Ace Combat 5.1 The Pacific War   作:丸いの

9 / 14
9. 月下の決路

「ちょいと夜に時間を貸しな」

 

 ヒレンベレントさんにそう言われたのは、ウィーカー中将に今回の作戦の簡易的な報告を行った直後だった。

 

 

*  *  *

 

 

 グリフィン大佐率いる艦隊がサンド島に帰還するのが明日の朝頃となっている。先んじて鎮守府に到着した僕は、それまでに作戦の経過とこれからの計画についてウィーカー中将と話し合う必要があった。常に通信でこちらの戦況が伝えられていたのだから、これまでのような艦隊決戦では到底太刀打ちできないということは彼も重々承知をしているはずだ。事実、彼の執務室に入ってそうそう「何か良い策はあるか」と問われたくらいだ。

 

「AWACSが記録したデータを上層部へ提出した。あれはすぐに宇宙技術屋へ回されるだろう。そういう類のアプローチが最短だからな」

 

 彼の執務卓上には、アークバードに関する書類がまとめられていた。此方が機上で報告してからすぐに調べ上げたであろうそれは、かなりの枚数に上がっていた。それらの資料の中で、一番上に乗せられていたのが「アークバード破壊計画報告書」と書かれた書類だった。ラーズグリーズ隊の一員として参加した、アークバード撃墜計画。そのミッションの顛末が書かれた報告書なのだろう。一般には原因不明の事故として扱われるアークバード撃墜の始終が記された書類なんて、そうそう入手することは敵わないはずだ。

 そんな閲覧するには相応の手続きが必要そうなものを、彼は平然と広げて見せた。細かな文字までは読み取れないが、載せられている写真に映っているのは、ケストレルを発艦している黒いF-14の機影だった。ラーズグリーズの象徴たる、漆黒のトムキャット。その書類は、アークバードを撃墜した実働部隊がラーズグリーズであることを如実に物語っているのだろう。

 

「奴の周回軌道はすぐに専門家が割り出すだろう。だから我々はそれに間に合うよう撃墜計画を練る必要がある」

 

 そこに座れ、と執務室に置かれたソファーを指さされた。遠慮がちにそこへ腰を下ろしてみると、その向かい側にウィーカー中将はどっしりと腰かけた。例の書類を二人の間に置かれた応接用の机に広げ、こちらを値踏みするように眺めてきた。

 

「単刀直入に聞く。幽霊空母姫――否、アークバードは落とせるか。一年前に君たちが撃墜したように、またあの黒い鳥を落とすことは可能なのか?」

 

 やはり、彼は知っていたか。僕がそのラーズグリーズの一員だったということに。

 

「奴は今や深海棲艦と一体化し、我々人間の兵器は有効打ではなくなった。そして大気圏外を飛ぶ故にこちらの砲撃は通用しない。そんな相手をどう墜とす?」

 

 広げた資料に書かれた、あの日白い鳥が墜ちた時の全記録。あの時もアークバード自身の唯一であり最大の弱点

を突いたのだ。アークバードとは、人工衛星のようでありながら航空機のようでもある。あの巨体が進行方向を変更する機構は、大気圏まで降下をして大気摩擦を利用することで成立する。

 

「……アークバードが大気圏外から降下をするタイミングは二つあります。一つ目は、大気の摩擦を用いて軌道を変更する場合」

 

 前回撃墜した際も、進路軌道を変更する際に高層圏まで降下したタイミングで総攻撃を仕掛けた。ならばそのいつ何処で行われるかもわからない軌道変更を待ち続けるのか。それは現実的ではない。ところで今回の一件でアークバードが高度50,000フィートという、向こうの基準で言えば超低空飛行を行ったのはなぜなのか。それを考えたら、軌道変更よりもよほど弱点であるポイントが浮かび上がってくる。

 

「そして二つ目が、アークバード自身の補給活動に際するものです。奴の補給源は、今やマスドライバーにより大気圏外まで補給物資を運搬可能なバゼット宇宙基地などではなく、海上の補給艦隊から発艦するレシプロ機に違いありません」

 

『大気摩擦を利用して軌道を変えるシステム自体が衛星兵器としては脆弱じゃありませんか、ていってるんだ』

 

