過去と未来の二本立て。
二人とも3年生の終盤頃になります。
学生の頃に一度、不思議な幽霊を見たことがある。
確かホグワーツ3年生の終わりの頃じゃなかったかと思う。
その日僕は例によってポッターとブラックに絡まれていて、投げつけられた怪しい物体を端からぜんぶ魔法で消し去っていった。
この3年間で僕の魔法の腕はかなり鍛えられたと思う。
もっとも、不意打ちを食らってしまえば相手は2人、そうそうぜんぶ回避できる訳じゃなかったのだが。
「なかなかやるじゃねえか。でもこれは避けられねえだろ?」
2人は目くばせして何かの作戦を実行しようとしているらしいことが判る。
僕も杖を構えて、投げつけられる何かを見定めようと意識を集中させた。
その時だった。
ふいに目の前に1人の女生徒が飛び出してきて、僕の視界から2人の姿を隠してしまったんだ。
次の瞬間、僕の顔と胸になにかが当たって、ドロドロした感触とひどい臭いにまみれた。
一瞬の出来事だったけど何が起こったのかはしっかりまぶたに焼き付いていた。
2人が投げた糞爆弾が、飛び出してきた女生徒をなぜか突き抜けて、僕の身体に当たったんだ。
「やった!」
「ちょっと! 2人ともセブになにしてるのよ!」
「ヤベッ! エバンズだ! ジェームズ逃げるぞ!」
「え? リリー!?」
「早く来い! 捕まったら面倒なことになる!」
目が開けられずなにが起こったのかを見ることはできなかったが、声を聞いて察することはできた。
どうやらリリーが気づいて駆け寄ってきたのを見て2人が逃げ出したらしい。
リリーはすぐに杖を振ってくれたようで、僕の身体についた糞爆弾はきれいに清められていた。
視界が元に戻って、心配そうに覗き込んだリリーと僕は目を合わせた。
「セブ、大丈夫?」
「……ああ。すまない」
「悪いのはポッター達だもの。 ―― あなたは大丈夫? 怪我はない?」
後半は僕に向かって言われたものじゃなかった。
リリーの視線を追って首を動かすと、そこにはさっき目の前に飛びだしてきた女生徒が呆然と立ち尽くしているのが見えた。
……制服はスリザリンだ。
でも、僕とあまり年頃は変わらないように見えるけれど、同じ寮の割には見たことがない顔だった。
「今……私……」
彼女は自分の両手をじっと見ながら独り言をつぶやく。
おそらく彼女自身も見たのだろう。
自分の身体を糞爆弾が突き抜けていくところを。
僕は恐る恐る手を伸ばして、彼女に触れようとした。
でも、僕の手が彼女の感触を得ることはなかった。
伸ばした手は彼女の腕のあたりに触れたと思ったとたん突き抜けて見えなくなってしまったんだ。
「え?」
「……」
「嘘……!」
まるでゴーストのように身体を突き抜けてしまう。
でもゴーストのような冷たい感じはなくて、透き通ってもいなくて、見た目は実体とほとんど変わらない。
たとえて言うなら鏡の中から像だけが抜け出てしまったみたいだ。
彼女自身も驚いたようで、なぜか僕をじっと見つめたまま泣き出しそうな表情をしていた。
「私、どうして……」
「ゴースト、なの?」
「……判らない」
「そう。……でも、ありがとう。あなた、セブを助けようとしてくれたんでしょう?」
そうだ、彼女は、僕が2人に糞爆弾を投げつけられた瞬間、目の前に飛びだしてきた。
僕は彼女が邪魔でけっきょく爆弾を喰らうことになったんだけど。
彼女はたぶん、自分の身体を糞爆弾が突き抜けるとは思ってなかったんだ。
つまり彼女は、僕の代わりに糞爆弾を浴びるつもりで飛び出してきたことになる。
「私、グリフィンドールのリリー・エバンズ。あなたは?」
「あ、ミューゼ・ ―― ミューゼ、です」
「……セブルス・スネイプだ。スリザリンの3年生だ」
「……」
ファーストネームだけを名乗った彼女は、僕が名乗るとまたじっと僕を見つめて複雑な表情を見せる。
少し癖のある黒髪と、ブラウンの瞳。
……なぜか胸がドキリとした。
「ミューゼ。素敵な響きの名前ね」
「ありがとう」
「……毒草だ」
「え?」
「昔の文献に出てくる毒草の名前だ。失われてしまったのか、今ある草の別名なのか、詳しいことは知らないが」
頭に浮かんだことをなにも考えずに口に出してしまったのはたぶん照れ隠しだった。
ミューゼは一瞬キョトンとした表情をしたから、先に声を出したのはリリーで。
「セブ! なんてことを言うの!? 女の子の名前の由来が毒草のはずがないじゃない! きっと違う由来があるのよ ―― 」
「ふふふ……」
