ナーサリー・ライム 童話の休む場所   作:らむだぜろ

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間違う優しさ

 

 

 

 

 

 

 墜ちた理由は、第一に自分よりもあの子達の為。

 解こうと思えば、きっとすぐにでも解放できる。

 でも、あの子達は抵抗する。嫌がる。

 だから、バレないように……こっそりとやろう。

 それで相手がどう思っていようが、もう魔女には関係ない。

 結果的に幸せになればいいのだ。それだけで、いいのだ。

 絆よりも、愛よりも早く、彼女達を幸福にするために。

 幸福とは、呪いがなくなること。本当の幸福を探せること。

 それが身近にある青い鳥(しあわせ)の正体。

 優しさを間違えて、独善へと成り果てた彼女は、そのためなら……茨の道でも進む。

 

 

 

 

 

 

「ふふふっ……。逃げられると思いましたか? 愚かな猫……」

「あなたのような存在に言われる謂れはございませんがね」

 それはサナトリウムの裏手。

 ゴミ捨てを行なっていた魔女の前に、一匹の長靴をはいた猫が通り過ぎる。

 彼女は、それを見つけるや突然猫を追いかけ始めた。

 猫は驚いて、当然逃げる。が、翼を持つ魔女から逃げられるわけもなく。

 猫は呆気なく捕まり、猫掴みされたまま、目線まで持ち上げられている。

 猫が喋ることにツッコミを入れずに、爛々と目を輝かせて幼い魔女は卑しく嗤った。

「賢しいだけの猫が偉そうによく言いますねェ」

「猫が賢しくて悪いですか? 魔女が人の中に紛れる滑稽さに比べれば幾分マシというもの」

 魔女相手でも怯むことなく、立派な毛並みの猫は口答えをする。

 それを嬉しそうに、愛おしそうに表情を歪める。

「ふふふっ。良い啖呵です。それだけ魔女相手に言えるなら、そのふてぶてしさにも納得がいきます」

「……あなたは一体何なのですか? 何がしたいんですか?」

 怪訝そうに問う猫。危害を加える気はないようだが……意図が読めない。

 魔女はずっと、仮面を付けるように表情を変えない。卑しく嗤う。

「教えてください、賢しい猫さん。あなたの主は怠惰ですか? あなたの主は、愚かですか? あなたの主は、幸せですか?」

「……」

 何が言いたいのだろうか?

 猫にはその真意が見えない。

 答えられる範囲は、最後の質問だけだ。

 捕まっている手前、大人しく答えておこう。

「……ええ。主は間違いなく、幸せでしょう」

「与えられた幸せを、甘受していると?」

 魔女は首を傾げて、歪んだ笑みのまま聞いてくる。

 何気ない仕草に、ぶわりと毛が逆立った猫。

 怒りじゃない、これは本能で恐ろしいと思ったからだ。

 良くないことを考えていると、漸くそれが一瞬垣間見えた。

「……何を言いたいのか理解しかねますが、恐らくは」

「そうですか……。それだけでいいです。どうもありがとう」

 猫を足元に落とすと、魔女はそのまま立ち去っていく。

 猫は呆然と見送るしかなかった。

 結局、何もしてこなかった。

 右手で翼を軽く流しながら、若き魔女は施設へと戻っていく。

 

 

 

 

 

 ガラスの靴を手に入れて、舞踏会に行って踊って、王子様と出逢い、幸せになる。

 平凡な女の子が、王子様と出会って幸せになる、王道の原点。

 シンデレラ、と俗にいう言われているストーリー。

 でも……本当にそれだけ? それで彼女は満たされた?

 愛する人がいる。共にいられる日々がある。

 それは確かに、幸せのひとつの形であることは否定しない。

 だけど……それだけだけでいいのだろうか。

 以前の惨めな自分を苦しめていた連中に、シンデレラは何も感じていないと?

 誰がそう、言い切れる?

