Ace Combat 5.1 The Pacific War   作:丸いの

13 / 14
あくまで次回作のネタ(たぶん第一話)です。


番外編
Ex.1 The Unrecorded ZERO


『……お久しぶりっスね。地獄の番犬、ガルム』

 

 その名前で自分のことを呼ぶ人間から電話がかかってきたのは何時ぶりだろうか。皮肉気な響きを伴う声を発する受話器。それを握り締める手はいつの間にか震えていた。俺は、電話先の人間の声を知っている。いや、声だけではない。そいつのよく言えば底抜けの正義感に燃えていた、悪く言えば戦争の現実を直視しない青臭さ。常日頃話していたそのお調子者だった彼の顔は、あれから十年近く経ったというのに忘れたことも無かった。

 

『アンタにこうやって連絡を取ったのは別に昔話をしたいわけじゃない。単刀直入に要件を伝えますよ。明日からアンタは――』

 

――ウチで空を飛んでもらうことになった。

 

 

* * *

 

 

[ノースポイント国際航空学校 2007年11月19日 20時31分]

 

 

 ベルカという国が惨敗を喫してから十年という歳月が経過した。もう一世紀の十分の一という長い期間が過ぎてしまったのだということを、昨年に内戦地へわざわざ当時の取材に訪れた記者の前で改めて思い知った。短いとは言えないこの時間の中で、もがいてあえぎながら国境の意味を探していた。そもそも国境というものは、空から見ようが地上から見ようが、結局のところ肉眼で捉えられないものなのだ。地図に引かれただけの線にどこまでの意味を見出すというのだろうか。しかしその線を巡り、古今東西信じられないほどの量の血が流れている。

 

 国境の意味とは何か。その問いには明確な答えなど無い。自分の中でどういう風に落とし前を付けるかということなのだ。そんなことは核の爆心地で空に浮かんだもう一つの太陽を眺めていた時から分かり切ったことだったというのに。地上で銃を握り締め、国境という目に見えない概念を巡り争い、そしてその目に見えない線の意味は確かに存在していたのだ。人と人を隔てる見えない線は、その一方で人と人を団結させる線でもあったのだ。どこの誰とも知れないベルカ人の傭兵が、ISAFの陸軍兵と寝食を共にし、同じ戦場で銃を並べた理由がそこにある。

 

「……降ってきたか」

 

 窓の外を眺めていると、小さな雪の結晶がちらつき始めていた。先ほど見た天気予報では、今夜から明日の昼間まで大雪に見舞われるらしい。しかもそれはただの雪雲の発達ではなく東からの低気圧によるものだそうだ。間違いなく、明日のフライト講習は中止せざるを得ないだろう。

 自身には別の予定があるから関係はあまりないが、こういう悪天候が続けば後々スケジュールが過密になるのが頭の痛いところだ。高地の谷間という悪条件下でも事故を起こさなかった俺の腕ならば、この雪の中でも飛ばそうと思えば十分飛ばすことは出来る。だが航空機の免許を取得しようとしている生徒に飛ばせようとするならば、離陸する前に生徒と教官の俺双方の遺書を残しておく方が良いだろう。

 

「この天気じゃあ明日の実機教習は全て中止だ。明朝は除雪車を走らすことから始めなくちゃな」

 

 ホカホカと湯気を立てる紙コップのコーヒーを持ちながら、恰幅の良い壮年の男が窓辺の近くへと歩いてきた。現在の俺の拠点であるノースポイント国際航空学校。そこで主席教育主任、つまりは教官職である俺の直属の上司とも言える彼の名前は、松岡という。

  ユージア大陸における一連の戦乱は、ようやく下火にへとなったのだ。つかの間の平和はたとえすぐに崩れ去る脆弱なモノであっても、世界にはそういう休息が必要だ。世界から傭兵の飯の種が根こそぎ無くなってしまうことが、傭兵であった自分自身であっても最高の世界の在り方だとすら思う。そして飯のタネが無くなった俺は、結局飛行機乗りとしての経歴を生かすほかにはなかった。一連の戦争において反逆の起点となった地、ノースポイント。そこに流れ着いた俺は、ありがたいことにこの航空学校に拾ってもらえることとなった。

 

「まぁエースな君はこんな天気でもへっちゃらだろうがな」

「教官は良くても生徒が墜ちる。そんな機体の後席には乗りたくはないね」

 

