Ace Combat 5.1 The Pacific War   作:丸いの

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7. 見えざる艦

「――とまあ、以上がコックピットの計器に関する説明だ。何度か言ったが、最初に世に出てきた時よりも火器管制回りがかなり充実しているんだ。だから単座運用も十分に可能だ」

 

 空軍基地時代にブリーフィングルームとして使われていた小会議室の壇上で、今回招聘したF-14Aのインストラクターさんが戦闘機の分厚い仕様書をスクリーンに映し出しながら説明をしている。彼の名前はエリッヒ・ヒレンベランド。民間航空会社が運営する飛行訓練学校で講師を務める彼は、16年前のベルカ戦争で戦闘機のパイロットを務めていた。搭乗機はF-14AやF-14Dで、民間機の他にもこれらの機体を教える資格を保有しているそうだ。

 

「さて、ここまでで何か質問はあるか?」

「いえ、特に分からないところはありません」

 

 オーシア国防軍の装備配置転換に伴い、その対象機種であるF-14Aのインストラクターは減少気味だ。それに艦娘なんて存在が闊歩するサンド島に、何も情報を聞かされていない人間を送り込むことは難しい。そういう背景からか、F-14Aのインストラクターについてはおやじさんの伝手を頼りにヒレンベランドさんに決まったそうだ。

 聞いて驚くのが、彼はあのベルカ戦争時に名の知れたエースだったらしい。当時最強を誇ったベルカ空軍の中でも名の知れた、スーパートムキャット乗り。数年前にやっていたベルカ戦争を振り返るドキュメンタリー番組にも出演しており、おやじさんの私室で録画した番組を流しながらこの人を呼ぶよと言われた時には物凄く驚いた。そんな経歴だからか、民間機の教官であってもF-14Aの操作方法はそこらの戦闘機乗りよりもよっぽど習熟しているのだ。

 

 新たな身分を用意されたという一応立場上なため、僕は現在F-5Eのライセンスしか保有していない身なのだ。だから再度取得しなおさなければ、いくら乗りなれたF-14Aとは言えども正式に搭乗することは敵わない。だからインストラクターを呼ぶと聞いた時は、久々の運転だから復習程度をとも考えてはいた。しかしこんなベテランから教えてもらうとなれば、新たに得るものも多いかもしれない。これをいい機会にしなければと彼の話を聞きながら思う。

 

「流石だな。勘を戻すためにはとっとと実機訓練を行った方が良いだろう――それで、お嬢さん方はどうかな」

 

 ワンツーマンで講義を行うならば広い小会議室。だが今は僕とヒレンベランドさんだけではなく、何名かの見目麗しい方々が同席しながら講義を聞いているのだ。僕と同じ机に座りながら、何故か虫眼鏡を片手にマニュアルを凝視するビスマルク。その後ろの机で、二人で一冊のマニュアルをペラペラと眺めるレーベレヒトとマックス。更にその隣で、寝ぼけ目で何とか意識とつなぎとめているプリンツ・オイゲン。多種多様な反応の仕方、しかも一名は完全に講義へついていけていない状況に思わず額へ手を当てた。

 

「ええと……うーん……もうっ、現代の兵器は複雑すぎるわ!! 提督のおかげで薄々分かってはいたけど、戦闘機一つとっても昔から進歩し過ぎよ!! 海上から見上げたBf109達も大概だったのに、何よこの空飛ぶ電算機は。ラーズグリーズ隊の愛機ということしか分からないわよ……」

 

 虫眼鏡を放り出し、ウガーっと叫びながらビスマルクは両手を上げた。確かに彼女たちがいた時代から考えれば、いくらベルカが当時最新鋭の技術力を誇っていたとしても、F-14Aとは隔絶された壁があるだろう。空飛ぶ電算機とは言いえて妙で、高性能のレーダーと解析機を搭載した近代の戦闘機は精密機械そのものだ。価格の差も歴然で、昔の戦闘機と同じ勢いで量産をしようものならば間違いなく国の予算が飛んでしまうくらいだ。

 

 彼女なりに精一杯勉強しようとはしているのだ。最近になって僕の影響か、戦闘機について興味を持ち始めた彼女は、ラーズグリーズなるエース部隊がこの機体を運用していたということだけは知っていたようだ。まあまさか自身の提督がその一員だったとまでは分かるまい。

