魔法少女育成計画 -Genocide Side-   作:∈(・ω・)∋

5 / 6
◇ 第五章 ジェノサイド・サイド ◇

 セーフハウスに戻ったチャーミーと夢姫マリアを、意外なことに出迎えする者がいた。

 

「もう戻ったのですか? 何か成果はありましたか」

 

 毒雪姫は、全く表情を動かさずに告げてきた。ねぎらいの言葉ひとつなかった。

 

「あ、その、申し訳ありません、プリンセス・ルージュと遭遇は出来たのですけど、その……」

 

 一人、選択肢の魔法から逃れ、交渉をした、とは、白黒有無のシンパであるこの魔法少女には、とても言えない。

 

「……はあ、全く。あちらはあちらで問題外、こちらはこちらで役立たず。困ったものですね」

 

 まあ期待はしていませんでしたが、と高圧的に続けた。

 

「あちら、って、その、かな――ピンキー達は何かあったんですか?」

 

 ラブリー・チャーミーが尋ねると、余りにしれっと、簡単に答えが帰って来た。

 

「ドラゴンハートと交戦し、ピンキーピンキーが死亡しました。敗走だそうです」

 

「………………え?」

 

 想定外だった――あり得ると覚悟していたはずなのに、まさかそんなことは、と思っていた。

 脊髄反射で、魔法を発動する。ピンキーピンキーという個人目掛けて、思念を飛ばす。だが、何もかえって来なかった。それどころか、思念を、誰も受け取ってくれなかった。

 石を投げても、波紋が返ってこない。その人物は、もうどこにも居ない。

 

「香奈子っ、香奈子ぉ、嘘、でしょ……何で、何でよぉっ!」

 

 ぼろっと、涙が溢れてきた。何より明確に、その『死』を感じ取ってしまった。

 

「チャーミー……さん」

 

 心の何処かで、きっと、いつもの日常に戻れると信じていた。困難を乗り越えて、元の暮らしに戻れると。そんなものは幻想だった。巻き込まれた時点で、そんな未来はもう、もうありえなかったのだ。

 自信家で、頭が良くて、いつも先を見据えていて、自分よりずっと大人で、誰よりも皆のことを考えていた、阿多田香奈子という少女が、もうこの世に存在しない事が、もしかしたら、家族が死んだあの日よりも、ずっとずっと悲しかったかもしれない。

 

 そんなチャーミーを前にして。

 

「申し訳ありませんが、代わりの戦力は用意できません」

 

 それだけだった。労いも、謝罪もなかった。

 

「被害が戦闘向きの魔法少女でなくて幸いでした、大した損傷ではないでしょう。時間がないので、早く作戦を再開してください。」

 

「…………あ、あんた、何言ってんの」

 

 ラブリー・チャーミーが顔を上げた。目は見開かれ、表情という表情が消えた、怒りと敵意に染まりきった、そんな顔だった。

 

「死んじゃったのに、香奈子が……何でそんなこと、言えるわけ……」

 

「何故、と言われても」

 

 当然、という風情で、毒雪姫が返す。

 

「駒が一つ減っただけですから」

 

「ふざけるなああああああああっ! 香奈子が何のために戦ったと思ってるのよ!」

 

 毒雪姫の細い腕を掴んで、食って掛かって、咆哮した。

 

「アンタ達が! 勝手に! 私たちを巻き込んだんじゃない! 何でそんな言い方されなきゃいけないのよ!」

 

 感情が爆発したのは、冬子の言ったそれが真実であった事を、今まさに毒雪姫が証明したからだ。

 私達のことなんて、こいつらは、どうでもよかったのだ。

 捨て駒。捨て石。鉄砲玉。死んでも何にも、なりはしない。

 

「お、落ち着いてください、チャーミーさん!」

 

「離してよ! 謝りなさいよ! 謝ってよ! 香奈子に! 先生に! 皆に……あ、ぐっ、ぁ……っ」

 

 最後まで、その不満不平をぶち撒け続ける事はできなかった。

 毒雪姫の腕を掴んでいた、ラブリー・チャーミーの腕が、ずるりと落ちた。その時には、もう魔法少女の姿はなかった。ただの女子中学生に戻っていた。

 心美流乃は、死んでいた。目と鼻と口から、ぶくぶくと血を出して死んでいた。ぷすぷすっ、と、血管が、弱々しく破れて、出来損ないのポンプみたいに血を吹き出した。

 その死体を、汚いものを見る顔で、嫌悪感をむき出しにして、ぱっぱと服の汚れを払って、毒雪姫は心底嫌そうに言った。

 

「いい加減にしろ、下民共が」

 

「ど、毒雪姫さん、な、何を……ひぐっ」

 

 夢姫マリアもまた、言葉を続けられなかった、肺がぎゅうっとしまって、内臓の中を焼けた針でかき混ぜられたような、異常な痛みが襲った。

 

「本来ならば薄汚れた貴様ら下民共などと会話すらしたくないのだ、それを白黒有無様が必要だというから、我慢してやっていたというのに、立場をわきまえない発言をよく出来たものだな」

 

 毒雪姫の魔法は、『気体を自由に操る』事が出来る。酸素の濃度や圧力を自在に変化させることもできるし、肺から空気を絞りだす事も、持ち歩いている小型のガスボンベから吹き出す毒ガスを、特定の相手だけに吸わせることも出来る。

 

「貴様らの代わりなどいくらでもいるのだ、ゴミ共が。消耗品が何の権利を主張する。ただ言われた通りに働いていればいいのだ、誰が意見することを許した、厚かましい。恥を知れ」

 

 指をぱちんと鳴らすと、気体が正常に戻り、げほげほと、夢姫マリアは咳込んだ。

 

「そのゴミは処分しておけ、私は忙しいのだ」

 

 そして、自分が殺害した少女の遺体には目もくれず、再びキッチンに向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「白黒有無様、お茶が入りました」

 

「うむ。時に、進捗はどうだ?」

 

「芳しくありません、勘違いし、逆上する者も居る始末です」

 

 お茶をすすって一息つきながら、白黒有無。

 

「やはり外様の魔法少女ではその程度だろう。仕方あるまいな。毒雪姫、そなたも加勢に向かえ」

 

「……は」

 

「そもそも、お前は昨日からお茶を淹れてばかりではないか。少しはその魔法、役立ててはどうだ?」

 

「わ、私がドラゴンハートとプリンセス・ルージュを、ですか、それは……その」

 

「ん? 何か問題が生じるのであるか?」

 

「さ、流石に勝てないのでは……し、死んでしまうかもしれません」

 

 冷や汗を自覚しながら、はにかんだ笑顔。毒雪姫のビジュアルは、魔法少女の中でも、際立って美しく愛らしい。その笑みと言ったら、世の男達を纏めて虜にできるだろう。

 彼女がこの地位に居るのも、ひとえにその美しさは、側に置いておくに値すると思われたからだ。

 

「それがどうした?」

 

 つまり、ただそれだけだ。

 

「吾輩は、吾輩の命令を聞かぬ側近はいらぬのだが? 毒雪姫よ」

 

