【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
サキは震える膝を支えながら長い石階段をのぼる。上へ行けば行くほど城に出た被害がわかってきた。建物は崩れ、そこら中に何かの燃えカスや破片が散乱している。中庭まで来るともっと酷い。
血の匂いといろんな人の汗と息の匂いがした。
大広間は怪我人と死人が混じり合い横たわっていた。むせ返るような生き物の匂いに消毒液と薬品の匂いが加わる。
サキは死人にも生者にも目もくれずハリーを探した。
「サキッ…無事で良かった…」
ドラコがサキを見つけ真っ先に駆け寄ってきた。
血塗れのサキを抱きしめ、怪我がないか聞く。
「ドラコ…」
様子の違うサキにドラコは焦った。
ドラコも怪我をしていた。前髪の一部が焦げて顔の半分に小さい切り傷がたくさんある。服にもたくさんほつれができていて、肘から擦過傷が見えた。
「先生が死んだ」
「スネイプが…?」
「ハリーに会わなきゃ。伝えないと」
「…わかった」
ドラコは頷くと手に持っていた医療品をそばにいたハッフルパフの三年生にわたし、サキの肩を抱きながら歩いていく。
広間にいる人々の顔は暗かった。机と椅子の間に横たわる死者の周りでは人が泣いていて、そこにはたくさんの未成年の生徒たちがいる。
包帯を巻いた生者たちはみんな赤く染まっていくそれを見て沈んだ面持ちでさすり、死人と自分が今どれだけ差があるかを考えているようだった。
大広間を抜けて階段を登った先にハリーたちがいた。
「サキ…?」
「ハリー」
ハリーも傷だらけだった。あのあと死喰い人たちと戦ったんだろう。
ロンとハーマイオニーもお互いの体を支え合って寄り添っていた。学校全体に敗北の色が漂っている中、サキを見つめる二人の眼差しもどこか諦念のようなものを含んでいた。
「一緒に来てほしい」
「…わかった」
「ハリー!」
ロンがハリーを止めようとした。しかしドラコが制するようにロンの前に立つ。
「サキを、信じてやってくれ」
「…」
ロンはドラコの真摯な態度に面食らった。
「信じてないわけじゃない。ただ…」
「ロン、僕は大丈夫」
ロンとハリーは数秒見つめ合った。ロンはハリーの穏やかな表情と、何かを決断したような静かな瞳を見て頷いた。
「わかった。サキ、ハリーを頼んだよ」
「…まかせて」
サキは悲しそうに笑った。
「グレンジャー、ハナハッカを貸してくれ。アーニーの血が止まらないらしい」
「ええ…」
ハーマイオニーはサキが何を告げるか薄々わかっているようだった。ハーマイオニーの賢さにはいつも助けられている。
サキはハーマイオニーに微笑みかけてからハリーと一緒に大広間を避けて外に出た。
夜闇は炎でほのかにオレンジ色に染まり、破壊された校舎が大きな影をゆらゆらと踊らせた。
星星は周りが明るいせいかよく見えない。禁じられた森は深淵のように暗く、深い。11歳のころ初めてこの森に入ったときのことがふと思い出された。森はあの時と変わらないけど二人はすっかり変わったし、変わり続ける。
「スネイプ先生は死んだ」
「スネイプが?なんで…」
「あの人に殺された。ハリー、私は先生に仕事を頼まれた」
サキは泣きそうな顔をしていた。肺を握り潰されたように苦しそうにサキは続ける。
「ハリー…薄々わかってるかもしれないけど…分霊箱はナギニの他に、もう一つある」
ハリーはドキッとした。しかし心の奥底は冬の沼の底のように静かだった。
「ああ。旅が進むたびに感じてた。…僕はあいつと、近すぎる。あいつの魂が壊された痛みやあいつの怒りを敏感に感じるのは」
ハリーは大きく息を吸って、吐いた。
「僕に…あいつの魂の欠片があるからなんだね?」
「その通り。だから君は殺されなくちゃならない」
「僕、痛いのは嫌だな」