「いいんじゃないですか? 復讐したって、誰もあなたを責めませんよ?」

「…………」

 違う日に呪いの一件で、サナトリウムを訪ねてきていたお姫様は、どうしても忘れられないことがあるという。

 ずっと前に、継母に陰湿な嫌がらせを受けていた日々。

 幸せの意味がわからなかったあと時とは違い、もう彼女は知っている。

 知っているが故に、あんな仕打ちが到底許せないと改めて思うと告げる。

 何故、その相談を魔女が受けたかと言えば、嫁のイライラに手を焼いていた旦那様が、誰か早急に解決して欲しいと金を積んででも懇願してきたからだった。

 愛する人がこんな姿になったのは、誰かのせいだと思いたい。そんな表情だった。

 ふらりと廊下で出会ったお姫様は、職員と思われる小さな女の子に、アドバイスを貰っていた。

「許せないんでしょう。幸福な日々をいまだ蝕む過去の鎖が。断ち切りたいのに誰も理解してくれないで、一人孤独になっていくのが辛いんでしょう?」

「…………」

 俯くお姫様。鳩のように嗤う少女は、上機嫌だった。

 指摘通り、誰にも助けてもらえない現実にいい加減疲れていた。

 それを、この少女だけは、しっかりと理解してくれた。

「なら、心が思うままに行動したらどうです? 仮にも一国の姫君にまで上り詰めたのなら、隠蔽工作だってお手の物でしょう? ……それに、身内同士の事に、他人が首を突っ込むと思いますか? いいんですよ、復讐したって。それで、あなたが解放されるなら……実行するべきです。ただ、許せない、苦しいという感情だけは、しっかりと旦那様に伝えるべきです。思っているだけじゃダメ。行動するだけじゃダメ。その双方をしっかりと、伝えなければあなたの幸福は霞となり彼方に消える。わかりますね?」

「…………」

 顔を上げて、頷く。それにしても、不思議な少女だった。

 嘗て出会った魔法使いのように、導いてくれる。

 姫君となった彼女を、どうすればいいか光を教えてくれる。

「……支え合う嬉しさを知っているなら、安心しました。幸せを阻むなら復讐することも必要な時がある。ですが、一人じゃなくてもいいじゃないですか。旦那様と一緒にやってみては? 愛しているんでしょう?」

 肯定。お姫様は深く愛している。

「旦那様も愛してくれているなら、手を貸してくれるのではありませんかね。夫婦は大きなハサミだとも言います。時にはバラバラに動いていたとしても、中にはいる愚か者は共に刃を向け、容赦なく切り刻む」

 少女は邪悪に微笑んだ。

 紅く紅く、淡く淡く。その瞳はまるで鮮血のように。

 魔法のように、彼女を導く。

「家族だろうと、あなたを苦しめるなら……敵です。殺める必要はありません。ただ、同じ苦しみを与えてやればきっとあなたのココロも落ち着くでしょう。あなたは、誰に、何を望んでいるんですか、お姫様」

 お姫様はそれだけ言われると、決意したようにドレスの裾を上げて、廊下を走っていった。

 あの方向は、旦那のきている応接間の方だ。成程、早速実行するらしい。

 アレが彼女の幸せの向こうにあるもっと強い幸せの証。

 見送る少女は、バサリと蒼い翼を羽ばたかせて、自分の仕事に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 人にはそれぞれ、幸福の形がある。

