ナーサリー・ライム 童話の休む場所   作:らむだぜろ

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生命を賭けた泡沫の夢

 昔々。昔というほど昔じゃないけれど、とあるところに、とても平和な国がありました。

 海の底にあるというその国は、人魚と呼ばれる種族が住まう王国です。

 そこは人魚の女王様が治めており、王女様たちは15際の誕生日を迎えると海上に上がることを許されます。

 ある日の嵐の夜の日、15歳を迎えた末娘のお姫様が海上に出ると、そこには難破した大きな船がありました。

 乗組員は沢山、冷たい海に投げ出され溺れていました。その数は数え切れませんでした。

 心優しい王女様は、異なる種族にも関わらず、自分一人でもと賢明に救助したのです。

 掟で、余程の事がない限り海底から海上に上がることは禁じられていました。

 この時いたのは王女様一人だけ。彼女は助けられるだけの人々を助けました。

 人魚の王女様は、然し気がつきました。救助をしていたのは、自分だけではないことに。

 もう一人、嵐の中で救助用ボートにたった一人で乗っている若い男性が、同じく救助していたのです。

 王女様は決して人間には声をかけてはいけないと言われながらも、その男性に声をかけました。

 最初こそ驚いた男性でしたが、自分は難破した船の所有国の王子であると名乗るのです。

 王子様は王女様に救援を求め、王女様は了解し共に乗組員を助け続けました。

 数時間にも及ぶ救助活動の結果、乗組員は全員助かりました。

 王子様は王女様に丁寧にお礼を行って、国に帰っていきました。

 その時王女様は自覚するのです。ああ、これが一目惚れというのだと。

 王女様も国に戻り、母である女王様にこっ酷く叱られ、罰としてお城に閉じ込められてしまいました。

 ですが王女様はもう一度だけ、王子様の顔が見たいと願っていました。

 そしてとうとう、王女様は決意しました。

 人魚の証である尾鰭を捨て、人の両足を手に入れ王子様に逢いに行くと。

 そのために王国にいる魔女にお願いして魔法をかけてもらい、陸に上がります。

 然し、その魔法には大きな代償が二つ、ありました。

 それは陸に行くため失った尾鰭。

 足を手に入れるための対価の清らかな声。

 そして……彼女自身の未来だったのです。

 王子様がもし、王女様に振り返ってくれなかったときは……王女様は海の泡になり消えてしまう。

 そう、それはまさに命懸けの夢。もしも、覚えていてくれなかったら。

 その時は王女様は泡となり消えてしまいます。王女様は覚悟を決めました。

 魔女は不気味に笑うと、王女様を人間に変えました。

 王女様はそうして陸にあがり、王子様に逢いに行きました。

 然し、陸に上がった途端、慣れない歩行に足が動かず、倒れてしまいます。

 あまりの激痛に意識を失った王女様。王女様は、人知れない浜辺で気を失ってしまいました。

 そして、意識を取り戻し何とか歩きだし、近くの街に行くのです。

 そこでは何やら盛大な祝杯を上げているではありませんか。

 何事かと近くにいた商人に訪ねてみると、この国の王子様の結婚祝いのパレードが始まるというのです。

 嫌な予感が王女様の頭を過ぎります。王女様はまだ大丈夫、と自分に言い聞かせながら見物を始めます。

 そして、その時がやってきました。

 

 人魚の王女様が、その目に見たものは。

 

 幸せそうに、違う人をお嫁さんにして微笑んでいる、王子様の姿でした。

 

 王女様は、最後まで見ていることができませんでした。

 生命を賭した初めての恋は、呆気なく潰えてしまったのです。

 溢れる涙を拭おうともせず、全力で彼女は逃げてしまいました。

 思いを告げることもできず、想いを自覚しただけで王女様の初恋は終わってしまいました。

 とても苦い、初恋の想い出。そして王女様は恋を知るには……まだ、若かったのです。

 当然、未来を代価に差し出した結果が訪れます。

 王女様は海に向かうとき、自分がどんどん自分で無くなっていく感覚を味わいました。

 腕を見れば、人の肌から白い泡が浮き出て、透き通っていく自らの腕。

 泡になる。それはつまり、死ぬということだと自覚したのはこの時でした。

 リアリティのある死ぬという現実に、王女様はとても怖くなりました。

 生命を賭けると軽々しく魔女に差し出してしまった三つの大切なものは、差し出すべきものではありませんでした。

 魔女はそれを知っていて助言することなく、王女様を唆したのです。

 一度失ってしまえば取り戻せない未来。

 二度と歌うことができなくなった声。

 尾鰭を失った事で戻れなくなってしまった居場所。

 沢山のモノを、王女様は差し出してしまいました。

 王女様は沢山のものを失って、漸く分かったのです。

 自分が選んでしまった、現実というものを。

 若さゆえの過ちと、貴方はそれを嘲笑しますか?

