その日は、彼女達との態度に違和感がないかと聞かれたら、自信がない。
多分、気付かれている。グレーテルには特に。
彼女にアレだけ警戒するように言われたのだ。
戻ってきた私を見てあれやこれやを確認していたから、悟られちゃったと見ていい。
困ったなぁ……。私、魔女への第一歩も踏み出してしまったかもしれない。
あの時の強い感情。怒り、というやつかな。
瞬間的に、あいつを許せないという感情に支配されて、気が付いたら私は私じゃなくなっていた。
分かる。
あの状態をどこか客観的に見ていた、人間としての今の私がいたから。
私はあの刹那、間違いなく『魔女』になっていた。
訂正しろという言葉そのものが『呪詛』という呪いになって、あの魔女に対して攻撃した。
それを理解したあの老婆は謝ったんだ。
呪いが、そうさせたのかは分からない。
魔女には呪いは意味がないと言っていた。
だが、あの魔女は若い魔女にも嫌がらせをする奴もいると言っている。
個人差があるってことか。呪いを分からなければ、される場合もある。
ライムさんの見解は『傍観者』としての、第三者の立場。
当事者の見解じゃない。魔女からすればそういうことも有り得る。
この世に絶対がない早々ないように、時と場合によるようだ。
あの老婆は言った。どこからどう見ても、私は『魔女』だと。
(怖いですね…………)
あの激情がもしも、長時間保っていたら。
私は、どうなっていたんだろう。
もう、手遅れか。既に、遅いか。
素質だけじゃない。私は自らの意思で、外道になった。
そして手元には、呪いを止める魔女の杖。魔女からの贈り物。
怖くなって、私はもう一度精密検査を受けた。
結果は……アウト。私は、半分程度の割合で『魔女』になっていた。
皮肉なことに、青い鳥の呪いの部分が、『人』としての私に食い込んでいたおかげで、内部変容がそちらに及ぶことがなく、半分程度の覚醒で済んでいた、とのこと。
呪いがあるから、『人』としての私がいる。
本当に皮肉な話だ。私を鳥にするための呪いが、私を人に留めておくとは。
先んじて人として呪われたが故に、のちの魔女への変容にも適合しないで、あくまで呪いは人としての私へ呪う。
『半魔半人』の亜人。
強いて言うならそれが私。
いよいよ意味のわからない生命体になってきた。
結局私はなんだ? 魔女か? 人か?
ライムさんだって、私が何かもう分からないとサジを投げた。
呪いを止める杖は本当に呪いの進行を食い止める役目をしているらしい。
まあ、その代わりと言ってはなんだが、魔女としての最適化をしているようだが。
でも魔女も最適化は呪いの領域を犯せず、呪いは魔女への最適化にエネルギーを持っていかれているから成長できない。
つまりは現状から、酷くなることはもうない。多分。
どっちみち、そろそろ絶望的かもしれない。
進むことはないかもしれないが、戻れることもキツくなってきた。
私の、人に戻れる可能性は、どんどん低くなっていく……。
「し、死ねェ! この、クソ狼がぁぁああああーーーーーーーッ!!」
ガシャーンッ!!