 その時、初めて毒雪姫は自覚した。気づいてしまった。理解してしまった。

 毒雪姫は、他の魔法少女たちを、下賤で不快な、下々の民だと思っていた。そして白黒有無の側に仕える己は、上等で上質で、高位の魔法少女だと思っていた。

 自分は寵愛を受けていて、大切にされているのだと思っていた。

 確かに大事なのだろう、確かに重用したのだろう、確かに気に入っていたのだろう。

 身を着飾る、装飾品ぐらいには思っていたのだろう。いざとなったら、場合によっては、時間が来たら、取り替えれば良い程度の。

 

 つまり、本質的には、今自分たちが使い捨てている魔法少女たちと、自分は同じカテゴリに居るのだと。

 

「…………か、畏まりました、白黒有無様」

 

 ならば、存在価値を示さねば、使えることをアピールせねば、毒雪姫に待っているのは、破滅だけだ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 まだふらふらする、気分が悪い。それこそ、プリンセス・ルージュやドラゴンハートでなければ、抵抗の余地すら無い。

 醜く変り果てたラブリー・チャーミーだった遺体を、なんとか寝袋に詰め込んで、風呂場へと移動させた。他の新人たちには、なんといえば良いのだろう。

 作業の合間に、玄関の扉が開いて、閉まる音がした。出て行くとすれば毒雪姫か。何かあったのだろうか。

 

「……あれ、なっちゃん?」

 

 暗い気分でいると、魔法の端末に通信が入った。ジェノサイダー冬子……笹井七琴からだった。

 

「もしもし、なっちゃん? 今何処にいるの?」

 

『まだホテルの前、これから、そっち戻るよ』

 

「あ、うん……待ってる、ね」

 

『そうだ、真里ちゃん、一個確認しておきたかったんだけどさ』

 

「ん……? 何? なっちゃん」

 

 普段と変わらぬ、笹井七琴という、いつもあっけらかんとした少女、そのままの口ぶりで、端末越しに聞かれた。

 

 

 

『フェロにドラゴンハートの封印を解くように、って言ったの、真里ちゃんだよね』

 

 

 

「……な、何言ってるの? なっちゃん」

 

『そもそも私の家を知ってる人間、って時点で、もう真里ちゃんしか居ないんだけどさ。考えてみたら最初からだったんだなー、って』

 

 責める口調ではなかった。罵倒でもなかった。それはただの事実確認だった。

 

『私を魔法少女育成計画に勧誘したのは真里ちゃんだし、私にお勧めの魔法を教えてくれたのも真里ちゃん。こんなお誂え向きの魔法、そりゃ狙って作らなきゃ出てこないよね』

 

「な、なっちゃん? どうしたの? おかしいよ、ね、何があったの?」

 

『や、別に私はだから怒るとかじゃないんだよね、真里ちゃんは私にとって、大事な友だちだから。でも、私はわかってるよ、って事を伝えたかったの』

 

 どくん、どくん、どくん。

 

 心臓が高鳴っていた。爆発しそうだった。どうか、その続きを言わないで欲しいと願い、まるでドラゴンハートの様に、七琴はその期待を裏切った。

 

『ドラゴンハートとプリンセス・ルージュは、恐怖と暴力で魔法少女たちを強引に従わせた……らしいけどさ。全員が全員、そうだったのかな』

 

『あれだけ強力で、あれだけ眩しくて、あれだけ鮮烈な魔法少女に、心から憧れる様な人間は、本当に居なかったのかな』

 

『私はそうは思えないんだよね、だって、逆らえば勝てないけど、従う分には誰より便りになるボスだもん』

 

『心から心酔して、心から陶酔して、心から仕えた魔法少女が居ても、おかしくないと思うんだ』

 

『じゃあ、そんな魔法少女が、「被害者」として保護されて、今も魔法少女を続けてたら、何をするだろう』

 

『ご主人様を助けようと、するんじゃない? その為に必要なパーツを掻き集めようとするんじゃない? 例えば、どんな複雑な封印も、一発で解けちゃう様な魔法少女とか』

 

『誰がドラゴンハートを私に解放させたんだろうって、ずっと考えてた』

 

『破壊を撒き散らす災厄の魔法少女、ドラゴンハートを解放するメリットがあるのは、もうその存在その物を求めている人間しか居ないんだよ』

 

『四年前、その配下として、本当に心からドラゴンハートを想う忠臣がいたなら』

 

『プリンセス・ルージュの居ない世界でなら、絶対無敵で最強の魔法少女になれるドラゴンハートを解放させるために、なんでもするんじゃない?』

 

「…………」

 

『だから、真里ちゃん。私は別にそれを責めない。何を信じてるかは人それぞれだし』

 

 だけど。

 

『私は、プリンセス・ルージュもドラゴンハートも許さない。真里ちゃんがドラゴンハートにつくなら、私と戦うなら』

 

 その時は。

 

『思い切り喧嘩しようね、じゃ、そっちも頑張って』

 

 一方的に通話が切れた。

 

 夢姫マリアは、魔法の端末を耳に当てたまま、無言で立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 白黒有無は、すでに見切りをつけていた。この街の魔法少女は、思いの外使えない。新人ばかりなのもマイナスだ、手駒の質が足りなければ、完璧な作戦も綻びが出る。このままでは全員消費しても、再封印の目はなさそうだ。

 

 となれば、新しい策を講じなければならない。余り他所の派閥に借りは作りたくないが、友好関係にあるグループから、結界が解け次第、武闘派の魔法少女を派遣してもらうしか無いか。

 

「やれやれ、できればやりたくなかったのであるがな……特に博愛天使メフィスあたりは、高価な服をねだって来る故なあ」

 

 白黒有無がこの街の魔法少女を戦わせたのは、自分が損を背負いたくなかったからだ。

 戦闘の報酬に、服やら宝石やらを買わされて、財布が痛むのを嫌がったからだ。

 しかしことがここまで来ては、もうそのデメリットは飲み込むしかあるまい。なんとも億劫な事だが、道具の使いみちを誤った己の判断ミスだと思うしか無い。

 失敗を受け入れてこそ成長がある。白黒有無は前向きにそう考えた。

 そう考えたのが、彼女の最後の思考になった。

 音もなく青い光が広がって、白黒有無を包み込み、ほんの瞬きの間に、誰もいなくなっていた。

 椅子の上にころりと八面体が転がって、中に何かが入ってることを示すかのように、ぼんやりと光っていた。

 

「…………」

 

 封印珠を投げつけた夢姫マリアは、無言でそれを拾い上げると、ゴミ箱に放り込んだ。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 ピンキーピンキーの死亡が、ユミコエルとシンデレラ・ブーケに与えた衝撃は計り知れない。内心、最も頼りにしていた存在が、あっけなく殺されたという現実に、ついこの間まで普通の少女で、異能を手にしてからも、遊びの延長で魔法少女をしていた彼女達に、それを受け止めきれというのは余りに酷だ

 

 ばらばらに分かれてしまったことが、災いした。気がつけば、雲霧霞は、カニバリアともユミコエルともはぐれてしまった。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 カンカンカン、と夜の街に、ブーケの意匠であるガラスの靴はよく響いた。一般人のそれと比べれば、勿論魔法少女の速度は圧倒的ではあるが、それでも、こんなヒールでは、到底長く走れない。

