【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
サキはボヤけた視界にゆらゆらと紫の炎が揺れているのを見た。
炎は嫌いだ。
首がやけに痛くて手と足の先が痺れている。体が思うように動かず、口からうめき声が漏れた。呪文による拘束というよりは寧ろ毒物を飲まされたような感じだ。
あの時、廊下でマクリールと呼ばれてそれから記憶がない。
十中八九誘拐されたんだろうが、ここはどこなんだろう。
不思議な場所だった。ゆっくり回りを見回すと見覚えのあるローブの端が見えた。
「気がついたか?マクリール。」
その声に上を見上げると、何時もよりよっぽどしゃんとして堂々としたクィレルが羊皮紙を持って立っていた。
「……どもらないんですね」
サキの言葉に何が面白いのかクィレルは笑った。まるで呂律の回らないサキをあざ笑うようだったがその真意はわからない。
「くだらない論理パズルだ。スネイプめ…意表をついたつもりか?」
状況がいまいち分からなかったが、薄暗い部屋と机に並べられたたくさんの瓶と、燃え盛る扉を見てなんとなく今クィレルが石を盗みにあの扉へ入ったのだと察した。
「なんで私を?」
「保険さ、マクリール。こういう時のためのね」
「保険?」
何を言ってるのかさっぱりだった。しかしクィレルは全てを説明する気はさらさらないらしく、体の自由がきかないサキの左腕を掴み無理やり引っ張った。
「スネイプはそこまで教えなかったか?お前の母親のことなのに。…ああ、本当の名前すらないんだったな」
「サキ・シンガー以外の名前で呼ばれても困りますけどね、先生」
痛みと苛立ちで思わず喧嘩を売ってしまったがクィレルは挑発に乗る様子もなくせせら嗤ってサキの左腕を捲り、杖を押し当てた。
みぞの鏡を見た時に出血した痕だった。
「お前の一族は特殊な魔法を使う。血を媒介にした魔法だ」
クィレルが小声で魔法を唱えると、杖の先に鋭い痛みが走った。鏡を見た後と同じ様に皮膚が裂けてそこを中心にぶわっと鳥肌が立つ。
悲鳴をあげる自由すらなく、サキの喉からは絞り出したような呻き声しか出なかった。
「屋敷しもべやゴブリンに我々の魔法が通用しないように、貴様の一族の血は我々とは違った魔力を持っている。魔法使いの呪文を暴き、いとも簡単に解除する。お前の母親を捕まえるのには苦労したよ。なにせ並大抵の魔法使いでは見つけることすら叶わん」
クィレルは黙々とサキの腕から流れ出す血を瓶に入れていた。
地の底から響くような声が耳から脳へ直接入り込むように続ける。
「お前は厳密には魔法族じゃない。その体には人でなしの血が流れているのだ。お前の母親の、忌まわしい血が」
目覚めていきなりそんな難しいことを言われて、しかも血を抜かれてまともに覚えている人間なんていない。
サキはぞくぞくと背筋に這い上がる寒気と痛みと体のだるさが意識の大半を占めており、耳に入ってくる言葉のほとんどを聞き流していた。
ただなんとなく母親についてと自分の悪口を言われていることはわかった。
「じゃあ、あなたの生まれは自慢できるものなんですか」
サキは今自分と対峙しているものがなんなのかを考えず言い返した。この口撃は相手の何かを刺激したらしい。頭に重い衝撃が走り、気づいた時には額を地面に打ち付けていた。
思いっきり殴られたようだ。
頭がガンガンと割れるように痛んだ。額から流れた血が目に入り視界が霞んだ。
「御主人様…お怒りを鎮めてください。無理をすると体が…。小娘の血は集まりました」
「…よし、その血をあの黒い炎にかけろ。膜を張るようにするのだ」
サキはやっとさっきまで話していた低いしゃがれた声がクィレルではない事に気付いた。
姿は見えないが誰かもう一人いる。
いったいどこにいるんだろう?