 ただ大戦時の基準が頭に残っている彼女たちからすれば、正にオーパーツ。何から何まで新技術の塊が出てくる戦闘機のマニュアルは、解読不能の暗号書みたいなものに違いない。むしろそれを頑張って理解しようとしているビスマルクが変わっているとみるべきだろう。後ろで船をこいでいるプリンツ・オイゲンが普通なのだ。

 

「確かに複雑だけど、精密な機械でできているということは下の私たちにとっては心強いんじゃないかしら」

「そうだね。もう味方の誤爆に巻き込まれることもないのは嬉しい限りだよ」

 

 敵味方識別が自動で行える近代化改修済みのF-14Aにおいて、誤爆だなんてわざとじゃなければ起こりようがない。それに対地装備がろくずっぽ積めやしないこの機体で、地上への誤爆が起こりうることはまずないだろう。それを心配するというのは、この駆逐艦二名も不思議なところに目を付けている。

 

「……んで、公子(プリンツ)様は全くお手上げかい?」

「――ほわぁ!? びっくりした!!」

 

 プリンツが座る机の前に立ち、目の前を指先でヒレンベランドさんがトントンと叩いた。びっくりしたのはこっちだと言いたくなるような奇声を上げながら意識を戻す彼女の様子に、ヒレンベランドさんと共に揃てため息を吐いた。

 

「……姉さま、やっぱり戦闘機を勉強するのは無理ですよぅ」

「や、やってみなければわからないじゃない!! それに私たちも、将が操る騎馬の内容について少しは知っておくべきよ」

 

 やけっぱち気味にビスマルクが話した内容が、何故艦娘の彼女たちがF-14Aのライセンス講習に参加をしているのかという問いに対する解答である。

 明日は講習を受けるため執務室を不在としますよと連絡をした翌日、ちょっと早めに予定の場所に来てみればベルカ艦が勢ぞろいだ。来なくてもいいよと言っても、ビスマルクは部下たるもの上司の戦い方を知らなければならないの一点張りだ。他の三名は、おそらくそれに付き合わされた形なのだろう。

 

「賑やかな部下じゃないか。正体が大戦時の艦船というのを忘れそうになるよ」

「……騒がしくなりすいません」

 

 こんなドタバタした様子を前にしても、ヒレンベランドさんは怒るどころか楽し気に笑っている。おやじさんからある程度の事情は聞いていたようで、彼女たち艦娘のことについては特に気にした風もなく講義が続いていた。

 

「失礼するよ。賑やかそうじゃないか」

「フッケバイン!! 聞いてはいたが、あんたの教え子はのみ込みが良いな」

 

 そうこうしているうちに、おやじさんがフラりと講義室に姿を現した。わざわざ集まったベルカ艦各員の顔を見て笑う彼は、フッケバインと呼ばれて少しだけ得意気な顔をした。おやじさんとヒレンベレントさんは同じ教官に飛行を教わった、いわば兄弟弟子だそうだ。なるほど、ただの昔の同僚という以上の繋がりを感じる。

 

「いいや、彼に飛行技術を叩き込んだのは私ではないさ。君と同じく昇進に興味を持たない、万年大尉の男だよ」

「それは万年中尉の俺に対する皮肉か?」

「彼も、君と同じく現場主義の人間さ。偶然にも、彼を含めた私たちはあの日円卓で羽をもがれた繋がりもある」

 

 そう言いながら、おやじさんは手に持った書類をこちらに差し出してきた。何らかの指令書だろうか、紙の右上には赤い判子が押してあった。

 

「講義中にすまないね。中将からの伝令だよ」

「……敵の機動部隊討伐。とうとうこちらから動くんですか」

 

 手に持った指令書に記載してある、神出鬼没の空母機動艦隊。ハイエルラークの空襲、そして先日のサンド島防衛戦。これらの襲撃を実行したと予想される深海棲艦の一団である。敵機の出現場所から考えてセレス海から太平洋にかけてのエリアに潜伏していることは間違いない。しかしまだだれもその実物を確認していないどころか、護衛艦の一隻すらも見つかっていない。

 

「本日午後から作戦会議だ。ベルカ艦各員も出席せよとのことだよ」

 