「違うよ、ハリー。私じゃだめ。先生は、必ずあいつに殺させろって命令した」
二人は音すら届かない森の奥へ来た。いつもはいろんな音で満ちている森だけど、今は獣の声もしない。
死んでるような森の中で二人は向き合っていた。
「ハリー…先生は、ずっと私達の味方だったんだよ」
「………わかってたよ」
ハリーは苦々しくつぶやいた。スネイプとは繰り返し繰り返し憎み合ってきた仲だった。
現にスネイプはハリーに対して優しさのかけらも見せたことはない。ダンブルドアを無慈悲に殺し、監獄のようなホグワーツに君臨していた。
しかし去年の時計塔で垣間見たサキに対する表情は、ハリーが尊敬する人すべてが皆共通して持っている愛というものを持った顔だった。
かつて恋したサキ・シンガーという人間が今ここに無事で立っているのは彼のおかげだ。ドラコがホグワーツでロンたちとともに戦っているのも、騎士団全員が生き延びてここに集まれたのも、すべてはスネイプが彼女を手助けしたおかげだ。
ハリーを導いているのは運命と、勇気ある人々の揺るぎない意志だ。
「私は、先生を守れなかった。そればっかりか、君に死ねって言ってるんだ」
「いいんだ」
「なのに私は生きてる」
サキは今度こそ本当に泣いた。
ハリーはサキの手を握ってスニッチを持たせた。
そしてそのスニッチに口づけをすると、それが開いて中から黒い小さな石が出てくる。
「サキ…僕は君のお陰でいろんなことを知れたよ。恋とか友情もだけど、傷つくことや疑うことも」
ハリーはそれをサキに握らせた。サキの小さな手はハリーの手にすっぽりおさまる。
すると周りに影のように微かな気配を感じた。
形は見えないけど、たしかにそこに何かがいる。あの神秘部のアーチで感じた気配だけど、遥かに濃厚だ。
「僕は君に会えてよかった。君のおかげで今の僕がある。あの日、僕に話しかけてくれてありがとう」
「ハリー…」
「君も、同じように思ってくれていたら嬉しい」
死の秘宝、蘇りの石はサキの血まみれの手の中でどんなふうに輝いてるんだろう。
「ハリー。あのね…駅で声かけたとき、本当はすごく怖かったんだ。だって君、フクロウなんか連れてるんだもん。やばいやつかもって」
「あー、それはお互い様だよ。僕も君のこと変なやつだと思ってたし」
ハリーは少しだけ笑った。サキは涙を拭いながら聞いた。
「怖い?」
「わからない…けど、僕はみんなに助けられてここに来たんだ。やり遂げなきゃいけない」
「ハリー…」
「もう行こう。君はみんなを助けてあげて。あとのことは頼んだ」
「ハリー、私も君に会えてよかった。必ずまた会おう。そこが天国でも地獄でも」
ハリーとサキはがっしりと抱き合うと、それぞれ背を向けて戦いの場所へ向かった。
死人は帰らない。
けど、死んだらそこに何もなくなるわけじゃない。確かにそばにいる。姿形が見えなくても。
ハリーは肩にそっと手を置かれた気がして振り返った。
誰もいなかったけど自分は一人ではない。そんな気がした。
森の奥深く、濃い闇の中であいつは待っていた。
…
サキは一人で泣きながら校舎へ帰った。まるで迷子の子どものように、親のない子どものように泣いた。
冷たい木々の間に泣き声は吸い込まれていき、涙は下草に落ちて夜露となった。
暗闇はどこまでも続いていて、脚で踏む凸凹した地面と、握った黒い石の凹凸だけがはっきりしていた。
堰を切ったように流れていた涙は校舎につく頃にはすっかり出尽くしていて、目の周りを真っ赤にしたサキを飛び出してきたドラコが真っ先に抱きしめた。
「ハリーは…」
「あの人のところへ行った」
なんで止めなかったんだとは、誰も言わなかった。
不死鳥の騎士団の犠牲者は奇跡的にいなかったが、ホグワーツの生徒や正義感から駆けつけた市民は多く犠牲になった。朝焼けが空を彩る頃、ようやくすべての死者を並べ終わった。