サキの霞む視界の向こうで炎がふっと消えるのが見えた。
クィレルはサキの首根っこを掴みあげ、ぶつかるのも構わずにその扉をくぐった。
「貴方が!」
炎の扉をくぐってからハリーが目にしたのはみぞの鏡に血をべっとりとつけてもたれるサキと、その髪を掴み鏡越しにハリーを睨みつけるクィレルだった。
「ハリー…」
「ポッター、よくここまで生きてこれたな。子どもだろうとさっさと始末するべきだった」
「僕……スネイプだと思ってた。どうして?」
「スネイプ?ここまで石を盗むことができなかったのも君を殺せなかったのも全てあいつのせいだ。忌々しいコウモリめ」
クィレルは吐き捨てるように言った。
「おとなしくしてろ。この鏡さえ突破できれば石を手に入れられる」
クィレルはこん、こん、とサキの頭を鏡に打ち付けた。ハリーが思わず駆け寄ろうとすると、足元から突如ロープが出現して体を縛り上げた。
「どうしてサキを?」
「この子は全てにおいての保険だ。お前にはわかるまいよ」
ハリーはてっきりサキがクィレルを疑ったせいで捕まったと思っていた。しかしどうやら違うようだった。サキは体の自由がきかないらしく、腕を重たそうに鏡に押し付けて立つのが精一杯だった。
「さあ、早くこの鏡にかかった魔法を解け。無理やり血を絞られたいのか?それとも友達が殺されるのを見ないとやる気が出ないか?」
「うるさい…調子乗るな」
サキが減らず口を叩くと、クィレルは力一杯頭を鏡に叩きつける。
鏡にヒビが入ってそのヒビにサキの血がつうっと流れる。
「やめろ!」
ハリーが悲鳴をあげるとクィレルは愉快そうに笑った。
普段のクィレルとかけ離れた悪意に満ちた笑みにハリーはぞっとした。サキの額からは血がドロドロと流れている。
このままじゃサキが死んでしまう。
ハリーは鏡に映る痛々しいサキの姿を見て心の底から願った。
あれが石を手に入れるために必要なら、クィレルより先に自分が見つけなければいけない。
賢者の石はどこにある?どうやれば見つけられる?
サキの血がながれる鏡面はじわじわと錆びついていくように澱んで行く。
「ハリー…ごめん」
サキが力なく鏡越しにハリーを見つめた。
「賢者の石はもう手に入らない。永久に」
そう言うと、今までだるそうにしていたのを振り払うようにサキは思いっきり自分の拳をみぞの鏡に叩きつけた。
クィレルが止める隙もなく、鏡は爆発したように粉々に砕け散った。
破片がきらきら輝いてサキの周りに落ちた。
ぼたぼたと流れる血がその破片を汚した。
「失血したおかげで毒が抜けました。もうちょっと考えて虐待しないとダメですね」
サキが嘲るように笑うと、激昂したクィレルがサキの首を締め上げて持ち上げる。
「やめろ!」
ハリーの声に被さるように、地獄から響いてくるような低い声が轟いた。
「殺すな。その子は殺してはならん」
「しかし、御主人様…!この小娘のせいで、鏡が!石が!」
ハリーは混乱した。
クィレルの腕は誰かに無理やり押さえつけられたようにサキを離した。
気絶したサキが地面に落ちてクィレルが跪く。
「なんのための保険だ?これ以上失態を重ねるつもりなのか?あまり俺様を失望させるな」
ハリーは気付く。その声がクィレルのすぐそばから聞こえてくることに。
そう、黒幕はずっと初めからそこにいたのだ。
「ヴォルデモート…!」
ハリーの声に反応するように、残った鏡越しにハリーを見つめるクィレルが怯えた顔でターバンをはずした。
するすると布が落ちて、クィレルの後頭部に巣食う邪悪なそれが露出した。
切れ込みのような鼻に、ギラギラ光る血走った瞳。
人とは思えない悍ましい形相のヴォルデモートがハリーを睨みあげた。
「ハリー・ポッター…」
ハリーは全ての言葉を失った。
親の仇であるヴォルデモートが1年間近くにいたなんて。そして、こんな姿になってまで生きながらえてるなんて。
「この有様を見ろ。今は誰かの形を借りてやっと姿を表せる影と霞にすぎない。しかし確かに俺様は生きている。そして…石が無くなった今、俺様は仕方なくもう少し居心地のいい体に移動しようというわけだ」
「サキに取り憑く気なのか…?」
ハリーが絞り出すように言った。ヴォルデモートはせせら笑い、クィレルがパチンと指を鳴らした。ハリーの拘束が解けて周囲が炎に包まれる。
熱がハリーの顔を嬲った。逃げ道はない。
「ああ。けれどその前に、俺様の死の呪文を退けたお前には退場してもらわなければな」
にやり、とヴォルデモートとクィレルが笑った。
「捕まえろ!殺せ!」
ヴォルデモートの怒声が轟いた。業火に照らされた黒いローブがゆらりと動くと、次の瞬間にはクィレルの腕がハリーを締め上げていた。
ハリーの喉から一絞りの空気が漏れ出す。
ハリーの視界がかすんだ。
気が遠のきそうになったその時、突然クィレルの腕の力が緩んだ。
「御主人様!て、手が!手が焼ける!」
焼け爛れた手を見てクィレルが悲鳴をあげていた。
「馬鹿者!それなら杖を使え!殺すのだ」
ヴォルデモートの声に応えるようにクィレルが杖を取り出そうと残った手でローブをかき分ける。ハリーは必死にそのクィレルの顔を掴んだ。
「ぎゃあああアーーッ!」
恐ろしい悲鳴をあげてクィレルが地面をのたうちまわる。
ハリーに掴まれた部分が焼けてじゅくじゅくと皮膚から汁がにじみ出ていた。
ちりちりと肉の焼ける匂いが鼻をさし、クィレルの土気色の肌が焦げ付いて剥がれ落ちていく。
ハリーはその光景を見て理解した。
クィレルは自分に触れることはできないんだ。
クィレルは杖を取り落とした。痛みのあまり悲鳴はもはや音のように口からめちゃくちゃに吐き出されるだけだ。
後頭部のヴォルデモートの殺せ殺せという声がガンガンと頭に鳴り響いた。
クィレルが口からちろりと真っ赤な炎を出したのを皮切りに、ハリーの意識は額を突き刺す痛みの中に落ちていった。
頰から熱い液体が溢れて落ちていくのを感じて、サキは目を覚ました。
涙で霞む視界には石作りの天井が広がっている。
頰から流れ落ちたのはどうやら血液らしい。流れた痕がピキピキと乾いてひび割れる。
頰だけじゃなかった。身体中が血まみれだ。
このまま死ぬんだろうか?
