【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
グリンゴッツからベラトリックスの死体が発見された時、ヴォルデモートはサキ・マクリールの叛逆を悟った。そして同時に彼女がおそらく脳髄を手にし未来を知ったことも判った。
そうでなければまずベラトリックスを殺害するなんて思いつかないはずだ。彼女は悪逆非道の政策を顔色一つ変えずに打ち出すことは何度もしてきたが今までそういった行為を正当化することはあれど隠匿することはなかった。
なぜ今になって突然?静かな焦燥感に焦げ付く。
ベラトリックスは肩口を刃物で切り裂かれ肩が皮一枚でつながっていた。目には何かが刺さり、眼窩から青白い眼球がごろりと転がり落ちていた。腐敗を通り越して干からび始めた眼球は弾性すら失い始めていた。乾ききった血を舐めるネズミを踏み潰し、小鬼たちを殺戮したあと、ヴォルデモートはふとサキの祖母クイン・マクリールはこういう死体が好きだったことを思い出した。
「母は小動物の剥製を作るのが好きだったの」
リヴェンはいつも、ぼうっとしたまま唐突に昔話をした。ヴォルデモートはいくら場違いでもそれを聞いてやった。曖昧になっていく彼女の意識の中にある確かな思い出というやつはとても退屈だったが、それを話すときの彼女はいつもより安らかで見ていてとても…適切な言葉が見つからない。けれども何か、言葉にしようのない何かが溢れてきそうになる。
「リスなんかがお気に入りなの。尻尾をよくくれたわ。正直困ったけど…母からもらった中で一番マシなプレゼントだったかもしれない」
「獣の尻尾よりひどいプレゼントがあるのか?」
「ええ。そうね…肝臓なんかを貰ったときは困ったわ」
リヴェンはここのところ庭に出る気力もないらしい。セブルスに任せてるという庭は前と同じように整理されてはいるが、リヴェンの作る庭とは少し違う。
ヴォルデモートはどちらかというと彼女の庭のほうが好きだった。容赦なく剪定され、死の直前の張り詰めた花は無作為にはびこる花よりも美しかったし、蔦の位置さえ決めてあった。
「母親らしくない人だった…私もきっとそうね」
「記憶の中での先祖たちはどうなんだ。お前たちが母親らしく振る舞うとは全く想像できん」
「確かにほとんど母性に溢れた人はいない。でも母親らしさってなにかしら?」
「それは…俺様に聞くな」
「それもそうね」
リヴェンは珍しく挑発するように笑った。
「可哀想なトム。でもなんてことないわ。母親なんてなくても人は勝手に育つもの」
「いいや、運次第だ」
「じゃああなたは運が悪かったわね」
「お前は俺様を怒らせるのが好きらしい」
「そう。好きよ」
でもそれももう終わりね。
彼女はいつもそう付け足しているんだろう。彼女が何回も時間を繰り返しているのは知っている。しかしなんの為かは頑なに教えようとしない。
彼女に開心術は効かない。彼女の心は閉ざされているばかりでなく数千年という記憶のせいで複雑な層をなしている。端的に言えば人と心の構造が違いすぎる。
ヴォルデモートはリヴェンの心を知ることはできない。絶対に。その事実がほんの少しだけ悲しい。悲しいと思えた。
「ねえ。トム」
「その名で呼ぶな」
彼女はいつも通り椅子に座りっぱなしで差し込む陽光に目を細めながら笑う。
「嫌よ。トム」
その笑みはリヴェンだけのものだと思っていた。
けれども娘のサキ・マクリールはまるで母親の鏡像のように笑ってる。
自分の面影をほのかに感じさせる、警戒心を解きほぐすような柔らかい唇のライン。母親譲りのすうっと通る鼻筋と、赤い唇。そして以前より冷たく暗い眼差し。
以前、魔法省の役職を授けるときにヴォルデモートは彼女に話しかけた。
「サキ。お前は随分変わったな」
「男子3日会わざればなんとやら。女子もそうです。子どもの成長はあっという間ですよ」
口調は以前と変わらない。しかしその中身は殆ど別物ではないかと感じさせるほど無機質だった。
「これでお前はかつての仲間を追い詰める立場となったわけだ」
「私が選んだことです。後悔はしてません」
リヴェンと同じように、嘘の下手な娘だ。
若しくは自分と同じように…
そんな感傷を抱くなんて自分らしくもない。どうもリヴェンに関してはトムはトムらしくない妙な思考回路に陥るらしい。
