
汗まみれになったTシャツと下着が、ソファの上に山のように積まれていた。
中身が中途半端に残ったコップが、三つも四つも、テーブル、に台所に、いたるところに転がっていた。
挙句クーラーはガンガンつけっぱなしなのに、窓は全開だった。
当の七琴本人はというと、変えたばかりの下着にTシャツを羽織っているだけだ、とても人前に出せる姿ではない。
怠惰ここに極まれりであった。
「だって暑いじゃん暑いから汗かくじゃん汗かいたら脱ぐじゃん」
「暑いのはクーラーが効いてないせいでクーラーが効いてないのは窓が開いてるせいで窓を開けたのは七琴さんですよ私閉めていったんですから!」
「違うってベランダで鳩が涼んでたから箒持って殴りこみに行った後窓閉めるの忘れただけで」
「何が違うのか今のセリフもう一度振り返ってみたらどうですか!?」
「麦茶はほら流しにコップ沢山積んで合ったら弓子ちゃん怒るかなって」
「たくさん出して放置してるほうが怒るに決まってるんですけど!」
弓子は、それまで暮らしていた施設の方針で、『最低限の生活は一人でできるように』と、炊事洗濯ぐらいの能力は、堂々と『できる』と言い切れるレベルで納めている。
一方、七琴はというと、そもそも弓子が来る前は、一週間に一度、ホームヘルパーを呼んで毎回大掃除をしてもらっていたおかげで、部屋がゴミ屋敷にならずに済んでいる程度の生活能力である。
「出したら元の場所にしまう! 洗濯物は洗濯カゴに入れる! コップは流しにおいておく! クーラーつけたら窓は閉める! 何でそんなことも出来ないんですか!」
「めんどい」
「…………」
「あの、無言で睨むのやめ……あ、そういう顔するの? 家主だよ? 私家主だよ?」
「…………」
「ごめんなさい私が悪かったからそれだけはやめて弓子ちゃん握力強いから変身しなくてもヤバイからああああああああああああああああああ!?」
救いの女神にアイアンクローをキメられる程度の日常。
それが、今の弓子の生活だった。
「で、七琴さん、郵便です」
「ほう、ご苦労」
七琴を粛清した後、部屋を片付け、やっと一息ついた頃には、もう時計は十七時を回っていた。とはいえ、七月に入ったばかりのこの時期では、まだまだ日は高く、太陽も、鬱陶しいほどに照っている。故に冷房ガンガンの部屋で、買ってきたアイスを食べながら、弓子は七琴に封筒を手渡した。
「なんか聞いたことのないところからでしたけど……なんです? それ」
「さー、弓子ちゃんが知らないんじゃ私も知らないのでは」
弓子がこの家で暮らすようになってからそろそろ一年も近くなるが、郵便物の管理や電気水道代の支払いを遅れずに済ませるといった高度な作業は笹井七琴には出来ないので、当然弓子の仕事である。
「えーっと……株式会社ルクス? 聞いた覚えはあるような……えーっと」
封筒を直接手で破って中身を取り出し放り投げ、入っていた書面と同封されていたものを見比べる。
「ゴミはゴミ箱に入れてくださいってば! で、なんですそれ」
質問されてから、たっぷり三十秒ほど、七琴は文章を眺めていた。
彼女が出したゴミを片付けながら、弓子はじっと答えを待つ。
「あー、株主優待券だこれ」
「かぶぬしゆうたいけん」
弓子の人生において、全く聞き覚えのない言葉だった。
なんとなく、『株』という単語が、すごくお金の匂いがすることぐらいしかわからない。
「げ、そうだ、私筆頭株主だったんだ、忘れてた」
「ひっとうかぶぬし」
弓子の人生において、全く聞き覚えのない言葉だった。
なんとなく、『株主』という単語が、すごくお金の匂いがすることぐらいしかわからない。
「別に私が株やってるわけじゃないよ、これ、おじいちゃんの」
「おじいさん?」
「遺産を相続した時に現金に変えてなかった奴だ、税理士さんが大したお金にもならないけどどうしますかーって言ってたから、じゃあいいやめんどいし、って思って、放置してたんだった」
「私の理解を超える単語がいくつか出てきたんでわかる所だけ抜き出して説明してください」
「遊園地の招待チケットが入ってた。ルミナスランド」
二枚のチケットをぴらりと見せて、七琴は言った。
「へ? なんでまた。ルミナスランドってあれですよね、確か、去年出来たばかりの」
記憶は曖昧だが、一時期はCMがガンガン流れていたし、テレビの特集でも思いきりとり上げられていた気がする。
「このルクスって所、電気工事の会社らしいんだけどさ、遊園地の電飾とかそういうの、全部担当したんだってさ」
ちらりと横目で書類を見てみると、『LED電球二千万個のナイトイルミネーション!』と銘打たれていた。
「一泊二日、近場の提携ホテルにもタダで泊まれて、乗り物も優先して乗れるって。夏休みかー、そっかー、こういうのもあるのかー」
「至れり尽くせりですね……で、どうします?」
「そりゃ行くでしょ」
「ですよね」
それにさ、と大きく伸びをしながら、七琴は続けた。
「たまには羽根を伸ばしてもいいじゃん、
「……あんまり最近、魔法少女してないですけどね」
「んじゃ、今週末はルミナスランドでルミルミしよう! 決まり!」
チケットを握りしめて、叫ぶ七琴に、弓子はため息混じりに言った。
「ルミルミってなんですか」
今更だが、弦矢弓子と笹井七琴は魔法少女である。