サキはルーピンに簡潔にいままで何をしてきたかを話した。
「君の勇気ある行動は、様々な人を救った。ハリーのことも…セブルスのことも、君はできることを精一杯やった」
慰めと励ましの言葉はまるで意味を持たなかった。あるのは虚ろな喪失感だけだった。
けれどもそれに浸ってる暇もなく、騎士団を始めとした成人した魔法使いたちによる会議が行われた。
「ハリー・ポッターが死んだとしても、我々は戦わなければならない」
キングズリーは厳かに宣言した。
ルーピンが考案した即興の奇襲作戦は至ってシンプルだ。
誰かが気を引き、ナギニを殺し、ヴォルデモートを殺す。
作戦と言うにはあまりにもお粗末だが、魔法使いは軍隊なんかじゃない。
己の力を最大限に使い、目的を果たす。それが魔法使いの戦い方だ。
「僕が囮をやる」
と、作戦会議の最中にネビルが真っ先に手を上げた。
「お前が?囮に?」
ドラコはついうっかり口を挟んだが、不死鳥の騎士団のメンバーに囲まれてることに気づいて咳払いした。
「うん。僕、呪文当てるのは下手だから」
「そんな事はない。さっきの戦いでの君は素晴らしかった」
「今は褒めあっている場合ではありません。ロングボトム、これはあまりに危険な役割です」
ネビルを褒めそやすアーサーを窘めるようにマクゴナガルが言った。
「僕はベラトリックス・レストレンジとは因縁がある。それにあいつらには一言言ってやりたい」
「よしきた。名誉一番乗りだな」
ダラダラした会議が苦手なフレッドが早めに議論を打ち切った。
「俺達は…そうだな。あいつらの退路を断つよ」
「ああ、いいね。背後からの騙し討ちは実に愉快だ」
ジョージがフレッドとハイタッチしながらいう。
「山ほど爆弾がいるね。スプラウト先生、肥料はある?」
「まだまだ山ほどあるよ!」
スプラウト先生まで愉快そうだった。ジョージとフレッドは手すきの魔法使いたちを連れてすぐに爆弾づくりに向かっていく。
「相変わらずフットワーク軽いなあ」
ロンが悩ましげにつぶやく。
「さて、じゃあヴォルデモート班とナギニ班にわかれようか」
「ヴォルデモート、は…我々大人の領分だ」
キングズリーは有無を言わさぬ口調で言った。
「トンクス、君はナギニだ」
「嫌よ。私はあなたと一緒がいい」
ルーピンとトンクスは揉めていたが、結局はトンクスの主張が通った。既に夫婦間の力関係は決まりつつあるらしい。
「…さて、分霊箱であるナギニですが」
サキはキングズリーから司会を引き継ぎ、ナギニ班の面々の前で咳払いして話し始める。
「生物なので殺せば死にます。壊れます。しかしながらあれは魔法で作られた生物なので…ただの蛇を殺すようには行きません。その上ヴォルデモートの魔法に守られています」
ロン、ハーマイオニー、ジニー、DAのメンバーとドラコやハッフルパフの7年生がじっと注目しているのでサキはなんだか気恥ずかしくなってくる。
「そこで、まずナギニを守る呪文を私が破りますが、当然ヴォルデモートもそれを警戒するでしょう」
「わかった、ナギニをヴォルデモートから引き離すのね」
ハーマイオニーが授業で手を上げるときみたいに素早く補足をしてくれた。
「そう、その通り。あいつは多分、私を見たらもうカンカンだろうから蛇から注意が逸れるはず」
「そうなりゃ蛇一匹ちょちょいのちょいだ」
ロンが軽口を叩くがハーマイオニー、ドラコ他いろんな人から睨まれた。
「…えーっと、バジリスクの牙は残り4本しかない。ロン、ハーマイオニー。私とドラコで持とうと思うんだけど…」
文句が出るかと思ったがなかった。
ドラコはサキが思っていたよりはるかにみんなに受け入れられていて、なんだか変な気分だった。だってあのドラコ・マルフォイがDAに混じって神妙な面持ちで牙を持っているんだから。
