ある日突然中世フランスに   作:満足な愚者

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いつもより文字数が多くなりました。申し訳ない。

そしてジャンヌは確か十二歳の時に啓示を受けましたが、ここではまだ受けていません。なんで突っ込まないでくれると作者は嬉しいです。


第四話

雨が降っていた。部屋に唯一ある小窓からそとを見れば、灰色の世界。幾重にも斜めに走る銀箭が辺り一面を水墨画の世界に変えんとしている。

 

昨日の夜から降り始めた雨は、夕方になっても止む様子を微塵も見せず、その雨音を時には強め、時には弱めを繰り返している。その降り方はまるで辺り一面を海に変えんばかり……。俺としては川が氾濫する前にどうにか止んでほしいと願うばかりだ。まぁ、俺が願ったところで、降るものは降るし、止むものは、止む。一人の人間の力では天気はどうしようもない。

 

まぁ、そんな雨のおかげで今日の農作業は中止。久しぶりの休日となった。いつも勝手に侵入してくるジャンヌは今の時間は教会でお祈りの真っ最中。

 

だから、今日は本当に久しぶりに一人で部屋にいることになる。いつもは何だかんだ言って誰かといることが多いし、その誰かと言うのも元気活発なジャンヌが多い。なのでこうして一人で何もしないと言う時間がどこか新鮮で、どこか珍しく感じた。

 

晴耕雨読。晴れの日に耕して、雨の日は本を読む。

 

思えば日本では中々出来ないし、しようとも思わない暮らしを今はしている。

 

そりゃ、苦労も多いし、不便も多い。何と言っても21世紀の日本と比べて6世紀近くもタイムスリップをしてるんだ。ギャップなんて腐るほどある。携帯も無ければパソコンもない、そして、電気もなければ、水道だってない。勿論、電波なんてあるはずもない。

 

でも、生活は不便でもここで得られたものは多い。例えば、こういう風に雨の音をゆっくりと聞く機会なんて日本ではなかった。そこのアンタもそうじゃないか?

 

机に座りながら紙と向かい合い、雨の音に耳を傾ける。中々どうして悪くない生活じゃないだろうか?

 

少なくともダメ大学生で腐った生活を送っていた昔よりかは、今のほうが俺は幾分か気に入っている。そう、今はまだ俺はこの暮らしを気に入っていた。

 

――それがいつまで続くか……とりあえず、その考えは置いておこうと思う。

 

 

 

 

そんな感じで暫く雨音に耳を傾け、机に座り紙と格闘している時だった。

 

扉を開く音が聞こえた。相当、勢いよく開けたと見え、雨音にまぎれここまで聞こえてきた。

 

両親は俺と同じで今日は家にいるし、どこかに出かけるとかいう話も聞いていない。と、言うことは後は消去法ですぐに答えが導き出される。元よりここまで扉を酷使する人間なんて日本に住んでいた時も含め、一人しか知らない。

 

そして、聞こえてくるドタドタという足音。最近は、随分と大人びて来たと言うのに、今日はどうしたのだろうか。

 

まぁ、アイツのことだ。きっと、ただ元気が有り余って云々といった話だろう。昨日から降り続く雨のせいで外で遊べずにフラストレーションが溜まっているに違いない。

 

そして、開かれる俺の部屋の扉。背中越しにでも分かる扉を破壊せんばかりの音に、思わず予想のままだと笑みがこぼれる。

 

そして、次に出る言葉は、お兄ちゃんっ! と言う元気な叫び声に違いない。

 

俺がそう予想したところで、背中にかけられた声、

 

「……ぉ、お兄ちゃん……」

 

何時もと声色が違う。

 

何時もなら「!」マークが語尾に見える錯覚を起こすほど元気はつらつとした声なのに対して、今日はまるで消え入りそうな声。まるで張りがなく、泣きだしそうにも感じられた。

 

「どうした。何時にもなく元気がないじゃないか?」

 

これは何かあったか。

 

そう思い振り向く。

 