魔法の国、と呼ばれる異世界の住民が作ったスマートフォン向けのゲーム、『魔法少女育成計画』をプレイしているユーザーから、ほんのわずか選ばれた者達、それが魔法少女だ。
資格を得た者は、『あなたは魔法少女になりました!』という宣言とともに、誰が見ても可愛いプリティ愛らしい、次元の違う美しさを持つ魔法少女へと変身することになる。
その後、魔法の国から訪れたマスコットから説明を受け、似たような経緯で変身できるようになった、同じ地域の先輩魔法少女の元で魔法少女の何たるかを学ぶ。
場合によっては試験が行われ、勝ち抜いた数名だけが正期の魔法少女になる……といった事例もある。
なんにせよ、この世の理から外れた力を手にした魔法少女たちだが、その仕事は、殆どが人助けだ。困っている人を助けると、各魔法少女に与えられた魔法の端末(多機能だがデザインセンスはよろしくない)の中のマジカルキャンディという謎の単位が増えていく。それに関して特典などは特に無いし、稼いだところで深い意味はない。またなにかもらえるというわけでもない。
魔法少女はそれぞれ固有の姿と名前、魔法を持ち、その性質も千差万別だ。
弓子は魔法少女『ユミコエル』に変身することが出来る。大きなマントと、木製の杖を携えた、眼鏡の似合う魔法少女で、固有魔法は「ものすごい力を出せるよ」だ。
話によれば、魔法少女を見出す方法はいくつか有るらしく、アプリ経由は主流であるにせよ、一つの選択肢でしかないらしい。
そして――――異能を悪用する人間もいる。
弓子達は、その悪意に巻き込まれて、家族や、友人を喪った。
時間は少しずつ、その傷を癒やしてくれているが、しかし、魔法少女である限り、永遠に癒えることはない。
◆ 笹井七琴 ◆
些細な事は気にしない、というのが笹井七琴の心情である。
最初は単なる名前と引っ掛けたギャグとして言っていた物が、段々根付いてきたというわけで、まさに有言実行という奴だ。
しかし些細な事は気にしない、ということは、些細でないことは大いに気になる、という意味であり、そしてこの世界には些細でないことは極めて多すぎる。
「七琴さん? さっさと準備して欲しいんですけど……」
株主優待券で行くルミナスランドのツアーは一泊二日というので、軽い泊まりの準備をする必要がある。
弓子が自分の着替えや荷物をまとめている間、七琴も先ほどまでは、どれを持って行こうか、何が必要か、色々考えている内に、タンスから引きずり出してきた着替えなどを床に思い切りぶちまけて、よし、気分転換が必要だ、と一旦作業を中断し、机の上に転がした『あるもの』を見ていた。
「うーん、どうしよっかなー」
「何がで――――」
業を煮やした弓子が立ち上がって、『それ』を見た。
『それ』は八面体の、野球ボールぐらいのサイズの、七色の光を閉じ込めた水晶だった。
何も知らない人間が見れば、不思議な加工がされたクリスタル、ぐらいに思うだろう。
その正体は『魔法を封じ込める』水晶である。中に光が入っているのは、その水晶の内部に、何かが封印されていることを示している。
「……七琴さん、それ」
「うん、プリンセス・ルージュの奴」
最悪の魔法少女、プリンセス・ルージュ。「自らの望み通りに振る舞う」という魔法を持つ暴君。その能力は「死なない」と思えば決して死なず、「自分が傷つくわけがない」と思えば一切の傷を負わず、「自分が勝てないわけがない」と思っていれば、どんな相手も打倒しうる強力なものだった。
まして最悪なことに、プリンセス・ルージュは、名前の通り傲慢な「お姫様」だった、逆らうものは殺し、気に入らないものは殺し、自分に従わないものは殺す。結果として、何百人何千人を巻き込む大災害を引き起こした一端であり――――七琴達が命がけで封印した存在でもある。
あの事件の後、街を管理・監督する魔法少女は結局現れなかった、魔法の端末に、魔法の国から「次はあなたが引き継いでください」とメッセージが来ただけだ。
魔法の国は、力を与える割に極めて放任主義だ。地方都市にわざわざ自分達の国から管理人員を派遣したりしない、その街に暮らしている魔法少女に丸投げする。
しばらくして事件の調査に訪れた魔法少女とは流石に一悶着あった、語尾に執拗に『ござる』をつける、狐耳と尻尾を持つくのいちのような魔法少女だった。
何度も、注意深く、丁寧に、罠を張り巡らせながら質問をされ続けたが、それも七琴達はつつがなく切り抜けて、事件に巻き込まれた不幸な被害者、と認識されるに至っている。
ただ、プリンセス・ルージュを封印した水晶は、当然現物として存在する、致命的なレベルで致命傷な証拠である。
しかし七琴はこれを渡すつもりはなかった、プリンセス・ルージュたちが開放されたのは何者かの意図によるものであり、その何者かは間違いなく魔法の国とつながりがあり、何らかの目的を持って、今度プリンセス・ルージュが表に出てきたら、今度こそ勝つことは出来ないだろう。
七琴は「二度とプリンセス・ルージュが開放されないようにコンクリ詰めにして東京湾に沈めた」と言いはった。実際にドラム缶とコンクリートの領収書と乗船チケットを見せて、海に沈める所まで写真に撮影して提出した。
この水晶がこの場にある、それ事態が多大な犠牲の上になりたっているのだ。簡単に渡す訳にはいかない。
「箪笥の奥にしまっておいたんだけどさ」
「何でそんなところに!?」
「まさか私のブラの中にプリンセス・ルージュがあるとは思うまい……」
