Ace Combat 5.1 The Pacific War   作:丸いの

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4. 初陣の後

「二番隊もようやく戦力になったか。上々だ」

 

 会議室の議長席で、顎鬚をしっかりと蓄えた壮年の中将が手元の資料へ目を通しながら頷く。そして資料を机の上に戻し、目深に被った制帽のツバの奥から覗く眼光がギロリとこちらに向けられた。

 

「あの二軍艦隊が、ですか。中将殿や私では全く適正が無かったのに不思議なものだ」

 

 僕の対面に座る、中将よりは年若い見た目の大佐が小さく笑った。二軍艦隊という言葉の割に嫌味な風は全く見せず、ただ単に感心したように興味深げに資料へ目を通している。

 その彼ら二人が、現在では少佐の地位を拝命した僕にとってこのサンド島基地における数少ない上官だ。そして彼らと僕、広い会議室の席に座るこのたったの三人が、新設されたオーシア海軍第八艦隊の司令としてこのサンド島基地で指揮をふるう、数少ない中枢である。

 

「初陣なのに重巡を含む敵艦隊を被弾無しにいなすとはな。流石はあのベルカ艦達だ」

「旗艦は当時のベルカが科学力の粋を集めたビスマルクです。当時の戦績はそれほどではないとはいえ、元々それなりのポテンシャルはあるはずです。これで司令官を選り好みするような性質さえなければ、もう少し早くに戦力へなっていたでしょうに」

 

 所属が違う海軍の重鎮はそうそうお目に掛かれるものではない。今までの人生の中ではケストレルの艦長だったアンダーセン大佐が精々といったところだ。そのはずだったのに、目の前には大佐はおろか中将という海軍の中でも選りすぐりの存在がこちらを見据えている。改めて異なる世界に足を踏み入れているのだと実感をした。

 

「ハンス・グリム。あのプライドで飯を食える彼女らに認められた唯一の存在。大したものだ」

「お褒めいただき光栄です!! この初陣で気を緩めず、更にまい進していく所存です」

 

 自分のものかも疑わしい明快な受け答えが自然と口に出てくる。資料を机に戻して手を叩くこの重鎮――ジェームス・C・ウィーカー中将は、あの太った基地司令とは違う本物の雲の上の存在だ。海軍の艦隊丸ごと一つの総指揮権を握るからには、相当の輝かしい経歴が並んでいることに間違いはない。聞けば16年前のベルカ戦争時に、あのケストレルで艦長に就任していたというのだから驚きだ。ベルカ戦闘機部隊の大規模な攻勢に晒されながらも、被弾一つなくフトゥーロ運河の突破に成功した手腕が、彼を中将たる地位に押し上げたのは間違いない。

 

「その先の出撃についてだが、実際に相対した艦隊は事前の調査とは異なる編成だったのか」

 

 もう一人の上役であるロナルド・A・グリフィン大佐が資料に目を通して苦い顔をしていた。中将と大佐の手元にある書類には、先の戦闘に関する戦果や状況がまとめてある。敵艦の種別や数は勿論のこと、戦闘時に起きた何点かの問題についても、昨日の夜中までかけて余すことなく記したはずだ。

 

「はい。事前報告では軽巡一と駆逐三の全四隻編成でしたが、実際は重巡を旗艦とする重巡一、軽巡一、駆逐四のやや中規模の部隊でした」

 

 パニックに陥りかけていたプリンツ・オイゲンからの通信を思い出す。敵部隊の数や質が事前情報よりも一回りどころか二回りも大きいものだったのだから、焦るのも無理はない。仮に射程と火力に優れるビスマルクがいなかったら撤退も止む無しの状況だった。

 

「また報告書にもありますが、一度も敵と遭遇していないにもかかわらず、こちらが索敵をしている際に敵は既に我々の位置を捉えていました」

「それも偵察機の射出もせずに、か。当該区域に他の戦力は?」

「ありませんでした。戦闘前に指定区域の北西から北東にかけて距離100マイルは索敵済みで、戦闘中に南や東も捜索しましたが見当たりませんでした」

 

