その後、メイミーの難解な言葉を必死で翻訳しながら訊き出したところによると。
思った通り、私はスネイプ教授の娘のミューゼ・スネイプで、先月の8月初めに4歳になったばかりということだった。
メイミーがこの家に雇われたのは私が1歳を過ぎたくらいの時らしいのだけど、その頃にはもう私の母親という人はこの家には存在せず、雇い主である教授は話題にすらしようとしなかったらしい。
現在、スネイプ教授は原作どおりホグワーツの教師をしていて、でも土曜日の夜だけ娘と食事をするために戻ってくるのだそうだ。
私は木から落ちたということだったけれど、どうして私が木のぼりなんかしたのか、その理由まではメイミーも知らなかった。
ただ、その日はどうやら金曜日で、私が目覚めて教授に怒鳴られたのが土曜日、記憶喪失だと判ったのが日曜日で退院したのが月曜日になるらしい。
次に教授が帰ってくるまでには5日ほどあったため、私はその5日間をメイミーと話をすることに費やしたんだ。
おかげでこの世界について様々なことを知ることができた。
とりあえず私が気になっていたのはもちろん主人公ハリー・ポッターのことで、聞けば3年ほど前にハリーは原作通りヴォルデモートを滅ぼしたというから、計算したら私はハリーと同じ年齢だった。
ということは、もしも私が魔女なら、彼と同学年でホグワーツに通うことになる。
でも、確か教授は混血だから、私の母親が純血の魔女じゃない限りスクイブの可能性もあるんだよね。
(思わず学生時代に習ったメンデルの遺伝の法則なんぞを必死で思い出しちゃったよ。それによれば、母親が混血もしくはマグル生まれの魔女なら4分の1、マグルなら半分の確率で私はスクイブになるらしい)
もちろん魔女になれたらその方が嬉しいけど、こればかりはミューゼという少女の宿命だから、もしも魔力がなかった時は潔く諦めるつもりでいる。
でも、もしも私が魔女で、この世界が原作の世界とものすごくよく似たパラレルワールドだったとしたら、私はハリーがホグワーツで経験する様々な事件を一緒に経験することになるんだ。
(……できれば関わりたくないよね)
そもそも私は面倒事には極力関わりたくないし、世の物語の主人公のように好奇心や正義感が旺盛な訳でもない。
将来の夢のために努力したりもしなかったし、そもそも夢自体持ったこともない。
自分の人生の中ですら私は主役なんかじゃなかった。
私みたいな人間があんな事件に巻き込まれたりしたらきっと1年も持たないだろう。
(でも……)
困ったことに、私はセブルス・スネイプ教授の娘なんだよ。
言うまでもなく教授は物語の準主役級の扱いだ。
物語の最大のキーパーソンで、ネットのネタバレによればハリーが7年生の時にヴォルデモートの飼い蛇に噛まれて命を落としてしまう。
その娘である私はどうしたって否応なしに巻き込まれるだろうし、たとえ事件そのものには巻き込まれなかったとしても7年生の時に唯一の家族を失って独りになってしまうんだ。
ホグワーツの7年生といえば魔法界では成人の扱いだけど、できればそんな若さで天涯孤独にはなりたくない。
なにより生まれ変わる前の私は小学生の頃に父親を亡くしているからか、再び父親を失うと考えただけで過去のトラウマが発動しそうになって焦った。
考えただけで涙が止まらなくなっちゃって、自分でもびっくりしたんだ。
とうぜん隣にいたメイミーも驚いたようで、おたおたしながら必死で私を慰めてくれたんだ。
この時泣いていたのは、おそらく前世の私1人だけじゃなく、4年間をセブルス・スネイプ教授と過ごしたミューゼ・スネイプもだったのだろう。
彼女は教授のことをものすごく怖がっていたけれど、でもけっして失いたいとは思っていないんだ。
彼女は彼女なりに父親を慕っている。
