感謝感謝。
~友への唄~
「あの……大馬鹿野郎」
訃報を聞き、俺はそう言葉を吐き出す事しか出来なかった。
「さんざん俺達には船と共に逝くなと言っただろうがあ」
歯が砕けそうな気がするほど、歯を食いしばってしまう。
だが、それでも構わないと思うほど悔しかった。
あいつこそ生き延びてほしかったと、あいつがいれば俺達は後を託せると。
「長野……お前がいたからこそ俺達は……」
無責任に感じてしまうような言葉が紡がれてしまう。
海軍学校の出会いから今に至るまで、どれほど頼りっぱなしだっただろうか?
腹が立つほどの正論と、誰も想像できないような戦略や戦術、幅広いで収まらないほどの富国強兵方法。
そして、……青臭い軍人としての心を語っていた。
『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』
孫氏の有名な一節であり、長野が何度も引用していた至言の1つでもあった。
「精神論で物事の全てを片付けようとするなど愚の骨頂だ。
現実も見ずに勝てると言えば童の絵空事でしかない。
何を以てして勝てると言うのだ?
たとえ勝ったとしても現実は物語ではなく死ぬまで続く。
漁夫の利を狙う輩・獅子身中の虫は常に存在している。
そして指揮官となれば敵を殺すこともそうだが味方に死ねと命令できるのか?」
海軍学校時代に同期達と浮かれた将来を語っていた時に、冷や水をぶっかけてきた長野。
「学者気取りか? 軍人たるもの、華々しく戦果を挙げる事を夢見て何が悪い!?」
酒も入っていたこともあり、長野の正論に痛いところもあったせいか、容易に激高していた。
「戦果? その戦果の影では死体が乱雑に積み重ねられていることとなる。
国を守る・抑止力だといえば聞こえはいい。
だが根本にあるのは、如何に効率よく殺人を行える機関ということだ」
殆ど表情を動かすことなく、冷静に事実を語っていく。
「貴様!」
しかし、その物言いこそが気に食わない。
即座に長野に殴りかかる俺に対して、長野も拳を振るう。
酒が回ってきたこともあるし、元々血の気の多いものが軍人になろうとする。
「そのような気骨で軍人が務まると思うな!!」
「何も考えずに戦うことだけが軍人として相応しいと思うな」
本格的に喧嘩が始まるのだが、しかし長野は殴り合いながらも語り続ける。
「兵を数字として扱い、元来人間として全うすべき心の持ち方を忘れるのか?」
千分の一。
数字だけ見れば大したことはないであろうが、その1の家族にとってはどうだろうか。
「己の保身と栄達に明け暮れる者の行動を見て、その陰で泣く者たちの為に義憤を抱いた事は無いのか!?」
違う、己の自己満足のために誰かを傷つけようとなど考えてはいない。
「戦果だけに目を向けて、味方の犠牲を増やすことに躊躇することはないのか!?」
殺人を罪としながらも、大量殺人で褒めたたえられる職業なぞ軍人しかないであろう。
「国を、同胞を、隣人を、家族を想うならば、戦争という選択肢こそ愚の骨頂」
話し合いだけで解決するなら、そもそも軍事力など存在しない。
「腹立たしくてたまらない現実であれども、そこに染まる気なぞない」
そのほうが楽に生きられるだろう。
「それでも俺は少しでもこの国の為になると考えたからこそ、軍人として此処にいる!」
どれだけ拳と言葉を重ねて、俺達は長野とこの国の将来を語り合っていただろう。
正論・本音・感情・未来・義憤・理屈・理論・建前・性格・思惑をぶつける度に、俺達は長野壱業という男がどれほどこの国を想っているかを理解させられた。
同時に自分達がどれだけ井の中の蛙大海を知らずであったかも思い知らされたのだ。
『アメリカに行くぞ』
「……は?」
当初は喧嘩ばかりだったが、雨降って地固まるという形になってお互いを理解できた頃に、長野が唐突に言ってきた。
「おい、長野。いきなりアメリカとはなんだ」
「さすがに在学中に行くことは許可できんとは言われたが、卒業後であれば軍部さえ納得させれば構わんと言質は取った。資金もこちらで出すので問題ない」
「説明しろ、説明を」
「お前たちの中で今迄海外に行ったことがある人間はいるか?」
「むしろどうやったら海外に行けるんだ?」
質問に質問で返すが、実行しようと思えば船旅で数か月はかかるだろうし、いくら金がかかるかもわからない。
「つまり俺達は仮想敵国・または友好国となり得る国家の事を目で見たことも感じたことも無い。
それでどうやって的確な戦略や政策を立てる事ができるというのだ?」
相変わらず人の話を聞かない時は徹底しており、同時に自分の頭の中では理屈が出来ていても説明が心底面倒というのも伝わってくる。
「とりあえず言いたいことは分かった。つまりアメリカへの敵情視察ということでいいんだな。お前の奢りで」