 二年前に放映されたとある番組によって、就任してから一年と少しだけでしかない俺は、今や知る人ぞ知る元エース、この航空学校においても名物教官として名が知れていた。それゆえに同僚からは煙たがれることもあり、俺目当てだと公言した学生すらもいたほどだ。そんな彼らには必ず俺はこう返す。絶対に戦闘機乗りになんてなるな、と。

 

 あのドキュメンタリー番組は、贔屓目無しで見ても非常に出来のいい作品であったと思う。今までずっと蓋をされてきた、あの戦争の真実。どこの教科書にも載っていなかった政治と欲望の入り乱れた混沌の戦いの行く末は、ようやく明るみにと出たのだ。誰にも知られずにひっそ 統括者の"本音"りと忘れ去られていくはずだった一連の戦いが、ようやくあるべき形へと収まったのだろう。それも、一人のエースパイロットを巡る活躍の中で。

 市井にはまず関わりのない空軍のエースパイロットという存在。彼らは軍の広報で広められるような空を舞う軍神等では無く、一人一人がれっきとした人間なのだ。軍という大きな存在の中で方向性を定められた活躍をしながらも、彼らには一人ずつ物語が存在する。そしてベルカ戦争という場は、戦乱と政治の入り乱れる中で、彼らの哲学が真正面からぶつかったのだ。その意志は、たとえ戦争が終わったとしても続く。そう、良くも悪くも。

 

「今年の新入生はどうかね。君にあこがれて入ってきた学生もいると聞いたが」

「あの番組を見て、よりにもよって俺の話を聞いて戦闘機乗りになりたいと思う奴なんか、この学校から蹴り出した方が良い。それがそいつ自身のためにもなる」

 

 にべもない解答だということは自覚をしているし、松岡主任もどうせそんな返答なんだろということは分かっていたみたいだ。そうかい、とクツクツと笑う彼は、視線をこちらに向けることなく立ち上がった。

 

「君は相変わらずのクールさだね。ただ、明日お送りする例の客人にはくれぐれも丁寧に接するように」

「当然だ。真っ当な箱に収まった仕事を箱型の通りにこなすことが出来なくては、今まで生きて来れちゃいないさ」

 

 そう、この現時点では航空学校の一教官に過ぎない身の自分には、秘密裏に行うべき依頼というものを上の方から受けていた。どうやら要人の輸送だというが、その人物の詳細はおろか、その上とやらがどこまでの存在であるかを示しているのかも分からない。この学校の上層部で止まってくれるなら幸いだが、己の直感はそれすらも突き破ったその先だと述べている。恐らくは軍部。ノースポイントの空軍がわざわざこの身に仕事を投げつけているのかもしれないのだ。

 

 そもそもの依頼内容もおかしな話だった。人員輸送なのだから当然中型のセスナ機でも使うのかと思えば、むしろ小型の練習機であるBAe ホークを使えと来たのだ。前席と後席のトータル2名しか乗ることのできない小型練習機で一体どんな人間を護送せよというのか。あの機体は、輸送目的で使うものではなく、戦闘機乗りの卵たちが戦闘機動を身に着けるために使うものだというのに。しかも行き先はニューフィールド島のアレンフォート飛行場だ。あんな辺鄙な地に一体何の用があるんだというんだ。

 

「そういうことだから今日は早く寝ておいた方が良いよ。明日一番で出ていくんだからな。折角のニューフィールド島なんだから、旨い刺身を堪能してくるんだよ」

「……生魚はまだ苦手なんだがな。まあ、何とか克服してみるとするよ」

 

 もう日常的に雪が吹き荒れる季節なのだ。そんな時期にニューフィールド島へ赴く需要人物なんて、裏を考え始めたら変なことに首を突っ込んでしまいそうだ。触らぬ神に祟りなし。俺がこの国で住み始めてから学んだ格言の一つを内心で復唱しながら、宿舎の方へと足を向けた。

 

 

* * *

 

 

「本日はよろしく頼む。ノースポイント海軍所属、グラーフ・ツェッペリンだ」

 

 息を吐けばまるで煙草の煙のごとく白く濁る。ノースポイント本島のなかでは南方に位置するというのに、その寒さはヴァレー空軍基地を思い起こさせる。しかもこの寒さは、いくら暖房がまだ効き始めていないとはいえ屋内の物なのだから驚きだ。