 

「みぃ、つけ、た」

 

 何とかして逃げ切って、もう一度仲間と合流したい。

 そんな淡い期待を、あっさりと裏切られた。ブーケが走って、曲がった角の先に、ドラゴンハートが立っていた。

 

「ひっ、あっ!」

 

「ふふふ、ダメよ、途中で逃げるなんて。ねえ、聞きたいことがあるんだけど。答えてくれたら、見逃してあげてもいいのよ?」

 

 あるいはそれは、ドラゴンハートの本心だった。というよりも、こんな瑣末な魔法少女、放っておいてもどうでもいい、というのが本音だろうが、それでも、『見逃す』という行為をしてあげてもいいかな、程度の認識をしていた。

 

「…………ぐっ、ひぐっ」

 

 ブーケはそれに応じることが出来なかった。『見逃してあげるから質問に答えろ』という交渉をする選択肢を、最初から奪われていた。

 答えるつもりは、無いらしい、と判断して、まあいいか、と結論した。

 

「じゃあ、他の子に聞きましょうか」

 

「や、やめ、いやっ」

 

 シンデレラ・ブーケの最後の言葉は、懇願だった。

 

「お、お願い、助けて――――」

 

「だぁめ」

 

 期待は、儚く裏切られた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

(あかん、近づいとる……)

 

 ドラゴンハートも追撃を辞めたわけではない。強大なプレッシャーが、遠くから少しずつ、じわりじわりと近寄ってきているのを感じる。

 

(……私が再生できるのは、右腕だけ。どんな期待も、計算も、抱いた時点で勝てない……)

 

 戦闘向けの能力を持っていながら、戦闘とはとんと縁がなかった、とカニバリアは思う。あの友人が生きていたら、なんというだろうか。

 

「……困ったら、笑って笑顔で、なんとかしい、やね」

 

 とても笑ってはいられないが、そうするしか無い。

 

「はは、ほんま、参ったなあ」

 

 呟くと同時、ころん、と何かがカニバリアの足元に転がってきた。横目で見て、一瞬で、頑張って作った笑顔が凍りついた。

 少女の首だった。それが雲霧霞という少女のものであることなど、当然、カニバリアに知る由はない。

 

「楽しそうね、いいことあった?」

 

「……よう、わかったね」

 

 強がってそう返すのが精一杯だった。ドラゴンハートに、追いつかれた。

 

「私ね、鼻がいいのよ。あなた、凄い血の臭がするんだもの、ドブ臭い、臓物の臭いも」

 

 しかし一番の理由は、単純だ。

 

「見つからないでくれ、って期待しちゃう子を、見つけちゃうのよね」

 

「……せやね、ほんま、勘弁して欲しかったわ」

 

 右腕を再生できるのは、あと十回もない。大きな口を作れば作るほど、材料は減っていくし、体力回復にも使いすぎた。

 

「素敵な顔、とってもいい顔、私、そういう顔している子、大好きよ」

 

 蹂躙するのが、とっても好き。

 

「さ、教えてちょうだい。結界を張っているのはだあれ? そっちの子は、教えてくれなかったのよねえ」

 

 転がった首を見て、小さく笑う。あざ笑う。カニバリアは、右手を異形化させながら応じる。

 

「……結界は、魔法の国側から作っとる、やから、私らにはどうにも出来へん。殺されてもや」

 

「あら、そうなの、んー、それじゃ困るわねえ。どれ位持つものなのかしら?」

 

「……どこに行く気なん?」

 

「ん?」

 

「結界消えて、自由に動けるようになって、どこに行くつもりなん。どこで何するつもりなん。今度は、誰を傷つけるん。また、四年前みたいに?」

 

「あら、酷い言い方ね。そもそも、私は、殺したり壊したりするつもりなんてなかったのよ?」

 

 困ったように微笑む、その笑顔が優しすぎて、皮肉なことに、恐ろしいことに。それが本心であると分った。そういう口調だった。

 

「ただ、プリンセス・ルージュの言いなりになるのは、嫌だったし――――」

 

 何よりも。

 

「この私、ドラゴンハートは、こうしてただ生きているだけで、平和な日々を信じて生きている、無辜の民の期待を裏切り続けちゃうのよね、困ったことに」

 

「…………」

 

 いくらなんでも。最終的には、たった二人の戦いだ。魔法少女同士といえど、規模でいえば、そんなものだ。

 それが何故、大量の死者を出し、多くの建物が崩壊し、歴史上に残るほどの大災害に発展したのか。その理由は、明白だ。

 

 ドラゴンハートが居たからだ。

 

 家族に助かって欲しいという願いを、これ以上被害が増えないようにと望む願いを、ドラゴンハートがその場にいた事で、裏切り続けたからだ。

 

「けど、仕方ないじゃない」

 

 ピンキーピンキーは言っていた。『効果範囲が段違いだ』と。まさしくその通りだ。

 

「私、この力が大好きなんですもの」

 

 生きている限り、破滅を産み続ける、災厄の魔法少女、ドラゴンハート。

 

「でもね、魔法の国に睨まれっぱなしっていうのも嫌なの、だから、別の町で、別の場所で、今度はもっとちゃんと力を蓄えようと思うのよ」

 

「……させへん」

 

 グルル、と右腕の獣が吠えた。

 

「アンタ、生きてたらあかん、アンタだけは、駄目や」

 

「あらあら、そんなに期待されると……裏切りたくなっちゃうわ」

 

 すぱん、と大顎の一部が、いつの間にか、苦もなく切断されていた。

 

「ぐっ!」

 

「大きいだけじゃ、的よねえ、噛みつかれたら、痛そうだけど」

 

 即死は免れなさそうだけど。

 

「当たらなくちゃ、意味ないわよね?」

 

 圧倒的だった。どんなに破壊力が大きくても、大振りで、細かい動きの出来ないカニバリアに、鋭く、速く攻め立てるドラゴンハートの武器に、追いつけない。

 

 それでも――――――

 

「――――喰い殺すッ!」

 

 カニバリアは、再度右腕を再生させた。

 

 ドラゴンハートは、嘲笑した。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 魔法少女になった沖田真里が、最初に思ったことは、『魔法少女ってなんて素晴らしいんだろう』だった。

 同じ魔法少女として集められた人たちが居ると知った時は、友だちができると小躍りしたほどだ。

 その期待は、全員集合してから、ほんの数秒で裏切られた。

 真っ赤な暴君が、そんな儚い夢や希望や妄想を、踏みにじって食い散らかして、あっという間に蹂躙した。

 その刃は、真里の首元にも届こうとしていた。試験官が殺されて、真っ先に悲鳴を上げたのは彼女で、その声がうるさかったという理由で、首を跳ねられかけた。

 

『あら、あら、あなた少し、横暴じゃなくて?』

 

 その攻撃を受け止めて、立ちふさがったのが、ドラゴンハートだった。

 

『余に歯向かうか、無礼者が』 

 

『何様のつもり? 気に喰わないわね』

 

『――死ね』

 

『あなたが』

 

