ナーサリー・ライム 童話の休む場所   作:らむだぜろ

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鉄臭い頭巾を被って

 少女は、名前をシャルという。気の強く、家族想いの少女である。

 彼女は紅い頭巾をいつも被っている。理由は、祖母から貰った宝物だから。

 祖母は今でも、森の奥にひっそりと暮らしている。

 その森は、狼が沢山いることで有名な『ケダモノの森』と揶揄される樹海だった。

 ……本当に狼が沢山いるわけじゃない。確かに獣の狼もそれなりに居る。

 でも、ここで言うのは……蛮族達のことだ。女に飢えている、男たちのことだ。

 赤ずきん、シャルが男をケダモノだと豪語するようになったのは……。

 

 ――見るに耐えない、女性たちの嫌な現実を見続けた結果だった。

 

 何が起きていたかと言えば、筆舌に尽くしがたい悪行の数々だ。

 若き女性たちの人権を踏み躙る行為がこの森では日常的に日々行われていた。

 それを、訪ねていく度に一度は見ていたシャル。

 祖母が心配で、一人で暮らしている彼女は危険地帯に入るしかなかった。

 何時しか男は皆、そういう物だと思い込むようになった。

 自分が狙われたことだって何度もある。でも、彼女は決して負けなかった。

 純潔を守り続けた。それは、シャルが……強かったからだ。

 自衛の為に武器を持ち歩く癖をつけて、襲われるたびに賊を殺していた。

 殆ど知られてはいないが……シャルは、サナトリウムで唯一の殺人経験者だった。

 法で裁かれないのは、匿われているから。

 知っているのが前職員及び、現職員の雅堂。

 前の職員は……死んでしまった。キッカケは、シャルだったが。

 でもその人も最期には、狼に食われてしまったのだ。

 だから、今は現場で知っているのは雅堂。

 サナトリウム上層部の一部も認知している。そこには、ライムも入っている。

 サナトリウムが彼女を引き取っているのは、彼女は男を誰も信じていないのも大きい。

 無論、彼女も呪われている一人であり、このままでは外にはでられない。

 極度の、洗脳に近い性嫌悪、とでも言おうか。

 彼女は少しでも成人男性がその手のことを言動に表すと身を守るために殺しに行く。

 被害妄想的に、自分も襲われると思い込んでいる。

 日々、雅堂が襲撃されている最大の理由は、赤ずきんの言動だった。

 現にあの善人は何もしていない。なのに、彼女に何かあるたびに襲われて殺されかける。

 それでも何故生きているかと言えば、主に雅堂の常人離れした身体能力と危機察知能力。

 更にこれも修行だと考えを切り替え、マトモに相手して根気良く説得したこともあった。

 ……漸く、雅堂が信用に値する男だと理解し始めたところだ。

 過剰防衛だとしても、そうしなければ次も狙われる。

 無法者に、法を守りながら戦うのは若い女性のシャルには無理があった。

 生命も身も護るために相手を殺すしかなかった。

 ケダモノの森に住む祖母はこうなる前から、この森に住んでいる。

 つい最近までは至って普通の平和な森だったのに。

 賊が隠れ家として住み着くようになってからというもの、現在のような状態に陥った。

 なにせ、ここを拠点とする悪党が多過ぎる。警備隊も突撃しようにも結託されて返り討ちにされる。

 そんな地雷原を一人で歩いていれば、狙ってくれと言っているようなもの。

 幼少時より身の危険と男への不信感が隣合せだったシャルは、何時しか病み始めてしまった。

 それが魔女の呪いを呼び込んだのだろう。彼女もまた、呪われてしまった。

 『男への強制攻撃本能』。それが赤ずきんの呪いだった。

 彼女の琴線に触れる男を見ると、シャルは殺しに行く。そして本当に殺してしまう。

 悪気なんてない。本人も必死なのだ。汚い生物に襲われたくない一心なだけ。

 以前、魔女がまだ魔女になりたての頃。一度、祖母のお見舞いにその森に入った。

 当時の彼らの中は、新しい職員と担当される子供、ということであまりよろしくなかった。

 そこらじゅうで耳を劈く悲鳴が聞こえて、雅堂は初めてついて行って気が狂いそうになった。

 何事かと周囲を探るが、シャルがそれを止める。

「……気にしないほうがいいよ。ここじゃあ、いつものことだから」

「いつものことって……」

 唖然とする雅堂に、シャルは生気が欠落した双眸で見上げて告げた。