 サンド島襲撃の後、事態を重く見た海軍省は通常の艦船も動員して一帯の哨戒活動を強化している。もしかしたらそれらで何らかの成果があがったのかもしれない。これ以上例の艦隊を野放しにしておけば、民間への被害が出るのは時間の問題だ。一通り指令書を眺めたあとに、おやじさんへ「わかりました」と返答した。

 

「……あんたから聞いてはいたが、かなり危ない状況じゃねぇか。これでよく市井に情報が流出しないで済んでいるな」

「ギリギリのところで彼女たちが食い止めているんだ。だから、今回も上手くいけば良いんだがね」

 

 全くもってその通りだ。今までは軍事施設しか標的になってはいないが、今後もそのままなんて保証はない。民間人に被害が出てからでは遅いのだ。

 

 幽霊空母姫。サンド島第8艦隊が今回の標的につけた、作戦指揮上の通称である。そしてこの名前以外には、現時点で明らかになっている敵に関する情報は無いのだ。

 

 

* * *

 

 

「昨日、オーシア第六艦隊の潜水艦シーブリームが訓練航海中に国籍不明の艦隊を発見した。こちらに潜望鏡から撮影した映像を映す」

 

 作戦指令室のスクリーンに、少々荒い画質の映像が映し出された。ノイズ混じりの界面からの映像には、哨戒の当直にあたる潜水艦の乗務員たちの話し声も拾われているようだ。訓練航海の最中に遭遇した国籍不明艦。それも通常の艦船ではなく異形の船と来たならば、映像に保存されている焦燥としたクルーたちの会話も無理はない。

 

『不明艦まで距離2.1マイル。艦長、停止命令を出しますか?』

『……そのまま静観に徹する。こちらの動きを悟られないよう、機関の動きを最小限にしろ』

 

 クルーたちの会話が流れる中、潜望鏡の中に映る敵艦隊の姿が拡大された。通常の軍艦とは一線を画す、黒々とした闇に覆われた船体。そして見た目そのものも、まるで生き物かのような有機的な雰囲気を醸し出す。その幾つかの船団の切れ間に、一瞬だけ平らな船体を保有する深海棲艦の船体が姿を見せた。

 初めて目の当たりにした、深海の航空母艦が見せる威容に息が詰まる。そのまま護衛の巡洋艦で見えなくなるまで、黒々とした甲板の姿をずっと凝視していた。

 

『空母です!! 何故オーシアの領海内に……まさかユークトバニアの機動艦隊じゃ』

『……いや違う。実物を目にするのは初めてだが、まさかこのタイミングで遭うとはな』

 

 その時、映像の中で動きがあった。何隻かの艦船に隠された向こうから、黒い何かが飛び立つ瞬間が映りこんだ。恐らくは深海棲艦が持つ艦載機。そして飛び立ったのは一機だけじゃない。はじめに空へと飛びだった機体を先頭にして、敵艦上空を蠅のように群れだった一団が上昇していく。

 

『クソっ、勘付かれたか!! 潜望鏡を直ちに収納、急速潜航!!』

『注水準備急げ!!』

 

 クルーたちの叫び声を最後に、映像は途切れた。最後に見えたのは、艦隊上空を飛行する何機もの編隊。彼らの行き先は果たして何処なのか。ハイエルラークのようにどこかの基地が襲撃をされたのか。そこまで考えて、そのような被害があればすぐに上層部から情報が流れてくるはずだと頭を振った。今の僕たちの立場は、そのような情報がどこよりも優先して流れてくるはずなのだから。

 

「映像が記録された場所は、太平洋北東部。バゼット港の南西960マイルだ」

 

 ウィーカー中将の言う地点は、このサンド島から見てもそう遠くはない場所だ。向こうから攻めてくることもできるし、逆にこちらから反攻に出ることもできる。我がオーシア国防海軍第八艦隊の守備範囲内に十分収まっているのだ。

 

「飛び立った編隊はシーブリームを発見することなく飛び去ったそうだ。行き先は不明。少なくともオーシアでは空襲の被害は報告されていない。またユークトバニアに水面下で話を通したが、そのような被害はないという」

 

 再度スクリーンに映像が再生された。指定箇所まで早送りされ、潜望鏡から見据えた敵艦隊へと固定された。動いている映像ではただただ衝撃のあまり艦船の判別は出来なかったが、こうして映像を止めてみると敵艦の種別や数など見えてくるものは多い。