「ぎぃやぁああああああーーーーー!」
……何の騒ぎだ朝っぱらから。
数日経過して、一応は何事も無く過ごしている私。
皆とも、そこそこ何ともなく接して、内心ビクビクしながら過ごしていた。
ぶっちゃけ、一人の時は精神的に疲弊状態だった。
秘密を守り通すってのはかなりキツイ。
いつバレるかと安らぐ時が全くないのだ。
相手は仲の良いみんなだ。知られた時が一番怖い。
不眠にならないのが不思議なことだった。
今日はお休み。ちょっと気晴らしに出かけようと思って、部屋を出たら。
何か遠くの方で女の子の切羽詰った悲鳴が聞こえてくる。
あと聞いたことがある野太い男の絶叫も。
何事だろうか? 職員として見に行くことにした。
「……何してんです?」
「一ノ瀬!? た、助けてくれッ! バカ頭巾に殺されるッ!」
「誰がバカ頭巾だケダモノがッ! ぶっ殺してやる!」
「そうです、死になさいケダモノ」
「何で!?」
様子を見に行く。行くんじゃなかったと速攻後悔した。
私と同年代の職員が入所している女の子に刃物を向けられていた。
気の弱そうなシンプルなデザインのメガネをした、ジャージ姿の長身の優男。
それが羞恥で顔を真っ赤にした寝巻き姿の少女に今まさに、殺されそうになってる。
少女の手には、鋭い包丁が持たれていた。
うん、死ねばいいんじゃないかな。
「
「何で向こうの味方するのさ! ぼかぁ、仕事で着替え持ってきただけだよ!?」
……何か言ってるよこの野郎。生意気な。
「黙れ。知るか。死ね。……女性の為ですから。ここで、殺していいですよ」
「ありがとう、職員さん! ってことで覚悟しろ狼! 今日こそ殺してやるッ!」
「ひぃっ!?」
この男は私の同期にあたる異世界、要は私の世界の人間である雅堂という高校生。
私と似たようなタイミングで送られてきた、同じ運命を背負う人間である。
こいつも相当厄介な呪いを持っており、そのせいでサナトリウム中の入所する女の子に蛇蝎のごとく嫌われている。
こいつの呪いは『特定の女の子に自身の姿が狼に見える』呪い。
基盤になっているのは童話『赤ずきん』だそうだ。
……まぁ、言うまでもない。雅堂の担当はその本人、赤ずきん。
赤ずきんの本名は知らないが、彼は彼女をバカ頭巾と呼んでおり、日々殺し合いの日常を送っている。殺される役目が雅堂の方で。
赤ずきんはこの狼を天敵、更に言うなら男はケダモノだと本当に信じ込んでおり、この狼をぶち殺すと公言していた。
……そういえば性的な意味で食べられてしまう赤ずきんの話があると聞いたことある。
雅堂はその加害者になるかもしれない候補者なので、今のうちに悪い可能性は摘んでおきたいようだった。
うん、実に納得いく内容だね。
「待て、やめろ、落ち着け! 今の一連の行動で、僕に落ち度がどこにある!?」
「見た目そのものが落ち度だよ!」
「僕本体を全否定してんじゃねえよ! だから、呪いだって言ってんだろうが!」
「それがどうした! お前はそん中で一番ケダモノだ、主に見た目が!」
「何もしてねえのになにその言い草!? してから言えよ!」
「してからじゃ遅いから今言ってんでしょ!!」
……不毛だなぁ、と本当に思う。
ど突きあいしながら、騒ぐ。仲良いな二人して。
そもそも、童話とは子供に夢を与えるだけのものじゃない。
童話特有の残虐性も残っている話もある。赤ずきんがいい例だ。
確か下手すると、性的な意味でだけじゃなくて物理的な意味で狼に食われたり、助からないでそのまま死んじゃったりなんて結末もある。
そういうところからきていた場合、この赤ずきんの態度も納得せざるを得ないというか。
だから、雅堂の扱いは妥当である。
そのまま殺されることはないだろうけど、去勢ぐらいはしてもいいと思う。
私個人としては、あのヘタレな風貌が気に入らないのと、性格の相性が最悪なので、どうなろうが知ったことじゃない。私には呪いは効果なしだがあいつは嫌い。
さて、ここで問題になるのがラプンツェル。
雅堂を王子様と思うことはほぼないと思うが、身の危険が童話的に有り得てしまうので、絶対に近づかせない。