 それを求めるにはそれなりの環境というものが前提として必要。

 でもここには、そんなものすら満足に用意できない子供達が殆ど。

 だったら……他の人がやるしかない。

 邪魔なものだけとっぱらって、ハッピーエンドにしてしまおうじゃないか。

 それをするために、魔道へと堕ちたのだから。

「ねえ、亜夜。どうかしたの?」

「……何がです?」

「最近の亜夜、怖いわ。雰囲気」

 アリスの勉強を見ているときに、怖いと言われてしまう。

 正体を知っている連中は、恐れて何も言わないのに。

 この子は、もう気付きかけていた。鋭い子。

「ふふふっ。怖い? 私が、怖い……?」

 隣に座ながら同じノートを見下ろす形。

 アリスは眉を顰めた。

「あんたは……。その笑い方が怖いって言ってんの。それに、何か頭撫でたりとか良くするし。何かあったの?」

「いえ別に」

 アリスの頭を撫でながら正解を褒めて、笑う亜夜。

 前よりも笑う回数が増えているけれど、その雰囲気は近寄りがたい気がする。

 アリスはそう感じた。でも、その雰囲気の割にはアリスたちには友好的というか。

 何とも言えない、説明しにくい状況というか……。

「なによ……。あ、あたしがわざわざ心配してるのに。こんなこと滅多にないわよ。わかってんの?」

 膨れるアリスを可愛がるように、亜夜は撫で続ける。

 優しいのに、何処か恐ろしい、そんな笑顔で。

「ありがとうアリス。私は、嬉しいですよ」

 誤魔化しているのは知っている。

 アリスだって馬鹿じゃない。

 あの不思議の国で起きた経験を乗り越えていない。

 今の亜夜は、まるであの猫だ。

 ニヤニヤ笑って、肝心なことだけ何も掴ませない。

 亜夜は無理をしているわけじゃないが、何か隠している。

 いい加減それぐらいの機微を感じる程度にはなってきた。

 伊達に心を許している数少ない人じゃない。

 帽子屋とか兎みたいになってないだけよかったけれど。

「ふふっ。アリスは可愛いですね」

「亜夜、ちょっと怖いそのセリフ」

 愛おしそうに撫でられるのは嫌いじゃない。寧ろ嬉しい。

 なのに、撫でているその人の表情はどうしてこんな風に空っぽに見えるのだろう。

「アリスは人と別れるの、特に嫌ですものね。いっそこのまま誘拐してしまいたい」

「……亜夜?」

 また悩んでいる?

 その割には、迷いというより違う感情が見えそう。

 これは……もどかしさ?

「アリスの望みはなんですか? 私はそれが知りたいです」

「またそれ? だから、あたしは現状に満足してるってば。これでいいでしょ」

 亜夜はこれを頻りに聞いてくる。

 前から幸せにしてみせるーと意気込んでいたが最近は輪をかけて酷い。

 恥ずかしいけど本音で言ってるけど、亜夜はどうも違うニュアンスで聞いてる。

「現状が何時までも続くわけないでしょう? 違いますか?」

「……」

 何か、遠くに行ってしまいそうなことも言う。

 その度不安になる。

 そんなことないと考えてバランスはとっているけど、拭いきれない。

「亜夜は、あたし置いてどっかに行くの?」

「何時までもここにいる、というのは無理でしょうね。でもそれは誰だって生きてる限り同じです。出会いも別れも繰り返すのが常です」

「そうだけどさ……。おいてけぼりはやだよ?」

 アリスの嫌なのは置いて行かれること。

 何も言わずにいなくなられること。それが一番、怖い。

 嘗ての友がそうだったように。それは裏切りに近いと、今でも思う。

 亜夜はそんなこと、絶対しないと信じているけど。

「アリスの嫌がることは、私も何となくわかるんですけどね。その逆となるとよくわかりません。アリスが喜ぶことってなんでしょう?」

「…………ずっと一緒にいてくれる、こと…………」

 望んでいること、で良いなら。

 ずっと一緒にいてくれること。独りぼっちにしないこと。

 アリスの望みは、それだけだった。

 小声で望みを言うと、亜夜は初めて笑みを消した。

 困ったような、そんな顔になる。

「そうしたいのは山々なのですが……」

 分かってる。早々できないことであることぐらい。

 努めない限り、儚く消えることぐらい知っている。

 呪いが無くなれば、サナトリウムには居られない。

 実家に帰されて、また虚無な日常に逆戻り。

 何もない、空っぽな生き方に戻る。

 友達もいない、家族とも分かり合えない。

 異常者扱いを一度でもされれば、忌避される現実を知った。

 そんなのは、たまらなく嫌だった。

 異常が異常じゃない、この空間でしか今は生きたくない。

 アリスのココロは叫んでいる。

 帰りたくない。独りきりは嫌。誰か一緒にいて。

 幸せは、今ココにある。

 正にアリスの言うとおり、現状満足がカタチだった。

 それでも尚語るのならば、永遠に傍にいてくれる友達。

 それが、欲しい。不可能だと分かっていても。

「……分かりました」

 難しい。でも、できないこともない。

 二人の望みを、架け橋で繋ぐことは不可能じゃない。

 多少、妥協してもらうことにはなるだろう。

「えっ?」

「なんとかしてみましょう」

 だけどそれがアリスの欲するものならば。

 やろう。亜夜は小さく嗤った。

 ビクッと、アリスは怯えた。

 一人目。アリスの望み。

 強引に呪いを解くのは、一番最後だ。

 アリスの算段はついた。次は……マーチの幸福を聞いてみよう。


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