【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
今までずっと空白のままだった『母』という器が突然瓶詰め死体で満たされた。母だと言われたその肢体はまだ若く、艶があって、瑞々しかった。
たった今まで生きてたみたいなその瓶詰めの肉体の破片はもう15年前に死んだはずの母親。
今までずっと、目を逸らしてきた。自分の今までの人生に敷かれてきた死人の轍が突然目の前に現れたみたいにー受け入れがたい現実がそこにあった。
マクリールの魔法…
食人により繋げてきた血の魔法。
その魔法を受け継ぐ肉体は過去全ての記憶を保有する。
にわかには信じがたいことだが…どうやらスネイプ先生は何かを知っているらしい。
姿現し先はホグワーツ駅だった。敷地内では姿現しはできないと聞いていたが、どうやら駅ならギリギリセーフらしい。
しかし駅から校門までが遠いのだが…。
森を抜ける間、スネイプもサキも終始無言だった。空は青紫色に色づいてきて、直に日が昇る。
もう一晩たったのか。
魔法省が地下だったせいもあって自分が過ごした時間を見失ってる。
ホグワーツの門をくぐる頃にはもう朝焼けが塔を照らしていた。
城に戻ってきて、ようやく現実感を取り戻した。やっと足が地についたような気がした。
まだみんな寝静まってるから城はやけに静かで、遠くから小鳥のさえずりが聞こえる。さっきまでの出来事が嘘みたいだ。
校長室は長らく閉ざしていたその扉を開け、サキとスネイプを上へ運んだ。ダンブルドアはちゃんと戻ってきたらしい。
一夜明けてアンブリッジはどうなったんだろう?
結局死喰い人たちは捕まったんだろうか。
シリウス・ブラックは…
「よう無事で戻った」
ダンブルドアは魔法省での熾烈な戦いがなかったようにニッコリ微笑んだ。
「ダンブルドア…先生。ハリーは…」
「勿論無事じゃよ」
ダンブルドアはサキに座るように促した。
「…さて…色んなことがあった夜じゃったな」
「……ダンブルドア先生、貴方は…あなたは、ずっと私に嘘を吐いていたんですね」
「いいや、嘘はついておらん。ただ真実を告げなかっただけじゃ」
「私にとっては同じです」
スネイプが何か言おうとしているのがわかった。サキは再度呼吸を整えて椅子に座った。ダンブルドアはまたニコリ、と微笑む。そのいかにも優しそうな笑みと、ヴォルデモートの言葉が重なった。
ー目的のためなら娘に脳髄を食わすことだってしかねん男だぞー
ダンブルドア。例のあの人相手に一歩も引けを取らない偉大な魔法使いが食人を容認するだろうか?
「まず…そうじゃな。様々な疑問が君を混乱させているじゃろうから、それを解決するはずの記憶を見せよう」
壁がせり出して立派な装飾の施された憂いの篩が出てきた。もやもやと色のはっきりしない液体が揺れている。棚にところせましと並んだ瓶から、ダンブルドアは赤いラベルの貼られた瓶を取り出した。
「これはセブルスの記憶じゃ」
「…ええ。リヴェンとの会話の記憶です」
「それに…魔法のことが?」
「そうじゃ」
ダンブルドアはコルクを外し、篩の中に記憶の糸を垂らした。それはまるで血のように篩の中で広がり、マーブル模様を描きながら溶けていく。
母親が居た時間の記憶。生きてる母の姿を初めて見ることになるんだ。
「………無理をしないでくれ」
サキがなかなか覗かないのを見て、スネイプが肩に手を当ててとめた。しかしサキは今更逃げ出すつもりはない。
「一緒に…一緒に見てください」
「……わかった」
スネイプはダンブルドアの方を見てからサキと一緒に篩に顔を突っ込んだ。
胃が前転したみたいに変な浮遊感がサキを襲った。真っ逆さまに落ちていくのかと思いきや、気づけば地面に立っていた。
薄膜がかかったような風景だが、そこは確かにマクリールの館だ。廊下は今の館よりきれいで、掛かった絵にホコリが積もってない。生活感のある館なんて新鮮だ。ふと周りを見回すと横にしかめっ面をしたスネイプ先生がいる。
「ここが記憶ですか?」
尋ねるが、答えない。おや?と思ってもう一度スネイプの顔をよく見ると今より肌に張りがある。
