ナーサリー・ライム 童話の休む場所   作:らむだぜろ

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魔女の脅威

 ――魔女が出たぞォッ!!

 

 

 自警団と思われる人の大声で、その日訪れていた村は大混乱に陥った。

 昼下がりの小さな村の商店街は、逃げ出す人で溢れかえった。

 すれ違う人々の表情は同じ。

 統一されてるかの如く、『恐怖』一色だった。

 村人は全員家に飛び込み施錠。

 旅人や商人たちは我先に逃げていく。

 私達は、通り過ぎる彼らを見つめていた。

 私は特に、動じることもなく見送っていく。

 さて、どうしようかなこの場合は。

 今日は、全員来ちゃっているし。

「……」

 傍らにいたラプンツェルが怯え出す。

「亜夜、さん……!? ど、どうしましょう……!?」

 マーチは焦燥からか、冷静な答えを私に乞うてくる。

「……」

「……」

 アリスもグレーテルも、何も言わずに動かない。

 アリスは周囲を探っているように目を動かす。

 グレーテルは嫌悪感を隠そうとしないで険しい顔をする。

 状況を整理しよう。

 魔女の出現は、あの自警団の動きからして、村の外。

 連中、武器を持って果敢にも立ち向かうように駆け出していく。

 足止めなら任せておけばいい。所詮は、関係ない。

 幸い、行く先だったので回れ右して逃げれば十分間に合うだろう。

 が、問題がある。走って逃げるにはそれなりの体力が必要だ。

 ……私は常に杖をついて歩くような脆弱な人間。

 走るなんて当たり前のことすら、出来ない。

 つまり、足手纏いになる。私じゃ先導ができない。

 無理をすればできないこともない、が……。

 この混乱した状況でやれば、私も魔女扱いされて殺される。

 異形とは得てして、大体そういうものだ。

 だからこそこそ隠れて生きていかないといけない。

 役立たずの自覚はあったが、こんなことになるなんて。

 参ったものだ、本当に。

「アリス、帰り道は分かりますよね? 先に、戻っていてください」

 動揺こそしているけれど、比較的冷静なアリスに頼む。

 この子なら、大丈夫だろう。

「亜夜はどうするつもりなの?」

 言い出されることは考えられていた。

 アリスに責めるように睨まれた。

「私は後から行きます。先に脱出してください。見てのとおり、私は走れません。それに、ラプンツェル達も先導して頂かないと。私では、役不足です。万が一のことがありえます。だから、アリス。グレーテル。二人に、託します。先にサナトリウムに戻っていてください。最悪、通りかかった馬車でも何でも使って構いません。後払いで良ければ私が支払います」

 未だに交通に馬車が使われるなど不便な世界だったが、走るよりは断然早いだろう。

 給料から差し引きされる程度で皆の安全が確保されるなら安いもんだ。

 翼を使え、とアリスは突っかかるがグレーテルが叱責する。

「……亜夜さんは、表立って翼を出すわけにはいかないの。多分、魔女と同類扱いされて……狩られる」

 グレーテルの言うとおり、無理矢理行こうと思えばいける。

 アリス、グレーテルには走ってもらい、私はラプンツェルとマーチを何とか抱きかかえて飛べばいい。

 でも私が死ぬ確率は少なからずある。

 弓矢で射抜かれたら確実に死ぬだろう。

 元は人間だ。耐久力だって上がってはいない。

 下手すれば猟銃を持ち出される可能性だって否定できない。

 窮地になった人間のやり出すことは、感情的でも理論的でもない。

 ――本能的だ。

 危険から忌避するために対象を防衛のため攻撃、対象から離脱するため逃亡する。

 大まかに見てその二つが考えられる。

 然し、よく考えてみる。

 時として、その対象の危険度合いによっても行動は左右されるとはないだろうか?

 私はそこまで脅威に見えるか?

 言ってしまえば翼のあるだけの人間。

 魔女のような圧倒的な敵じゃない。

 形容可能と言えば、何とか収めることはできる範囲だ。

 逃げる前に、殺してしまえばいいと判断されても、おかしくない。

 逃げるほど恐ろしい風貌をしていないのが最大の原因になるのでは?