 機体整備班のメンバーと共に最終チェックを行った後にパイロット待機室へ戻ってみれば、予定の時間前だというのに本日のお客さんがもうやって来ていた。色の薄い金の長髪を背後に垂らし、既にパイロットスーツに着替えた彼女はこちらに向かい敬礼をした。

 

「どうも、今日のフライトを担当する……ガルムといいます。あと敬礼は止してください、ここは軍部じゃないので」

「そうか、それは失礼した」

 

 グラーフ・ツェッペリン。その名前は以前に聞いたことがある。ベルカの歴史のなかで登場する、知ってる人間ならばすぐに思い出すものだ。硬式飛行船の開発と運用を行った偉人、ツェッペリン伯爵。そしてその名前を授かり、いつの日か祖国防衛の任を期待されては実現のしなかった大戦時の航空母艦、グラーフ・ツェッペリン。目の前にいる女は、聞く人間がある程度の知識を有していればすぐにわかる偽名をいけしゃあしゃあと宣ったのだ。ならばこっちも対抗して、ちょっとばかし本名を隠してみようという悪戯心の一つも沸いてしまった。

 

「予定よりは少し早いですがもう出発しましょう。ただでさえこの風と雪だ。予報だとこの辺りは強くなる一方なのだから早く出るに越したことはありません」

 

 現在の風速計では東からの最大2 mの風を観測している。この向きでは南北に伸びる滑走路からの離陸をすれば横合いから殴り付けられること間違いなしだ。これが風速10 mともなれば、当航空学校の安全規定により間違いなく離陸は中止。依頼人には悪いが冬将軍が通り越してからのフライトになること間違い無しだ。だがそんな事情があっても、お小言の一つは降ってくるに違いない。

 管制塔もそんなことは百も承知であるそうで、多少の時間のずれならば別に構わないというお達しが既に出ている。第2ハンガーの中にある機体も、もう乗り込めばいつでもこの雪空に飛び立てるようにスタンバイ済みまできている。

 

 ハンガーへと続く廊下へと出ると、いっそうに強くなる寒さが頬を突き刺した。こんなんじゃ、既に滑走路へむけて開け放たれた第2ハンガーの中は極寒の地に変貌していることだろう。これから搭乗するわけじゃないのならば、ホットウィスキーの一杯でも煽らなければやってられない寒さは間違いない。

 今回の積み荷さんがきちんと着いてきているか振り返り確認してみれば、その華奢な体は遠目にみても分かるくらいに震えていた。言葉遣いこそ男勝りな雰囲気を感じたが、結局のところはただの若い女子供に過ぎないようだ。

 

 そして開け放つ第2ハンガーの扉。タイミングが最悪だったそうで、ちょうどハンガー外から風が吹き込んだ瞬間で、真正面から雪混じりの冷風を全身に浴びせられた。一応寒冷地育ち、その上ヴァレーで寒さへの耐性に磨きをかけたとはいえ、やはり寒いものは寒いのだ。ホットウィスキーは言い過ぎにしろ、暖かい飲み物くらいは口にしておくべきだったかもしれない。

 オイル臭くなることを承知の上でマフラーを首に巻いた整備班の面々に会釈をして、中央部に停められたホークへと歩みを進めた。同じ猛禽類の名前を冠するというのに、鋼鉄の鷲とくらべれば随分とちっぽけな大きさの機体。そんなものでも、今の俺には高級すぎる代物だ。今までに何名かの生徒を後席に乗せて昔を思い出しながらアクションマニューバ数点を披露しては、そいつらを着陸後に便所へ叩き込んできた名機でもある。

 

「この悪天候です。離陸時はかなり揺れるでしょうね。どうしようもなくなったら酸素マスクを外して座席横のエチケット袋を使ってください」

「うっ……なるべく使うことにならないよう善処する」

 

 操縦席へと乗り込むタラップへと足を掛けた。このはしごの手すりも、手袋無しで触ろうものならば震えあがるくらいに冷たいのだろう。キャノピーを閉めるまでは、この空間において冷風に晒されない領域なんてものは存在しないのだ。小狭な座席に座り簡単に計器のスイッチを確認していく。燃料の残り、そして無線通信の良好さ。管制塔の通信士と今日の寒さについて愚痴り合っている内に、後席の方でも準備が完了したそうだ。そのままキャノピーガラスを下ろしてようやく外界の冷気をシャットアウトし、そして整備士たちへ手で合図を行う。