だったら私は彼女のためにも、教授が死ぬのを黙って見ている訳にはいかないだろう。
(……いやでも、私はしょせん平凡な一般人なんだよね)
私は原作を熟読した訳でも、作者の頭の中を見た訳でもない。
この世界について知っているのは別の誰かが書いた二次小説の内容だけで、しかもその知識も書いた誰かによって都合よく捏造された世界の話だ。
だいたい私がいる時点でここがパラレルワールドなのは確定事項だし、原作とどれだけズレがあるのかも見当がつかない。
そんな中途半端な知識を持ってるだけの平凡な人間が、1人の人間の命を救うとか、そんな大それたことができるはずがない。
暇なのをいいことに、私はうだうだとつらつらとそんなことを考えながら日々を過ごしていて。
ここ数日ですっかり慣れてしまったようにメイミーに着替えを手伝ってもらいながら支度をすると、彼女はいつもより少し緊張した風に話し始めた。
「ミューゼお嬢様! 今日は土曜日でございます! メイミーめは、ご主人様の前にはお姿をご覧になられてはならないのでございます!」
そういえば土曜日の夜だけ教授は娘と食事を取るのだった。
どうやら長期休暇には教授も自宅ですごすようだけど、今は9月で新学期が始まったばかりだから、しばらくはこのパターンが続くのだろう。
「教授が家にいる間は、メイミーは隠れてるってこと?」
「はい! メイミーはぜったいにお姿をご覧になられないようにお隠れなさるのでございます!」
もしかして教授は屋敷しもべ妖精が嫌いとか?
そんな設定があったかどうかは知らないけれど、いろんな夢小説を見たけど教授が屋敷しもべ妖精を雇ってる設定の話はひとつもなかったと気がついた。
もっともそれは夢小説の作者たちが教授と夢主をイチャイチャさせるのに邪魔だっただけかもしれないけど。
でもまあ、そういうことなら仕方がないと、午後になってメイミーが本格的に夕食の準備を始めてからは部屋で独り本を読みながら過ごしていた。
もちろん英語が超苦手な私が読むのは子供用の絵本だ。
(いちおう教授にも子供に絵本が必要だという程度の常識はあったらしい。もっとも私にあてがわれた部屋は子供部屋とは思えないほど殺風景だったけど)
ミューゼの記憶のおかげで多少の英語は理解できたから、少なくとも前世の頃よりはよほどスムーズに読むことができた。
とはいえミューゼが知ってる英語も所詮は4歳レベルだから、大人用の文章をすらすらと読めるようになるまではまだまだ鍛練が必要だろう。
そろそろ空腹が我慢できなくなってきた頃、メイミーに声をかけられて私は部屋を出た。
そのまま1人でリビングへ行くと、ローブを脱いで掛けていた教授と目が合った。
「おかえりなさい」
「……ああ」
そのまま教授が夕食の並んだテーブルに腰かけたから、私も自分の席の椅子によじ登る。
この椅子、とうぜん子供用だから座る場所が高い位置にあるんだけど、梯子が前についてるからそのまま座ってもテーブルに手が届かないんだよね。
いつもならメイミーが魔法で浮かせてちょうどいい位置に動かしてくれるんだ。
でも今はメイミーがいないから、私は座ったあと一瞬だけどうしようか迷ったのだけど、顔を上げる前に椅子が浮き上がってちょうどいい位置に動いてくれた。
「ありがとう、教授」
「……まだ記憶は戻らんようだな」
「……ごめんなさい」
視線を外して溜息をつく教授に謝る。
教授にしてみればたった一人の家族で(たぶん)最愛の娘だ。
一日でも早く元通りに戻ってもらいたいと思ってることだろう。
でもそれは彼女に前世の記憶が蘇ってしまった以上かなわぬ夢だ。
おなかもすいていたので、私はすぐに食事に夢中になった。
にしても子供の身体ってのは本当に不器用だ。