 先ほどの映像で目立っていた空母はもとより、その前方を巡洋艦と駆逐艦数隻が立ちふさがっている。それらに隠される形で、意外な艦種が丸い静止画の中に移りこんでいることへ気が付いた。

 

「輸送艦……ですか?」

「そうだ。今回の映像を解析したところ、最低でも空母二隻、巡洋艦二隻、駆逐艦三隻。それらに加えて輸送艦が二隻確認された」

 

 サンド島基地が海軍基地として再編されて以降、記録上は空母と輸送艦が確認されたことは初めてである。そのような珍しい艦種が確認されたこと以上に、この組み合わせで出現したことに驚きを隠せないでいた。輸送艦二隻を、空母二隻からなる機動艦隊が同伴して護衛する。そんな大規模な護衛部隊に守られた輸送艦は、果たして何をその腹の中に詰め込んでいるのだろうか。そして、それは一体どこに向けて輸送されているのか。想像は尽きない。

 

「シーブリームの報告後に偵察衛星で追跡を試みたが、当該区域上空の衛星は軒並み電波不調を起こして使い物にならない。何かしらの妨害活動の可能性があるが、詳細は不明だ」

 

 海図上に書き込まれた不明艦隊の出現ポイントは、太平洋北部の中央付近にいる。航路の幾つかがその付近に面しているその場所は、陸地から大きく離れていた。電波による妨害活動が行われているとするならば、おそらく敵艦隊から発信されているのだろう。

 

「必然的に近場の航路は空海共に封鎖、並びにバセット宇宙基地も電波障害により活動停止を余儀なくされている。この一件により多額の経済的損失は免れないだろう。そのため我々第八艦隊による早急な対応が求められる」

 

 ここまで言うと、誰か質問はあるかとウィーカー中将は作戦使令室を見渡した。そして間髪いれずに一人の女性が手を上げる。制服の随所にオーシアの国旗をモチーフにした紋章を入れた大柄の彼女は、一軍艦隊の主力、アイオワその人である。

 

「質問よ。今回発見された敵空母は、サラの艦載機やサンド島基地を襲撃した幽霊空母姫と同一なのかしら」

 

 それはこの場にいる誰もが思っていた疑問だった。ハイエルラーク、そしてサンド島。立て続けに起きた深海の機体による空襲と今回出現した深海棲艦の機動部隊を連想して考えるなという方が無理な話だ。出現場所そのものについてはハイエルラークから遠く離れているという不可解な点はあるが、それでも帰還を考えない長距離侵攻を企てたとすれば考えられなくもない。

 

「現時点では不明だ。当該艦隊の空母二隻が襲撃犯かもしれないし、そうじゃないかもしれない。だが事実がどうであろうと、この案件は我々が早急に対処をしなければならないという事実に何ら変わりはない」

「……そうね。幽霊空母姫ならば儲けもの、そうでなくとも全力を尽くすわ」

 

 これは反攻作戦ではなくただの敵艦排除であり余計なことは考えるな。言葉には出さなくとも、ウィーカー中将のまなざしはそう語っていた。ほかに手が上がる様子がないのを見届けた後、彼は話を先へと進めた。

 

「それでは本作戦の流れについて説明していく。航空部隊で近辺を捜索後、こちらの艦隊で敵に発見される前に総攻撃を仕掛ける。大まかに言えばいつも通りだ」

 

 確かにこちらから敵艦へ打って出る以上、中将の言う通り偵察行動で敵艦を発見しなければそもそもの戦いが始まらない。しかも敵艦隊の位置については大まかなことしかわからないときた。シーブリームによる発見から作戦開始までの時間は、詳細な位置の捕捉を困難にすることは間違いないだろう。一年前に空を編隊飛行していた時も、あの規律にうるさい管制官が居なければ敵機の撃墜はおろか発見すらも怪しかっただろう。偵察と管制の重要性は、十分に思い知っているはずだ。

 

「今回の作戦は今までにない規模のものになるだろう。そのため他の部隊にも協力を要請した。特に作戦の第一段階である偵察への支援として、空軍から貴重な"空の目"を借り受けた」

 

