ナーサリー・ライム 童話の休む場所   作:らむだぜろ

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黒アリス 前編

 以前サナトリウムに現れたチェシャ猫は知っていた。

 実は、もう一つ。アリスが屠るべきバケモノが不思議の国にはいたことを。

 嘗て、アリスが不思議の国で殺したバケモノの名は『ジャバウォック』。

 魔獣の二つ名を持つ不死の怪物で、魔剣ヴォーパルソードで屠られた。

 そしてあの世界にはもう一体、怪物と称されながら知られていなかった怪物がいた。

 極めて凶暴でありながら、その知性は人間の比ではない。

 その怪物は魔獣と違い、ハッキリとした自我があり、上手に隠れて生きてきた。

 だが、長い寿命を持つバケモノは流石にその世界の中だけで生きていくのを退屈と思っていた。

 新しい世界がみたい。もっと未知の場所へ行ってみたい。その欲望が、バケモノに新しい力を与えた。

 もともとバケモノは『無形の異形』と言われていた、姿なきバケモノだった。

 固定された姿はなく、人によっては狼に見えたり、人に見えたり、猛禽に見えたり魚に見えたりする。

 確実なのは、必ず見た対象の畏れるモノになることだった。

 ひっしりと生きることを謳歌していたバケモノだったが、退屈だけは嫌いだった。

 バケモノはこの能力と引換えに、新しい世界に行くための姿を手に入れた。

 嘗て不思議の国で大暴れし、多量の虐殺を行なった大罪人、アリス。

 その姿を、形なき姿を固定化することで模倣したのだ。

『……これが人っていうやつなのね。悪くないわ』

 彼女の残された記録を奪い真似し、衣装までそっくりに作り替えた。

 漆黒の長髪、黒いエプロンドレスに、黒い瞳。

 小さな子供では不便だから、少しばかり成長させてみた。

 こうすれば、違う概念の世界にも順応できるだろう。

『待ってなさい、新世界。アタシを楽しませてみなさいな!』

 バケモノは、不思議の国を後にする。

 世界から出る方法は簡単だ。あの猫を脅して、無理やり外側に行けばいい。

 バケモノはアリスの姿をコピーして、外の世界に飛び出した。

 その時はまだ、新世界を楽しむという純粋な目的のためだった。

 だが、バケモノは知ってしまった。

 旅立った先の新世界で、成長したバケモノ殺しの大罪人を見つけてしまったのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論、私と雅堂が見たアリスは他人の空似。……と、言えればよかったんだけど。

 雅堂もハッキリ見たわけじゃないようだし、でもアリスに似てる気がしたとは言っていた。

 私はなんだか胸騒ぎを感じてしまう。一体、なんなのだこの嫌なモヤモヤは。

 説明しにくいし、とても怖い。

 私は、その日大人しく眠った。なんだこの感覚は。

 誰か説明して。アリスに、何が起ころうとしているの。

 アリスも何も分からないと言っていた。魔女の私でも追いつけないことなの? 

 私には、どうにもできないというの……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 夜中、アリスは目を覚ます。

 不穏な空気を感じていた。この感覚を、幼少時からアリスは知っている。

「…………」

 絡みつくような気配。自分が、狙いか。

 何処からか、上半身を起こしたアリスを見つめている。

 予感がある。肌を不自然にピリピリする。あの化け物を殺した時と同じ。

 強い、殺意の色だった。空気を通して、突き刺す嫌な感覚。

 仕掛けてくる様子はまだ、ないけれど。

 ここにいては皆を巻き込む。場所を変えよう。

 足音を殺して、アリスは移動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず、人気ない正面玄関を抜けて、正門近くに来た。

 ここは以前、雅堂と親衛隊がやりあった場所で、そこそこの広さがある。

 月明かりが照らす広い広場。そこに、アリスは着替えてここにいる。

 お気に入りの蒼いエプロンドレス。いつも着て何着も微妙にデザインの違うものを持っている。

 一人佇み、月を見上げる。綺麗な、まん丸の満月だった。

「……」

 誰か、来る?