大人の感覚を知ってるとイライラするくらい、指が思った通りに動いてくれない。
ふっと気を抜いて感覚だけで動こうとするとすぐにコップをひっくり返したりお皿に腕をひっかけたりして大きな音を立ててしまう。
そのたびに教授が杖を振って元通りにしてくれるから、私はそのたびにいちいちお礼を言い続けて。
子供がいる家庭ではある程度は仕方がないことなのだろうけれど、これでは教授もゆっくり食事を楽しむなんてことはできないだろう。
私が下を向いて一心不乱に食べていると、教授の視線が私に向いているのに気がついた。
反射的に顔を上げて正面を見るとすっと視線が逸らされる。
……たぶん、なにか言いたいことがあるんだろうな。
もしかしたら教授、私が怪我をする前にはけっこう頻繁に私のことを怒鳴りつけてたのかもしれない。
なんとなく漠然と、なんだけど。
私、学校の先生なんてやってるヤツは、なんだかんだ言って心の底では子供が好きなんだと思ってた。
だって、毎日毎日1日中子供につきあうとか、子供嫌いの私にはぜったいできないもん。
だから漠然となんだけど、陰険で厭味なスネイプ教授も心の底では子供が好きなんだろうな、って。
でも、こうして教授を横目で観察していて、私は彼に私自身と同じものを感じたんだ。
いわゆる“子供嫌い”の同じ魂を。
(まあ、教授が先生やってるのって、リリーの忘れ形見を守るため、だったもんね)
私だったら、たとえ好きな人の子供を守るためでも、学校の先生なんかできそうにないわ。
その前に好きな人の子供をなにがなんでも守りたいなんてそもそも思わないだろうけど。
先に食事を終えた教授は食後の紅茶を自分の分だけ淹れて飲んでいて。
少し遅れて私もごちそうさまをすると、不快そうに私を見下ろして言った。
「顔と手を洗ってこい」
「はい」
素直に答えて椅子を降りようとすると、教授はまた少し椅子をずらしてくれて、なおかつ部屋の扉も魔法で開けてくれた。
よほど家の中を汚されるのが嫌なのだろう。
もうちょっと私の身体が成長するまでは我慢してください教授。
洗面所で言われたとおりに食いこぼしを洗い流したあと、ちらっとリビングを覗くと教授はソファの方で本を片手に紅茶を飲んでいた。
どうやらすぐに帰ってしまう訳じゃないらしい。
私はいちど部屋に戻って、絵本を持って再びリビングへと戻った。
「教授」
「……」
「絵本を読んでください」
「……自分で読めないとでもいうのか?」
「教授に読んで欲しいです」
「……」
察してくれ、この気まずい空気を。
でもこの延々と長く続く沈黙は耐えがたいんだよほんとに!
ほら、子供と付き合うのに絵本はいいコミュニケーションツールになるよね、きっと。
親子なんだからさ、そのくらいのことはしてあげようと思ってくれよ頼むから!
私がソファの隣に座って絵本を差し出すと、教授はしぶしぶながらも読んでいた本をテーブルに置いて、絵本を開いてくれた。
教授が広げた絵本を横から覗き込む。
ここは子供を膝の上に乗せる、が正解なんだろうけど、スネイプ教授にそこまで要求してもね。
背伸びしながら覗き込む私に気づいたのか、教授は少しだけ絵本を私の方に近付けてくれた。
不機嫌そうに、でもゆっくりと、教授は絵本を音読し始めた。
低音のボイスがやたらと胸に心地いい。
これ、たとえばバーのカウンターとかで口説き文句を囁かれたんだとしたら一発で堕ちてるレベルだわ。
教授の読み聞かせは朗読というよりはほとんど読経といった感じで、おなかがいっぱいになってたこともあってすぐに眠くなった。
そのままいくらも経たないうちに私は眠ってしまったんだろう。
気がついたときには既に朝で、教授は私が眠ったあとそのまままたホグワーツに帰ってしまったのだとメイミーが教えてくれた。