「そりゃ思いませんけど……」
そもそもこの水晶の封印は極めて強固だ、デフォルトで結界が何重にも貼られている上に、七琴の魔法――――『なんでも開け閉め出来る鍵』の力によって、たとえ結界を全て解除しても、開くことはない。
弓子は忌々しげに、水晶を見つめた。彼女からしてみれば、プリンセス・ルージュは友人の仇以外の何物でもない、今だって腸が煮えくり返っているはずだし、出来るなら自分の手で始末したいと思っているはずだ。
「結局、これはどっかで処分しないと行けないわけじゃん」
「んー……でも、その封印ってもう、七琴さんにもとけないんですよね」
七琴の魔法は「鍵」を向けて、「ガチャン」と言うと鍵がかかり、「ガチャリ」というと鍵が開く仕組みになっている。その際、対象物には、光の粒子で出来た、なんだかマジカルな魔法の錠前が出現するのだが、この水晶はその錠前をとある魔法少女によって破壊されてしまったので、七琴自身ですら、自分で開けることは出来ない。
「私には解けないけど、私以外の誰かなら解けるかもしれない」
だが、七琴は水晶を弄びながら、しれっとそういった。
「……? どういう意味ですか?」
「例えば、魔法の国にこんな魔法少女がいたらどうする? 『どんな封印でも解けるよ』、みたいな」
「あ」
「この水晶って、私の魔法が効いてる通り、魔法に関連するものを封印できるけど、これそのものが魔法の影響を受けないわけじゃないんだよね。だから私の下位互換……『なんでも開ける鍵』を持ってる魔法少女がいるかもしれないし、『中に入っているものを取り出せる』なんて魔法少女も居るかもしれない。
「……なるほど」
「深海に沈めるのは割りといいアイディアだと思うんだけど、それにしたって『探しものを見つけられる』魔法少女なんて如何にもいそうじゃない? 手の届かない安全地帯に置いたつもりが、知らない内に回収されてた、ってのが、私は一番嫌かな」
「……でも、そんな魔法少女がいたら、この場所にあるの、知られちゃいません? 今度追求されたら、まずいんじゃ」
「それはそれでいいんだよ、弓子ちゃん」
七琴にとってそれは喜ぶべき事態だ。なにせ話が一気に進む。
「プリンセス・ルージュを探してる奴がいたら、そいつがプリンセス・ルージュ達を最初に開放した連中だ、ってことでしょ? 向こうから接触してくれるなら、願ったりかなったりだよ」
むしろ、その為にこの水晶を保有し続ける、といっても良い。ただ、全てが片付いたら、完膚なきまでに処分しなければならない。
やることそのものは、結構あるのだ。
「正規の、魔法の国から監査が来たらどうするんですか」
「その時はその時、話がわかる相手なら事情を話して協力を仰ぐし」
ニコリと笑って、考えを述べた。
「駄目だったら、次の人が来るようにすればいい」
何を意味しているのかを察して、弓子の顔が、とうとう固まった。
◆ 弦矢弓子 ◆
地元の駅からバスで一時間半、途中一回、サービスエリアでの休憩を挟んで、少女たちはルミナスランドへと降り立った。
『ピッカリー☆ ルミナスですよー☆』
入り口に立っている、身長二メートルを超える、チカチカと輝く電飾を身に纏った星形のゆるキャラマスコット、ルミナス君が、訪れた人々を、一時、夢の世界へと送り出す。
開場直後だけあって、ざわざわと人が密集していた、見えているだけで五百人ぐらいは居そうだが、想像していたより人がみっしり、というわけでもない。七琴達も、列に並んで五分で入場出来た。
「ここ、人気無いんですかね」
弓子が首を傾げたが、七琴はいやいや、と首を降った。
「千葉のネズミ王国とか、ユニバーサルなんちゃらと比べちゃ駄目だよ、あと、夜のイルミネーションとかが売りだから、その時間帯になったら人が増えるらしいよ」
「はー、まあ親子連れより彼氏連れの方が多いですもんね」
「どういう視点で見てるの」
ただ、実際園内に居るのはカップルが多い、手をつないでいたり、組んでいたり、きゃいきゃいじゃれあってたり、親子連れももちろん居るが、数として見るならば男女ペアが最多で、次が友達同士といったところか。
大量の電飾で飾られた(朝でも問答無用で光っている)入場門に近寄って、従業員に促されるままにチケットに記されたQRコードを読み取り口に翳すと、手の甲にスタンプをぽんと押されて、驚くほどスムーズに入場することが出来た。再入場の時に使う他、株主優待券の力によって各種アトラクションを優先的に利用できるおまけ付きだ。
「遊園地かー、人生三度目です」
「私実は初めて」
弓子が感慨深く言い、七琴は興味深げにルミナスランドの案内図を広げていた。
「ジェットコースター四種類もあるから、これは制覇したいね、あとお化け屋敷は絶対行く、バンジージャンプもノーマルと逆を制覇する。プールは明日ね」
「やる気満々ですね七琴さん……」
「弓子ちゃん、レジャーを楽しむコツはね、全てを味わいつくすことだよ」
その声色に一切の加減や誇張はなかった。全てが正義だった。
「あるものには乗る、出来ることはする。じゃなきゃ来た意味がないというものでしょう!」
「別にいいですけど……初めてなんですよね、遊園地、バンジーとか、怖くなって途中でやめたりしないでくださいよ」
「そんなことするわけないじゃん、もしやめたら、明日の夕飯はピーマンづくしでいいよ!」
高らかな宣言と共に、アトラクション巡りが始まった。