 正門の方から、足音がする。

 規則正しい足音は、月明かりで照らされる広場の中で、止まる。

 アリスが顔を見下ろしてその人物を、よく見る。

『こんばんわ、アタシ』

「こんばんわ、あたし」

 ……アリスにそっくりな女の子だった。

 不敵に笑う表情は、自分には浮かべることはできないだろう。

 髪の毛は殆ど同じ長さ。違うのは、エプロンドレスと瞳が蒼か黒か。

 金髪のアリスに、黒髪の彼女はこう言った。

『っていうのは、冗談よ。初めまして、かしら?』

「……誰よ。あんた?」

 アリスは知らない。自分の嘗ての姉はここまで似ていない。

 年だって離れている。こんな奴、アリスは……知らない。

 呆気なく、黒アリスはその正体を明かす。

『アタシ? アタシは『バンダースナッチ』。アンタが随分と前にぶっ殺してくれたあいつと同類って奴かしら』

「……ッ!?」

 バンダー、スナッチ……?

 名前を聞いて身が強ばった。名前だけは知っている。

 存在が不確かだった、もう一つのバケモノ。

 不思議の国の住人ということなのだ。何故、こちらの世界にこいつが来ているのだ。

 アリスは戦慄していた。名を伏せたあいつの名前は、ジャバウォック。

 不死と謳われた最強の一角である、魔獣。アリスがあの世界で泣きながら殺した、最初の人外。

 チェシャ猫もそうだったが、何故夢の世界であるあいつらがこっちにこれる。

 それと同類ってことは……まさか。過去の経験がデジャヴする。

『まぁ、そう警戒しないで。アタシは面白ければ、それでいいの。この姿だって、たまたま使えそうだったから使ってるに過ぎないし、戦う理由はないはずでしょ』

 ケラケラ笑って、黒いアリス……バンダースナッチは言った。

 敵意はないが、殺すつもりはある。そういう意味だとアリスは受け取った。

 面白いと思えばアリスを殺す理由にはなり得ると。

「……サナトリウム(ここ)に、何の用事があるのよ?」

 バンダースナッチは、またも簡単に目的を語る。

『昼間、ちょっと街をふらついていたら面白い奴を見かけたのよ。魔女って言うらしいわね。ハートの女王みたいな、見るからに危険なニオイがする奴がいたから、暇潰しに追ってきただけ。そしたら、もう一人のアタシ(オリジナル)も居たから見ていたのよ』

「……つまり、ただの……」

『そ。ただのこっちの世界に来たついでの暇潰し』

 こいつがこの世界に来たのは、不思議の国に飽きてきたから。

 面白いことを探しに、姿を得て冒険の真似事をしてきていただけ。

 いうなれば、バンダースナッチ――黒アリスにとっては、旅行みたいなもんだった。

 ネタバレしておくと、チェシャ猫という案内人がいて、姿さえあれば次元なんて簡単に越える。

 面白そうなことを探しに、黒アリスはこうしてフラフラしているだけのこと。

『で、さぁ。もう一人のアタシ。お願い、なんだけど』

「何よ?」

 気さくに話しかける黒アリス。本性は凶暴だと聞いているが、話は通じる。

 知っている知識とだいぶ違うのだが、その場で対応するしかない。

 だが、本性はやはりバケモノだった。

 

『あの魔女。殺していい?』

 

 耐え難い質問を投げかけてきた。

 面白そうだから、殺す。面白そうだから、壊す。

 そういう性根は、変わらない。バケモノは結局それだ。

「……。亜夜は、殺させない」

 禁句に等しいことを言われた。

 亜夜を殺す。殺すつもりなら、アリスの敵だ。

 アリスは、亜夜を護る。家族を奪う相手は、殺す。

『……じゃあ。あんたが代わりに……死んでくれる?』

 アリスの顔をして、嬉しそうに無邪気に喜ぶ黒アリス。

 手を振るい、虚空から何かを取り出した。

 それは無骨な大きな剣(クレイモア)。赤黒い刀身で、凄く鉄臭い。

 片手で持ち上げて、邪悪に嗤って肩に担ぐ。

「やらせるもんか……」

 アリスも、ポケットからヴォーパルソードを引き抜いて構える。

 薄いガラスの剣が、月光を跳ね返して煌めく。

『へー。それがアタシを殺せる唯一の武器ってわけ? いいじゃん、嫌いじゃないけど?』

 楽しそうに、黒いアリスは挑発する。

 相手は愉悦のために家族を殺そうとする怪物。

 強さは言うまでもないだろう。

 人外相手で最悪、雅堂の時と同じ結果になるかもしれない。

 それでも、戦う以外に道はない。

 剣と剣。互いに構えて夜天の下で、戦争を始める。

「殺してやる」

『やってみな』

 怒るアリスと嗤うアリスの、殺し合いの剣戟が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスは正直、剣の使い方など知らない。