やけに卑屈になる。
それでは駄目だ。
彼女はとんでもないカリスマ性と冷酷さでヴォルデモート政権樹立に貢献した。その苛烈さは今までの彼女に垣間見えていた魅力の一つで、自分の血筋さえ感じたものだった。
しかしながらベラトリックスを殺し消息を立ったサキは、もう生かしておくには危険すぎる。リヴェンと同じになったというのならば、もう飼い殺しなんて甘いことは言ってられない。
「サキの行方は」
「まだ何も…」
苛立った声に周りはすっかり怯えている。そればかりかベラトリックス殺害のせいで死喰い人はみな疑心暗鬼に陥っていた。サキは敢えて離反しなさそうな死喰い人達に毒を撒き散らしていたらしい。そのせいでただでさえ薄い連携が蜘蛛の糸より儚いものになっている。
サキの人物像はダンブルドア殺害以降急速にぼやけ、今や跡形もない。
元の彼女はヴォルデモートが旅に出ている間に霞のように消えた。
「セブルスは!まだ戻らないのか?」
セブルスの裏切りが一瞬頭によぎる。セブルスはサキに肩入れしていた。しかしサキがダンブルドアを殺害して以降はサキがセブルスから離れて没交渉気味だったはずだ。とはいえあの二人の絆は実の親子よりよっぽど深い。
「クソ…忌々しい女め…」
自分が疎かにしてきた内政を恥じた。秘宝に気を取られ、気づけばサキの牙はすっかり喉元に食い込んでいた。彼女が人命を一切度外視しドラコすら最悪死んでもいいように動くのは予想外だった。
孤立し誰にも縛られない。たった一人で自分に楯突くとは。
見せしめにドラコを吊るしてしまおうか?
しかしドラコはまだ校内にいる。ハリー・ポッターが投降したらすぐに捕まえて見せしめに殺してやる。いや、投降しなくても殺す。
サキ・マクリール。
お前が選んだ道を後悔させてやる。
ヴォルデモートはようやく手に入れたニワトコの杖を指揮棒のように振るった。
今まさに張り巡らされてる防護呪文へ向けて。
……
スネイプとハリーは人目を偲ぶように校長室からでた。ロンたちから離れ、どこからか怒鳴り声が聞こえてくる人気がない廊下をゆく。
スネイプと二人で歩くなんて昔なら考えられない。先程は和解したけど予想通り二人きりだと気まずかった。それにやっぱりスネイプは無愛想だ。ジェームズに瓜二つなせいだろうか。
「あ、そうだ」
ハリーは不意にダンブルドアから託されたスニッチを思い出した。
「なんだ…」
スネイプはハリーが唐突にスニッチに口づけしているのを見てぎょっとした。
「あ、いや違くて!スニッチの肉の記憶のせいで…」
スニッチはすべてが終わるときに開くという文字を見せ、外郭を開いた。中にはなんの変哲もなさそうな黒い飾り石が納められていた。
「まさかこれが…蘇りの石?」
ハリーのつぶやきにスネイプは目を丸くした。
その黒い石を、ハリーはそのまましまってしまう。
「やっぱりまだ…その時じゃない気がする」
「…ああ」
スネイプはその石で誰に会いたいんだろう。やはりリリーなんだろうか。
「ヴォルデモートはどこに?」
「橋の先だろう。ポッター、一度縄で拘束させてもらう」
「あー、キツくしないで…」
言い終わる前にスネイプは魔法で縛り終えていた。しかも結構きつく。この人、本当に自分を守ってたんだろうか。
「それで」
ボート小屋へ続く階段のある獣道を二人並んで歩いた。本当に変な感じだ。
「髪飾りはロンたちが破壊した。僕は、あの人に魂を破壊させる。残るナギニは?」
「騎士団がやるだろう。我輩は…あの人だ」
「サキは先生を助けるために…」
「わかっている」
スネイプの顔は険しかった。
「我輩は死ぬわけにはいない。彼女の命をこれ以上削らないためにも…」
「僕も、サキが辛いのは嫌です」
学校を覆う防護呪文から出ると、急に全身に鳥肌が立った。橋の石畳と続く地面。材質の違いより何より、自分を守るものが何一つないというむき出しの恐怖があった。
「ポッター」
「はい?」
スネイプはハリーの緑色の目をじっと見た。ハリーはなんだかよくわからないけど目を逸らしたら負けな気がしてスネイプの黒い瞳を見返した。
スネイプの目が一瞬優しく閉じ、そして「なんでもない」とつぶやき上を見上げた。
黒い煙のようなものが遠くの丘から飛んできた。
あいつだ。
額のキズがずきりといたんだ。