 二人の戦闘はあっという間に戦争になった。半強制的に、その場に居た魔法少女達は、どちらにつくかを選ばされた――どちらに付けば助かるのかを選ばされた。

 恐怖と我が身惜しさで、従った。

 ただ一人、真理だけが違っていた。

 あの赤い暴君に、心から震えがった恐怖の塊に、ただ一人、立ちふさがったその姿に、真理は憧れてしまった。焦がれてしまった。

 最悪と災厄、両極の存在の片割れは、真理にとっては、憧憬の対象になってしまった。

 それが恐怖心を紛らわすための錯覚だったのか、今となってはわからない。

 真理はドラゴンハートの下に付き、そして彼女が消えたその日、いつかもう一度その姿を見ようと決意した。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 信じられなかった。あの戦いの時、ドラゴンハートは、配下の魔法少女を、終始駒として使いきった。情けも慈悲もなく、勝利のためのパーツとして浪費した。真理が生き残ったのは、たまたま使う順番が後回しになって、使われずに終わっただけだ。

 それは、あの暴君も同じはずだった。彼女達の戦いは、鮮血と流血にまみれた戦いは、結局のところ、プリンセス・ルージュとドラゴンハート、二人だけの戦いだったはずなのだ。

 だから、信じられなかった。プリンセス・ルージュの傍らに居た魔法少女、流流流は、事もあろうに暴君に意見し、口答えし、言葉を遮り、行動を指示したのだ。

 それは、駒のあり方ではない、側近だ。信頼できる部下に対する待遇だ。対等ならずとも肩を並べ、同等でなくても認めている相手にしか、しない行為だ。

 そんなことをするはずがない、だって、ドラゴンハートはそうしなかった。

 ドラゴンハートの対極であるプリンセス・ルージュが見せたその人間性と呼ぶべきものを、どうして受け入れられるだろう。

 ああ、ドラゴンハートがもしも、自分をああやって遇してくれたら。

 どんなことだってするのに、と、憧れずにはいられなかった。

 夢姫マリアが、ドラゴンハートの隣に立つのには、示すしか無い。

 どれだけ己が、すべてを捧げる覚悟があるのかを。

 例え命を捨ててでも。夢姫マリアと言う存在が、どれだけ心から思っているかを。

 

「ドラゴンハート様!」

 

 カニバリアの大顎の前に飛び込んできた夢姫マリアに、ドラゴンハートは目を見開いた。浮かんだ疑問は、『誰?』であり、そして『何?』だった。

 

「あっ」

 

 今までそうしてきたように、簡単に避けられるはずの攻撃だった。

 ステップを軽く踏むだけで、射程外ギリギリに避けて、武器を振るい、肉を削る。

 ただそれだけの作業を繰り返すだけで、カニバリアは死ぬ、そのはずだった。

 ありえないことが起こった。ドラゴンハートの足が絡んで、もつれて、躓いた。

 彼女にとって、夢姫マリアはただの敵の一人だ。乱入者の一人だ。だから、その場に現れた彼女も当たり前のように魔法の対象だった。

 

 ドラゴンハートは、誰も信用していなかった。誰も信用していなかった、想像もしていなかった。

 

 本気で、自分を信じている誰かがいると、想像していなかった。心から自分を助けようと、生きていて欲しいと、憧れ、尊敬し、依存し、想っている誰かが居るのだと、考えたこともなかった。

 夢姫マリアは、ドラゴンハートの命を望んだ。そして、その期待は裏切られた。

 

「――――っ!」

 

 逆らう事しか考えてなかった。逆らう事だけしか見ていなかった。周りにあるもの全ては、いつか打ち砕く対象だ。だから――――

 彼女にとって、忠臣たろうと望む夢姫マリアの願望は、理解できない恐怖以外の何物でもなかった。

 

「来るんじゃ、ない――――来ないで!」

 

 しゃぐっ、と肉と骨と神経を纏めて喰いちぎられて、二人の魔法少女は、ほとんど同じタイミングで、意識が断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~~~~~っ」

 

 夢姫マリアと、ドラゴンハート。二人を噛み砕いたカニバリアの片腕は、反射的な咀嚼を繰り返す。ぐちゃぐちゃと音を立てて、すりつぶし、飲み込んでいく。

 何故夢姫マリアが、と思う暇もなく、ただ倒せたのだ、という結果を受け止めきれず、呆然としていた。

 

「か、った……? ドラゴンハートに、私…………あ……?」

 

 ぞぶ、と、その細い体の中心に、刃が刺さっていた。ドラゴンハートの武器、魔法の国の日用品、薙刀と鉈を足して二で割ったような武器。

 右腕の化物を貫いて、そのままカニバリアの心臓を破壊していた。

 

 倒せてしまった事を受け入れてしまった、死ぬ覚悟で、助からない覚悟でいたカニバリアは、生きて帰れるのだ、という期待を抱いてしまった。

 

 死んでも、ドラゴンハートは、期待を裏切り続けた。

 喰われながら殺して、殺しながら喰われていった。

 上半身を失った死体が二つと、心臓に穴を開けた死体が一つ。

 

 戦いの末に残ったものは、それが全てだった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 毒雪姫は結局、ドラゴンハートと対峙出来なかった。そんな恐ろしい事、考えるだけで怖気が走る。しかし、何か戦果を立てなければ、次はない。

 

「…………」

 

 しばらくどうしたものかと、かつんかつん、と足音がした。びくっと震え、目を向けると、魔法少女が歩いてきた。マントに、古風な杖を持った出で立ちの少女。ユミコエルだ。

 

「ああ、ちょうど、いいところに」

 

 逃げ延びていた魔法少女がいた、そうだ、この魔法少女を監督していたことにしよう。彼女を補助し、しかし破れた、必死に戦ったが、しかしかなわなかった。そんな筋書きを考えた。

 この期に及んでも、毒雪姫は、ユミコエルの事を見ていなかった。

 自分の振る舞いが間違っているとも思っていないし、下界の魔法少女たちが、自分たちに従うのは当然だと思っていた。自分が装飾品だと知って尚、自分は選ばれていると思っていた。

 何をしたかを覚えてなど居なかった。ラブリー・チャーミーが、心美流乃が、死の直前に抱いた怒りを、仲間たちに伝えていたことを、知りもしなかった。

 

 だから、ユミコエルの、血走った目にも、怒りの余り、震える体も、杖をぐっと握りしめた拳も、見ていなかった。

 

「いいですか、あなたはこれから」

 

「ああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 ゴガッ、と鈍い音がして、顔面の骨が砕け散った。

 

「ぎ、いぃ、あ、あがっ!」

 

「お前のっ、お前がっ、お前がああっ! 返せっ! 返してっ! 流乃をっ! 香奈子をっ! 返せぇっ! 返せえええええええええええっ!」

 

 杖を振り上げて、振り下ろした。何度も何度も、繰り返した。威力を調整して、骨と肉を別々に砕きながら、ずっとずっと、殴り続けた。助けて、やめて、と言う声が聞こえてきた気がしたが、そんなものは耳に入らなかった。

 