そして彼女と目が合う。陶器のような透明感を持った頬を朱にそめ、大きな瞳には大粒の涙を浮かべたジャンヌがそこにいた。恐らく傘も差さずに急いできたのだろう。ジャンヌは上から下まで濡れ鼠で。ポタポタと落ちて来たしずくが床にシミを作る。

 

「――っ」

 

予想をはるかに超える彼女の風貌に、声が出なかった。

 

確かにジャンヌは泣き虫でよく泣く。でも、それには必ず理由があって、このように俺の家を泣きながら訪れる何てことは今まで一度もなかった。

 

「―――――――っ。お兄ちゃん」

 

ジャンヌは俺の顔を見るなり、感情が表に溢れるのを我慢できないかのように俺の胸へと飛び込む。

 

雨に打たれ続けたせいだろう。ジャンヌの体は冷たかった。

 

暫くの間、ひっく、ひっくと嗚咽をこぼしていたジャンヌが顔を上げる。碧眼の綺麗な目は、少しだけ目尻が朱に染まっていた。

 

「ぉ、お兄ちゃん……?」

 

「なんだ」

 

ジャンヌを安心させる様になるべく優しい声色を使う。

 

先ほどから予想外過ぎる展開で少しばかり頭が混乱している。いつも笑顔なジャンヌがこんな風になるなんてよっぽど何かあったはずなんだろうが、その何かが分からない。

 

原因は分からないが、でも、それはきっと、よっぽどのことが在ったはずだ。

 

――そしてジャンヌは口を開く。その顔はどこまでも真剣で、どこまでも真面目だった。

 

「お兄ちゃん――結婚するってホント?」

 

なんだ、そんな事か。

 

――思わず笑みが零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、機嫌直せって」

 

「別に私、怒ってるわけじゃないもん!」

 

「はいはい。それは悪かったな」

 

ジャンヌの髪に櫛を通しながら、ジャンヌの機嫌を直そうと努力する。

 

笑ったのが悪かったのか、それとも、ただ本人が恥ずかしいだけなのか、それはジャンヌしか分からないことだが、先ほどからジャンヌは真っ赤に染めた顔を手に抱いた俺の枕に埋めつつ、椅子に座っていた。

 

「でも、あれだぞ。お前が、子供たちの噂話を勝手に本当だと思い込むからいけないんだぞ」

 

「だって、みんな言ってたし……」

 

「小さな子だけだろ。大人に確認とらずに勘違いしたお前が悪い。それに、俺とアイツはそんな関係じゃないって知ってるだろ。アイツと俺じゃ身分が全然違うし、結婚なんて無理だよ」

 

先ほどの話の続きをしよう。ジャンヌがこの家に駆けこんで来た理由だ。短くまとめると、どうやら、俺が結婚すると言った噂をジャンヌはまともに受け取ってしまったらしい。

 

ことの発端は暇があったら面倒を見ている村の子供たちが俺と同年代の女の子と俺が結婚するらしいと勝手な憶測をたてて噂にしたことだった。そして、その根も葉もない噂をジャンヌが聞いた、ただそれだけのことだ。

 

勿論、そんな噂はあり得ないことだ。俺は、しがない農家で、彼女の家はこの辺りで一番大きな地主。身分が天と地ほど違う。フランス革命やらで平等主義の先端を走るフランスだが、それはまだ未来の話で、今はバリバリの身分社会。よほどのことがない限り、彼女との結婚はない。

 

それに俺は森からパッと湧いて出たような身元不明と言う経歴を持っている。そんなよく分からん男に誰が娘を預けるというのだ。

 

少し考えれば嘘だと分かる噂話。まぁ、それをまともに受けるだけ、ジャンヌはある意味で真っ直ぐな子とだと言えるだろう。将来、詐欺にあわないか、今から心配だが……。

 

「……うぅ」

 

まだ恥ずかしいのかジャンヌは枕に顔を埋める。うなじまで赤く染まっているところを見るに、顔の方はゆでタコだろう。

 

「よし、OK」

 