 

 ガクン、と機体が動き出す小さな揺れが響いた。ホークをけん引する小型のトラクターがこちらを引っ張り出したようだ。案の定、滑走路外部の草原は一晩降り続いた雪によって真っ白に染まっており、滑走路本体も最低限除雪車で離陸に困らない程度には雪が撤去されているだけだった。小さな雪の結晶がキャノピーガラスに付着してはゆっくりと滑り落ちていく。ユージア大陸内部での湿っぽい雪なんかではなく、本格的な雪国特有のさらさらとしたものだ。ふと後席へと視線をやってみれば、そこにはひざ元に握りこぶしを置いて俯くお客の姿が見えた。緊張しているのだろうか、それとも飛行機そのものが苦手なのだろうか。エンジン系統のスイッチを確認しながら、後席へと話しかけた。

 

「どうですか。こんな小さい練習機、乗ったことなんてないでしょう」

「……それだけじゃない。私は今まで飛行機を飛ばす側の存在だったにもかかわらず、こうやって空を飛ぶこと自体が初めてなんだ」

 

 その言葉を聞いて、少しだけ驚くと共に同情心が芽生えた。人生における初フライトが、ほぼ絶対の安全性を約束された旅客機ではなく、こんな安定性のない小型練習機によるものだなんて。今までこの島国を出たことが無いのか、それとも高い客船を使っていたのか。どちらにせよ彼女にとって厳しい門出になることは間違いないだろう。

 

「なるべく安定した飛行を心掛けるので、適度に寛いでいて下さい。揺れるのは離陸と着陸の時だけだ。そこさえ我慢したら、あとは景色を眺めていることをお勧めしますよ」

 

 ともなれば、何故依頼主はこんな飛行機に任せることにしたのか。そんな裁定を下した人間の面を拝んでやりたい気分だ。確かにアレンフォート飛行場へ向かうには、この近辺の空港から出ている定期便はほとんど無いだろう。だからと言って空路が全くないわけでも無いし、何なら首都東京まで赴けばもう少しまともな旅客機は選ぶことが出来る。それに最悪、飛行機がダメだというならば連絡船で向かうという方法もある。時間はかかるかもしれないが、空を飛びたくないならば間違いなく最善の選択肢だ。

 

「どうせなら海路を使うっていう手段もあるんですがね。お客さんの上司は随分と無理を言う人だ」

「……最近は海を行くことは危ないんだ。ガルム氏も聞いたことくらいはあるだろう」

 

 彼女の言う危ない、という言葉に少しだけ違和感を覚えた。確かに最近ニュースを見ていると、近隣の港から出る船の休航が出ていることが多いという気はしていた。だが、それが海路そのものが危険地帯になったということにはつながらない。てっきり今までは海流の変化や気候の荒れによってそうなっているものとばかり考えていたが、もしかしたら違うのか。ただなんとなく、この先突っ込んだ話をすると、良からぬことに巻き込まれかねないと直感が告げていた。適度に彼女の話をいなしつつ、それ以上のことを聞くのは止めた。

 

 機体の挙動が止まるとともに、トラクターから降りた作業員がけん引用の器具を外して行く姿が目に入る。飛び立つ前の最後の挨拶だ。雪が入り込むことを覚悟の上でキャノピーガラスを少しだけ開けて、牽引車に戻ろうとする作業員へ声を掛けた。

 

「ご苦労様。朝っぱらからすまないな」

「そっちこそ、このクソ寒いときにご苦労なこった!! あと一時間後にはここいらは吹雪だ。くれぐれも乱気流に飲まれるなよ!!」

 

 そういうと、彼はトラクターの扉を閉めてハンガーへと戻っていった。このまま雪の勢いが強くなるのだろうから、彼の今日の仕事には練習機のけん引は含まれることも無いだろう。彼の乗る車が十分離れたことを確認して、ようやくエンジンのスイッチを押し込んだ。