でも、隣のミューゼはなぜか嬉しそうに笑っていて、僕に対して怒鳴っていたリリーも驚いたように彼女を見つめた。
「ミューゼ?」
「あ、うん。たぶんそれが由来で間違いないわ。私、父に自分の名前の由来なんて聞いたことがなかったから。教えてくれてありがとう」
この日僕は、自分の名前の由来が毒草と聞いて喜ぶ女子と、初めて出会った。
僕たちは廊下から移動して、建物の外へ出た。
というのも、どうやらミューゼの姿は僕とリリーにしか見えないらしくて、通り過ぎる生徒が気づかずに彼女の身体をすり抜けていくからだ。
ゆっくり話を聞いてみようということで、僕たちはミューゼを人気のない場所へと誘導した。
移動中、ミューゼはあたりをきょろきょろと見回していて、自分の記憶の中の風景と照らし合わせているように見えた。
やがて暴れ柳が見えるあたりまで来て、ミューゼは足を止めた。
「……思い出した。私、暴れ柳に襲われたんだ」
「詳しく話してくれる?」
「うん」
僕とリリーは両側からミューゼをはさんで近くの草むらに腰を下ろした。
「私、ちょっとショックなことがあって、建物を飛び出したの。満月の夜だったけど、月は雲に隠れててあたりは真っ暗で。不用意に暴れ柳の前に飛び出したところを、追ってきた父がかばってくれたんだ。それで……」
「……死んだのか?」
「ううん。私は父がかばってくれたから怪我はなかったと思う。でも、父が重傷を負ってしまって。……私、父を助けたかった。だからいろんな呪文を、それこそ知ってるのも知らないのも、デタラメにいろんな呪文を唱えたの」
そのあとミューゼは意識を失って、気がついたらホグワーツの廊下に立っていたらしい。
通る人は誰もミューゼに気づくことはなく、歩いているうちに僕とポッター達のいさかいに出くわした。
僕をかばおうとしたのは本当にとっさに身体が動いただけだと言った。
その時はまだ、自分に実体がないことや、僕に自分の姿が見えていることは知らなかったのだろう。
薄く笑みを浮かべながら話すミューゼは終始落ち着いていて、そのことに僕は違和感を覚えた。
ふつうだったら、こんな奇妙な出来事が自分の身に起こったら、もっと慌てるなり取り乱すなり、違う反応があるんじゃないだろうか?
もしも僕がミューゼの立場だったらきっと今後の自分を思ってものすごく不安になるだろう。
もしかしたら僕たちの他にもミューゼの姿が見える人はいるかもしれないけれど、必ずしも先生達大人やミューゼの家族がその中に入っているとは限らないのだから。
「とにかく先生たちに相談してみましょう? ミューゼ、あなたはスリザリンの何年生なの?」
「3年生だけど、でもたぶん、私のことは誰も知らない。先生達も」
「え? 本当に3年生なの!? 私はグリフィンドールだから、百歩譲って知らなくても無理はないけど」
「僕も知らない。同じ学年ならはっきり言える。スリザリンの3年生に君のような人はいない」
ミューゼはリリーと僕を交互に見て、僕の方を向いたとき、少し遠くを見るような眼をして微笑んだ。
……なぜだろう、彼女は何もかも知っているように思えた。
まるでずっと年上の、人生のいろいろなことを経験してきた大人の女性のような感じがした。
「じゃあ、やっぱりミューゼはゴーストで、今よりずっと昔の人だってことなのかしら」
「ゴーストというより、たぶん生霊なんだと思う」
「生霊? それはゴーストとは違うの?」
「うん。私はたぶん死んでなくて、私が唱えた呪文のなにかが、私を私が知らないホグワーツに連れてきた。……たぶん、そういうことなんだと思う」
「……」
「だから心配しないで。きっとそのうち戻れるし、もしも戻れなかったとしても、私がいつかいちばん会いたい人に会えるって、2人に会って判ったから」
「意味が判らないわ」
「ふふふ……」
リリーの言葉を笑ってごまかした彼女は、立ち上がって数歩歩くと僕達に振り返った。
その笑顔に思わず見とれてしまう。
けっきょく彼女はいったいなんだというのだろう。
やがて。
「あ、ほら、もう戻るみたい」
彼女の周りに小さな光がキラキラと舞い始めた。
身体も少しずつ透けているようで、見る間に気配が薄れていく。
「会えて嬉しかった、リリー、セブルス」
「やだ、もう行っちゃうの? ミューゼ」
「うん。 ―― どうかあなた達2人の心が、互いにいつまでも寄り添っていられますように ―― 」
そう、最後の言葉を残して。
毒草と同じ名前を持つ少女は消えてしまった。
あれから僕はいろいろな文献を調べて、ミューゼという毒草がユリの花に似たきれいな白い花を咲かせる植物だということを知った。