一通りジャンヌの髪を櫛でとき終える。そもそもの話、このサラサラな髪を櫛でとく意味があるのか、と男の俺は思うのだが、お袋がやってやれと言うのならやった方がいいのだろう。俺にはその辺りの感覚がイマイチよく分からん。

 

「それで、今日はどうするんだ? 服は今日中には乾かんと思うから今日は悪いが、その服で帰ってくれ、少しばかり大きいだろうが、そこは我慢してくれ」

 

ジャンヌが今着ているのは俺の普段着だ。今年の初めに十三歳の誕生日を迎えたジャンヌは背もだいぶ伸びたが、俺の方が言うまでもなくデカい。貸した服も袖を二重三重におらないと手は出ないし、ズボンに限ってはウエストが合わなすぎるため上からヒモで縛っているといった有様だった。

 

まぁ、それでも濡れた服を着るよりかはましだし、それに家に帰れば代えの服もあるだろう。ジャンヌの家から我が家までは5分もかからん。なのでちょっと辛抱だ。

 

「ぅん……それなら大丈夫」

 

枕に顔をうずめたままジャンヌは応える。

 

「そうか、そりゃよかった。服はそのうち返してくれればいいから」

 

「ううん、そうじゃないの」

 

「そうじゃないって?」

 

「今日は私、ここに泊まっていくから、家に帰らないの」

 

と、未だに枕から顔を上げずに、籠城を決め込んでいるジャンヌは爆弾を投下するのだった。

 

「は……はぁ!?」

 

 

そりゃ、どういうことだよ? そう俺が聞こうとするよりも前に、

 

「お婆ちゃんが、今日は濡れて服も乾かないだろうから泊まっていけばいいって言ってくれたもん」

 

「でも、お前の両親の許可が……」

 

「それも、さっきお婆ちゃんが買い物ついで取って来てくれたもん」

 

「……そ、そうか」

 

なるほど、リビングで何やら二人で話していると思ったらなるほどそういうことだったのか。

 

全く、お袋も何を考えているんだか……。

 

ジャンヌを帰らそうにも、ウチのお袋はジャンヌが泊まることを了承したし、ジャンヌの口ぶりからするに向こうの両親の許可も下りている、と。多数決では既に負けが確定しているし、それにさっき泣き顔を見ている手前、どうしても下手に出てしまう。何というか気まずいのだ……。

 

「はぁ……」

 

ため息を一つ吐き、ジャンヌを見る。先ほどから椅子の上に枕を抱えながら座る体勢で微動だにしない。

 

俺のすべきことはまずはジャンヌの機嫌を直す事だろう。

 

考えてみれば別に俺が悪い要素はどこにもないのだが、まぁたまにはいいだろう。

 

屋根を叩く雨音は止む気配がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うーん、やっぱりお婆ちゃんの料理は美味しいよ!」

 

夕飯を食べ終わるころにはジャンヌの機嫌もよくなり、いつものように笑顔で活発な声に戻った。

 

「そうかそうか、それはよかった。お前が美味しそうに食べてくれるからお袋も喜んでいたよ」

 

俺としてもジャンヌはこっちの明るい方が好きなので、調子が戻って何よりだった。

 

「今度お婆ちゃんが料理教えてくれるんだって! 楽しみだなぁ」

 

すっかり元気になったジャンヌは目を輝かせる。

 

「そりゃ、良かった」

 

「お兄ちゃんにもそのうちお弁当作ってあげるんだ」

 

「期待せずに待ってるよ」

 

「むぅ、弁当なんて作れっこないとか思ってるでしょ……。ぜっーたい、お兄ちゃんがびっくりするようなお弁当作ってみせるんだから!」

 

適当に返事をしたことに怒っているのか、ジャンヌは頬膨らませ、むぅ、と唸る。本人としては、私怒ってますということを表現したいのだろうが、いかんせん迫力と言ったものが全く足りない。これではハムスターやリスとどっこいだ。

 

「はいはい、それじゃあ明日も朝早いし、寝るぞ。そこのベッドは好きに使っていいからな。それと念のために窓の鍵は閉めとけ」

 

さてと、俺は腰かけていた椅子から立ち上がると、部屋を出るためにドアノブに手をかける。

 