黒い靄は地面とぶつかるとすぐに人型になり、薄煙を辺りに撒き散らした後消えていく。靄が晴れたあとに佇むのは、あいつだった。
対峙するのは2年ぶり。サキを魔法省から攫ったとき以来だが、ハリーはまるで鏡を見ているような気分になった。
魂で繋がった奇妙な関係。すべての冒険、旅は今日この日のためにあった。
「我が君」
ギラギラと光る赤い瞳。切れ込みのような鼻の穴。骨のように真っ白で生気のない肌。薄い唇の向こうにのぞく汚れた歯と血のように赤い舌。
「セブルス」
「ハリー・ポッターは投降に応じました」
「はっ…」
ヴォルデモートは嘲笑った。ハリーはその邪悪な顔を睨みつける。
「約束を守る気はあるのか」
「威勢がいいのはここまでだろうなポッター」
ヴォルデモートは捕まったハリーを見て爛々と目を輝かせた。興奮で僅かに頬が赤く染まる。
「サキは」
「サキは…」
セブルスは一瞬言い淀んだ。サキは自分を敵だと言ってくれと話していたし事実その通りなのだが、危険が及ぶのを危惧したのだろう。
「彼女は校内で騎士団に拘束されています」
「ベラを殺したのはヤツか?」
「…彼女が、そんなことを?」
「ふん。愚かな娘よ。母親と同じだ」
スネイプは返事をしなかった。ハリーを前にして余裕があるように見せているヴォルデモートだが実際は違う。脳の奥からしびれるような歓びを感じているはずだった。ハリーにはわかる。
「なんにせよご苦労だったなセブルス」
「いえ、このあと待ち構える貴方様の栄光を考えればさしたる苦労ではございません」
「全く口が達者だ」
ヴォルデモートは満足そうに微笑んだ。ハリーは網膜に焼き付けるようにヴォルデモートを睨む。いくらサキのお墨付きとはいえ、本当に死んでしまいそうなくらいやつは力に満ち溢れてる。
「さて…お前はこれから残酷な死を迎えるわけだが何か言い残すことはあるか?ハリー・ポッター」
「みんなの安全を保証しろ。誓え!」
「ハッ!自分の置かれた状況をいまいちわかってないようだな。お前は何かを要求できる立場ではない。俺様の慈悲を請うべきだろう?泣き喚きながらな」
ニワトコの杖が空を切った。途端にハリーは体の中をぐちゃぐちゃに握りつぶされたような苦痛を感じ蹲る。
「痛いか?苦しいか?よく味わっておけ、お前が感じる最後の苦痛を」
自分が何を考えてるのかわからなくなるくらいの痛みの中であいつの声だけが聞こえてくる。非現実的な感覚の中に放り出されると本当に最後な気がしてくる。
スネイプが自分も磔の呪いを受けてるかのような顔をしてこちらを見ている。
そしてヴォルデモートは再び杖を振った。
「アバタケタブラ」
……
「時間だ」
そう言うとサキは立ち上がり徐に手のひらを噛み切り、血がぼたぼたと垂れる手で錠前を弄くり回しはじめた。
「何やってるんだ」
ドラコは止めに入るがもう既に錠は開いていた。
「ドラコ。…私は、本当に君が好きだったんだ。本当だよ。君がいたから私はきっとこれまでの日々を美しいと思えるんだ」
「なんで突然そんな事を?」
サキが返事をすることはなかった。意味有りげに微笑む彼女の肩を掴んで揺すぶった。
「何をするつもりだ?!」
「やり直しだよ。次こそ必ず成功させる」
ドラコは頭から氷水を被ったような悪寒に襲われた。その言い方じゃまるで…
「繰り返してるのか?サキ!君の命を縮めるんだぞ!」
「そうだね。出来れば残りの人生、君のために使いたかったよ」
そう言ってサキはキスをした。
ドラコにとってのファーストキスだった。彼女の唇は鉄の味がした。
「なんで…」
まるでドラコの瞬きのタイミングまですべてを知っているかのようにサキはドラコの脚を払い、転んだすきにするりとドアの隙間から逃げ出し外から鍵をかけた。
ドラコは慌ててノブを揺するが扉には鍵だけでなく木の板まで立てかけられていた。
足音が遠ざかるのが聞こえる。ドラコは叫んだ。その叫び声を聞き届けるものは誰もいなかった。
ホグワーツ特急の車窓から見える景色は何もかも特別輝いて見えた。今思い出してもドキドキする。はじめて自分から人に声をかけて、一緒に好きなだけお菓子を食べた。
私は本当に本当に嬉しくて、その日ロンが着ていた服の柄まで覚えている。
ドラコはまだちんちくりんで、ハリーの髪の毛はまだ癖が出てなくて、ロンのそばかすは今より多くて、ハーマイオニーは逆にくしゃくしゃ毛だった。