近寄り次第、私もあいつを即刻この手で直々にぶっ殺す。
「死ィねぇえええええーーーーー!」
「ぎゃああーーーーーーーーっ!?」
雅堂は一目散に逃げ出した。逃げ足の速さは、職員随一。
赤ずきんはその後を、包丁をダーツのように投げながら追いかける。
あんな職員と子供たちの接し方も、ある意味じゃ正解なのかもしれない、うん……。
あの二人ならやらせておけば、多分いいかな。
うざったいから、放っておこう……。
「――トったァッ!! 死ねェ、変態がぁー!!」
「ンぎゃああああーーーーーーーすっ!!」
最後の悲鳴は聞こえなかったことにしようと誓う私だった。
出かけようと、私は支度して出口に向かう。
すると、散髪から戻ってきたラプンツェルが私を発見。
嬉しそうに、無邪気な笑顔で私を飛びついてくる。
「あーーーーやーーーー!」
「おっ、と……」
バランスを崩すが、杖と翼を使って立て直す。
軽いとはいえ勢いがあるから、大変。
ぶわりと背後から突風が起きて、羽根が散らばる。
しまった、出かける前に片付けしないと。それでも、転倒は免れた。
「どうしたんです、ラプンツェル?」
私服の私が珍しいのか、彼女は熱心に見たり嗅いだりしながら言う。
「ラプンツェルも一緒に出かけるー!」
「……仕方ないですね……」
今日は、一人が良かったんだけど。
でもこの無邪気な少女の屈託ない笑顔を曇らせるのは嫌だし。
しょうがないので、連れていくことにした。
「ラプンツェル、あの物体は見ちゃいけません。アレは魔女と同じく邪悪なものです」
「んー? 亜夜、何にも見えないよー? 何がいるのー?」
「……出会い頭にナチュラルなその扱い、ひどくね?」
「黙れ変態。殺すよ?」
「アレだけやってまだ足りないってか、このバカ頭巾め……。僕が違う性別になるところだっただろうが」
「あン……?」
「いえ、何でもありません……」
朝早くだったが、近くの街へ買い物に来た。
私は素早く着替えてきたラプンツェルと手を繋いで歩いていたら、先ほどの眼鏡と赤ずきんコンビを発見。何だ、生きていたのか。
ラプンツェルの目隠しをしつつ、睨みつけると悲しそうな顔をされた。
知るか、ラプンツェルの毒になるなら早く消えて欲しい。
隣にいる赤ずきんは、よく見たら隠し持っているケダモノの脇腹にナイフを突きつけて、怪訝そうに脅していた。
途端に竦み上がるケダモノ。
「職員さんもお買い物?」
「ええ。そちらも?」
赤ずきんは嫌そうに直立不動の狼を睨みあげて言った。
「そうそう。ちょっとおばあちゃんの差し入れに、ワインを買いに。……年齢確認と見張りでこのケダモノまで連れてくる羽目になったけど。ねぇ、なんで生きてるのあんた。マジものの人狼か何かじゃないの?」
「とうとう人間扱いさえされなくなった……」
こんな人狼、人に紛れることすら不可能だ。
ある意味的を射ている発言だけど。
「亜夜ー? 何がいるのー?」
ラプンツェルは大人しくしているが、見てみたいのかちょっとせがんでいる。
こんな喋る邪悪を……見たい?
ダメです、見せません。
「ダメだよ、目を開けちゃ。あたしの近くには悪い狼がいるの。こいつケダモノだから、君も襲われちゃうよ」
「しねえよっ!? 僕ぁロリコンじゃねーよ!?」
ヘタレは直ぐ様反論するが、
「……あン?」
「あ、いえ……。何でもございません……」
ケダモノ、完全に赤ずきんに負けていた。
童話とは真逆の立場になっているから、多分この子は安心安全確実であろう。
「……ろりこん?」
意味わからないラプンツェルに簡潔に教えておく。
「こいつの事ですよ、ラプンツェル。怖いモノなので、近づいちゃいけません」
「ちげえよ!! 何サラっと子供に間違った知識教えてんの!」
喧しいラプンツェルの天敵のくせに。
「……あぁン?」
「ひぃっ!? 痛、ちょ、先が刺さってる……!」
赤ずきんの恫喝とぷすっと刺さるナイフの先端がケダモノのツッコミをかき消す。
「刺してんのよ」
「さ、さいですか……」
「潰すよ? 何処とは言わないけど」
「やめて下さい、本当に死んでしまいます」
死ねばいいのにこんな奴。