 初めて空でアークバードをこの目で見た時、チョッパー大尉はこう言っていた。あの時は、確かにそのタイミングを狙われたら大変だなぁとしか考えてはいなかった。まさかその弱点を自分たちの手で突くとは思いもしていなかったが。マスドライバーからの物資を受け取る際に、軌道修正のためアークバードは降下を行っていた。それすらも危険になりうるというのならば、補給する側の都合により大幅な降下を行わなければならない状態は恰好の弱点となる。

 

「今回の幽霊空母姫の活動こそが、奴の補給活動だったのでしょう。レシプロ機の到達限界高度まで降下を行わなければ、補給は行われない。そこを突くしかないと思います」

 

 輸送艦に詰め込まれた物資はおろか、空母に載せられた艦載機すらも、すべては大気圏外を飛行するアークバードへの補給物資だった可能性が考えられる。だからこそ、生命線ともいえる補給艦隊への攻撃を阻止するために、補給のために降下をしていたアークバードはそのまま大気圏内に留まり、第八艦隊の排除に乗り出したのではないか。

 すべては根拠のない想像に過ぎないが、軌道変更に必要な高度よりもかなり地表に近い場所にいた理由として、これ以上のものは現時点では考え付かない。

 

「そして前回アークバードを撃墜したのは、たった4機の戦闘機です。地上からのミサイル攻撃にレーザーという迎撃手段を持っていたアークバードを落とすには、小回りの利く機体で直接攻撃する他無かったと聞いています」

「……セオリー通りならば、戦闘機による攻撃か。ただ、妖精の操るレシプロ機では難しいな。戦闘空域が高層圏で、奴を追撃するためのスピードも出ない」

 

 そして、とウィーカー中将は顔を顰めて首を振った。

 

「この方法では、通常兵器であるジェット戦闘機しか登用出来ないのが最大の障壁だ」

 

 一番の懸念材料、それは有効な攻撃手段がジェット戦闘機くらいしかないことである。言い換えれば、艦娘の兵器は使用できない。深海棲艦には有効打を与えられない純粋なジェット戦闘機しか攻撃を届かせることは出来ず、一方で対深海棲艦相手ならば最大限の威力を発揮する艦娘の武器はそもそも届かせる事もできない。この矛盾が、僕と中将の頭を悩ます。

 

「……明日、稼働できるすべての艦娘を交え、作戦会議を行う。それまでに何かしらの考えを纏めておいてくれ」

 

 実際に戦うことになる艦娘の意見を交えるのが一番良い。そこについては僕も同意見だ。しかし、現在サンド島へ帰還を続ける艦隊は半壊、特に中核であるアイオワが中破状態ときた。明日の作戦会議に参加する稼働可能な船は、今まで一軍艦隊をなしてきた艦船達ではなくなる。

 

 そして次なる決戦の決定打となる船はおそらく、今まで一軍艦隊の影で任務にあたってきたベルカ部隊の旗艦、ビスマルクになるだろう。ウォードッグ隊からラーズグリーズ隊へと呼ばれ移り行く過渡期のような、己の理解を超えた立場の昇進。否応にもサンド島第八艦隊の中心へと押し上げられていく彼女に、僕のようなその実ただの戦闘機乗りに過ぎない人間が出来ることは何か。黒い鳥を撃墜することの困難さと共に、そんな悩みが胸をチクリと刺した。

 

 

*  *  *

 

 

 執務室の明かりをすべて消したことを確認して、その扉に鍵をかけた。ネームプレート近くに掛かっている在室タグを不在へと移す。まだ自室へと帰るには早い時間だけど、これから赴くのは自分の部屋ではなくヒレンベレントさんとの待ち合わせ場所なのである。腕時計に視線を移し、待ち合わせの時間まではあと15分程度の余裕があることを確認する。約束した場所まで歩いていくのには、十分余裕があった。

 

 そのまま廊下を歩きだそうとしたときに、背後から足音が鳴るのが聞こえた。時間的にはまだ早く、このフロアは他にも下士官が出入りする部屋はある。明日の作戦会議に備えて普段以上に忙しいのだから、彼らもまだまだ活発に働いているのだろう。むしろ彼らよりも先に仕事場から去ることに、若干の後ろめたさを感じた。

 