流石にジャンヌと一緒の部屋には寝れんので今日はリビングにでも寝るつもりだ。昔の偉い人は言いました、男女七歳にして席を同じゅうせず、と。

 

「お兄ちゃん、何処に行くの?」

 

そんな俺の背中に掛けられたのは、不思議そうなジャンヌの声。

 

「いや、リビングだけど。俺は今日はリビングで寝るから、何かあれば言ってくれ」

 

そう言って、一歩踏み出した足が、

 

「何言ってるの、お兄ちゃん? リビングで寝なくてもここで寝ればいいじゃん」

 

止まった。

 

「ここってここにはお前が寝るベッドしかないぞ」

 

「うん、だから、このベッドで私とお兄ちゃんが一緒に寝ればいいじゃん。私もお兄ちゃんも太ってないから少し狭いかも知れないけど一緒に寝る分には問題ないよ」

 

「おい、ガキんちょ、言っている意味分かってるのか?」

 

俺の問いかけに、

 

「うん」

 

即断で頷くジャンヌ。その顔を見るだけで分かる。コイツは絶対に分かっていない。何なら賭けてもいい。

 

そして、今の俺の顔は何とも言えない微妙な顔になっているに違いない。

 

「さぁ、早く入って入って。私寝相があまりよくないからベッドから落ちちゃうかもしれないから、壁側ね。で、お兄ちゃんはこっち」

 

頭を抱えたい俺を横目に、ジャンヌはベッドの壁側に寝転ぶと、その横の空いているスペースをポンポンと叩く。

 

「それに最近暖かくなってきたっていってもまだまだ気温は低いし……。でも二人で寝れば暖かいし、風邪を引く心配もないね」

 

どうやら、彼女の中では俺が一緒に寝ることは確定事項らしい。そして、彼女の中では一緒に寝ることが当たり前だと思っているようだった。

 

「いやだから、俺はお前と一緒には寝ないって。今日はリビングに――」

 

そこまで言いかけた時、騒がしくベッドの上をパタパタと動き回っていたジャンヌが静かになった。

 

「お兄ちゃんは私と一緒に寝るの嫌なの? 私の事嫌いなの?」

 

なんで、そんな泣きそうな顔してるんだよ。

 

「――はぁ。分かった。今日だけだぞ、今日だけ」

 

その瞬間、先ほどまでの悲壮感に溢れた顔は何処かへ行き、花の咲く様な笑顔に変わるジャンヌ。

 

「うん、お兄ちゃん大好き」

 

全く男というのは、なんでこうも女の子に弱いんだろうな……。

 

そう思うのと同時に、とりあえずジャンヌには読み書きソロバンの前にもう少し貞操概念について教えておくべきだったと遅い後悔をした。

 

「えへへ、お兄ちゃんだぁー」

 

「おい、こら抱き着くな。もう少し向こうに――」

 

「――だって、これ以上は壁で行けないもん。狭いベッドだからこうして抱き着いた方が場所取らなくていいじゃん」

 

こうして、騒がしくも夜は過ぎていく。

 

勿論、俺とジャンヌはただ一緒に寝ただけであって、何か特別なことが起きたりだとか俺が手を出したりとかは一切ない。

 

ジャンヌはただの妹分で、それ以下もそれ以上でもないのだ。

 

このところだけは信じてくれると助かる。それに何かあったのならこの小説の対象年齢を引き上げないといけないしな。決してそんなことはなかったと断言しておこう。

 

え……? 描写が少ないって……?

 

何が楽しくて、こんな黒歴史に近いことを自らの手で詳しく描写せねばならんのだ……。でも、ただ言えるのは第二成長期真っ只中のジャンヌの体は若い男子には毒だったと言うことだけ書かせてもらおう。




作者は妹、結婚などの言葉を聞くと何故か漱石先生のこころが頭の中に浮かんできます。ついこれを書いている時も読み返したくなり、ついつい読んでしまいました。漱石の中では二番目に好きな作品です。以上、宣伝になっていない宣伝でした。

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