 空の目、という聞き覚えのある表現が記憶を刺激した。オーカニエーバ。決戦の地で空中管制にあたった管制官のコールサインは、こちらの言葉で空の目を意味していた。まさかこの基地に早期警戒管制機の派遣を要請したのか。そのような要求を上層部へと打ち上げるウィーカー中将の発言力の大きさと、それに応える海軍省の力の入れ具合双方に思わず目を見開いた。

 

「折角なのでその空の目について紹介しよう。オーシア国防空軍所属、早期警戒管制機。管制官のコールサインは――」

 

 その見開いていた目が、コンソール上に映し出された見覚えのある名前を捉えた瞬間。声にならないような驚愕に襲われた。

 

 

* * *

 

 

「――よし、いい動きだ。では最後にハイ・ヨーヨーを行え。敵機の想定位置は前方1000フィート前後、こちらが200キロ優速。始め!!」

 

 後部席から聞こえる指示に従い、操縦桿をゆっくりと引いた。コックピット外の見えない敵機を幻視し、その敵機上方へと機体を滑らせる。オーバーシュートを狙った敵機の思惑は外れ、こちらは相手の上へとつくことに成功する。敵は速度を落としたことを生かして急旋回でこちらの射線から逃げようと試みた。

 

「さあ敵機が右へと逃げたぞ!!」

 

 その怒号のような叫び声に応えるべく、操縦桿を右へと傾けた。大型機とは思えないほどの軽やかな機体角度の変化に合わせ、機首を前方側へと倒してスロットルを押し込む。それと同時に、ペダル脇のレバーを引き込み、この機体へ更なる加速を与える。エンジン由来の推進力は、全体が矢尻のような形へと変化した機体に爆発的な加速度をもたらす。あの軽戦闘機F-5Eよりも良好なエンジン性能からもたらされる速力は、上方からの滑空という状況も手伝ってか一気に逃げ惑う敵機の直後へと機体を押し込んだ。そして安全装置の掛かったミサイル射出スイッチを指で触る。

 

「アーチャー、フォックス2!!」

 

 無論安全装置のために赤外ミサイルが実際に尾を引いて飛んでいくことはあり得ない。しかしこの機体が放つはずだったミサイルは、確実に前方の敵機へと直撃をしたはずだ。酸素マスクの空気をゆっくりと吸い込むその後ろで、上出来だといわんばかりに手を叩く音が聞こえてきた。

 

「上出来だ、ラーズグリーズの生き残り。ここまで距離を詰めればどうやったって外れない。どうだ、鈍っていた腕も錆びが落ちてきたんじゃねえか」

 

 後部座席に座るヒレンベランドさんの言葉に、ヘルメット越しに笑って見せる。そして膝元のレバーを元の位置へと戻し、キャノピー外に見える可変翼の構造が低速度形態へと直っていることを確認した。

 

「今日の実戦でライセンスを認めてやろう。やはりあんたのような経験者は実戦で慣らした方が――」

『ウォードッグ4!! 無用な戦闘機動は慎めと何度言わせるんだ‼』

 

 律儀にもこちらのマニューバが一段落したところで、無線越しに怒声が響いた。久々にまた彼の怒る声を聞くことになるのかと思うと、うんざりとするよりもむしろ懐かしさの方が先に芽生えた。無線を通してもわかる彼の声は、例えるならば良いノド薬を服用している母を持つかのようだ。

 

「こちら後部座席のフェニークス。失礼した、私の生徒の卒業試験がたった今終わったところだ。この後は共々貴機の護衛に徹するよ」

『……こちら"サンダーヘッド"、了解した。まもなく危険区域へと入る。警戒せよ』

 

 サンド島の滑走路を旅立ち、太平洋とセレス海の境目で空中給油を挟み飛行をすること一時間。ようやく本作戦のエリアに護衛対象――早期警戒管制機サンダーヘッドを引き連れて到着したようだ。あの時からなんら変わらない堅物口調を崩さない彼は、続けざまに通信を入れてきた。

 

『こちらからは目視による哨戒は困難だ。ウォードッグ4、念のためそちらでも対応を願う』

「アーチャー、了解。可能な限りはやってみます」

 

 AWACSの策敵能力からすれば、哨戒活動を行うにあたってまず目視に頼る必要など無いはずだ。しかし標的となる深海棲艦が持つステルス特性のために、こちらのレーダーによる索敵を潜り抜ける可能性は捨てきれない。だから基本的にはレーダー網で監視を続け、それと同時に最低限己の目で確認をすることが望ましい。対深海棲艦の戦いを最も先進化させたノースポイントの軍が出した結論である。