「一年生の頃を思い出すわ」
ハーマイオニーがぼそっと呟いた。
「サキはいなかったけど、僕らそりゃもう仲良く君を助けに行ったさ」
ロンが皮肉混じりでいうと、ドラコが挑戦的に笑った。
「今回はチェスじゃないぞ」
「わかってるさ」
「えーっと…まあどうせ作戦なんて立てたってうまくいきっこないさ。みんな、とにかく安全第一でいこう!」
サキの運動会の前みたいな気の抜けた挨拶でナギニ班は解散した。
罪をすべて自白した罪人のような気持ちでサキは中庭で空を見ていた。
空が暁に染まっていく。星星の輝きが太陽で眩んでいき、朝日が地平線から顔を覗かせた。
ドラコはずっと寄り添ってくれていて、サキの痛みを幾らか和らげてくれていた。
ドラコだって本当は不安でいっぱいのはずだ。ルシウスたちは敵陣で、今もキリキリあの人に痛めつけられてるかもしれない。ひょっとしたら殺されているかもしれないのに、ドラコはホグワーツで戦うことを選んでくれた。
自分はなんて尊いものを手に入れたのだろう。
けれども、喪ったものも多すぎた。
広間に横たわるセブルスの遺体を見るのが辛くてしょうがなくて、サキは寒くてもずっと外にいる。彼の遺体はマクゴナガル、フリットウィックが担架に乗せてみんなと同じところに並べてくれた。しかしその心遣いが逆に辛かった。
母が命をかけてまで救おうとしたセブルスは、サキの浅はかな策略により死んだ。
いや、もしかしたらサキがいてもいなくても運命は変わらなかったのかもしれない。
それでも、あまりにも救いがなさすぎる。
ハリーは殺されただろうか?
サキには魂の繋がりなんてないからわからなかった。
ただ、聞こえてきたざわめきと悲鳴がハリーが死んだという事実を物語っていた。
悲鳴を聞いたサキとドラコが門へ駆けつけると、死喰い人が葬列みたいに玄関前にならんでいた。そして中央には縄で繋がれたハグリッドが大きなものを抱えて泣いていた。
ジニーが悲鳴を上げて泣き崩れ、死喰い人たちは残酷に笑った。
「ハリー・ポッターは」
ヴォルデモートが高らかに宣言した。
「死んだ」
ホグワーツの人々の間に動揺が走った。ハグリッドの抱いているのがハリー・ポッターの遺骸だとわかると群衆のあちこちから息を呑む音が聞こえ、死喰い人達からは下卑た笑いがあがる。
全員の間に失望と、諦めが広がった。
しかしまだ絶望に至るにははやすぎる。
サキはドラコを見つめた。ドラコもサキを見つめていた。
「愛しているよ」
「君、こんな時に…」
ドラコが言い終わる前にサキはキスをした。
二人はわかれて、それぞれバジリスクの牙を握った。
ロンとハーマイオニーにもすでに配っている。
おそらくヴォルデモートの演説が続くさなかにルーピンやキングズリーといった騎士団のメンバーは戦闘配置につくだろう。
そしてついにその作戦とも言えない作戦が開始される。
ネビルが案の定何かしらのパフォーマンスを始めたヴォルデモートに対して立ち向かっていく。奴は全員に投降を呼びかけたようだが、今出ていくものは誰もいないだろう。
サキは目を瞑り、今かけられている魔法の種類を慎重に感じ取ろうとした。
目を瞑ると音が鮮明に聞こえてくる。血が血管を流れる音や心臓の鼓動。風の音。人々の逸る呼吸や息を呑む音。
朝のさめざめとした空気が肺を満たした。
息を吸う。吐く。
私は生きている。
「僕達が戦うのは、ハリーのためじゃない」
ネビルの声が人々の静寂を裂いて聞こえてきた。
「もっと大きなもののためだ」
次の瞬間、異様などよめきの後に歓声がきこえた。
サキは目をあけて、ヴォルデモートとネビルの方を見た。
二人の間にはハグリッドに抱かれていたはずのハリーが転がっていて、そして起き上がった。
「ハリーが生きてた!」
誰かが叫んだ。それが開戦の合図だった。