 私が翼を出して逃げるという案は却下だ。

 人目が少なかろうと、いるにはいる。危険な賭けには出られない。

 私一人の問題じゃないんだから。

「……どうするの、亜夜?」

 アリスに問われる。遠くの方から流れてくる大きな爆発音。

 もう、争いは始めているようだった。

 二人が竦み上がっている。早く、決断しないと。

「私は亜夜さんに従うべきだと思う。但し条件付きでね」

 グレーテルは、アリスと共に逃げることを選んでくれた。条件を提示して。

「亜夜さん、逃げ切れる算段ぐらいはあるんだよね?」

「……はい?」

 逃げ切れる算段?

 そんなもの、あとで考えればいい。

 今は皆を優先しているに決まってる。

「考えてることはわかる。私達を優先しようとしてるでしょ。だけど、許さないよ」

「?」

「亜夜さんも無事に帰ってくると約束して。それが条件。じゃないと、私ここに残るから」

「なっ……!?」

 言葉を失う私。

 グレーテルは本気だった。

 本当に自分は残るつもり。

 アリスも唖然としていた。

「グレーテル、あんた何言って……」

「アリスは黙ってて」

 睨みつけたグレーテルは、私に向き変える。

「いい? 亜夜さんは自分が思っている以上に、重みのある存在なの。私達は亜夜さんを必要としてる。それを巫山戯た理由で、勝手に居なくならないで。居なくなるなら、みんな巻き込んで一緒に死んで。そのほうが幸せだよ」

「……」

 グレーテルは真剣に言った。

 まさか、亡き兄と私を重ねているのか?

 遺された人間は、辛い思いしかしない。寂しい思いしかしない。

 消えるなら、死ぬならいっそ同じ時をして。寂しくなく、辛くなく。

 グレーテルはそう言いたいんだ。

「先に逃がすなら、ちゃんと帰ってきて。あの場所に。私達の部屋に。それで、明日も変わらずちゃんと世話を見て。それが出来ないなら、一緒に逃げるかここで一緒に死んで。亜夜さんが選べるのはこの二択だけ」

「……」

 成程、選ぶなら相応の覚悟を持て、と。

 遺された人間のことも少しは考えろっていう忠告。

 なら、いい。私は元より、そういうことなら得意だ。

「ええ。分かりました、必ず帰りましょう。大丈夫、私がするのも基本は逃亡です。足止めするなんて、戦うなんてことは言ってませんよ?」

「必要ならするつもりだったくせに」

「否定はしません」

 決定だ。

 皆が先に逃げることになった。

 私は赤の他人を率先して救うほど優しくないし、常識もない。

 逃げるときは見捨てるし、犠牲にするし、必要だったという自己正当もする。

「私を信じてください、グレーテル。私のお人好しは特定の人だけですよ」

「……それだけ利己的なら、大丈夫そうだね。行こう、アリス」

 アリスを促すグレーテル。

 心配そうに見ているマーチの頭を撫でて、ラプンツェルの髪の毛を邪魔にならないように結ぶ。

 そして、胸を張っていった。

「大丈夫です

 その言葉を、二人は信じてくれた。」

「亜夜、帰ってきてね!」

「信じて、ますから……」

 足手纏いになるつもりはない。

 況してや、人柱になるつもりない。

 みんなの幸せを考えるなら、自分だってそこにいる。

 犠牲にしてでも生きて帰る。

 それが、私とヘンゼルさんとの違いだ。

「……分かった、あんたも必ず来なさいよね!!」

 アリスたちは何度も振り返りながら、ひと足早く、脱出していった。

 完全にその姿が見えなくなるまで、しっかりと確認してから。

 私も逃げようと、ゆっくりと歩き出す。

 逃げると言っても私はこれしかない。

 頼りない、己の足のみで。一歩ずつでいいから、離れよう。

 そう、思ってる時だった。

 

 

 

 

 

「おやおや、身内を逃がすための囮かい? 随分美しい家族愛じゃないか。ハッ、下らない。本当に下らないよォ。所詮ガキはガキだねェ」

 

 

 

 

 嗄れた、老婆の声。

 すぐ後ろに、強烈な気配。

 不自然に近い距離。

 耳元で、囁かれた。ぶわりと、産毛が総毛立つ。

 声を聞いただけで、本能が警鐘を鳴らした。

 ああ、成程。嫌でも理解する。これは、不味いわけだ。

 自警団の連中は、負けてしまったか。足止めにもなりゃしない。

 私が止めるしかないか。今逃げたら、追ってくる。

 結局、こうなるじゃないか。

 理性や感情よりも前に人間としてのシステムが反応する、想像以上の化け物。

 こんなのにグレーテルは立ち向かい、ラプンツェルは育てられたわけか。

 でも、その前に。

 本能よりも私は、言いたいことがある。

 何が……下らない、だと? 誰が、囮だと?