「……そう考えてくれればいい。大丈夫だ問題ない」
「よし! 金髪美女を見に行くぞ!」
同期の一人が馬鹿な事をほざくが、男としては外国の女に興味が無いというのは嘘にしかならない。
だが国際化の波が押し寄せていく時代において、将来の士官が世界を知ることは良き結果を齎すであろうことは此処にいる誰もが理解できることでもあった。
しかし実際は対外的に見れば国外旅行にしか見えない事、学校卒業後の同期全員の予定等を考えると、同期全員が同時期に行く事はさすがに断念した。
だが、在学中の早い段階で決まったので、長期にわたって計画を立てる事は容易でもあった。
予定が合う者同士で、複数の団体に分かれる事。
滞在中はその行動と視察内容を綿密に記載して、お互いに情報共有をする。
海外で得られた知識や経験を、今後に必ず活かせるように軍部に還元するということも盛り込んだ。そこに徹底的な愛国精神と美辞麗句を並べ立てた文章で軍部を納得させたことは言うまでもないが。また任官後であれば敵情視察という名目も正式に使える。
いくら長野の自費で行くし自己責任とは言えども、あくまでも俺達は将来の士官になるからこそ、この学校に在学できているのだし、その為の兵学校なのだ。
であれば、俺達の行動が如何に将来的な利益に結び付くかを想像させねばならん。
その後、軍部より正式に許可を貰い、同期で予定が一致する各集団ごとにアメリカに赴いて視察を完遂出来たのは数年後であった。
改めて集まって寄り合ってみれば、皆が語るのは自分が今までに過ごしてきた日常と、全然違う日常を過ごす外国人との考え方の相違や生活方法。
国内では信じられないような事を経験することで、外国人の普段の主食・気候・服装・体型・体格等様々な違いを自分の目で理解させられたのだ。
結果、実際に海外を見れたおかげで、俺達同期の意識は確実に変わっていった。まさしく百の言葉より一を自分の目で体験しなければ、理解できなかったと思い知らされた。
だからこそ、資産家とはいえ破格の費用を身銭を切ってまでして用立ててくれた長野に対して感謝していた。
そしてアメリカとの戦争が始まる前も。
「長野」
「……柳作か。お前も飲むか?」
相変わらずのしかめっ面であるのに、醸し出す雰囲気はまさしく消沈しているとしか言いようが無く、まずそうに酒を飲んでいた。
「山本長官から正式に参謀として辞令を受けたと聞いた」
「……ああ、そしてアメリカとの戦争だ」
「総力研究所にいる千秋からも聞いた……必敗だと」
「国力・生産力・資源が違い過ぎるんだ。技術力では勝てる所もある。
局所的には勝てる機会もあるだろう。
だが……常に劣勢の立場から幾度も勝利を得ることは、歴史上ありえん」
「長野。だとしても俺達は軍人だ。負けるからと言って、尻尾を巻いて逃げるというのか?」
「そんな事を考える事が出来るなら、俺は軍人にならなかったよ」
「……一撃講和論に関してはどうなんだ?」
「アメリカの気質として国民感情が許さない。アメリカはそもそもは欧州の人間が祖先だ。
原住民を虐殺し、キリスト教を讃えぬ輩は邪悪とする。
また歴史で見ればアフリカから黒人を奴隷として、億単位の黒人を虐げてきた過去がある。
だからこそ、自分と同じ肌の色をした人種以外に頭を下げるなどありえない」
「それほど……か」
「悪し様にアメリカを語ればそういう風になってしまうが、現実的にアメリカの国力は飛びぬけている。
個人であれば人はそこまで馬鹿にはならん。だが国家として考えねばならない時、同調圧力というのは考える事を放棄させ、多数の意見に逆らえなくさせる。
……今この国がそれを実行中だがな」
そう自虐的に語る長野。
人一倍どころか必要以上に自分を責めてしまう長野であることを、同期である俺達は知っている。
だからこそ、負けると分かっている対米戦争を始めてしまうことに責任を感じている部分もあるのだろう。
「昭和16年夏の敗戦……か」
「……皮肉か?」
「柳作、生き残れよ。生きてこそ俺達は戦うことが出来るんだ」
「生きて護国の鬼となれ? か」
「一笑にしかならんよ」
そう言った長野の表情は……泣くのを我慢しているようにしか見えなかった。
そしてあの時も、
「帰るぞ」
ミッドウェー海戦で蒼龍と共に沈もうとしていた時に現れた長野。
「何故ここにいる!?」
「道に迷った」
どう考えても有り得ない台詞を言う長野。
奴のことだから、敗戦を予期して無理矢理作戦に参加しようとしていたが、間に合わなかったのだろう。
だが最早俺の腹は決まっていたのだ。
「負けた責任も取らずに尻尾を巻いて逃亡せよと? 先に死んでいった将兵に顔向けが出来るわけがないだろうが!」