 毒雪姫だった魔法少女は、ピンク色の、ぐしゃぐしゃの、肉の塊になっていた。

 こんなになるまで殴られ続けても、結局、彼女の口から、ごめんなさいという言葉は、出てこなかった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 赤緋朱姫は、育児放棄された子供だった。男に逃げられた母親は、手間がかかるだけの娘を邪魔だと思っていたが、さりとて頼れる親類縁者も居らず、施設に預けるには、高いプライドが邪魔をしていた。

 結局、冷凍食品を与えて、部屋に閉じ込められて、物心ついた時の朱姫の世界には、暗闇と、食べて寝るだけの生活が全てだった。

 そんなある日、何かの気まぐれで、母親が買い与えたのが、『あかいおひめさま』と言う絵本だった。どんなわがままでも許されるお姫様が、際限なく、望むがままに振る舞い続け、最後は圧政を強いられた国民達に殺されてしまい、『わがままを言うのは良くありません』という教訓を与えるためのお話だった。

 

 ろくに文字も読めなかった朱緋は、それでも毎日少しずつ、日のでている時間に、その物語を読み進めていった。自由に振る舞う、なんでも出来るそのお姫様は、朱姫の憧れになっていった。

 ある日、母親は酒に酔って、朱姫に暴力を振るった。お気に入りだった少女の絵本を真っ二つに破いて、スマートフォンを投げつけて、そのまま寝てしまった。

 

 絵本の続きを読めなくなって、そのお姫様が、最後には死んでしまうということを知らないまま、なんとなく、投げつけられた端末に触れてみた、自分の記憶にある母親は、いつもその端末をいじっていたからだ。

 画面にズラッと並んだボタンの一つを適当に押して、起動したアプリは、魔法少女育成計画という名前だった。起動音とBGMが鳴り響き、その音で母親は目を覚ました。

 

 子供が勝手にスマホに触っている事に腹を立てて、灰皿を掴んで襲いかかってきた。頭に向かって、振り下ろそうとした、その時、プリンセス・ルージュは生まれた。

 

『おめでとうございます、貴女は魔法少女に選ばれました!』

 

 赤緋朱姫が最初に殺したのは、自分の母親だった。

 わがままで、乱暴で、横暴で、傲慢な母親と、わがままで、乱暴で、横暴で、傲慢なお姫様。

 人格形成の参考となる、朱姫の知る全て。その振る舞い全てが、プリンセル・ルージュと言う存在の根幹だった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 ドラゴンハート、カニバリア、夢姫マリア、シンデレラ・ブーケ。

 四人分の死体が転がっており、暴君が断罪すべき存在は、もうどこにも居なかった。

 

「……どうなったらこんな死に方できんだ? おい」

 

 流流流が嫌そうに、臓物やら、何やらを撒き散らかした死体を見た。無残な殺し合いの果てに、何も残っていない。

 

「この場合、交渉はどうなんだかなあ、ドラゴンハートが死んだから、クリアでいいのかも知れねえけど」

 

「ふざけるな、余手ずから殺せずして何の意味がある!」

 

 怒りに任せて剣を振り下ろすプリンセス・ルージュ、流流流はあー、と頭を掻いた。

 

「前向きに考えろや、ここでおっ死んだってことは、つまり、お前が殺す器じゃなかったってことだ」

 

「…………」

 

 納得行かない、という風情だった。怒りに任せて、何故か転がっていた首を、グシャリと踏みつけて、脳漿と血が飛び散った。

 まあ、無理も無い。プリンセス・ルージュのドラゴンハートへの執着は、並々外れていた。どこかで機嫌を取らなければ、新しい死者が出そうだ――――――。

 

 そう思った時、グラッ、と地面が揺れた。

 

「お、何だ、地震――――」

 

「あああああああああああああああああああああああっ!」

 

 メギメギメギメギメギ、と音を立てて、街路樹が、槍の様に、二人のもとに飛んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 香奈子が死んだ。流乃が死んだ。霞が死んだ。

 弦矢弓子には、もう何も残っていなかった。

 何が悪かったのか、何が原因なのか。もう全部ぐちゃぐちゃになっていて、よくわからない。

 

 毒雪姫を殴り殺して、ただ彷徨っていたユミコエルの目に飛び込んできたのは、赤い服の魔法少女が、見覚えのある顔――――恐怖と涙に歪み、絶命した霞の首――――を、踏みつけたのを見たからだ。

 もう限界だった。理性も何もかも吹き飛んで、怒りと衝動に任せて、襲いかかった。手近に生えていた街路樹を引き抜いて、殺すつもりで投げつけた。

 

「――――にしやがる。コラ」

 

 命中したと思ったそれは、流流流の眼前で、石にぶつかった水の流れのように、二つに裂けた。

 

「お前たちが、お前たちが、お前たちがああああああああああああああっ!」

 

 けれど、もうそんなものに恐怖など感じなかった。衝動に突き動かされるままに、杖を持って振りかぶって――――

 

「ガチャン」

 

 声が聞こえると同時に、視界が、真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

「ユミコエルさんっ!」

 

 ゆめのんがユミコエルの体を抑えつけ、ジェノサイダー冬子が『瞼』に向けて魔法を使用した。

 

「何、これ、いやっ」

 

「はいはい、落ち着いて。ガチャリ」

 

 もう一度解錠することで、魔法で閉められた瞳が開く。

 

「人体にも有効ってことは、こういうふうにも使えるんですよねー、今更だけど」

 

 どこかとぼけた様子でそう言って、冬子は片手を上げた。

 

「ども」

 

「気軽に挨拶――――されてもなあ。殺す気で来られた以上、流石に見逃すってわけにも行かねえぜ」

 

 その言葉に応じる様に、プリンセス・ルージュも刃を構えた。暴君の怒りは既に頂点に達していた。ただでさえ不機嫌な所に、余計な茶々を入れた無礼者を、生かしておくなど、彼女の倫理ではありえない。

 

「良い。もう良い」

 

 プリンセス・ルージュとなった朱姫の言動や思考は、もはや九歳時のそれとは大きく剥離している。読めない漢字も理解できるし、難しい言葉もスラスラと使う。『己の望むがままに振る舞う』魔法の力によって、朱姫の『お姫様とはこういうものだ』というイメージが投影されている存在、それが赤き暴君、プリンセス・ルージュの正体だ。

 

 理想の具現化であるが故に誰よりも強く、妄想の具現化である故に誰より圧倒的。

 

「流流流の進言を聞き入れて、見逃してやっても良いと、慈悲をくれてやったつもりだったのだがな。これは一体どういうことか? 余は絆されすぎていたようだ、我が臣下は心優しく、余は寛大にもそれを受け入れたが――――こうも愚かであっては」

 

 明確な殺意、圧倒的な敵意。逃がすつもりも生かすつもりもない、という明確な意思。

 

「……やっぱ駄目ですかね」

 

「口を利いて良いと誰が言った?」

 

 もはや聞く耳もなく、もはや交渉の余地もない。

 

「――――ユミコエルちゃん、あの黒い方、足止めできる?」

 

 ジェノサイダー冬子の問いかけに、目の据わったユミコエルが、頷いた。

 

「倒しちゃっても、いいんですよね、あいつら」

 