サキはぼんやりと割れた鏡の破片にうつる炎を見た。
パチパチと炎の爆ぜる音がする。
他にはもう何も聞こえない。
ハリーは無事だろうか?
動けないサキには確かめようがない。
鏡を壊せば石を手に入れることはできないはずだ。
今サキの心の中にあるのは自分は精一杯やったぞという満足感とほんのちょっとの後悔だけだった。
死に損ないにしては上出来じゃないか。
サキは孤児院の火事から生き残って、ずっと心のどこかで自分は死んでいるべきだと思っていた。
だから今死んでも1年寿命が延びただけにすぎない。そう思っていた。
サバイバーズ・ギルト。
サキの一見命知らずで危険知らずな行動は生き残りの罪悪感からくるものだったのだ。
体がフワッと浮くような気持ちがして、サキは逆らうことなくそのまま眠りに落ちた。
「知らない天井だ…」
自分が死んだと思いこんでたサキはここが天国だと一瞬勘違いした。
しかし仮に天国だとしたらなぜ不機嫌そうなスネイプが自分を覗き込んでいるんだろう。
せめて天国でくらい笑ってろよと呆れたが、よくよく見ると天井も汚い。天国としてあるまじき汚さだ。
というかもろに校舎だった。
「馬鹿者が」
「起きて1番にそれですか…?」
「大馬鹿者が」
スネイプがさっと立ち上がり、サキの視界から消えた。追うように起きると自分が思っていたより重症らしいことに気づく。湿布と包帯でぐるぐるだった。
「賢者の石は」
「無事だ」
「ハリーは…?クィレル先生は捕まったんですか?」
「無事だ。クィレルは死んだ。いいから寝ていろ。じきに校長がくる」
スネイプは起き上がったサキの肩を押して無理やりベッドに寝かせる。また起き上がる気力はなかったのでおとなしく天井を見上げながらサキはスネイプに聞いた。
「っていうか…私夕方あたりから何が起きたかわかってないんですけど」
「なぜ異常を感じた時点で我輩に言わなかったのだ。そのおかげで生徒が5人も怪我をしたのだぞ。サキ、君は死んでいたかもしれない。事の重大さをわかっているのか?」
「5人?」
「ポッター、ウィーズリー、グレンジャー、…それとドラコだ」
「えぇ?なんでドラコが?!無事なんですか?」
「無事だ。今はサキ、貴様に説教をしてるんだぞ!」
スネイプの怒鳴り声にサキは慌てて口をつぐむ。
その声にマダム・ポンフリーが飛んできてスネイプをじろりと睨んだ。スネイプは眉根を寄せて声を潜めて続けた。
「自分の安全をないがしろにしすぎだ。結果的に無事だったとはいえ一歩でも遅れれば君は死んでいたぞ。ドラコ達も下手したら死んでいた」
「はい…」
まさかドラコまで危険を冒していたとは。全く予想外で驚く反面サキはちょっとだけ嬉しかった。
「サキ、君になにかあったら君の母親に顔向けできない…」
「あ、母といえば」
サキは自分があの黒い炎の部屋でヴォルデモートに言われたことを思い出す。
「あの人、母について悪口言ってたんですよね。母とどういう関係だったんでしょうか」
スネイプはその質問に答えにくそうに目をそらした。サキは一瞬だったが見逃さなかった。
例のあの人の手下である死喰い人だったような口ぶりではなかった。しかし母についてやけにわけ知り顔で説明していたし、あの口調はまるで長い付き合いかのような親しみさえあった。
「それは…」
「儂が説明しようかのう」
スネイプの後ろにいつの間にかダンブルドアが立っていた。