「こっちだ、サキ」
「わ、じゃあこれは記憶の先生?」
「そうだ」
サキは改めてまじまじと若かりし頃のスネイプを眺めた。こうして見ると年月でだいぶくたびれたんだな、先生…。
手には料理の乗ったトレーがあって、スタスタと廊下を歩き、ある部屋に入った。
サキがノブをひねろうとしたがスネイプはまっすぐ進んで壁を抜けていく。記憶には物理的な形はないようだ。なんだか幽霊にでもなった気持ち。
部屋の中には、ゆったりとした服で窓辺に座る女がいた。
黒くてつややかな黒髪に、百合のように白く、みずみずしい肌。真っ赤な唇。今にも死んでしまいそうなほど影の薄い女だった。
彼女は食事を運んできたスネイプに気づき、座り直した。
「煩わしい」
サキは驚いた。イライラしてるときの自分の声にそっくりだ。
「食事なんて時間の無駄だわ」
「食事は文化ですよ」
若かりしスネイプはやれやれと言いたげに机の上にトレーをおいた。リヴェンは震える手でスプーンを取ったがスープの重みで落としてしまう。スネイプはすぐ拭って、すくったスプーンを持たせた。扱いに慣れてるらしい。
「セブ…慣れてきたわね、仕事」
「ええ。死喰い人の仕事がまさかこんなのだとは、思いもしませんでした」
「因果応報ね。…私がなんで閉じ込められてるか、知りたい?」
「私のせいです。ええ、そうですよ、因果応報です」
「なに拗ねてるの?違うわ。この一族の魔法のこと」
「…興味がないといえば嘘になります。貴方の魔法が、どれほどの価値があるか…誰も知らない」
「ふうん」
そう言いながらサンドイッチを口に詰めてくリヴェン・マクリールはさんざん言われたとおりサキの生き写しだ。
若い先生が自分と話してるみたいで落ち着かない。
「大したことないのよ。この魔法は単なる資格。膨大な記憶へアクセスできる資格を得るに過ぎない」
「膨大な記憶?」
「そう。紀元前…魔法がまだ血を介して行使されていた時代から、杖が生まれ、数々の戦いを経て今の社会の下地ができるまで…それからずっと、私の血族が見て体験してきた記憶」
「貴方は…その、死んだ人たちの記憶を見られるんですか?」
「ええ」
「……からかっているでしょう?」
若かりしスネイプの疑わしげな顔にリヴェンは微かに口を歪めた。
「そう、見える?」
「あなたはいつも私をからかって遊ぶ」
「そうかしら?」
「そうです!」
最悪な気分で篩を覗き、覚悟して記憶の中の母を見たのだが…なんか普通に仲良さそうな二人がいて、サキはなんだか拍子抜けしてしまった。横にいるスネイプ先生は心なしか照れてるような恥ずかしいようなそんな顔して目をそらしている。
「でも本当よ。だから私は眠るたびにそのマクリールたちの人生を体験するの。記憶を追想し、追体験し、誰かの人生を眠るたびに送る。つぎ目が覚めても…それがリヴェン・マクリールのどの時間かわからない。私の時間を認識する主体はもうとっくに失われたから、目が覚めたらまたその記憶の生を生きるの」
「……眠るたびに、他の人の記憶を?」
「そう」
「……先輩…それって」
「懐かしい呼び名」
「茶化さないでください。先輩、それって…貴方は…何千年もある時間を追体験しているということでは、ないですよね」
「正解よセブルス。…私は時間という枷から解き放たれている。そして…私は自分の肉体が存在する時間に限って、過去をやり直すことができる」
「過去をやり直す…?」
「私は、私の過去の中でなら自由に過去の行動を変えられるのよ。この野菜スープをコーンポタージュにだって、まあやろうと思えばできるわ」
「つまり…過去を改竄できる、と?バカげてる…」
「馬鹿げてるわ。それにたとえ私が過去の自分の行動を変えても、変えたと認識できるのは私だけ。書き換えた瞬間世界も書き換わり、私の肉体が生きる時間まで莫大な量の情報が新たにその空白に書き込まれることになる。だから当然傷んでいくわ」
サキは呆気にとられていた。
今まで食って繋いだ血族の記憶をすべて保有する…ここまではいい。そればかりか過去を改竄するだって?