 迂闊ゆえの愚鈍さだと、貴方をそれを見下しますか?

 因果応報。自業自得だと、貴方はそれを蔑みますか?

 王女様は反省しました。王女様は後悔しました。

 もっと生きたいと、喪ってしまった声無き声で叫びました。

 死にたくない、消えたくないと海に向かって泣きました。

 涙を流しながら、彼女は悔いているではありませんか。

 自らの行いには責任を。

 それは確かに、何処の世界でも常識でありましょう。

 だからと言って、過剰な罰を与えてよいものでしょうか?

 無知故の責任と言うのは簡単です。然し、これは余りにも惨たらしい。

 声を失い、居場所を失い、未来さえ失いました。

 言葉一つで片付けるのは簡単なのです。

 ですが、過ちを学ばせ、教訓とすることも与えないとするならば、それは最早悲恋ですらない。

 

 ――ただの悲劇にしかならないのですから――

 

 童話、『人魚姫』。無知な王女の、泡沫の恋慕の物語。

 この世界での彼女の物語もまた、『死』という終結を持って補完されるのです。

 

 

 

 

 

 

 ――その、ハズでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日はグレーテルと共に、久々に出かけていた。

 血のバレンタイン事件で軽く死にかけ未だ入院中の某エロ狼。

 奴にお見舞いの品でもと、仕事を増やしてくれた奴に皮肉と情けと嫌味と嘲笑を込めて鉢植えを買うためだ。

 私の世界ではこれは縁起が悪いという意味で、やってはいけないコトなのだが別世界なら別にいいだろう。

 というか、意味知っててやってるし。

 長引け苦しめ早く社会的に死ね、という暗喩である。要するに遠まわしな嫌がらせ。

「何であの人に贈り物なんてするの?」

「贈り物なんてしませんよ。単なる嫌がらせです」

 グレーテルが不満そうに、この世界では珍しい業務用スーパーに入る私に聞いた。

 適当に理由を付けて説明すると、

「そうだったんだ。じゃあとびっきりのお花でも贈ってやろうよ」

「良いですね。サイネリアでも贈ってやりましょうか」

 私がとびっきりの嫌がらせで贈ることにした花は、日本じゃ災いや死をイメージさせる。

 縁起が悪いので忌避されるべきものなのだがだからどうした。

 私には奴に心配する義理など一切ない。

 知らなかったで白を切ればいい。

 目的の花を確認、速やかに購入する。あと適当に食品やら何やらを購入。

 買い物を終えて店を出る。表通りでは王族の結婚祝いを祝して何かしているらしい。

 私達にはどうでもいい。他人の幸福を祝えるほど、こちらには余裕はない。

 妬みや僻みが入る前に、居なくなろう。相応しくない空気というものがあるものだ。

「亜夜さん。……私、海を見に行きたい」

 ラフな格好のグレーテルが、祝賀ムードを嫌がるように私に言ってくる。

 そうだよね。サナトリウムの人間に必要なのは自らの幸福であって、他人の見せつける幸せじゃない。

 気にしたり、比べたりするのは仕方ないことだと思う。

「ええ、行きましょうか」

 私は笑って言った。

 車椅子を移動させて、海の方を示す看板を示す街道を進んでいく。

 私も誰かの結婚とか、素直に祝福できるほど大人じゃない。

 結婚……か。童話じゃ、よくハッピーエンドの象徴として描かれる。

 当人が幸せなら私には文句はない。ラプンツェルだって最後は結婚するし。

 が、それを私が祝うかと言われたら私は祝うつもりはない。

 元々そういう性格だ。余程の間柄でもない限り、私は冠婚葬祭には行かない。

 葬式だって、たとえ親戚のモノは場合によってはいかないレベルだ。

 どんだけ相手に恩があろうが、私が覚えていない限りは知ったことじゃない。

 小さい頃の事を言われても覚えていないなら関係ないのだ。

 こんなんだから、私も常識がないと言われる。行く行かないは、私の自由のはずだ。

 非情で結構。無情で結構。その代わり、私が死ぬときは誰もこなくていい。