 タイミングのいいことに、単座でも運用が可能なこのF-14Aの後部座席には現在もう一人の人間が搭乗している。単純計算で考えれば二つの視点で眼下を見れるし、僕なんかよりもよほどトムキャットに慣れている彼の力があれば心強い。わざわざ作戦当日にライセンス試験の実習を行うという名目で同乗している彼の本領発揮は、むしろ試験が終了した今からなのだ。

 

『こちら空母サラトガ艦長、グリフィンだ。サンダーヘッド、状況を伝えよ』

『サンダーヘッドよりサラトガ。現在貴艦の南方10マイルを方位1-9-5へ向けて飛行中。未だ敵機の姿は認められず』

 

 第八艦隊の旗艦サラトガから通信が入った。眼下の太平洋を進行する我らの艦隊は、こちらの索敵状況を随時受け取って進行方向に修正をしている。水上電探による洋上からの水上艦捜索と、上空の早期警戒管制機による敵艦載機の捜索。この二つが組み合わさることで、サンド島基地から離れたこの場所においても、艦隊は基地周辺と同等以上に索敵情報を得ることが出来るのだ。

 

『――レーダーに反応あり。方位2-1-0、当機からの距離51マイル。高度は海面近くから北方方面へ上昇中』

 

 そしてその直後、サンダーヘッドのレーダー網が標的を捉えたようだ。通信が入ったその瞬間、即座にF-14Aのレーダーサイトに当該区域がマッピングされた。サンダーヘッド機とのデータリンクによって、この戦域にいるすべての味方勢力のレーダー上に敵機を示す矢じり型のアイコンが並び始めているのだ。偵察機仕様に改装されたF-5Eが単独で得られる周囲の情報よりも圧倒的に広範囲のスキャン結果が、コックピットの右側に平然と示される。久方ぶりに目の前で行われる圧倒的な情報処理に改めて度肝を抜かれた。

 おそらく敵機の動きからして、彼らは標的の艦隊から発艦した直後なのだろう。その進路方向を見定めるためにレーダーを、そしてサンダーヘッドの通信に注力する。ここで彼らが此方へ向かってくることがあるならば、このF-14Aはサラトガからの艦載機を引き連れていきなりのドッグファイトへと叩きこまれることとなる。

 

『機体位置から敵艦の座標を概ね捕捉。エリア情報を全体にデータリンクした』

『了解、これより全艦指定エリアへ急速航行!! サラトガは発艦準備に努めよ!!』

 

 一気に無線通信の先が騒がしくなる。敵艦とその艦載機の発見という本作戦の第一段階は、予想よりもかなり前倒しとなった。

 

「敵編隊が移動を始めたぞ。方角は北西……こちらの艦隊じゃないな」

「そうですね……少なくともこちらが捕捉されているわけでは無さそうです。サンダーヘッド、このまま進めば敵編隊に発見される。この場所でサラトガの航空隊の到着を待ちましょう」

 

 サンダーヘッド機からの短い了解という返答を確認した後、ゆっくりと高度を下げながら左方向へと旋回を開始した。それと同調するように、こちらの機体後方についているE-767もその機首を傾けた。

 その間も、レーダー上に映る敵編隊はこっちを見向きもせずにその進路を北西に取り続けていた。現地点から考えて、その方向に何か特別なものがあるとは思えない。そのまま長距離を進行すればユークトバニアのバストーク半島に到達するのだろうが、果たして彼らの目的地はそこなのだろうか。

 

『敵機体の解析を行ったが、編隊位置から考えて爆撃機10、戦闘機20と思われる。進行先は……積乱雲がある。敵編隊の高度、なおも上昇中』

「サンダーヘッド、敵編隊の進行先にはユークトバニアのバストーク半島があります。念のため、ユークの空軍にも空襲の可能性を伝えてください」

 

 彼らがハイエルラークをやった時と同じく、レーダー索敵圏の更に上空から奇襲を考えている可能性は捨てきれない。敵編隊の構成は戦闘機と爆撃機の混成部隊。ハイエルラークをやった時よりは規模が小さいとはいえ、ほぼ同じような部隊構成だ。一気に攻め込まれたら多少の被害じゃ済まされない。