 急激に震えだす機体の座席、そして響き始めるジェットエンジンの回転音。慣れない人間からしたらただの騒音だが、これでもイーグルよりはよほど静かなものだ。そもそもの馬力が違うのだから、マックスのエンジン音も精々この程度である。タキシングには十分の動力を得たホークの小さな機体は、そのまま滑走路に向けて走り出した。

 

『管制塔より06番機へ。そのまま滑走路端まで向かえ。滑走路脇の雪の山にはくれぐれも突っ込むなよ』

「こちら06番機。そんなヘマをかませば整備士たちがスパナ片手に殴りかかってくる。風が強くなる前にとっとと出かけるよ」

 

 一年間もこうやって同じ基地で空を飛んでいれば、管制塔との通信も冗談交じりのものになる。ここはお堅い国際空港じゃないんだ。この独特の一体感というものは、傭兵として空を飛んでいた頃を思い出させる。誘導路を走り開始ポイントまで到達した機体が、滑走路へ入る道を転回しながら進む。

 

『離陸前の最終チェックを実施せよ。エチケット袋は持ったか?』

「エンジン音、ラダーやスポイラー、燃料の残量全て異常なし。ゲロ袋は普段の倍を詰め込んでいるから安心しな」

 

 操縦桿を動かしてキャノピー外に見える翼後方部の動きを簡単にチェックしていく。全くの問題なし。あとはスロットルを一気に押し込むだけだ。

 

「それではこれより当機は発進します。シートベルトは……問題なしか。揺れるからお気を付けください」

「わ、分かった」

 

 明らかに緊張して上ずった声が後ろから聞こえてきた。せめて意識のあるうちにエチケット袋を用いてくれれば、最低限掃除の心配もない。それだけを心残りとして、一気にスロットルを押し込んだ。エンジン音が一気に高音になるとともに急加速が引き起こす体への締め付けが降りかかる。キャノピーについていた雪は全てが弾き飛ばされ、速度計はぐんぐんとそのメーターを上げていく。速度は十分。最終離陸ポイントよりも余裕を持った手前で、操縦桿をゆっくりと引き始めた。体が下へと押し付けられる感覚、そして離れていく滑走路の点滅灯。人生のかなりを飛行機を飛ばすことに費やしてきたのだから、全ての工程は全く持って慣れたものだった。

 一度空中に飛び出せば、突風にでも煽られない限り滑走路を爆走するよりも揺れることは少ない。普段以上に上昇の仕方には気を使いつつ後部座席に目を向ける。この悪条件の中にもかかわらず自分の中では最高レベルの安定した離陸を披露したが果たして後席のビギナーはどういう感想を抱いているのだろうか。そして確認したことを後悔しそうなほどに、ヘルメット越しでもわかるほど顔を蒼くした彼女の姿が目に入った。

 

『06番機の離陸を確認。いい旅を』

「管制塔へ。誘導を感謝する。なるべく機体内部を汚さないように細心の注意を払うよ」

 

 彼女の吐き気が収まるのと東部の低気圧の魔の手から逃れるのは、果たしてどちらが先だろうか。それだけを考えながら、巡航高度を目指して操縦桿を引き続けた。少なくとも今回の飛行はただ目的地を目指した客員輸送。いってしまえば遊覧飛行の親戚だ――そう、そのはずだったんだ。

 

 

* * *

 

 

「クソッ……どうなっていやがるんだ」

 

 結論から言おう。この旅路は、ただの遊覧飛行に収まるものでは決してなかった。もはや後部座席が云々だなんて心配などしていられない。エンジン出力を敢えて落としながら機体向きを反転させ、操縦桿を目いっぱい引き込んだ後に再度スロットルを限界まで押し込んだ。小型の練習機だからこそできる、完全な戦闘用のマニューバだ。

 

「メーデーメーデー!! 誰でもいい、応答しろ!! こちらノースポイント国際航空学校所属機。現在不明機の攻撃を受けている!!」

 

 全周波数に設定した無線通信機に大声で叫びかけた。そしてその間も、こちらの尻を取ろうとする黒い影から目を離さずに操縦桿を握り続けた。後方の目測300フィートを切った所属不明機から逃げ惑う中で、その機体前方部から橙色のフラッシュが上がる瞬間を目にした。冷や汗と共に機体を再度低空に向けて走らせる。