「一ノ瀬からもなんとか言ってやってよ……。僕は何もしてないのに」
めそめそし出すヘタレ狼。私はあえてトドメを入れた。
「存在がセクハラになっている奴の言うセリフじゃないです」
「……いい加減、泣きたい……」
メンタルもそろそろ限界か。
仕方なく、ラプンツェルの目隠しを取る。
ぱっちりと目を開けて、そいつを見上げる。
「おぉー……。亜夜ー。これなあに?」
思っていた以上の異物にある種の感動すらしつつ、私に問うラプンツェル。
堂々と、私は答える。
「ロリコンです」
「ろりこんって言うのには、ラプンツェルは近づいちゃいけないの?」
「いけません」
「わかった!」
サッ、と私の背後に回って隠れる。
完全に避けられていた。敵意や悪意成しの子供特有のイジメ。
「……おう、もう……」
眼鏡は項垂れて沈む。
「あぁンッ……?」
「ひぃっ!?」
あ、ナイフの切っ先が下にむいた。
途端にまた直立不動になる。
「やめて、もう本当にあれだけはマジでやめて! 男の尊厳が無くなる!」
「知らないよそんな汚いの。っつーか、次はないってあたし言ったよねぇ? なに、忘れてた?」
「忘れてない、忘れてないッ!!」
「どうだかね……。もっかい刺されたい? 焼かれたい? 撃たれたい?」
「嫌です。絶対、嫌です」
おお、見事な躾。狼が言うこと聞いてるよ。赤ずきん凄い。
っていうか今まで何してきたんだあの狼に。
「じゃあ何、さっきの態度。あたしに喧嘩売ってんの?」
「売ってねえよ!?」
「……」
その態度が気に入らないようで、赤ずきんは無言でナイフを下に進めていく。
私はラプンツェルと一緒に、移動開始。
目に猛毒だ。
「さーラプンツェル。今日はケーキでも一緒に食べましょうか」
「ケーキ!? うん、食べる食べるー!」
よし、これで気は逸れた。
その後を追うように、狼と少女もついてくる。
「やめて、そのナイフを何処に突き刺すおつもりですか!」
「……」
「言わなくていい、言わなくてもわかったから! 無言の威圧やめて!」
「…………」
「何で止めないの!? 僕、嫌がってんじゃん!!」
「………………」
「あの、調子に乗りました。申し訳ございません、許してくださいお願いします」
「……今回は、見逃したげるよ。次こそ、無いからね? 何処とは言わないけど」
「ひぃぃぃぃ……!!」
何してんだあの二人。
よくわからないけど、赤ずきんの物語は100%安心だ。
だって狼、勝ち目ない。完全に手中に収められている。
あれじゃただの飼い犬だ。威厳もへったくれもない。
ざまあみろ、と内心笑った。
ラプンツェルがそんな時、突然言い出した。
それは、私の心臓を止めるような一言、だった。
「……ねえ、亜夜。……何であの人と同じニオイがするの?」
直球な質問。手を繋いだまま、硬直する私。
あの人……? あの人って誰だ。
「凄く、変なニオイがするよ? 怖いニオイ……。どうして?」
怖いニオイ。ラプンツェルの物語。
まさか、彼女の言う『あの人』って……。
「どうして、亜夜から魔女のニオイがするの……?」
――嗅ぎつけられた。
まさか、よりによってラプンツェルに。
「亜夜……何か、されたの……?」
純粋な心配が、私の心肺を止めるかのような錯覚。
何も言わずに、私はなんでもないとすぐに答えた。
聞かなかったことにしよう。うん、それがいい。
「……そう?」
「ええ、そうですよ。心配してくれてありがとう、ラプンツェル」
……予感がしてなかったわけじゃなかった。
この子だけは、家族として魔女と接していた過去がある。
だから、わかるんだろう。ニオイという表現をする何かが。
まずい……。このままじゃ、まずい。
彼女が他の子に知らせてしまえば、私は……破滅する。
今までの努力が、全部パーになる。
どうしよう。どうすればいい。
口止めなんてできないだろう。
相手は子供だぞ。どうすればいい。
(ああ、もう……)
自分の甘さが招いたことだ。
ラプンツェルは悪くない。悪いのは油断していた私。
何とかこの時はやり過ごした。
だが、私の不安は……徐々に膨れつつあった。