ルミナスランドは大きく分けて東西南北の四つと、中央、合計五つのエリアで構成されている。入場口と、お土産屋やフードコートが集合している南エリア、子供向けの小型アトラクションが多い西エリア、お化け屋敷や脱出迷路など、体験型のアトラクションが東エリア、ジェットコースターやバンジージャンプ等、目玉アトラクションが集まった北エリア、そして巨大なウォータースライダーと、各種プールが取り揃えられた中央エリアだ。
「よっしゃまず東エリア行こー! メインディッシュは後回しだ!」
「一人で先に行かないでくださいよーっ! 高校生にもなって迷子は笑えないですよ!」
ずんずんと突き進む七琴の後を追いかける弓子、身長だけで言うと弓子の方が高いが、七琴の移動速度はその比ではなかった。
普段はだらけているが、スイッチが入った時の勢いは、正の方向でも負の方向でもすさまじいのだ。
「そしたら私が誰より先に迷子センターに飛び込んで弓子ちゃんを呼んであげるから」
「スマホのGPS絶対入れといてくださいね!?」
『ピッカリー☆ ルミナスだよー☆』
東エリアにいるルミナス君は通称ルミナスちゃんと呼ばれていてノーマルカラーと比べると色が桃色で女の子なんだよ、というどうでもいい情報が、入り口看板にデカデカと載っていた。
「水鉄砲サバイバル『アクア・ガンナー』、極限恐怖館『呪われた光子』、脱出の館『返って来た青髭』『豪華景品ストラックアウト』……統一感ないですね」
パンフレットに明記されたアトラクションの名前を読み上げて、弓子は呟いた。パークのテーマであるルミナス要素はどこにもない。芝や植え込み、建物にはこれみよがしに電飾が巻かれているも、昼間見るだけでは単なる色付きのガラスの玉でしかない。
「じゃあお化け屋敷!」
「お、一番に行くんですか?」
「は後回しで」
「後回し」
「未来永劫後回し! 脱出の館いこう!」
「えーっと何々、『貴方がたは怪人青ひげの新たなる花嫁である、彼が帰ってくるまでに館を脱出できなければ、非業の運命が待つ!(ナイトショーはルミナスパレード! 是非ナイトショーに来よう!)』……あー、だから人居ないんですね」
待ち時間はたったの五分だった、他のアトラクションに人が向かっているのか、こちらのエリアそのものに人が少ないように感じる。
「突破者はアトラクション開設後八グループ、最速記録更新で豪華景品らしいですけど」
「なるほどねー、よし、そんじゃ行ってみよう!」
結論から言うと最速記録で突破した。弓子のすることは殆ど無かった・
アイマスクをされてスタッフに手をひかれ、最初に連れてこられた部屋は全て外側から鍵のかかった密室だ。怪しげな書物やソファやタンスなど、調べる所は幾つもありそうだったが、七琴は開始三秒で躊躇いなく自分がつけていたアイマスクを調べた、細長い板状の鍵が入っていた。
「……え?」
「多分部屋の中に『自分が最初に触れた物にこそ鍵がある』みたいなヒントあるんじゃない?」
得意分野というか猜疑心が強いというか、とにかく人の裏をかこうとするギミックであればあるほど、七琴は見つけるのが上手かった。二十分程で脱出した際は、ポップコーンとジュースの無料引換券と共に大きな拍手を送られ、記念撮影までしてもらった。
引きつった顔の弓子と、どや顔の七琴が写っていた。
「うーん、もうちょっと歯ごたえがあって欲しかったなあ」
「あそこまでどや顔キメといてその感想はどうなんですかっていうか、七琴さんの早解きを見てるだけだった私が報われないんでもうちょっと楽しんでくださいよ……」
前の最短記録保持者は五十九分だったという。果たして七琴の記録を塗り替える変人は、現れるのだろうか。
「で、次はどこ? 一番近いのは?」
「ええと……極限恐怖館『呪われた光子』ですけど」
「そこは未来永劫後回しね」
順繰りに回っていくことにした。ゴーカート(速度が足りない! とアクセルを踏み続けて壁として積んであった重石を吹き飛ばした)、某ハリウッド映画とタイアップした3D体感アトラクション(弓子は悲鳴を上げる七琴に首を絞められた)、野球ボールを的にぶつけて、ビンゴを作れれば景品がもらえるストラックアウト(弓子は百発百中を決めた)、メリーゴーラウンド(夜のライトアップが最高に綺麗です! と銘打ってあり小さな子供が数人居る以外はスッカスカだった。七琴がコーヒーカップを全力でぶんまわし続け、弓子は目を回した)を終えて、最期にやってきたのが『アクア・ガンナー』だ。
ベルトコンベアに乗って移動し、各部屋で現れる障害物を水鉄砲で撃ちまくる。相手も反撃してきて、与えたり受けたりしたダメージの過多がそのまま得点に反映されるようだ。
「お洋服がびしょ濡れになります、ご注意ください。別売の雨合羽もご利用ください、だそうですけど」
「すいませーん、雨合羽二つー」
「着替え持ってきてるのに、躊躇わないですね……」
全身をすっぽり覆う、安物の雨合羽を被った後、アトラクションの中へと入る。壁に設置されたディスプレイにはルミナス君が注意事項を告げていた。
両肩にセンサーのついたベルトを装着させられ、従業員が説明をしてくれた。
「この真ん中を水鉄砲で撃たれるとダメージとなって減点です。また、四人一組のアトラクションなので、他のお客様とご一緒になりますが、よろしいですか?」
「オッケーでーす!」
