ナーサリー・ライム 童話の休む場所   作:らむだぜろ

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未来の話

 

 

 

 

 両親の顔なんて知らない。お父さんとお母さんとは何?

 家族とは、何? それは美味しいもの?

 何も教えてもらえなかった。何が正しいのか、何がいけないことなのか。

 隔絶された世界の中で長い間生きてきたラプンツェルは、世間どころか常識知らずだから。

 なぜ彼女がサナトリウムにいるのか。それは、彼女と理由がかぶっていた

 

 

 

 父親は人でなしと言われる人種だった。

 酒飲みでろくに働かず、娘の収入を横取りしては、親の勤めなんて果たしやしない。

 自分の愉快ばかり優先して、機嫌を損ねると暴力を振るう。そんな父親だった。

 母親はとっくに男を作って逃げている。本当はその時、連れていってもらえれば。

 然し母からも不必要と言われてしまえば行き場はない。結局、今はマーチはここにいる。

 その理由は、髪長姫と被っていた。

 

 

 ――二人して、死にかけていたのだ。

 ラプンツェルは飢餓で、マーチは寒さで。

 サナトリウムの職員がたまたま発見して保護、そのまま世話を始めた次第。

 調べてみれば、彼女達は呪い持ちで入所することが決まった。

 四人の中で二人は若輩者だ。特にマーチは来てからまだ一年弱。

 その間に担当した職員が反吐が出る悪意を持つ男で、皆は散々苦しめられた。

 因みにそいつはあまりの勤務態度にクビにされた。

 挙句、数ヶ月後に、詳細を知った魔女がプッツンして秘密裏に出かけて、精神を壊して帰ってきた。

 恐らく、サナトリウムの認知外で亜夜が人を壊したのはその時初めてだ。

 本当に、必要とあれば難なく行動を起こす彼女がおかしくない訳がない。

 報いを受けさせる。法律も倫理も知ったことじゃない。

 亜夜は過去だろうが今だろうが、皆を傷つけたら即、反撃に出る。

 相手がなんだろうがお構いなしだ。人間だろうが魔女だろうが王様だろうがバケモノだろうが。

 それで負けても、必要ならば同じことをまたやる。そういう女だ。

 狂ってるとか、悪人だとか外道だとか自分を言うがその通り。

 ……あの時は、まだ亜夜はここまで狂ってなかった。

 まだ、少しは躊躇する程度の良心は残っていただろう。

 現在の亜夜の病み具合は最早、底に到達している。

 家族の為に世界を敵にまわそうが、きっと彼女は躊躇わない。

 そういう女に愛されると、常人ならばきっと気味が悪くて逃げ出すか、メンタルが壊れる。

 理解の範疇を大きく越える、ベクトルがおかしい濃厚な愛情。

 例えるなら、沸騰し湯気を出す真っ黒な汚泥だ。

 腐臭を放つそんなものでも、亜夜からすれば愛情に変わりはない。

 普通の人間にそんなものを注げば、気持ち悪さと熱で傷ついてしまう。

 でも……その対象は、誰一人明確な『家族』なんてものを知らない。

 親に捨てられ兄を失い、家族に異常とされて突き放され、魔女に無垢なまま育てられて、虐待を受けて暗い感情しか向けられなかった。

 そんな彼女達を護るようにして、向けられている目に見える愛情。

 ……嬉しくない訳がない。誰かに愛される事の嬉しさ、温かさ、優しさ。

 どれだけ熱量を持っていても。触れて火傷し飲み込まれたとしても。

 不器用でも、歪だったとしても。それは紛れも無く本当の『愛』なのだ。

 彼女が身を削り、紡いでくれる魔の手という汚く醜い愛情。

 家族が分からない(マーチ)

 家族を知らない(ラプンツェル)

 家族なんて忘れてしまった(アリス)

 家族ごと消えてしまった(グレーテル)

 彼女たちだからこそ、濃密な煮えている腐った愛情を受けても、求めてることができた。

 みんな、マトモに生きられる過去じゃなかった。

 普通とは何? まともとは何? 