 

「……連中が長距離侵攻を行う実戦部隊だとすれば、洋上の艦隊はその海上基地ということか。補給艦まで存在しているということは、経戦能力も高いってか」

「かもしれません。彼らは洋上基地として働いていて、攻撃地点に向けてある程度の距離まで移動をする。ハイエルラークの時も、もしかしたらオーリック海の近辺まで来ていたのかも……」

 

 そこまで言って、ふと違和感に襲われる。セレス海からオーリック海に到達するためには、小さな島の間を通り抜けていかなければならない。島と島、そして大陸本土を結ぶ定期便が数多く通過をする海域を、あの大規模な艦隊が誰にも発見されずに通過できるのだろうか。それとも、あの時は空母一隻だけで強行突破をしたのか。護衛艦も付けずに?

 そもそもあの地点に行くためには、オーシア第三艦隊の分遣基地があるカーウィン諸島を通り抜けなければならない。第三艦隊の基地ほどの規模があれば、対深海棲艦への戦闘能力はまだしもそれを発見することは不可能ではないはずだ。

 

『敵機編隊、現在高度20,000フィート――』

『提督、ちょっといいかしら』

 

 そんな折、一つの通信で思考の深みから引き揚げられた。今回の作戦に際し、ベルカ艦部隊から組み込まれたのはビスマルク一隻のみだった。完全にサンド島を空にしてしまえば先日の二の舞になるということで一定数の戦力を残しておくというのが狙いだそうだ。

 

『あなたは目的地の空母が例の幽霊空母姫だと考えているの?』

「……分かりません。可能性は捨てきれませんが、彼らが実働部隊なのかは疑問が残ります。確かに補給艦の存在から洋上における経戦能力は高いですが、小回りが利かない。敵機の航続距離から考えて、いくら艦載機とは言えどもその母艦がある程度の距離まで接近しなければならないことは自明です」

『……私も同じ疑問を持っているわ。いくら近代の電探でも捉えることが難しいといっても、さすがに海軍基地の真横を見つからずに通過できるほど奴らの隠密性は高くはないはずよ』

 

 だからこその幽霊という名前なのだ。ふらっと現れては、姿を確認できないままに忽然と消え失せる。ただの神出鬼没な幽霊船ならまだよかったものの、それが振りまくのは突発的な空襲だ。眼下の輸送機動艦隊がそのような芸当を行うことが出来るとは到底思えない。その見解は僕とビスマルクの双方で共通していた。

 

『敵編隊、現在高度35,000フィート。さらに上昇――』

「ひょっとしたら……グリム君、我々はサンド島からここまでどのようにして来たか覚えているか?」

 

 何かを思いついたのか、ヒレンベランドさんが質問を投げかけてきた。覚えているも何も、つい先ほどのことなのだから忘れるはずもない。

 

「……サンド島飛行場を飛び立った後、セレス海南部でサンダーヘッドと合流し、その後空中給油を経て――まさか」

「そう、そのまさかだよ。その幽霊ナントカだったか? そいつは敵の戦闘機の航続力を高める、いわば先導役なんじゃないか?」

 

 あくまで仮説だよ、と笑うヒレンベランドさんの言葉は、実は核心をついているのかもしれない。何十もの機体の空中給油を賄える巨大機があるのかどうかは別として、空母から発艦した機体を空中で先導するような何かがいるのかもしれない。そう考えれば、たとえ洋上の補給基地が攻撃地点から離れていても、先導役の航続力が続く限り敵編隊は相当の長距離侵攻を行うことが可能になる。

 

「一昨日の偵察で敵編隊が発艦していたんだろ。連中ももしかしたらまだ先導役のエスコートの元、どこか離れた場所への長距離侵攻を企てているのかもしれないな」

『……ハイエルラークの時も、上空の反応は敵機だけだったわ。もし本当ならば、幽霊空母姫は相当狡猾な相手ね』

 

 可能性の一つに過ぎないけど、その先導役というのが幽霊空母姫の正体だとしたら厄介だ。敵の動ける範囲が広くなるほどに、こちら側の対処のしようがなくなってしまう。

 

 

『こ、こちらサンダーヘッド!! 敵機がレーダーからロスト!! 繰り返す、敵機のレーダー反応がロスト!!』

 