「ええ、腐れ外道からすれば下らないでしょうね。一丁前にほざいてんじゃないですよ、暇人共が」

 私は、振り返らずに言い返した。

 このババア……一番私の腹の立つことを言いやがった。

 あの子達を……見下したな?

 あの子達を……嗤ったな?

 あの子達の気持ちを……否定したな?

 今、このババアが鼻で笑った事が、一番許せない。

 感情?

 理性?

 生存本能?

 

 

 

 ……知るか。

 

 

 早く逃げろ?

 挑発に乗るな?

 

 

 ……知るかッ!!

 

 

「ん? お前……なんだい? 人間じゃ……ないのかい?」

 怪訝そうな声。

 人じゃない? だから、それがどうした。

 見ればわかるだろうそんな事。

 どうでもいい、全部どうでもいい。

 今、私にあるのはこの文字だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――さっきの言葉を、訂正しろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜夜はこの世界に来てから、初めてハッキリとした怒りというものを感じた。

 それは、殺意と言って近いほどの激情。

 そして、それは目覚めさせてはいけないものまで覚醒(めざめ)させる。

『訂正しなさい。あの子達に言った言葉を、今すぐ』

 後ろにいた靄。

 向こう側が決して見えない、白昼を蝕む深夜の闇。

 彼女を背後から這い寄ろうとしていたのを、俯いた少女の言葉が止める。

『私を呪えるもんなら呪ってみなさい。殺せるもんなら殺してみなさい』

「な、何なんだいお前は!?」

 魔女は驚いて、慌てて姿を見せた。

 黒いローブを着ている、皺くちゃの腰の曲った老婆。

 これが、魔女の一人。この世に蔓延る喋る悪意。

 その表情は、見たことのない異物を見るかのようだった。

 普段、魔女たちは自分たちがつくる数々の秘薬によって効果を得ている。

 媚薬だのなんだのから、人間を殺すモノまで様々だ。

 この魔女が使っていたのは、自らを霧にして一切の物理攻撃を効かないようにするモノ。

 それを解いた。つまり、物理攻撃じゃない攻撃が魔女を襲ったのだ。

 このひ弱な子供から漏れ出す言葉によって。

『訂正しろって言ってンですよ。その耳は飾りですか、クソババア』

 顔を上げた少女。

 爛々と真紅の目を光らせて、口から薄紫の吐息を吐き出し、蒼い翼を威嚇するかのように大きく広げる。

 得体の知れないバケモノが、そこにいた。

『私を心配するあの子達の気持ちが、下らない? 笑わせますよ。一番下らないのは、魔女そのものです。生きてる価値もこれっぽっちもないくせに、偉そうに人様にほざいてるんじゃないですよ、このクソババアが』

「……」

 何だ、この子供は。

 何だ、この感じは。

 あの翼は……呪いか?

 なら人か?

 だが、この威圧感(プレッシャー)はなんだ。

 魔女相手に、ここまで言い切れる殺気と違和感はなんだ?

『腰だけじゃなくて性根まで腐ってひん曲がった薄汚い老耄の分際で、懸命に生きる人をディスるなんて権利がありますか。いいえ、ありません。誰のせいで、こんな姿になったと思ってんですか。誰のせいで、あんなに苦しんでると思ってんですか。お前らみたいなクソババアが意味不明な理由でやらかしたからでしょうがッ!! えぇ、違いますかねェッ!?』