ヴォルデモートは雄叫びをあげたが、すぐに背後の橋の爆発音でかき消される。ベラトリックスも怒り狂って何かを喚いていた。
ハリーは周辺を爆破しながら文字通り死喰い人たちを煙に巻き、校舎の中へ走っていく。援護射撃がホグワーツからビュンビュン飛び、何名かの死喰い人が吹き飛んだ。
ヴォルデモートも当然それを追う。ナギニも校舎の中についていく。
校舎の方はハーマイオニー達のほうが近い。合流しなければ。
サキは渡り廊下をかけて行く。人々が杖を振り、目の前をビュンビュン呪文が飛び交っていった。
フェンシングのように突き出してくる杖を踊るように交わし、サキも校舎の中に駆け込んだ。
「マクリール、そいつを殺せ!」
グレイバックが通りすがりのサキに叫んだ。
「お断りだね!」
サキは返事代わりに呪文を浴びせてやった。
グレイバックはふっとんで、まだ無事だった肖像画を突き破る。
「シンガー!蛇は北塔へ向かった!」
グレイバックに殺されかけてたビルが叫んだのでサキは頷き北塔へ走った。
サキは自分の掌にナイフを突き立てた。やっぱり痛くない。いや、多分高揚感から痛覚が麻痺してるんだろう。
どうだっていい。
『ナギニ!』
ヴォルデモートから離れたナギニは螺旋階段を登っていた。飼い主同様頭に血が上って自分がいま罠にはめられたことに気付いていないんだ。
彼女を目にしてサキは叫んだ。
蛇語だったかもしれないし、そうでもなかったかもしれない。これもどうだっていい。
ナギニはサキの声に振り向き牙をむき出しにした。
『よく顔を出せたな、裏切り者』
『仲間だった覚えはないよ』
サキは杖をナギニに向けた。
ナギニは全身を使ってサキの方へ飛びかかってくる。今度は喉元を狙って。
しかし一度跳んでしまえばそうやすやすと着地点は変えられない。だからサキは杖を顔の目の前に突き出した。
ナギニは自分の狙いの直線状に杖先があるせいでほんの少し狙いをそらす。無茶な方向転換は体勢にほんの少しの乱れを生んだ。ナギニが首を下に振った。腹を狙うのかもしれない。だがその方向にはサキの血に染まったナイフが待っていた。
ナイフは狙い通り、ナギニを守る魔法をきれいに切り裂き消滅させた。ナギニは動揺し、噛み付くこともできずにサキの胴体に突っ込んだ。蛇の突進をもろに食らったサキは階段を転げ落ちる。
ナギニが自分の守りが消えたことと、サキにとどめを刺すことと2つの選択肢に考え悩んだ。その間に階段で待ち伏せしていたロンが牙を振りかぶりその胴目掛けて突き立てた。
しかしナギニは間一髪それをかわす。
「ロン…!」
ナギニに今にも噛み砕かれそうなロンにハーマイオニーが駆け寄る。
「ダメだ、グレンジャーそいつを見ろっ!」
ドラコが叫んだ。蛇は狙いをハーマイオニーに変えている。
「セクタムセンプラ!」
ロンの呪文がナギニの厚い皮を引き裂くが致命傷ではない。
「かがめ!」
サキがナイフをダメ元で投げようとしたとき、鋭い声がそれを制した。
サキは声のした方向を見上げた。ネビルがグリフィンドールの剣を振りかぶり、ロンを飛び越えナギニの首元に振り下ろした。
金属が床に当たる心地のいい音がして、ナギニの首が牡丹のように地に落ちた。
ナギニは血の代わりに断末魔と灰のような黒いものをだして煙が溶けるように消えた。
「ネビル…」
途端、頭がガンガンくるような声が聞こえた気がした。
違う。ヴォルデモートの声だ。
叫び声。いや、泣き声に近い。
もう彼に残りの魂はない。
「ハリーはどこ?!」
ハーマイオニーの言葉にロンが慌てて忍びの地図を広げながら言った。
「天文塔…いや、北塔?すごい速さで移動している!」
「とにかくみんなに加勢しよう」
ネビルがそう言うと、全員が頷いて慌てて階段を降りていった。
「立てるか?」
ドラコがサキの手を引っ張って起こした。