「証明できないのが残念ですね。もし本当ならば大変なことです」
「証明できるわ」
「どうやって?」
「予言するわ」
「予言、ですか」
「そう。もう私には時間の概念が無くなってしまったから、未来まで過ごして、また戻って、見たことを話すだけ」
「…どういう事ですか?」
「あら、頭のいいプリンスはどこにいったの」
「やめてください」
サキは横に立つ老けたスネイプを見た。若いスネイプとおなじ渋い顔をしている。
「セブルス…予言してあげるわ。貴方は大切なものを失い続ける。生きてる限り、ずっと。ずっと、ずっとよ」
リヴェンは悲しそうに笑った。花が開く瞬間みたいに赤い唇が歪んだ。
景色が突然ぐちゃぐちゃに滲んで消えて、瞬きした次の瞬間、サキは憂いの篩の前にいた。
「……リヴェン・マクリールの言ったことは真実ですか?」
「如何にも」
ダンブルドアは相変わらず穏やかだ。サキはさきほど記憶の中の母が話していた事をゆっくり整理する。
「…未来を知れるだけでなく、過去を改竄できる…確かにそばに置いておきたい魔法ですね、それは」
「その通り。ヴォルデモート自身はおそらく必要としないじゃろう。じゃがヴォルデモートの敵が手に入れた場合厄介な魔法じゃ」
「タイムターナーと何が違うんですか」
「逆転時計は確かマクリール製作の品物のはずじゃな。あれとの決定的な違いは制約がないことじゃ。逆転時計は魔法の込められた砂粒の数で逆行できる時間が変わる。しかしそもそも、君たちの魔法は逆行するという概念にすらとらわれないもののはずじゃ」
「…つまり?」
「マクリールの魔法は時の流れというもの自体から解放される。つまり、ときの流れという川からあがり、好きなように岸辺を歩き、糸をたらせる釣り人じゃ」
「それって…おかしくないですか?だって身体はちゃんとここにあって、毎秒毎時間成長していくじゃないですか?」
「だから君たちはその個々の断絶した身体を血で繋いでいるのじゃよ」
ダンブルドアは憂いの篩から液体を掬い上げた。とろとろした液体の中からぼやけた白い糸だけつまみ上げられ、瓶に戻される。
「君たちの魔法は人の手に余る。しかし、その魔法を手に入れた時点で君たちは歴史の舞台から消える。だからこそ今まで悪用もされず友好な関係を築いてこれたのじゃ」
「……なるほど?」
今までただひっそりと継がれていった魔法はヴォルデモートにより発見されてしまい、ダンブルドアが器と鍵を手に入れた。
その絶妙な力関係が今サキをこの場に立たせている。
「校長」
スネイプがダンブルドアとサキの間に割って入った。
「もういいでしょう。サキは疲れています」
「待ってくださいよ。それで、脳髄は一体どこにあるんですか?」
「サキ!そんな事知ったってどうにもならない。君はー」
「母が、私に遺したんでしょう?食われるために」
サキは止めに入ったスネイプの腕を振りほどいた。バラバラの肉の断面が脳裏に焼き付いて剥がれない。
「そうじゃ。儂が持っておる」
「校長!」
スネイプが悲痛な声で止めた。
「じゃがサキ、君に渡すつもりはない。少なくとも君が大人になるまでは」
「何でですか?だってそれがあれば今日、魔法省に行くのを止められる。ううん、去年ヴォルデモートが復活するのだって止められるじゃないですか!」
「止められるとも。それでも、だめじゃ」
「……何故ですか?」
ダンブルドアはスネイプを横目で見た。視線につられてサキもスネイプを見つめる。
「時の流れから解放されるということは…人で無くなるということだ。君の意識は数千年の記憶に晒され、変わり、どこにも居なくなる」
「……母は、いたじゃないですか」
「違う。違うんだ、サキ。君は死よりも恐ろしいことを知らない」
スネイプはそれ以上何も言わなかった。サキには全然わからない。数千年という時間も、時の流れとかいうものも、人が人でなくなる理由も。
もどかしい。
その魔法があれば、シリウス・ブラックを救える。
ハリーは絶対彼の死に苦しんでいる。ああ、それにドラコと喧嘩する前に戻れる。
なんならクラウチJrを捕まえて、ヴォルデモートの復活すらなかったことになるのに。
死よりも恐ろしいこと。
「死よりも残酷で、理不尽なことなんてないじゃないですか…」
サキは自分がどうすればいいのかわからなくて、わけもわからず泣き出したくなる気持ちになった。窓もドアもあるのに外に出れない鳥の気分だ。
「セブルスが君の保護者じゃ。儂は君に脳髄の在り処を話すことはできん」
「……」
「成人までの一年、よく考える事じゃ。君がこの魔法を継ぐべきか否か」
「…どうでしょうね。ヴォルデモートがそれを許さないかもしれません」
「サキ、君のよき保護者がそれを赦さんよ。セブルスを信じ、よく従いなさい」
サキはスネイプをちらっと見た。
意志の強い黒い瞳が真っ直ぐこちらを見つめ返している。
「サキ…儂はマクリールの魔法は在るべきでは無いと思っておる。それは人が扱うにはあまりに大きな力じゃ。大いなる力の代償は、君のことを大きく傷つけるじゃろう」
「それでも…」
「今決めても後悔する。そうじゃろう。さあ、今はただゆっくりと休みなさい。そしてじっくりと考えるのじゃ。時間は、若者にとっては時に苦しいくらいにたっぷりとあるのだから」