 そう答えると、グリフィン大佐は腕を組んで思案気にウィーカー中将に目を遣った。中将も意味ありげに頷き返す。

 

「今回のような事前報告とは異なる戦況に遭遇したのは初めてではない。ひと月前に大佐が率いる部隊が太平洋北部の掃海を行なった際も、相対した際には事前報告には無かった戦艦級の敵が混じっていた」

「……それは、つまり事前報告が当てにならないということですか?」

 

 自分のような海戦の素人が作戦を練る上では、艦娘たちの助言やら過去の知見を除けば、事前情報が非常に重要であるとの認識をしていた。それが当てにならないということに驚きを隠せず、思わず聞き返す。

 

「いや、そうではない。基地偵察部隊の腕は良く、基本的に彼らの情報は当てになる。ただ、今回のように極希に敵の戦力が大きく増強されることがある」

「事前報告通りではないときは、相手方がこちらを罠に嵌めようとしている場合だろう。少佐の報告のように、敵戦力が異なるだけではなく場所が違う、そして奇襲を受けるということもある。私の時もそうだった」

 

 言うなれば外れくじ。基本的には大当たりしかないが、極まれに外れが混じる。その確率はどうやっても消すことが出来ず、最初から外れくじを引くことを念頭に置くしかないのか。

 

「今回の一件から敵の概ねの狙いが分かった。露骨に弱く、しかし数を揃えた艦隊を組織することで我々を釣ろうとしている気だな」

「そうでしょうね。私が同じ状況になった時も、事前予測では軽巡一の駆逐四。全力で対処するには及ばず、ただ早急な対処を要する案件でした」

 

 彼らは何らかの納得をしているようだが、一方で自分は中々上手く飲み込めない。

 

「つまり、連中の一部は一種の囮作戦を行っている。敢えて弱い部隊を事前に観測させることで、戦力の誤認を引き起こそうとしているのさ」

「一部とは、つまり大半は違うということですか?」

「そう思われる。ノースポイント近海とは違い、まだこの区域の深海棲艦は組織立った行動を起こしていない。だから連中の多くは大きくても一部隊を編制する規模の集まりでしかない」

 

 確かに中将の言うことはもっともである。最近のサンド島基地全体での出撃記録に目を通しても、散発的に出現する駆逐艦級一隻もしくは二隻を排除するためであることがほとんどだった。しかし、と中将は苦々しい表情を浮かべつつ続ける。

 

「逆に言えば、奴らの中に部隊を纏めうる存在、"姫"が出現したかもしれないということだ」

 

 対深海棲艦特殊部隊としておそらく世界で最も先進的であるノースポイント海軍から"姫"という呼称を与えられた、いわゆる指揮官系の敵艦船。通常の深海棲艦とは一線を画す戦闘力を誇る、彼らの決戦兵器だ。直近では、三年ほど前にユージア海北西部の海域に君臨した超巨大航空母艦が報告されている。結局ノースポイントの鎮守府と空軍が連携して苦戦しつつも撃破に成功しているが、それでも幾多の敵艦隊によって受けたシーレーンへの被害は隠ぺいするのに苦労をしたそうだ。

 

「まあ可能性に過ぎない話だ。すぐに対処を、というのは難しい」

「セレス海及び太平洋における奴らの動向すらつかみ切れていない現状では、こちらから打って出ることは難しいですからね」

 

 二人の上司は揃ってため息を吐いた。本サンド島基地は未だ開設されてから一年も経っておらず、深海棲艦の根絶にはまだまだ遠い目標だ。出現を観測してから出動を繰り返すこの状況では、こちらから攻勢に出るのは難しいだろう。

 

