捻くれた少年と海色に輝く少女達 AZALEA 編 作:ローリング・ビートル
早朝の内浦の町。
まだ陽が昇り始めたばかりで、風は少し肌寒いくらいだが、そんな町中を二人分の人影が走っていく。片方は軽快に、もう片方はやたら必死に……
「はっ……はっ……」
「はぁ……はぁ……ああ、やべ……」
「あはは、喋ると余計疲れちゃうよ?」
「はぁ……そういう……はぁ……お前は……はぁ……疲れて……はぁ……なさそうだな……はぁ……」
「器用な喋り方だねえ。その分なら、もう少しスピードあげてもいいかな?」
「っ!?」
そう言って、松浦は少しずつペースを上げ始めた。まるで、まだ余力はたっぷりあると言いたげに。
……なんだこの、敵が変身を何段階か残していると知った時のような気分……。
前を走る彼女のポニーテールが元気に跳ねるのを見ながら、俺は何とか足を動かした。
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「はい、お疲れ」
「……どうも」
「もう、初日から無理しすぎだよ。疲れてるなら疲れてるって、言ってくれればいいのに……」
「…………」
やたら長い階段を上がり、頂上まで登ったところで、俺は地面にへたりこんでいた。
こちらを見下ろしている松浦の呆れた表情を見ていると、割と悲惨な状況らしい。
……ていうか、こいつはなんで全然疲れてないんだよ。
「……ていうか、こいつはなんで全然疲れてないんだよって顔してるねぇ」
「……エスパーかよ」
「だって、そんな顔してるよ?まあ、私も全然疲れてないわけじゃないんだけどね。でも慣れてるから。比企谷君もすぐに慣れるよ」
「すぐには無理だろ……」
「大丈夫大丈夫っ。ほら、そろそろ戻らないと。仕事の時間になっちゃう!」
「…………あ」
そうだった。当たり前の話だが、今からこの道を戻らなきゃいけない。すっかり忘れてたわ……。
俺はなけなしの気合いを入れて立ち上がり、松浦に続いて、来た道を戻り始めた。
*******
それから、くたくたのまま何とか仕事をこなし、学校に行く為通学路を歩いていると、前から誰かが歩いてくるのが見えた。
それだけなら別に普通の事なのだが、その人物は見覚えのある奴で、なおかつその視線がこちらに固定されているものだから、つい立ち止まってしまう。
艶やかな長い黒髪を風に泳がせながら、彼女は……黒澤姉は俺の前で立ち止まり、しっかりと目を合わせてきた。
「おはようございます。八幡さん」
「……お、おう、おはよう……」
割と近い距離に来られて、つい噛んでしまう。ATフィールド、あっさり破られてんだが……。
しかし、彼女はそんなことお構いなしに、その桜色の唇を動かした。
「今、果南さんの所で働いてるそうですわね」
「まあ、働いてるっつーか、ちょっとした手伝いだ。そんな大層なもんじゃない」
「そうですか……果南さんの事、是非よろしくお願いしますね。彼女、無理しすぎるところがありますから」
「?……わかった」
何故よろしくお願いされたかはわからないが、そうやって頭を下げられると、こちらも頷くしかない。
「……足引っ張らない程度には真面目にやるつもりだ」
「ふふっ、小町さんの言ったとおりですわね。それじゃあ、今の言葉忘れないでくださいね」
「あ、ああ」
果たして小町が何を言ったのかはわからないが、こちらとしては決めた事をやるだけだ。
その瞬間、あの部室の中の穏やかな風景が、はっきりと甦り、胸の奥を確かに揺らした。
*******
翌日。
「比企谷君ってさ、進路とか決めてる?」
「…………ん?」
「ん?じゃないよ~。ぼーっとしてたな?」
「いや、作業に集中してただけだ。てかどうしたんだ、いきなり?」
「別にただ聞いてみただけだよ。答えたくないなら無理に聞かないけど」
唐突な質問すぎるが、とりあえず今の考えをそのまま口にした。
「……まあ、進学だな。つっても、どこにするかは決めてない。そもそも引っ越しは予定外だったからな」
「そっか。……千葉に戻りたいの?」
「まったく考えないわけじゃないが、一応家出るつもりだったし……てか、そっちはどうなんだよ」
同じ質問を返すと、松浦は眉を曲げ、やたら真剣に悩み始めた。
「ん~~、私もまださっぱり……その、やりたいことがないわけじゃないんだけど……」
「……そっか」
やりたいことが気になったが、デリケートな内容なので、頷くだけにしておくと、彼女は頭をかき、立ち上がった。
「あ~だめだ!考えすぎたらウズウズしてきた!よしっ、私泳いでくる!!」
「はっ?いや、まだ4月なんだが……」
「大丈夫っ、慣れてる!」
「えっ、いや、だから、ちょっ、おまっ!」
止める間もなく、彼女はそのまま店を出て、綺麗なフォームで海に飛び込んだ。
そして、つい見とれるくらい鮮やかに水飛沫をあげて、しばらくしてから水面に姿をあらわす。
「あははっ、比企谷君もどう?」
「…………」
きっとこの時の俺はどうかしていたのだろう。
彼女のあまりに輝いた笑顔を見ていると、すごく気持ちよさそうで、つい自分も飛び込んでしまっていた。
綺麗なフォームとは無縁だし、あんな笑顔はできそうもないけど……
「ふふっ、感想は?」
「……寒っ」