「だそうなので、大丈夫です」
七琴が元気よく返事をして、しばし待つと、二人組の少女が入ってきた。七琴達と違い、雨合羽などという小賢しい防具は装備していない。
「マジダイジョブ? 濡れねえ?」
「平気平気、こういうのは濡れてなんぼっしょ!」
「化粧落ちね?」
「平気平気、山姥は化粧落ちてなんぼっしょ!」
「誰が山姥だクラァ!」
二人共、半袖のワイシャツに赤いリボン、プリーツスカートという、どこぞの学生服姿で、お揃いのように上着を腰に結んでいた。
「あ、初めましてーっ」
その片割れ、長い髪の毛をポニーテールでざっくりまとめた、快活そうな少女が、弓子達に挨拶した。背はそれほど高くない弓子よりも小さいが、一目で運動慣れしていることがよくわかった、むき出しの二の腕や太ももにはバッチリ日焼けの跡が残っていて、よく引き締まっている。
「うっわ知らない奴っつーからキモオタみたいな奴とくまされると思ってたー、ラッキーなんだけどー」
もう一人の方は、一見してギャルだった、もう口紅が白いし髪の毛はパツキンだしネイルは長いしビーズとラメがまんべんなく散らされている。
「ども、笹井七琴です、よろしくー」
「弦矢弓子です、宜しくお願いします」
「あ、すいませんご丁寧に! 私立
宜しくおねがいしまっす!」
「部活紹介とかいんの? あ、オナ学のオナクラの、
「ははは、弓子ちゃん、先輩だよ先輩」
「なんで私限定にプレッシャーかけてくるんですか……!」
七琴も高校二年生、弓子は高校一年生。学生にとって一年の差というのは、絶対的だ。
「へーっ、後輩ちゃんかー、それじゃあいいとこ見せないとねっ! フミー、手抜いちゃ駄目だよ」
「こんな子供だましに本気出すかっつーの、つーかなんでプールじゃなくてコッチ来たワケ? つかメイク落ちね? これ」
「楽しそうだったからサー、いいじゃん別にー」
「全然よくねーし、よくなさの極みだし。つーかマジお前一人でやれよ」
ポニーテールの少女、いさめが、気だるげなギャルの富美香をつついたりしている中、七琴はうんうんと満足気に頷いていた。
「何で嬉しそうなんですか、七琴さん」
「いや、二人共おっぱい大きいから眼福だなと思って。弓子ちゃんと違って」
「それ付け足す意味ありましたか?」
ゲーム開始のブザーと、頭を掴まれた七琴の悲鳴が同時に重なった。
ベルトコンベアが緩やかに動き出し、スピーカーから『太古の化石がウイルスによって蘇った……! こいつらの弱点は水だ! 水を……うわー!』という遺言が流れた。このメッセージを残した人物が誰なのか、弓子達に説明はされなかった、今後もされないだろう。
「うひー! 楽しー!」
全員に渡されたポンプ型のごっつい水鉄砲に、じゃこじゃこと空気を充填し続けるいさめ。命綱である水の補給は、途中のエリアで行える。それまでの配分も重要だ。
「へっへっへ、後ろからフレンドリファイアで透けブラチャンスでは」
同じく空気を充填する七琴の後頭部をひっぱたいた瞬間、
『ギャオオオオ!』
濃密なジャングルを彩った装飾から、干からびた恐竜のような物が突如飛びだしてきた。
「きゃあああああああああああああ!?」
「ぶべばばばばばばば!?」
突然の奇襲に、七琴は引き金を引いた。勢い良く飛び出た水が弓子の顔面に直撃した。魔法少女が絶対上げては行けない悲鳴が轟いた。
「何すんですかぶっ飛ばしますよ!?」
「もうアイアンクロー決めてんじゃん痛い痛いそれより敵敵!」
よく見ると陳腐な作りだが、上の方から出てきたこともあって中々迫力がある、大きく開いた口からじゃこっと銃口のようなものが飛び出てきて、勢いよく水をぶち撒けてきた。
「あははははははははは!!!」
いさめが楽しそうに怪物に反撃する。右へ左へ水を避けながら撃ち返す。水が直撃すると部屋全体が大きく明滅して、ダメージが有効であることが知らされる。
「くっだらへばあああああああああああああああっ!」
特に何をするでもなく部屋の隅にいた富美香の顔面にも、容赦なく水が襲いかかった。
「あ、大丈夫ですかっ?」
「あばばばばばばばばば」
七琴にアイアンクローを決めたまま、盾として運用していた弓子が焦って声をかけると、微妙にメイクが崩れたギャルがブチ切れた咆哮をあげた。
「てめぇなにしくさんじゃボケエエエエエエエエエエエエエエ!」
すさまじい勢いでポンプをピストンし、身を乗り出して怪物目掛けて水をぶちまけた。その勢いたるや鬼神のごとく、自らのダメージを顧みず果敢にダメージを与えていく。
「ゆ、弓子ちゃん、すごい!」
「ええ、見てください、もうあの怪物は苦しそうです!」
「いやあのギャル子ちゃんおっぱいでっかいしブラピンクであああああああ」
指の力を強めて、苦し紛れに発射された水を七琴の顔で受けた。危ない所だった。
「いさめェ! 何ぼさっと見てンだよ撃て撃て!」
「はいはい! いっくよーっ!」
十五分ほどでアトラクションは終わりを告げた、渇きの魔王という大型の怪物も、ギャルの怒りには勝てなかった。
『ギシャアアアアアアアアア!』
魔法の攻撃の演出なのか、スプリンクラーが作動し、天井から冷たいシャワーが降り注ぐ。
「うるせぇ黙れ死ね!!!!」
全身ずぶ濡れになろうが関係ない、ギャルは強かった。
とは言え被弾も大きく、スコアは大したことはなかった。唯一、七琴という盾を構えていた弓子だけが無傷で突破し、粗品としてルミナス君キーホルダーを貰った。