「どうもね。さあ急ごう」
サキとドラコもロンたちに続いて走った。
どこもかしこも大乱闘だ。城は粉々、そこかしこに血痕がある。
血煙や土埃は人間を最高にハイにさせる。
ハイになった頭は時間を飛び越えてサキにいろんな考えを巡らせた。
ヴォルデモートの欲したニワトコの杖の所有権。
杖の所有権は剥奪された時点で奪われる。
旧来は杖を失うとはほとんど死を表していたが現代では魔法使いはそう簡単に死を選ばない。杖の所有権は武装解除の時点でうつるのだ。
ダンブルドアを武装解除したのはドラコだ。そして…ドラコを武装解除したのはサキだった。
その後サキはハリーに杖を信託している。
先ほどのボート小屋で、サキは結局ナギニにより無力化されていたが敗北し杖を手放したわけではない。
サキたちマクリールと杖の関係はやや複雑で、所有に関してはオリバンダーですらわからないことがある。サキたちは魔法族用の杖は使えない。ひょっとしたら所有権自体を持てない可能性がある。
どちらにせよ、サキもハリーもヴォルデモートにより杖を奪われたことがないのだ。現在のところニワトコの杖の所有権は少なくともヴォルデモートにはない。
「上だ!」
ドラコがサキの頭をかばい前へ飛び出した。
転んで見上げるとさっきまでいたところに天井が落ちていて、さらにその先にハリーとヴォルデモートがいた。
「ハリー!」
サキは叫んだ。
「あとはそいつだけだ!」
ハリーの失神術がヴォルデモートの死の呪文と反発しあった。
「いくぞ!」
キングズリーが顔面から血を流しながら叫んだ。雄叫びとともに全員がヴォルデモートの足元に向けて呪文を放った。
「コンフリンゴ!」
不死鳥の騎士団が唱和すると石の床が粉々に砕け、ヴォルデモートは体勢を崩しかける。そして砕け散った石がヴォルデモートを背後から飲み込もうとする。ヴォルデモートの呪文が少しおされた。
「我が君に触れるな!」
ベラトリックスががむしゃらに杖を振り死の呪文を乱射した。しかしモリーが即座に応戦する。他の生き残りの死喰い人が介入する前に、サキは自分の麻痺した左手にもう一度深く、縦にナイフを突き立てた。
血が溢れ、母の作った銀のナイフは錆色に染まる。サキはそれを真っ直ぐヴォルデモート目掛けて投げた。
あらゆる魔法に干渉されない銀のナイフを。
「ハリーに触るな!」
サキのナイフに気を取られてか、はたまた飛び散った血がかかったせいか。ヴォルデモートの目の前をそのナイフ通り過ぎたとき、杖同士の繋がりがプツンと切れた。
緑の閃光が制御を失った刹那、サキはヴォルデモートと目があった気がした。
「君は僕と似ているね」
延々と雨垂れを眺めた窓。灰色のロンドンの空。
トム・リドルの日記で話したいろんな思い出が不意に記憶の彼方から戻ってきた。頭の中で忘れ去られた、消し去られたはずの記憶が溢れてきた。
走馬灯みたいだ。でも私のじゃない。
小さい頃のトムは私に似ていた。何かが足りなくて、どうしようもなくてイライラしてた。
親のない子どもは愛を知らない。愛を与えられなかったから、愛することができない。
「そうかもね。でも私は君じゃない」
今のサキならトムにそう言える。
けど、もう何もかも手遅れだ。
サキを見つめていた真っ赤な切れ長の瞳孔がカッと開いた。
跳ね返った死の呪文が、ヴォルデモートの胸を突き抜けた。
ヴォルデモートは糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
視線があった刹那にみたあの薄暗い思い出はどこまでも冷たく、鈍色だった。
ヴォルデモートは跳ね返った死の呪文にあたるというありふれた死を迎えた。
そして、狂喜が城を包み込んだ。
………
「お前はなぜいつも何も感じていないように座り尽くしている?」