 私が結婚したときは誰も祝わなくていい。そもそも結婚の予定はないが。

「……亜夜さん?」

「何でもないですよ」

 伺うように荷物を持つグレーテルが聞くので誤魔化す。

 まぁ、死ぬ気はない。みんなを泣かせるつもりはないから。

 私がもし、男だったらとふと思った。

 間違いなくみんなを掻っ攫て、自分の嫁にしてる。問答無用で。

 女でよかった。うん、本当に女でよかった。

 雅堂レベルの変態にはなりたくないし、同性でなければ私ってば危険な奴だったかもしれない。

 海に向かう道を進み、土を盛り上げてできた防波堤の上に道を辿って移動する。

 ここからなら、よく見えるかもしれない。この世界の海か。そういえば、初めて見る。

 私とグレーテルは頂上に到着。そのまま、良く晴れた二月の寒空の中で腰を下ろして海を見る。

 眼前に広がる大海は、私の世界の海と変わらない、大きくて広い、私の翼と同じ蒼一色だった。

「……」

「……」

 グレーテルは気分転換のように海を眺め、時折吹く潮風で靡く癖っ毛を直している。

 私はというと、黙って食事中。何というか、空気が読めないものでお腹がすいた。

 さっき買ってきたコッペパンを貪る。

「……亜夜さん、これは何?」

「?」

 隣で腰かけるグレーテルに問われて、私は首を傾げた。

 彼女は私が缶コーヒー片手に食べているそれを見ていた。

 あれ、コッペパン知らないのかな。一つ袋から出して見せる。

「こっぺ……パン? これは、パンの一種なの?」

「んぐっ……。はい、知りませんか?」

「知らない。こんなものが世の中にはあるんだね……」

 ああ、そうか。コッペパンはそういえば日本発祥だったっけ。

 戦時中に確か、給食のパンがどうとかこうとか。詳しいことは知らないけど。

 この万能パンを知らないなんて、ある意味勿体ない。美味しいのに。

 一つ食べてみると言った彼女に、仕事中のオヤツにしようと思っていたコロッケを挟んだそれを手渡す。

 袋を開けて、早速二人して貪る。中々シュールな光景だった。

「……あれ、お菓子じゃないんだ。甘くないね?」

「お菓子みたいなものにもなりますし、食事にもなります」

 コロッケが馬鈴薯の加工物であると教えると、じゃがいもの万能性にもグレーテルは戦慄していた。

 彼女の認識では馬鈴薯は良くてちょっとしたオカズ程度だったようだ。

 主食にしている地域だってあるんだそうだが。

 私は一番の好物であるアンコとマーガリンのコッペパンだ。

 うん美味しい。この混ざり合った甘さがコーヒーに合うね。

 と、二人して話しながらコッペパンを食べている、その時だった。

 

 

 

 

 グレーテルが、何かに気がついた。

 

 

 

 

 

「……あっ!? あ、亜夜さん!! 人が、人が倒れてる!」

「!?」

 グレーテルが口の周りにソースをつけたまま、浜辺に向かって指差した。

 その方向を見ると、確かに街娘みたいな格好の人が一人、俯せに倒れている。

 しかも……何だあれは?

 気泡、なのかは知らないが白いそれが弾けており本当に薄いけれど、シルエットが……透けている。

「な、何がどうなって……!?」

 気泡を出しながら、浜辺で倒れている女性。グレーテルも流石に気が動転する。

 海。気泡。女性。そしてここは、童話の世界。

 ……まさかっ!

(童話の終末に出会したってことですか!?)

 嫌な予感がする。この予感が正しいと、このまま放っておいたら……今倒れている彼女は、多分死ぬ。

 私の知っている形とはかなり違う。自ら選んだ死ではなく、野垂れ死にしているようにも見える。

 兎に角、私の行動次第で人一人の命運がかかっていると言っても過言ではなかった。

「……」

 腕を組んで考える。

 どうする? 確実に厄介事になるだろう。

 何せあれは恐らく王族。しかも人間とは違う。完全に異種の存在だ。

 ゴタゴタになるのは間違いない。魔女と同じ、人間ではないものを助けてどうにかできるか?