「あの、弓子ちゃん、私、ね? 家主……」
「は? だから?」
「ごめんなさいなんでもないですすいません」
一緒に戦った二人も、楽しげに笑っていた。雨合羽無しで奮戦した結果、頭からつま先まで完全にびしょ濡れだった。
「いやー、楽しかった楽しかった!」
「楽しかったじゃねえよずぶ濡れだよふざけんなよクソ!」
「あの、ブラ透けてますよ二人共」
「七琴さん、あなた……」
指摘されて、いさめは「あ、ほんとだ」となんでもないことの様に言い、富美香は「ぐやあ!」と悲鳴を上げた。
「どうすンだよこれェ!」
「ふふん、私実はこれ下着じゃなくて水着だから平気」
「はぁ!? じゃああたしどうすんだよ!」
「プールまでブラ解禁でいけばいいじゃん」
「殺すぞテメェ!」
わいわいと口論を始める二人、それを眺めていた七琴は悔しそうに
「く、水着だったのか……」
と、比較的豊かないさめの胸を凝視していた。
弓子は再び七琴の頭を掴んだ。
◆ 笹井七琴 ◆
プールエリアに行く、という二人を見送って、二人は南エリアに戻ってきた。東エリアを遊びつくしてお腹も空いたので、フードコートで腹ごしらえをしようと言う至極当然の魂胆だった。が。
「うっへ、人多い……」
普通に考えて同じ思考の人たちもいるに決まっていて、どの店舗もそれなりに人が並んでいた。席を確保するのも一苦労だ。
「私、何か買ってきます、七琴さんは席確保しといて下さい」
「がってんだー」
食べられればなんでもいいとだけ告げて、フードコート内部を見る、まあワイワイ賑わっておられる事で、二人で座れそうな所が見当たらない。
「あのぉ、もしもし?」
「んぇ?」
きょろきょろと首を振って居ると、声をかけられた。四人がけの席に、二人で座っている母子連れだった。
「お一人ですかぁ?」
声をかけてきたのは母親の方だった、にこにこと人当たりのよい笑顔で、大人しめだが綺麗な身なりをしている……大人の女性だった。
「あ、いえ、もう一人、手分けして場所と飯確保してるんですけど、まあ人が沢山いまして」
「あら、そうですか、大変ですよねえ、やっぱり、お休みですからねえ」
「半分ぐらい減りませんかね」
「こおら」
むす、と頬を膨らませて、その女性は言った。
「そういうことを言っては駄目ですよ、ごめんなさいしなさい」
「……ご、ごめんなさい」
思わず謝ってしまった、一体誰に謝ればよかったのだろうか、私は一体誰に謝ったのか。七琴はわからなかった。なんとなくノリでやってしまった。
「はい、よくできました、どうでしょう、そちらさえよろしければ、相席でも」
「へ、いいんですか?」
「ええ、混み合ってますし、立って待つのも大変でしょうし」
「正直ありがたいですけども……」
ちらりと、何も言わない娘のほうを見た、小学三年生か、四年生ぐらいだろうか、ポニーテールに髪の毛をくくっていて、見るからに活発そうだった。小さい子は、知らない人が座るのを嫌がったりしないだろうか。
「へいおねーさん、彼氏まちかーい?」
心配は無用だったらしい。
「こら、
「えー、いいじゃんおかーさん、ちょっとした世間話じゃーん」
このクソ暑い時期に、肩も首もむき出しのシャツに、ショートパンツなんぞを履いていて、露出している部分がこんがりと日に焼けていた。そういったところも健康的で、将来に期待が持てそうだ、メールアドレスを今の内に聞いておいたほうがいいかもしれない。
「何か変なこと考えてません、七琴さん……」
「げえっ! 弓子ちゃん!」
冷やし中華の乗ったお盆を両手で持ちながら、気づけば背後に弓子が居た。
「席はどーしたんですか、席は」
「あ、よかったら相席どうですかって言われたところ」
母親のほうが、ひらひらと手を降ってくれた。弓子が慌てて、ありがとうございます、と頭を下げた。
行楽地の食事なので、おいしくもまずくもない、値段通りで想像通りの味だが、こういった場所で食べることに意義があるのだ、と思い、冷やし中華をズルズルと啜る。
「初めましてーっ、
紙ナプキンにボールペンでザリザリと名前を書いて自己紹介する少女、晶は快活に笑った。
「へー、面白い名前だね」
「えへへ、覚えやすいでしょー」
「うふふ、初対面の人にはウケが取れるのよね」
ウケ狙いで名前をつけたのか……と口走りそうになったが、かつて親に自分の名前の由来を聞いた時、『些細な事』ってつながって面白いから、と言われて三日間寝込んだ自分の過去を振り返り、七琴はそれを飲み込んだ。
「私は
「東の方からレジャーで。あ、笹井七琴といいます」
「弦矢弓子です、ありがとうございました、ほんとうに人が混んでて……」
「無理も無いわ。私も驚いちゃいました。晶は元気だから休憩なんていらなーいっていうんですけど、私はもう歳なので」
そう言ってくすくす笑う朋は、言うほど老けては見えなかった、若奥様、といった風情で、若い娘には絶対に出せない、優雅な色気があった。
「なんかすっげぇイケナい人妻って感じの美人さんですよね」
「なぁこぉとぉさぁん」
頬に指を突き立てられて、歯で少し肉を噛まされた。
「あら、ありがとうございますね、人妻じゃないですけれども」
「え?」「え?」
七琴と弓子の声が、ダブった。
「おかーさんねー、みぼーじんなの」
みぼーじん。
何故十歳の子供がそんな単語を。