 階段を下りて、執務室があるサンド島の基地司令部の出入り口へと向かう。海からの冷たい風が建物のすぐ外側を通り過ぎていく。これから向かう場所は、隣接した場所に建てられた旧兵舎にある一室である。ヒレンベレントさんにこの基地で一番思い入れがある場所は何処かと問われて答えた場所である搭乗員待機室が、彼との待ち合わせ場所になったのだ。

 

 最低限の明かりしか灯っていない日の暮れたサンド島基地。しかし通りの先に見える滑走路については標識灯がその周囲を照らしていた。スクランブル配置という概念が消えたこの島であっても、敵の襲撃に備えて何時でも緊急の出撃は可能なようになっているのだ。連絡が来れば、僕も格納庫にある整備済みのF-14Aに乗り込むことになる。

 そのまま歩き続けてたどり着いた旧兵舎。そのガラス扉に手を掛けたところで立ち止まった。基地司令部を出てからも、潮風に混じって何人かの足音が聞こえていたからだ。敢えて歩調をゆっくりにしてみたところで、距離が縮まる様子も見られない。招待主のヒレンベレントさんだったら何かしらこちらに声を掛けてきてもおかしくないから、一応尾行をされているということなのだろう。

 

「……どちらさんですか。別に怒りはしないから出てきてください」

 

 後ろを見ることなくそう問いかけてみた。別に何かやましいことが有るわけでもないし、別にその誰かさんが名乗り出てこなかったとしても特に問題もない。なんなら、ここの旧兵舎に入った後中から鍵を掛けてしまえば何処の誰とも分からない人を強制的に引き離すことだって可能なのだ。

 数秒間の沈黙を挟んで、小走りでこちらに掛けてくる音が聞こえた。どうやら複数人、それも振り向いてみたら知らない人どころか、この鎮守府においてかなり関連のある面々であった。

 

「あはは……Admiralさん、ついてきちゃいました」

「僕たちも一緒だよ」

 

 オイゲンにレーベレヒト、そしてマックスまでもがばつの悪そうな顔をしながら並んでいた。どうやら執務室を出る所で声を掛けそこない、そのまま何処に行くのかが気になってこっそりとついてきたようだ。

 

「どうしてまた……」

「なんとなく、ですかね。姉さま達が出会った幽霊空母姫の話を聞きたくてみんなで来てみたら、足早に執務室を後にしたからちょっとだけ気になったんです」

 

 旧兵舎のガラス扉を開けて中に入ると、彼女たちもそのまま付いてきてしまった。ヒレンベレントさんからは一人で来るようにとは言われてなかったし、このまま一緒に行ってしまっても問題は無いかもしれない。特に追い返す素ぶりも見せないでいると、彼女たちは僕の隣に並んで歩き始めた。

 

「提督、あなたは何所に向かっているの?」

「ヒレンベレントさん、あの戦闘機のインストラクターさんに呼ばれてね。今回のライセンス講習の総評かな」

 

 冗談交じりに言ってみる反面、おそらくそんな用ではないと頭のどこかで理解していた。ヒレンベレントさんに時間を貸せと言われた時、彼の表情は決して冗談を言っているようには見えなかった。何か彼から大切なことが伝えられるのかもしれない、そう僕は考えている。

 

 裏口から入って滑走路方面に建物内部を歩き続ける。そしてその滑走路へ面した場所に、これまで何度も緊張感をもって精神統一に努めていた場所である搭乗員待機室があるのだ。そこには滑走路を見渡せる大窓に立ち、月明りを眺める先客がいた。その人影は、足音に気が付いたのかこちらへと振り返った。

 

「時間ぴったりだな、グリム」

「僕たち戦闘機乗りは時間にルーズだと生きていけませんよ。例外も居ましたけどね」

 

 腕時計の示す時間は、まさに指定された時間ちょうどだ。ヒレンベレントさんは、僕の背後にいるベルカ艦達に気が付いたようだ。それぞれの顔を見渡し、少しだけ怪訝そうな顔をした。

 

「彼女たちはどうしたんだ? 作戦に参加をしていた一人以外は皆揃っているようだが」

「……どうやら外に出る僕の姿を見つけて、気になって付いてきてしまったようです。問題ならば帰らせますが」

 

 一瞬だけ背後に立つ艦娘達の背中が跳ねたが、ヒレンベレントさんがダメというならばそれに従ってもらわなければならない。だが、彼は同席していて問題ないよ、と笑い飛ばした。

 