「出来るならそれが最高――――先輩! あとは作戦通りに!」

 

「っ、死なないでくださいましね!」

 

 プリンセス・ルージュ達が反応する前に、ゆめのんはプロペラを大きく回転させて、空へ飛んでいき、夜の空に紛れて、すぐに見えなくなった。

 

「……おいおい、どこに逃げようってんだ? 結界があるってのに」

 

「魔法の国、です」

 

 ジェノサイダー冬子は、なるべく平静に努めて返した。

 

「本当の本当に最終手段なんですけどね、私、最初から思ってたんですよ、結界なんて便利なもんがあるなら、そいつで倒せばいいじゃんって」

 

「…………おい、てめえまさか」

 

「先輩が魔法の国に行って、承認されたらゲームオーバーです。結界が内側に向かって圧縮されて、魔法少女は全員潰れておしまいです」

 

 魔法の国の住人が、本来取りうるはずのない、自爆攻撃。

 

「ならば、貴様を始末して、今の下民も始末すればよいのであろう?」

 

 暴君が、動いた。気づいたら、ジェノサイダー冬子の眼前にいた。

 

「ああああっ!」

 

 ほぼ同時に、ユミコエルが流流流に躍りかかった。ちっ、と舌打ちをして、それぞれ交戦が始まる。

 

「そもそも、最初から、貴様は不愉快だった!」

 

「そりゃ、どうもっ」

 

 当たり前だが、ジェノサイダー冬子こと、笹井七琴に戦闘経験など皆無である。人生で格闘技などという物に触れたことはないし、殴り合いの喧嘩もしたことはない。

 プリンセス・ルージュの一刀を、避けられる道理も、理由もない。

 剣が振るわれる度、冬子の体に赤い線が走った。腕が『ガチャン』、足が『ガチャン』、斬られ、切断――――

 

「――――何故斬れぬッ!」

 

 ――されない。

 

怒りに任せて、横薙ぎに剣が振るわれた。首をするっと通り抜けて、転げ落ちるはずだった。

 

「ガチャン」

 

 と、声が響いた。冬子の首は落ちていない。赤い線が走って、そのままだ。

 

「……なんだ、それは?」

 

 よくよく見ると、冬子の体のいたるところに、白い粒子の錠前がついていた。

 

「えーっとまあ、自分でも正直、ここまでやるかって感じなんですけどね」

 

 ちゃりちゃりと、鍵を回転させる。冬子の魔法を、プリンセス・ルージュは知らないし、知っていたとしても想像もつかないだろう。

 彼女は切断されていないのではなく、された直後に傷口を、体全体を対象に『閉め』て、繋いでいるのだ、などと。

 

「面妖だな、愚民」

 

 斬るのは止めた、と暴君は告げた。

 

「ならば、刺し貫いてやろう」

 

 その動きを目で追うことも、冬子には出来なかった。

 

 線ではなく、点の動きで。

 

 心臓目掛けて、刃が迫り――――――冬子の胸に、真紅の先端が触れた時、プリンセス・ルージュの手に持つ剣が消滅した。

 

「な――――」

 

 さすがのプリンセス・ルージュも、動揺した。己の攻撃は、己が思う限り必殺となる、それが暴君の魔法なのに。

 

「なんてことはないですよ――――」

 

 貫かれたはずの胸には、とあるものが収められていた。

 

 封印珠、魔法に関するものを封印するための道具。

 

 プリンセス・ルージュの魔法は、自分にしか作用しない。彼女の行う攻撃は、等しく確かに必殺だが、彼女の無敵性は、たとえ自前のものであっても、武器には影響しないのだ。

 

 愛刀が失せた、その隙に、冬子は動いた。中身の入ったままの封印珠をそのまま手にとって、向かってくるプリンセス・ルージュに押し付けた。

 

「ガチャリッ!」

 

 鍵を向けて、言葉を叫ぶ。ドラゴンハートを解き放った時のように、八面体が割れて、中からプリンセス・ルージュの刃が現れた。

 

「くっ――――」

 

 自身に向けられた刃を、しかし直前でかわし切る。けれど、その動きで精一杯だった。

 プリンセス・ルージュは圧倒的だ。無敵の存在だ。絶対だ。それでも彼女は、こんな存在にあったことはなかった。瑣末で、矮小で、何の脅威でもないはずの魔法少女。

 

 斬られても貫かれても全く動じず戦闘を続けるような存在を、見たことがなかった。

 何だコイツは、と動揺した。

 そして、動揺している間は、暴君は無敵ではない。

 中身を吐き出したばかりの封印珠をキャッチして、そのまま拳ごと、プリンセス・ルージュに叩きこむ――――

 

「――――種は割れた」

 

 プリンセス・ルージュの脅威は、魔法の強さと、肉体強度の高さである。

 

「がっ、ぐっ」

 

 動揺を誘い、隙を突いて、思考を縛り、仕掛けた不意打ちは、それでも、暴君の反射神経に届かなかった。攻撃速度に届かなかった。

 封印珠を受け止めると同時に、剣を放り投げて、その手で冬子の首を鷲掴みにした。

 

「余を見縊るなよ。余を舐めるなよ。貴様がガチャガチャ言うのが魔法の発動条件だな?」

 

 だったら喋らせなければいい、喉を完全に締められて、かひゅっ、と冬子の口からかすれた空気が漏れた。

 足が地面につかず、バタバタともがく。カシャリ、と腰のかばんに納めていたスマートフォンが、転がり落ちた。

 頼みの綱の封印珠は、プリンセス・ルージュの手の中。

 奇策の不意打ちは、通じなかった。

 

「余に剣を捨てさせた事は、見事だったぞ、褒美をくれてやる」

 

 めきっ、と、頚椎が音を立てた。

 

「このまま砕いてやろう、光栄であろう?」

 

 ジェノサイダー冬子の、笹井七琴の意識が途切れる。断絶する。その、一瞬前。

 

 

 

 

 

 

『ガチャリ』

 

 と、声がした。

 

「!?」

 

 それはジェノサイダー冬子の声で、その言葉を鍵として、魔法が発動した。

 完全に勝ったと想っていたから、プリンセス・ルージュは確認していなかった。ジェノサイダー冬子の鍵を握った手は、終始、彼女が手にしていた封印珠に向けられていた。

 

「ぐっ」

 

 と、冬子は笑おうとして、失敗した。

 冬子の魔法の鍵は、閉めたり開けたりしたいものに対して向けて、『ガチャン』『ガチャリ』という彼女の声で発動する。

 例えばそれが、録音された物であっても、冬子が鍵を握っていれば問題なく。

 わざと放り出したスマートフォンの画面が、音声を流し続けていた。

 

 強制的に封印珠が開かれて、接していた存在――――――青い光が走り、プリンセス・ルージュをその中に取り込もうとする。

 

 プリンセス・ルージュとドラゴンハート。両者の決定的な違いは、魔法の効果範囲だ。

 プリンセス・ルージュの行動は誰にも阻害できないが。プリンセス・ルージュは、敵対者の狙いを、奇策を、期待を、無条件でぶち抜けるわけではないのだ。

 

「余が、封印されるなど!」

 