たぶん彼女の名前はその花の名前にちなんで名づけられたのだろう。
無知というのは本当に罪深いものだと思う。
もしももう一度ミューゼが姿を現してくれたのなら、僕は彼女に伝えることができたのに。
リリーにその話をしたらやっぱり怒られた。
でも、それを知らないはずのミューゼがあの時嬉しそうな顔をしていた理由については、やっぱり僕にもリリーにも判らなかった。
そんなことがあったわずか2年後。
僕とリリーの間には、修復できない大きな溝ができてしまった。
僕は、最後にミューゼが言った願いをかなえることができなかったのだ。
◇ ◇ ◇
目覚めてあたりを見回して、私が横たわるベッドがホグワーツの保健室のものであることはすぐに判った。
ベッドを囲うカーテンは閉じられていたが、右隣との仕切りのカーテンだけは開いていて、そのベッドにミューゼが眠っていることにもすぐに気付く。
眠る前、最後の記憶は、暴れ柳に吹き飛ばされてケガをした時のものだ。
仕切りのカーテンが開いていた理由は、私が目覚めたあと真っ先にする行動が娘の無事を確かめることだと、マダムに見抜かれていたからなのだろう。
少なくともその程度には娘を愛している自覚はある。
そしておそらく、娘が目覚めて取る行動が私とさほど変わらないだろうと思える程度には、彼女に愛されている自覚もあった。
身体に多少の違和感はあるが、傷のほとんどは治っていることを確認して、私はベッドから降りて立ち上がる。
眠る娘の脈と呼吸を診て、ケガがないことも確かめてほっと息をついた。
そして、先ほどまで見ていた過去の夢を改めて思い起こす。
もしかして今、彼女の心は20年前のあの日を経験しているとでもいうのだろうか。
(もう、顔もはっきりとは覚えてはいないが)
覚えているのは、少し癖のある黒髪と、ブラウンの瞳。
すべてを悟っているような、大人びた微笑み。
娘の成長とともに、あの日の幽霊が自分の娘だったのではないかとこれまで考えなかった訳ではない。
だが、まさかあの時彼女が語ったのと同じ状況に自分が陥るとは夢にも思っていなかった。
私の簡易の健康診断は、娘を起こすだけの刺激としては十分だったらしい。
目を覚ました彼女は、私を見て心配と安心が入り混じったような表情で微笑んだ。
「教授、おはようございます」
「ああ」
「あの、お怪我は、大丈夫ですか?」
「問題ない」
私の答えを聞いて、彼女もすぐにベッドから身を起こした。
部屋の中を一通り見まわしてすぐに現状を把握したのだろう。
明らかにほっとした様子で、私にはっきりとした笑みを見せて言った。
「助けてくださってありがとうございました」
「……いや」
「教授、私、夢を見ました。ホグワーツ3年生の頃の教授の夢でした」
「すぐに忘れなさい」
急に恥ずかしくなる。
あの頃の自分が子供だったのは理解している。
そんな、子供じみた自分の姿を娘に見られるというのは、想像していた以上に気恥しいものだと気づかされた。
「判りました。……でも、ちょっと惜しいです。夢の中で、教授が、私の名前の由来を教えてくれたので」
彼女が夢の中で聞いたのは、ミューゼという名前の毒草がある、ということだろう。
あの時何も考えずにそう口にしてしまったことを後悔していた。
あれ以来会うことができなかった幽霊に、謝罪や訂正の機会は与えられなかったのだ。
おそらく今がそのときなのだろうと思った。
「花の名前だ」
「……え?」
「小さな、白い花だ。……形はユリに似ている」
「……」
一瞬、彼女の瞳が悲しげに揺らめいたのを見たような気がしたが。
すぐに笑顔に変わったため、私はそれを見間違いだと思った。
「そうだったんですね。教えてくれてありがとうございます。うれしいです」
あるいは会話しているうちに思い出したのかもしれない。
眠る前、彼女にとって衝撃的な出来事があったということを。
いちどだけ頭を振って。
私は、彼女が暴れ柳の前に飛び出す原因となった出来事、彼女を傷つけた過去の事情について、説明を始めた。
もう一つの方の作品があまりに書けないのでリハビリです。
以前書いてあった教授視点の話に加筆して、なんとなく閑話っぽく。
前半が過去に書いた分で、◇のあとが加筆分になります。
作者視点での主人公の名前の由来ですが、
名前 → 音読みでミョウゼン → 名前っぽくしてミューゼ
って感じなので超適当です。
主人公が傷ついた事情については長い上に面倒なのでカット。w