彼女は眩しそうに目を細めて向かいに座るヴォルデモートを見た。長いまつ毛が強い日差しで影を作っている。ゆりの花びらみたいな肌色が陽光で仄かに色づき、細めた目は微笑んでるかのように見える。
「これでも色々考えてるわ。生まれてくる子どもの髪の色とか、瞳の色とか」
「ふ…」
リヴェンが人間らしいことを言うとヴォルデモートはかならず笑った。彼女は笑わせるつもりでやってるのか素なのかよくわからないが、笑ってるヴォルデモートを見るとほんの少しだけ嬉しそうにも見える。
「まだわからないだろう」
「そうね。でも母も、祖母も、みんな子どもにはそうやって期待していたから私もそうしている」
「お前は記憶の中で母になり、娘になり、妻になるのか」
「ええ。私はもう何にもなれないけど、記憶の中では何かになれる」
また諦念。
リヴェンはもう死に取り憑かれているように悲観的でそれを隠しもしないし治そうともしない。現に彼女には死相がでている。最近始まった手の震えがどんどん酷くなっていて、二人がたまにしていたティータイムは彼女がカップを持てなくなったのでなくなっていた。
「お前は他人の人生によく感情移入ができるな」
「せざるを得ないのよ。記憶は感情を伴うから」
「ほう?それならば俺様との会話はどういう感情を伴うと思う?」
「そうね…」
リヴェンは今日初めてヴォルデモートをじっくりと見た。
「愛と憎しみ」
ヴォルデモートは声を上げて笑った。
「傑作だな!リヴェン、お前が愛憎とは…そんな激しい感情を持っていたのか?」
「私はいつもそれに苛まれている。…あなたが憎いわ。本当に憎い。でももう、慣れてしまった。あなたが憎いことすら私は愛おしい。それが私の存在の証明だから」
「その能面が愛おしいと思ってる女の顔か?」
「私の気持ちなんてわからないでしょう。あなたじゃ、一生わからない。絶対にわからないわ」
ヴォルデモートはぴくりと眉を顰め、無表情のリヴェンを見つめた。
その瞳は暗く、静かに燃えている。なぜだかその瞳に強烈な既視感を覚えた。直感的に彼女が繰り返しているのだと思った。
「お前は…繰り返しているのか?」
「ええ。でももうやめたわ。諦めたの」
「何のために」
「愛よ」
ヴォルデモートは吐き気がした。ダンブルドアや善人を気取った豚どもが決まって吐くセリフ、愛。弱者お得意の解決法がまさかこの女の口から出てくるなんて。
「愛は美しいものではないわ。私の愛は、もう澱んで腐っている。だからあなたを選んだのよ」
「腐ってるのはお前の頭だ」
「そうよ。私の脳はもう腐っている」
またリヴェンの会話のドッジボールが始まってしまう。もう慣れっこだがヴォルデモートは苛立ちを隠せなかった。
リヴェンは唐突にヴォルデモートの手を握った。
凍土のような雰囲気によらず煮えるような熱い手をしていた。けれども自分を見つめる瞳はとこしえの夜の色。
「あなたは、必死に穴を覆い隠そうとしている。でも無駄よ。その穴はいくら上に何かを被せたってずっとそこにあるんだから。あなたの穴は一生埋まらないわ。私に空いてる穴のように」
「言葉遊びがしたいなら、セブルスとでもやっていろ」
ヴォルデモートは吐き捨てるように言った。彼女の手を振り払い、椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がり、扉へ向かう。
「そうね」
リヴェンは引き止めもしない。
いつもそうだ。
彼女は自分がここに来るから、自分が欲するからそれに応えるだけ。彼女から何かを求めたのは、与えたのは一度しかない。
「一つ答えろ。お前の言う愛は、一体誰から教えられた?」
「生得的に備わってるのよ。痛みや快楽と同じように」
リヴェンは唇のはしを歪めた。その笑みは言葉を尽くしてもふさわしい比喩が見つからない。
ただただ背筋が凍った。