 その言葉を聞いた瞬間、文字通り血の気が引いた。すぐにレーダー画面へと目を移すが、先ほどまではうじゃうじゃといたはずの敵機影がすべて消え失せていた。そんな馬鹿な、と心の中で叫びながらレーダーの表示をデータリンクから自機の物に切り替えた。しかしそこには不明瞭な影さえも浮かばない。この戦闘区域で飛行しているのはこのF-14AとAWACS、そして後ろから接近するサラトガ航空部隊のみになっている。

 

「サンダーヘッド、こちらウォードッグ4。詳細な状況を伝えよ!!」

『……敵編隊が高度50,000フィートに差し掛かったところでレーダー反応が消失した。現在消失地点を捜索しているが反応は無し』

 

 あの量の機体がAWACSのレーダー圏内から一斉に消えるだなんてあり得ない。レーダーの故障を疑うが、データリンクの内容は味方側の識別は行いているため、少なくとも全機能が不調に陥ったわけではない。

 

『提督!! 旧式の電探にのみ何らかの機影を探知したわ!! 正確な位置は不明だけど、敵機が消失したエリアと重なるわ』

 

 無線通信の至るところから最新鋭のレーダーが軒並みロストしたという報告が響く中、ビスマルクが大声で通信を入れてきた。旧式の電探ということは、艦娘自身が保有する備え付けの大戦時の物ということか。その報告をきっかけにして、眼下の各艦を統括する艦娘各員から同様の報告が相次いだ。

 

『前方の巨大積乱雲、あの中に何らかの電探反応を察知!! 何かが潜んでいるわ』

 

 彼女たちの報告は、どれも内容がそろっていた。状況から考えてあの積乱雲に潜む何か、そいつが敵編隊を何らかの方法でレーダーからロストさせた以外に考えられない。いくら何でもそんなことが可能なのかと自問をしても、実際に目の前で起こっているのだから否定の仕様もない。

 

『旧式だと……ッ!? レーダー波長を長波長側にシフト……発見した!! 巨大な飛行物体を積乱雲内に捕捉、再度データリンクを共有する!!』

 

 サンダーヘッドの叫び声の直後に、手元のレーダー画面に何かの影が出現した。形も何も不明瞭、ただのUnknownと書かれたサークルが先ほどまで敵編隊が飛行していたエリアへと鎮座している。そしてそれは、周回軌道で飛行を続けるこちら側に、確かに接近をしていた。

 

『ウォードッグ、そしてサラトガ航空隊各機!! アンノウンがこちらへと接近している!! 直ちに後退せよ』

「り、了解!!」

 

 あの積乱雲から何が出てくるのか分かったものじゃない。しかしそれでも言えることは、その巨大なレーダーの影はおそらく例の幽霊空母姫に相当する何かである可能性が高いことと、それは何らかの形で多量の艦載機を纏っていることだ。無為に近づくのは自殺行為だ。

 

『こちらグリフィン!! 全艦、直ちに対空戦闘用意!!』

 

 眼下の艦隊も臨戦態勢へと入る中、そのレーダー反応はどんどんと近づいてきていた。

 

『アンノウン、積乱雲から出てくるぞ!!』

 

 操縦桿を握り締めたまま、思わずキャノピー後方部へと振り返る。背後に聳え立つ巨大な積乱雲。その中腹から、この距離で見ても分かるくらいに何かの先端が突き破ってくる様子が目に入った。灰色の背景の中でもはっきりとわかる黒々とした先端部、それははっきりと丸みを帯びているのが分かった。そしてその巨体の中心部から量翼端に至るまで流線形の形状が続く。この距離で見てもただの戦闘機のサイズとはかけ離れた大きさであるということが容易に見て取れる。そしてその大きさで、この独特の近未来的な形状を持った飛行物体は、最悪なことに僕の頭の中に一件だけ存在した。

 

「アーク……バード……?」

 

 かつて平和の象徴として空を舞っていた純白の流線形は、その身を闇色に塗りなおして深海からの復活を遂げていた。




アークバード(対空18 迎撃10 対爆2 索敵22 命中10 対潜8492)
ただ一機落とされたらボーキが7658492飛ぶ

170915: ビスマルク姉さまがラーズグリーズのことについて順調にお勉強している描写を追記しました。

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