「一年前と少し前に、旦那を亡くしまして……毎年、この子の誕生日には、家族で遊園地にいく事にしていたんですけれど……あ、ごめんなさい、どうかお気になさらず。せっかくの楽しい日ですものね」
お気にしないわけがなく、ものすごい罪悪感と聞いては行けなかった何かが二人にだらだらと冷や汗を流させた、夏なのに。
「もー、おかーさんっ、今日はそう言うの抜きで遊ぼーって言ったでしょっ!」
「ええ、そうね、ごめんね、晶。お母さん、つい感傷的になっちゃって」
優しく、娘の頭を撫でる母親。七琴も、弓子も、ちょうどこの娘ぐらいの頃に、両親を亡くした身だ、どことなく感じ入る物があって、少し胸の奥がジンとした。
「それに、新しいパパもできるんでしょっ」
「えっ」
「ええ、この後、実は待ち合わせで」
「えっ」
「うふふ、では、失礼しますね、晶、ご挨拶は?」
「はーいっ、おねーさん達、まったねーっ!」
自分達が食べたトレイを手に、母子は笑顔で去っていった。
後には、ねろねろになった食べかけの冷やし中華と、二人の女子高生が残された。
「お、おっとなー…………なのかな?」
「さ、さあ……」
二人にはまだ、及びもつかない世界だった。
その後は二人で、絶叫マシンを乗り倒した。
「弓子ちゃん、なんでコレ後ろ向きなの?」
「三百六十度、自分達が回転しながら時速八十キロで走行するジェットコースターらしいですけど」
「なんで後ろ向きなの!?」
「だから回転するんですって」
「やだやだやだやっぱ降りるここやだやだ!」
「もう無理ですって……」
正面向きでゆっくりと坂を登っていくジェットコースターですら、約束された疾走感という恐怖が待っている。
いわんや、後ろ向き――つまり、いつ落下が始まるかわからないまま死刑台の階段を登っていくようなものだ。更に進行方向と比較して下を向いているということは、つまり高さがよく分かるということだ、長いレールと地面がドンドン遠くなっていき、やがて一点を超えた瞬間全てが
「きゃあああああああああ!!」
人生で上げたことのないような悲鳴を叫んで、ここから先の記憶は曖昧だった。
「やだ、無理」
「七琴さんがやりたいって言ったんじゃないですか」
バンジージャンプという文化がここまで恐怖だとは知らなかった、テレビで芸人たちが怖がっているのを見ても、どぉーせ安心が保証された出来レースなのに何を、と思っていた。
実際に立ってみてわかった、ジェットコースターはまだいい、身体が固定されている。一度乗ってしまえばあとは全て自動進行だ。
バンジーは違う、飛ばねばならない。自分の意志だ。踏み出して得られるのはただ落下する恐怖だけだ、魔法少女でもこの高さから落下したら助からないに決まっている。
「すいませんやっぱやめま――」
「七琴さん」
にこ、と弓子が笑って、両手で何かの形を示した。上のほうが広い、独特の台形のフォルム。滑らかな隆起。
「弓子ちゃん、あれ冗談」
「青椒肉絲の肉抜きなんていいかもですね、ヘルシーで」
「弓子ちゃん」
「ピーマンの肉詰めの肉抜きとかも美味しいかもしれませんね、ヘルシーで」
「ゆみこちゃ」
「パプリカも食べます? いろどり良くなって見た目もいい感じですよね」
七琴は飛んだ。
プリンセス・ルージュよりも怖かった。
「弓子ちゃん、私悟ったよ」
「一応聞きますけど、何がです?」
「もう絶叫マシンは乗らない……」
頂点の高さが百メートルを超える大型観覧車は、それでも絶叫マシンを制覇した七琴の心を緩やかな速度で慰めていた。特にフリーフォールは行けなかった。人は重力に逆らってはならないということを思い知らされた。
「無理して乗らなきゃ良かったじゃないですか……」
「完全制覇したかったんだもん……」
ぐったりしながら窓の外を見る、やっと太陽が落ち始めて、少しだけ、空に赤みが差し始めていた。
「今日はコレでホテルに戻って、明日はプール?」
「ですね、はしゃぎましたし、早めに寝ちゃいましょう」
「うへへー、ローストビーフ食べるぅー」
「すごい堕落具合ですね……」
弓子も、また観覧車の外に視線を向けた。これからまだまだ遊ぼうとする友達同士や、七琴達と同じく、提携ホテルへ向かう人々、あるいは、家族の手を引いて、帰りのゲートへ向かう人。
プールは未だに盛況で、まだまだ沢山の人が泳いでいる。ソフトクリーム片手に園内を歩く子供もいるし、ルミナス君はまだまだ風船を配って歩いていた。
「……楽しかったですね」
ぽつりと弓子がつぶやく、笑っているが、少しだけ、憂いを帯びた目をしていた。
「やっぱ友達思い出す?」
無遠慮に、七琴が聞いた。なんでそんなこと言うんですか、と言いたげな、恨みがましい目で、弓子が睨んできた。
「七琴さんと一緒にいるのがつまらないって意味じゃないです、ただ」
睨んでから、少しだけ、眉を潜めて、笑った。
「一人だけ生き残った私が、こんなに楽しいことがあって、いいのかなあ、って思って」
「別にいいんじゃない、私家族の中で一人生き残ったけど面白おかしく人生舐めて生きてるし」
「……それはまたなにか違う気が」
「負い目を感じるのは、自分を遺した人に対して、申し訳ないって思うからでしょ?」
それは七琴の持論だ。だが、基本的に、世の中はそういうものだと思う。
「でも、私に生きてて欲しいと思ってくれた人は、私がそんなもの抱えて後悔してるより、色々笑って泣いてくれたほうがいいって思ってくれてると思うんだよね、弓子ちゃんは違う?」