 無警告で後ろを追い回すだけならばまだしも、その上機関砲まで射撃してくるということに驚きと憤りが入り混じる。仮に領空侵犯があった場合であっても、普通であれば実弾射撃を行う前に赤い曳光弾による警告射撃から入る。連中のような、いきなりの機関砲一斉射撃など、国際法のルールを著しく逸脱しているも甚だしい行為なのだ。

 

 ただ幸いしたことに、今操っている機体は輸送用のジェット機ではなく俊敏な小型練習機なのだ。もはやどういう機構で空を飛んでいるのかすらも分からない謎の国籍不明機に追い回されたのが前者であったならば、遭遇から一分も経たぬ間に撃墜されていただろう。ホークというこの小さなジェット機は、少なくとも目的地方向に向かって戦闘機動を絡めつつ逃げることは出来ているのだ。

 しかし、もしかしたらこの不明機の襲撃は織り込み済みなのかもしれない。今回の依頼が、わざわざこの俺を名指しで、しかも使用する機体までもを指定してきた。現時点でも手一杯だというのだ。戦闘機経験が浅い同僚の教官が同じ状況に陥ったとしたら、この空域を生きて抜けられるかも分からない。

 

「おい後席!! アンタ、何か隠しているんじゃないか!?」

 

 その問いかけに対する返答はゼロだった。急旋回をかました辺りからもう既に後ろからの叫び声は聞こえなくなり、現時点ではもう完全に失神しているのだろう。何か有益な情報を聞き出そうだなんて考えは、もう完全に潰えたのだ。

 

『――ザザ――ちらISAF空――ザ――術航空隊。襲撃を受けている機は至急応答せよ!!』

 

 よもやこれまでか、とまで覚悟を決めていた機内に、ノイズ混じりの通信が一本入り込んだ。ISAF、それも空軍機の参戦。ひたすらに後方、そして側方からも迫りくる敵機を低空退避でいなしながら、通信機に向けて唾が飛ぶ勢いで叫ぶ。

「待ってたぜ、ヒーロー!! こちら当該機、ノースポイント国際航空学校の練習機だ」

『そのままの進路で直進せよ。あと30秒、何としてでも持ちこたえてくれ!!』

 

 簡単に言ってくれる。敵の数はおそらく四機。戦闘用のレーダーなんて搭載されていないこの機体では、今や化石のような手法である目視の索敵を行うしかない。後方と横、そして上の三方向から黒い敵機の影が見え隠れしていた。連中の機体から放たれる識別灯にしては大きな翠や橙色の光が、せめて目視を助ける要素となっていた。

 

 迫る海面、そして一気に引き上げる機首。もはや後席のビギナーがどうのこうのなんて言っていられない。ここまでの強烈なGは久しく味わっては居なかった。頭から一気に血液が不足していき、そしてブラックアウトの前兆が視界の端から迫ってくる。速度を限界まで上げようが、彼らを一気に引き離すことは敵わない。しかし、それでも少しずつ距離を離すことは可能だったようだ。急激な上昇を行うホーク、その背後でこちらに追いすがろうと敵機影がまとまりを形成していく。

 

「タリホー!! 敵は四機、無線通信に応答する様子は皆無だ!!」

 

 その一団となった連中のそれぞれが、機関砲の射程圏ギリギリのこちらに向かって弾をバラまき始めた。速度を落とさないように機体を左右に振り、すぐ脇を弾幕に混じった赤い曳光弾の光線が掠めて通過をしていく。適当な射撃だって、その発射元が四もそろえばいつかは当たる。ISAFの機体はまだか。ただそれだけを考えながら、ヤケクソになって操縦桿を上下左右に動かしながら射線上から逃れようと機体を動かしまわる。

 

『そちらを捉えた――"メビウス1"、エンゲージ!!』

 

 歯を食いしばり戦闘機動に耐えていたその頭の中に、今とんでもない単語が入った気がする。キャノピー後方へと向ける視線、その先に見える翠と橙色の光を放つ国籍不明機の編隊。そのうちの翠色を放っていた機体が、急に姿勢を崩したと思えば砕け散る瞬間がヘルメット越しの目に飛び込んできた。

 

『足並みが崩れたぞ。各機、一気に潰せ!!』

 

