【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
真っ黒な感情がゆっくりサキの中で蠢いた。
丸腰のダンブルドアの顔面は蒼白で、手が震えている。はじめはスネイプかドラコの呪文を受けたのかと思ったがそうではなさそうだ。ダンブルドアはすでに深手を負い、衣服の端々が切れて焦げ付いている。
「よくここがわかったな」
「…女の…勘ってやつですかね」
サキはセブルスを睨みつけた。
「とんだ道化を演じさせてくれましたね、先生」
「全てはなるべくしてなった」
「私なんかのためにダンブルドアを殺すのはおかしい」
「おかしくなんかない」
ドラコが大きく、力強い声で言った。固い決意が語気から伝わってくる。サキは彼の瞳を見た。ドラコはゆっくりまばたきし、まるで自分に言い聞かせるように言う。
「これしかないんだ」
4人の間に沈黙がおりた。サキが貧血からめまいを起こして座り込むと、ダンブルドアが懇願するように声を絞り出した。
「……セブルス。頼む」
力のない声は、今まで見てきたダンブルドアという人間から出たとは思えないほど弱々しくて、年相応の衰えを感じさせた。
サキは霞む視界でダンブルドアを見つめた。
どう考えてもサキの命よりダンブルドアの命のほうが重い。彼を失うことは魔法界の痛手だ。
しかしサキがやめてと叫ぶより先に、スネイプの杖腕が空を切った。
「…アバダ・ケダブラ」
緑の閃光がダンブルドアの胸を貫いた。
妨害する暇もなく、ダンブルドアは糸の切れた人形のように塔から崩れ落ちた。
サキは頭の片隅でシリウス・ブラックの死の瞬間を思い出した。
長い長い悲鳴が聞こえた気がして、呆然としていた意識がはっと帰ってくる。
「行くぞ」
腕が引っ張られた。ドラコががたがた震える手でサキの二の腕を掴みあげて肩に回した。
「逃げるんだ…はやく」
サキはまだ自分の目の前で起きたことが信じられなかった。
天文塔の階段を駆け下りてる時も、扉をくぐって庭に出たときも、頭の中では崩れ落ちるダンブルドアの姿が何度も何度も繰り返されていた。
骨が割れ、肉の飛び散る音が窓の向こう、遥か下から聞こえたのも夢じゃない。
ダンブルドアの熟した脳が天文塔の真下にある石畳の中庭にぶち撒けられたのは、まごう事無き現実だ。
スネイプが、殺した。
「ステューピファイ!」
ハグリッドの小屋に差し掛かったとき、後ろからスネイプめがけて矢のような呪文が飛んできた。
殺気に満ちた声に振り返るとハリーが般若のような顔をして立っていた。
「ダンブルドアはあなたを信じていた!」
それを見て初めて、サキはまた自分が取り返しの付かない失敗をしたと実感した。
スネイプは蚊をはたき落とすようにハリーの呪文をはじいた。ハリーはそれでも追撃をやめずに杖を振るう。
「ドラコ、先に向かってろ」
ドラコはスネイプに促されてサキを引きずるように森の方へ向かう。
「セクタムセンプラ!」
ハリーは剣を振るように呪文を放った。しかしハリーの呪文は簡単に防がれて、スネイプにより数メートルほど吹き飛ばされた。地面で唸るハリーに、スネイプは告げた。
「よもや呪文の制作主に杖を向けるとはな、ポッター。我輩が半純血のプリンスだ」
………
二人は先程から起きている非現実的な出来事をゆっくり噛みしだきながら禁じられた森の中をまっすぐ進んだ。
サキはやっとドラコの肩から腕をどかし、自分で森を歩いた。木の葉の隙間から見える空は白み始め、お互いの表情がだんだん見えるようになってきた。
「ドラコ…君、私を嵌めたね」
「君こそ、僕に大切なことを黙っていただろう」