「さて、続いて海軍省からのお達しだ。少佐にとっては初めての経験だろうが、基本的には早急に深海棲艦を滅せよという要求しか来ない。覚えておくと良い」

「そ、そうなんですか……」

「……この国もノースポイントのように陸海空連合で動ければ良いのだがね。16年前や1年前に出来たことが、何故今になってこうも難しいのやら」

 

 疲れたような苦笑いを浮かべ、中将が指令書と大きく書かれた電報を大佐と僕に机を滑らせて渡してきた。簡単にいうなぁという思いが中将の表情から容易に読み取れる。佐官以上が三名しかいないこの極小規模の基地に求められる役割は、早急に戦果を挙げることよりも、より人員が必要であると海軍省に現実を見せることかもしれない。

 

 

* * *

 

 

 その日の夜、旧兵舎のミーティングルームは今までに無いほどの華やかな装飾で彩られていた。リムファクシ撃破に沸いたあの夜も、こうしてこの部屋で小さい規模のパーティーを行った。その時と比べても、飾り付けはよりお洒落で主賓の面々が見目麗しき女性たちということもあって、華やかさは一段上を行っている。

 小ざっぱりした執務室にて作業を行っていたところ、准士官数名に呼ばれたのが三十分ほど前の話だ。気がつけば主賓であるベルカの艦娘たちと共に、彼女達の司令官である僕もこのパーティーに招待されていた。適度に部屋の隅で酒を嗜みつつ、おやじさんと昔を懐かしんで雑談でもしていようと思っていたら、無言のビスマルクに手を掴まれて連れられ、あれよという間に参加者の中心だ。

 

「折角の初陣祝いよ? 将がすみっこで大人しくしているなんて許さないわっ」

「ごめんね。まあ今日のヒロインといえばやはり君達ですよ」

 

 我が部隊の旗艦は、言葉とは裏腹に底抜けの笑顔を見せた。改めて周囲を見てみれば、華やかさもここに極まれりという感じだ。ビスマルクのすぐ後ろで楽しげに会話をするプリンツ、レーベレスト。そして彼女達の会話を聴きながらドリンクにさしたストローを吸うマックス。そのさらに後ろでは、彼女達ベルカ艦だけではなくオーシアの艦娘数名がゲストとして招かれていたようだ。そのうちの一人、特に色々と大柄の艦娘がビスマルクに目を遣ってこちらにやってくるのが見えた。

 

「Hi!! ビスマルク、楽しんでる?」

「……アイオワ。何、笑いにきたの?」

 

 アイオワという名前には聞き覚えがある。アークバードへレーザーモジュールを届けるSSTOの発射を護衛する時に訪れたバセット国際宇宙基地。その港にて大戦時から現在まで停泊し続けている、オーシア海軍最後の戦艦級の軍艦だ。そんな現存する軍艦までが、この基地にいることに改めて驚きを覚える。

 

「そんなんじゃないわ。ほら、スマイルスマイル!! 折角のパーティーなんだからもっと笑わなきゃ!!」

「あなたのせいで笑顔も引っ込んだわ」

 

 ひたすら明るく絡もうとしているアイオワとは対照的に、ビスマルクは一転して不機嫌な様子を見せる。グラスを近づけられても反応せず、笑顔笑顔と言われると逆に目を細めて鋭い視線でアイオワをねめつける。あんまりとも言っても良い態度の変化に、思わず面食らってしまった。

 結局何度かのアプローチも失敗に終わったアイオワは、ため息ひとつを吐くと視線をこちらに寄越してきた。

 

「……それで、貴方がベルカンシップの提督ね。私はアイオワ。オーシア最後の戦艦よ!!」

「ハンス・グリムです。貴女の船体ですが、バセットで一度だけ空から見たことがあります」

「奇遇ね。今から一年前くらいかしら、その船体に宿った私がこの孤島に連れてこられたのは」

 