 我流で、動きなんて本能でやっている。

 ヴォーパルソードだけを扱えるように何故か、なった。

 強いか弱いか。雅堂のように使い方を知っている相手には勝ち目はない。

 そして、もう一つ。本能を持つ理性ある生き物にも、勝ち目は薄い。

『あははははははッ!! どうしたのよ、ねえオリジナル!! アタシ殺すんでしょう!?』

 大剣とは思えない軌道で襲い来る刃。それは最早斬るではなく、潰すだ。

 質量をもってして叩き潰す。そういうやり方をする武器。

「くっ!?」

 力任せに叩きつけられる一撃を横に転がって回避。

 地面に食い込んだ刀身を持ち上げて、追撃で振り回される。

 横凪ぎ一閃。下手に防ぐと骨を持って行かれる。

 素早く起き上がって、軸線から逃げる。

 何てパワーと速度だ。段違いの強さだ。

 舌打ちしながら、距離を離して、

「ッ!」

 呼吸を整え、大胆に懐に飛び込み突き刺す。

 あの大きさなら、懐は空いている。目論見通り、黒アリスに突き刺さる。

 が。

『効かないっての、こんなもん!』

 血反吐を流して笑って、紅く濡れる刀身を捕まれる。

「!?」

 痛みが麻痺しているのか、殺し合いを楽しんでいるのか。

 こいつは、切っても刺しても怯みやしない。

 しまったと思った。得物を掴まれた。これではソードが動かない。

 アリスは焦って、自分と同じ顔を蹴飛ばした。

 大剣を持ち上げて、ミンチにしようとしていた黒アリス。

『ぬぁ!?』

 足底が顔面に叩き込む。

 漸く怯む、というか驚いて手を離した黒アリス。

 距離をあけて、再び切りかかる。こいつに刺突は禁物だ。カウンターされる。

 こうなったら、滅多切りにするしかない。切れ味だけなら、ヴォーパルソードは一級品だ。

『遅いんだってば!』

 戦闘中によくもお喋りできる余裕があるもんだ。

 アリスは集中してそんな余裕はありはしない。

 切りかかったのを全部先回りして防御して、最低限のダメージで済ませて反撃される。

 袈裟懸けに、真横に、縦に、殺すつもりで剣を走らせる。

 楽しそうに、黒アリスは火花を散らして剣で受け止める。

 得物が大きいおかげで、動作が大きくて見てもギリギリの回避が間に合う。

 夜の正門に、剣と綺麗な火の花が重なっていく。

 地面が大剣が殴る度に、刳れる。そこらじゅう穴だらけだ。

「はぁ……はぁ……」

 体力という目に見えたハンデがある。

 バケモノは黒い衣装で分かりにくいが、傷だらけになっているのに平然としている。

 次第に動きの激しいアリスは消耗し、刻まれている死なないバケモノに有利になる。

『どうしたのー? アタシを殺すなら、しっかりやらないとダメだって知ってるくせに』

「わかってるわよ……」

 遊んでいるのだ。余計な追撃をせず、休ませているのは一撃で屠れるから。

 アリスは舌打ちする。やっぱり根本が違いすぎる。

 肩に担いで、黒アリスは余裕綽々だった。

 理性のないジャバウォックなら、首を飛ばして終わりだった。

 だが知性あるバンダースナッチは、即死の攻撃を全て塞ぎきる知恵がある。

 体力、身体能力。その差は、即死の武器を持っていても埋めがたい。

 どうしよう。このままでは、攻勢に出たあいつに殺される。

 勝てる確率はない。助けを呼びに行けば後を追ってくる。

 万事休す。アリスでは、遊んでいる格上相手に足止めしか出来ない。

 諦めるつもりはないし、死ぬ気もない。

『こっちから行ってもいいけどそれだと死んじゃうから、待っててあげる』

「そりゃ……どうも、気を遣って貰って悪いわね……」

 やっぱり、戦えればそれでいい。あいつは傷ついても死なない身体。

 この殺し合いという最高の遊戯を楽しむために、相手を嬲ってくる。

(……どうしよう)