「そんな秘密の会議をやろうってんじゃない。むしろ君の部下がいた方が都合が良いよ」

 

 そういいながら、彼はいつの間にか手に持っていたビールの小瓶をこちらに差し出してきた。おあつらえ蓋はもう開けてある。これはもう、飲めということなんだろう。彼の足元には、そんな瓶が何本か入った手提げ籠まで置いてある。ちょうど良いといわんばかりに、彼はビール瓶をベルカ艦達に配っていく。どう考えても未成年である駆逐艦二人には少し躊躇していたが、彼女たちは自分から瓶を受け取ってしまった。

 

「さて、何に乾杯しようか。何も言い訳を考えちゃいねぇ。グリム、何か良い文言はあるか?」

「……じゃあここはひとつ。あのアークバードから逃げきれて、もう一度挑む権利を得たことに……Prosit!!」

 

 ベルカの関係者がひしめくこの場において洒落を聞かせてベルカ訛りの合図を言うと、皆が満足げに瓶を掲げて各々「Prosit!!」と叫び鳴らした。、

 

『分かっているじゃないか!! 俺らの乾杯っていったら掛け声はやっぱりこれだ』

『ど、どうもです』

 

 うれし気に瓶の中身を一気に煽った彼が満面の笑みを浮かべる。彼が喋る言語、それは共用語の響きではなく強烈なベルカ訛りへと変化をしている。それほどまでに、あの乾杯の挨拶一つで気をよくしたようだ。それに応え、こちらもつられてつたないながらもベルカ訛りで返した。

 

「昔、父が食事の席で言っていたのをまだ覚えています」

「俺たちベルカの人間の乾杯音頭なんだ。同僚も若い連中も、みんなオーシア人だ。下手に口にしたらギョッとした顔をされる。そもそも名前からしてベルカ人なんだから今更かよと思うがな」

 

 彼も、ベルカ戦争後にオーシアの永住権を受け取った人間なのだ。ノースオーシアの民間飛行機会社で勤務する彼は、自身がベルカ人でありながら周囲の環境はオーシアという、僕と同じような境遇である。だからだろうか、一しきり全員がベルカの方言を交えて会話を楽しんだところで、ふとこう話しかけてきた。

 

「どうだ。オーシアの中で、オーシア人として生きる感覚は」

「どうもこうもありませんよ。人の名前を見て、顔を見て、それだけで一部の人間はベルカ系と吐き捨てる。南ベルカのハイエルラーク基地で勤めていた時も、そりの合わない人間が少し居ましたよ」

 

 少し酔っているのかもしれない。普段だったらノースオーシアという呼び名を使っていたはずなのに、僕の口からは南ベルカという呼称が自然と出てきた。まるでオーシア人であると普段から自称してきたことに反する行動を自然と取っていたことに、言い終わってから気が付いた。その一瞬に真顔へ変化した様子を、ヒレンベレントさんは逃がさなかった。

 

「どうした。あの地をどう呼ぶか、その自分の中に課したルールを破ったのか?」

「……別にルールなんて大層なものじゃありません。ただ、僕は自分のことをベルカ系のオーシア人と捉えています。だから、普段だったらノースオーシアと呼んでいたのに、酔いが回ってきたみたいです」

 

 子供のころにベルカ戦争が終結し、家のある地域が軒並みオーシアの領土へと変化をした時からだ。家族全員の国籍がベルカからオーシアへと更新され、見事にオーシア人として戦闘機乗りの仕事にまであり着いた。ベルカに特別な思いを抱きつつも、僕自身はあくまでもオーシア人として生きる。

 

「前も聞きましたけど、Admiralさんは、自分のことを何人だと思っていますか?」

「……僕は、ただのベルカに縁のあるオーシア人です」

 

 数日前に、プリンツ・オイゲンに対しても、ビスマルクに対しても言い放った言葉だ。それはいつだって変わらないはずの信念なのだ。なのに、何故だろう。何故彼女たちの前で口に出して言うときは声が震えてしまい、そしてそれを聞く憂いをもった彼女たちの表情から目を背けてしまうのだろうか。

 間違っていないと思うのならば堂々とすればいい。その言葉で他人がどう思おうが、それは仕方がないことなんだ。じゃあなんで今はこんなに心が動かされているのか。

 