 そんな通信が聞こえてきたと同時に、視界の遥か上方から曳光弾の弾幕が後方の敵編隊へと降り注ぐ瞬間を捉えた。なんだかよく分からないが、少なくとも味方勢力の応援が来たことは間違いがない。ホッとするのもつかの間に、すぐに視線を前に戻して計器へと目をやった。燃料計は大分浪費したとはいえまだ十分。少なくとも目的地前に制動を失ったグライダーにはならないだろう。そして相変わらず、後席の客は失神中。むしろこの逃げるだけの空戦時に意識を保っていなかったのは幸運だったかもしれない。ただでさえ目が回る中で、敵機に追い回される緊張感が混じれば、ビギナーは即吐しゃ物をぶちまける。

 

『こちらメビウス1。当該機、こちらの位置は分かりますか』

「……ああ、見つけた。F-22A、ラプター。聞き間違えじゃなかったか」

 

 視線を右上へと向けると、曇り空の中で同じく空を舞う鋼鉄の翼を見つけることが出来た。後方から見てもよくわかる、斜め方向に伸びるラダーとステルスに配慮をしたシンプルなフォルム。流石にその尾翼に描かれた例のマークまでは確認することは出来ないが、それでもコールサインからしても間違いないだろう。あの機体は、数年前の戦争で英雄となった、ISAFのトップエースたるメビウス1だ。

 

「ISAFのトップエースが出てくるってことは嬉しい反面ただ事じゃないってことか。直々にアンタを見ることが出来て、今日は不運と幸運がドッグファイトしているようだ」

『……これより当機がそちらを護衛します。こちらへ続いて下さい』

 

 流石に馴れ馴れし過ぎたか、数秒の沈黙の後にそのF-22はゆっくりと高度を下げていった。もうニューフィールド島まではあと少し。意識を戻した後席の客人が、その思いを機内にぶちまける前に到着しておきたいものだった。

 

 

* * *

 

 

[ニューフィールド島市街地 2007年11月20日 15時16分]

 

 

『――アンタは、ウチで空を飛んでもらうことになった』

 

 その言葉を聞いて、俺は受話器を叩きつけそうになった。電話先のコイツが言っていることは、説明も何もないから的を得ないしその理由も分かるはずもない。しかし言わんとしている内容は流石の俺にだってわかる。どこかの空軍に所属しての飛行機乗りになれ。奴は、この俺に軍へ復帰しろと宣っているのだ。振り上げた受話器、しかしケーブルに繋がったそれはあるところまで伸びたら本体までもが引っ張られた。そこまで来て頭が冷え、再度受話器を耳にあてる。

 

「俺はもう十分空を飛んだ。俺が地上に降り立ったことだって、お前は知っているんだろう」

『……武装も何もない練習機であそこまで動けるアンタが、現役を退いたとでも?』

 

 それを聞かされて、決定的な違和感が頭を過った。なぜコイツは、俺がこのニューフィールド島への道すがらで国籍不明機に襲撃されたことを知っているんだ。それ以上に、練習機でここへ飛んできたことだって本当であれば知り様も無いはずだ。今回の依頼は全て秘匿されているはず。この男が今日の俺の行動を把握している理由など――そう、一つしか存在しない。だが、そんなことなどあり得ない。

 

『今日のフライトを見て確信した。アンタの腕はまだ全く鈍っちゃいない。アヴァロンの空で見た時と、何ら遜色が無い。だからこそ俺はアンタをISAFの特務部隊へと推薦することを決めた。これは、軍の上層部も認めた決定事項だ』

「お前、まさか……」

 

 もはや受話器を落とさなかったことは意地に近かった。信じられるわけがない、しかし信じるしかない。大陸全土を巻き込んだ戦争で一躍有名になったリボン付きの英雄が、まさかアヴァロンの空でそれぞれの哲学をぶつけ合った、宿命の敵同士だっただなんて。

 

『……ラリー。アンタにはこれからISAF空軍第118戦術航空隊、ニューフィールド島分遣隊の隊長として働いてもらう』

 

 受話器の向こう側で、青臭かったあの小僧――パトリック・ジェームズが淡々と告げる内容を、半ば呆然としながら聞いていた。




メビウス1が――ってネタはたしかどこかで見た覚えがあるんですが思い出せないのが悲しいところです。
こんな感じで Ace Combat 4.1 The Unrecorded ZERO とか始められたらいいなァ(願望)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。