 いっそ、雅堂を呼ぶか。

 あの人外をぶつければ、もしくは。

 勝ち目なくても、追い返すことはできるかもしれない。

 プライドがどうとか、言っている場合じゃない。

 提案という形で持ちかけて、呼びに行くのを妥協させてみるか?

 あいつがそれに乗ってくれれば、だが……。

『……?』

 アリスが、必死に打開策を練っている時だった。

 黒アリスが何かに気がついた。

 背後で、音がした。それは、対峙する黒アリスが見ている建物の方角だった。

 耳に届いたのは、まるで玄関を開けるかのような、小さな音で。

「えっ?」

 

 ――偽物が、殺しますよ?

 

 氷を頬に当てられたような冷たさの、よく知る女の声だった。

 続き、凄まじい光と轟音が上からアリスの目の前に疾走する。

『きゃあッ!?』

 見知った雷撃の一撃を、大剣を構えて受け止める黒アリス。

 あの雷鳴の速度にすら追いつけて、反応できる。

 咄嗟のコトなのだろうが、それにしたって雅堂レベルの反応だ。

『お待たせしました、アリス』

 ……護るべき相手が、戦場に出てきてしまった。

 蒼い翼を広げて、月をバックに翔いて、浮いている。

『昼間見た、アリスの偽物ですか。得体の知れない怪物が調子に乗ってアリスに手を出すなど、万死に値します』

 見た目だけがそっくりな黒アリスを偽物と断定し、容赦なく攻撃する。

 助けに来たのは……騒ぎを聞きつけた亜夜その人だった。

『怖い怖い。それがアンタの本性ってことよね、魔女さん。また今度言っておいてすぐに来てごめんなさい』

 犬歯を見せて笑う黒アリス。剣を構え直し、夜天の魔女に切っ先を向ける。

『そんなわけで、魔女さん。アンタ、死んでくれる?』

『お断りですよ。死ぬなら勝手に死になさい、バンダースナッチ』

 一発で正体を見抜き、名前を言い当てた。

 それに驚く黒アリスに、亜夜は知っているように告げた。

『ジャバウォックの親戚モドキが、アリスそっくりになろうが私の気持ちは揺るぎませんよ。寧ろ火に燃料を注ぐだけ。自滅しましたね。殺しますから、たとえ死ななくても』

『……うわぁー。意味わかった。これ、呪いか……』

 黒アリスに言った亜夜は、呪いを既に使っていた。

 ぎこちなくなる動き。黒アリスは、嫌そうに表情を歪めていた。

 呪いにより、バカみたいな身体能力は強制的に下方修正されていた。

『これでハンデは無くなりました。アリスと私、そしてもう一人を相手して勝てるならどうぞ』

 もう一人、と言って増援はまたも来る。

「昼間の……アリスのそっくりさんか」

 訝しげに出てきたのは、寝惚けている雅堂だった。

 だが、相手が武器を持っているのを知るや、

「……大体分かった。倒せばいいんだろ一ノ瀬」

『ええ。アレはバケモノです。アリスそっくりなだけですから存分に』

 引き締めた顔で、すらりと脇差を引き抜いて構えた。

「アリス、援護する」

「わかってるわよ。ありがとう」

 アリスの隣に立つ雅堂。サナトリウムに置ける人外が揃った。

『面白くなりそう。魔女にもう一人のアタシに、只者じゃない剣客。ハハハッ、上等よ!』

 ハイテンションで、黒アリスは続けるつもりだった。心底楽しそうに叫んでいた。

 翼の魔女に鬼の剣客、迷い込んだ主人公(アリス)

 夜のサナトリウム。その前で、アリスそっくりの怪物相手に、不思議の国の悪夢が再来する……。


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