「……俺には一人の娘がいるんだ。年の功はグリムと同じくらいか。あいつも、お前と同じように己の出自に頭を抱えていた時期があったよ」

 

 ことり、と彼は手に持っていたビールの瓶を置いた。確かに彼ほどの歳であれば、僕と同年代の子供が居たっておかしくは無い。いつ頃にノースオーシアへ移り住んだのかは分からないが、その子も同じように自分の出自のジレンマに頭を悩ませていたのか。

 

「本当にうちの娘とそっくりだ。ベルカとオーシアの間にいる自分に困惑し、そしてその対応までもな。だから俺は娘にこう言ってやったんだよ」

 

 ゆっくりと近づいて僕の肩に手を置いたヒレンベレントさんは、次の瞬間襟をつかんで締め上げてきた。いきなりの行動に驚いて、手に持っていた空のビール瓶が地面へと落ちる。襟をつかまれたまま、背後の壁にたたきつけられた。そのはずみで蹴飛ばされたビール瓶が、点々と転がり机の脚にぶつかり大きな音を立てる。いきなりの彼の行動に対する驚愕と、息が締まる恐怖で表情が歪む中、目の前にヒレンベレントさんの顔が現れた。先ほどまでの笑顔は鳴りを潜め、険しい表情が見て取れた。

 

「一体、いつまで過去を否定しているつもりだ!! お前がどうしようが、その体に流れるベルカの血は消えない!! それを否定するということは、己の家族を否定することと同義だ!!」

 

 突然の状況で混乱する中で、大きな声が真正面から浴びせられた。

 

「本当にベルカを全否定し憎んですらもいるならば、間違ったって南ベルカなんて呼称は出ちゃ来ねェんだ。何時まで自分に、親に、周囲に嘘をつき続ける積りだ!?」

 

 そんな、俺は嘘なんか吐いていない!! そう叫ぼうとしても、ギリギリと締め付けられる襟元のせいで感情的な反論が物理的に差し押さえられる。

 

「……何でベルカであることを認めないんだ。お前の記憶の中のベルカは、あの泥沼の戦争を引き起こした連中しか映っていないのか?」

 

 彼の言葉のトーンが落ち着いてくると共に、襟元の締め付けも緩くなってきた。叫び返そうと思えばできる。しかし反論をしようという気よりも、彼の言葉の先を聞いてみようという気持ちの方が強く出てきた。

 

「ベルカ空軍で空を飛んでいた俺が言っても説得力は無いがな、あの戦争の裏でベルカの人間の中でも無計画な戦争拡大を止めようと奔走した奴は居たんだ。他にも、唯々騎士道なんて言いながら己の美学を貫く奴もいた」

 

 掴んでいた襟を離した彼は、こちらの肩を数度叩いてきた。決して乱暴な風ではなく、泣きわめく子供をあやすかのような、そんな不思議な軟らかさを感じた。

 

「別にベルカの価値観すべてを認めろなどとは言わんよ。ただな、自分はベルカンじゃないと押し通せば、お前の中にあるベルカ人という原点は、ベルカで育った親は、そして大戦時にベルカを護ってきたお前の部下たちはどう思う」

 

 もう彼の顔には憤怒など浮かんではいない。ただただ、純粋に問いかけてきていた。もはや自分が自分のことをどう思うか、そういう個人の問題からは飛び立った。

 

「そしていつまでお前はベルカ系だからと一歩引いているんだ。もうお前は隊の4番機じゃないんだろう? なんたって一つの艦隊の司令だ。いつまでも使用人根性じゃいられないんだ」

 

 その言葉を最後に、彼は再びビール瓶を差し出してきた。彼もまた、新品のビール瓶をもう片方の手に掴んでいる。

 

「少しくらいは自分の中のベルカという存在に向き合ってみろ。何時かはそれが自らを縛る重石ではなく、己を形作る糧になるだろう――さあ、こういう小難しいことは飲んで飲んで頭が回らなくなったくらいで考えた方が良いんだ」

 

 彼の言葉に従うがままに、渡されたビール瓶を一気に煽る。襟元を掴まれた時の痛みや、喉の奥につっかえていた不満が諸共、苦みのある炭酸に洗い流されていく。もうやけくそだった。まだ司令服から着替えてもいないのに、二本目の瓶を一気飲みで開けてしまった。その様子を見たベルカ艦達は、何所か吹っ切れたような笑いを見せながら、各々何処から持ってきたのか更なる新品のビール瓶を差し出してくる始末だ。