「言ったでしょ。ここは、狼の巣なんだって」

「……」

 ある程度、概要は聞いていた。

 有り得ないと思っていた。雅堂とて外の世界の出身だ。

 そんな人権を無視した無法地帯がある訳がないと甘く見ていた。

 だが、現実はこれだ。ケダモノの巣。つまりは、迂闊に入ればこういうことになる。

 慣れている様子で、歩き出す

 手にしたお土産のワインを届けに行くために。

 言葉を失いながらついて行く雅堂。耳を塞ぎたくなるような、木霊する絶叫の樹海。

 深く、薄暗い森の中の苔むした街道を歩く二人。

 道中、盛りついた薄着の顔が紅潮した男が数名、シャルを見つけて襲おうとした。

 手には斧や剣など武器を持っている。雅堂が防衛しようとしたその時だった。

「……」

 ダーツのように、シャルがナイフを取り出すや腕を一閃。表情はなかった。

 数本の煌めきが、立ち塞がった男たちの眉間に突き刺さり、呻き声を上げて倒れる。

「お前……!?」

「いいのよ、ここは。そういうところだから。通りたければ殺していくのが習わし」

 突然、目の前で行われた殺人。雅堂が驚いて責めるも、シャルはただ真っ直ぐに進む。

 倒れて死んでいる死体に目もくれない。

 混乱する彼に、帰りにはどうせ死体も消えていると説明。

 死人が当たり前に出るこの樹海では、

「理性があれば苦労しないわよ。……男は皆、こうなんだ。あんたも、あたしに何かしたら殺すからね」

「…………」

 殺意の篭った目で振り返って睨み付けるシャル。

 人殺しが殺すと脅すほど、シンプルで効果的な脅しはない。

 歩き続けるシャル。数分もしないうちに、背後から忍び寄ってきた発情した賊に雅堂も気が付いた。

 これ以上彼女に殺人をさせるわけにもいかない。相手が外道でも、殺すことをしたら同類になる。

 ……この善人に、悪いことを実行する度胸はない。ただ、結果的にいつも被害が拡大してしまうのだ。

 身に付けた絶大な能力を扱いきれない彼は、誤って落ちていた木の棒で賊を叩きのめしてしまった。

 明らかに骨格をへし折ってしまった感触が、手に残る。

「しまっ……!」

 加減を間違えてしまった、否。動揺して加減できなかった。

 当時の彼の無意識で取り付けたリミッターだけは何とか発動し、殺さずには済んだ。

 シミターを持って切りかかる相手を反射的に弾き飛ばし、袈裟懸けに殴った。

 木の棒が折れて、相手は吹っ飛んだ。

 相手の腕が、真逆の方向に曲がっている。

 転がって呻く賊は、憎しみの目で雅堂を睨め上げた。

「ありがとう。あんたは、あたしを助けてくれるのね」

 彼は、シャルの思っている男とは、違うようだった。

 例を述べるぐらいには感謝した。

 立ち止まり、彼の呆然とする前に進み、膝をおる。

 倒れた賊の近くで冷たく見下ろし、徐ろにバスケットに入っていた包丁を取り出しや、

「シャル、やめろッ!!」

 制止されたにも関わらず、彼女は容赦なく心臓に向かってそれを突き刺した。

 耳障りな悲鳴を上げて、賊は死んだ。

 深々と突き刺さる包丁を引っこ抜いて、吹き出す血の間欠泉の出来上がり。

 頭からその血を浴びた赤ずきんこと、シャル。

 でも頭巾をかぶっていたおかげで、血に濡れたのは彼女の顔だけだった。

「あんた。名前確か雅堂、とか言ったっけ?」

「……」

 顔だけで後ろを見るシャル。

 悲しそうな表情で、真っ赤な雫を頬から垂らし、黒くなった穴がこちらを見る。

「あたしさ、男って信用できないんだ。そのせいで、あたし呪われてるんだって」

 名を問われて、辛うじて肯定した雅堂が見たのは、呪いの本懐。

 魔女の呪いとその成り立ち故の性分によって、彼女は男に対して常に容赦ない。

 殺しても、自分の身を守るため。その大義名分で、実際ここではそのために人を殺す。

「ねえ、あんた職員なんでしょ? だったら、あたしを守ってよ。そうすれば……半殺し程度にしておいてあげる」

 そう言うシャルは、雅堂に言った。彼女なりに、妥協した結論。

 見た目は彼自身の呪いのせいで、まだ狼に見えている。

 でも、言動はまだマシだった。味方をしてくれるなら、半殺しで我慢する。

 以前の、シャルを護って勝利した男はもういなかった。

 後ろから疑心のシャルに刺され、狼に襲われて殉職した。

 シャルに淡い恋心を抱いていたせいで、疑われて背中を刺された。

 彼を殺したきかっけは、シャルの疑心暗鬼だった。