「おあいこって?馬鹿言わないでよ。ダンブルドアを殺すなんて正気の沙汰じゃない」
「君だって一時期本気でダンブルドアを殺そうとしただろう?」
「君の命がかかってたからだよ」
「僕も同じさ」
ドラコは走ったせいか額に汗を浮かべていた。いつもより顔が青白い気がする。
繋いだ手は震えていた。どっちの震えかわからなかった。
「…これであの人が許してくれればいいけど」
「大手柄さ。ヒーローだね、僕らは」
ドラコは全然楽しくなさそうに、むしろやけっぱちで言った。
「どう考えても釣り合わない…」
「僕には釣り合う。サキ、一つ覚えておいてほしい」
ドラコは立ち止まってサキの顔をしっかり見つめた。
「僕は君の犠牲なんかちっとも嬉しくない。正直、君が何も言わなかったことに腹を立ててる」
「…逆に聞くけど、打ち明けられる?こんな事」
「ああ。それもわかる。だから怒らない。…けれど、自分を棚に上げるのはやめろ。君がやろうとしていた事は、これと同じだ」
サキはぐうの音も出なかった。
結局、誰かが死ななければいけない運命だったんだ。サキはサキが死ぬのを選び、スネイプとドラコはダンブルドアが死ぬのを選んだ。それだけ。
「…これで、いよいよ光は潰えたね」
「いいじゃないか。暗闇の中でも、生きようと思えばどこでだって生きていける」
「随分前向きになったもんだね」
「君が突然後ろ向きになるからだ」
「私は前を見なくても歩けるんだよ」
森の奥にはポートキーがある。
ドラコが万が一に備えて作ったものだ。
二人はそれの前に立ち、スネイプを待った。
焦燥した顔のスネイプが草を掻き分け出てきたので、三人はそれに手を合わせた。
………
ダンブルドアは死の呪文により速やかに死亡。塔から落ちた遺体は硬い地面に打ち据えられて挽肉。しかし、痛みは感じなかっただろう。
魔法省大臣ルーファス・スクリムジョールは速やかに声明を発表した。
ヴォルデモートは諸手を挙げて喜び、三人を讃えた。
「これで、脳髄の件は…」
「いいだろう。抜け目のない友よ、お前は大変良い働きをした」
ヴォルデモートは全くリスクを背負わずに最大のリターンを得たわけだ。
セブルスは大きな代償を払い、自身の信用の回復とちっぽけなサキの行く末を手にした。
「さて、ドラコ。結果的にお前の任務は成功しなかったがセブルスの計画に大きく貢献したそうだな」
「はい。結果的に任務を果たせなかったことを深く反省しております」
「恐れながら申し上げます。ドラコの綿密な下調べなくしては成功しませんでした。襲撃の際も大いに役に立ってくれました」
「わかっておる。何も責めようというわけではない。よくやったドラコ」
ヴォルデモートは満足げに微笑んだ。そしてドラコの横で不貞腐れているサキに視線をやった。
「難を逃れたな、サキ」
「どこがです?」
サキの声は刺々しく、反抗的な態度にそばに控えていたベラトリックスが歯をむき出すのがわかった。それでもサキは気にしないで続けた。
「私は貴方のばかな命令を遂行するために努力したっていうのに、手柄は全部持ってかれちゃったんですから。骨折り損のくたびれ儲けですよ」
「ほう?不満なのか」
「はっきり言って不満ですね。さんざん脅されて悩んであくせく血を流した結果がこうですから。拗ねたくもなりますよ」
「随分不遜な物言いができるようになったじゃないか、サキ。この一年でものの見方が変わったか?」
「ええ。私はここ一年ずっと誰かの命を天秤にかけていました。ですが最近わかってしまったんです。いくら私が悩んだところで、皿の上のものは誰かに掻っ攫われる」