「それがどうした? 死ぬことだけが責任を果たす術ではない。たった一度の敗戦で全てを放棄するほうが甘えだと知れ柳作」
「貴様!」
今思えば、図星を指されたからこそ激高してしまったのかもしれない。
生還するなら一刻も早く、燃え広がる艦内から脱出しなければいけない中で、俺は長野に殴りかかってていたのだ。
「何度でも言おう! 生きて責任を果たせ!」
「軍人に負けた言い訳が通じる訳が無いのは、貴様も理解できている筈だ!」
殴る。
出会ったばかりの頃に正論で負かされて、物理的にも勝負して、腹の中までぶちまけ合った頃のように。
「知った事か! 全ての責任を責任者が負う必要性は無い」
「先に死んでいった将兵は、俺の命令のために死んでいった!」
「ならばその苦い経験こそが必要になる時があるかもとは考えないのか!?」
「そのような経験を得るために、犠牲を容認できるわけがあるか!」
分かっている。
途中から感情論になっていることを。
実利だけで見れば敗北を受け入れて、次回に活かせるようにすることが更なる犠牲を減らすことに繋がると。
死ぬことで楽になりたいと、重荷から解放されたいのだと。
そんな気持ちが少しも無いと言えない。
だから、
「それでもお前を連れて帰る」
一瞬でも弱気になった俺の隙をつかれて、長野の拳は俺の意識を刈り取ったのだ。
そして薄れていく意識の中で聞こえた長野の声。
「……死なないでくれよ。だったら俺は何の為に此処にいるんだよ」
それこそが、長野の押し殺してきた本音だったんだろう。
栄達や名誉など考えることなく、ただ犠牲を無くすために
そうやって出会いから別れまで、長野との出来事を思い出す。
それを振り返る為に、俺は坊の岬の墓標にいる。
「なあ、長野。あの講和から……お前はどう思っているんだ」
あれからお前と関わってきた戦友達は、少しでも日本の為になると思った事に尽力するもの。
長野が残した商会に入って、お前が残してきたものを護ろうとするもの。
海軍に残って、真に国を守ろうとする軍隊にしようとするものもいる。
誰もかれもが……立ち止まる事をせずに突き進もうと必死になっている。
答えとは何だったんだろう。
正解への道筋はどこにあったんだろう。
自問自答しながらも自分を納得させようと、日々を必死に生きているの俺達を見てくれているだろうか?
潮風が俺の頬を撫でていく。
いつも長野と話していた時、答えに迷った時は長野に聞けば答えてくれた。
それに甘えていなかったと言えば嘘になる。
だが、それがあったからこそ迷いなく行動できたことも多々だった。
それでもお前はそのことを自慢することも無く、誇ることも無く、ただその結果による犠牲者達への鎮魂歌を常に歌っていた。
本来ならば、あってほしくなかった犠牲だと。
犠牲になった彼らに報うことが出来たのか? 恨んでいないのか? 泣いている人達を増やし続けているだけではないのだろうか?
……何度も戦えば麻痺してしまう感情をあいつはいつまでも抱え込んだまま戦っていた。
人としてならば正しいが、軍人としては正しくないというのに。
しかし、それがあったからこそ俺達は長野に惹かれていた部分もあったのだ。
守るべきものが後ろにある。
その為に戦うのが男であり、軍人だ……と。
「……駄目だな。結局今でもどこかお前に頼ってしまうな」
持ってきた日本酒の蓋を開ける。
何度も一緒に飲んでいた酒をヴァルハラに届くようにと持ってきていた。
名も無き墓標となった場所に、お前が眠る金剛に届くように。
「ヴァルハラでは戦乙女たちとは無事に会えたか?」
勇敢な戦士には戦乙女が迎えに来ると言う。であれば長野なら戦乙女たちが争奪戦をしなければおかしい。
あいつほど勇敢に戦った男はそうはいないのだから。
「お前はいつだったか俺が後妻を迎えた時、もげてしまえといったよな。
あの時は笑ったぞ。誰よりも女性達から憧れられていたというのにな」
思い出すだけで笑ってしまう。
必要な時以外は仏頂面だったお前がそんなこと言うとは、誰も思わなかったのだから。
「だが今ならお前が全ての男達からもげてしまえと言われる立場だ。
男としては複数の女性から求愛されていたら、嫉妬されてもおかしくあるまい。
いつか俺も靖国に名前を刻む時が来る。だがヴァルハラにも遊びに行かせてもらうさ。
お前が戦乙女たちに囲まれて修羅場になっている場面を見て笑ってやる」
だからその時まで待っていてくれ。
またもう一度お前と酒を飲んで、馬鹿話をするようになりたいから。
ayasaki様からの補足。
長野が本文中に呟いた「昭和16年夏の敗戦」というのは、猪瀬直樹という作家が出版しております。
内容としては、対米戦争は必敗という結論でありながらも、日本は戦争への道を選んだ経緯です。今時の本と違って読むのは結構大変ですが、興味と時間があればどうぞ。