「この色、いいでしょ? 貰ったときは、真っ白だったんだけどね。……ここに来るたびに、真っ赤になるから。目障りになって、自分で紅く染めちゃったのよ」

 シャルの頭巾は、言うとおり最初は純白だった。

 だが繰り返し訪れる度、返り血で染まっていく。

 やがて変色して黒ずんでいくのを嫌がったシャルは自分で紅い染料で染め上げた。

 返り血よりも鮮やかな真紅で。これで、目立たない。これで、大丈夫。

「シャル……」

「ねぇ、返事は? あんたも、あたしに殺されたいの?」

 俯いて、奥歯を噛み締める雅堂に、空気を読まずにまた現れる賊が横合いから襲いかかった。

 本当に狼だらけの樹海。ケダモノの巣窟。身をもって知った、この世界の地獄の一つ。

 人の悪意、人の欲望が樹海という底に溜まって腐食した結果がこれだというのか。

 雅堂は善人だ。のちに、一の悪人(いちのせあや)に十の善人と皮肉られるほどの、お人好し。

 そんな彼には、ここは堪え難い地獄そのものだった。

 近づいてきた男に包丁を構えて、射殺す体勢に入るシャル。

 だが、雅堂が動いた。男の手斧をギリギリの距離で難なく避けた。

 その瞬間、普段は心掛けている剣の道を、捨てた。漠然とした悪意に何かに対する怒り、憎しみ。

 それが、彼の本能のリミッターまで解除する。眼鏡が、勢いで外れる。

 空振りをして、よろける男の首根っこを片手で掴み、近くにあった樹齢の長そうな大樹の幹に叩きつけた。

「ぐぇッ!?」

 絞め上げられて、苦悶の声を上げている男。

 その男の見下ろす先では、魔女に匹敵する殺気を出すおぞましい何かがいた。

「貴様……貴様らは、一体何だ。これだけは教えろ。貴様らは、一体何だ?」

 五本の指が、首に食い込む。強烈な圧迫感。

 濃厚な、堪えきれない殺意の篭った指が、男の呼吸を制限している。

「……」

 シャルのココロに、雅堂の態度が疑心の中に疑問を浮かべて、行動を一度停止させる。

 様子を見ることにした。

「貴様は婦女子を、道具とでも思っているのか? 己の下劣な欲望を処理するための、道具だと?」

「ぐっ……、がッ……!?」

 なんの話だと、顔が言っている。

 女は性欲を持て余している蛮族達の格好の餌。

 無法地帯ならば、女の行き着く先は大抵そんなもの。

 当たり前のことで怒りを表す雅堂を馬鹿を見る目で見ている。

 その視線が、答えだった。

「貴様ァッ!!」

 この時、雅堂というお人好しの理性のタガが外れた。俗に言う、キレた。

 普段こそ、良い行いを目指し、正しく生きていくことを務めている。

 だがこの時ばかりは、道を外れてもいいと本気で思ってしまった。

 正しようのない、絶対的な悪を見つけた気分になった。

 絞めてきた首ごと振り回して、放り投げ、苔むす街道の石畳に思い切り叩きつけた。

「ギャアアアアアア!!」

 無様な絶叫が女の悲鳴と嬌声に混ざって響く。

 石畳が爆音を奏で、陥没。男を叩きつけたことによる、純粋な勢いで数メートルの穴が開けた。

 穴に飛び込み、倒れる男の胸ぐらを掴んで罵倒する。

「やっていいことと悪いことの区別もつかないのか外道共ッ! それでも貴様は人か、人の姿をした悪魔かッ!? 痛みがわからないというのなら、今此処で知れッ!! これが貴様の陵辱してきた、女性たちの万分の一の痛みだッ!!」

 そのまま後ろに投げ捨てて、墜落して激痛で泣き出し不格好に逃げようとする男を追いかける。

「逃がすかァ……ッ!」

 宛ら、日本でいう鬼。シャルは黙って眺めている。

 鬼気迫る雅堂は、眼鏡のないせいで霞む視界の中でも、逃げようとする卑怯者のクズはしっかりと捉えていた。

 男の声に気がついて、近くの草むらから次々賊が現れてくる。

 殺されかけていた仲間をみつけて、得物を手に雅堂に怒り、襲いかかる。

 相手が悪いことを、奴らは自覚していなかった。

 気配を察知して、掃除しないといけないゴミが増えた。

 これは正義の鉄槌だ。

 肉欲に溺れ、人権と尊厳を軽んじた愚者達に与えれるべき、裁きの一撃。

「報いを受けろ、クズ共ォッ!!」

 正しき怒りと吐き出したい憎悪を纏い、雅堂はこの時……暴力を選んでしまった。

 彼は一人で、十数人は居るであろう賊を相手に殺し合いを挑まれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さっきの答えだけど。僕で良ければ、シャルのこと守るよ。今度ここに来たときも、僕が安全を約束する」