 ありえぬ、と言い切る前に。

 

「ガ――――チャンッ!」

 

 封印が始まったその瞬間、かすれきった声で、ジェノサイダー冬子は鍵を向けて叫んでいた。八面体の中心に、白い粒子の『錠前』が生まれ、魔法によって『閉じ』られる。

 封印以上の完全な封印――――外部からの干渉を完全に遮断する防壁。

 ころり、と、齎した被害と、その存在感と比べれば、余りに呆気無く、封印珠は地面に転がった。

 

「げほっ、げほっ、は、はぁ……か、勝った……っ」

 

 転がりながら、冬子は呟いた。狙い通りに、期待通りに。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

「……よく頑張ったじゃねえか、と言っておこう」

 

 だが、勝利の高揚は、その一言で断たれた。

 

「あぐっ……ああ、あああっ、があっ!」

 

「ひきゃっ」

 

 冬子の真横に吹っ飛んできたのは、ユミコエルだった。自慢の杖と、右腕が断たれていた。絶え間なく血が流れ、蹲って、痛みを堪えきれず、悲鳴が漏れ出ていた。

 

「正直な所、ルージュの奴にマジで当てられるとは思ってなかったよ、いや、驚いた。あいつは最強だと思ってたからな」

 

 いいながらも、この場の勝者は明らかだった。満身創痍のジェノサイダー冬子とユミコエルは、流流流の行動を止められない、封印珠を手にとって、そのまま軽く弄ぶ。

 

「……もういいんじゃないですかね、流流流さん」

 

「あ?」

 

 ふらふらとよろめきながらも、冬子は立ち上がった。

 

「プリンセス・ルージュは封印した……私の魔法でがっつりと。あなたはもう、自由何じゃないですか?」

 

「…………」

 

 流流流は望んでプリンセス・ルージュの元に居たわけではない。強制されていただけだ。従わされていただけだ。

 

「後はそいつを海にでも沈めて、全部終わりでいいじゃないですか。渡して……くれませんか」

 

「なるほどな、確かに、考えてみりゃ、これで厄介な上司とおさらばって事か。確かに、敵対する理由はねえな」

 

「…………」

 

「ははっ、そうか、俺はもうコイツと関わらなくていいのか……でも、俺もお前らを結構傷つけたぜ? それは見逃していいのかよ」

 

「喧嘩両成敗、って事でどうですかね? 交渉を持ちかけられた時から感じてましたけど、あなたは理性的に、損得勘定ができる人だと思いますし。正直もう、命がけの戦いは嫌です。普通に帰ってお風呂入ってご飯食べて寝たいんですよ」

 

 ユミコエルの転がっていた腕を拾い上げ、

 

「ごめんね」

 

「あぎ、ああ、あっ!」

 

 断面を無理やりくっつけて、ガチャン、と呟く。乱暴だが、白い錠前が浮かび上がり、切断された腕が強制的にくっついた。神経が通うほど治療出来るかどうかは、魔法少女の自己治癒力にかけるしか無い。

 

「お前の魔法は、鍵か」

 

「ええまあ、開けたり閉めたり出来ます、何でも。封印したり、解いたりも」

 

「通常の封印の上から、さらに魔法で封印ね。手が込んでやがる」

 

 八面体の中には、何かが封印されていることを示す光が確かに存在している。

 流流流は、はっ、と笑った。

 

「ジェノサイダー冬子、お前はすげーよ、この最強の魔法少女を、やりくるめやがった。実質お前の勝ちだ、賞賛物だぜ」

 

「お褒めの預り光栄ですけど……嫌な予感しかしないんですよね」

 

 流流流は笑い、冬子も笑った。片方は自嘲の笑みで、片方は苦笑だった。

 

「頭もよく回る、きっちり計算ずくで倒しに来た、って感じだ。ルージュをなんとかできれば、俺のことは交渉でなんとか出来ると思ってたんだろ?」

 

 ポケットから、ペンを取り出す。魔法の国の日用品。『何にでも書けるペン』。

 そのペンは実体がないものにも、書こうと思えば書くことが出来る。例えば、魔法で出来た、実在しているかどうかも定かではない、粒子の集まりにでも。

 

「俺も不合理だとは思うぜ、コイツについていく義理なんかこれっぽっちもねえし、正義と悪がどっちかっていえば、間違いなくプリンセス・ルージュは邪悪だよ。極悪と言っていい。存在してちゃ行けねえだろう」

 

 ペンを、白い錠前にあてがう。

 

「一人ぐらい、コイツの味方が居てもいいだろ、同じ最悪に堕ちてやる奴がいたってな」

 

 音もなく、錠前に線が引かれた。縦方向にすぱっと、あっけなく、ジェノサイダー冬子が閉じた、魔法の錠前が、流流流の魔法によって切断された。

 

「そん……な……」

 

 ユミコエルは絶望した。ここまで頑張って、何人も死んで、やっと、あの化物に勝てたのに。

 

「ラスボスの前に、雑魚を掃除しておくべきだったな、ジェノサイダー冬子」

 

 もう一筆、封印珠に線が入る。パキン、と音がして、その表面が割れた。

 

「手間かけさせんじゃねえよ、お姫様」

 

 ぽいっと地面に、二つに割れかけた八面体が放り投げられた。

 

 また現れる。赤き暴君が。絶対の絶望が。今度こそ殺される。家族の敵も、仲間の無念も晴らすことも出来ないまま殺される。

 

 痛みと悔しさで、目に涙が滲んだ。全身から力が抜けて、心がへし折れた。

 

「……よし、勝った」

 

 ……側にいる、ジェノサイダー冬子の声を聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

「……え?」

 

 疑問が声になって、ついで、流流流が声を上げた。

 

「……あん?」

 

「…………はぁ~っ、上手く行ったぁ~」

 

 そんな周囲の空気を全く無視して、ジェノサイダー冬子は、ペタンと座り込んだ。安堵と安心に満ちた、安らかな顔で。

 

「……何で」

 

 ユミコエルと流流流が、同じ意味合いの言葉を紡ぐ。

 

「……ルージュが出てこねえ……!?」

 

「そりゃそうですよ、だって封印されてますもん、私の魔法で」

 

 しれっと、自身の鍵のチェーンを指に引っ掛けて、くるくると回す冬子。

 

「錠前はあくまで私の使う魔法の鍵の受け皿であって、封印そのものじゃないんですよ、物理的な鍵じゃなくて、魔法で閉じてるんです。私が閉めた物が開く時は、私が鍵を使った時だけです」

 

「んな……っ!」

 

 何でも開け閉め出来る魔法の鍵。その魔法の本体は、もちろん鍵の方だ。鍵の開け閉めをした際に出現する錠前は、鍵を開け閉めを機能させる為のツールであって、封印そのものではない。

 錠がなければ鍵は回せないが、錠が壊れても鍵は閉まったままなのだ。

 

「絶対に、あなたはプリンセス・ルージュを助けると思ってました。何時から、何で感情移入したかは知らないですけど、私たちに交渉してきた時点で、恐怖で支配されてるって感じじゃなかったですから」

 