「……な、何を言ってんだい、お前は……?」

 激昂する子供。魔女は正直、生まれて初めて怖気ついていた。

 ああ、分かった。こいつの正体。

 取り敢えず、敵じゃない。敵対はされているけど。

 だが、こいつにとって不味いことを言ったのは事実なようだ。

 自分が悪いと理解したし、早めに謝っておこう。

「あぁ、もう。あたしゃが悪かったよ。連れに余計なことを言っちまったね。撤回するよ。すまんすまん」

 素直に頭を下げて謝る。

 憤る子供は、睨め上げてくるままだ。

『……そんな言葉で、許すと思ってんですか……?』

「そうは言うけどねェ……」

 魔女は警戒を解いた。

 もう少し早く気付いていれば、こんなことにはならなかっただろうに。

「ちょいと落ち着きなよ、若いの。年寄りに失敗くらい、許してくれないもんかね?」

『……』

 子供は、黙っている。

「あたしゃ、あんたにゃ何もせんよ。互いの害しかないだろ?」

『……』

 訂正はした。謝罪もした。

 子供は、敵意はないと判断して、一応矛先を引っ込めた。

 翼を折りたたみ、然し不気味な紅い双眼は未だ睨みつけてくる。

「あんたに茶々入れたことは、あたしゃの失敗だったよ。ただ、若いの。一つだけ言わせてもらえるかい」

『……』

 言ってみろ、という視線。

 では遠慮なく指摘させてもらおう。

「やっちまった詫びとして老耄から一つ、言っとくけどねぇ。あんた、何で人の真似事なんてしてるんだい? あんまり入れ込みすぎると、為にならないよぅ? 利用しようと近づき過ぎて、毒されたらあたしゃたちは、大体殺される。油断してっと、寝込みを襲われてそのまま火あぶりさ。それを分かった上でやってるなら、いいんだけどね」

 この魔女は感じていた。

 こいつは、同類だと。

 奇異な外見をしているが、人間と偽って暮らしている異物。

 同じ穴の狢だから、よくわかる。

 この娘は見たところ相当若いが、立派な魔女だ。

『……わ、私は、魔女じゃありません……』

「ん、なにいってんだい? 何処からどう見たって、立派な魔女じゃないか。隠さなくてもいいよぅ? あたしゃも魔女だよぅ。もしかして、自分以外の魔女は初めて見るのかい? だったら余計に突然襲って悪かったぁねぇ」

『……』

 反射的に誤魔化す癖でもついているんだろう。

 こんな世界だ、本物相手に言えるなら良い傾向だ。

「事情知らずに罵られたらそりゃあ怒るってもんさな。いや、悪かった悪かった。今回は見逃しとくれ、次は気をつけるわい」

 ケラケラ笑って彼女を宥める。

 最近じゃあ珍しい、年若い魔女。

 呪いの力が半端にあるから、制御できずにいるのは当たり前だ。

 面倒くさいのは、

 魔女は多くが個人主義だし、教えてもらうのではなく自分で学ぶが基本なのだ。

『…………。はい、気を付けてください。同類なら、言いますけど。私、人前で怒りたくないんです。折角隠しているものが、バレてしまいます』

 子供……いや、年若い魔女はそう言って渋い顔をした。

 魔女同士なら遠慮することなく、話ができる。

 老婆は再度謝った。

「あー、やっぱりそうかい? わかるよぅ、人ってのは用心深いからねえ。……って、思ったよりも不味くないかいそりゃ。あー、いかんわな、うん。詫びと言っちゃあなんだが、これ使うかい?」

 ひょいっと、ローブの下から取り出した杖を渡す。

 先端に宝石のついた、立派な杖だ。

『……これは?』

「あんた、見たところ誰かに嫌がらせされてるだろ? その背中の羽根、見ればわかるよ。呪いだろ? 若いからって、ねちっこいことする奴がたまーにいるのさぁ。ほんと、くだらないよ。あんたも苦労してるんだねぇ……同じ魔女なのに、こんなことされて……。その杖はね、呪いを止めることができる杖だよ。あたしゃお手製の奴さね。若いとまだ呪いも半人前だろ? 上手く制御できるのかい?」

『……いえ、まだ全然……』

「だろう? ここは知り合った縁というか、先人のお節介だと思って、受け取っておくれよ。今じゃ魔女も少なくてねえ……。こういう、未来有望な娘にゃ頑張って欲しいもんなのよぅ」

『……』

 困ったようにしている若い魔女。

 何度も持って行けというと、渋々受け取ってくれた。

 人の中で隠れて、呪いの修業中と見た。

 それを事故とはいえ、暴くようなことを仕出かしたのだ。

 相当な危険性があるのをやったらお詫びをするのが魔女の礼儀だ。

「今日はすまんかったね、若いの。じゃあ、達者でやっとくれ。あたしゃ用事が住んだら引っ込むから。あんたもバレないように、頑張んなー」

 怖い笑顔で手を振り、また霧になって老婆は去っていった。

 随分と同類にはフレンドリーで、然も余計なお世話だった。

『……』

 目から危ない紅が抜けて、吐き出す紫煙も収まった。

 ただの少女となった亜夜の手元には、魔女がくれた呪い止めの杖。

 亜夜は瞬間的に『魔女』に近しい存在になり、それを暴かれ慌ててフリをした。

 意図せず、覚醒してしまった。魔女としての第一歩を。

 そして、難を逃れた。……どうしようかな、これ。

 取り敢えず、サナトリウムに戻ることにしたのだった。


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