 ともなれば、彼女が宿ったのは環太平洋戦争終結後だろう。バセット湾に停泊している歴戦の雄姿はもう見れなくなったが、その代わりに現役で戦う本当のオーシアン・ヒロインを一番の近場で見れるのだ。幸運といっても過言ではない。

 

「でもあの厳重な警戒体勢のバセットで空を飛ぶだなんて……もしかして貴方、ベルカ事変で――」

 

 ガンッ、と机にグラスを叩きつける音が響いた。賑やかな団欒が急に途切れ、部屋に流れる軽快な音楽だけが聞こえてくる。音の発生源はどこかだなんて、探すまでもない。手や腕を濡らすカクテルを無造作に振り落とし、ビスマルクは踵を返した。

 

「……提督、ごめんなさい。ちょっとお花でも摘んで来るわ」

「え、ちょっとビスマルクッ!?」

 

 止めようと思っても、もう遅かった。そのままツカツカと足早にミーティングルームの外に出ていくビスマルクを目で追い、次にアイオワへと視線を移す。彼女は彼女で苦々しい表情で頭を抱えていた。

 

「Sorry……彼女にあれは禁句だったわね」

「……ベルカ事変についてですか?」

 

 アイオワが表れてから既に不機嫌気味だったビスマルクが、思わず癇癪を起した切っ掛けの言葉だ。ふと、服の裾を引っ張られる感覚で後ろを振り返る。

 

「やほっ、提督ぅ」

「……プリンツは事情を知っている?」

「うん、知ってるよ。それにビスマルク姉さまだけじゃなくて、私たちベルカ艦娘みんながそうだもの」

 

 「ね?」と後ろを振り返ったプリンツは、いつの間にか後ろにいたレーベレストとマックス共々小さく頷いた。ベルカ艦の彼女達皆に共通する、ベルカ事変への忌避。説明をしてもらうために無言で先を促す。

 

「そうですね……失礼だけど提督もその、生まれで色々と言われてきませんでしたか?」

「……うん、それなりには」

 

 生まれ、というのは元々の血筋についてで間違いないだろう。故郷の所属がベルカからオーシアへと変化し、街で目にするのも段々とオーシア人の割合が多くなってきたベルカ戦争後の数年。そして数年間の時を経て、再度自身がベルカ系の血筋であることを思い出させた、ベルカ事変直後の今。確かに一部の心無い人からはその生まれについて嫌な顔をされることはあった。

 

「ベルカ生まれであることは私たちの誇りなんです。艦娘として生まれたこの地が当時連合国側だったオーシアだと知った時も、あの時の遺恨は一旦忘れて、遠く離れた祖国を胸に頑張っていこうとみんなで言っていました」

 

 オーシアとベルカは、近代史においては対立していることが非常に多い組み合わせだ。航空機による戦闘が世界で初めて行われたオーシア戦争、多数の国が戦争状態へと突入した世界大戦、そしてオーシア大陸全土に渡ったベルカ戦争。この地で起きた大きな戦争の全てで、オーシアとベルカは敵国同士となっていた。そんなベルカの軍艦である彼女達がオーシアで艦娘として生まれることはある種の皮肉ともいえる。

 

「艦娘として生まれてから数日経ったころでした。まだ陸上で座学課程に勤しんでいた私たちは、ふとテレビで"ベルカ事変"という言葉を目にしました」

 

 ……そうか。生まれたばかりの彼女達は知らなかったんだ。この十数年間に起きた、ベルカが世界に挑んだあの戦争を。

 

「首を捻る私たちの目に、恐ろしい映像が飛び込んできました――穏やかだった田園に立ち上る巨大なきのこ雲。頭が冷え、手が震え、言葉を失う私たちの中でビスマルク姉さまだけがいち早く動き出しました。近くの職員に掴みかかり、あれをやったのは誰だと問い詰めたんです」

 

 頭が理解をする前に、涙が零れ落ちる絶望的な光景。冷静さを失うには十分過ぎる代物だった。

 