 

「ちょ、そんなには……」

『Admiralさん!! ベルカのビール、飲みましょ? ね?』

 

 ベルカ訛りでゆっくりとわかりやすく話しかけてきたプリンツ・オイゲンは、期待するような表情で瓶を差し出していた。流石に断り切れずに「Danke」と返してそれを受け取った瞬間、彼女の笑顔はまるで花が咲くかのように満面の物となった。この時は、たかだかビールの瓶一つで大げさなとも思った。

 

 ただ後から考えれば、このベルカの方言でのやり取りということそのものが、ある意味僕がベルカの血を否定している訳じゃないという証拠の一つであったようだ。本当に己の中のベルカを否定するならば、あんな叱咤をされた直後にベルカの訛りを冗談でも口にしたりなんかしない。そう考えれば、あの後一層騒がしくなったプリンツ・オイゲン筆頭のベルカ艦娘達の心境も理解できなくはない。

 そんな風なことを、元搭乗員待機室のソファー上で滑走路の向こう側から見える日の出を見ながら、二日酔い由来の頭痛を我慢しながら考えていた。

 

 

*  *  *

 

 

「心残りだが、ここでお別れだ」

 

 サンド島港湾地区に停泊した定期補給船。そこから伸びたタラップに短い時間ながらお世話になった恩師が足を掛けた。かなり遅くまでビールをあおっていたというのに、その表情は爽やかそのものだ。

 

 一時的に特務中尉としてサンド島に滞在していたヒレンベレントさんは、F-14Aのライセンス講習が終了したことに伴い、本土へと帰還することが既に決まっていた。彼がオーシアの永住権を取得して以降はずっと民間人として暮らしており、今回のような一時的な軍への登用は相当に異例なことだったはずだ。そして今は民間人である彼は、如何に経験が熟練の軍人であっても先に控える決戦には同席出来ないという判断が下された。情報保全的にも、本人の安否のためにも、仕方のない措置であるとウィーカー中将から伝えられた。

 

「本当なら俺もF-14Dで乗り付けたいが、生憎愛機は大分前に撃墜されていてな……」

「ヒレンベレントさんが居たら百人力です」

「言ってくれるな。ラーズグリーズのお墨付きってことか。それに冗談なんだから本気にされても困る」

 

 彼は愉快そうに大きく笑う。もう腕は錆びついていると本人は自称していたが、後席からの指示、そして戦況分析の的確さは、第一線から退いて15年以上経っているとは到底思えないものだった。伝統のベルカ空軍でエースを務めた実力は、時の経過では消えないくらい骨の髄まで染み込んでいるんだろう。本当はもう少しこの人の元で勉強をしていたかったが、それが敵わぬ望みだということは重々承知している。

 腕時計にチラリと目をやった。作戦会議が始まる時間まであと30分程度。執務室を抜け出して彼の見送りに割ける時間もそろそろお終いだ。

 

「ほら、そろそろあのバケモンを落とす作戦の会議だろ。指揮者なんだから遅れちゃいかんよ」

「……そうですね。遅れてしまったら部下たちに示しが付きませんから」

 

 未だ取り切れない二日酔いの頭を何とか治し、なにもボロが出ないように振舞わなければならない。そんなワタワタした様子を見て彼は一通り笑い声を上げた後、最後に手を差し出してきた。そして僕はそれをしっかりと握り締めた。

 

「自分を見失うな。さすれば自ずと勝利は見えてくる。ベルカ艦の面々共々達者でな」

「……昨日言って貰った言葉、絶対に忘れません。またいつかお会いしましょう」

 

 手を離した後、方やそのままタラップを上っていき、方や作戦指令室へと向かう。もう互いに振り返ることはしないだろう。何故ならば、これが今生の別れになんかならないからだ。否、なってはならない。あの黒い鳥を撃墜し、ベルカ艦共々生きて戻って来なければならない。そのための作戦計画を胸に、目の前に聳える基地司令部の門をくぐり抜けた。




戦闘シーンは一回お休みなさい
胸倉をつかむシーンが戦闘シーンにはいるならばその限りではない

公式のグリム絵を見てるとなんか闇抱えているようにしか見えんのよな

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。