 人の悪意、闇しか知らずに生きてきた彼女達には、もうこの人ぐらいしかいないかった。

 真逆の感情が澱んでいても、欲しいものは欲しい。愛されたいし、愛したい。

 数ヶ月もそんな愛情に満たされて来てしまえば、徐々に彼女達も戻れなくなっていく。

 腐って爛れたエンディング。

 底無しの愛情の泥の中でみんなで沈んで溺れ、自分たちだけの幸福に満たされて、眠るように生きる。

 ……最初は、亜夜はそう考えていた。

 それが亜夜が一番最初に描いた終わりだった。

 だが今はそうじゃない。

 今は、個々の望むエンディングが欲しかった。

 自分の幸せがイコールでみなの幸せとは限らない。

 グレーテルの呪いが無くなり、祝福を受ける中。

 亜夜はそっと、部屋の中で一人考えている。

 サナトリウムに次の移住が決まるまでいてもいい。

 グレーテルの行き先は決まっている。アリスと共に亜夜と生きる。

 魔女の家族になり、世界に背いて人を欺いて生きていく。

 では、残された二人はどうする?

 マーチは。

 漠然とだが、独り立ちすることを考えていた。

 亜夜に守られてるだけじゃ、きっと将来一人で生きていけなくなる。

 魔女の寵愛は嬉しいが、人としてダメになりそうな気がしてならない。

 唯一、働く厳しさを知っている彼女は、現実味のある未来を思い描いていた。

 ラプンツェルはそもそも、その次元にまで精神が追いついていない。

 実年齢と精神年齢がアンバランスな彼女は、サナトリウムでしばらく厄介になるほうが得策だ。

 誰かがいないと、あの子はまだ何もできない。

 だからと言って、亜夜以外の魔女をいまだ怖がるのなら、本質が同じである魔女について来ないほうがいい。

 ラプンツェルに、未来を決められるほどの精神的成長は果たされていないのだ。

 幼稚園児にこれからどうするべきかを決めろという理屈がどうかしている。

 ラプンツェルは、ここで生きて欲しいと思うのは亜夜の高慢か。

 亜夜はある日二人に、改めて問うた。

「二人はこれから先、どうしたいですか?」

 アリスとグレーテルをそばに置いて、聞いた。

 将来、二人はどうしたいのか。どうやって生きていくのか。

 10代の考えることではない命題だが、家族がいない皆には死活問題だった。

「……んー。わかんない」

 ラプンツェルは案の定、分かっていなかった。

 彼女がこういうものだと分かっていたが、意思を汲みたくもこれではお話にならない。

 連れていきたいのは山々なのだが、アリスやグレーテルと違って、物事の判断基準が幼すぎる。

 もうあと数年、成長してくれれば話は別なのだろうが……。

「わ、わたしは……」

 マーチは何度か詰まりながら、自分の意思を伝えた。

 働きたい。今度は、ちゃんと。自分で働いて、自分の力で生きていきたい。

 自分に何ができるか、自分に何をしたいか。それを探していきながら、自立したいと。

「……そうですか」

 姉として、マーチの選択は応援したいと思う。

 彼女は人として、生きていくことを選んだのだ。

 マーチが選ぶその道を、亜夜は尊重する。

「分かりました。私に出来ることは、しておきます」

「あ、ありがとう、ございます……」

 先ずはライムにこの子のことを相談しておこう。

 ラプンツェルに関しては一人の決断で決定するには、亜夜も幼い。

 子供に子供を育てろと言っているようなものだ。流石に無理がある。

 もう話題に飽きたのか、ラプンツェルはお昼寝するといって、布団の上に転がると数秒で寝てしまった。

 ……話すだけ、難しかったかもしれない。

「二人は、……どうするんですか……?」

 マーチが、黙って聞いていたアリスとグレーテルに問うた。

 二人は即答である。

「亜夜についていくわよ」

「姉さんと一緒に行く」

 決意を浮かべる表情は、全てのリスクと覚悟を決めた表情だ。

 人に嫌われても、人に疎まれても、彼女達は亜夜を『家族』として見ている。

 亜夜が魔女としてこの世界に生きるならそれでいい。

 逆に人として生きたとしても、それでいい。

 最悪死んだって後を追って死ぬだけだ。

 依存、執着、妄執。何とでも言えばいい。

 二人はそうすると決めた以上、人生を亜夜に捧げる。

 イカレた、狂ったと揶揄されても二人の生き様はそうする。

「あたしは亜夜と一緒なら、過去だって捨てるわ。倫理なんて知らないし、人間の人生やめろって言うなら、喜んでやめてやるだけ。全部、承知してるんだから」

「アリスと一緒ってのは癪だけど、私もそう。姉さんと家族になるんだもの。姉さんの行くところ、私の行くところだよ。魔女でも人間でも、何だっていい」

 トンデモなく重たい選択肢を、亜夜は背負っている。

 人生二人分の重荷。だが、亜夜はニコニコ笑っている。

「因みに私は、今の所魔女としてひっそりと生きるのもありかなー、とかも思ってます。決定じゃありませんけどね。やっぱり、本性を隠して生きていくのは面倒くさいし、疲れるんですよ。どうせ取り繕ってもついてくる負債です、だったら利用したほうが利口な生き方じゃないですか」