ドラコはサキの強気な態度を不安に思い、御前にも関わらずサキの横顔を見た。貧血気味の、百合の花びらのような肌の色をしたサキはほのかに頬を赤くしてヴォルデモートを見据えていた。
「だったらもう、私も皿の上に乗ってしまったほうが楽なのです。私の無駄な努力を聞いたかわかりませんが、私が今使える魔法は誰かさんの過去のすべてを見通す魔法よりも役に立ちます」
セブルスがサキを睨みつけた。
視線を集めてなお、サキは演説を止めなかった。
「どうでしょう。一先ず、私を使ってみるというのは?」
「サキっ…!」
セブルスがほとんど悲鳴みたいにサキを呼んだ。しかしサキはヴォルデモートだけを見つめていた。
ヴォルデモートは2、3秒思案した。
サキが一体何を考えているのかわからない。ただ、この娘は忠誠から申し出ているのではないのは明らかだった。
疑わしい。
だが、ヴォルデモートはそれ以上に若さゆえの蛮勇を愛していた。身を焦がすほどの衝動が持ち主を焼き尽くすのを見るのがたまらなく好きだった。
野心を抱いて朽ちていくこの娘を見たい。
絶望して最後にはその首を差し出し、母親同様翼をもがれた小鳥のように座り尽くすこの娘を見てみたい。
そんな残酷な感情がヴォルデモートに一つ、過ちを犯させる。
「いいだろう、サキ。教育は親の努めだからな」
「私に親はいませんが」
ヴォルデモートはサキの頬をぶっ叩いた。ばちーんと音がしてサキがよろめいた。
「親にぶたれた!」
「親はぶつものだ」
「孤児のくせに知ったかぶってる!」
ヴォルデモートはもう一発、今度は反対側を叩いた。
セブルスはもはや心配を通り越して呆れた顔をしていた。
「お前が何を企んでいるのかは知らないが…俺様のもとで働きたいのならまず自分で手柄を立てて這い上がることだな」
「…言われなくてもそのつもりですよ。…私は母のように閉じ込められるよりあなたの手足になったほうがマシと思っただけです」
「ほう?ならばハリー・ポッターを殺せと言われたら?お前は自分のために殺すのか?友人なんだろう?」
サキは真っ赤に腫れた頬を白い両手で包み込んだ。
そのうっとりしたようにすら見えるポーズでにっこり笑った。
「ええ。貴方がハリーより価値のあるものを私から奪うのならば、それもやむなしですよね」
ヴォルデモートはまたどこかへ旅に出てしまった。
セブルスはマクリールの館に潜伏することになったので、サキとともに姿くらましをした。
薄闇に沈む館の前に出ると、セブルスはすぐにサキの肩を掴み、揺さぶった。
「なぜ、あんな事を…!」
「だってそっちのほうが動きやすいじゃないですか」
「動きやすいだと?何馬鹿なことを」
「先生はせいぜい悩んでください。私はもう欲望のままに生きるのです」
べちーんと音がして、すでに腫れてるサキの頬にセブルスの掌が叩きつけられた。サキは悲鳴を上げて悶絶してからセブルスを睨みつけた。
「先生が悪いんですよ!黙って決めて、勝手にやって!」
「当然だ。脳髄を食べたら君の頭もあっという間に穴だらけだ。そんなこと誰も望んでない」
「こんな事になるなら、私は死んだほうがマシだった。私は嘘をついて、ドラコを傷つけないように頑張った。先生のために死んでも良いと思った。でも全部だめだった」
サキは手に絡みついた草をちぎってセブルスに向かって投げつけた。草は風に負けて届くことなくサキのローブに纏わりつく。
「過去に戻れば…全部なかったことにできる」
自分がすべてを変えられる。
なのにできない。それを選べない。自分の弱さが嫌になる。
焦げ付くような胸の痛みが全身の脱力感へ変わって行く。
全てが自分の思い通りにならない。
「なんで先生は、私の邪魔をするんてすか」