「グレーテル、少しだけ待ってください」

 慌てている彼女に一言言うと、グレーテルはすぐに黙った。

 私の行動に任せる、と言いたげな顔だった。

 もしも童話の彼女だったとしたら、悲恋の結末であるのだろう。

 本人は確か、悲恋の結末を受け入れた上で、陸に上がったハズだ。

 つまり、最終的にはこうなる結末を知っていたということだった。

 自業自得、因果応報。自分で行なった結果だ。知っているなら、私に助ける義理はない。

 放っておけばいい。事勿れ主義、私には関係ないで立ち去れば。

 私がリスクを抱え込むことはない。関係ないんだから。

 

 ――なんてスッパリ言い切れたら、私は魔女だったのかもしれない。

 

 だが、私は所詮ハンパ者だ。

 目の前で死にそうになっている子を、見捨てられるほど非常に離れなかった。

 自分の行動で、誰かが死ぬっていうのはそいつの生命に関わったことになる。

 結局、出会した時点で私は巻き込まれているだけで、無関係では居られない。

 だったら、リスク程度がなんだ。失うよりは護る方が余程良い。

 無くすのは正直、嫌だから。仕方ない、なんとかしてみる。

 諦めるのはできることをしてからだ。

「はぁ……」

 溜息がでてきた。また厄介事か。

 助けるしかないなら、出来ることをしてやる。然し何で私ばかりが……。

 車椅子を押し込んで、浜辺に降りる道に向かう。

 グレーテルは何も言わずとも、意図を理解してくれた。

 私の後を追いかけて、追い抜いて先に行く。

 見ている先で倒れている女性はどんどん気泡を出しながら薄くなっていく。

 先に駆けつけたグレーテルが、脈などを調べているところに到着。

「大丈夫、まだ生きてる……。けど、これは何?」

 呼吸、脈拍はまだある、と。

 然しこの不可解な事は一般の人には理解できないだろう。

 もしかしたら私にも無理かもしれない。だが、私は半分別物だから。

 私に出来る範囲のことをしてみよう。

「グレーテル。ちょっと見せてください」

 私は周りに人がいないことだけ確認してもらい、大丈夫と判断して一気に解放する。

 グレーテルが一瞬だけ、ビクッと反応する。

 忽ち変身する私。紫煙を吐き出す、紅い瞳の魔女へと。

 魔女になれば、きっと視える。これが、それ(、、)なら。

 すぐに私は理解した。これは……酷い。

「呪い……?」

「えっ?」

 私は呟いたのを、グレーテルは聞いていた。

 顔を上げて私を見てくる。

 そう、これは間違いない。かなり珍しい形をしていたが。

 私にも、何とか出来る範囲のことだ。応用さえできれば、きっと。

「これは、代価を支払ったカタチの呪いです。一種の契約とでもいいましょうか」

「……呪いなのに、対価を?」

 呪いは通常、一方的だ。理不尽と言われる所以はそこにある。

 だが彼女はどうやら、進んで魔女の呪いを受けているようだった。

 理解できないとグレーテルは顔を顰める。それもそうだろう。

 尚更、救う価値などない。事情が知れると、顔にそう書いてある。

「グレーテル。言いたいことは分かります。だからって……見捨てたら、人殺しと同義です」

「…………」

 見殺し、という言葉は結局出来ることをしなかった奴を罵る言葉だ。

 つまりそれは面と向かって人殺しと避難されているのと大差ない。

「私も利己的な奴ですが、人殺しと罵られるのは如何せん不愉快です。ですので、まあ形だけでも助けておこうと思います。出来ることをして死なせたのと、何もしなかったでは天と地の差がありますので」

 建前だ、こんなもの。自分だって理由は分からない。

 だた、死なせたら何か嫌だ。それだけだ。

「……亜夜さん。言い訳言わなくても、亜夜さんがそうだと決めたら私は文句ないよ」

 グレーテルは表情を崩した。苦笑い、そんな感じに。

 バレていたか。言い分がないと行動しないの私についてきてくれる。

「……ありがとう。じゃあ、ささっと呪いを解除してしまいましょうかね」

 私も呪い解除を四人分、長い間やっていたわけじゃない。

 自分のも含めて、ある程度ならできると思う。多分。

 やったことのないタイプだったが……ダメ元でやってみる。

 私が目を閉じて意識を集中させると、グレーテルは見張りをしてくると離れていった。

 こうなるともう、動けなくなるから人払いしてもらわないといけない。

 グレーテルはよくわかってくれている。良い子だ。

 私はその分、気合入れて一気に進めてしまおう。

 何時の間にか、私まであのロリコンエロメガネの影響を受けていたようだ。

 ……帰ったら憂さ晴らしに呪ってやる。

 そう誓いながら、私は彼女――『人魚姫』の呪いを解くために意識を掻き集めていく……。


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