「…………」

 マーチは、決定的に選んだ未来が違うことを理解する。

 マーチは人として、亜夜達は魔女として生きるかもしれない。

 決別するとしても、それは亜夜なりの最後の愛情なのだと知る。

 少しだけ、寂しい。

「まぁ、ここにいる限りは私はみんなのお姉ちゃんです。頼ってくれてもいいですよ。ですが、マーチ」

 不意に、表情を引き締めて亜夜はマーチに言う。

 吃驚して背筋を伸ばしてしまった。

「マーチのような人が一人で生きるということは、並大抵のことじゃないんです。責任も、苦しみも、全部自分で背負う。……覚悟だけはしておいてくださいね。貴方には、頼るべきところはありませんから」

「……はい」

 頼るべき親はいない。サナトリウムは一時の宿。

 独り立ちした子供を助けるようなところじゃない。

 そもそも、独り立ち出来る子供の方が珍しい。

 大抵は……そのまま、心が堪え切れずに崩壊して、廃人になる。

 あるいは、呪いが最終段階に侵食してそれぞれの結末になる。

 サナトリウムとは本来、そういうところだ。

 亜夜がきて、子供達の雰囲気も全体的に明るくなったけれど……誤魔化しきれない部分は必ずある。

 最近は死人は出ていないようだったが、以前は凄い勢いで死んでいく子供たちが大勢いた。

 いざとなったとき、頼りになるのは自分だけ。マーチは亜夜にそれを教えられた。

「……でも、これも忘れないでください」

 厳しさを教えながら、最後に優しい微笑みを浮かべて、亜夜は締めくくる。

「私は何時だってマーチの姉。人外の力をどうしても借りたい時は、知らせてくださいね。……魔女でも、妹は助けられるんですから」

「……はい」

 しっかりと、覚えた。亜夜は、味方でいてくれる。

 分かれ道の先にいても、それだけは変わらない。

「あんたはあんたの人生、歩みなさい。あたし達の真似なんてする必要はないわ」

「代償は大きいからね。オススメはしない、というか選ばないほうが無難だよ」

 二人は辛い道を選んだとしても望んだことなので、上等だと言わんばかり。

 言外に、間違っている事をしているのだからマーチまで魔道に堕ちないでという二人の想い。

「それでも……二人は……?」

 愚問であろう。それでも聞いてしまうのは、同居人としての心配。

「そうよ。それでも、あたしはついていくの。どんな形になっても、亜夜と一緒がいいから」

「私達にはもう……失うものは、自分の生命ぐらいしかないから。だからなんにも怖くない」

 過去はいらない。未来は捨てる。今だけはあれば、それでいい。

 家族の思い出も、先への希望も、全部ドブに投げ捨てていく。

 二人の詳しいことは知らないけど本当に大切な一つの為に、他の全てを犠牲にするつもりなのだ。

 そういう生き方を否定できるほど、マーチは高尚な人生じゃない。

 正しい選択なのかすらわからない世界で、マーチの生き方が何処まで通用するのか。

 不透明な将来だけど、出来る限り足掻いていきたい。

「ふふふっ……。いいじゃないですか、どんな生き方でも。光だけが、希望だけが全ての世の中じゃありません。闇だけが、絶望だけが世の中ではないように。私は歪んで生きていきます。直しませんし、そのつもりもありません。私は誰かのために生きてるわけじゃない。家族の為に、幸せを招くだけですから」

 魔女は妖しく微笑んでいる。傍らに、妹達を連れて。

 二人とも、それぞれそっぽを向いていたり苦笑いしていたりする。

 マーチには、何だかそんな不格好な円形が、とても幸せそうに見えた。

 幸福の形は人それぞれ。

 型枠に入らない、人の不幸を撒き散らして家族だけを幸福にする蒼い鳥。

 これが亜夜の一。一の悪人としての幸せを招くやり方。

 十の善人に否定されても突き進んだ彼女の流儀。誰にも理解されない魔女の描く未来。

(……羨ましい、のかな……)

 自分はあの中に混ざれるほど、失ってもいいものはない。まだ、大切にしていきたいものは沢山あった。

 マーチはマーチの歩幅で、亜夜とは別の歩みで、見えない明日へと進んでいく……。


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