 付き従う理由が恐怖でないのなら、それは自分の意志でしかありえない。その理由は推し量れないが、わかることは二つある。

 

「一つは、あなたはプリンセス・ルージュの仲間として動くだろうということ。もう一つは、プリンセス・ルージュもあなたを仲間として扱うだろうということ」

 

 プリンセス・ルージュを解放したのは流流流だ。だから、暴君は彼女の側にいることを許した。許して、信頼して、信用した。夢姫マリアが『ありえない』と言い切った程、一人の人間として側に置いた。

 

「私達がプリンセス・ルージュを封印できたのは、滅茶苦茶簡単な理由なんです。プリンセス・ルージュは自分が封印されるわけがないだなんて思ってなかったんです。封印されてもあなたが助けてくれると思ってたんですよ」

 

 プリンセス・ルージュは暴君だ。人とは支配し、蹂躙し、征服するものだ。その彼女が、暴力以外の理由で、助け、導き、肩を預けた相手。信じる事を知った相手。

 己の望むがままに振る舞うのが彼女の魔法だ。だから人に頼れば頼るほど弱くなる。

 世界中、たった一人、自分自身にしか作用しない魔法。

 効果範囲が、ドラゴンハートとは、決定的に違うのだ。

 

「……だったら今すぐ解放しろ、じゃなかったら殺す」

 

 目を血走らせた流流流が、ペンを持って迫り来る。

 

「無理です」

 

「あぁ!?」

 

「言ったじゃないですか、錠前は封印を開けるために必要な、魔法の鍵の受け皿ですから。封印を解くための鍵を、刺す場所がないんです」

 

 何でも切断してしまう流流流の魔法で、破壊された錠前は、もう誰にも元に戻せない。

 ジェノサイダー冬子ですら、もうその封印を解けないのだ。

 

「これで完全に封印完了、私達の勝ちです」

 

 すぅ、と大きく息を大きく吸い込んで、叫んだ。

 

「ざまあみろ、ばあああああああああああかっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 まだ幼かったから、など何の言い訳にもならない。そんな事はわかっている。

 それでも、流流流にとって、彩恋静にとって、赤緋紅姫は、感情移入するのに十分な存在だった。善悪の区別なく、殺す事で死ぬ事を理解できず、死という概念の重さと意味を知らない、小さな子供。

かつて亡くした娘と、重ね合わせるのには、十分すぎた。例え世界中が敵に回っても、守るだけの価値があると感じた。そのために死ぬのなら、悪く無いとすら思った。

 

「……結局、こんなもんか、俺の人生は」

 

 前向きに、生きる目的を見つけようとすること事態が、おこがましかったのかも知れない。ジェノサイダー冬子の言葉を借りるなら、流流流が居た所為で、プリンセス・ルージュは負けたのだ。

 

「は、笑えるぜ、本当によ」

 

 だったら最後の最後まで、邪悪で在り続けてやろう。せめて一矢報いてやろう。プリンセス・ルージュも、ドラゴンハートも、この街の魔法少女も、全員死んで終わりにしよう。

 

「……ちなみに、それを宣言した後、俺から逃げる策は考えてたのか?」

 

「いいえ、さっぱり」

 

「そうかよ」

 

 流流流が『なんでも書けるペン』片手に、ジェノサイダー冬子に歩み寄った。

 

「――――倒す策は講じてますけど」

 

「――――何?」

 

 にや、と冬子が笑い、二人の上を、黒い影が覆った。

 

「な――――」

 

 時速三百六十キロの速度で落下してきたゆめのんが、流流流の頭を掴んだ。掴んで、そのまま横にスライドした。

 

「すいません、作戦って嘘でした……ハッタリです、そもそも、魔法の国の行き方とか、知らないですし」

 

 ゴキリ、と人体から聞こえてはいけない音がした。

 ゆめのんの魔法は、飛行だ。自分が飛行する限りにおいてならば、気温も、風も、重力も、摩擦も、慣性さえも無視して、自由に空中を移動できる。

 ただし、彼女と一緒に飛行するものはその限りではない。冬子が風にさらされたように、ゆめのんが触れている物体は、慣性の影響を受ける。

 

「空を時速三百六十キロで自由に飛び回れる魔法なんて――――戦闘向きじゃないわきゃないんですよね」

 

 流流流がジェノサイダー冬子を殺そうとした時が、最高の不意打ちのタイミング。

 

「まったくもう……最初から最後まで、無茶な人ですわね、あなたはっ」

 

 人の命を初めて奪って、手に感触を残しながら、それでもゆめのんは、強がって笑った。

 

「でも、なんとかなったじゃないですか、お疲れ様です、先輩」

 

 冬子はへへ、と笑い返した。

 ギリギリの綱渡りだが、上手く行った。なんとかなった。そう思った。

 

「――――冬子さん!」

 

 最初から最後まで、徹底して気を張り詰め続け、警戒し、ひたすら油断をしなかった、笹井七琴は、ここで初めて、油断した。全て、上手く行ったと思った。

 首がほぼ反転したまま、流流流はそれでも、起き上がった。

 

「――――――」

 

 声なき声を上げて、『何にでも書けるペン』が振るわれた。避けることも防ぐことも、知覚することも出来なかった。

 ぷしゅ、と肉が切れる音がして、ぶちゅ、と血が飛び出る音がして、どさり、と流流流が倒れた。そこに居たのは、もう魔法少女ではなく、首のねじ切れかかった、成人女性だった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

「まったく、もう」

 

 この言葉を、少なくともジェノサイダー冬子に出会ってからは、言い続けた気がする。

 

「手間のかかる人、なんですから」

 

「せん――ぱい……?」

 

 すぐに鍵で傷を『閉め』ようとして、無理だとわかった。腹の横半分がバッサリ裂けて、どろりと、てらてらと赤黒く光る内臓が、こぼれ出て、ちぎれていた。

 ルージュの攻撃に対応できたのは、それの攻撃が、余りに尖すぎたからだ。

 こんなものは、もう、どうしようもない。

 

「素っ頓狂なことばかり言って、側の人のことなんて、考えないで……」

 

「……なんで、私を庇ったんですか、先輩」

 

 生意気な、今日出会ったばっかりの、目の上のたんこぶだったろうに。

 

「……ずっと、後悔してたから、です、わ」

 

「……後悔?」

 

「探して、上げればよかった、魔法少女に、なって、街の為に、なんて言って……ただ、会うのが、怖かった、から……」

 

 その瞳は、もう冬子を見ていなかった、遠い何処かを見ていた。

 

 何も、見えていないのかもしれない。

 

「…………だから、これで、よか」

 

 魔法少女ゆめのんは、もう居ない。人間の姿になって、冷たくなって、石畳の上に転がっていた。

 

 本人の言うとおり、魔法少女ゆめのんより、ずっと発育のいい体だった。左手の薬指に、白いリングが嵌っていた。

 

「…………何で」

 

 見覚えのある、姿だった。七琴の知っている、大好きな人。会いたかったけれど、会えないと思ってた人。

 

「……言って、くださいよ、お姉さん……?」

 

 魔法少女ゆめのんは、将来を誓い合った、大事な人の妹を、最後の最後に、守り切った。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。