問われて、弓子は、目の端の涙を拭った、ふふっ、と、今度はちゃんと笑った。
「そうですね、そうだと思います」
「そうそう、笑おう弓子ちゃん、大事なのは今日が楽しかったと思うことと、明日も楽しいといいな、って思うことだよ」
きゃー、と外から悲鳴が聞こえてきた。フリーフォールが落下して、再び上昇を始めていた。
「そだ、弓子ちゃん、これあげる」
「……? なんですコレ」
七琴が手渡したのは、スマートフォンなどに挿して使えるSDカードだった。
「前から渡そうと思ってたけどすっかり忘れてた、まあ暇な時とかに見てみてよ」
「? わかりました、ありがとうございます」
少しずつ高度が頂点へと近づいていく。二人の乗ったゴンドラが、ルミナスランドすべてを見渡せる高さへと上り詰めていく。
「来年も優待券もらえるなら、株は売らないでおこうかな」
「もう、なんか終わった風ですけど、明日もあるんですってば」
二人は、同時に小さく笑った。瞬間。
どむ、と、ガラス越しに中を叩くような音と、それから大きな揺れと、風が吹いた。
「きゃっ」
弓子が声を上げた時には、観覧車の頂点から見える、高さ九十メートルのフリーフォールが、横倒しに倒れようとしていた。
◆
休日祝日の遊園地という奴は極めて忙しい。バイト先に選んだのを、職場に来る度に後悔する。
何が一番辛いかといえば、訪れる人達のまあ幸せそうなこと幸せそうなこと。高いお金と貴重な時間を使って訪れているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、彼らに応対する自分は当然ながら仕事中である。
笑顔は一瞬でも絶やせず、子供のいたずらにもキレてはならず、無茶を言う親に真摯に対応し、のろけるカップルにまたいらっしゃいませと呪詛を吐く。
遊園地では働く人間をキャスト、お客様をゲストと呼ぶ。つまり遊びに来た人々に夢を見せる遊園地では、バイトの一人も立派な役者の一人なのだ、不平不満が一切ない、幸せを提供する存在になりきらねばならない。
ある意味それは正しく、花壇畑・りんごは魔法の国から選ばれた、魔法少女である。
最も大学生活も半ばすぎ、こうしてアルバイトや学業に忙しくなってからは、もうほとんど変身して人助け、なんて悠長なことはしていない。なにせ魔法少女としての活動は時間を浪費するばかりで一銭足りとも儲からない。
多くの魔法少女の例に漏れず、最初こそ、その人間離れした、花も宝石も比べ物にならないほど見目麗しい容姿と、この世でたった一つ、自分だけの魔法に酔いしれ、これこそが自分の人生、生きる意味だと思ったものだが、その時、りんごは中学二年生だった、空想が現実になったことを大いに喜ぶ年齢だった。
しかし蓋を開けてみれば自分と同じような魔法少女は存外居たし、魔法少女として人助けをするのに明け暮れた結果成績は落ちて高校は滑り止めまで含めて全て不合格となり、定時制に行く羽目になった。
人生のレールを微妙に外れ始めてから、ようやく「あれ、これってもしかして私に得はないんじゃないのか?」と気づいてからは、人助けの優越感や、魔法少女の全能感を、週に一回ストレス解消程度に行うようになった。要するに割り切りが大事なのだ、収入にならず、キャリアにもならない魔法少女活動に、人生を捧げてはならない、余暇にちょっとやるぐらいでいい。
しかしそれでも、ルミナスランドの子供向けエリア、『ファンタジー・フラワー』でキャストをしていると、自分の魔法少女としての姿――――『アップリラ』は何とこの場所に馴染むのだろう、と思わずにはいられない。
大きな林檎を模した頭巾、樹皮で編まれたバスケット、雨糸を束ねて折り重ねたような透き通る銀髪は、童話の登場人物そのものだ。アップリラをマスコットにしたら、さぞかし人気になるだろう、と子どもたちに群がられているルミナスくんを見るたびに思わずにはいられない。
結局のところ、自己顕示欲という奴を満たしたいのが人間なのだ。しかし実際魔法少女に変身してアルバイトなんてしてたら、魔法の国から洒落にならないぐらい怒られるだろう、下手すれば権利剥奪だ。
なので、最も相応しい舞台で人間として働く以外の選択肢はなく、ゲスト達に恨みがましい視線を向けては『私は本当はすごいんだぞ』と内心で愚痴を吐く、そんな日常だった
ズズズズズ……
「いらっしゃいませー、『フェアリー・ゴーランド』にお並びのお客様……ん?」
森の妖精や幻獣を模したメリーゴーランドの案内をしている時に、それは起こった。
まず地響き、地面が軽く上下左右に揺れて、何人かのゲストが悲鳴を上げた。
「大丈夫です、落ち着」
なにせ子供が多いエリアだ、反射的にそう言おうとして、残りのセリフをいうことが出来なかった。
ズズンッ
とより一層激しい音がして、誰かが大きな悲鳴を上げた。
振り向くと、北側の『ラッキー・クライ・エリア』の目玉アトラクションの一つである、大型フリーフォール「Ze:chrome」が、今まさに横倒しになっていく所だった。
あまりに現実離れした光景に、一瞬思考が止まる。
そして――――巨大な鉄塔の倒れゆく先には、今まさに走行中の、園内に四つあるジェットコースターの一つがあった。
誰かが悲鳴を上げて、先ほどとは比べ物にならない爆音がそれをかき消した。