「その職員は困惑しつつも少し目を険しくして言いました。君たちと同じベルカ人がやったのだ、と。そんなわけがないと喚く姉さまに対して、何人もの職員から白い視線が浴びせられました」

 

 誰だって一度で信じられるような光景じゃない。連合軍の進撃を阻止するために、自国に死の灰を降らせるだなんて。

 

「……あの瞬間だけ、ベルカ生まれであることを呪いました。ベルカの軍艦としてあってはならないことなのに。そして生まれた時期をも呪いました。全てが後の祭りで、七つの核を無かったことにすることは出来ないから」

「みんな、君たちと同じだったよ。故郷の所属が変化してごたごたしていた頃、あの一報が流れて街は大混乱さ。向かいに住んでた優しいおばちゃんは息子夫婦を町ごと焼かれ、失意の中祖国を呪いながら亡くなったよ」

 

 祖国に裏切られ、何を信じればいいのかが分からなくなった。皮肉にも、ベルカへの背信の高まりがスムーズな併合への手助けになった。気がつけば、ノースオーシア州と名を変えた故郷には英語の看板が溢れ、オーシア人の住人が数多くみられるようになった。街の活気も以前よりも賑やかになった。段々と、街からベルカの痕跡が消えていく。

 

「今になってみればあの時の職員さんの対応も納得です。あの未曾有の大混乱を起こすだけでは飽き足らず、二つの大国を戦争状態へと突入させた国の艦娘が、ベルカに核を落としたのは誰だ、ですもん」

 

 自嘲気味に笑うプリンツは、やけくそ気味に持っていたグラスの中身を一気にあおった。僕は艦娘じゃないから彼女達がベルカに抱く誇りと苦しみが如何ほどの物なのかは分からない。だが本来ならば誇りであるはずのものが、どうしようもない呪いに代わってしまったことは確かだ。

 

 もし、ベルカを護るために空を飛んだ父が円卓で墜ちていなかったら、彼女達と同じような苦しみを味わったのだろうか。

 

「……私たちは近代のベルカを未だ受け入れられていません。せめて己の司令にはかつての誇らしいベルカを思い起こさせる人を選びたいという思いが、ウィーカー中将やグリフィン大佐といった勇士すらも拒絶しました」

 

 彼女達のベルカに対する複雑な心境が、おやじさん経由で知った僕を提督として迎え入れた理由の一端なのだろう。ともすれば彼女達自身がかつての強いベルカを取り戻さんと欲す、灰色の男たちのような存在に成りかねない、そんな危うさが垣間見えた。

 

「……今の僕はベルカ人じゃない。君たちがどのような幻想を抱こうが、それは絶対に変わらない」

「ええ、分かってます。分かってますよ。でも、ベルカへの気持ちは他の人とは違うでしょ? それだけで、良いんです」

 

 まるで心の中を見透かされているような気分だ。南ベルカ生まれの元ベルカ人。もはやベルカ人を名乗る気は更々ないが、だからといって純粋なオーシア人として社会に溶け込めるかと言われればそれも不可能だった。宙ぶらりんの立ち位置。ベルカ事変後に、それを痛いほど思い知った。目の前で儚げに笑う彼女はどこまで知っているのだろうか。なんだか、無性に居心地が悪くなった。

 

「……ごめん、ちょっと飲み過ぎたみたいだ。少し外で休んでいるよ」

「じゃあ、はい。飲み過ぎたときは"ミネラール・ヴァッサー"、ですよ。近くの談話室が、休むにはちょうどいいと思います」

 

 取ってつけたような口実にさえ、プリンツは笑顔で応じてくれる。その上、行くと良い場所でさえもこうやって教えてくれる。2本のミネラルウォーター瓶を手渡してくる彼女の笑顔は、やはりどこか後ろめたかった。

 

 

* * *

 

 

「ここにいたんですね。飲みます?」

「……Danke。貰うわ」

 