私はまだ何も知らなくて、身勝手な自責の念に苛まれてた。
全てが手遅れになる前にやり直せる。でもやり直したいと思えなくなるなんて、その時の私は考えつかなかった。
全てはもう過ぎたこと。
これで終わりだ。何もかも。
ハリー・ポッターを運んだヴォルデモートは投降を呼びかける。セブルスの偽装のおかげで彼はまるで死骸そのものだ。
ここからは何度も繰り返した。考えなくても体が覚えている。47回繰り返す羽目になった光景。
ヴォルデモートは私を容赦するつもりは全くない。
まず、私を見たヴォルデモートが左手を上げて命令をする。それに応じたルシウスは三歩目で瓦礫にひっかかる。すぐに姿くらましして篝火を蹴飛ばし火を放つ。
ハリーが起きてセブルスの腕の中から転げ落ちる。
ヴォルデモートはそれを見て怒り狂って呪文を乱射し、騎士団は一斉に攻撃を始める。
沸き立つ群衆を盾にしながら、サキは何度も何度も通った道をまっすぐ進む。私の前にたまたま立ったコリンが倒れた。それでも私はまっすぐ進む。
杖も持たず、ナイフすら持たず、ただ手に持っているのはボロボロの古びた帽子だけ。
誰の目にもとまらない最短ルート。誰かが瞬きをした瞬間。意識の隙間を縫うように進む。
終わりに向けて。
「サキ…」
「トム」
ハリー・ポッターを殺すために振り上げた腕を攻撃を掻い潜ってきたサキの方へ向ける。あなたがどこを狙うか私はもうすでに知っている。
ハリーを庇うセブは即座にヴォルデモートの注意が逸れたのを察して武装解除呪文を放つ。でもそれは当たらない。トムの怒りの矛先が私より断然強いあなたに向く前に、私は古びた帽子の中に手を突っ込んだ。
さっきは失敗してあなたばかりかハリーまで殺された。その前はあなただけ、その前はハリーが逃げ出した直後。でも私がこうして身を出し彼の注意を引きづづける限り大丈夫。
古びた帽子の中からひと振りの剣がでてくる。バジリスクと体面した時と同じようにサキの手でルビーの柄が光った。
「サキ、サキ・シンガーッ!」
ハリーの放った武装解除呪文がヴォルデモートの頬を掠めた。続けて何発も彼に向けて呪文が放たれる。私と彼の間にはまるで光の雨が降っているようだった。
ヴォルデモートの怒気を切り裂くように、私は剣を彼の腕に斬りつける。遠心力とほんの少しの抵抗感が私の腕に伝わり、彼の手が杖ごと地面に落ちて血潮が鮮やかなアーチを描いた。
光の雨は消え、私とあなたの瞳のみが輝く。
サキの血を、魔法を引き裂く力を吸収したゴブリン製の鋼。魔法でできた彼の肉体にどう効くのか定かではないが、どちらにせよ今この瞬間からバジリスクの毒が彼の傷口から命を蝕み始める。
ヴォルデモートは予想外の出来事に目を丸くした。続いて自分がこのまま返す刀の錆となる未来が見えたのか慟哭し、まだある左手で落ちる腕を拾おうとする。
ここまでももう経験済みだ。
私は躊躇わない。
親殺しは、子どもの役目だ。
かつて日記のトムにそうしたように、サキは刀身を屈んだ彼の肩口に叩きつけた。
私の力じゃ真っ二つにはできない。けれどもバジリスクの毒を帯びた剣は彼の胴に深く埋まった。
初めて勝利を確信した。
「り…」
トムは、ヴォルデモートは自分の敗北がまるで信じられない様子だった。けれども瞳は徐々に光を失い、血溜まりはサキの足元にまで広がっていた。
「リヴェン」
「…なに?」
「お前を、」
私を、どうしたいかは聞きそびれた。
彼は言い終える前に膝を折り、自分の血溜まりの中へ崩れ落ちた。
「クルーシオ!」
感傷に浸る間もなく、私は暴徒と化した死喰い人の呪文を受けて失神した。
磔の呪いは私の罪への正当な罰とすら思えて、苦しみの中に救いを求める信徒のような清らかな気持ちを齎した。
痛みで脳が焼き切れて、私は眠った。
深い深い眠りに落ちた。
意識が落ちる刹那、セブルスが駆け寄ってくるのが見えた。
彼は生きてる。きっとハリーも。
トムは死んで、ダンブルドアも死んだ。
他にもきっとたくさん死んだし、傷ついた。
けれどもきっとこれが、リヴェン・マクリールにとってはじめての成功だ。
お母さん。
眠りに落ちたらあなたの夢をみたい。この運命を歩まなかった私達を。
すべき事は成した。
おやすみなさい。