「君の母親との、約束だ」
「矛盾してるじゃないですか!」
「人の感情と行動は得てして一致しない」
「あなたに、母の何がわかるんですか」
「……リヴェンは言った」
震える指とままならない声帯。
1981年の秋も深まる頃、リヴェン・マクリールの症状は顕著に出始めていた。
言葉がうまく出ない。思い出が、消えていく。
『私を忘れないで』
思い出せない。
夢ばかり見る。
それも過去にあったことなのか、あるいは本当に夢なのかわからない。
「彼女は苦しんでいた。今思えば脳機能障害もあったのだろうが…忘れるのが怖いとしきりに言っていた」
「忘れる…?記憶をすべて思い出せる魔法なのに?」
「出来事に伴う本当の感情を忘れていく、と。彼女の涙を見たのはあれっきりだった」
サキはあの日記に書かれた一文を思い出した。
"悲しみも、喜びも、輝きも
全てが褪せた手紙のように
私の感情が再生できない。思い出せない。
もう何も感じない"
「君があんな風になってしまったら、私はもう耐えられない」
あの、釘のはみ出た棚にしまわれた革の本。
リドルの日記のような妖気を放つ本はリヴェンの絶望が詰まっていた。
母は最後の瞬間も絶望に包まれて死んだんだろうか。
ダンブルドアの持っていたあの輝かしい黄昏の記憶が、彼女の心を覆う闇をより濃くしていた。
「最後に残るのは絶望だとは限りません。パンドラの匣だって、最後に出てきたのは希望なんですよ」
「君がリヴェンにとっての希望だったんだ」
「……みんな勝手だ。人にいろんな事を期待しすぎてる」
サキは門柱により掛かり、手袋を外して指先を傷つけた。
「なんにせよ…先生。脳髄はダンブルドアの死を切っ掛けに失われた…そうですね?」
「ああ、その通り」
「そして…私が思うに、ヴォルデモートを殺すには…ただあの人の息の根を止めるわけにはいかないのでしょう?」
その血が地面におちた途端、門から先を覆っていた魔法がまるでシャボン玉が弾けるように霧散した。
「ダンブルドアはあいつを殺す方法をハリーに教えていた。そうなんですよね?」
「…なぜ?」
「ちょっと考えればわかります。いくら希代の闇の魔法使いとはいえ、肉体を持つものならば殺せるはずなのです。でも彼は…肉体を失って尚復活を遂げた。どうやってやるのかはさっぱりですが、ハリーしかそれを殺す方法をしらない。だったら私のできることはハリーたちの邪魔をしないことです」
「…君は、ダンブルドアを殺した私を信用しているのか?闇の帝王側の人間だと思わないのか?」
「先生、ずっと私に言っていたこと忘れちゃったんですか?あなたは私の味方なんでしょう?だからダンブルドアを殺すしかなかった」
「ああ。そうだ」
「私はずーっとあの人が大嫌い!先生が私の味方なら、先生も道連れであの人の敵。そうでしょ?」
セブルスは呆れるように目をつむり、そしてほんの少しだけ口角を上げてサキを見た。
門をくぐり、呪文が全て消え失せ顕になった荒れ果てた洋館の扉を開ける。
「君の、足し算みたいな正義感は…時々正しいんじゃないかと思わせるな」
「私は性善説を信じてるので。先生みたいな根暗コウモリでも信じることのできる、広い心を持ってるのです」
「……君は性悪だな」
「はっはっはっ」
脳髄の在り処はダンブルドアが文字通り墓まで持っていってしまった。校長室をひっくり返さない限り見つけるのは不可能だろう。
任務は失敗し、不死鳥の騎士団はいよいよ追い詰められる。
あの人は莫大な力を得るだろう。
けれども、まだ何もかもが終わったわけじゃない。むしろこれからが始まりだ。
日は昇った。
朝と夜の中間に星が一つ、落ちていく。
謎のプリンス完