 ミーティングルームから歩いてすぐの場所には、滑走路を見わたせる大きな窓が設置された談話室がある。まだ空軍基地として稼働していた頃は搭乗員待機室と呼ばれていたこの部屋に、窓の外に見える月を眺めていたビスマルクが一人長椅子に腰かけていた。誰もいない場所で頭の整理でもしようと思ったけど、思わぬ先客に少しだけ驚いた。

 互いにミネラルウォーターの瓶に口を付け、そのまま無言で喉を潤す。特に話のネタになるようなこともないが、先ほどまで喧しい空間に居たせいもあって静かな雰囲気が少しだけ辛くなった。

 

「……その椅子、僕の憧れだったとある女性がよく気に入って座ってましたよ」

 

 特に話すネタも無い中、咄嗟に口を付いたのがそれだ。まさに雑談。そこからどのように話が発展するのか、言った本人も全く予想できない。無視されたって仕方のない言葉に、ビスマルクはふと顔をこちらに向けた。

 

「今は私のお気に入りの場所よ。その女の人って、提督が好意を寄せてたの?」

「まさか。そういう憧れじゃないですよ。ウチらの二番機、決して一番機を落とさせなかった凄い先輩ですよ」

 

 ビスマルクの反応に、思わず笑ってしまった。確かに配属されて間もない頃は先輩の中に美人がいると聞いて、そのような憧れを抱いたこともある。だけど同じ部隊として空を飛んだ時、無茶苦茶な機動で空を駆ける隊長に着いていきその後ろを護った技量を目の当たりにして、パイロットとしてこうなりたいという憧れへ変化をしていた。

 

「……オイゲンからは、何か聞いた?」

「ああ。こうなった切っ掛けや、君らが僕にどんな思いを抱いていたのかをちょっとね」

 

 座り慣れた、小柄な人間にはゆとりのある椅子に腰かける。ゲン担ぎの意味も兼ねて、出撃前の緊張した体を休めるにはいつもと同じルーチンワークが最適だった。ナガセさんはその赤い長椅子に腰かけて童話に目を通し、チョッパーはカークの相手をしていた。もう誰もパイロットのいなくなったこの建物にも、彼らのルーチンワークの名残が染みついている気がした。

 

「そう、じゃあ慰めにでも来てくれたの?」

「……いいや。話が重くなって、仕切り直しにするために懐かしの場所に着たら、偶然君が居ただけです」

 

 何故か、ビスマルク相手にはスンナリと口が動く。何ソレ、と言って小さく笑う彼女の姿に、こちらも自然と表情が軽くなった。

 

「こんな、心に欠陥を持ったベルカ艦を指揮する、貴方は誰?」

「ただのベルカに縁のあるオーシア人だ。そして責任をもって、君たちをあの灰色の男達のようには絶対にしない」

 

 今度ははっきりと言うことが出来た。彼女達に危うさを感じるのならば、その手綱を僕自身で握ってそうならないようにすればいい。そう、今はそれでいい。

 

「……発言には責任を持ちなさいよ? しっかりと、私たちのことを見ていなさい」

「っ、……勿論ですよ」

 

 長椅子から立ち上がり、こちらに手を差し伸ばすビスマルク。月明かりに照らされて白い肌がより白く、金髪が銀色に光って見えるその姿は、現実離れした光景に見えた。頭がくらくらし、一瞬だけ手を伸ばすのも憚られ、呆とした表情で見つめてしまった。そのまま手を引かれて、元のパーティー会場の方へ歩み始める。足取りは軽く、振り返ったその顔は温和な笑顔が浮かんでいる。僕は頭の中でプリンツに短く感謝を伝えた。

 そのプリンツが、少し目を離した隙に何杯も酒を空けてべべれけ状態になり、そしてレーベやマックスでは抑えられないほどの勢いで、戻ってきたビスマルクに飛びついてくる様を目の当たりにするとは、まったくもって想像も出来なかった。




7じゃそろそろベルカ君も許された頃だろう

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