 我に帰った雅堂が見たのは……瀕死の重傷を負っている男たちの死屍累々。

 痙攣しているから生きているんだろうが、周りは負けない真っ赤な地獄絵図。

 自分の拳は……肘まで両腕が、血に塗れている。

 転がる自分が叩きのめした連中を見下ろして、静かに彼は返答した。

「ふぅん。……まぁ、あたしの為に身を挺してくれたんだ。殺すのは勘弁してあげる」

 行動を持ってして返答する彼にシャルは了解。彼は信用に値する。

 但し、それはあくまで暫定的な信用であって、信頼ではない。職員として、一時的にだ。

 もしも何かすれば、容赦なくその時は、半殺しにするだけ。

「まだ、先は長いよ」

「分かった。もう、いい。僕も次にここに来るときは、心を捨てるよ。地獄に良心は必要ない」

 祖母の家まではまだまだ先だ。

 街道に出来上がった瀕死の男共なんて自業自得。捨て置けばよいのだ。

 ここに理性を持ち込めば、気が狂う。雅堂は決めた。ここにくるときは、こちらも鬼になろう。

 鬼でなければ地獄は闊歩できない。人のままでは、ここにいるのは不可能だと判断する。

「早く行こう……。僕はここに長居したくない」

「同感よ。あたしも、ここにいたらどんどん人を殺しそう」

 二人はまた、街道を歩き出す。ここは悪い意味で特別な場所。

 早く出たいと心底思う。数十分かけてたどり着いた彼女の祖母の家。

 念の為聞いていると、ここの賊は害獣と同じ。殺しても誰も責めないと祖母は朗らかに笑う。

 人を殺すという話題なのに、お祖母さんは気にしていなかった。

 これが、ここで生きるということの意味。人と相手が見ないならこっちも見ないという理屈。

 赤ずきん――シャルの言動の謎がこの時、雅堂は知った。

 以来、うかつなことはしないようにしているが、結果として毎度巻き込まれてしまった。

 サナトリウムに戻れば、何時も通り二人は馬鹿騒ぎをしながら過ごしていく。

 だがここにくれば、シャルは人を殺すし、雅堂は心捨てて鬼となる。

「……」

 嫌な夢を見るものだ。夜、人気ない自室の布団の上で、彼は目を覚ました。

 脂汗を滲ませながら、彼は悪夢を振り払うように頭を振った。

「クソッ……」

 後悔しているんだ。自分は相変わらず、心が弱い。

 あのときから数度、樹海を訪れているが、シャルに人殺しをさせないために雅堂が暴力を振るっている。

 説得は不可能。言葉で通じないともう目を見ればすぐにわかった。

 連中は浅ましいケダモノだ。野生の支配する人間は、畜生と同じだとイヤでも解する。

 だから、力ずくで屈服させていつも進んでいる。

 あんな所を小さな頃からずっと行き来していれば、彼女が――シャルが壊れてしまうのも納得できる。

 現状、同行してシャルの行動を制限するしか自分にはできない。

 きっと、魔女なら。あの悪人と自称する魔女なら、違うやり方をしているんだろう。

 例えば、あの森にいる人間全てを呪って自滅させたり。

 あるいは焼き殺して火葬してしまったりとか。

 あいつなら、やりかねない。いや、思い至ればやるだろう。

 血で血を洗う生臭いやり方を。だが、雅堂はそれを選べない。

 最善ではないと知っている。だが、最悪な現実をいつまでも甘んじている。

 どっちを選んでも、どっちが正しいのかわからなくなる。

 あのメンタルが自分にあれば、変わることができたのだろうか?

 シャルの運命を、変えることが。

「……」

 所詮、無い物ねだりだ。自分は物理的に強いだけのただの高校生。

 彼女のように人を捨ててまで目的に迫れる心の強さはない。

 少しだけ、羨望があるのは秘密だ。魔女は、自分にない強さがある。

 人では到達できない次元を大小を支払い簡単に到達した。

 後悔もせずにひた走るあの図太さは大したものだ。

 彼女の呪いを解くには相当努力が必要だ。魔女とは違い、進展に乏しいと思う。

 努力あるのみの実直な男は、寝直した。下手に起きていると明日に響く。

 出来ることをやるだけというバカ正直を体現した雅堂は、心を静めて眠る……。


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